ケンタウルスとケルべロスーコロナ第八波のこと (普通部OB 篠原幸人)

ギリシャ神話や怪獣映画の話をするつもりではありません。先月「早ければ11月末にコロナ第8波が来るだろう」と書きましたが、どうやら不幸にもこの予想は的中したようです。威張ってもしょうがないですが。 それなのに今日のテレビでも「第8波が近づいている可能性があるという専門家の意見もある」なんて、言い方がまどろっこしくて、頭に来ます。専門家が悪いのか? 聞いて伝える側が悪いのでしょうか? なるべく「まだ」大ごとにしたくない魂胆がまる見えです。

大体、「旧統一教会依存症」で「健忘症」も合併している患者さん?が、自民党のコロナ対策担当なんて、考えられない。1年前のコロナのことも、資料を捨てたので記憶にないのでは? 彼は獣医さんですが、自民党議員の中には我々の後輩・教え子を含み、沢山のお医者がいるのに、彼ら・彼女らは何をしているんでしょうかね。派閥や議員経験年数の差なのかなぁ?

医師会も医師会。必ず第8波ないしそれ以降もまた波が来ることが分かっているのに、何も大きな手を打とうとしない。医師会は開業医さんの利益団体です。現場で特に若い医師が身を粉にして頑張っているのに、医師会の主な構成員である古くからの開業医さんの多くは(全部ではありません)、自分や自院のスタッフがコロナになって休んでは医院の収入が減るからという事を先に心配しているのでしょうか。でも従業員は病院の外で感染していますよ。

今回の第8波は新種の株として、「グリフォン(フランス語。英語ではグリフィン)」とあだ名されるBA.2株が由来のXBB株と、「ケンタウルス」とよばれるBA.2.75株が主流の様です。この二つは東南アジアで流行っていますが、また「ケルベロス(BQ.1.1)」とよばれる現在米国で流行っている株も、最近の銀座や六本木の外人さんの群れをみるとやってきているでしょうね。「ケルベロス」のほうが、日本では流行るかも。何故こんな昔の名前を付けたのかは存じませんが、「グリフォン」は上半身と翼が鷲(鷹?)で下半身がライオンの化け物、「ケンタウルス」は上半身が人間で下半身が馬の化け物ですよね。「ケルベロス」って知らないから調べたら、冥界の番犬の名前らしい。どうやら地球は今や化け物に取り囲まれているようです。

確か、高校3年か医学部進学過程1年の時の英語の教科書が「グリフォン(英語でグリフィン)」の話でした。英語担当だったH先生の顔が怖かったんで、先生を「グリフィン」というあだ名で呼んでいました。悪い生徒だったと反省しています。そんなわけでグリフィンという名前には私は親しみがあります。

今回の第8波のコロナの症状の特徴は、まだよくわかりませんが、いままでのように、喉の痛み・鼻水・発熱・頭痛・身体に痛みなどです。1週間ぐらいで良くなる人が多いようですが、中には肺炎や低酸素血症になる人が報告されています。インドなどでは重症化した人は少ないようですが、日本人には分かりません。日本でも重症化した例の報告は出てきています。気をつけるに越したことはありません。一度、以前にデルタ株などのコロナに感染した人でも、今回の変異株には再感染の可能性があります。どうやら中和抗体を調べると、違うみたいです。

まあ私も職業柄注意しますが、皆さんもこれから暮に向かって、外出・多人数での外食は気をつけてください。忘年会は考えものです。Web形式でやれば?

私はインフルエンザのワクチンを今月打ちました。コロナワクチンの接種は、5回目ですが、来月の予定です。4回目まで何ともなかったのに、そして今回も同じ会社のワクチンなのに、今までになく発熱したという報告も聞いています。前回までのワクチンとは多少ですが、内容物が異なるせいかもしれません。

皆さん、接種をされるならその後15分、持病のある人は最低30分程はその会場にとどまって、自分で自分の様子を見てください。もっとも発熱は翌日がひどいようですが。発熱には、以前から言っているように「カロナール」などの解熱薬を、前もって用意しておくのが賢明。前回まで平気だったからと、決して過信しないように。一方、アナフィラキシーの症状は、注射して数分以内に起こることが多く、自分が一番先に「変」だと気づきます。外からみる他人には最初は分からないことも多いのです。他人のせいにしないで、「自分の身は自分で」守りましょう。何回もこの「徒然」で言ってきた言葉ですが。

