エーガ愛好会 (221) ”いかすぜ!この恋” 歌詞問答

(小田)あまり観たいと思う方はいらっしゃらないかと思いますが、今夜7時から《BS12》でエルビス・プレスリーの”60年代名作青春西部劇”?「いかすぜ!この恋」があります。いかすぜ…懐かしい言葉ですね! 原題は「Tickle Me」《tickle》と言うと、マイケル·ジャクソンがジャクソン5の時の綺麗な声で歌う「ママがサンタにキッスした」を思い出します。

“…I saw mommy tickle Santa Claus…♪”
今日の映画は吹替えなのがちょっと残念ですが。
(安田)tickleくすぐる、ticklishくすぐったい、をアメリカ人相手に日常会話で使っていました。
「キッスした」の訳は初めて聞きました。サンタは
キッスされると、くすぐったいのでしょうか?「Tickle me」は「私をくすぐってくれ」、私を撫でてくれ」或いは「むずむず そわそわ良い気持ちにさせてくれ」くらいの意味でしょうか。いずれにしても、好意を抱いている者同士の会話ですね。

(小田)「ママがサンタにキッスした」の1番の歌詞は

I saw mommy kissing Santa Claus……
2番が
Then I saw mommy tickle Santa Claus…
ですので、1番はママがサンタ(=パパ)にキッスしている
2番はママがサンタ(=パパ)を《くすぐっている》のを見ただと思います。
前後を書かなかったので、分かり難かったですね。2番で又『tickle、tickle…』とコーラスが繰返す所もあるので、耳に残っています。
(小泉) 6月3日BS12放映 60年代名作青春西部劇ということから、「やさしく愛して1956』「燃える平原児1960」あたりを想像して観ましたが、西部
劇は1時間半のうち約5分。過去にさかのぼり、酒場の中で、エルビスが早撃ちキッドとして相手の悪漢の手を撃ち、バンドエイドを手渡すシーンのみ。ギター片
手に歌を披露する。実際は観光牧場の体操教師との恋を中心に9曲の歌を歌いまくるミュージカルコメディ。9曲はファンならわかるのだろうが、知識なく字幕テロップもないので曲名とか不明。

コロナは終息したのか    (34 船曳孝彦)

日本政府はコロナから逃げ出し(脱コロナ)、社会はコロナ終息と勘違いし、国民は自由に様々な行動をしてはおりますが、Withコロナであることは意識しておいてほしいと思います。日本の場合、これ迄いくつかの幸運が重なってきましたが、今も1日1万人の感染があると予測され(実数は誰も分かりません)1日10人は死亡しているようです。これはまさにインフルエンザ並みとなっています。風邪との区別も難しくなり、ごく身近に流行っているという印象です。実は私自身ニアミス状態を経験しました。ある会食で私の目の前の席にいた人が、翌日の定期的予定検査で陽性と判定され(全く無症状)2類時代なら濃厚接触者に当たる訳ですので、私も何ら症状はなかったのですが、念のため2回薬局でキット購入して抗原検査を行い、陰性でホッとしました。同席会食者たちも皆検査し陰性でしたので一件落着ということになりました。

世界的にも感染は続いており、WHOは警戒を緩めないようにとは言いつつも、大流行はなかろうという展望をしています。感染経験とワクチンにより免疫を持った人も増えています。しかしながら、高齢者や心肺疾患、糖尿病などのリスクを持つ人にとっては危険な感染症であることに変わりありません。

WHOは “高リスク者には春、秋の2回、一般に人は年1回全員が秋冬期にワクチン接種” を推奨しています。日本でもいわゆる6回目の接種が始まっています。私もすでに接種を済ませました。副反応なしです。

このCOVID-19の3年余りで、日本の政治のお粗末振りが世界にバレてしまい、1流国と見做されていたのが3流国になってしまいました。ウィルス学、ゲノム解析、ワクチン開発など各分野で研究者が減り、研究費が開発途上国や小規模国に比べても僅少となり、日本からの研究論文が量質ともにランクダウンして(黒木レポート)いることは悔しい限りです。

前報でも述べましたが、このポストコロナ期に、①タテ割り行政を改善し、②十分な検証を行い、③研究費を増額し、次なるパンデミック感染症への備えを構築せねばなりません。10年前新型ウィルス感染症にしっかりした報告書を出していながら、行政へ反応させずに失敗しています。今度こそと願いを込めております。

