コロナ第八波に備えよう   (普通部OB 篠原幸人)

今日は仕事の帰りに六本木を少し歩きました。人の多いことにビックリ。外人さんの、特に少しお年を召した方のカップルがいやに目立ちました。皆さんお元気にマスクもほとんどしないで歩いておられ、それが不自然に見えなくなったのは何故なのでしょうか?

一方で、もう第8波のことを心配する報告もあります。多分11月末ぐらいから来年2月ぐらいの間かな~。ひと昔前のオミクロンBA1型なのか、今のオミクロンBA.4・5型か、それとも次の更なる新しい変異株なのかも気になります。特にその病原性(罹患した時の重症度)が、現在のBA.4・5型よりも強い株だと厄介ですね。それに今年はインフルエンザも同時流行するかもね。そうなったら今の政府の考えている各人が自分で診断して自宅療養しなさいという甘い見通しは根本的にひっくり返るかもしれない。 皆さんはワクチンを何回打ちましたか? まだ一回もなんて人も、私の周囲にもわずかにおられますが、大体3-4回はお済みでしょうね。

政府は前回の接種から5か月という当初の案を撤回し、前回接種から3か月後なら次のワクチンを打っていいと規則を変更しましたが、朝令暮改内閣としては良い決断だったかもしれません。 しかし、逆に勘繰ると、一時代前のBA1型対応ワクチンがまだ余っているから、早く在庫を失くしたいという腹かと勘繰りたくなったりして。 今、出回っているワクチンはもう従来型のワクチンではなく、BA1型あるいはBA4・5型と、従来型の両方に効果が期待できる2価ワクチンと呼ばれるものです。それなりに効果は期待できます。しかし、次の第8波として何が来るか分からない点が非常に気になります。

もう一つ、皆さんが知らなければならないのは、ファイザー社製のワクチンにはBA1対応とBA4・5対応の2種類がありますが、現在日本にあるモデルナ製ワクチンはまだBA1対応しかない筈です。それも知らないで、接種会場に行くなんて、最低ですね。無論、第8波にどんな型のコロナが来るか不明ですから、今回は何を打つかは大げさに言えばロシアンルーレットみたいなものかも知れません。

私は前回の接種は2022年7月7日でした。もう3か月経過しましたが、今後の第8波の様子を見て接種5か月後の12月ごろに考えたいと思っています。その頃には若し8波が始まっていればどのタイプのコロナ株か分かっているでしょうから。打たなくても大丈夫なんてことにあれば万々歳ですが、今の状況がかわらなければ、ファイザーのBA4・5型+従来型のワクチンにするでしょう。

インフルエンザは毎年1月から2月いっぱいがピークです。従ってインフルエンザの予防接種はあまり早くやっても意味がありません。ピークのころに効果が薄れている可能性があるからです。コロナとインフルエンザの予防接種の間隔は、余り根拠はありませんが、一週間も空いていれば十分かと思います。従って、インフルエンザの予防接種も11月末か12月初めでコロナ予防接種と重ならない週を選ぼうと思っています。

これらの日程や接種するワクチンの種類は、なかなか自分の都合で決めるのも難しいでしょうが、何らかの参考にしてください。あくまでも今後のコロナ感染の推移によっては流動的であることは当然です。しかし、まだ毎日コロナによる死亡例は報告されています。特に持病のある方はまだまだ安心しないでください。

 

