コロナ第八波がくるようです     (34 船曳孝彦)

実は内心、第7波で落ち着くのではないかと期待していたのですが、第8波が来そうです。世界の感染者数を見るとパンデミックに急増しているとは思えませんが、WHOも警告しており、厳重注意が必要でしょう。第7波は第5波の7.3倍、第6波の1.8倍の感染者を出しました。幸いにもデルタ株の第5波の致死率が0.414%だったのに比して、オミクロン株の第6波(致死率0.143%)第7波(同0.019%)の致死率は低かったのですが、第8波はどうなるか分かりません。新しい変異株がオミクロン株からの、デルタ株からの、元々の株からのものがそれぞれ発見されているようで、どれがどの程度悪性度を持っているかはこれからの課題です。         

   致死率といいましても、重症新型コロナ肺炎そのものによるよりは、心臓病、肺疾患、癌、膠原病、そして高齢者など、いわゆるリスクの高い人たちの、持病による死亡が多いのです。皆さん歳を取ると持病のデパートになっていますから、十二分に気を付けましょう。

現在コロナかなと思っても、受け付けてくれるところが狭き門になっておりますし、自己検査で判断し、自分で届け出しないといけない場合も多くなっています。老人にそれを求めるのは間違いだと思いますが、逆に若い人は面倒臭い、会社で居ずらくなるなどで、知らぬふりで通常生活を続ける人もいるでしょう。更にもし重症化しても安全に収容してくれる保証はありません。情けないことですが、医療行政の貧しさです。日本の医療レベルが一流国から三流国、四流国に落ちてゆきます。泣けてきます。

   罹らないよう、ワクチンを打ってください。前からいっていますが、ワクチンは接種リスクの2桁高いメリットがあります。そのほかでは馬鹿馬鹿しい規制も数多くありますが、雑踏を避けること、外出時のマスク、帰宅時のウガイ手洗いを心掛けることぐらいだと思います。

こっちは初冬を上高地で満喫しました  (HPOB 小田篤子)

昨年の上高地は雪が舞ったりしていたのですが、今年は暖かい中、例年のように明神池まで往復してきました。久しぶりに2万歩ほど歩き、やや疲れ気味です。私にはこのくらいの傾斜地を歩くのがちょうど良いようです。

皆様には懐かしい山が写っていますかと、写真貼付いたしました(帰りに寄った綺麗な諏訪湖も付け加えます)。今日、15日に戻りましたが、これから雪になるようですね。長野県では今、《信州割スペシャルクーポン券》、平日1人当り1泊¥3,000分を発行していて、我が家では思いがけず¥12,000分のお土産物を買うことが出来ました。

*「京」や「富岳」の事は全く分からないのですが、卒業高校の記事で、甲子園に出場した野球部の浅川さんは富士通に行き「京」と「富岳」の開発に携わったことを知りました。
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初冬の眺めです      (42 下村祥介)

八ヶ岳南麓 原村から

昨日原村から戻りました。帰路の小淵沢CCの上にある大平から小淵沢ICへ下る道の両サイドのカエデがきれいに紅葉していました。原村の朝はマイナス2度、日中は結構あたたかったですが部屋では一日中マキを燃やしていました。別荘地の上からは青空を背景に北アの槍・穂高がくっきりと良く見えました。

穂高連峰遠望

乱読報告ファイル (34) ベルリンは晴れているか

なにも パリは燃えているか の向こうを張ったわけではない。直木賞候補にあげられたり、ミステリでいえば大藪春彦賞を争ったりしている新進女性作家、深緑野分(ふかみどり のわき)の作品である。

大藪賞に擬せられたことからわかるようにハードボイルド風の推理小説なのだが、非常に変わった仕立てといえる。この作品に日本人はひとりも登場しない。作者本人はドイツに住んでいた経験はないようなので、すべて取材と文献から再生された、終戦直後のベルリンの実態の描写は実に綿密と感心する。巻末にある参考文献の数は半端ではない。