 

社会はポストコロナとして動いています。一部では抑制されたコロナ禍時代の反動的にコロナ前よりも大きく、一方一部ではコロナ禍で縮小したままで、そして多くはコロナ前を目指してと3方向あるようです。在宅勤務やWEB活用などコロナ期に伸びた利点は生かしつつも、伝統に根付いた人間関係を尊重するコロナ前の社会への復帰を目指そうではありませんか。

ロートレックの料理書     (普通部OB 船津於菟彦)

豪雨でやること無いので、ふと本棚観たらこんな本がありました。「美食三昧」-ロートレックの料理書。本の厚さは枕に良い4㎝ 面白いのなんの大真面目なメニューズラリ。栞に三菱一号館美術館の入場券が挟んで在りました。沢山のロートレックの石版画が挿入されています。
終わりの方に如何にもロートレックらしい洒落た料理メニューも描いてありました。笑っちゃいますね。
尚、本のラストのPageこんな事が描いてありました。 March 30,1975 Presented  by Otohiko for my Birthday  その昔は魚が逃げないように色々洒落たことやってたんですね。今や剥がされて棄てられるか濡れ落ち葉状態(; ;)ホロホロ!!!! 豪雨にも負けず張り付いています。
(編集子)分からんことは一切無視する、という編集方針(?)でここ数日続いているロートレック談議には加わっていないが、これなら、俺にもわかるな。

紫陽花の季節ですね    (34 小泉幾多郎)

先日のエーガ愛好会昼食会以来、家に閉じこもっておりましたが、ふらつきが若干沈静化した様子もあり、昨日恐る恐る近くを久しぶりに散策。直ぐ近くの北大豆戸公園に紫陽花が咲いていましたので、久方ぶりにシャッターをパチリ

(例によってグーグル知識)

あじさいは漢字で「紫陽花」と書きます。「紫陽花」と書いて「あじさい」と読むのは、中国語表記を和名に当てた日本語独自の当て字です。「あじさい」全体に対して「紫陽花」が当てられているので、紫(あ)陽(じ)花(さい)のような漢字単独でバラバラな読み方はしません。中国語表記を和名に当てた漢字は他にも「蒲公英(たんぽぽ)」「向日葵(ひまわり)」などがあります。

紫陽花は、別名「八仙花(はっせんか)」とも呼ばれる為、八仙花と書いてあじさいと読ませる事もあります。「七変化」「四片」「八仙花」など、さまざまな数があります。 そして「手毬花」のように、花姿を毬に見立てた美しい別名もあります。女性的な雰囲気になり、思わず使ってみたくなる名前です。

紫・青のアジサイの花言葉は「冷淡」「無情」「浮気」「知的」「神秘的」「辛抱強い愛」です。 紫は神秘的な色であることから、「知的」や「神秘的」といった花言葉があります。 「辛抱強い愛」は、江戸時代にドイツ人の医者、シーボルトが愛した日本人女性「お滝さん」がモチーフとされています。

(編集子)センパイ、この次は向日葵それとも蒲公英はたまた鬱金香に針槐?なんせ日本語は難しい(この項は広辞苑参照)。

日本での英語教育について (2)

英語教育はどうあるべきか、という投げかけに対しては何人からご意見を頂戴している。また数日前には読売新聞に関連した記事が出た。非常に幅の広い話題なので、いろんな視点があるのは当然なのだが、小生にはどうしても賛同できない点がくり返し現われる。それは 我が国の英語の普及率がほかの国より低いから英語教育に力を入れなければならぬ、という論説である。

物理的に他国と国境を接する欧州では、母国語以外の言語に接する機会は日常事であり、万能的な言語に対する要求度はわが国の様な島国とは比較にならないくらい高いだろう。その初めての試みだったエスペラントは普及せず、第二次大戦後英語が事実上の共通語になったとき、英語に対する障壁は非常に低かったはずだし、特にドイツ語は言語の構造自体、親和性が高い。大英帝国の属領だったアジアアフリカの諸国では、英語が半公用語化しているわけだから、その普及率は鎖国時代が長かった我が国よりはるかに高くて当然だろう。そういう歴史的背景を無視してまでこの普及率の高い低いを議論することに意味があるのだろうか。

