うらやましい話

出版や書籍関係の方ならばあるいはご存知かもしれないが、装丁の専門家で平野甲賀という人物がいる。小生の小学校時代のクラスメートで、幼少のころから天才的な男だった。恩師も健在なクラス仲間で折あるごとに集まっていたうちの一人だが、数年前、突然、小豆島へ移住してしまった。さすが芸術家だなあ、ゴーギャンばりの余生を過ごすのか、とおもっていたが何年振りかでメールが届いた。そのHPを一読、やられたあ!という感じである。こういう老後もあるのだな、というご参考までに夫人からのメールを転載する。ぜひURLをご参照ありたし。彼の活動にご興味あらば、直接夫人あてご連絡ください。

From: 平野 公子 [mailto:haru@jazz.email.ne.jp]
Sent: Friday, December 1, 2017 11:01 PM
To: 早川 仁
Subject: 平野甲賀

 

毎度お騒がせです。

平野老人組 来年からの活動のお知らせ

モーションギャラリーのファンデイング始りました。
是非、お友達に広めていただければ有り難いです
よろしくお願いします。
https://motion-gallery.net/projects/sonofuneninotte_ba

近況です! (47 水町敬)

CLASH読みました (元日本HP 坂東正康)

CLASHとCRASHとCRUSHの意味の違いは、 とくに写真が、参考になりました。

「CLASH !」の投稿者は、ぼくよりもひと回り年上の、 あるグローバル企業における元上司ですが、彼の米国の原像は、 ぼくの眼には、「ジョン・F・ ケネディが大統領になったときの米国」と映りました。 ぼくにとっての米国とは、 テレビドラマを通じてやってきた華やかな米国というのもありまし たが、「ベトナム戦争の責任国としての米国」でした。 二人の原像は、けっこう違うとは、折々に感じていました。

最近の北朝鮮問題も、 朝鮮戦争は現在休戦中といった事情は別にして、ぼくにとっては、 米国による気に食わない外国への脅し、介入という、 ベトナム戦争の延長線上のできごとです。 イランやイラクやアフガニスタンと同じです。そういう意味では、 日米安保条約と日米地位協定が、 日本国憲法のスーパーセットになっている現状と本質的な構造は違 わない。 ペリーのころのクジラ脂ビジネスの食料基地としての日本がそのひ な形です。そういうスーパーセット構造を選択したので、 とりあえずは余裕ができ、デミングのQCブームの土壌が成立しま した。

デミングのQCブームに関してはぼくはたいした意見もないのです が、太平洋戦争中の「八紘一宇」や「非国民」 というもののサブセット的な雰囲気を、 業界や社内でなんとなく実感させてもらえたのが、 ぼくにとっては幸いでした。「八紘一宇」や「非国民」は、 日本では、間欠泉的に現れてきます。たとえば、4年前に発表され た「日本国憲法改正草案(現行憲法対照)自由民主党」には「 八紘一宇」と「非国民」という発想が強く漂っています。 聖徳太子の十七条憲法の第一条と明治憲法の一部と治安維持法が戻 って来たような草案です。フロムの「自由からの逃走」 はまだ生きているようです。

「CLASH !」という投稿記事を読みながらそんなことを考えていました。

紅葉見損ないの話    (39 堀川)

ジャイさん!!!
一丁平にはもみじがほとんどないと言ったんですよ!!
細田小屋辺りがもみじ台と称して一番あるところです。

堀川兄
日本語、難しいなあ。そう聞こえたんだけどなあ。
でも細田小屋も同様でした。というか、 紅葉の具合がおかしいようで、きれいなのは1, 2本しかありませんでした。
誤報、申し訳なし。

お三方へ  (36  高橋良子)

9日はご一緒に楽しい一日を過ごさせて頂き有難うございました。
ロングロング・ワンデルングの一日でしたが、少しは往時の小仏峠 を偲ぶこともでき面白かったです。さいごに私の大転倒あり・・教訓 歩くのと走るのとでは大違い!歳を考えよ!
昨日から左頬に縦長の青みが出現、切られの与佐ならぬ切られのお ヨシでございます。 外出には当分マスク着用。
その他は身体に以上ありませんのでご心配なく。

