エディット・
エディット・ピアフ 愛の讃歌 8月6日(火) 午後1:00〜午後3:21
(編集子)これはKWVのOB連中にしか通じない話題だけど、38年卒の岩木義明が酒席でいつもこの歌を微醺を帯びながらいい声で歌ったものだった。頑健そのもの、小樽潮陵高校出身にふさわしく豪快な滑り、常にジョークを連発するまことに楽しい男のことを思い出す。
やっこがイメージする 愛の賛歌 とはおよそ似つかわしくない、でもどこかやさしい、そういう後輩のことだ。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
エディット・
(編集子)これはKWVのOB連中にしか通じない話題だけど、38年卒の岩木義明が酒席でいつもこの歌を微醺を帯びながらいい声で歌ったものだった。頑健そのもの、小樽潮陵高校出身にふさわしく豪快な滑り、常にジョークを連発するまことに楽しい男のことを思い出す。
やっこがイメージする 愛の賛歌 とはおよそ似つかわしくない、でもどこかやさしい、そういう後輩のことだ。
五輪は29日まで日本が金メダル6個を獲得し、地元のフランスを上回り幸先の良い出足を切ったようです。翻って8月1日から始まる陸上はどうでしょうか。恐らく出る選手出る選手次から次へと予選落ちとなって行くのは間違いありません。勿論、例外はあるでしょう。
何故なら、こう言うカラクリがあるからです。五輪に出場できる選手は、
1. 世界陸上の設定した各種目の参加標準記録を突破した選手(期間限定)。例えば、男子100mは10秒00で、これを突破した日本の選手は、サニー・ブラウン・アブダル・ハキムただ一人。
2. 世界陸上のランキング(これも、期間限定で、試合の質、記録、順位などから得点付けして総合的に順番付けをする。詳細は省く)で出場人数枠内にある選手(例えば、男子100mでは、日本陸連は、37位の東田、52位の坂井を代表に選んだ)。
つまり、2.は世界陸上の単なる頭数の数合わせであって、オナサケでの出場となるわけです。なお、英国は今回から1.の選手には8位までに入賞の可能性はあるが、2.の選手にはそれはないと判断し、2.は代表に選ばなかった。小生は、1.のみにして、2.は撤廃すべきだと思っています。確かに、一方では、「五輪は参加することに意義がある」そうですが。でも、次から次に落選また落選では見るに値しないでしょう.
(菅井)1.のみにして、2.は撤廃すべきだと思っています。とするならぱ各競技連盟の世界選手権があれば事足りるので、
(金藤)2. について全く知りませんでした。貴重なお話ありがとうございました。
(編集子)陸上競技の結果は単純明快、スガチューには怒られるかもしれないが、戦略も作戦もあまり意味はなく、要は選手個人生まれながらの身体能力で決まるものだと思うんだがどうだろうか。豊芦原みずほの国のたおやかな自然を愛し、裏山に鹿の声が聞こえれば、取って食うより人の世のあわれの歌にするような環境で育まれたわがヤマト人の体の出来というのか、遺伝子というのかが、昨日までライオンとかけっこをしていたような環境で育った連中のそれとは基本的なところで違いがあるんじゃなかろうか。つまり陸上競技などでは、(純粋に生物学的意味で)人種による選択がすでに決まっているのではないか。チームワークとか、微妙きわまりないテクニックが要求される競技で我が国がメダルに湧くのとは基本的に違う。スガチューが期待するサニーブラウン君も国籍は日本人だが (再度言うが生物学的意味で)純粋なヤマト人ではない。そういう意味で冷静に見ればいいんで、結果にあまり熱くなることもないのではないか?
例によって、”みんながやってるこたあやりたくねえ” 症候が発症し、パリの番組には背をむけてテレビはもっぱらなつメロミステリー(目下、吉永刑事シリーズ、ってのにはまってる)だけしか見ない小生(わがパートナーはそうではない、彼女の名誉のために言っておく)にはあまり興味はないトピックだけど。
(ついでにスガチューに教えてほしいんだが、水上競技にアフリカ系の人の参加が少ないのはやはり構造的なというか政治的思惑なんかがあるんだろうか。身体能力なら、やはり人種的遺伝的能力で行けば陸上と同じようになるんじゃないか、と思うんだが)
西部劇とSFとの融合ということは事前に分かっていたが、配役
追う相手は当初の相手よりもっと悪い下半身の無いド
アン2011」があるが、どれも
(編集子)だから ”三人の名付け親” を見ろって言ってんじゃんけ !
