27~30日まで、成人してから初めて、
釜蓋朔日 ― 水無月から文月へ (普通部OB 舩津於菟彦)
水無月から文月へと時は移ろいますね。今年も明日で丁度半分。ま
『 文月や 空にまたるる ひかりあり 』 加賀千代女 文月の空だなぁ。まだ夕方で日が沈んでいないのに、日が沈むのを
『 文月や 神祇釈教 恋無常 』 正岡子規 文月だなぁ。 世の中の有様はさまざまであることだ。
7月1日は釜蓋朔日(かまぶたついたち)と言う日だそうです
死者の霊魂が地獄の石戸を突き破って出てくるという日。お盆を迎
御元気なときに言いたかった言葉です。 これから祭祀などの執りおこない方とか戒名とか色々変わっていく
日本の英語教育について (4)
日本人の英語教育はどうあるのがいいのか、ということについて、いろいろな立場からのご意見をいただき、 なぜ、英語が必要なのか、それはどの程度の能力なのか、という基本的な命題を議論してきた。今回はそもそもの議論のきっかけであった、”英語教育の手法“ といういわば技術論について私見を書く。
我が国における英語の必要性、という問題について、投稿者各位のあいだで一致した認識は、一般の日本人が大学まで進学した場合、単純合計で10年間まなぶことになる英語教育が、結果としてグローバルな場で外国人とコミュニケートできるだけの成果を出していない、ということである。ただ、ここでいうコミュニケート、とは、会話能力、と言い換えなければならない。なぜかといえば、外国語で書かれた書物を自国語で読解できる、すなわち主要な外国文献が自国語に翻訳されて誰でも入手できる社会環境を維持しているという意味では、日本ほど制度・機構が出来上がっている国はほかにないのではないかと思うからだ。
欧州各国は長い歴史を経てなお、自国の領土に固有の言語を保持しながら、地理的、文化(歴史)的経過からお互いを知り、認め合うという仕組みがあり、言語そのものを知悉しなくてもコミュニケ―ションが保たれているし、ごく普通にマルチリンガルな人間がいてもいわば当然と言える。しかしそのほかの国、米国をはじめとした非欧州の国々が他国の言語に敏感であるとは思えない。日本の若者のように、自国語で、今日はゲーテを読み、明日はサルトルに手を伸ばし、それがすんだらヘミングウエイにしようか、ということが出来る。これは明治開国とともに、わが福沢諭吉をはじめ多くの先達者が切り開いてきた外国語翻訳という確たる文化である。くりかえすが、かの 日本では英語の水準がほかの国に比べて低い、だから日本は遅れているのだ、というお役所議論は全く意味がない。外国の優れた文物を取り入れ、消化し、自国の状況に合わせてローカライズする、という事が大事なのであって、外国語がわかるかどうかという事は単なる事実のあとづけにすぎないからだ。
しかし、そもそもの議論のきっかけである、”グローバルな環境での異文化と対人関係のなかにあって自己を主張し議論を重ね成果を得るための言語、事実として世界語である英語の会話能力” という点についてわれわれが大きく立ち遅れている、という認識には小生も100%同意である。ただ、多くの人が指摘されるように、そういう現実の場においても重要なのは英語というツールだけの問題ではない。小生の経験からいうと、本節の意味でいうコミュニケート能力の不足、の原因は第一に日本人が生まれついてきたいわば日本人としてのしつけ、すなわち自己主張をする前に組織との整合性や他人の立場を考慮する、という文化であり、雄弁よりも断固たる沈黙を貴ぶという武士道的発想ではないかと思う。またそういう時に、これもまた日本人には苦手なのだが、ユーモア、とかエスプリ、といったものが持つ重要性も考える必要があるようだ。
(以前にも本稿で書いたと思うが、あまり評判はよくなかったが歴史の勉強として小生には役立ったアメリカ映画 遠すぎた橋 のなかで、ロバート・レッドフォード扮する分隊長が白昼、敵前での決死的な渡河を命じられるエピソードがある。無謀な命令に部下たちの間に動揺が起きる。ここでレッドフォードがこういうのだ。Hey, what the matter、guys ? Don’t you have sense of humor ? 大体西部劇とかこういうスペクタクル物の会話はまずついていけないのだが、このカットのセリフは明瞭に聞き取れた。そしてその時、(へえ、ユーモア?)と違和感があった。しかし考えてみるとこのような生死を賭けたような場合ですら、ユーモア、ということが平然とでてくるのが英語の世界なのだろう。こんな生死をかけた場面でユーモアを要求する文化は日本には絶対に存在しない)
