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小生Internetが始まった頃から放送法とこのメディアの問
もうこのSNSは止まらない。FaceBook・Google・
東京都知事選挙から斯様な現象が始まり今や選挙のやり方も変わっ
トランプ&ハリス。斎藤&和美。共に「負けた方が先行していたが後半
小生はInternet創生期の頃から放送との違いとか規制につ
新聞も取らずテレビも政治番組等観ない世代はどう判断していくの
そして貴兄が案じて居る様にAIは始まったばかりです。世界でど
会議では、イーロンマスクのテクノロジーと富の影響力、インター
また、会議では、SNSの無責任な情報発信と個人情報保護の過剰
(編集子)紙上討論会、歓迎。
(33小川)お二人のブログ拝読しました、まさに時宜を得たコメントで小生も同様に考えております。
大学で生田助教授の発刊された「マスコミュケーション論」に触発されて生田ゼミに入りました。まさに勃興期で新聞・ラジオという媒体にテレビという新しいメディアが参入してきた時期、テレビの功罪が論議された時代でした。それが僅か半世紀足らずでジャイさんの卓見「フロムの時代」に出会うとは考えもしませんでした。21世紀に入り全世界の何十億の人間が携帯電話を日常の生活に利用する時代が来るとは・・・。新聞、テレビがオールドメディアと言われ,SNSが実に短期間に普及して圧倒的に身近なツールになってしまいました。
この数か月の間の東京都知事選の石丸戦略、衆院選の国民民主党の大躍進、兵庫県知事選の斉藤戦略、をみると今後の選挙戦はどうなるのでしょうね。テレビの政見放送の無意味さ、コメンテイターの発言などなど。
米国大統領選で旧ツイッターを経営するイーロン・マスクが政権中枢に入るとのこと、世論の誘導も政治化されるのですか。またAIやドローンで今後どんな世界になって行くのでしょうかね。
(42 下村)SNSの危険性や怖さについては小生も同じように危惧の念を抱いているひとりである。
視聴者の関心をひく短く断定的な言葉で二者択一を迫る。そこには議論や対話をするといった気持ちは感じられず、ただ一方的に主張して世論を煽るフレーズや動画が繰り返されている。興味を引くテーマを印象的な動画と単純明快で歯切れのよい言葉でくり返し世の中の人に訴えつづける。
この手法は太平洋戦争開戦前の時代の流れを彷彿とさせる。このとき世論をリードしたのは大手の全国紙。購買量が減少するからと言って開戦に危惧を抱く意見や否定的な意見はほとんど掲載せず、誰もが飛びつきたくなるような景気のよいニュースばかりをセンセーショナルに流し続けた。半信半疑の人もいたにもかかわらず大半の人たちは開戦に反対の運きをすることもなく大きな流れに乗っていった。
選挙で負けたのは不正選挙があったと暴動を煽り、しかもセクハラ容疑で有罪となった人物を大統領に選ぶアメリカ。パワハラ疑惑や内部通報者を探し出すよう指示した人物を県知事として再度選出する日本。いずれも通常では考えられないような結果を引き起こしている。この異常ともいえる現象のベースにあるのがSNSではないかと分析されている。テレビが出始めた当初、一億総白痴化と言われたことがあった。テレビが思考力や想像力を失わせ、ただ一方的に流れ出る映像を見るだけの受動的な人間になってしまうと危惧されたのだ。SNSも使われ方によっては世論を操作し、ひとつの方向だけへ世の中を誘導してしまう怖さがある。そこには思考や想像、別の立場から考えるといったプロセスはない。直近の2つの選挙がこのことを物語っている。
民主主義の完成度はその国の国民のレベルによって決まると言われている。日本は江戸時代の庶民でも学問に精を出し、人間性や見識の高さを誇っていた。初めて日本の土を踏んだ欧米人は誰でも日本という国のモラルの高さに驚いたという。SNSをうまくコントロールしていきたいものである。
(41 斎藤孝)SNS時代は戦国時代と同じなのである。下剋上とアナキーズム。そして「SNS開拓史」は「西部開拓史」でもある。
自由の大地であるアメリカ西部に民主主義というルールを開拓者自身によって定めた。SNSという自由は、時として不自由なことにもなる。その自由から逃れる方策はあるのだろうか
もしかして制御される自由こそ、心地よい自由といえる。それは全体主義という自由かもしれないが・・。
(44 安田)音楽、読書、対面コミュニケーションetcについては、
(HPOB 菅井)明大の塚原教授の論に全面的な賛成はできませんが、
ところが日本では、この大前提がうまくいっていません。
自己主張を控えがちな日本では、
民主主義に合わない「日本人の国民性」
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