(編集子)僕が ブログ というものに興味を持ったのは、自分の人生航路でたびたび起きていることなのだが、全くの偶然というか、いきあたりばったりのことがきっかけだった。例の通り、ぶらりと入った本屋で、島田君が書いているワードプレスというツールについての入門書(文末参照)に出合ったからだ(注:”ブログ” と ”ホームページ” は運営方法や目的はちがうが実質的には同じものと考えてよい)。
僕が三田を卒業したころ、社会では事務合理化、という流れが起きていて、先進的な企業ではコンピュータの導入がはじまりつつあった。就職した横河電機もその一つで、新人を採用してその中から ”コンピュータ屋” を自家生産しはじめたタイミングにたまたまボクが採用され、何も知らないうちにコンピュータの世界に放り込まれたことが結果的に僕のサラリーマン生活を決定づけてしまった。いろんな仕事をさせてもらったが、退職後10年たち、サンデー毎日生活にも飽きがきはじめたころ(ボケ防止にハードボイルドミステリのほかにもうひとつ、なんか新しいことがないかなあ)と思い始めた、ちょうどそんなタイミングで島田君のいっている入門書に出合ったというわけだ。
僕が実際にプログラムにかかわっていたころはまだCOBOLもうわさに聞く程度のものでアセンブラが常識だったし、”外部記憶” といえばディスクなんてものは1台のレンタルが数十万円とべらぼうで、普通は磁気テープ、という時代、横河電機(当時のことだ、無論)半年間の受注統計、なんていうとデータのソート(ならべかえ、分類)だけで徹夜しなければならない、そんな時代だった。そういう時代の感覚で行くと、島田君が書いている オープンシステム なんてものは夢想もしないものだった。だからワードプレス、というしかけを本屋で買った本1冊の知識で動かす、という事は、いわば快晴無風、新雪の斜面にシュプールをかくような、またとなくスリリングであり、わくわくすることだった。
いまの時点で島田君の投稿を得て、あらためて、(ああ、そういうことか)と思い当たることばかりだ。あと何年、自分に残された時間があるのかわからないが、高尾山歩きも早晩、あきらめなければならないかと思い始めた今、ブログつくりはまたとないスリルと多くの友人たちとのつながり(これこそ認知症予防に最高のものだというドクター篠原の忠告をきいたばかりだ)を与えてくれている。本稿の内容は多少、専門的な部分を含んでいるのでとっつきにくいとは思うのだが、僕につづいてこの世界に入ってみようか、という仲間が現れるのを楽しみに待っている。
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(島田) 同期の友人の誘いのもと、退職後で暇な時間を持て余していた時、
WordPressはグローバルでも日本でもシェア約50%
HPを運営するためにはHP作成ツールだけではサービスを提供で
WordPressの開発環境ではダッシュボードと言う管理画面
そして、
WordPressではPHPのソース内容、
WordPressの立ち上げに約半年携わっているが、 その中で思ったことはWEB上での情報量の多さ。
まだ、
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(別に宣伝をしているわけではないが、現在の小生のブログはこの本1冊だけを頼りに作られている ― もちろん、幾度もコージこと菅井康二君のヘルプをもらってのことだが。別の言い方をすれば、日本語が読めて、Eメールが一応使えて、もひとつ、MSワードの基本がわかっている、という程度の知識があれば、エラソーに言っているが ”ジャイさんのブログ” 程度のことは誰でもできる、ということだ。 やってみないか?)