前回定義した英語レベルでいえば、今回寄せられた経験論にもあるように、ほとんどの場合、現在日本での標準と言って差し支えないと思うが、中学から大学まで、10年間の英語教育をこなしてさえいれば、実用的なレベルのコミュニケートはできる、というのが小生の経験値である。ただ、ビジネスレベル2、といった程度では上記したようなハイレベルのコミュニケーションを成立させるには不十分であることもわかる。相手が示す言外の意味がわかるかどうか、とか、対人関係の中で生じることとか、ちょっとした蹉跌が重大な誤解につながることもあり得るので、下村君が呈したようなシーンでは、やはりソーシャルレベル、の英語力が必要であると感じている。それではそのソーシャルレベル以上の英語力はどうやったら身につけられるのか。考えているうちに、一つのケーススタディがなんということか、ごく身近にあることに気がついた。自分の孫である。
彼が就学年齢に近づいたとき、息子夫婦は彼をインターナショナルスクールにいれる、という決断をした。正直言って我々夫婦はこれには抵抗があったのだが、いくつかのスクールで小学校から高校まで学んだ彼がつい先日、高校過程を卒業した。そして在日外国人の子弟が対象のPEARL(Programme in Economics for Alliances, Research and Leadership)の参加資格を得て、慶應義塾経済学部への入学が決まった。この PEARL の部分は当初から計画したわけではない、いわば完全なフロックで、当人も受験対策を始めようかという時期だったので、結果善ければすべてよし、に近い結末になった。彼の卒業式(アメリカ式にコメンスメントーcommencement )に出席してみて、改めて彼の英語力に感嘆した。測定方法があるわけではないが、これは見事に我々の定義するソーシャルレベルに達している(当然17歳という人生経験の範囲であるが)をこえていると確信した。結論から言えば、小学校レベルから本格的に教育すれば、外国生活を経ずにこのレベルに到達できる、という(彼には申し訳ない表現だが)実験が成功したわけだ。
ただ、もちろん、このことが、天下の愚策である政府主導の小学校英語教育なる暴論を肯定するものでは決してない。彼の場合、少なくとも學校校舎にいる時間は完全に英語オンリーの環境に置かれていたわけで、たとえ小学校の6年から大学での時間まで含めても、も日本の環境では絶対にカバーできない量、質、環境の英語を体得したからこその話だし、仮に小学校過程でいくばくかの基礎ができたところで上部構造の高学年での教育システムが変わらない限り、かつてこの議論について藤原正彦氏が喝破されたように、(多少は発音がいいくらい)の効果がせいぜいだろう(小生は同氏のご指摘の程度までの習得さえ絶対に不可能だと思っている)し、また、息子には聞いてもいないが、通常の家庭で子供にかけられる教育費とは相当の違いがあったはずだ。さらに幸運だったのは、家庭環境である。息子はアルバイトでためた自己資金で渡米し大げさに言えば徒手空拳、で英語を学び、米国の、いわば下層に近い環境での生活経験があり、現在は米国企業の日本組織にはたらき、嫁もまた米国生活の経験が豊富、というものだったからだ。
彼がこれから大学生活に入り社会人になっていく過程で、獲得したソシアルレベル級の英語力という有利性の一方、ほぼすべての時間を英語を学ぶことに費やした少年時代、という事実がどのように作用していくのか、想像することは難しい。もちろん、多感な少年期を外国人とのあいだで過ごしたことが多くのシーンでプラスに働くことは間違いない。しかしその同じ時期に一般家庭の少年たちが経験した、変な表現だがリアルの日本社会・日本人との交流・日本の子供たちが読んだであろう本や仲間内の交流、といったものを体験していないということがどうなのか、ある場合にはマイナスになることも十分あり得る、と思うのだ。
英語のレベル、ということで今までの議論を延長すれば、彼の場合にはいわゆるバイリンガルになり得る(もうなっているかもしれないが)立場にある。改めて確認しておくと、バイリンガル、の定義は、二国語が完全にでき、併せて、外国語の背後にある思考様式とか心理的反応などを自分のものとして身に着けた状況(いわゆる 英語で考える という反応)である。このことは多くの場合有利ととらえられると思う反面、小生にはバイリンガル人、という事にある種の不安というかむしろ反感を感じることがある。自分の経験からなぜかを述べる。
