乱読報告ファイル (47) 後藤新平の台湾  を巡って

現在、米中対立の一極をなす台湾問題については、先に赤阪氏の論評を紹介したが、ここ数日、台湾と日本との歴史的な関連についての話が持ち上がっている。関連したメールのやりとりをご紹介する。

(飯田)“暗い波濤”の再度のご紹介、有難うございます。今、読みかけの本を終えたら次に是非読みたいと思います。読みかけの本は「台湾の歴史と文化」(大東和重著)ですが、すぐ前に「人民は弱し 官吏は強し」(星 新一著)(新潮文庫)を読み終えたところです。この著書は角川文庫(既に絶版)から出版された分を以前読んでいますが、その後に出版された新潮文庫が増販を重ねていて読みやすく、読み直した次第です。私の母方の祖父が台湾総督府に勤務していた時代があって、子供の頃に、母親から台湾のことを色々聞いていたので、最近になって再び関心が強くなっています。

(菅原)非常に差し出がましいが、台湾に興味があれば、是非、下記の本を試してみてください。渡辺利夫、「後藤新平の台湾」(中央選書)。題名が、後藤新平と台湾ではなく、後藤新平の台湾であることが、この本のミソです。
余計なことを言いますが、現在の台湾の礎は、清でもなければ、蒋介石でもなく、ましてや、中共とは全く関係がありません。

(飯田)
少し前(9/21)の菅原さんのメールで「後藤新平の台湾」(渡辺利夫著)を推薦頂きましたが、その時、直ぐに買い求めてすぐ横に置いてあったこの著書を、漸く最近一気に読み終えました。

日本が日清戦争の戦勝の結果に領有した台湾に、当時は政治は愚かマレー・ポリネシア系蛮族と清国の福建、広東から移住した民族が入り乱れて住み着いていた状態から、土地所有観念を持ち込み、幹線鉄道を敷設し、港湾を整備するという大事業を、4代目台湾総督の児玉源太郎との信頼関係で一挙に纏め上げた後、児玉源太郎の急逝の後には、その意思を継いで初代満鉄総裁の職に就くが、その頃から愚痴や不満が多くなりという、人間としての後藤新平とその台湾統治過程を鮮明に描いた名著と感じました。著者の筆致は時には淡々と史実を書き進め、時には伊藤博文、西園寺公望などの大物政治家との対話形式で、その場のやり取りの雰囲気を臨場感を持って読者の伝える手法で、当時の思想的背景を理解しつつ、誠に読み易い、感動を覚える近世史でした。この種の近世史に興味を持つ遠方に住む私の娘と知人1名に、この著書を購入して送ることにしました。名著のご紹介を深謝します。

(中司)飯田兄、児玉源太郎についての小生の知識は例によって司馬遼太郎の 坂の上の雲 での記述だけですが、その曽孫にあたる児玉博はKWV時代の親友のひとりです。元帥の血筋は明らかで、秀才(慶応へはストレートで入学)であるとともに性格はまさに竹を割ったような男でした。高校時代からバスケットボールにも手を出していたようですが、KWVの水にあったのでしょうみんなに 馬賊 というあだ名で等しく愛された好漢でした。残念ながら卒業間もなくの五月連休、谷川岳から上越国境の縦走中、豪雨に遭遇、疲労凍死してしまいました。小生はこのとき八甲田へ春スキーに出かけていましたが、彼とKWVの山荘(現在苗場スキー場になっている地域)と落ち合う計画をしていた仲間が急を聞いて現場へ駆けつけ、遺体を山荘まではこびました。遭難現場には、ご遺族の支援を受けて、仲間ですべての資材を担ぎ上げ、避難小屋を建てました(現在は現場よりも少し谷川岳よりの場所に移設され、縦走する人たちに提供されています)。”馬賊” というあだ名は、かれが機会があれば歌っていた、通称馬賊の歌、から来たものです。その歌いだしは

俺が行くから君も行け 狭い日本にゃ住み飽いた 海の向こうにゃ シナがある シナには四億の民が待つ                                       

というもので、明治以降、新天地とされた中国、特に満州へと志した人たちの愛唱歌だとされたものです。現在の社会では歌いにくい歌詞ですが、仲間うちや後輩たちのあいだで長く記憶された、”児玉の歌” でした。          

(菅原)中国の満州(今の東北地方)は、今でも日本が統治すべきだったんじゃないかね。関東軍が真っ先に逃げ出しちゃったから、どうしようもなかったんだろうけど。色んな人に話しを聞くと(名前を秘すが、或る満州人を含む)、当時の満州は、いろんな点で日本より遥かに先を行っていたようだ。

(編集子)台湾の話がきっかけだが、菅原勲の指摘にもあるように、西欧のいいなりになってきたアジアの近代化に日本が果たした役割とその資産はもっと評価されるべきものだと思う。不幸、戦争中に起きた問題をネガティブな見方だけでとらえるのが一種の贖罪意識と一緒になってしまっているのは残念だ。台湾葉まさに好例だが、韓国だってインフラの基礎は日本が築きあげたものだし、文字通りゼロから理想の国を目指した満州の都市計画などは現在でも高い評価を受けていいはずのレベルだった。歴史は勝者のものしか残らない、というのはまことに残念なことだ。