乱読報告ファイル  (35)  たゆたえども沈まず   (普通部OB 菅原勲)

原田マハの「たゆたえども沈まず(と、パリの紋章に表示されている)」(幻冬舎、2017年)を読む。

以前、原田の「風神雷神」を読んだが、その題名と言い、画家、俵屋宗達が天正遣欧少年使節と共に欧州へと旅立ち、そこで、カラヴァッジョと出会うなどなど、確かに全くの創作ではあるが、気宇壮大なその内容と言い、男性作家だとばかり思い込んでいた。ところが、その後、ネットを見たら女性作家であることが判明。これは、正に男勝りの力技だ。

 

「たゆたえども・・・」は、フィンセント・ファン・ゴッホ、テオ・ファン・ゴッホ(画商)兄弟の話しだが、ここでも、男勝りの力技は遺憾なく発揮されている。それは、ゴッホ兄弟だけの話しでは、物語りが単調となり、月並みとなる虞があることからだと推測した。

パリ在住の日本人の美術商、林忠正の部下に、架空の人物、加納重吉を配し、彼に狂言回しをさせて、ゴッホ兄弟と林を結ぶ(実際には、その痕跡すら見当たらないのだが)。その林が、例えば、ゴッホにアルル行きを薦め、P.ゴーギャン(ゴーギャンと言えば、A.クインが必ず出て来るのは、映画で正に適役だったせいなのか)にそこでのゴッホとの共同生活と製作を持ちかけるなどなど、林に重要な役回りを演じさせている。

確かに、小説だから嘘っぱちではあるけれど、林を絡ませたことで、話に厚みが出来、大変、面白かった。ゴッホ兄弟が、悲劇的な死を遂げる最後は、事前に分かっていたこととは言え、同時に、大変、悲しい物語でもあった。今頃、ゴッホが生きていたならば、途轍もない超大金持ちになっていたのは間違いない(例えば、「ひまわり」(15本のひまわり)は54億円。大昭和製紙の斎藤了英が買ったことで有名になった)。

これを読んで、更に興味を持ったのは林忠正だ(1853年~1906年)。パリに一人で乗り込み、西洋人に日本の美術品を売り捌いた(レジオン・ドヌール3等章を授与された)。後に、西洋に買われた浮世絵(当時、日本では茶碗の包み紙だった)などの価値にやっと気が付いた日本人から、浮世絵を流出させた国賊と罵られた。500点ほどの印象派の収集品があり、日本に帰国後、西洋近代美術館の設立を目論んでいたが、鬼籍に入ったため、それらの殆どは売却されてしまった。この林忠正と言い、その後の薩摩治郎八と言い、パリには、それこそ途轍もなく桁外れな日本人がいたわけだ。なお、林が義曾祖父となる木々康子が評伝、「林忠正」(ミネルヴァ書房、2009年)を出版している。

それにしても、ゴッホの絵は、空前絶後そのもの。勿論、似たような画家は、その前には誰もいなかったし、その後も、誰も出ていない。でも、否応なしに、人を惹きつける魅力に溢れている。最後に、お国自慢を一言。この本の表紙は、勿論、ゴッホが描いた絵、「星月夜」だが、裏表紙の浮世絵がこれに負けず劣らず誠に見事だ。歌川広重の「大はしあたけの夕立」。斜めに降る雨の凄まじさ。これをゴッホが模写している。

(船津)原田マハの美術巡りは読んでいますが、この奇想天外な物語は読んでみたくなりました。彼女はキュレターとして活躍して居るので絵の分野は得意ですね。
経歴を観ると山陽女子高等学校、関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術専修卒業。馬里邑美術館、伊藤忠商事、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年にフリーのキュレーターとして独立。ペンネームはフランシスコ・ゴヤの「着衣のマハ」「裸のマハ」に由来する。兄は、同じく小説家の原田宗典で、兄から読書傾向の影響を受けたようです。