前にも書いたがhpという外資系会社に勤務している30年プラスの期間、米国本社が日本駐在という形で3年、5年という単位で担当者を派遣してくることがよくあったが、これには3つのケースがあった。すなわち、その人たちが
(1)日本語を全く解せないいわゆるガイジンである。 (2)日本語を英語同様解するいわゆる二世(本人の父母が日本人。したがって 戦後何年か経つわけで年齢的にあまり若い人はいなかった)。 (3)日本で教育を受け、その後米国で教育を受けた人。
である。この人たちが日本人や日本的慣行やビジネス環境に対応したとき、周囲(つまり日本人従業員、あるときは顧客)はどう反応したか。
(1)見かけもガイジン、日本語はできない。これは明白、何とか通訳してもらうしかない。もちろん、俺っち日本人の心のひだまで分かってくれることはあり得ないな。あとは結果がどう出るか、待つしかあるめえ。
(2)日本語は多少ヘンだけど、時間が多少かかっても、お互いをまず理解できる。ただときどき感じるギャップは、二世、というひとは心は日本人ではありえないんだから、どっか違うんだが、ま、ガイジンよりはもちろんいいさ。
(3)話はもちろん通じるし、問題ない……..はずなんだが、なんか、深いところで信用できない。日本人なんだけどアメリカ人なんだ、この人は。ま、コトバで苦労しないだけガイジンさんよりやいいけど、なんか、信用できない気がする。
この3タイプを我々の基準で考えると (1)のひとの日本語はサバイバルレベル(おはよー、ありがと、げんきですか? レベル)、(2)は個人差はあったがビジネスレベル2プラスくらい,(3)が問題と考えるバイリンガルレベルである。この(3)レベルの人たちはビジネスの遂行、という意味では多くの場合、問題はなかった。しかし日本人が期待し不可欠と考える人間同士の付き合い、チームビルディング、後輩の育成、などとなるとかれらが物理的に日本人でありながら感覚的には米国人であるという事実が障害となって、うまくいかない、あるいは妙な組織分裂を引き起こしてしまう、という経験をした。本人は言葉が通じるから自分のいうことができるはずなのに部下や顧客がついてこない。思ったことができない。なぜだ?という疑心暗鬼に陥り、さらにアメリカの有名大学卒、というプライド、この機会を(hpクラスの会社であっても、やはり日本駐在というのは特別)出世のきっかけとしたい気持ち、などが重なり、悪い場合には (俺はよくやってるのに日本人の部下が協力しない)という最悪の結果をまねく。当初、小生はこれが該当する本人の技量そのものが原因だと思っていたが、今、振り返って考えると、かれらがなまじバイリンガルすなわちバイカルチュラルであったことが原因なのだと考えるようになった。接触する日本人のほうは、日本人のもつ繊細さや人間関係がわかって当然だと思うのに、それが通じない、ということだ。
いったい、人間が異なる二つの文化・慣習・思考過程を同時に自分のものとして持ちえるのだろうか? (英語で考える)という反応は通訳翻訳といった分野では絶対的に有利なことにちがいないが、今英語、次の瞬間に今度は日本語で考えて対応する、などという事は可能なのだろうか。小生の反応が非論理的というか感情過多であることはわかっているのだが、どうも自分には、バイリンガルすなわちバイカルチュラル、 という図式がしっくりこない。技術論としては全く正しいと思うのだが。あえていえば、”人間は二つの時代には生きられない(菊池寛だったか?)” という感覚である。
(小生の愛読書のひとつが大佛次郎の 帰郷 である。やむを得ない国家的な事情で日本を追放された主人公が、戦争(第二次大戦)が終結して日本へ戻ってくる。生き別れになってしまった家族との再会はできない彼の事情を理解し、おさないころしか知らない娘とのあいだを取り持ってくれた女性に好意を持ちながらなお、自分がエトランゼであることを改めて知り、再びひとりで欧州へもどっていく。この主人公守屋恭吾のイメージは、だいぶ違うジャンルだが松本清張の傑作のひとつ 球形の荒野 の野上顕一郎にかさなって、二つの文化の間に翻弄された人生の描写である。もちろんこれが小生の持つ感覚の説明になるというわけでは決してないのだが、これからいやおうなしに訪れるグローバリゼーションの世界での陰翳の様な気もするのだ)。
長くなってしまった。本論についてはもう一度、書き直す必要がありそうだ。
2023年6月 月いち高尾報告 (47 関谷 51 齋藤)
2023年第3回目の「月いち高尾」を、6月28日、実施。 4月26日予定は、ピンポイントで当日だけが大雨の天気となってしまい、止む無く、中止。 雨男・女は誰だったのか?