しっくりこない新聞記事について・続編

先日、気になっていた新聞記事のことを書いたら、話があれよあれよという間に拡大してしまい、メル友グループの中で言葉遣いとかアクセントとか、面白い話題を提供してもらった。その中で、HPOBの菅井君が言っているようにコトバ自体は時ともに変わっていくものだし、現在のように科学技術が人間を置き去りにして変化していくあいだに、感覚もそれを表現する手段としての言語も変わっていくのは間違いないと思う。しかし一方では、やはり自分の時代、という感覚はあるものだし、時代の変化に伴うコトバについていけない、あるいは行きたくない、というような思いもどこかにあるのではないか。有名な 明治は遠くなりにけり、という一句を昭和に置き換えてみることもしばしばある。人間はふたつの時代には生きられない、という龍之介だったか寛だったかのコトバを僕は真理だと思っている一人なので、余計そのような変化に敏感なのかもしれないのだが(もうひとつ、えらそーに言ってしまうと、僕は 二つの時代に生きられる人間 というのはどちらの時代にも真剣に生きられない人間、だと思うのだ)。

いくつかのメールの中で、KWV42下村君が指摘された、国会中継などでよく耳にする、 “……となってございます” という妙な言い回しには小生も困惑するし、いかにも役人コトバらしくて好意が持てない。また同じように違和感が深いのは “いただきます” という文句がめったやたらに使われることである。 そもそもこのフレーズは相手の立場を尊重した丁寧語だったり、食事などの時に使う場合は誰であれ食事を食べさせてくれる人や環境に、単純に感謝を表したりするものだと思うのだが、どうもあの見掛け倒しのいんちき総理大臣が トラストミー とか 少なくとも本土並み、なんて誰が考えても無理な論理をふりまわしながらせめて大向うの歓心を買おうとでもおもったのか、妙な丁寧語を連発しはじめてからではないか。ただ “します” といえばいいだけの場所に本人は丁寧語のつもりらしいが、結果としては慇懃無礼、かえって馬鹿にされたような気持ちになってしまうことが多い。

日常生活の場でも、この “いただきます” が妙な使い方だと思うのが料理番組だ。料理が完成したとき、たとえば、ソースをかけて、….食べます“ といえばいいのに ”……いただきます“ というのはおかしくないか。料理が出来上がったら食べるのは自分であって、他人から頂戴するものでもない。こういう言い回しを重ねている間に本来の意味がかわってくるのか、自分がいただく、のだから、と考えたのか、”あなた、どうぞ、“いただかれてください” と、中年すぎの婦人から言われた時には目をむいてしまった。”召し上がってください“ というゆかしい日本語をご存じないのか。親の顔が見たいものだと思ったことだった。

“いただく” の延長なのかもしれないが “…….あげる” という動詞も妙な使い方をされているひとつではないか、と思うことがある。自分の子供に面と向かって ”バナナをあげるよ“ というのは当たり前だが、第三者と話をしているときに ”娘にバナナを上げる”、とか、さらに愛犬家が例えば友人に向かって、自分の犬に “フランスパンをあげるの” というのはおかしくないか。決してワン君を蔑視するのではないが、この場合は ”パンをやる“ のではないだろうか、と思うのだが。

話はちと変わるが、先回この話題は ”新聞記事で“ という限定詞をつけて書いた。高校時代、新聞会という部活動をしていたときの感覚があったからだ。その意味での付けたりなのだが、記事の内容ではなく、新聞紙面の作り方について、最近 ”!“ と思うことがあった。

新聞記事は特殊な業界紙などを除けば、縦書きの文章が、紙面に10段ないし11段くらいに右から左へと配置される。そして写真とか見出しなどが多くの場合、数段の場所をとって縦書きの文章の間、各所に置かれるから、紙面全体を左右を通してある一つの段が貫通することはない。

船津君と小生が所属していた高校新聞では、記事を書くほか、実際の紙面の割り付けを考え印刷所に指示する作業もあったが、この段階で厳しく言われたのは、右から左へ、縦書きの見出しや写真で遮られない、つまり左右貫通してしまう段がある紙面は ハラキリ と称してあってはならない、ということだった。この常識は今はもうないのか、先日、購読している読売の紙面で、忌むべき(といまだに思っているのだが)ハラキリを発見してしまった。編集作業まで高度に機械化されてしまった時代、よき時代の慣習は顧みられないのだろうか。