その普及度合いというものがどうやって測定されるのか、具体的な方法は知らないが、かりに ”英語を理解できる人間の数を総人口で割った百分値“ と仮定してみよう。

そうするとまず ”英語を理解できる人間” の定義が必要であろう。この”英語の理解“ というのが英語を読むこと、に限定してしまえば、我が国の大学卒業者はともかく10年間は何らかの形で英語に接しているわけだから、程度の差はあろうが、ある程度のレベルは想定できる。しかし問題にする ”日本人の英語能力“ とは、これにとどまらず、今回の話題の提供者である下村君の問題意識から言えば、国際社会において、現実的に世界語である英語を駆使してほかの国々と対等に議論し交渉し成果を上げられる能力、すなわち会話力(小生はこれにプラスアルファが必要、という論者だが)であろうと考える。そしてこの”会話力“ の内容として小生は下記のレベルわけには説得力があると思っている。

 

  1. Survival Level

きわめて基礎的な、タイトルの暗示するように “なんとか生きていくのに必要な”会話能力。My name is Taro とか Where is the toilet ? などのレベル。

2.Tourist Level

パッケージツアーで出かけた先で、たとえばレストランで注文ができ、ショッピングも必要な範囲で可能。

3.Business level I

企業で働く人ならば、自分が担当する業務について、必要な情報交換とか、必要な要請ができ或いは先方の要求を理解できる。この分野では、図面や配線図など世界で通用するツールがある技術者のほうに利があるだろう。

4.Business level II

自分の専門分野だけでなく、企業人ならば会社全体を代表する立場での交渉や外部でのプレゼンテーションなどができ、現場で質疑応答にほぼ完全な対応ができる。

5.Social Level

特定の話題に限らず、その国固有の文化・歴史などに基礎的な知識をもち、一般の社会生活場面に問題なく対応できる会話能力を持つ。

6.Bilingual

日本語と全く同じレベルで会話・思考・行動ができる。

この分類を前提にすると、下村君が提起したグローバリゼーション時代に日本人が持つべき英語力とはどのレベル言うのだろうか。その時の “日本人” とはどのような人達を指すのだろうか。日本の英語教育はどうあるべきか、という議論はこの二つの面を確定してからの話であり、単にほかの国より水準(それ自身定義が明確でない)がどうだからといった議論は、そのどこかに(英語をわかることが教養の有無をあらわす)というような、なにかといえば横文字のいうことをありがたがる文部省の役人的発想があるのではないか。

自分の能力を自分で測定する、という事に意味があるかどうかわからないが、議論の参考として挙げると、小生は自己の能力はBnusiness Level II だと思っている。在職中に交際の範囲を広げ、渡米の機会があるたびにいろいろなシーンを積極的に摂取しようと努力はしたし、仕事で英語に触れる機会が無くなってからは会話學校には結構真面目に通ったほかに、語彙や会話のニュアンスをとにかくめったやたらに読むことで増やそうとポケットブックの乱読を継続してはいるが、Social Level への到達は道遠し、という感覚である。

この論議のプロセスとして、次にどういう範囲の日本人がどのレベルの能力を必要とするのか、という過程を議論するのが順序であろう。すでに安田君などからはこの点についての指摘もあったが、改めて意見を聞きたいと思う。小生の場合、アメリカ企業が日本に作った環境での話だが、5000人規模、製造工場と日本全土(輸出については全世界市場)を顧客とした、いわば製造業としては典型的な企業において、日常の業務にあっては、英語での会話(当時すでにHP全世界の事業所で担当者同士内線電話で話し合える、国内ではまず実現していなかった、最先端のインフラがあった)が珍しくない環境にあっても、英語会話のレベルは特殊例を除けば、Business Level I くらいで問題なく機能していた。発足当時は通訳を常駐させてマネジメントレベルでの活用を図ったこともあったが、一年ほど経過したのち、当時の社長の、”エーゴができるのが目的じゃあねえんだ、コトバが通じなきゃ手でも足でも使え!“ という一言でいわゆる通訳という職種はいなくなった。エーゴができるんじゃなく仕事ができることが問題なんだ、という意識が全社的に確立された。管理者レベルでは、家族の都合で米国暮らしだったが日本で大学を卒業し兵役まで務めた二重国籍を持つた男がひとりのほか、外語大で英語専攻の、横河電機時代は殆ど米国駐在だったというSocial Level/Dual Language レベルが二人いただけだった。小生は当時、この二人のレベルは不可能だが、もう少し、高度の話ができる(本稿の用語でいえばつまり Business Level II ) にはなりたいもんだと思っていた。このあたりで起きたことは次稿で参考までに書かせていただく。

