米国デモ騒動の現状  (HPOB 五十嵐恵美)

現在シリコンバレー在住の五十嵐恵美くんにお願いして、現状のリポートを送ってもらった。少し長いが以下に紹介する。1年間小生が住んでいた、のんびりしたレッドウッドシティすら暴動に巻き込まれていると知り、かつてのよきカリフォルニア、を今でも大切に思っているひとりとして暗澹たる思いである。

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Background 

5月26日のメモリアル・デイ(戦没将兵追悼記念日)に米国中西部ミネソタ州ミネアポリス市で黒人の男性、ジョージ フロイド(46歳)は偽造の20ドル札を使った理由で逮捕され、手錠をかけられて、白人の警察官、デレック ショーバン(44歳)の膝の下で約8分間地面に首を抑えられ死亡した.傍観者の携帯のビデオにその全容が撮られ、ソーシャルメディアを通して全米に配布され、ショーバン巡査はその後解雇、金曜5月29日に第三級殺人罪(Third Degree Murder)及び業務上過失致死罪(Second Degree Manslaughter)の容疑で逮捕された.

ジョージ フロイドの死の直後、東海岸から西海岸に渡る全米約150におよぶ都市で「警察官の黒人に対する差別、残虐行為」に抗議し「警察改革」を求める合法で平和的な抗議デモに加え、各地で過激な暴動、略奪がはじまった.ミネアポリス、ニューヨーク、ワシントンDC、ヒューストン、ロスアンゼルス、等を含む都市では収拾がつかず夜間外出禁止令が発令され、National Guards (国家警備隊)が出動したにもかかわらず、ミネアポリスでは暴動の治まる見通しはない.

 

保守的なWall Street Journalの社説

6月1日付のWall Street Journalの社説に、

“The violence that broke out in American cities this weekend goes far beyond justified anger at the killing of George Floyd on Monday. The rioters are looting shops and attacking police with impunity, and they threaten a larger breakdown of public order. Protecting the innocent and restoring order is the first duty of government.”

(今週末にアメリカの都市で発生した暴力は、月曜日のジョージ フロイド殺害に対する怒りを正当化できる限度を遥かに超え、暴徒は店舗を略奪し、刑事免責で警察を攻撃し、公共秩序のより大きな崩壊を脅かしている.罪のない住民、地域の秩序を回復させることが今、政府の第一の義務である.)

ニューヨークでの略奪

 

アトランタでの略奪

 

ミネアポリスでの対立

“The same goes for liberal media and intellectuals, who are in general portraying the riots as an understandable response to social injustice. Most of them live far from the burning neighborhoods as they denounce police. They ignore that there is no chance of addressing social injustice without underlying civil order. The main victims of a summer of chaos in America will be the poor and minority neighborhoods going up in flames.”

(同じことが、一般的に、暴動を社会的不正に対しての理解できる対応と考えている、リベラルなメディアや知識人にも当てはまる.彼らのほとんどは、暴動の起こっている都市のスラムから遠く離れた安全な郊外に住んでいるので、警察を簡単に非難できるのだ.   彼らは、根本的な民事秩序なしには、社会的不正に対処できない、という基本的な現実を完全に無視している.アメリカのこの夏の混乱の主な犠牲者は、貧困層とマイノリティが住んでいる炎上している都市なのだ.)と、偽善的に映るアメリカの知識層をも皮肉っている. 

シリコンバレーの巨人たち

Amazon、Google、Netflix、Uber、Twitterはデモ、暴動の続いている週末明け6月1日に、人種による不平等に抗議し、場合によっては、人種の平等を求めるグループに資金を投入するという声明を発表した.AT&T、IBMも同じようなサポートを表明.

ミネソタの略奪者の射殺を促したと解釈されたトランプ大統領のTwitterへのツイート(”when the looting starts, the shooting starts”)に対して、Facebook CEOのマーク ザッカーバーグは、トランプ大統領との会話の中で,ソーシャルメディアへの投稿について率直に懸念は表明したが「Facebookはユーザーがオンラインで発言するすべてのことが真実であるかどうかを決める仲裁の役割を果たしてはならないと信じている.また、一般的に、民間企業は、特にこれらのプラットフォーム企業は、仲裁の役割を果たすべきではないと信じている」と語ったと述べた.これは(トランプ大統領のツイートの内容の信頼性を判断し公表すべきだと公言している)ライバル会社のTwitterとFacebookを区別するスタンスである.