コロナ禍が一段落したかと思ったら、バイデンさんがコロナになってしまいましたね。確かに一時期ほど病原性は高くないものの、今の日本には第11波が来ていて、皆さんの周りにもコロナ患者さんがうようよおられるはずです。後遺症も、特に高齢者は油断できません。そういえば、バイデンさんも、この随筆の読者の多くも、また執筆者自身も高齢者でしたね。一方で、トランプさん、運のいい方ですね~。銃弾が右耳をかすめたとか。身代わりで亡くなった方は本当にお気の毒です。全米ライフル協会から絶大な支援を受けているトランプ氏。今後は態度が変わるでしょうか? 米国の銃社会同様、変わらないでしょうね。
アメリカの話はその位にして、今日は耳慣れない「殿様の枕症候群」の話です。時代劇なんかでよく見かける背の非常に高い枕が殿様枕です。実際に昔の殿様があんな枕をしていたとは考えられないけどね。
先日、急患で50歳ぐらいの男性が私の外来を受診されました。朝起きたら、急に片方の腕が動かないことに気づいたそうです。よく訊くと、前日の日曜日、ソファーに横になり、片方のひじ掛けに頭を乗せたままテレビをみながら、酒を飲んでいたところ、そのまま寝てしまい、翌朝、起きたら左手が全く動かなくなったとのことでした。
これがその「殿様の枕 症候群」の一つの形です。このような姿勢を長く続けていると、頸椎(首を形成している7つの骨)やその周囲の組織が圧迫されて、両手がしびれたり動かなくなったり、肩の強いハリが起こったりします。しかし今回の患者さんは片方の手だけ動かず、しかもいわゆるしびれはなく、運動麻痺だけでした。首の骨がその周囲の神経を圧迫したかと思いましたが。打腱器というやわらかいトンカチみたいな診察道具で腕の反射をみると左手のそれが非常に高いのです。これは専門的な知識で言うと、麻痺の原因が頸部の骨よりももっと上位の、例えば脳の病気の可能性を示す所見でした。脳のMRIをすぐ撮ってみると右脳に出来たばかりと思われるかなり大きな脳梗塞が見つかりました。頸から脳に行く血管がムリな姿勢を長く続けたために圧迫されてそこに血栓ができ、それが脳に飛んでできた脳塞栓(脳梗塞の一つの型です)と診断できました。幸い、その方の麻痺は2―3週で治療により可なり良く成られましたが、もっと大きな血栓だったら、こんなに良くはなられなかったでしょう。
日本人は「枕を高くして眠れる」という事はいい表現に使いますが、高い枕では首がムリに伸展してしまい、それを長時間続ければいろいろな症状が出ます。これが「殿様の枕症候群」です。「殿様枕」と同じように、「ソファのひじ掛け」などに頭を長時間載せていることは、頸の骨ないしそこから出てくる神経や、内頚動脈や椎骨動脈という脳に行く大事な血管を圧迫する可能性があります。血管が裂けること(動脈解離)もありえます。
いつも食事が終わると、やれやれとソファに寝そべって、首をひじ掛けに載せて、スマホを長い間いじったり、うたた寝しながらテレビを見ているアナタ!! そう、君ですよ。血圧や糖尿病ばかりでなく、こんなところにも気を使ってください。同時に、ソファに寝転がって、スマホばかりみているお孫さんたちにもこの知識をひけらかして、注意してあげてください。少しは爺・婆としての立場が上がるかも。
北アルプス並みの高山がいきなり海面からそそり立つ。海岸線は断崖絶壁。リアスと呼ばれる複雑な奥深い入り江はU字谷を形成している。山頂には残雪があり幾筋もの滝が流れ落ちている。
ノルウェーのソグネ・フィヨルドは雄大な神々しい大自然だった。同船したインド人はつぶやく。フィヨルドは神の存在を感じるほど美しい・・・!
こんな絶壁に囲まれた湾はヴァイキングにとり絶好の隠れ場であった。
ヴァイキングの語源は、フィヨルドのことをヴィークと呼ぶことから、そこに住む民を「ヴァイキング」と呼ぶ。英雄伝説『サーガ』はルーン文字によってヴァイキングの偉業を石碑に刻む。キリスト教布教以前のフィヨルドの歴史。
ノルウェーのヴァイキングは「ノルマン人」と呼ぶ。
フランス・ノルマンディーに定住したノルマン人は、11世紀にイングランド王国を征服。フランス語をイングランドに広めたノルマンディー公ウィリアムは文化人だった。角のある兜を被った海賊や略奪を働く戦士姿のヴァイキングからは想像もできない。さらにロシアとウクライナの建国にも関係し、遠くビザンチンまで足を運んでいる。 ヴァイキングは略奪を専業としていたのではなく交易の民だった。ノルウェーのソグネ・フィヨルドからノルマン人は出航していった。
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(編集子が世界史にはなじみが全くないため、例によって余計なお世話かも知れないがウイキ解説を記載。今や常識になった、”ヴァイキング料理” という名前は日本のどこかのホテルが思いついたものだと理解しているが、でヴァイキングとの関係はよくわからない。博識の読者のご教示を待つ)
ゲルマン人の一部のノルマン人が、9~11世紀に北ヨーロッパから各地に移動を行い、中世社会に大きな変化をもたらした。 ノルマン人はインド=ヨーロッパ語族のゲルマン人に属し、スカンディナヴィア半島やユトランド半島(デンマーク)で、狩猟や漁労に従事し、造船や航海術にたけた民族だった。4~6世紀のゲルマン人の民族大移動の時期には北ヨーロッパに止まっていたが、8世紀ごろから人口増加は始まり、9世紀になるとさかんに海上に進出して海賊を兼ねながら交易に従事するようになった。このような9~11世紀のノルマン人の移動は、第2次民族大移動ともいわれている。