主人公アウグステは連合軍の空襲で徹底的に破壊されたベルリンで、占領軍である米軍の食堂で働くウエイトレスである。彼女は突然、米軍憲兵によって連行されるが、連れていかれた先はソ連(当時)の支配下にある警察署で、ある遺体の確認を求められる。その人物は知人で、彼女にとっては恩人というべき男であり、その死因が歯磨き粉に混ぜられた青酸によるものだ、と告げられる。話は混みいった人間関係の中からこの殺人の解決までの話がアウグステの一人称で語られる。ストーリーはミステリだから内容をここで明かすわけにはいかないが、この作品の凄さはミステリとしての構成は当然として、その背景として描かれる終戦直後のベルリン市民の生活、それとナチドイツの残した悪夢であるユダヤ人迫害の描写であろう。その陰惨さをみせつけられると、現在世界の注目をあびているウイグル人の人権侵害だのアメリカ南部での黒人排斥などは大したことではないのではないか、と無責任承知の上だが思えてくるくらいだ。作品の語り口はなめらかで読みやすく、副主人公となるカフカという青年の屈折した心情にも感じるところがある。

当時のベルリン市民のありようを著者が自分で知る訳はないので、当然文献やいろいろと取材した結果だろうが、戦後の東京を思い出させる光景がストレートに描写される。ベルリンを知らない編集子には分からないが、現地を訪れた人には懐かしく感じるだろう地名が次々と現れる。ミステリである以上の内容が感じられた一冊だった。同地にゆかりのある方には一読の価値があろうか。

話の筋とは関係ないが、作者の珍しい名前が本名なのかペンネームなのか、もまたミステリのようだ。例によってグーグルなどで調べてみても、本人自身、話をはぐらかせていて事実がどうなのかはわからない。ただ深緑、という珍しい姓を持つ人は最新のデータでは全国に20人おられ、ご承知日本で一番多い佐藤さんから数えて68571番めとのことだ(ついでに小生の苗字は3183位で4100人。金藤姓は2000人で5083番め、保屋野姓は13,303位、450人だそうだ。小川だ飯田だ小田だ安田だなぞという一杯いくらの苗字ではないのだ)。

(菅原)首件のブログ拝読。

深緑野分ってのは全く知らない。それで思い出したのが、1980年(昭和55年)、下期の直木賞となった、中村正軌(マサノリ。正確には、車の右は九ではなく几)の「元首の謀叛」。何故かって言うと、ドイツが東西に分かれていた頃の話しで、日本人は一人も出て来ない。もう内容は忘れてしまった。東はホーネッカー、西はシュミットだったかな。

(安田) ブログ面白く拝読いたしました。早速、買い求めて読みたいと思います。 ベルリンには少なからず興味を抱いています。冷戦下の東ベルリンを舞台にした小説「寒い国から帰ったスパイ」を興味深く読み、映画も観ました。「針の眼」も小説・映画共に面白かった。更に、ホーネッカー政権時代の東西暗闘を描いた国際政治小説「元首の謀反」も大変面白く読みました。

ベルリンの壁が建設されて8年後、1969年に東ベルリンを訪れ、戦禍による半・全壊の建物の瓦礫が依然として残る戦争の爪痕の惨さに魂消ました。

それから20余年経ち壁が撤去された‘90年代に新生ベルリンを再訪した際にも違った点で仰天しました。貼付の写真は壁を建設中の東西ベルリンの境、ブランデンブルク門の辺りです。壁が写っていますが、左側がかつてのベルリンの中心部、東ベルリン。

写真中、空き地になっている場所は無数のクレーンが林立して近代的ビルが建設中でした。目撃した’69年と‘90年代のあまりの相違に仰天。 そんな塩梅で深緑女史の戦後すぐのベルリンを舞台にするこの小説に大変興味を惹かれます。

 

 

秋色をたずねて

 

(安田)秋晴れの今日(10日)、JR武蔵五日市駅から秋川渓谷のシンボル石舟釣り橋までをのんびり散策。ランチを含め5時間ほど。途中、大銀杏の広徳寺、佳月橋(岩瀬峡)などから見る秋川渓谷の幾多の紅葉スポットを満喫。命の洗濯をした爽快な散策でした。散策した10余kmのコースを貼付地図上に赤線で示します。

 

 

(船津)ジィヤはとても遠出と渓谷歩きなどもう出来ませんので晴天の秋空に誘われ新宿御苑へ薔薇・菊・温室の花を愛でるために出掛けましたが、薔薇とポプラ並木でやや疲れました。

薔薇は満開をやや過ぎてブリンセスアイコとかブレーボーイとか有名人の名前の付いた薔薇が咲き誇っていました。かさこそとポプラの落ち葉を踏みしめ、秋の落日の早さを感じながらそぞろ歩きました。素晴らしい一日でした。