この背景としては、しばらく前からアメリカ議会の両党(共和党、民主党)をまきこんで議論されている、Facebookをどうするかの問題の新しい展開として、Section 230 of the Communications Decency Act(通信責任制限法第230条)を修正すべきという論調が目立つようになってきたことがある.トランプ大統領が最近大統領令を出した結果、立法されてから24年になる、Section 230 of the Communications Decency Actが改定される可能性はある.

シリコンバレー近隣でのデモンストレーション

黒人、マイノリティの住民が多い、シリコンバレー近隣のサンフランシスコ、オークランド、サンノゼ市ではすでにデモ隊と警察の衝突、車の炎上、店舗破壊、略奪、等が起こっており、サンノゼ、サンフランシスコ、サンタクララ、フリーモント、ウオールナットクリーク、ヘイワード市では無期限で夜間外出禁止令が発令されている.オークランドでの週末の抗議デモには約15000人が参加したと報道され、イーストベイ(サンフランシスコ湾の東湾)のサンリアンドロのカーディーラーは日曜5月31日の夜の略奪で、新車50台がショールーム及び駐車場より盗まれたと報告した.  ショールーム内にある車のキー ボックスをこじ開けて行われた、計画的な犯罪とみられている.  個人の車への破壊行為はベイエリア全体に及び窓ガラスが夜中に割られていたケースは多数報告されている.またサンフランシスコでは銃砲店、合法薬物を扱う店舗も(これらも恐らく)計画的に略奪されたと報告されている.抗議デモ参加7人のうち1人は市外の住民で、バックパックに爆発物、刃物等を入れ所持しており、その多くが計画的に破壊、略奪を目的に参加している常連であると懸念されている.

パロアルト周辺

パロアルト市周辺では日中は比較的平和的な抗議デモが続き、夜間にサンタクララ、サンノゼ、レッドウッドシティー等の市で略奪が発覚している.COVID-19の影響で、失業率、ビジネスの倒産は急増、サンフランシスコの三分の一のレストランは復帰できないと予想されている中、失業中で、時間のあり余った、貧困層のデモ参加者も多いはずだ.


週末の放火、略奪、ターゲット雑貨店、オークランド市
週末、デモ隊と警察官の対立、サンフランシスコ市役所前
「黒人の命も、他の命と同様に大事なのだ」、サンフランシスコ市役所前

イーストパロアルト警察は5月31日、イーストパロアルト市でのデモ隊の激しい抗議の最中に待機、その後デモ隊はパロアルト市にあるザッカーバーグの自宅へ向かう。

デモ隊に備えるアップル ストアー
パロアルト市ダウンタウン、ユニバーシティ アベニュー
バーガーパーク、メンロパーク市(膝をつく姿勢は暴力のない平和的なプロテストを意味する)

今後

今回の抗議デモは、米国で起こった1967年の、警察の残虐行為と人種的不正に対する大都市での抗議デモ隊が、警察と国家警備隊と大衝突した、暴力の「長い暑い夏」とよく比較される.翌夏1968年も同様の抗議行動が続き、今回と同様にその年には極端に二極化し激しく争われた大統領選挙が行われた.現在のアメリカの不安は、若者や少数民族が「人種の不平等」と「政府との関係」の両方に不満を表明し続けた、20世紀に起きた数々の暴動と多くの点で似ているといわれる.

トランプ大統領は、現在まで、社会主義とコロナウイルスに起因する大統領選挙運動の制限について多くツイートし、公言してきた. 6月1日、ホワイトハウスのローズガーデンで演説したトランプ大統領は、抗議者を「凶悪犯」、「犯罪者」、「略奪者」と呼び、「厳しい刑事罰と刑務所での長い刑」を公約した.トランプ大統領の言葉「暴力的な暴徒」(黒人とイミグラント)は共和党の支持者である一部の白人有権者を鼓舞するシンボルとして役立ってきた.キャンペーンが今後、増々人種差別化されると予想されている.


