たかが髪形、されど髪形 慶応高校の野球   (HPOB 菅井康二)

今年の夏の甲子園で107年ぶり(前回は豊中球場だったので甲子園では初めて)に全国制覇を成し遂げた塾高野球部の森林監督のインタビュー記事を入手したのでご紹介する(編集子:原文は長文なので編集子の責任であえて一部を削除させていただいた)。

この夏の甲子園、107年ぶりの全国優勝を遂げた慶応義塾高(神奈川)のナインは笑顔の「エンジョイ・ベースボール」で汗と涙の色濃い高校野球に、新風を吹き込んだ。これからの高校野球は「勝ち」を目指しつつも、自立心を育む人材養成面などの「価値」が求められるという森林貴彦監督に、真意を聞いた。

夏の甲子園3回戦の広陵(広島)戦で、初回に丸田湊斗選手が三塁盗塁を決めて先制したが、サインは出していなかった。彼が自分で決めた。三盗も選択肢として準備していたが、初回から(危険を冒す)サインは出せない。私よりよほど度胸、判断力がある。勇気も要るし、根拠がないと走れない。これからもそういう場面に出合いたい。
高校2年の夏、上田誠監督が『二塁けん制の動きやサインを自分たちで決めてみなさい』とおっしゃった。内野手の私と投手、捕手が練習後の暗くなったグラウンドで、ああでもないこうでもないと話し合った。自分たちで物事を進めるワクワク感は高校野球の一番の思い出だ。

チームの決め事を守り、人と同じことをするだけでは人生、面白くない。ますます価値観が多様化し、自分なりの幸せを選び取る時代になると思うので、これをやりたい、自分にとってこれが正しいと判断する感覚を野球で養ってほしい。
もちろん、ただ笑顔でやればうまくいくというものではない。頂点を目指す以上、日々の地道な苦しい練習、ライバルとの競争、試行錯誤がある。そこを乗り越えるところに、より高いレベルの喜びがある。それがエンジョイの真意だ。

頑張り度合いとパフォーマンスの関係を調べると、100%の力で走ったときに最高の速度が出るわけではない。8割の力で走ると9割の速度が出る。野球の投球でも全力で投げるより、少し力を落とす方が球速も出て、制球が定まる。全力でやるなということ。各界の達人が極意として力を抜くとおっしゃる。それと同じではないか。エラーをした野手や失点した投手が、取り返そうと思うのもよくない。それで取り返せるなら、そんな簡単なことはない。過去は切り捨て、未来を向いて今やれることをやる。練習試合では反省もするが、公式戦で過ぎたことを引きずっていいことはない。

打者が横目で捕手の位置を確認する『カンニング』は今年の甲子園でだいぶ減ったと感じたが、ゼロではない。チームではなく選手個人の問題だと思うが。高校野球の2年半は短く指導者も時間がない、急いで詰め込まないと、と思うと無理が出る。体罰を受けて育った選手が指導者になって、同じことをする。負の循環を今、食い止めないといけない。

「チームの目標は『慶応日本一』だが、その先の目的として『恩返し』と『常識を覆す』を掲げてきた。今年の選抜大会でも『高校野球を変えたい』と言って甲子園に乗り込んだが、初戦敗退。簡単に言うな、できるわけないだろう、という声があった。ただ、それをバネにして、夏こそという思いが強まり、成長の材料になった。

甲子園では選手たちの自由な髪形が注目されたが、いまだにそんなことが話題になるのかと残念に思う一方、これを入り口に(変化への)議論が進めばそれでいい、と思った。問題は髪形そのものより(無思慮に前例に従う)思考停止、旧態依然、上意下達の部分。高校野球はこういうものだという枠を誰かがつくり、枠の中でずっとやってきた。

野球がどういう人材を社会に送り出せるか、野球型の思考が今後の社会にどうマッチするのか考えると、危機感を覚える。勝つために手段を選ばないといった思考が、高校生以下の世代でも、ゆがみとして出ている。そこで打ち出したのが『成長至上主義』。ただただ勝利を目指して頑張ろう、ではなくて、一人ひとりが人間的に成長し、周りも成長させる。選手としての成長、人間としての成長が車の両輪となったら強い。それによって、実は勝利にも近づくのではないか。

「高校野球には堅苦しい部分、個性や自由が認められづらい部分がある。親の負担も大きく、(子どもに)野球が選ばれにくくなっている。甲子園は盛り上がっているようにみえて、全国の野球部や部員の数は減っている。このままの形では続かない。高校野球はスポーツの枠を超えて文化として定着し、変えるのは大変だが、我々が変われば人の育成方法なども変わるきっかけになるかもしれない。社会的な意義は大きい。

もりばやし・たかひこ 1973年東京都渋谷区生まれ。慶大法卒業後NTTへ。3年で退職し、高校野球指導者として筑波大院で指導理論を研究。2015年から母校慶応高を率い、春夏計4度甲子園出場。23年夏、107年ぶりの全国優勝に導いた。慶応幼稚舎教諭。

あえて寄り道、柔軟性養う(インタビュアーから)

慶応の選手たちが夏の甲子園を「エンジョイ」できたのは「そもそも、慶応にいる時点で半ば人生の勝ち組だから」というやっかみまじりの見方があるが、それは違うようだ。青春まっただ中の高校生であっても野球がすべてではいけない。そう考える森林監督は慶応OBなどから幅広い分野の話を聞く機会を設けている。
政府系金融機関を辞め、瀬戸内海の島で農業にいそしむ人から「都心の大会社に勤めるだけが人生ではない」と学んだ。大リーガー・菊池雄星投手の元マネジャーから、華やかな印象と違って努力の人と聞いた。強豪校が大会準備に追われている時期に、知的障害のある生徒の硬式野球への参加を進める取り組みと連携し、合同練習を行った。
あえて寄り道し、様々な価値観に触れることで「野球オンリー」にはない心の柔軟性が養われているようだ。