(金藤)「たゆたえども沈まず」何年か前に読みました。

原田マハさんの小説では「楽園のカンバス」2014年 「ジベルニーの食卓」2015年 と画家の出てくるアート小説がフィクションだと分かっていても楽しく読みましたが、「暗幕のゲルニカ」を読んでいなかったのを思い出しました。
他にも「カフーをまちわびて」「キネマの天使」「旅屋おかえり」など6-7冊位読みましたが本の題名がすぐ出てきません。
小説「たゆたえども沈まず」は原田マハさんが、そもそも林忠正の事を書きたいと思い、書き始めたと何かに書いていましたが、小説の入り口が林忠正で出口がゴッホになったそうですね。
パリ万博を契機に、日本美術をフランスの画家たちに紹介するきっかけを作ったという、林忠正についても林忠正の生家 長崎家から数えて三代目のご子孫へのインタビューを元に書かれていました。このご子孫が菅原さんが書かれている 木々康子 さんの事でしょうか? 林忠正は自らのコレクション、印象派やモダンアートの作品を日本に持ち帰り、日本に美術館を作ろうと考えていたようですが、戻った日本では『日本の大切な美術品を海外に流出させた酷い奴だと国賊呼ばわりされ、コレクションは売却されて散逸してしまったそうです! 日本の浮世絵を海外に流出させた超本人とも言われたようですが・・・ さて?
小説「たゆたえども沈まず」に“星月夜“の新しい解釈を加えたくだり、
これらの事につきましては、船津さんが本の題名をあげていらっしゃいましたが、幻冬社新書ゴッホの足あと」に書かれています。読後、林忠正1853〜1906年についてもっと知りたいと思ったのですが、そのままになっていました。
「ゴッホの足あと」この本はタイトル通り、マハさんがゴッホの足あとを辿る旅でしたが、マハさんが執筆した小説の中のフィクションの部分にも触れていて、執筆したご本人が説明しているので大変興味深く読めました。 また ゴッホが絵を描く時に毛糸を並べて色選びをしたり、白樺派の人たちが オーギュスト・ロダン (1840年〜1917年)の追っかけのようだったという記述も面白く読みました。
ゴッホについて世間では、“狂気と情熱の画家“というフレーズがついてまわり、耳切事件が印象づけられていますが、切ったのは耳たぶの先端だった事、
ゴーギャンとは特別親しかったので共同生活を始めたのかと思っていましたが、この共同生活を始めたいきさつと、共同生活はわずか2ヶ月で破綻していたという事も書かれています
最後にゴッホが過ごしたサン=レミ修道院で描かれた“アイリス“ には、明るい光を感じた 後ろ向きの気持ちでは描けない絵を描けることにどこまでも光と希望を見出していた だからこそ 修道院の入口で『ようこそ』と迎えてくれたアイリスの花々を美しく描けたのではないでしょうか というマハさんの文章に、読者の胸にもぽっと小さな灯りがともったような気がしました。
ゴッホに関しても色々な説があるらしいのですが、この「ゴッホの足あと」は 私は読んでよかったです。小説を読んでからの方が宜しいと思います。

コロナ第八波がくるようです     (34 船曳孝彦)

実は内心、第7波で落ち着くのではないかと期待していたのですが、第8波が来そうです。世界の感染者数を見るとパンデミックに急増しているとは思えませんが、WHOも警告しており、厳重注意が必要でしょう。第7波は第5波の7.3倍、第6波の1.8倍の感染者を出しました。幸いにもデルタ株の第5波の致死率が0.414%だったのに比して、オミクロン株の第6波(致死率0.143%)第7波(同0.019%)の致死率は低かったのですが、第8波はどうなるか分かりません。新しい変異株がオミクロン株からの、デルタ株からの、元々の株からのものがそれぞれ発見されているようで、どれがどの程度悪性度を持っているかはこれからの課題です。         

   致死率といいましても、重症新型コロナ肺炎そのものによるよりは、心臓病、肺疾患、癌、膠原病、そして高齢者など、いわゆるリスクの高い人たちの、持病による死亡が多いのです。皆さん歳を取ると持病のデパートになっていますから、十二分に気を付けましょう。

現在コロナかなと思っても、受け付けてくれるところが狭き門になっておりますし、自己検査で判断し、自分で届け出しないといけない場合も多くなっています。老人にそれを求めるのは間違いだと思いますが、逆に若い人は面倒臭い、会社で居ずらくなるなどで、知らぬふりで通常生活を続ける人もいるでしょう。更にもし重症化しても安全に収容してくれる保証はありません。情けないことですが、医療行政の貧しさです。日本の医療レベルが一流国から三流国、四流国に落ちてゆきます。泣けてきます。

