西部劇の巨匠ラオール・ウオルシュ監督が、クラーク・ゲーブル、ジェーン・ラッセルを主演に、ロバート・ライアンとキャメロン・ミッチェルを加え、南北戦争後失業し無法者となった男たちが、牛5000頭に馬の大群も加え、テキサスからモンタナへ移動させる物語。撮影は、メキシコのシェラ・デ・オルガノス国立公園でロケしたというが、その雄大な景観と牛馬の大群の移動は、西部劇の本道を歩み見応えあった。
クラーク・ゲーブルが兄(ベン・アリソン)、キャメロン・ミッチェルが弟(クリント・アリソン)を演じ、雪の山岳地帯を歩み、モンタナの街ミネラルへ近ずく。街では、銀行から大金を引き出したロバート・ライアン(ネイサン・スターク)を襲い強奪するが、ライアンからこの金を元手に、テキサスで安い牛を買い込み、モンタナへ移動すれば、ボロ儲けになると説得されたことから、牛馬の大移動へ。街で出会ったジェーン・ラッセル扮するネラ・ターナーに対してのゲーブルとライアンの恋の鞘当て、弟ミッチェルとライアンの確執を背景に、エーガは進捗する。この兄弟仲良く二人で空き缶を空中に飛ばし、交互に撃ち合い落さないという曲芸を見せたりする。
これは伝説になった?ジェーンのお色気は、風呂の入浴シーンや川での入浴中、ミッチェルが衣服を放り投げ、出るに出られない場面に、ゲーブルが葉の茂った枝を切り落とし、投げ入れ、それで上がって来いと入れ知恵。残念乍ら上がるシーンなし。 牧師のお祈りから、牛馬の大移動が始まる。最初の事件は、5~60人の無頼漢たちから州境を渡るなら、税の取り立て宜しく一頭1ドルとして、5000ドル払えと難題を。撃ち合いになるも、ゲーブルの統率により、悪漢を撃ち払う。川を渡渉するのも大仕事、ジェーンが川の中へ落ち込んだりしたが無事乗り切る。岩稜地帯では幌馬車を綱で引き揚げながらの移動等々。騎兵隊駐屯地へ着くとこの先はスー族の危険地域として突破は危険視され、弟ミッチェルがスー族に殺されたりしたが、強行突破
。
スー族の攻撃の中、牛馬の大群の爆走、迫力はすさまじい。無事到着、ジェーンが、画面上2度ほど唄ったケン・ダービー作詞作曲の主題歌を唄う。「私の愛するたくましい人、小さい男じゃない。私の彼は男の中の男、私の大切なたった一人の男。少年なら誰でも憧れ、老人が夢見る男」メロディ―は聞いたような曲だが。ジェーンがブーツを脱がせてと頼み終演。このブーツと毛布が、二人のシーンを彩った当時の官能描写の濡れ場だった。
(船津)「たくましき男たち The Tall Men 1955」を拝見、小泉さんの講評通りだと思いますが、これセイブ劇かなぁ。たしかにあの沢山牛・馬よく揃えて疾走して、着飾ったお決まりのように登場。
しかし、主題はいい男クラーク・ゲーブルといい女ジェーン・ラッセルの絡み合いかなぁ。弟の存在が彩りなのかも知れないが今一良くその存在が分からなかった居てもも居なくても物語は変わんないのではと思いましたね。
ナンテッテ良いおとこ、髭のクラーク・ゲーブルの映画ですね。何処かの名社長の様な統率力はITorAIのCEOみたいですね。凄い。魅力は何処からかなぁ。兎に角娯楽としてみていると面白い。
(飯田)小泉さんの論評通り、この映画は西部劇として1級品だとおもいます。
確か若い頃に劇場公開時に観た時には、日本語タイトルの「たくましき男たち」という意味が原題のThe tall Menから来るタイトルとして、男たち全部を指しているのかとか話題になっていたような気がします。
クラーク・ケーブルは勿論たくましいですが、弟役のキャメロン・ミッチェルは途中で目が眩んで短気を起こして、ロバート・ライアンに銃を向けてから改心して兄を立て、結局スー族の餌食になるのでたくましい。
ロバート・ライアンは打算的な考えで集団に居るが、最後はクラーク・ケーブルを縛り首にしようとするが、それを反省するたくましさ。と無理やり理解すると、何故かこの映画が見せ場の多い、西部劇の王道を行く作品だと思います。
5000頭の牛の大群の渡河シーンや大群の疾走スタンピード・シーン、スー族との銃撃戦やジェーン・ラッセルの歌と音楽担当のヴィクター・ヤングの常時流れるバック・ミュージックの心地よさは、さすが「シェーン」の主題曲や「大砂塵」のジャニー・ギターの作曲家の曲であると納得がいきました。
(編集子)スタンピードの場面はたしかだった。”赤い河” にも匹敵する出来栄えだったな。ストーリーは予想通りに落ち着くのだが、小生どうも ”キング” ゲーブルはあまり好みではない。風と共に去りぬ ではラストシーンの後ろ姿岳がかっこよかったのと、”深く静かに潜航せよ”の古傷を持つ艦長の役は心に心に残っているんだが。
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