抗議者たちは、6月1日にオレゴン高速道路とパロアルト市ユニバーシティ アベニューの間の車線を遮断して、ハイウェイ101を行進

民主党がこの身近な罠の餌食になり、人種的正義の名の下に暴動を擁護した場合、ジョージ フロイドの殺害をめぐる怒りの抗議デモ隊は、政治化され、何の結果も見ずに終焉する可能性は多大にある.民主党活動家のひとつの希望は非暴力のままで、残虐行為と人種的不正に対する抗議活動を気長に行っていくときに初めて、アメリカの警察改革と人種的不平等に切実に必要な進歩を遂げることができるのではないかと思う.

パロアルト市役所の前で膝をつくプロテスター

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(中司返信)文中にも書きましたが、ユニバーシティアベニューもさることながら、レッドウッドシティも騒動の渦中にあったとのこと、まさに胸が痛みます。デモに参加する人たちには応援したいですが、こういう時必ず起きる略奪行為、それが自分で自分の首を絞めていることを無視してまだ当たり前のように起こす、このあたりがやはり日本との民度の差なんだとつくづく思います。

(五十嵐追記). Giさんは レッドウッドシティに住んでおられたのですね. 昨夜は、外出禁止令が出ていましたが、日中、ダウンダウンで2000人位の”平和的”な集会があったようです.ニュース クリップがありますのでおくります.

(中司追記)上記クリップを見てみた。現場の中継なのでリポートは半分くらいしか理解できなかったのが悔しいが、緊迫した場面の動画は一件に値する)

コロナ感染のこれからについて (HPOB 菅井康二  34 船曳孝彦)

西村大臣が参考にすると会見で発言しており、大阪、東京、神奈川がなども自粛要請解除参考値に使おうとしている「K値」を紹介します。この「K値」という値は感染学者ではなく中野貴志・大阪大学教授(核物理研究センター)と池田陽一・九州大学准教授(理学研究院物理学部門)が考え出した数理的な一種の係数です。大胆に纏めると以下のようになります。

・X=累計感染者数
・Y=1週間前の累計感染者数
とおき、“画期的な”指標である「K値」を
・K=(X-Y)/X=1-Y/Xと定義します。

これはざっくり言うと、過去一週間の累積感染者の増加率(を今日の感染者数を基準として評価したもの)です。本論考は、このK値の動きを通じて極めて簡単かつ正確に感染状況が予測・把握できる可能性を指摘しました。具体的には、Kが経過時間に対して線形(つまり日数×定数)で減少していくという線形モデルを提案し、これが現実のデータと当てはまりが良いことを確認していて、この「K値」を縦軸を「K値」横軸を「日付」にしてプロットすると以下のようになり収束の状況が分かるいうものです。

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これが以下の期間での実際の「K値」と日付の関係です
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グラフの傾きに変化が生じた場合は以下のようになにかの「イヴェント」があったことを意味します。
疑問を呈する(PCR検査数など)感染学者もいるようですが収束時期を予測するんは役に立ちそうな気もします。下降途中のラインが上振れするようであれば都知事が言っているよう「アラート」発令のトリガーにとすることもできます。

 

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(34 船曳孝彦)

分かり易い数値を基にした指数で、一般的に使えるのではないかと考えたのですが、なんと今見ていたTVで、神奈川県ではすでにK値を使っていると(黒岩知事)発言していました。いま下がっている新規感染者数の再増加をいち早く見つけるのに有用と。科学の進み方の早さに驚きます。

一応鎮静化に向かっているようですが、まだまだ安心できません。小池都知事は自ら提唱した東京アラートの基準3項目中2項目引っかかってきたときに、逆に規制緩和方向へ舵をとるというのは、どういう神経なのでしょうね。

自粛下のトレーニング   (34 船曳孝彦)

皆さん、徐々に復活されているでしょうか。今日、私は所用にて車で八王寺往復してきましたが、緊急事態解除後で、一般道の車は多いのですが、高速道は空いています。

コロナの第2波はいずれ来るだろうと思います。冬なのか秋なのか夏なのか、あるいは今月中にやってくるのか、誰にも分かりません。それまでは自分が罹らないように十分な注意をして、節度ある、コロナに負けない生活をしてください。