(保屋野)秋川渓谷は車では何回も通りましたが、ウオーキングコースを歩いたことはありません。五日市から十里木までの10kmですか、中々魅力的コースですね。今度同期のガニマタ低山会で歩こうかな。

日帰り温泉(瀬音の湯)もあるし。シモさん、この温泉は三頭山ハイクで寄ったところですよね。高尾山も良いけど、たまには渓谷ハイクも良いですね。貴重な情報ありがとうございました。

(編集子)1年の秋だったと思うが、入部して知り合った仲間10人ほどで、正確な場所は覚えていないが秋川河畔でテントを張ったことがある。まだ知り合って間もない仲間で、お互いがわかりあっていくきっかけだった。例によってカレーだかシチューだったかを作った時、オベイ(飯田昌保)がなんと 塩 と書いた袋に 砂糖 を入れてきて、それと知らずに鍋にぶち込んで大騒ぎをしたことがあった。やつが旅立ってしまって 秋川 という地名がほろ苦さとともに響く。

乱読報告ファイル (33)  日本共産党に関する2冊  (普通部OB 菅原勲)

「日本共産党―(革命)を夢見た100年―」、中北浩爾、中公新書、2022年

これには、大変、失望した。イデオロギーに凝り固まった岩波新書ならいざ知らず、中公新書であれば、もっと忌憚なく日本共産党(以下、共産党)の真実を抉り出すことが出来るのではないかとおもいきや、その期待に反し、とんでもなく微温的な表現に終始しているからだ。それは、著者あとがきを読んで、やっと納得した。曰く、前作「自民党―(一強)の実像―」が、自民党から好意をもって迎えられたので、今回の「日本共産党」も共産党から好意をもって迎えられるだろう。これが学者(一橋大教授)のやることか!右顧左眄とはこのことを言うのだろう。また、以下で述べる、立花 隆の「日本共産党の研究」には、何故か一言も触れていない。今までもそうだったが、今後も、こう言うコウモリのような人を、一切、信用する積りはない。

余談だが、共産党の機関紙「赤旗」は、著者の意に反して、この著作の広告を載せることを拒否した。

「日本共産党の研究」、立花隆、講談社文庫、1983年     

これは、大変、面白かった。確かに、戦前の共産党を扱ったものだが、立花の構想には戦後も入っていたようだ。だが、残念なことに鬼籍に入って実現しなかった。しかし、ハードカヴァー出版後の共産党の反論、それに対する立花の再反論が文庫では新たに付け加えられており、戦後の「共産党」を理解するには事欠かない。文庫で上中下の3冊、全部で1000頁以上あるから、なかなかに手強い。従って、以下、要点だけを述べる。

スパイ事件(特別高等警察の共産党への侵入)、リンチ事件(共産党による特高スパイ、或いは、特高スパイと思しき人に対するリンチ)などがあって、戦前の共産党は壊滅する。確かに、「蟹工船」の作家であり、共産党員でもあった小林 多喜二の拷問死などがあったのは事実だ。しかし、一方、治安維持法のもと、特高(特別高等警察)が日本の赤色化を護ると言う点で計り知れぬ功績があったのも事実だろう。当時、共産党は、天皇制打倒を旗印としており、それを取り締まる治安維持法が必要だったし、暴力革命も標榜していたから、それを、事前に防ぐためにその共産党員を逮捕、拘束し、牢屋にぶち込む特高も必要だった。戦後、治安維持法は、所謂、進歩的文化人を中心に蛇蝎の如く忌み嫌われ、先の読めないバカなGHQ(連合国軍最高司令部)が廃止命令を出した。その結果、その後、野放しにされた共産党員を中心として、今にも革命が起こるかのように錯覚し、数多の騒擾事件が相次いだのはご承知の通りだ。

現在、共産党は確かに、暴力革命をその綱領から削除している。しかし、その本質は、民主集中制(民主主義集中制)にある。その実態は、立花も指摘しているように、言葉とは裏腹に、換言すれば、独裁制であり、それが、無謬性と混然一体となって活動している。この無謬とは、自分は常に正しく、間違っているのは事実の方だと言う誠に度し難い考え方だ(共産党に支配されている中国)。従って、独裁であり無謬である限り、反対勢力は存在できないわけで、依然として暴力革命の火種は残っていると見做すべきだろう。