他方、いくつかの(先進、ということを売り物にしている)日本の有名企業で、グローバリゼーションを果たすために、という社長の一言で役員会の公用語を英語にした、という話がいくつかあった。小生、断言するがここの役員たちは会議の後、そっと、(それで、あれってどうだっけ?)という会話を交わしていると思う。形だけにこだわってみたところで会社が “国際化” するわけではないのだ、というのが今回の結びである。

エーガ愛好会 (220) たくましき男たち  (34 小泉幾多郎)

西部劇の巨匠ラオール・ウオルシュ監督が、クラーク・ゲーブル、ジェーン・ラッセルを主演に、ロバート・ライアンとキャメロン・ミッチェルを加え、南北戦争後失業し無法者となった男たちが、牛5000頭に馬の大群も加え、テキサスからモンタナへ移動させる物語。撮影は、メキシコのシェラ・デ・オルガノス国立公園でロケしたというが、その雄大な景観と牛馬の大群の移動は、西部劇の本道を歩み見応えあった。

クラーク・ゲーブルが兄(ベン・アリソン)、キャメロン・ミッチェルが弟(クリント・アリソン)を演じ、雪の山岳地帯を歩み、モンタナの街ミネラルへ近ずく。街では、銀行から大金を引き出したロバート・ライアン(ネイサン・スターク)を襲い強奪するが、ライアンからこの金を元手に、テキサスで安い牛を買い込み、モンタナへ移動すれば、ボロ儲けになると説得されたことから、牛馬の大移動へ。街で出会ったジェーン・ラッセル扮するネラ・ターナーに対してのゲーブルとライアンの恋の鞘当て、弟ミッチェルとライアンの確執を背景に、エーガは進捗する。この兄弟仲良く二人で空き缶を空中に飛ばし、交互に撃ち合い落さないという曲芸を見せたりする。

これは伝説になった?ジェーンのお色気は、風呂の入浴シーンや川での入浴中、ミッチェルが衣服を放り投げ、出るに出られない場面に、ゲーブルが葉の茂った枝を切り落とし、投げ入れ、それで上がって来いと入れ知恵。残念乍ら上がるシーンなし。 牧師のお祈りから、牛馬の大移動が始まる。最初の事件は、5~60人の無頼漢たちから州境を渡るなら、税の取り立て宜しく一頭1ドルとして、5000ドル払えと難題を。撃ち合いになるも、ゲーブルの統率により、悪漢を撃ち払う。川を渡渉するのも大仕事、ジェーンが川の中へ落ち込んだりしたが無事乗り切る。岩稜地帯では幌馬車を綱で引き揚げながらの移動等々。騎兵隊駐屯地へ着くとこの先はスー族の危険地域として突破は危険視され、弟ミッチェルがスー族に殺されたりしたが、強行突破


スー族の攻撃の中、牛馬の大群の爆走、迫力はすさまじい。無事到着、ジェーンが、画面上2度ほど唄ったケン・ダービー作詞作曲の主題歌を唄う。「私の愛するたくましい人、小さい男じゃない。私の彼は男の中の男、私の大切なたった一人の男。少年なら誰でも憧れ、老人が夢見る男」メロディ―は聞いたような曲だが。ジェーンがブーツを脱がせてと頼み終演。このブーツと毛布が、二人のシーンを彩った当時の官能描写の濡れ場だった。

(船津)「たくましき男たち The Tall Men 1955」を拝見、小泉さんの講評通りだと思いますが、これセイブ劇かなぁ。たしかにあの沢山牛・馬よく揃えて疾走して、着飾ったお決まりのように登場。
しかし、主題はいい男クラーク・ゲーブルといい女ジェーン・ラッセルの絡み合いかなぁ。弟の存在が彩りなのかも知れないが今一良くその存在が分からなかった居てもも居なくても物語は変わんないのではと思いましたね。
ナンテッテ良いおとこ、髭のクラーク・ゲーブルの映画ですね。何処かの名社長の様な統率力はITorAIのCEOみたいですね。凄い。魅力は何処からかなぁ。兎に角娯楽としてみていると面白い。

(飯田)小泉さんの論評通り、この映画は西部劇として1級品だとおもいます。
確か若い頃に劇場公開時に観た時には、日本語タイトルの「たくましき男たち」という意味が原題のThe tall Menから来るタイトルとして、男たち全部を指しているのかとか話題になっていたような気がします。