   罹らないよう、ワクチンを打ってください。前からいっていますが、ワクチンは接種リスクの2桁高いメリットがあります。そのほかでは馬鹿馬鹿しい規制も数多くありますが、雑踏を避けること、外出時のマスク、帰宅時のウガイ手洗いを心掛けることぐらいだと思います。

こっちは初冬を上高地で満喫しました  (HPOB 小田篤子)

昨年の上高地は雪が舞ったりしていたのですが、今年は暖かい中、例年のように明神池まで往復してきました。久しぶりに2万歩ほど歩き、やや疲れ気味です。私にはこのくらいの傾斜地を歩くのがちょうど良いようです。

皆様には懐かしい山が写っていますかと、写真貼付いたしました(帰りに寄った綺麗な諏訪湖も付け加えます)。今日、15日に戻りましたが、これから雪になるようですね。長野県では今、《信州割スペシャルクーポン券》、平日1人当り1泊¥3,000分を発行していて、我が家では思いがけず¥12,000分のお土産物を買うことが出来ました。

*「京」や「富岳」の事は全く分からないのですが、卒業高校の記事で、甲子園に出場した野球部の浅川さんは富士通に行き「京」と「富岳」の開発に携わったことを知りました。
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初冬の眺めです      (42 下村祥介)

八ヶ岳南麓 原村から

昨日原村から戻りました。帰路の小淵沢CCの上にある大平から小淵沢ICへ下る道の両サイドのカエデがきれいに紅葉していました。原村の朝はマイナス2度、日中は結構あたたかったですが部屋では一日中マキを燃やしていました。別荘地の上からは青空を背景に北アの槍・穂高がくっきりと良く見えました。

穂高連峰遠望

乱読報告ファイル (34) ベルリンは晴れているか

なにも パリは燃えているか の向こうを張ったわけではない。直木賞候補にあげられたり、ミステリでいえば大藪春彦賞を争ったりしている新進女性作家、深緑野分(ふかみどり のわき)の作品である。

大藪賞に擬せられたことからわかるようにハードボイルド風の推理小説なのだが、非常に変わった仕立てといえる。この作品に日本人はひとりも登場しない。作者本人はドイツに住んでいた経験はないようなので、すべて取材と文献から再生された、終戦直後のベルリンの実態の描写は実に綿密と感心する。巻末にある参考文献の数は半端ではない。

主人公アウグステは連合軍の空襲で徹底的に破壊されたベルリンで、占領軍である米軍の食堂で働くウエイトレスである。彼女は突然、米軍憲兵によって連行されるが、連れていかれた先はソ連(当時)の支配下にある警察署で、ある遺体の確認を求められる。その人物は知人で、彼女にとっては恩人というべき男であり、その死因が歯磨き粉に混ぜられた青酸によるものだ、と告げられる。話は混みいった人間関係の中からこの殺人の解決までの話がアウグステの一人称で語られる。ストーリーはミステリだから内容をここで明かすわけにはいかないが、この作品の凄さはミステリとしての構成は当然として、その背景として描かれる終戦直後のベルリン市民の生活、それとナチドイツの残した悪夢であるユダヤ人迫害の描写であろう。その陰惨さをみせつけられると、現在世界の注目をあびているウイグル人の人権侵害だのアメリカ南部での黒人排斥などは大したことではないのではないか、と無責任承知の上だが思えてくるくらいだ。作品の語り口はなめらかで読みやすく、副主人公となるカフカという青年の屈折した心情にも感じるところがある。

当時のベルリン市民のありようを著者が自分で知る訳はないので、当然文献やいろいろと取材した結果だろうが、戦後の東京を思い出させる光景がストレートに描写される。ベルリンを知らない編集子には分からないが、現地を訪れた人には懐かしく感じるだろう地名が次々と現れる。ミステリである以上の内容が感じられた一冊だった。同地にゆかりのある方には一読の価値があろうか。

話の筋とは関係ないが、作者の珍しい名前が本名なのかペンネームなのか、もまたミステリのようだ。例によってグーグルなどで調べてみても、本人自身、話をはぐらかせていて事実がどうなのかはわからない。ただ深緑、という珍しい姓を持つ人は最新のデータでは全国に20人おられ、ご承知日本で一番多い佐藤さんから数えて68571番めとのことだ(ついでに小生の苗字は3183位で4100人。金藤姓は2000人で5083番め、保屋野姓は13,303位、450人だそうだ。小川だ飯田だ小田だ安田だなぞという一杯いくらの苗字ではないのだ)。