東京新聞、日経新聞に階段昇降で富士山登山という記事がありました。私も階段トレーニングしておりますので、この3,4,5月を振り返ってみました。3月はまだヨーロッパスキーの疲れも残っていたうえに、自粛ムードが高まっていませんでので、私自身名古屋を含め外出する日も多かったのですが、4、5月は、ゴルフ場か、ウォーキングか、階段トレーニングかのいずれかで身体を使い、それ以外は4月に練習場に入った1日だけ(5月は0)でした。

4月は25日、5月は22日、自宅内の階段を黙々と、基準は1回500段(時に300~700段)昇降しました。『傘寿の奥穂高』を目指した時に始めた(その時は9~10 Kgのザックを背負って)のですが、1回ごとにチップを動かして分からなくならないようにし、1階から3階まで33段、3往復で100段(トレーニング外で昇降することもあるので99を分かりやすく100回として)上り下りしました。その時は考えていなかったのですが、1段20cmですので、100段で20mとなります。合計しますと、4月は13,200段、 5月は 11,500段で、2か月間で25,700段、高さに直しますと、なんと4,940m ということになります。富士山の標高をはるかに超えています。上高地から奥穂高頂上まで凡そ1,700m弱としますと、33月の3回復3,900段、780mを加えますと、3往復以上の登山をしたことになります。積み重ねの大きさを改めて感じます。

なお、ゴルフ場での歩き、街中のウォーキングの合計は、3か月で 196,500 歩、歩幅を60cmと計算すると、107.5Km歩いた計算となります。意外にまだ静岡県まで行っておりません。

梅雨時となってしまいましたが、これからはもっと自然に触れる時間を増やそうと考えております。84歳となりますと、残された時間は大きくはないので、一生懸命外遊びをしようと思う次第です。

家で飲むんだ、仲間の酒蔵を応援しようぜ (37 菅谷国雄)

     

今年は梅も桜もあっという間に過ぎ、目に眩しい若葉の季節も早や過ぎようとしている。3密がモットーのワンダーの集まりも、残念ながら当分見通しが立たない。そして何時ものように暑い夏がやって来る。こんな時は仲間の顔を想いうかべながら、一人静かに旨い酒を飲んでじっと我慢するしかない。それならば!

我がKWV三田会メンバーの何人かが代々、歴史と祖先の匠を守り続けてきた、誇り高き老舗酒蔵を応援しようではないか!付き合いの深い、夫々の同期3名が世話役となり、観光の落込みにより需用が激減している酒蔵を「家飲み」でささやかながら応援しようというご案内、趣旨ご賛同の向きは、下記を参考に晩春の一宵、遠い友との思い出を肴にご協力を頂ければ真に幸甚。 

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*福島・会津 「末廣」 創業:嘉永3年(1850年)

末廣酒造株式会社 福島県会津若松市日新町12―38

TEL0242-27-0002 https://www.suehiro@sake-suehiro.jp/

 

嘉永蔵外観

 

 

*山形・米沢 「東光」 創業:慶長2年(1597年)

株式会社小嶋総本店 山形県米沢市本町2-2-3

TEL 0238-23-4848 https://www.sake-toko.jp/

 

*栃木・日光 「清開・陸の王者」 創業:天保13年(1842年)

渡邊佐平商店 栃木県日光市今市450

TEL0288-21-007 FAX 0288-21-2647

寄付つき商品の写真です。売り上げの一部を、慶應義塾大学の学生支援へお使いいただくものです。詳細は当方ホームページをご覧ください。

http://www.watanabesahei.co.jp/

店舗写真
おすすめNo.1

   

応援団

福島・会津 「末廣」 49年卒:小峯幸子

山形・米沢 「東光」 47年卒:伊川望

栃木・日光 「清開」 37年卒:菅谷国雄

  黒幕 36年卒:横山隆雄

  横山美佐子

 

やはり俺たち ケイオー、陸の王者。エール では 紺碧の空にちと分が悪いようだが、その紺碧の蒼の下で(ソシャルディスタンスなぞくそくらえ)肩たたきあい痛飲できる日の近かからんことを祈ろう!