世の中、コトバが代わるように人々の美意識や伝統とか慣行に対するある種の敬意、などというものもまた、変わってしまうのだろうか。スマホにテレビ全盛の世の中だが、小生にとって新聞というのはある種の魔術的(?)魅力を発揮しつづけているので、こういうことが気になるのだろうか。

エーガ愛好会 (173) パリは燃えているか #2 (普通部OB 舩津於菟彦)

『パリは燃えているか』(パリはもえているか、仏: Paris brûle-t-il?、英: Is Paris Burning?)は、1966年のアメリカ・フランス合作のオールスターキャストによる戦争映画。ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールによるレジスタンス(共産主義者とドゴール派)と自由フランス軍によるパリの解放を描いたノンフィクション作品の原作をルネ・クレマンが監督した。脚本はゴア・ヴィダルとフランシス・フォード・コッポラが担当している。
ジョージ・パットン将軍

1944年8月7日から、8月19日のレジスタンスの蜂起開始、アメリカ軍の援護を受けて、8月25日のフランスの首都パリの解放に至るまでを描く。
物語はドイツ軍の降伏に貢献したレジスタンス運動を中心にしている。主な登場人物は、レジスタンスのアンリ・ロル=タンギー大佐やジャック・シャバン・デルマス大佐、ドイツ軍のディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍、アメリカ軍のジョージ・パットン将軍、自由フランス軍のフィリップ・ルクレール将軍などである。映画の終盤、降伏前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラー総統の命令が下ったが、

コルティッツ将軍

最終的にコルティッツ将軍は命令に従わずに連合国に無条件降伏し、パリを破壊から守った。パリ側のドイツ軍本部内でうち捨てられた電話機からヒトラーの「パリは燃えているか?(命令通りに破壊したか?)」との声が聞こえていた。