僕が今使っているPCはソニー製の VAIO というやつである。会社を辞めて、初めて自分でPCというものを買った時の興奮というか夢と言えば大げさだが、まだ PC そのものが今ほど常識化されていなかったころだったから、それなりに大きなものだった。第一号はモデル名は忘れたが富士通製の、外観もスマートなコンパクトなものだった。その後、今まで、富士通、DELL, 最後にHPと乗り継いできた。
かたや、やはり会社を離れ、社有車、という恩恵が無くなったために急に自身の問題になったクルマについてはダットサンの中古から始まって、日産、三菱、ホンダ、いすず、スバルと乗り継いだがトヨタだけは乗っていない。例によって合理性もへちまもないのだが、なんせ、最大手、というものになびくのが嫌いだかららしい。
ソニーは今更言うまでもなくエレクトロニクス業界のジャイアントだが、ことPCにかけては業界においてはフォロワーの位置にある。なんでこの機種なのか、と言うとそれはクルマのときの天邪鬼的発想からではなく(しいて言えば、NEC製を使ってこなかったのはHP時代、どう考えても売れるはずのないHP150なんてものを担ぎ、行く先々で我々を足蹴にした憎きPC98の影があったかもしれないが)、近くにあって何かと言えば頼りにしている ”PCデポ” のエンジニア S君の意見に共鳴したからだ。
何台目かに乗り換えたいと相談したところ、彼のアドバイスは ”PCについては、”おカネのある大メーカー製はお勧めしません” という奇妙なものだった。(これは街の人たちのご相談やらトラブルシュートに専念してる人間の狭い了見ですけど) と彼は言うのだ。”大手メーカーはお金があるから、基本ソフト(OS)の共通性は維持したいがそれに自社に都合のいい改良をくわえて最終製品の高度化をはかろうとします。それに比べるとソニーはお金がないから(彼が言ったので、小生が言ったのではない)そういう冒険はしません。そうすることで、最終的な製品が多少劣っても、OSの更新があった時の対応は、それに手を入れていませんから大手の場合に比べて易しく確実になりますからね。なんせ、いくつあるかわからないアプリのメーカーが着実にその更新に対応していなければならないわけですから” というのが彼のァドバイスだった。
S君の見方は、一時、今とは比較にならないほど単純なものではあったけれどプログラム開発、それにともなうトラブルの追求、という事をやったことのある自分には十分納得できる論理だった。自分が対応しなければならなかったものはあくまで自分か、あるいは共同開発をやった仲間のアルゴリズムを追っていく事にすぎなかったが、いまではいろんな意味での共通化が図られた、そのメリットの逆で、多くのソフトメーカーが書いたものの集積で一つのシステムができる。それはいいのだが、ひとたび,その一部が更新されたり誤動作をしてしまった時、その改修作業は大変なものになるだろうことは言わば肌身に感じることができた。まして、我々街の素人が購入した、通称アプリ、と呼ばれる、メーカーからすれば他人の作ったシステムでトラブルが発生したとき、それの追求は複雑、かつ広範にわたってしまうことが多いはずだ。
(その点、)と彼は言うのだ。(”お金のないメーカー” はOSに手を入れるなんてことはしませんから、もっぱら第三者の書いたアプリの問題に直面するものの立ち場から言えば、対応がしやすいんです)。関連技術にたけた人ならば笑ってすますであろう ”街のエンジニア” の正直な述懐が、またまた天邪鬼精神、に共鳴して、小生は彼の言うとおり、”おカネのないソニー” 製品に乗り換えて、今日まで満足しているというわけだ。
何でこんな話をしたか、と言えば、昨日今日と新聞テレビをにぎわしている世界的規模のシステム障害のためだ。マイクロソフトの技術が最深部にあり、その上に幾重にも重なったソフトウエアの壁のどこかであいた小さな穴が、そもそもはプラスに働くべき相乗効果のゆえに、解決が困難になった、その典型的な例だろう。同じ影響を受けている航空業の世界では、日本はそれなりに解決したという。それならなぜ、同じことが起きているはずの欧米では解決しないのか。何重にも重なった、”アプリの層” のどこかで、発生したトラブルに対応する仕掛け、というのが国や地域での特殊性を反映して同一的に対応できないからではないのか。それは (お金がある)ところと(お金のない)ところの差か?
今回のことは、現在のIT社会が根源的に持つ(というより持たされてしまった、と言うべきだろう)脆弱さ、とほうもない危険を惹起しかねない恐ろしさ、を露呈した、というか、全世界に投げかけた警告、なのだと僕は思うのだが。
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(HPOB 安斎)別会社になる前のSONYのVAIOは他のお金のある大会社と同様にプラスアルファの余計なことをOSやハードでやっていたのでそれなりに使いにくかったことを思い出しました。別会社になってお金が無くなってからは使いやすいPCになってきましたが・・・