ここでも余談だが、立花のこの本の作成要員の中に(つまり、この本は、立花ひとりの力だけで出来上がったものではない)、後刻、皮肉なことに、共産党のスパイが二人紛れこんでいたことが判明している。従って、出版後、共産党は直ちに立花に反論することが出来た。

皆既月食をみました    (34 小泉幾多郎)

19時5分 撮影
20時5分 撮影

昨晩は皆既月食と惑星食という珍しいダブル食が全国的に見られたようですが、望遠鏡のない小生には、天王星食の方は見ることが出来ませんでした。写真は撮るだけは撮りましたが、三脚も大きい望遠レンズもなしで、ただ撮ったというだけのことですが、送らせていただきます。

写真2番目の20時5分に撮った皆既食の左45度下に小さい点が見えますが、まさか天王星ではないですよね?

(編集子注 ほんとに小さい白い点です。左下約2センチくらいの位置)

20時52分撮影

(斎藤)
素晴らしいです!!!
昨夜は、自宅マンション東側に障害物があるため、ずっと東京天文台からのYouTube Liveを見ていました。恐らく、天王星だと思います。
東京天文台の中継した映像が、https://www.youtube.com/watch?v=-VUftz_GTOk で見られます。
20:05辺りの三鷹の天文台からの映像が上記Youtubeの2:15:00辺りにあります。

時刻が20:06のスクリーンショットを添付しますが、まず間違いないんじゃないでしょうか!小泉さん、ナイスショットです!

スクリーンショット

(船津)あぁ400年振りで次が300年後だそうでが、これでガリレオとかを思い出してくれたり、少年が宇宙に関心をもってくれればなぁ。顔本は今日はこればっかり。それでも地球は回っている。満月の日と天王星食が重ならないとね。
メディア各社もどういう画像を載せれば良いか色々工夫していますね。アテネのパルテノン宮殿の後ろにまっ赤な月。これもなかなか、スカイツリーにかけ始めから終わりまでづらりと並べるとか。 宇宙の宴は終わりましたね。

(下村) はっきりくっきり写っていますね。昨晩私も初めて皆既月食を見ましたが、赤銅色に見えるとは思っていませんでした。真っ黒になるのかと。
月食を見ながらせがれの中学受験時代を思い出しました。入試には天体の問題が良く出ていましたから。その息子の小6の子供が昨日の月食について母親にいろいろ説明していたとのメールがせがれから届きました。世代交代、過ぎてみると時間のたつのは速いです。

(編集子)昨晩は急逝したおじいこと菅谷君のご葬儀。終了後、西国分寺駅まで来たところで大勢の人が空を見ているので月食のことを思い出した。月が欠ける、という宇宙の現象を親しい友人が去っていくという人の世の無常に引き比べた夜だった。

 

 

エーガ愛好会 (176) 友達の家はどこ?   (HPOB 金藤泰子)

監督 アッパス・キアロスタミの“ジグザグ道三部作”の第一作。イラン映画とイランの北部の景色を(多分)見たことがありませんでしたので鑑賞しました。イラン北部の村に住む少年のある日の、それも半日位のお話。 私たちが今住む世界とは全く違う時間が流れる世界でした。

学校から帰った少年アハマッドは、隣の席の友だち、モハマッドのノートを間違えて持ってきた事に気が付きます。 その日の授業で、モハマッドは宿題をノートではなく紙に書いてきたので、先生に酷く叱られ、この次にノートではなく紙に書いてきたら退学だと言われていたのです。 先生がノートに書きなさいと言う理由は、まず、決められた規則を守ることを学ぶため、次に書き取りがどんなに進歩したか知るため。 この映画の中では、ノートに書く事を先生が重要視しています。さあ大変、ノートを返しに行かないと友だちのモハマッドが退学になってしまうと、アハマッドは慌てて返しに行こうとするのですが、友だちの家を知りません。

友だちの家は行った事もない隣の村。 山を超え谷を超えて、急な坂道にあるという友だちの家を探し周っていると、村の人が言うことには、友だちはアハマッドの住む村に行っている、と行き違い。

左 白い袖の服で下の方を走っているのがアハマッド

ジグザグの道を行ったり来たり

 