時は1940年6月22日、フランスは戦うこと無くして無血で独逸軍は巴里を占領されフランスは降伏した。
フランス軍の敗北は、具体的に言うと、ドイツ軍の機動戦車部隊の急襲と急降下爆撃機による空爆に対してフランス軍は第一次大戦と同じ塹壕戦による防衛という古い戦術しかとらなかったところに原因があった。またマルク=ブロックは、司令官の無能や、参謀と部隊指揮官の対立(軍隊官僚制の欠陥)、部隊間の情報連絡の不備(ドイツ軍はオートバイを活用したが、フランス軍にはなかった)、装備の不備、動員の混乱、イギリス軍への不信などを告発しているとマルク=ブロック「奇妙な敗北」で書いている。
北部をドイツ軍に占領され、ドイツに協力するヴィシー政府が成立。それに対するレジスタンスが開始され、ド=ゴールはロンドンから抵抗を呼びかけた。4年間に渡り独逸に支配された巴里はロンドンに亡命したド=ゴール将軍がドイツに対する交戦を宣言、自由フランスを組織した。親ドイツ政権のヴィシー政府に対するレジスタンス(抵抗運動)は激しくなっていったものの、当初はバラバラであったが、次第に国内ではフランス共産党が組織化した運動が主力となり、ド=ゴールの自由フランスは国外からの活動が主であったが、自由フランスがアメリカ・イギリスと共にアフリカに上陸してドイツ軍に勝利を収めるなど、力をつけていった。国内と海外でのレジスタンスに統合の動きが生まれ、1944年6月2日にはド=ゴールを首班とする共和国臨時政府が成立し、6月6日に連合軍がノルマンディーに上陸、8月25日にパリが解放された。そんな時のことをドキュメンターリーフィルムを交えてモノクロで長時間映画で米国・フランスの沢山の俳優がちょい役を含めて登場する!それだけでもなかなか面白い。
映画の終盤、降伏前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラー総統の命令が下ったが、最終的にコルティッツ将軍は命令に従わずに連合国に無条件降伏し、パリを破壊から守った。パリ側のドイツ軍本部内でうち捨てられた電話機からヒトラーの「パリは燃えているか?(命令通りに破壊したか?)」との声が聞こえていた。
映画の制作は当時、公的機関(パリ警視庁と内務省)の両方から多数の承認が必要となった。また、シャルル・ド・ゴールによって厳しい監修が行われ、ド・ゴールは手紙に書いた規則に従うことを条件にパリでのロケ撮影を許可したという。特にド・ゴールはフランス共産党による解放で果たした活躍の描写を最小限に抑えることを切望しており、脚本のフランシス・フォード・コッポラは後に「露骨な政治的検閲だった」と発言している。その他、制作はフランス共産党とフランス労働総同盟の二重の支配があり、ド・ゴールまたは共産主義者のいずれかを怒らせるリスクなしに原作本のすべての要素を使用することができなかったとゴア・ヴィダルは感じたという。
(編集子)第二次大戦が我が国を現在の(いろいろ細かいことで問題はあるものの)平和国家、経済大国へ変貌させたのは歴史的事実であるが、戦争中での我が国そのものを題材にした映画は(戦中に作られた戦意高揚映画は別にして)戦争を背景にしたドラマは思い浮かぶが、史実を伝える(記録映画でないから、当然ドラマタイズされているとしても)映画は “トラトラトラ” 以外、あまり数は多くないのではないか。やはり ”敗戦”という事実が影響しているだろうことは想像に難くない。
これに対して欧州戦線の話はかなりの数を見てきた。小生の日本史の知識の多くが司馬遼太郎の小説に負うところが多いように、欧州戦線での第二次大戦の経過に関する知識の大半は映画によるところが大である。日米戦線を理解するのに役立った ”トラトラトラ” にあたる、欧州戦線を理解するベースラインになっているのが ”史上最大の大戦” と ”遠すぎた橋” の2本で、この2本に書かれた史実を詳述している ”バルジ大作戦”・”レマゲン鉄橋”・”炎の戦線エルアラメイン”・”空軍大戦略” をあわせた6本の映画で大体の流れが理解できた。この流れを背景とした作品は枚挙に限りないが、古くはボギーの佳作 ”サハラ戦車隊” から始まって、”パットン大戦車隊”、娯楽作品として小生のお気に入り ”狐たちの夜”・”鷲は舞い降りた” の2本、さらには “眼下の敵”・”深く静かに潜航せよ”・”駆潜艇K225” など、フィクション要素の高いものなら ”633爆撃隊”・”ナヴァロンの要塞”・”ナヴァロンの嵐”。一ひねりしたシリアスドラマとして ”ノルマンディ”(”史上最大の作戦”を実行したアイゼンハワーの秘話的な作品)なんかを思い出す。”パリは燃えているか” は史実中心のものでその意味では重要な作品だろう。

八ヶ岳南麓の秋    (グリンビラ総合開発HPから転載)

北杜市内某所のハウスに迷い込んできた様です。アサギマダラというらしく、よく見ると羽だけではなく体も水玉模様のようになっています。珍しい蝶なのでしょうか?初めて聞いた名前でした。

今日は一日弱でストーブをつけておりました。

まだまだ最近の気温に体が慣れていない感じがします。

(編集子)北杜市はオオムラサキで有名だがこの名前は初めて耳にした。南麓の里の秋もここ2年、憎きコロナのため味わうことができなかった。自然は悠々と時を刻み続けるようだ。

 

 

コキアを見に行っていました (42 保屋野伸)

