
友人からもらったあいさつ状から失敬したものです。日本の夏、が戻ってくるようだと思いませんか?
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
(小泉) 原題名は「稀な品種」即ちセントルイスで行われる家畜売買会に英
主演ジェームス・スチュアート(サム・バーネット)が不器用なが
るのだった。
音楽が、あのジョン・ウイリアムス、昨今程の強烈なメロディでは
(安田)邦題の「スタンピード Stampede」は、動物の群れの暴走のこと。西部劇に現れる
いちおう西部劇だが、派手な銃の撃ち合いなし、インディアンも騎兵隊も保安官も出て来ない、イギリスの母娘と牛が目立つ風変わりな映画。アイリッシュらしい気丈な女性役のモーリン・オハラ、闊達な娘役ジュリエット・ミルズ、牧場主役ブライアン・キース、57歳ながら殴り合い場面も頑張った老優ジェームス・スチュアート、皆それぞれに適役だった。それからもう一人、いや、一頭のヒーローは、新種の牛です。これが英国国歌の口笛で指示に従うという厄介な牛。スコットランドのバグパイプ演奏、こういう趣向がなかなか洒落ていた。気軽に観れた1時間40分だった。
(編集子)名画 ”駅馬車” の有名な主題曲は西部に古くから伝わったカウボーイ仲間の愛唱歌 Bury me not on the lone prairie である。良く覚えていないが原曲の歌詞に long-horned cow という一節があった。テキサスから延々と大西部を旅したのはこのテキサス牛だったのだ。
(編集子)先日人間ドックへ行って、その結果万事問題なし、ただ体重のコントロールは必要で、アルコール制御といわれただけ、と自慢したら斎藤さんから警報が届いた。ご同様の環境の方も多いと思うので、私信ではあるがご承諾いただいてその一部を掲載する。トニック愛好者の小川先輩、斎藤警告にしたがってバーボンあたりに変更しますかね。
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検査項目中にHbA1cというのがあるのですが、これで1〜2ヶ月
トニックウォーターは問題ですね。砂糖水みたいな
蒸留酒は、糖質を含みませんから、バーボンOK、ウイスキーOK
(安田)映画の冒頭、主人公が船で干潟の間を縫って南東の方角からベニスに近づくと、運河の向こうにドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、などの姿が次第大きくなり、まさに「ベニスを見てから死ね」の気分の高揚を覚えた。映画の舞台ともなったリド島(ヴェネチア映画祭の開催地としても知られる)にはそこのユースホステルに1週間滞在したこともあり、なおさらであった。リド島はベニスでは最大の島で、アドリア海の1番外海側に位置している。
イタリア映画界の巨匠、ルキノ・ヴィスコンティが、美少年への思いを募らせたドイツ人老作曲家の苦悩を格調高く描いた文芸ドラマ。作曲家グスタフ・マーラーをモデルに描かれたトーマス・マンの原作を基に映画化。少年へ恋焦がれるあまりに破滅へと向かう作曲家の生き様と、その美少年を演じたスウェーデン出身のビョルン・アンドレセンの美ぼうも話題になった。マーラーの音楽と共に描き出される芸術的で退廃的な世界観が見どころ。
1911年、イタリアのベニス。静養に訪れたその老作曲家は、宿泊先のホテルで見掛けたポーランドから来た少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)に一目で心を奪われる。タジオへの思いが抑えられないだったが、折しもベニスではコレラがまん延し始め、彼は遂にはコレラに罹患してベニスに死す。
(船津)確かに船であのドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・
この映画は何度観ても分からん。「やはり美少年趣味」の耽美の世
(菅原)マーラーの番号付き交響曲は全部で10(ただし、10番は未完成)。その殆どが1時間以上と長い。しかも、二三の例外を除き、最後まで聴くのに大変な忍耐と我慢が必要だ。その例外は、1番、4番、それに、安田さんが言及された、5番第四楽章のアダージェットだ(その1/2/3/5楽章は、まるでつまらない)。このアダージェット、小生はアダージョみたいなもんだと思っているが(アダージョとは、「緩やかに」。アダージェットは「アダージョよりやや速く」と定義されているらしい)、アダージョの傑作は、これと並んで、ベートーヴェンの第九の第三楽章だ。第九は第四楽章の合唱が有名だが、小生、この第三楽章の方が好きだ。と言うわけで、興味のある方は、マーラーの第五番を聴いてみたら如何でしょうか。あっ、ヴェネツィアで食ったカルボナーラは絶品、これはマーラー以上だった。