 

 

 

 

 

新選組血風録

自粛騒動の結果、小生の日常に今までなかったイベントが加わった。テレビ番組を探す、ということである。従来は 1.気に入った大河ドラマ 2.NHKニュースセブン 3.ジャイアンツが勝ってる試合 4.ときどき映画 しかテレビは見ない、と決めていた。ましてやエンタメと称するお笑い芸人だとか、その連中がバカ騒ぎするやつだとか、グルメ番組と称して味がわかるのかどうかもあやしいタレントがこれ、美味しー、などとのたまう番組(ギャラをもらってる以上、おいしー以外に言えない仕組みだろ、最初から)なんぞが始まると自分の部屋へ引き上げるのが常だったし、このあたりは今後も頑として変えないつもりだが、偶然、”時代劇専門チャネル” で 新選組血風録 をやるとわかって、以来、平日午後4時から1時間、テレビを独占することにした。26編あるそうだから、当分、この体制は続きそうだ。これが終わるころには月いち高尾とハイライトのチョー三密、天狗飯店宴会が再開されてることを祈るだけだ。

さて、新選組血風録。

いわば ”中堅” サラリーマンの日常が順調に回っていた時期。よそ様に比べれば文句の言えないくらいのいい待遇の会社であることは十分承知しながら、(これが俺の人生か?)という暗流が時々顔を出し、なお心底が定まらない時期があった。全国で大学ワンダーフォーゲル活動は絶頂期にあり、”学連” つまり大学間の連絡網が企画した参加全大学のワンデルングがあった4年の初夏、その企画で “主将班” なるものに参加した。能登半島の突先、曽々木海浜でのキャンプで日本海の荒波をみているとき、突然、妙な厭世観みたいなものが自分を襲った。それはその後も続き、高校時代から俺の進路、と決めていた新聞記者になる、という野望がどういうものかすっかり魅力を失ってしまい、結局、デフォルトでサラリーマンになった。なってしまった、という、一種のコンプレックスから抜け切れていなかったのだろうか。そういう、不安定な時期に偶然、”血風録” に遭遇した。まだカラーテレビもなく、当初は全く期待していなかったのだが、2回、3回と見てみて、すっかり、今の用語でいえばはまってしまった。

理由は二つある。ナレーションもよかったが何といっても栗塚旭がまさに適役だったことで、”燃えよ剣” で僕の中にできていた土方のイメージそのものだったこと(すこばかりハンサム過ぎたが、本人も大変もてたそうだからよしとする)で、数年前ブームになった ”新選組!” の山本耕史もよかったけれど重厚さを感じさせず、ほかにも何人かの土方をみたが、司馬遼太郎にほれこんでいる小生の持っている土方像にはマッチしない。近々、岡田准一主演で 燃えよ剣 が封切りされるらしく、心待ちにしているが、たぶん、栗塚には及ぶまい。まさに栗塚の前に土方無く、栗塚の後の土方なし、だと思っている。

もうひとつはこの番組の底流にある、気障に言えば滅びゆくものに殉じる、信じるものに命を懸ける、という覚め切った雰囲気が当時の小生のどっちつかずの、甘え切ったコンプレックスに対しての回答のように思えたことである。春日八郎(知ってる?)が歌う主題歌が、番組が進んで鳥羽伏見の戦いから江戸への退却あたりから、”三つ葉葵に吹く嵐、受けて立つのも武士の意地。鴨の千鳥よ心があらば、新選組のために泣け” という歌詞に変わる。さらに北海道に向かい、最後まで意地を通して戦死する、そのあたりのいくつかのエピソードがなんといってもいい。信じたもののために生きる、というのはこういう事なんだ、今、おれが信じるものはなんなのか、という真剣な問いをあらためて感じたことだった。

放送はもちろん白黒だし、スクリーンの構成もまことに古めかしければ録音も上等はとても言えない。しかし、26回、完全に見てやるつもりでいる。映画、というよりも自分の歴史を紐解いているような感じがしている。

Sneak Preview (3)      (44 安田耕太郎)

アルプスを満喫

サンモリッツへの道はインスブルックから200キロの山間の道を縫うようにして蛇行していた。山国スイスへいよいよ入ってきた。スイス国境付近には4000メートル近くに達する高峰が聳え夢に描いたアルプスに近づいた興奮で少しドキドキしたことを覚えている。