(菅原)首件のブログ拝読。

深緑野分ってのは全く知らない。それで思い出したのが、1980年(昭和55年)、下期の直木賞となった、中村正軌(マサノリ。正確には、車の右は九ではなく几)の「元首の謀叛」。何故かって言うと、ドイツが東西に分かれていた頃の話しで、日本人は一人も出て来ない。もう内容は忘れてしまった。東はホーネッカー、西はシュミットだったかな。

(安田) ブログ面白く拝読いたしました。早速、買い求めて読みたいと思います。 ベルリンには少なからず興味を抱いています。冷戦下の東ベルリンを舞台にした小説「寒い国から帰ったスパイ」を興味深く読み、映画も観ました。「針の眼」も小説・映画共に面白かった。更に、ホーネッカー政権時代の東西暗闘を描いた国際政治小説「元首の謀反」も大変面白く読みました。

ベルリンの壁が建設されて8年後、1969年に東ベルリンを訪れ、戦禍による半・全壊の建物の瓦礫が依然として残る戦争の爪痕の惨さに魂消ました。

それから20余年経ち壁が撤去された‘90年代に新生ベルリンを再訪した際にも違った点で仰天しました。貼付の写真は壁を建設中の東西ベルリンの境、ブランデンブルク門の辺りです。壁が写っていますが、左側がかつてのベルリンの中心部、東ベルリン。

写真中、空き地になっている場所は無数のクレーンが林立して近代的ビルが建設中でした。目撃した’69年と‘90年代のあまりの相違に仰天。 そんな塩梅で深緑女史の戦後すぐのベルリンを舞台にするこの小説に大変興味を惹かれます。

 

 

秋色をたずねて

 

(安田)秋晴れの今日(10日)、JR武蔵五日市駅から秋川渓谷のシンボル石舟釣り橋までをのんびり散策。ランチを含め5時間ほど。途中、大銀杏の広徳寺、佳月橋(岩瀬峡)などから見る秋川渓谷の幾多の紅葉スポットを満喫。命の洗濯をした爽快な散策でした。散策した10余kmのコースを貼付地図上に赤線で示します。

 

 

(船津)ジィヤはとても遠出と渓谷歩きなどもう出来ませんので晴天の秋空に誘われ新宿御苑へ薔薇・菊・温室の花を愛でるために出掛けましたが、薔薇とポプラ並木でやや疲れました。

薔薇は満開をやや過ぎてブリンセスアイコとかブレーボーイとか有名人の名前の付いた薔薇が咲き誇っていました。かさこそとポプラの落ち葉を踏みしめ、秋の落日の早さを感じながらそぞろ歩きました。素晴らしい一日でした。

(保屋野)秋川渓谷は車では何回も通りましたが、ウオーキングコースを歩いたことはありません。五日市から十里木までの10kmですか、中々魅力的コースですね。今度同期のガニマタ低山会で歩こうかな。

日帰り温泉(瀬音の湯)もあるし。シモさん、この温泉は三頭山ハイクで寄ったところですよね。高尾山も良いけど、たまには渓谷ハイクも良いですね。貴重な情報ありがとうございました。

(編集子)1年の秋だったと思うが、入部して知り合った仲間10人ほどで、正確な場所は覚えていないが秋川河畔でテントを張ったことがある。まだ知り合って間もない仲間で、お互いがわかりあっていくきっかけだった。例によってカレーだかシチューだったかを作った時、オベイ(飯田昌保)がなんと 塩 と書いた袋に 砂糖 を入れてきて、それと知らずに鍋にぶち込んで大騒ぎをしたことがあった。やつが旅立ってしまって 秋川 という地名がほろ苦さとともに響く。

乱読報告ファイル (33)  日本共産党に関する2冊  (普通部OB 菅原勲)