(保屋野)正直、私の(普通人)の「鑑賞眼」には少々ハードルが高い映画でした。この手の映画は、面白いはずはないのですが、いくつかの見応え場面はありました。第一に、何といっても、あの究極の美少年、この世の人間とは思えません。彼の存在だけでこの映画は価値があると思います。私は、彼を見て、何故か「ラファエロ」を想起しました。彼の自画像だったか、彼が描いた「天使」だったか・・・
さて、音楽ですが・・・まず、「メリー・ウイドウ・ワルツ」(レハール)が流れてましたね。(私は「金と銀」だと勘違いしましたが)次に「エリーゼのために」が弾かれてました。ただ、マーラーは良く知らないので、もう一度音楽だけを聴いてみます。最後に、やはりベニスの風景ですね。リド島へは行ったことがありませんが、サンマルコ広場で演奏を聴きながら飲んだ「エスプレッソ」最高の(美味しい)思い出です。
(飯田)何回見ても難解な映画だなーとダジャレでも言いたいところですが、多分2回目です。強いて言えば、少し見るべきところは屋内の広間やレストランシーンのバランスよい多色の色彩感覚がヴィッスコンティ映画では「山猫」でも延々と続く舞踏会シーンでも感じられたこと。意味不明ともとれるロングのパン撮りの撮影シーンが度々出て来て考えさせられるが考えても何も思いつかない愚かな自分を感じること。
同じように分かりにくいイタリア人監督の フェデリーコ・フェリーニの「8-1/2」も似たようなロングパン撮りが沢山あったが、こちらは宗教的な意味合いを感じさせたように思う。淀川長治氏の評価を添付しておきます。彼は最後に“眞に凄い大美術品映画。ヴィスコンティの大名作です”と宣まっていますが、果たしてどこまで理解しているのかと思います。
ミサ、こと横山美佐子が不帰の客となった後しばらくして、夫君のヨコさんこと隆雄先輩から、(ミサが書いたものなどだが自分で整理すべきではない、処理を頼む)と送られてきた小包みがあった。かなりの分量のものだった。僕はヨコさんのメモを詳しく読まず、これだけ多くのものを書いていたのか、と長い付き合いだったが改めて彼女のことどもが蘇り、今日までひも解く勇気がなかった。今朝、思い切って開封してみたら、現役時代に作られたいくつかのワンデルング文集だった。
ロマンチスト金井先輩の主宰された清津峡めぐり。KWV史上初の積雪期Wとなった北沢BC,Lは今なお月一高尾の常連である平松さん。”KWVは山だけじゃなく、もっとロマンチックな ”旅” をしようと試みた、L田中新弥 小海線沿線ワンデルング。硬派の代表だった寺田捨巳が意外な面を発揮したスケッチワンデルング。それとこれは小生がやはり言い出しっぺだったのだが、詩文集の形でこころみて、企画に賛成した故細田佳嗣が装丁、命名した ”へのへのもへじ”。
参加者寄稿者の中にはすでに鬼籍にある仲間もいる。半世紀前、僕らはどんな気持ちでいたのだろうか。われら青春の日々、という気がする。今回いわば”発掘”された(なぜこれらがミサの手元にあったのかは永久にわからないが、いいではないか、それも歴史のもつロマンなのだし)4冊は、本日,各リーダーあて送らせていただく。参加した覚えのある向きは各リーダーにご連絡いただければと思う。
ヨコさん、ありがとうございました。
映画の原題 「The Post」はアメリカジャーナリズムの代表の一つワシントン・ポスト紙を意味する。WaPo と省略することもある。’70年代初め、ニクソン政権を揺るがした2つの事件の一つを描いた映画。もう一つは1年後に発生したウォーターゲート事件であり、ニクソン大統領辞任の原因となった。共にワシントン・ポスト紙が深く関わっている。監督は民主党支持のスティーヴン・スピルバーグ。