海浜公園のコキア見学をしてきました。コスモスと共に丁度見頃で、大満足でした。まだ1週間ぐらいは大丈夫だと思います。今年が無理なら来年はぜひ訪れてください。

(下村)みごと! 写真の撮り方、構図が良いですね。癒されそうです。

(斎藤)昔の西部劇に出てくる転がる枯れ木はコキアか?と、ネットを探してみました。大外れかも。
西部劇の転がる枯れ木は、タンブルウィードという、名前もそのままに、回転草だそうで、特定の物を指すわけではないとWikiに書いてありました。枯れて風に転がる植物を言うそうです。風が強い日に、コキア(ホウキギ)が転がって飛んでいく姿を見ていたので、そんな回転草のイメージで思っていました。まあ、間違いではなさそうです。ホウキギは、薬草みたいな使い方もされるんですね。

ところで、国営ひたち海浜公園と言うと、私が学生時代、何人もの知り合いがそこに潜んでいました。米軍の水戸射撃爆撃場と呼んでいました。彼らの住処は、この水戸射撃爆撃場と、百里基地でした。射撃爆撃場は、ひたち海浜公園に姿を変え、百里基地は、茨城空港が間借りをしています。日本への返還は確か昭和48年か、49年です。

(保屋野)ひたち海浜公園の情報ありがとうございます。そう、昨日も風が強かったですね。公園から東海村の原発が間近に見えましたが、昨日一緒に行ったのが秋田時代の中学の友人(水戸在住)で昔東海村(動燃)で働いていました。

確かに、この公園は米軍の射爆場跡に誕生したのですが、その的の位置は春のチューリップ畑となっています。この公園は昭和記念公園によく似ていますが、チューリップはキューケンホフの庭師が設計した昭和記念公園の方が優れているかも。なお、昭和記念公園にもぜひ「コキア」(ほうき草)を植えてほしいものです。

(編集子)Tumbling Tambleweed は西部劇にはなくてはならない要素です。馬鹿にすると小泉さんに叱られますよ。落日ももうすぐという時間、街はずれで主役二人が対決する。その静寂の中をタンブルウイードがからからと音を立てて画面を横切る。これが紅葉だったり桜の花びらだったりしてはいかんのであって、あくまでこの草でなければならん。Tumbling Tumbleweeds というカントリーバラードもいい曲です。昭和公園にはむかねえだろうなあ。

円楽師匠の急逝と脳卒中について  (普通部OB 篠原幸人)

三遊亭円楽師匠が亡くなられ、テレビでもその追悼番組が行われています。しかし、何かその原因がはっきりしません。師匠が肺がんで急にテレビから姿を消されたのは皆さんよくお存じですね。その後、治療を経て高座に復帰されようとした矢先に今度は脳梗塞で倒れられました。その後、リハビリに精力的に取り組んでおられたようですが、お亡くなりになったのは脳卒中の再発なのか、肺がんの転移や悪化なのか、報道でははっきりしません。テレビの『笑点』の大ファンだった私はあの毒舌がもう聞けないかと、残念でしょうがありません。

脳梗塞は脳出血やクモ膜下出血とまとめて“脳卒中”と総称されます。“卒”は突然倒れることを”卒倒“というように”突然“の意味、”中“は毒に当たることを”中毒“というように”当たる”という意味。だから脳卒中は“脳の病気で突然なにかに当たったように倒れる病気”ということになります。この”卒中“という言葉は、本来は中国から来たのかもしれませんが、西暦760年、そうです、万葉集の時代ですが、その頃のわが国の書物にもう使われています。今から1200年前の日本人もすでにこの病気で倒れる人が多かったと思われます。日本人の国民病の一つですね。

この脳卒中のなかで、脳出血は大体高血圧をほっておいた方が罹りやすい病気です。クモ膜下出血は脳の動脈にできたコブのような動脈瘤が破裂しておこります。動脈瘤は事前にMRAという検査をすれば発見できます。だから脳出血とクモ膜下出血は現代では予防可能な病気に分類できると言っていいでしょう。

脳梗塞は脳の血管が詰まったり細くなったりして、その先に血液がいかなくなり、脳の一部が酸欠状態になっておこります。原因は多様で、高血圧・糖尿病・心房細動・脂質異常症・高尿酸血症などの他に、「がん」などがあって血液が固まりやすくなってもまた腫瘍細胞が脳に飛んで行って詰まっても起こります。円楽師匠もこんな状態だったんでしょうか?