5月は、KWV三田会の「春の日帰りワンデルング」があり、見送り。 久々の「月いち高尾」を企画したものの、梅雨の真っただ中での日程となり、果たして実施できるのかとの不安を抱きながら、毎日、高尾山方面の長期天気予報と睨めっこしながら、「何とかなりそうだ」と判断、意を決し上京、参加者に雨具必携を前提に、「決行」を連絡。
当日、曇り空で、下界は蒸していたが、雨具のお世話になることもなく、この時期としては、登山者が比較的少なかった初夏、緑豊かな高尾と景信山を満喫した。
(シニア―・コース) 36/遠藤、中司、高橋、吉牟田、鮫島、39/西澤、蔦谷、41/相川、47/伊川、平井、48/福良、47/関谷 <12名>
(景信山コース) 37/矢部、39/岡沢、堀川、40/武鑓、44/安田、吉田、46/村上、47/水町、48/佐藤、50/実方、丸満、家徳、51/斎藤、中里、羽田野、BWV/大場 <16名>
- シニア―・コース
10:00 京王線「高尾山口」集合 10:15清滝発ケーブルカー 11;20 高尾山山頂 昼食
下り:
・関谷班: 4号路- ケーブルカーで清滝 久々の4号路はそれなりに整備されていたが、階段が増え、改悪との評価
・伊川班: 稲荷山コースから6号琵琶滝を経て清滝 稲荷山コースは木道の階段が整備され、多少興ざめなるも、自然保護致し方なしか
平均年齢80.7歳とは思えない元気なシニア―、足腰が多少覚束ない方も見受けられたが、口の方はお元気そのもの、体調不良、事故等のない楽しいワンデルングでした。
<文責: 関谷>
- 景信山コース
10:00JR高尾駅前バス停集合10:12⇒(バス)⇒10:30小仏バス停10:35⇒(15分)⇒景信山登山口10:50⇒(50分)⇒11:40小下沢分岐11:50⇒(25分)⇒12:15景信山頂上12:45⇒(35分)⇒小仏峠13:20⇒(40分)⇒14:00小仏バス停14:10⇒(バス)⇒14:30高尾駅
・JRのダイヤ乱れでバスへの乗り遅れが危ぶまれましたが、定刻に16人全員が集合しました。(小仏行きのバス停が①番乗り場から②番乗り場に変更になっていました。)
・梅雨の最中でもあり午後からの発雷の予報もありましたが全く雨は降らず都心の暑さをよそに全行程を快調に踏破することができました。
・湿度が高く霞が立って展望が今一つでしたがズンロク植物学博士のご指導の下「ヤマアジサイ(山紫陽花)」「ウツボグサ(靭草)」「ヤマギボウシ(山擬宝珠)」等々花の季節を楽しむ山行になりました。
・梅雨時期のためか登山道、山頂周辺とも我々以外にはほとんど登山者は居なくて、山を独占したような至福の時間でした。
<文責: 斎藤>
- テング飯店 懇親会
ケーブルカーで下山の6名が先行着、冷えた生で乾杯、清滝コース グループ下山の連絡を受け、ビールの準備。 景信山グループからの参加者14名も間もなく到着・合流。 会員増強活動の成果でそれなりの若手!の初参加もあって、従来にも増して、フレッシュな総勢25名の盛大な懇親会となり、今回もテング飯店は貸し切り状態となった。 当店の新商品として、清酒「高尾山」の4合ボトルが登場、今後の酒量激増が懸念される! 年次を越えた元気な高齢OBの楽しい集まりです!
