「アメリカ革命」(著者:上村 剛。中公新書。2024年。以下、米国)を読む。日本の憲法を考える上で、大変、参考になった。
米国革命とは、今日、米国合衆国となる国家の始まりを意味しており、それは、具体的には、成文憲法の始まりであり(世界最古の成文憲法)、これこそ、米国革命の最大の功績である、と言うことに尽きるようだ。
ご存知のように、1776年7月4日、米国は、英国などとの戦争のさなか、独立を宣言する。同時期にそれぞれの州(13)での憲法制定が進み、並行して、夫々の州を束ねた連邦をどのように作るかも検討された。1783年、英国などとの戦争が終結。様々な紆余曲折もあって、1787年5月、フィラデルフィアで連邦憲法制定会議が始まり、B.フランクリン、G.ワシントン、A.ハミルトン(後に決闘で敗れた、享年49歳。ミュージカル「ハミルトン」の主人公)など、夫々の州を代表する政治家が集まり、秘密の漏洩を恐れ、会議は窓を閉め切った密室で行われた。ここで、最後まで争われた論点は、執行府(まだ大統領と言う用語は使われていない)の設計だった。大統領を選ぶのは議会か、それとも、人々の公選か。ここでも侃々諤々の末、現在の、人々が先ず選挙人を選出し、選挙人が大統領を選ぶ制度に落ち着いた。
結局、最終案を作るのに、都合4カ月も要した。しかし、案は出来たものの、次の問題は13の各州の批准が必要となる。ここでも、同様の喧々諤々の末、やっと現在の憲法が出来上がった。勿論、その検討期間が長ければ長いほど良いとは限らない。しかし、少なくとも、数多の人の知恵を借りて成立した憲法であることは間違いない。
翻って、現在の日本国憲法はどうだったか。GHQ(連合国最高司令官総司令部)とは言え、実質的に米国の占領下で、憲法の専門家皆無の20数名(一説には、10数名)の米国人によって、僅か10日間で作成されたシロモノだ。そんなものが、議会の審議まで、一貫してGHQ、要するに米国の統制が及び、国際違反で無効ではないかとの指摘もあった。また、これを日本政府が批准するよう、官邸周辺の上空を米国の爆撃機が上空を威嚇するように飛んでいた、との説もある(註:こりゃー、体の良い脅迫だ)。要するに、情けないが、占領軍に唯々諾々として従ったと言うことになる。それを、米国が作った憲法だと決めつける説もむべなるかなだ。
小生、改憲なんて生易しいものではなく、全部、日本人の手で日本の憲法を作り直すべきだと考えている。しかし、憲法発布から一字一句も修正されていない状態は正に異常だ。そこで、例えば、軍隊を自衛隊と誤魔化し、憲法を修正できないから、誤魔化し誤魔化し、拡大解釈をしながらやって来た。
憲法修正については、米国でも、両院の2/3の賛成で発議。3/4の州の批准により成立。1787年以来27回(1945年以降では6回)。日本は全くゼロ。これは、石器時代の憲法を後生大事に抱え込んでいるようなものだ。これで、良く日本が成り立っていると思うが、国防など重要な事柄が、誠に残念ながら、米国の手に委ねられているからに他ならない。
確かに、勝てば官軍、負ければ賊軍だろう。しかし、だからと言って、世界では、占領軍が被占領国家の憲法を作成することは許されていない(戦時国際法)。にもかかわらず、日本は受諾してしまった。ドイツは、降伏に際し、三つの条件を付けた。その内の一つが、新しい憲法はドイツ人自らの手で作ると言うものだった(日本に対するものとドイツに対するものの違いは、日本には二度と米国に手を出させないことにあったのだろう。まさか、黄色と白の違いでからではあるまい)。ここでも、米国の身勝手さが目に余る。自分たちは(米国)、人と時間を掛けて憲法を作ったにもかかわらず(初めての成文憲法だったこともあろうが)、他人(日本)のそれは米人二十数人、期間10日で安直に済ませてしまう。
米国の日本に対する三大悪事は、無差別の空襲、原子爆弾の投下、そして、安直な憲法作成もその一つだろう。日本国憲法は来年で発布80年。これでは、間違いなく一世紀にも亘って改憲皆無の世界新記録(?)を樹立することになる、何ともお目出度い話しではないか。