アハマッドは暗くならないうちに友だちの家を探し出して、早くノートを返さないと、と焦っているのに、友だちのうちは見つからないし、友だちの家まで案内してくれると言うおじいさんは足が痛いからと早く歩けず、夕暮れになってしまいます。

暗くなってやっと友だちの家に着いたと思いましたが・・・翌日、優しいラストシーンが待っています。次の日、教室で。 アハマッドはまだ来ていません。先生が宿題を出しなさいと教室の中を周り始めます。

モハマッドは、宿題のノートがないので、どうしよう(;o;)と落ち着きません。うつ伏して泣き出しそうです。ようやく遅刻してきたアハマッドが席に着き、「先生宿題見た?」モハマッド「まだ」 「宿題やってあるからね」と、ノートをモハマッドに渡します。

先生が周ってきてノートをチェックします   よろしい

バンジョウのような音色の楽器(何という楽器でしょう?)が奏でられ ペルシア文字のエンディングの字幕が流れ映画は終わりました。

お国は違いますが、遠い昔にこんな時間があったかもしれないとノスタルジックな気分になりました。アッパス・キアロスタミ監督は、この「友だちのうちはどこ?」で評価され“ジグザグの道の監督“と有名になったそうです。

(編集子)やっこの感想文を読むだけで心がふんわりとしてくる気がする。たしかにイラン、という国のことを僕らはほとんど知らないことも改めて感じる。ペルシャ、といえば名前は知っているがどうもおとぎ話に出てくる話くらいしか日常には感じない。政治の世界では中東問題の核心にある国なのに。

酒が不味くなったとは言わないでください  (会社時代友人 齋藤博)

◉ アルコール飲料の糖質
醸造酒(ビール、日本酒、紹興酒、マッコリなど)には、基本的に糖質が含まれています。辛口ワイン(赤、白)は、糖質含有量がごく少量であり、血糖値をほとんど上昇させません。赤が一番低いです。ロゼもシャンパンも、白の倍近い糖質量です。ワインも、シャンパンも大量に飲むのは避けたほうが良さそうです。

焼酎、泡盛、ウィスキー、ブランデー、バーボン、ラム、テキーラ、ジン、ウォッカなどには、糖質は含まれていません。しかしながら、カクテルにすると、糖質たっぷりのアルコール飲料になってしまう可能性が高いので、ご注意です。カクテルのベースになる、カンパリ、キュラソーは、糖質たっぷりです。

カクテルの副資材には、たくさんの種類がありますね。ジュース(果汁や野菜)、牛乳、炭酸飲料(炭酸水、トニックウォーター)、シロップや砂糖。これらはやはり糖質たっぷりになってしまいます。ただし、無糖の炭酸で作るハイボールは、糖質が入っていません。糖質ゼロ発泡酒や糖質ゼロ日本酒も販売されてます。糖質ゼロのビールも発売されましたね。糖質ゼロワインなんてのもどこかで見たような。

糖質ゼロ表示の意味は、栄養表示基準(東京都の栄養成分表示ハンドブック P29 栄養強調表示が見やすい)に基づくと、「無、ゼロ、ノン、レス」等の含まない旨の表示の基準値は、栄養成分の量が、食品 100g(100ml) 当たり、「糖類0.5g」であることと書かれています。糖類と書かれているのですが、糖質と読み替えても良いということで、「100ml中、糖質0.5g未満を、糖質0(ゼロ)で表示できる」ということになっています。ということは、350ml缶なら、1.75g未満の糖質が含まれている可能性はあります。

◉ アルコールの代謝
アルコールそのものは、1gが約7kcalの燃焼エネルギーをもっていますが、摂取するとその約70%が利用されます。エネルギー源としては、<アルコール→糖質→脂質→タンパク質>の順で利用されます。アルコールは、糖質や脂質と違って摂取しても体重増加作用がなく、血糖値も上昇させませんし、ビタミンやミネラルにも乏しいので、empty calory と言われています。つまりビール腹というのは、アルコールが犯人ではなく、ビールに含まれている糖質が真犯人です。

ただし、アルコールを摂取すると、人体に対する毒物とみなされて優先的に肝臓で分解されますので、分解が終わるまでの間、肝臓の糖新生(糖を作る作用)がブロックされてしまいます。従って、アルコールを摂取すると結果として、肝臓が糖を作ることを抑制することとなります。