脳梗塞は、更に、心臓にできた血塊が脳に飛んで詰まる心原性脳塞栓症、脳内の比較的太い血管が動脈硬化などで詰まるアテローム血栓性脳梗塞と、非常に細い脳血管が詰まるラクナ梗塞の三つに分かれます。このような分類がされるのは、それぞれで救急処置も再発予防法も大きく異なるからなのです。これが重要な点です。詳しい治療法の違いは、説明しませんが、どのタイプの脳卒中かは素人には区別付きませんし、医師でも専門家でないと、またMRI・MRAなどの装置がない病院でないと、診断は難しいことが多いのです。また血栓を薬で溶かすか、手術的に取り除くかの決定は、専門病院や大きな病院でないと困難なのが現状です。

片方の手や足が急に動かなくなった、顔が急に歪(ゆが)んだ、急に呂律が回らなくなり喋りにくくなった、急に体がふらつきまっすぐ歩けなくなった、突然今までに経験したこともない金槌で殴られたようなひどい頭痛が起こった、などは脳卒中のサインです。素人さんはすぐ「少し様子をみよう」とか、一瞬そのような症状が起こったが1-2分で軽快したので「まあ大丈夫だろう」と考えがちですが、脳は血流低下や僅かな出血にもとても弱い臓器なのです。

若し貴方が指を少し切って出血しても、暫く抑えているか、輪ゴムでも巻いて止血すれば、30分もたてば出血のとまり、一件落着でしょう。しかし脳の一部に出血が起こったらしいと首にロープをまいて締め上げれば5分と持たずにその方の脳機能は元に戻らず、亡くなってしまいますよね。この例でも分かるように脳はとても繊細で酸欠に弱い臓器です。だから心臓や肝臓と違って、頭がい骨という硬い骨で完全に覆われて守られているのです。おかしいと思ったら一分でも早くすぐ専門病院へ、そして適切かつ早期に治療できれば現代医学は脳卒中での死亡を激減出来ますし、また再発もかなり予防できることを知っていただけたらと思います。これだけは忘れないでください。

コロナワクチンの4回目以降の接種についての質問が来ています。しかし特に最新型コロナに対する最新のワクチンの功罪はまだデータ不足です。少し時間をください。またインフルエンザワクチンも打つかどうかの質問に関しては、私は今年も打つ予定であるという事が私の回答です。

エーガ愛好会(172) 西部劇のリメイクについて (34 小泉幾多郎)

「シマロン1960」は2021年12月17日放映済につき感想は提出済。1931年に制作された「シマロン」は監督ウエズリー・ラグルス、主演リチャード・ディックスとアイリーン・ダンで、西部劇最初のアカデミー作品賞を受賞した映画だった。これを名匠アンソニー・マンが監督し、主演グレン・フォード、マリア・シェルでリメイクに成功したということから、西部劇の主なるリメイク映画を回顧してみた。

先ずは、ジョン・フォード監督の「駅馬車1939」は、ゴードン・ダグラス監督により、モニュメントバレーからワイオミングに背景を移して、主役級アレックス・コード、アン・マーグレット、ステファニー・パワーズやビング・クロスビー、ヴァン・へフリンといった名優揃いにも拘らず、ジョン・ウエイン役のアレックス・コードと背景の緑のワイオミングがミスキャストだった。ゲーリー・クーパーの「ヴァージニアン1929」はジョエル・マクリーの「落日の決闘1945」へ、ジョン・ウエインの「勇気ある追跡1969」はジェフ・ブリッジスの「トウルー・グリット2010」へ、何んと言っても白眉は、黒沢監督作品のリメイク。「七 人の侍1954」がユル・ブリンナーの「荒野の七人1960」、デンゼル・ワシントンの「マグニフィセント・セブン2016」、「羅生門1950」がポール・ニューマンの「暴行1964」、「用心棒1961」がマカロニウエスタンになり、クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒1964」へ、何れも成功している。