「日本共産党―(革命)を夢見た100年―」、中北浩爾、中公新書、2022年

これには、大変、失望した。イデオロギーに凝り固まった岩波新書ならいざ知らず、中公新書であれば、もっと忌憚なく日本共産党(以下、共産党)の真実を抉り出すことが出来るのではないかとおもいきや、その期待に反し、とんでもなく微温的な表現に終始しているからだ。それは、著者あとがきを読んで、やっと納得した。曰く、前作「自民党―(一強)の実像―」が、自民党から好意をもって迎えられたので、今回の「日本共産党」も共産党から好意をもって迎えられるだろう。これが学者(一橋大教授)のやることか!右顧左眄とはこのことを言うのだろう。また、以下で述べる、立花 隆の「日本共産党の研究」には、何故か一言も触れていない。今までもそうだったが、今後も、こう言うコウモリのような人を、一切、信用する積りはない。

余談だが、共産党の機関紙「赤旗」は、著者の意に反して、この著作の広告を載せることを拒否した。

「日本共産党の研究」、立花隆、講談社文庫、1983年     

これは、大変、面白かった。確かに、戦前の共産党を扱ったものだが、立花の構想には戦後も入っていたようだ。だが、残念なことに鬼籍に入って実現しなかった。しかし、ハードカヴァー出版後の共産党の反論、それに対する立花の再反論が文庫では新たに付け加えられており、戦後の「共産党」を理解するには事欠かない。文庫で上中下の3冊、全部で1000頁以上あるから、なかなかに手強い。従って、以下、要点だけを述べる。

スパイ事件(特別高等警察の共産党への侵入)、リンチ事件(共産党による特高スパイ、或いは、特高スパイと思しき人に対するリンチ)などがあって、戦前の共産党は壊滅する。確かに、「蟹工船」の作家であり、共産党員でもあった小林 多喜二の拷問死などがあったのは事実だ。しかし、一方、治安維持法のもと、特高(特別高等警察)が日本の赤色化を護ると言う点で計り知れぬ功績があったのも事実だろう。当時、共産党は、天皇制打倒を旗印としており、それを取り締まる治安維持法が必要だったし、暴力革命も標榜していたから、それを、事前に防ぐためにその共産党員を逮捕、拘束し、牢屋にぶち込む特高も必要だった。戦後、治安維持法は、所謂、進歩的文化人を中心に蛇蝎の如く忌み嫌われ、先の読めないバカなGHQ(連合国軍最高司令部)が廃止命令を出した。その結果、その後、野放しにされた共産党員を中心として、今にも革命が起こるかのように錯覚し、数多の騒擾事件が相次いだのはご承知の通りだ。

現在、共産党は確かに、暴力革命をその綱領から削除している。しかし、その本質は、民主集中制(民主主義集中制)にある。その実態は、立花も指摘しているように、言葉とは裏腹に、換言すれば、独裁制であり、それが、無謬性と混然一体となって活動している。この無謬とは、自分は常に正しく、間違っているのは事実の方だと言う誠に度し難い考え方だ(共産党に支配されている中国)。従って、独裁であり無謬である限り、反対勢力は存在できないわけで、依然として暴力革命の火種は残っていると見做すべきだろう。

ここでも余談だが、立花のこの本の作成要員の中に(つまり、この本は、立花ひとりの力だけで出来上がったものではない)、後刻、皮肉なことに、共産党のスパイが二人紛れこんでいたことが判明している。従って、出版後、共産党は直ちに立花に反論することが出来た。

皆既月食をみました    (34 小泉幾多郎)

19時5分 撮影
20時5分 撮影

昨晩は皆既月食と惑星食という珍しいダブル食が全国的に見られたようですが、望遠鏡のない小生には、天王星食の方は見ることが出来ませんでした。写真は撮るだけは撮りましたが、三脚も大きい望遠レンズもなしで、ただ撮ったというだけのことですが、送らせていただきます。

写真2番目の20時5分に撮った皆既食の左45度下に小さい点が見えますが、まさか天王星ではないですよね?

(編集子注 ほんとに小さい白い点です。左下約2センチくらいの位置)

20時52分撮影

(斎藤)
素晴らしいです!!!
昨夜は、自宅マンション東側に障害物があるため、ずっと東京天文台からのYouTube Liveを見ていました。恐らく、天王星だと思います。
東京天文台の中継した映像が、https://www.youtube.com/watch?v=-VUftz_GTOk で見られます。
20:05辺りの三鷹の天文台からの映像が上記Youtubeの2:15:00辺りにあります。

時刻が20:06のスクリーンショットを添付しますが、まず間違いないんじゃないでしょうか!小泉さん、ナイスショットです!