(44 吉田)今回、粗忽モノゆえ、
(大場)今日は大変お世話になりました。
(50 丸満)
エーガ愛好会 (225) ブラック・ライダー
バックとラザフォードは協力してディシェイを倒し、
(小泉)Buck and the Preacherが原名。西部劇には、時折主人公の名前が其の侭題名になるが、Jesse Jamesや Buffalo Bill のように知られた名前なら良いが、知られていない名前となると有名人でも「地獄への道」とか「西部の王者」とか考えて邦名を付けるのだから、当然のように名前以外の邦名を考える必要になる。今回も「バックと伝道師」を「ブラック・ライダー」とは、英語乍ら適切な題名を付けたものと感心したものだ。
南北戦争直後、南部ルイジアナから西部へと自由を求める黒人移住者が白人の偏見や暴力と戦いながらも目的を達成するまでを描く西部劇。主人公バックをシドニー・ポアチエが扮し、監督迄兼ねている。伝道師ラザフォードは、バナナ・ボートで有名な歌手ハリー・ベラフォンテが扮し、無精ひげや歯を汚したりして、とてもベラフォンテとは思えなかった。バックの妻ルースにルビー・デー、白人無法者のリーダーにキャメロン・ミッチェル等が共演する。
当時南北戦争後のアメリカは奴隷制度が廃止されたものの働き手を失った農場主は秘密結社や賞金稼ぎ等ならず者を雇い、黒人たちを連れ戻そうとする。その黒人たちを助けるのが、元北軍騎兵隊軍曹現道案内人のバックと伝道師と称するラザフォード。本来人種差別を訴える深刻な題材なのだろうが、黒人が善、白人が悪、それにインディアンも絡んで、黒人の味方をすることになるのだが、単純に黒白対決というだけでも面白い。黒人たちが貯め込んできたお金が盗まれると銀行強盗に転じたり、岩山での銃撃戦等アクション場面も豊富で楽しめる。バックと伝道師の漫才的掛け合いも愉快。最後は目的地に辿り着くのだが、一時カナダまで行くことまで考えたバックはその妻ルースに、こんなことまで言われていた。「こんな国は嫌。戦争をしても何も変わらなかった。大地に悪が浸み込んでいて、毒されている。カナダがダメなら海の果てへ歩いてでも行くわ。」当時の黒人差別が際立ったセリフだ。
エーガ愛好会 (224) インビクタス/負けざる者たち (普通部OB 舩津於菟彦)
舞台は1994年の南アフリカ共和国。ネルソン・
一方、南アフリカ代表のラグビーユニオンチーム「
その後スプリングボクスのメンバーたちは、意向で貧困地区の黒人の子どもたちにラグビーの指導に
そしてスプリングボクスは、

南八つ山麓から (グリンビラ総合管理HPより転載)
日本の英語教育について (3)
慶応義塾大学医学部卒業の外科医で同時にワンダーフォーゲル仲間でもあり、専門分野にあっては脳外科医として世界的に著名な存在で外国文化との接触も多い河瀬斌君からのメールをまずご紹介する。
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私の大学時代の英語の先生は読書は専門的に優れるけれど、
(菅原)小生の経験(IBM)からも、貴意に100%同意。これに尽きます。
、『人にできない能力を持たせる』ことであって、秀逸な英語を話す能力ではありません。と言う教育に、日本はなっているでしょうか。
(船津)皆様 社会生活でトップに立たれて生活された方ですから「当たり前」の
河瀬斌さんも「子供にGlobalな、国際的な仕事をさせたい人
小中学校英語教育についてやり方が大問題なようです。英語教育
(安田)英語を通常の義務教育以上に専門的に学んではいませんが、「必要は発明(上達)の母」を実感した学生時代の世界一周の旅の2年間でした。英語は世界の人と通ずるための「道具」或いは「手段」だとのご指摘はまさにその通りで、より深く通ずるためには「道具」の質の向上は必要でしょう。仕事で英語を主たるコミュニケーションの手段として使用せざるを得なかった米国籍会社勤務時代もその感を強くしました。
しかし、ある程度道具が使えるようになれば、もっと重要なのは、その道具を使う本人の「魅力度」「能力」「人柄」とでも呼ぶべき、「道具」の質とは全く異なる、個性の育成と深化或いは熟成です。少年時代からの教育は、まさに「道具」の習得と、併せ人としての魅力度・能力向上を目指す個性の育成の両方がバランスよく達成されることが理想でしょう。少年時代に受ける英語教育の質と内容は、その子供の家庭環境、家計の経済状況、両親の意識などに大きな影響を受けます。経済格差が教育格差に直結する現実が存在します。幼少時代に個性の育成と道具(英語)の習得のどちらに重きを置くべきかと問われれば、「金太郎飴的な教育」から脱皮して『人にできない能力を持たせる』個性の育成教育だと答えます。大谷翔平の例を挙げられましたが、まさに至言です。