またリメイクとは言えないが、OK牧場を決闘の場に設定したワイアット・アープを主役とした映画は、数限りない。製作順に、ワイアット・アープとドク・ホ
リディの役を連記。1.「国境の守備隊1934」ジョージ・オブライエン、― 2.「フロンティア・マーシャル1939」ランドルフ・スコット、シーザー・ロメロ 3.「荒野の決闘1947」ヘンリー・フォンダ、ヴィクター・マチュア 4.「法律なき町1955」ジョエル・マクリー、 5.「OK牧場の決闘1957」バート・ランカスター、カーク・ダグラス 6.「墓石と決闘1967」ジェームス・ガーナー、ジェイソン・ロバーツ 7.「ドク・ホリディ1972」ハリス・ユーリン、ステイシー・キーチ 8.「トウム・ストーン1994」カート・ラッセル、ヴァル・キルマー 9.「ワイアット・アープ1994」ケヴィン・コスナー、デニス・クエイド。

ほかに、無法者集団ビリーザキッド、ダルトン兄弟等取り上げればキリがないが、ジェシー・ジェームスをほぼ主役にした映画、日本に公開されただけで18本もあるというから驚き。題名、制作年、俳優名を羅列すると下記の通り。

1「ジェス・ジェームス1927」フレッド・トムスン、2「地獄への道1939」タイロン・パワー、3「復讐の六連銃1941」アラン・バクスター、4「地獄への挑戦1949」リード・ハードレー、5「平原の勇者1949」ディル・ロバートソン、6「命知らずの男1950」オーディ・マーフイ、7「無法一代1951」マクドナルド・ケリー、8「荒野の三悪人1951」ローレンス・ティアニー、9「私刑される女1953」ベン・クーパー、10「拳銃が掟だ1953」リー・バン・クリーフ、11「無法の王者ジェシイ・ジェイムス1957」ロバート・ワーグナー、12「地獄の分れ道1957」ヘンリー・ブランドン、13「腰抜け列車強盗1959」ウエンデル・コリー、14「ミネソタ大強盗団1972」ロバート・デュバル、15「ロング・ライダーズ1980」ジェームズ・キーチ、16「ワイルド・ガンズ1994」ロブ・ロウ、17「アメリカン・アウトロー2001」コリン・ファレル、18「ジェシー・ジェームスの暗殺2007」ブラッド・ピット。

(編集子)ジョン・ウエインの後半生には主題歌でもヒットした ”リオ・ブラボー” をはじめ、”エルドラド” ”エルダー兄弟” など大型の、肩の凝らない作品が多いが、実在した人物を題材にした ”チザム” にはビリー・ザ・キッドが話のつなぎ役的な脇役で登場し、最初は友人だったが最後にはキッドを射殺した保安官パット・ギャレットも出てくる。ビリー・ザ・キッド、実名ウイリアム・ボニーもいくつかの作品でおなじみの人物だ。

ドク小泉は触れておられないが、”シェーン”と”ペイルライダー” もそのひとつではありませんか?

 

 

九合目に到達!