サンモリッツは標高が1800メートルもある高所に位置している。南に15キロ行けばイタリア国境でドロミテ(Dolomiti)山塊も遠くない。夏冬ともレジャー施設と素晴らしい自然風景には事欠かないスイス有数の観光保養地だ。ヒッチハイカーには随分高級過ぎる街の佇まいであった。が、運良くユースホステルもあり出費も抑えられた。サンモリッツの町の真ん中にはサンモリッツ湖があり、対岸のアルプスの山々を湖面に映し、ユースホステルからの眺望も素晴らしい。

サンモリッツ

好天に恵まれトレッキングに終日行くことにした。最高峰4049メートルのピークを持つ大きなベルニア(Bernina)山塊がイタリアとの国境に向かって横たわっている。その山麓をトレッキングした。トレッキングといっても標高1800メートルからのスタートで3000メートル近い高所まで登ったはずだ。雪と氷に覆われた山頂付近の絶景を眺め、晩夏から初秋に移り変わる少し早い紅葉も楽しめた。訪問の目的は叶えられ満足感一杯でサンモリッツ湖を眺めながら下り、ユースホステルに戻った。

次はグリンデルヴァルドへ、サンモリッツからは山間を縫うように走り湖の間を意味するインターラーケン(Interlaken)を目指した。名前の通り二つの湖に挟まれた、ベルナー・オーバーラント(Berner Oberland)地方の観光拠点の入口にある数千人ほどの小さな美しい町だ。そこからはスイス国内でも最も美しいと評される深い谷のひとつであるラウターブルンネン(Lauterbrunnen)に立ち寄ることにした。インターラーケンからは10キロほど南に行ったところにある。

この辺りはスイスのほぼ中央部だ。深い谷の細い裂け目、壮大な氷河、切り立った崖の絶壁、雪に覆われた峰々、50を超える滝に囲まれている。お伽話に出てくるようなスイスアルプスの村が山腹や谷間の草原に点在していて、信じがたいほど美しい。谷の入り口辺りでヒッチハイクの車から降り、2時間ほど歩いて素晴らしい至極の風景を満喫した。

ラウタ―ブルンネン

北の方角インターラーケン方面に少し戻り、右折して東へ、夕方近くにグリンデルヴァルドのユースホステルにチェックインした。途中ヒッチハイクの車から車を乗り継ぐ間は道端を歩くのであるが、秋のシーズンとあってリンゴ畑などではしっかりとリンゴを失敬してビタミン補給にも努めた。スイスのリンゴは日本のふじ、王林、紅玉などよりずっと酸味が強くて食感は硬めであった。

グリンデルヴァルドに近づくと右手前方にアイガーの北壁が望まれゾクゾクした。当時、アルプス三大北壁登頂がアルピニストの憧れの挑戦コースになっていて、日本人登山家も果敢に挑んでいる頃であった。目の前のアイガー、次に行く予定のツェルマットから望めるマッターホルン、それとフランス・モンブラン山塊のグランドジョラスが三大北壁だ。  グリンデルヴァルトは標高1034メートル、街から南西の方角にアイガー(Eiger3970メートル)、メンヒ(Mönch4107メートル)、ユングフラウ(Jungfrau乙女の意4158メートル)のベルナー・オーバーラントアルプスの名峰三山が並ぶ壮大な景観がひろがる。街のやや左前方、アイガー峰の左手にはヴェッターホルン峰(Wetterhorn)3701メートルが衛兵のように聳えている。グリンデルヴァルトから高度差3000メートルの天空に聳える岩と氷雪の名峰群に見とれる。

翌日早速歩き出した。電車で9キロ先のアイガーとメンヒの中間標高約3500メートルのユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)まで連れて行けるが、懐と相談して電車は諦め標高2061メートルの中間乗り継ぎ駅クライネ・シャイデック(Kleine Scheidegg)まで歩く。電車で行くには勿体ないほどの素敵なハイキングコース、アイガー北壁の真下から壁を見上げながらゆっくり歩くのは、電車で通り過ぎるより圧倒的に貴重だ。垂直に近い角度の壁が高さ1800メートルにわたってそそり聳えている。登攀するクライマーも見え、歩くのを止めしばし見上げてスリルをお裾分けしてもらった。いつまでも歩いていたい快適さだ。