一定量以上のアルコールを摂取すれば、肝臓の夜間糖新生はブロックされ、翌朝の早朝空腹時血糖値は、下がる可能性が高いです。と言うよりも、糖尿病などの疾患を持っている人や、肝臓が糖を作る機能を使う薬、例えば、プレドニゾロンなどのステロイド(副腎皮質ホルモン)を使っている人は、危険な場合があります。私は、造影剤にアレルギーを持っています。造影剤を使う検査がある場合は、プレドニゾロンを服用しますので、その間はアルコールは飲むことが出来ません。

(注)糖新生については、別の機会に説明しますが、人間がもともと持っている機能で、この機能がないと、生きて行けません。外部から糖を摂取すればいいという話ではありません。

◉ アルコールの体への影響
血液の肝機能検査の中でγ-GTPは、通常お酒を飲むと上昇すると言うことは良く知られています。ビールなど糖質を含む酒をやめて、ウィスキーや焼酎など蒸留酒に切り替えると同じ量のアルコールなら、γ-GTPが改善することがあります。一見意外なこの現象も 酒飲みの糖質制限食実践者で、結構よく経験しましたと医師は書いています。もっとも、量的に飲み過ぎの人は、γ-GTPも高値のままのことがありますので、ご用心下さいとも言っています。

◉ アルコール飲料の一日摂取量
米国糖尿病学会は、アルコール24g(30ml)/日を、食事と共に摂る程度なら適量としています。それは
ビール(5%)なら600ml
ワイン(15%)なら200ml
ウイスキー(43%)なら70ml
焼酎(25%)なら120ml
糖質ゼロ発泡酒(4%)なら750ml
に相当します。

しかしながら、アルコール乱用または依存症の既往歴がある人、妊娠中の女性、並びに肝疾患、膵炎、高度の神経障害、或いは重度の高トリグリセリド血症のような症状の人は、飲酒を自制するよう指導されるべきであるとしています。余計なことですが、日本糖尿病学会ではアルコールの摂取は禁止です。

アルコールは肝臓での脂肪の合成を非常に促進するので、血中中性脂肪濃度が高値となりやすいのです。10時間以上絶食して、朝に中性脂肪値を測定しても、高値の場合はアルコールの影響の可能性があるので注意が必要です

酒が不味くなったと、お叱りなきよう。

秋も深まるしススキの歌でも聞こうか

(小泉)[久しぶりに、近所の鶴見川畔の土手を歩きましたら、花らしいものや紅葉には出くわさなかったものの、ススキが逆光に映えていましたので撮ってみました。

(安田)素晴らしいススキ三態写真、現地で愛でている感がします。逆光に映えて白銀に輝く見事なススキです。ありがとうございます。大学の日吉時代、トレーニングで日吉から綱島街道を下り綱島で左折して鶴見川の土手沿いを走ったあと、日吉校舎を遠巻きに周り矢上の現・工学部の足元から坂を掛け上り日吉記念校舎の横に戻ってくる、記憶が蘇りました。

箱根・仙石原のススキの原のススキは見応え充分。数度訪れました。僕が撮った写真ではありませんが白銀のススキです。

 

(保屋野)我が「浅川」もススキが多いのですが、毎年「セイタカアワダチソウ」とのバトルで増えたり減ったり・・・ススキがんばれ。仙石原のススキはもちろん素晴らしいのですが、昨年秋、愛鷹山に行く途中、自衛隊演習所のススキは「半端なかった」。また、昔行った、奈良の「曾爾(そに)高原」のススキも忘れられません。

(船津)懐かしの仙石原ススキヶ原と土手のススキ有難う御座いました。
会社の寮が仙石原に在り撮影会などによく要り最近ではこの近くの安宿に毎夏泊まりに参りました。コロナ以降サッパリです!車も無くなりました。
入社したての頃の若きボンクラが仙石原で撮影した写真(当時は富士フィルムが無料でモデルを派遣してくれました)をご覧ください。

(金藤)仙石原のススキを見に行きたくなりました。

今日は気持ちの良い秋の日でした。八王子市の銀杏、ハナミヅキの並木も高尾の方から紅葉し始めています。甲州街道の銀杏並木の黄葉の写真を撮るには早すぎますから今日の八王子のローカル スナップ写真を添付させていただきます。
八王子の秋の代わりに 今日行って来た園芸センターでの鯉です。