スクリーンショット

(船津)あぁ400年振りで次が300年後だそうでが、これでガリレオとかを思い出してくれたり、少年が宇宙に関心をもってくれればなぁ。顔本は今日はこればっかり。それでも地球は回っている。満月の日と天王星食が重ならないとね。
メディア各社もどういう画像を載せれば良いか色々工夫していますね。アテネのパルテノン宮殿の後ろにまっ赤な月。これもなかなか、スカイツリーにかけ始めから終わりまでづらりと並べるとか。 宇宙の宴は終わりましたね。

(下村) はっきりくっきり写っていますね。昨晩私も初めて皆既月食を見ましたが、赤銅色に見えるとは思っていませんでした。真っ黒になるのかと。
月食を見ながらせがれの中学受験時代を思い出しました。入試には天体の問題が良く出ていましたから。その息子の小6の子供が昨日の月食について母親にいろいろ説明していたとのメールがせがれから届きました。世代交代、過ぎてみると時間のたつのは速いです。

(編集子)昨晩は急逝したおじいこと菅谷君のご葬儀。終了後、西国分寺駅まで来たところで大勢の人が空を見ているので月食のことを思い出した。月が欠ける、という宇宙の現象を親しい友人が去っていくという人の世の無常に引き比べた夜だった。

 

 

エーガ愛好会 (176) 友達の家はどこ?   (HPOB 金藤泰子)

監督 アッパス・キアロスタミの“ジグザグ道三部作”の第一作。イラン映画とイランの北部の景色を(多分)見たことがありませんでしたので鑑賞しました。イラン北部の村に住む少年のある日の、それも半日位のお話。 私たちが今住む世界とは全く違う時間が流れる世界でした。

学校から帰った少年アハマッドは、隣の席の友だち、モハマッドのノートを間違えて持ってきた事に気が付きます。 その日の授業で、モハマッドは宿題をノートではなく紙に書いてきたので、先生に酷く叱られ、この次にノートではなく紙に書いてきたら退学だと言われていたのです。 先生がノートに書きなさいと言う理由は、まず、決められた規則を守ることを学ぶため、次に書き取りがどんなに進歩したか知るため。 この映画の中では、ノートに書く事を先生が重要視しています。さあ大変、ノートを返しに行かないと友だちのモハマッドが退学になってしまうと、アハマッドは慌てて返しに行こうとするのですが、友だちの家を知りません。

友だちの家は行った事もない隣の村。 山を超え谷を超えて、急な坂道にあるという友だちの家を探し周っていると、村の人が言うことには、友だちはアハマッドの住む村に行っている、と行き違い。

左 白い袖の服で下の方を走っているのがアハマッド

ジグザグの道を行ったり来たり

 

アハマッドは暗くならないうちに友だちの家を探し出して、早くノートを返さないと、と焦っているのに、友だちのうちは見つからないし、友だちの家まで案内してくれると言うおじいさんは足が痛いからと早く歩けず、夕暮れになってしまいます。

暗くなってやっと友だちの家に着いたと思いましたが・・・翌日、優しいラストシーンが待っています。次の日、教室で。 アハマッドはまだ来ていません。先生が宿題を出しなさいと教室の中を周り始めます。

モハマッドは、宿題のノートがないので、どうしよう(;o;)と落ち着きません。うつ伏して泣き出しそうです。ようやく遅刻してきたアハマッドが席に着き、「先生宿題見た?」モハマッド「まだ」 「宿題やってあるからね」と、ノートをモハマッドに渡します。

先生が周ってきてノートをチェックします   よろしい

バンジョウのような音色の楽器(何という楽器でしょう?)が奏でられ ペルシア文字のエンディングの字幕が流れ映画は終わりました。

お国は違いますが、遠い昔にこんな時間があったかもしれないとノスタルジックな気分になりました。アッパス・キアロスタミ監督は、この「友だちのうちはどこ?」で評価され“ジグザグの道の監督“と有名になったそうです。

(編集子)やっこの感想文を読むだけで心がふんわりとしてくる気がする。たしかにイラン、という国のことを僕らはほとんど知らないことも改めて感じる。ペルシャ、といえば名前は知っているがどうもおとぎ話に出てくる話くらいしか日常には感じない。政治の世界では中東問題の核心にある国なのに。