クラーク・ケーブルは勿論たくましいですが、弟役のキャメロン・ミッチェルは途中で目が眩んで短気を起こして、ロバート・ライアンに銃を向けてから改心して兄を立て、結局スー族の餌食になるのでたくましい。
ロバート・ライアンは打算的な考えで集団に居るが、最後はクラーク・ケーブルを縛り首にしようとするが、それを反省するたくましさ。と無理やり理解すると、何故かこの映画が見せ場の多い、西部劇の王道を行く作品だと思います。

5000頭の牛の大群の渡河シーンや大群の疾走スタンピード・シーン、スー族との銃撃戦やジェーン・ラッセルの歌と音楽担当のヴィクター・ヤングの常時流れるバック・ミュージックの心地よさは、さすが「シェーン」の主題曲や「大砂塵」のジャニー・ギターの作曲家の曲であると納得がいきました。

(編集子)スタンピードの場面はたしかだった。”赤い河” にも匹敵する出来栄えだったな。ストーリーは予想通りに落ち着くのだが、小生どうも ”キング” ゲーブルはあまり好みではない。風と共に去りぬ ではラストシーンの後ろ姿岳がかっこよかったのと、”深く静かに潜航せよ”の古傷を持つ艦長の役は心に心に残っているんだが。

一冊の本-私の場合  朝井まかて 「眩」   (HPOB 金藤泰子)

「富嶽三十六景」などで知られる浮世絵師 葛飾北斎の娘の葛飾応為が主人公。 当時は珍しい女絵師としての生き方が創作を交えて書かれています
北斎の筆とされる絵の中には部分的に応為や北斎の弟子の筆が入っている事、応為が絵の構図や色遣いを試行錯誤する様子、当時の絵の具と色 筆 下地の作り方が書かれているのは、興味深いところでした。 ベロ藍や日本の伝統色の名が出て来るのも良いです。
北斎はもちろんのこと応為や絵に関する事をよく調べたものと感心します。
応為は20歳の頃に嫁ぎますが、離縁して実家へ戻ると北斎が息を引き取るまで父親の画業を助けています。 江戸調の語り口でテンポ良く話が進んでいき、また、各章の題の付け方が良いですね。
応為の肉筆画とされる第十章三曲合奏図」(本図の制作年代は、ひとまず弘化から嘉永年間に掛けた時期(1844~1856)と推定しておきたい。』久保田一洋氏の指摘) は、元兄弟子 善二郎の三人の妹と結びつけて書かれている創作だと思いますが、読んだ文章から自分の頭の中で絵を想像し、それからネットにある絵と見比べると、絵師応為が ”見る者に音を感じて欲しい“ と描いた絵の中の三人の娘の身体の傾げ具合、手や指先に至るまで細やかな描き方は、想像したよりはるかに動きに現実味が感じられましたが、ほぼ想像通りの構図 色遣いで、 著者の細やかで的確な描写力に感心します。
 (個人的な好みとしては・・・応為が描いた着物の縞柄は描き込み具合が強く思え、私はもう少し柔らかな感じが好きです)
その他の章の絵図の記述につきましても読むと、実際の絵を見て確かめたくなりす。著者の朝井まかてさんは言葉で絵を描いていたようにも思えました
北斎が富嶽三十六景を手掛けた経緯、天保の改革時の悲惨さ、(本日5/27 飯田さん 船津さんがメールに書かれていますが)北斎が招きをうけて小布施の豪商の高井鴻山のところへ出かけて行き、お寺の天井の鳳凰図は親父どのの指図を受けて手伝ったという話も出てきて興味は尽きません。 (この鳳凰図は私も見た事がありますが、本当に応為の手が入っていたのでしょうか?)
北斎が亡くなった後、応為は商家や武家の娘さん達に女家庭教師として絵も教えていたようです。 己の絵の才能に歯がゆさを覚えながらも常に邁進あるのみ、己なりに光と影を見出していきます。
最終章が葛飾応為を江戸のレンブラントと呼ばしめる「吉原格子先之図」です。
応為の生き方を辿ると共に応為の描いた作品を知り、著者の綴る文章をいつもと違う感触で楽しめた1冊でした。
 今年の11月に太田記念美術館にて、葛飾応為 「吉原格子先之図」展覧会が催されるようです。

(菅原)流石、読み上手書き上手の金藤さん。見事なもんですね。

悪乗りすれば、澤田 瞳子の「星落ちて、なお」。これは、画家、河鍋暁斎(キョウサイ)の娘、河鍋暁翠(キョウスイ)の話しです。まー、暇になったら読んでみてください。

なお、昨日の日経に載っていた「台湾漫遊鉄道のふたり」なかなか面白そう(作家は台湾の楊双子)。早速、図書館に予約しました。本来、おとこおんなは関係ないんでしょうが、 女流作家、なかなかヤリマスネ!