秋の小仏峠越え

”月いち高尾”も初めて足掛け8年になり、一般ルートはすべて、くりかえし、歩いたことになるが、旧甲州街道から小仏峠を越えて相模側に下るというクラシックコースだけは経験がなかった。夏の八ヶ岳山麓生活もほとんど毎日が雨、10月に企画していた菅谷君たちとのゴルフは近親の不幸のため中止、そのあと連日の雨に加えて夫婦そろって風邪をこじらせるという始末で運動不足だったので、この際,月例とは別に峠越えをしたいと思い、近場の暇人に声をかけて11月9日、好天の高尾山口に集合した。したのだが、なんと、駅前はまさに人の渦!小学校の遠足まであってさすがに秋の高尾山、の面目躍如だった。当初はちゃんと甲州街道を辿ってJR高尾から歩くつもりだったのだが、堀川君から一丁平の紅葉がきれいななず、とのサジェストがあり正面コースにしたのだがこの始末。内心、ケーブルでもいいか、と思っていたのがムリと分かり、加えて、なんと翠川が”今日はしっかり山道を歩く”と言い出したので、人気の少ない稲荷尾根ー3号路出会―細田小屋ー一丁平を経て小仏峠へ降り、相模湖へ出た。さすがに往時は往還に馬や駕籠が通っただけあって、幅も広く、この日は完全に我々だけで誰にも会わず、落ち葉を踏みしだきながら、いい散歩だった。甲州街道へ出たその瞬間にバスが到着、あわてた良子が転倒するハプニングはあったものの、ショートトリップを満喫。

紅葉なんてねえじゃなえか!早く天狗へ行こうぜ!

久しぶりだったので、結構応えたが相模湖からJRで高尾、天狗の生ビールだけは欠かさずに終了した。しかしながら、なんと一丁平には紅葉なんか、なかった!(もっとも良子の哀願にほだされて城山は巻いてしまったので、山頂までの間がどうだったかはわからない。

山麓の案内所の女性からやはり今年は天候のせいか不順なようです、とは言われていたが、今号は色鮮やかな翠川フォトで満載にする予定だったのが、残念。来週あたりがいいらしいが,月例まで、どうかなあ、という感じもする。当日のルート選択は結構難しいかもしれないが、いろはの森を降りるのもひとつの可能性かもしれない(あまり広葉樹はなかったような記憶もあるが。

 

渡辺君へ     (36 中司)

私の三国山荘    (現役4年 渡辺眞之)

不肖ながら山荘委員長を務めるまでに現役の中でも一番の山荘漬けとなった私だが、初めて山荘を訪れた時はとにかく拍子抜けだった。普通部から山岳部に所属していた身としては山荘と言えば慶應吾妻山荘であった。数時間歩くと林の中から三角屋根が顔を出し、ストーブを囲みながら管理人さんお手製の食事を頂いた思い出を胸に新歓山荘に行こうとした。しかし先輩からは私服集合、バスで移動、BBQなどとても山とは思えない単語しか並んでいない。着いてみれば別荘のような佇まいの一軒屋。第一印象は合宿所であった。それ以降も山荘祭でBBQをしたり出し物をやったりと、当時はその程度の認識だった。

山荘に対する思い入れが出来始めたのは、初めてワークキャンプに参加した時からの様な気がする。手違いで鍵が出ておらず、町の服装のまま11月の寒風吹く山荘の庭で夜を明かすことになった。しかし少数精鋭で山荘を手入れして美味しいご飯を食べる雰囲気がいたく気に入ってしまい、以降のワークキャンプにも出るようになった。

山荘に打ち込めたもう一つのきっかけは山スキーだ。合宿やフリープランの体系がベースキャンプ集合型から少人数パーティー型へと変わり、また夏の活動においてはBC地を築く必要がなくなっている。上越には新人育成で毎年お世話になっているが、一方山荘へ立ち寄る時間や意義は中々生まれない。ところが山スキーはゲレンデ練習やシール練習において反復訓練を要し、BC地の存在は今でも重要だ。これらの背景もあり、現役にとって山荘の山荘たる使い道は専ら雪上訓練のBC地という考えが主流だ。山荘委員長の出自が殆ど山スキー組、そうでない場合でも雪山経験者から生まれている傾向からも、現代の山荘愛の生まれどころが山スキーにあるのはあながち間違いではないと考えている。