富士山に登ったという話をしているわけではない。実は去る2022年10月6日、退職後の挑戦として始めたプログラムが、当初は東京オリンピックの時までに到達する予定だった90%のラインに到達したからだ。そのことを書きたい。

サラリーマンを卒業して、さて、これから何をするか、と考えたとき、まず一番に考えたのは、全くの偶然から外資系会社へ勤務することになった結果、一応のコミュニケーションには事欠かないレベルになった英語を理解する能力を、別に英語を生かして商売をする気もないのだが、維持していこうという事だった(それがどうした、と言えばそれまでだが、(なぜ山に登るのか)という問いと同じだ)。そこでとりあえず、肩の凝らない小説でも読もうかと行き当たりばったりに挑んだのがこの稿でたびたび引き合いに出してきたのだが、ジャック・ヒギンズの Eagle has landed だった。しかし読み始めて早々、自分で多少は自信を持っていた英語の能力が実は限られたビジネスの一部だけに通用するもので、小説一冊読むのにどれだけ無力なのかを悟らされた。意地になってヒギンズばかり10冊以上読んだところで、(ポケットブックを年100冊読めば英語の達人になれる)という説に行き当たった。なるほど、と思ったが、年100冊といえば週に2冊は読まなければならない。これは無理だという事は納得したがそれでも何か目標があれば、と考えた結果、(ポケットブックを10万頁読む)という目標を立てた。1冊がざっと300頁として300冊読むことになるから、上記の基準から考えても時間軸はちがうがそれなりの刺激にはなるだろう、と、それまで漫然と読んでいただけだったのを1冊ごとに記録をつけることにして、今まで、意地になって続けている。

記念すべき第一冊目を読み終わったのは 2013年3月13日、リー・チャイルドの Killing Floor (トム・クルーズ主演の映画 アウトローの原作)。10冊目は 5月30日、ジョン・ル・カレの The spy who came from cold (寒い国から来たスパイ)100冊目が15年8月24日 デヴィッド・バルダッチ の The Escape ,200冊目は スティブ・ハミルトンの The hunting wind ときて、以後、同じようなぺースで読み続けている。途中からポケットブックという限定をつけず、また内容もミステリ・冒険ものという制限を外し(とにかく英語なら何でも) にして、第二次大戦の参考書とか学生時代から興味を持ち続けてきた米国論なんかも加え、さらに範囲を広げて、3年ほど前から再挑戦をしはじめたドイツ語についても、いくつか読んだので、現在はとにかく外国語10万頁、に目標を再設定した。そしてメルクマールとしてきた9万頁、つまり九合目にに到達した。ここまでくれば、残り1万だから、3年あればなんとかなるだろうという事になったのだ。9万の大台を記録した本は、先日読後報告をアップしたばかりだが、”スリラー” の新人、ジャック・カーの第二作、True Believer 450頁、通算275冊め、累計90,132頁となった。

ここまでくると後は意地と体力の問題だが、幸い健康にもあまり問題はなさそうだから、後は気力あるのみ、か。”ミス冒” ものでも、有名なところではフォーサイズとかフランシスとか、全く読んでない作家もあれば今回のカーなども加わって、乱読の楽しみは当分つきそうもない。とりあえず一段落で、Makers Markでも飲もうか(斎藤さんのアドバイスというか警告を尊重してジントニックから変更)、などと思っている次第だ。

なお、この挑戦を後押ししてくれているのがかかりつけ医の、認知症予防の根本はとにかく脳の活性化であり、そのためには外国語を学ぶことが最も効果的だ、という一言だった。それが立証できればいいのだが。

 

 

 

コロナについての参考情報   (会社時代友人 齋藤博)

新型コロナワクチン接種とインフルエンザワクチン接種の副反応は、子供で10倍と言われています。そのようなデータをどこかに保存しておいたのですが、みあたりません。

野中しんすけという元ER看護師の方が、デルタ株への感染者についてまとめた表(下)があります。80歳以上の73%の感染者は、無症状か軽症で、死亡したのは14%です。同様に70歳以上の81%の感染者は無症状か軽症で、5.2%の方が死亡しています。
この表を見ると、39歳以下の方は、ほとんどの方が無症状か軽症で、死亡者はいないと言っても過言ではありません。死亡した方は、恐らく基礎疾患をお持ちの方だと考えてもいいと思います。

オミクロン株では、重症化する例はデルタ株より少ないということなので、この表と同じような結果になると類推します。