映画の時代はJFKと後継のジョンソン大統領によってベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の反戦や戦争に対する疑問の機運が高まっていたニクソン大統領政権下の1971年。ベトナム戦争を分析及び報告した国防総省(Pentagon)の最高機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)がニューヨーク・タイムズによってすっぱ抜かれる。当時の国防長官ロバート・マクナマラの指示でその作成に関わった軍事アナリストは、彼の勤務先のシンクタンク、ランド研究所から持ち出しコピー機で複写、それをニューヨーク・タイムズに渡し、ニューヨーク・タイムズが機密文書の存在をスクープする。だが、政府の機密文書をスクープしたことで、タイムズ紙は政府から記事の差し止めを要請される。機密文書には戦争の先行きは勝機が薄いことが説明され、戦争継続は敗戦の汚名を着せられたくない現政権の意向が強く反映されていたのだった。これが公開されれば、息子や夫を戦場に送っている市民の反感のみならず世論の反戦機運はより高まるのは必至であった。従って、権力側は機密文書は隠蔽し続けておきたかったのだ。
一方、ニューヨーク・タイムズ紙のライバルであるワシントン・ポスト紙の発行人(社主)のキャサリン・グラハム(メリル・ストリーム演じる)と部下で編集主幹のベン・ブラッドリー (トム・ハンクス演じる) は、極秘のルートで機密文書の入手を試みる。記事掲載を役員と法律顧問から反対され、記者達は彼らと舌戦を繰り広げる。文書を記事にすると自社を潰すことになるのではと危惧し、選択に苦悩するキャサリンは友人のマクナマラ国防長官にアドバイスを求め、その夜、電話でベン達から決断を迫られる。タイムズ紙のスクープの差し止め命令が下されればポスト紙での掲載もできないとキャサリンはベンに警告する。だが、これをチャンスと見たベンは、彼女の注意をよそに文書の入手を部下に命じる。ニューヨーク・タイムズの前例もあり、スクープ記事として新聞に掲載するか否かポスト紙社内でも幹部間で甲論乙駁の激論が交わされた。悩んだ挙句、彼女は記事の掲載を決断する。そしてニューヨーク・タイムズと時に争いながらも連携し、「戦争中における政府の機密漏洩」という事態そのものを問題視し、記事を差し止めようとする政府と裁判を通じて戦う決意を固める。ポスト紙の記事が掲載されると国内の他紙の多くが追随するに至り、キャサリン、ベンは喜びの感慨に浸る。
残された関門は、裁判における判決であった。ポスト紙社内で固唾をのんで社員が見守る裁判所における陪審員の評決は6対3でポスト紙の無罪であった。続いて、判事の読み上げられる判決文を社員の一人が電話で受け、声を上げて仲間の社員に伝える。「建国の父たちは報道の自由に保護を与えた。民主主義における基本的役割を果たすためだ。報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。」(The founding fathers gave a free press. Protection we must have to fulfill the essential role of our democracy. Press was served govern, not governed.) 。
そして当時は未だ鉛を溶かして、
昔懐かしの西部劇の味わい、勧善懲悪で安心して楽しめた。ハワー
冒頭から素晴らしい出足。 イントロのギターの大写しによる演奏か
と南
ジョン・ウエイン出演当時63歳。老いたるヒーローについて一言若い二人にに気を利かせて、先に寝てしまうが、朝起きるとジェニファーが
(編集子)小泉さんのお気に入りらしいホークスの作品はウイキによれば下記の通りである。
ハワード・ホークス監督作品 | |
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1920年代 | |
1930年代 | |
1940年代 |
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1950年代 | |
1960年代 |
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1970年代 |
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オムニバス映画 |