さて、来年は山荘建設から60年を迎えることとなり、今年の山荘祭は前年祭の様な立ち位置となった。今年の山荘祭は周年祭直前ということで、ワーク&クラフトを主題に山荘整備をする運びとなった。特に庭を掘って作った排水溝と旧道清掃は大先輩のワークキャンプには及ばないものの相当な労働となり、現役は終始汗を流しながらワークをこなし、屋外環境は大いに改善され、来年の周年祭はよい状態で迎えられると確信できるほどの結果となった。来年度以降ますます山荘が盛況となるよう今後も努力していこうと思う。今週末の雪囲いワークキャンプが楽しみだ。

(1年部員の伊藤主峰が撮影した今年の山荘祭うちあげの写真を掲載しておく。小屋の見かけは変わっても雰囲気はずうっと変わっていないのではないかと思う)

 

北海道 ”夏” 2017 後編 (39 堀川)

知床

私が今夏の最大の目標にしていた、知床の硫黄岳と羅臼岳の縦走物語である。その背景に、昨年の6月から7月にかけて大雪山系黒岳から十勝岳、富良野岳へと6泊7日を掛けてソロでテントおよび避難小屋利用で縦走を敢行した時、忠別岳辺りから美瑛の小屋まで相前後してソロで歩いていた4人が、1年後に再会して一緒に知床の山を登ろう! と言うことになったことがあり、それが実行されたということだ。お互いソロなので勝手にマイペースで歩いているが、クマのことやら長い行程での苦労やアドバイスをテン場や避難小屋で話してうちに、だんだんと親しくなてきた。その中の一人、裏磐梯のペンションのオーナーのIさん(60歳代)が、音頭を取って下さり、大阪からSuさん(40歳代)、東京からSnさん(20歳代後半)、そして私の4人が知床半島、ウトロに、2017年7月6日(木)午後4時に集合することになった次第である。山で知り合い、その後も一緒に山に行くと言う、出来そうでなかなか出来ないことが実現。山仲間は本当に良いものだと改めて感じる。

 

2017年7月6日(木)

Iさんはフェリーで苫小牧に来て、私を拾うために昨夕旭川にわざわざ来てくれた。そこで今日は朝から二人でウトロを目指す。途中、女満別の空港で東京からのSnさんを拾いウトロの民宿へ3時半ごろ到着。追っかけ、大阪のSuさんも到着。再会を喜びながらも明日からの準備で羅臼岳から下山する岩尾別温泉の駐車場に車を1台置きに行き、帰ってきてから再会の祝杯を挙げた。

 

7月7日(金)

早朝、朝食も取らずに出発。コンビニでおにぎりやバナナを購入。1泊2日の行程なので食料の割合は全体的に少なく、ザックの重さは水も入れて20Kg位だろう。硫黄岳の登山口は、川全体が温泉で有名なカムイワッカからで、駐車場に着いて登山準備しながら、と一人が上を見るといた、いた。50mほど先にクマさんがお出迎え。我々の登っていく方向に登っていったので、ほっ! ちょっと、緊張感をもって、各自クマ鈴を付けて登山開始する。今日は行程は登山口⇒(4時間40分)⇒硫黄岳⇒(1時間25分)⇒知円別岳⇒(1時間)⇒南岳⇒(40分)⇒二ツ池のテン場 合計7時間45分となっているが、さほど暑くもなく快調に、やや、コースタイムより早く硫黄岳に到着。周辺は大爆発の跡が生々しい。でも、高山植物が気持ちを和ませてくれる。

 

知円別岳を超えると今までの荒々しい景色から一変して緑が多くなり、高山植物が咲き乱れ別天地の様相、楽しい縦走が続く。私はメンバーに迷惑を掛けないように必死で歩いているが、他の3人は余裕の表情。南岳に着くと今日のテン場の二ツ池が見えてきた。ここからコースタイム40分と思っていたらコースも変わっていて、道はハエマツの根っこを跨ぎ跨ぎ歩かなければならずえらく疲れる。時間も1時間以上かかって到着。疲れた! でも、テン場は最高の雰囲気。水も煮沸すれば問題ない。心配なのはクマさんだがフードロッカーもあり、4人いるのでクマも寄っては来ないだろう。各人でテントを張り、各人で夕食の準備をする。一見無駄なように思えるが、もともと4人ともソロなので違和感は無い。各人のスタイルで4人4様だ! 夜は満月で何とも幻想的で素晴らしいテン場に泊まれて幸せ感一杯である。月が明るすぎて星があまり見えないのが残念だ!