AIの進歩、同時通訳ロボットやスマホの普及に伴い、国民全員に等しく小学生時代から義務教育の必須科目として英語を学ばせるかどうかについては、絶対必要だと積極的に賛成する理由が見つけにくい。更に、英語教育に割く相当な時間がバランスのとれた子供の教育には弊害とはならないかなど慎重に検討する必要はあると思う。ただし、英語を喋る質と書く内容でその人の鼎の軽重が問われる仕事に従事する(する積もりの)人は、質の向上が必要不可欠なのは言うまでもない。
エーガ愛好会 (223) 小さな巨人 (34 小泉幾多郎)
BS12では民放としては珍しく「西部劇特盛祭り」と称し、6月
開巻すると、「名前はジャック・クラブ、リトル・ビッグホーンの
物語
絆は一貫していても、その後の経緯はインディアンと白人の間を往
再び偵察員に雇われたジャックはカスター将軍以下がリトル・ビッグホーンで
以上が概要だが、本当にジャックは、122歳以上迄生きていたの
(ウイキペディア解説)
小さな巨人(ちいさなきょじん、原題: Little Big Man)は、1970年製作のアメリカ映画。同時代の『ソルジャー・ブルー』とともに、西部劇の転換点に位置する作品として映画史に残る作品である[要出典]。 トーマス・バーガー原作。121歳の老人のホラ話のような人生の中に、ネイティブアメリカンや当時のベトナム戦争の問題[要出典]をエンターテイメントに包んで表現している。
帯状疱疹(ヘルペス)を知ってますか? (普通部OB 篠原幸人)
先日、ゴルフに行く前夜のことです。ま夜中2時頃に急に右肋骨の下の方に痛みを感じて目が覚めました。「今晩は寝なくてはいけないのに困ったな、夕食に何を食べたかな? 食あたりかな? かなりキリキリする強い痛みなのでアニサキスかな?」 頭の中を悪い想像ばかりが駆け巡り、眠れません。慌てて通常の腹痛でのむ〝ブスコパン“という薬を2錠服用。しかし痛みは軽減せず、まだ寝付けません。翌朝早く知人にキャンセルの電話を入れました。8時になっても痛みは取れず、ハッと気づいて、通常の痛み止めの〝ロキソニン”を服用したところ、20分ぐらいで痛みはスーツと無くなりました。
私の誤診でした。胃や胆のうの痛みではなく、もっと表面の肋間神経痛だったのです。そう言えば痛みはお腹の中というより、右最下部肋骨の裏側だったようです。そのまま軽快しましたし、発疹などは背中にも全くでなかったのですが、私の下した診断は「ヘルペスによる肋間神経痛」。無論その後、症状は全く消えてしまいました。
誰でも非常に疲れたり、仕事で数日余り寝られなかったりするとこの帯状疱疹に関連した神経痛が数年に一回ぐらい起こります。50-60歳以降の話ですが、今日はこの俗にヘルペスとよばれる帯状疱疹ないし、発疹が無くても(ここが重要です)、出現する神経痛についてお話ししましょう。
小さい時に〝水ぶくれを伴う発疹、水ぼうそう“に罹ったことはありませんか? 記憶になくてもだいたい90%の方は罹っています。これは水痘・帯状疱疹ウイルスが原因ですが、それが身体のどこか(特に脊髄の周囲)に何十年も潜んでいて、50歳を過ぎると、加齢や疲労・ストレスなどが原因でまた悪さをし始めるのです。主な症状は肋間神経痛や腹痛、あるいは上肢の強い痛みです。発疹が全く出ないことも、逆に痛みを伴う発疹で気づくこともあります。免疫機能が落ちているときに出やすいと言われます。発疹が出れば、どこの医者にも分かるのですが、発疹が出る前に、神経痛だけだとよく分からないと言われてしまう可能性もあります。最近、開業医さんでも、このヘルペスに対しワクチンを予防的に投与することが可能です。
ワクチンには生ワクチン(接種は1回、効果は70%ぐらい、5年有効)と、不活化ワクチン(2回接種が必要、効果は100%近い、10年ぐらい有効)の2種類があります。費用は前者が1万円ぐらい、後者は2回で4万円ぐらいですが、お住まいの地域から補助金が出るはずです。お知り合いの医師か、各市町村に相談してください。まあ、お金持ちで、2回接種に行く時間的な余裕もあり、今後10年以上長生きする自信がある方は、不活化ワクチンをど~ぞ。
但し、私はまだ打っていません (医者の不養生?)。