エーガ愛好会 (219)  弾丸を噛め  (34 小泉幾多郎)

表題の「弾丸を噛め」は、弾丸を加工した被せものを虫歯の治療に使うことから、どのような困難が立ち塞がっても、弾丸を噛むように、歯を食い縛れということで、このエーガの中に男の友情、若者の成長、女性の勇ましさなど過酷な耐久レースの中に、魅力が詰まっている。

自然の美しさや猛威なども描かれ、自然と人間ドラマが迫力ある映像と共に素晴らしいと言えるのだが、肝心のレースそのもののスリルはあまり感じられなかった。1908年デンバーポスト新聞主催の馬と共に進む人馬一体の1120キロの耐久レースで賞金2000ドル。

主演サム・クレイトンにジーン・ハックマン。誰よりも馬を愛し、馬の状態を案じ、レースに参加するすべての人間を愛するような人物。その友人で皮肉屋の賞金稼ぎル-ク・マシューズをジェームズ・コバーン。ミスターと呼ばれるカウボーイがベン・ジョンスン。川を渡ろうとした老カウボーイ、馬と共に激流にに飲まれ、やっとのことで這い上がったが、心身共に衰弱して、サムに看取られながらあえない最期。カウボーイ、バーテン、炭鉱夫、生きるために何でもやったが、何者にもなれなかった。これに勝てば初めて人から認められるんだと呟きながら息を引取る。最大の難関である砂漠の横断で馬を酷使し過ぎた若者(ジャン・マイケル・ヴィンセント)、馬を殺しサムの指示により埋葬する。メキシコ人歯痛のため脱落しそうになったがが、サムの気転で、弾丸を歯冠代わりに被せられ、なんとかレースに戻ることが出来た。英国紳士ノーフォーク卿(イアン・パネン)の馬が足を折り自ら銃殺しなければならなかった。唯一の女性ケイト・ジョーンズ(キャンデス・バーゲン)は、囚人となり線路工事に従事する恋人を開放すべく監督官に銃を突きつけたのは予定の行動。恋人の反逆に遭い予定外に馬を2頭盗られたが、銃撃戦の末何とか取り返すことに成功し、ケイトは助けた恋人に愛想をつかすことになる。

過酷なレースのフィナーレは。馬を気遣い馬を降りた満身創痍のサムがゴールに向かう。後を追うルークも馬を降り、二人一緒にゴール。周囲の観衆から大歓声のうちに終わりを迎える。

(編集子)なかでもジェイムズ・コバーンは荒野の七人で始めて出会い、シャレードではユニークな悪漢ぶりに感嘆し、以後常に一癖ある人物を演じる俳優で、方やジョン・フォード・ウエインもの常連、ベン・ジョンスン、もひとりこれもキラリと光るマイケル・ヴィンセントとくれば満足。ジーン・ハックマン? この人はどーゆーものかあまり好きではないのだが、いや、ご苦労であったな。

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bite the bullet”は、直訳すると、「弾丸を噛む」という意味ですが、「歯を食いしばって耐える」「いやな状況に敢然と立ち向かう」という意味になります。

この表現は、野戦で麻酔なしで外科手術を受けなければならなかった兵士が、弾丸を噛んで歯を食いしばって痛みに耐えたという慣習が由来となっています。

bite the bullet”という表現は、何か困難なことや不快なことが起こったときに、その困難な状況や不快な状況に歯を食いしばって耐えて、勇気をもって、敢然と立ち向かう様子を表します。

相手が何か困難なことや嫌なことをしなければならないというときに、それを実行するように励ます場合に、“Bite the bullet.”と言うと、「我慢して」「困難に立ち向かえ」「ぐっとこらえて」「歯を食いしばって耐えて」という意味です。

“Just bite the bullet and do your best.”
「ともかく困難に立ち向かい、最善を尽くせ」