 

7月8日(土)

今日も天気は素晴らしい!フードロッカーから食料品を戻し、4人4様の朝食をとる。テント撤収から出発までは皆動きに無駄がない。今日の行程は、テン場⇒(30分)⇒オッカパケ岳⇒(1時間10分)⇒サシルイ岳⇒(1時間10分)⇒羅臼平⇒(1時間)⇒羅臼岳⇒(45分)⇒羅臼平⇒(2時間40分)⇒木下小屋(岩尾温泉)合計7時間35分。歩き始めてすぐに私の体調が思わしくない。熱中症の感ありで身体が重いのだがゆっくりしたペースにスローダウンしてくれて気を使ってくれる。有難い! 次第に体調も良くなり、適当に雪渓あり高山植物あり、何よりも景色が素晴らしいの一語に尽きる、素晴らしい稜線歩きを楽しみながら羅臼平に到着。よし、ここから羅臼岳往復1時間45分、しかも空身で行けるのでなんとか行けそうだと気を引き締めた時に、リーダーIさんが、バテタから自分はここで待っていると言う。え~、と思いながら・・・Iさんが私を気遣って言ってくれたものと解釈し、私も居残ることにする。20年くらい前に登っているので今回は行かなくても良しとした。年寄りは無理をしない。が鉄則です。何よりリーダーの心遣いに感謝するが、若い二人は1時間20分ほどで往復してきた。素晴らしい脚力だ。そこからは4人そろってわいわいとおしゃべりをしながら、十分に休みコースタイムより早めに下山、コーラで乾杯‼ 旨い!!素泊まりの民宿へ。夕食は漁師の経営する居酒屋へ行って大いに盛り上がる。楽しい! 良い仲間に恵まれ、天候に恵まれ、感謝、感謝の2日間であった。

7月9日(日)

民宿で朝食後、知床五湖へ行き、一昨日、昨日と縦走した硫黄岳から羅臼岳まで全山を一望してウトロに戻ってきた。楽しかった4人での山行はここで解散し、Iさんは大雪山へ、Suさんは日高の山へ、Snさんは斜里岳、阿寒岳へ。私は斜里岳と釧路湿原で終日カヌーでの川下りを楽しむ予定で、来年もぜひ誘ってください、とお願いした。

 

撮影場所がずれているが、左端が硫黄岳、右端が羅臼岳である。(連山をイメージして下さい)

 

 

虫の知らせか・・・??

斜里岳にはSnさんと同行の予定だったが、明日から天気は崩れるとの予報と同行するとSnさんに迷惑を掛けそうな気がして、急きょ取りやめ、一人で川湯温泉に行き英気を養って釧路湿原のカヌーの川下りに集中しようと考えた。知床斜里駅の観光案内所で川湯温泉のホテルを予約してJRで川湯温泉駅へ。のんびり風呂(温泉)に入り、夕食を食べて部屋に戻った時に娘から「お母さんの具合が悪く、入院させます」との連絡がはいった。ショートステイ先で具合が悪くなり、最寄りの病院に行ったがその病院から救急車で昭和大学藤が丘病院に入院さすことになったとか・・・う~ん。マイッタ‼ それからどうやって帰るか、釧路からか、女満別からか・・・飛行機の予約が取れるか? 翌日のホテルのキャンセル。カヌーのキャンセル等々。

1時間位掛かったが、今は、すべてスマホで出来てしまうのだ。素晴らしい! お陰様で翌朝JR川湯駅発の始発で釧路へ。バスで空港へ、全日空の1番機9時55分に乗って11時40分には羽田着。1時30分には家内の入院先に到着。「お父さん‼ 私をほったらかしにしないで帰っていらっしゃい」と言うメッセージだったのかもしれない。(退院は8月3日 病名は腎盂腎炎であった)

これで、私の2017年の夏山は終わったことになる。今日にいたるまで、泊りがけの山行は全て中止し、家内の介護に専念している。次回は、高尾でゆく秋を楽しみたい。