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ウエイン後半期の三部作は確かに代表作、たとえば 赤い河 や 捜索者 やもちろん 駅馬車 なんかに比べると、小泉さんご指摘のようにウエイン本人が楽しんでいる雰囲気があって、全体のトーンが同じような気がする。主題歌がいいのも共通。ホークス作品ではないが、小生としては エルダー兄弟 も同じような感じがして好もしく思っている。このトーンは ラストシューティスト では一転してしまう。ウエイン西部劇、というなかでこの作品があまり衆目を集めないのは誰もがウエインの遺作であることを意識してしまうからだろう。そういう意味ではこのホークス三部作は完全な娯楽映画として楽しむものなのだと小泉説に同調。
船津於菟彦君が学生時代所属していた新聞研究所OBの会合で聞いたレクチュアについて知らせてくれた。その一部を現在話題になっているものの、もう一つ、知らないことの多い沖縄についての基礎知識として紹介する。
① 1429年中山王尚巴志(ちゅうざんおうしょうはし)は北山、中
②1609年、第7代の尚寧王(しょうねいおう)のとき幕府の許
③琉球が清との関係を続けようとしたため1879年に、明治政府
④1609年に薩摩藩が沖縄北部の運天港に上陸し、今帰仁城を落
⑤明治5年(1872)に琉球王国から琉球藩となったが、王府は
⑥日本政府が、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦へと突き進む
⑦そして、太平洋戦争。太平洋戦争が終わりをむかえようとする、
⑧戦争が終わると、1972(昭和47)年5月15日に日本へ復
⑨明治時代になると、450年間続いた琉球王国はなくなり、琉球
先日、大学全学部同期生のゴルフコンペに参加してきました。茨城県牛久の近くにある金乃台ゴルフクラブというところです。毎年行われていたこの大会もコロナ騒動でここ2-3年はお休み。久しぶりに大会を献身的な有志幹事が開いてくれましたが、毎年100名以上いた参加者も今回は20名一寸。まあしょうがないやね。何しろ最も若くても83歳だもんね。
スコアー(打数)が自分で数えられず始めからキャディーさんに自分の打数を数えてくれと頼んでいるもの、一番ホールからもう腰が痛い・足が痛いと騒いでいるもの、朝からドライバーを忘れてきたと大騒ぎするもの、打順が分からず適当に打とうとするものなど、スタートからしっちゃかめっちゃか。医者は小生だけだったから、何かあったらと多少責任を感じつつスタート。まあ何とか救急車も呼ばずに終了できたのが不思議なくらい。私は第一組で、後ろから来るのが仲間たちだからよかったけれど、普通だったら「進行が遅れています。急いでください」とどやされていた筈。
最後の簡単な表彰式にも会場が分からない迷子が出る始末で、皆さん久しぶりに会えてよかった来年また会おうと喜んでおられたが、私は死者が出なくて良かったとホッとしただけ。来年はどうなるんでしょうね。全員が揃って、84歳以上になるんですよ。共通して言えることは、多分私も含めて、打った後の歩く速度が遅くなったこと、それと何しろ動作が鈍い。ラウンドしているうち、仲間全員が患者さんに見えてきた。実際の患者さんも何人もいたけれど。
最近、「フレイル」とか「サルコペニア」という言葉をよく聞くでしょう。「フレイル」とは高齢化と共に生じる、
皆さん、街を歩いていて、若者にどんどん追い越されて悔しい想いをした経験はありませんか? 病気でもなく、よく食べるのに体重が減少? 奥さんや子供に「パパ、遅いんだから」とよく怒られる? これらがフレイルの始まりです。
しかし、フレイルやそれに伴う筋肉量の減少は年齢と共に誰にでも起こるものです。ましてこのコロナ禍で、外出もままならない状態ではさらにこれが増長します。しかし、これを治す飲み薬はありません。 血圧・体温の測定も結構ですが、毎日あるいは週に3-4回は散歩や何らかの自分なりの仕事・運動・トレーニングをやって下さい。
ボーッとテレビだけ見て何となく1日が過ぎてしまうのはやめましょう。杖をつきながらでも、体を動かすことは是非つづけてください。それが心肺機能にも、脳にも、胃や大腸にもいい影響を与えるのです。
と言っても、今更ジムやスポーツクラブに通うのも大変だけどな~。
(編集子)篠原兄、相変わらず医療前線でのご活躍、敬意を表します。小生自宅から3分の距離に24時間営業のジムが開業、恐る恐る通い始めたところ。面白いもので教室にはいかないがザックを背負って過ごした4年間の実績?か、ほかはだめでも背筋だけはこの年にしては元気なようです。36ゴルフもそろそろ先が見えてきたようですかな。