アイガー北壁

クライネ・シャイデックはアイガーとメンヒの中間地点、三峰を望む峠になっていて、至近から標高差2000メートルの雪と岩の殿堂を仰ぎ見る迫力に圧倒された。前日訪れたラウタ―ブルンネンからは登山電車を乗り継げばこの峠に達することができるが、迂回してグリンデルヴァルド経由にして良かったと思った。峠までの絶景を歩いて堪能できたからだ。周囲の峰々と眼下に箱庭のように広がる美しいグリンデルヴァルドの村を見下ろしながらゆっくり歩いて戻った。

次の日は三山とグリンデルヴァルドを挟んで対面にあるトレッキングコース、三山からは少し離れるが全体が俯瞰できて違った味わいを満喫。あと1日はグリンデルヴァルドの街でゆったりと至福の時が流れていった。アルプス山脈の高原地帯に広がる緑の牧草地アルプ(Alp)は周りの山岳風景と調和して見事としか形容できない。その緑の絨毯を縫って歩道が整備されており、スイスアルプス地方特有の建築「シャレ―challet」と呼ばれる大きな屋根の突き出た山小屋タイプの家屋やホテルの軒先は色とりどりの花々で彩られていて、現実離れした絵のような美しさである。次は名峰マッターホルン((Matterhorn)の麓ツェルマットへ向かう。道中は飽きることなく周りの景観を楽しませてくれる。贅沢なひとときだ。

スイスを旅して気づいたことが二つあった。

まず銃を背負った軍服姿の男性を町や駅で見かけたこと。国民皆兵を国是とするスイスの徴兵制は、20-35歳の男子は初年度の15週間の兵役訓練を終えると、毎年約3週間の補充講習・訓練を受け20歳から数えて通算で合計260日の兵役に就かねばならない。その後は予備役に算入される。徴兵制を終えた男子(予備軍)を加えると40万人の兵士が、他国の侵入など有事の際には6時間以内に、動員できる態勢が普段からできている。町で見かけた軍服姿はちょうど徴兵された時期で任務地へ移動中か、週末に自宅に一時帰宅の最中だったのであろう。人口800万の国にしては大変な動員力だ。職業軍人数は4~5千人といわれている。

もうひとつは、山間の谷に軍用ジェット機の滑走路があって驚いた。付随して山腹の崖には穴をあけて格納施設が備わっていた。軍事基地が岩山をくりぬいた地下に建設されるなど高度に要塞化されているという。

近世になり18世紀初め頃より時計などの精密機械産業が勃興した。16世紀の宗教改革後、フランスでは数十年に亘ってカトリックとプロテスタントが争った。ユグノー宗教戦争である。迫害されたユグノー(Huguenot)と呼ばれたプロテスタントの技術者が、フランスを逃れてスイスの西部地域などに移り住み、彼らが時計など精密機械工作技術を持ち込んできた。時計工場がジュネーブから北部のフランス国境沿いのジュラ山脈渓谷の町に集まっている理由のひとつである。

山間の貧しい国として、スイスの主な産業のひとつは傭兵であった。スイス人傭兵が敵味方に分かれて戦うことは珍しいことではなかった。よく知られているのはヴァチカン市国を護衛するスイス衛兵。サン・ピエトロ大聖堂ではミケランジェロがデザインした凛々しいユニフォ―ムを着た護衛するスイス衛兵に会える。

スイス傭兵

オーストリアと共に永世中立国の立場を堅持、EUにも加盟せず独自の貨幣スイスフランを流通させている。国連に加盟したのも今世紀になった2002年。世界でもトップクラスの所得水準を誇り、精密機械工業(時計、光学器械)のほか観光業、金融業(銀行、保険、証券)、化学薬品工業、電力業などが主たる産業だ。

標高1608メートルのツェルマットに着いた。長野県北アルプス(飛騨山脈)南部に位置する有名な山岳景勝地・上高地とほぼ同じ標高だ。ツェルマットにはガソリン自動車は乗り入れ禁止。街の手前でストップして歩くか電気自動車で街中まで行くことになる。サンモリッツやグリンデルヴァルドと違い、周囲を山に囲まれた細い谷に開けた村だ。南の方角奥まった高い所に三角錐の圧倒的な存在感のマッターホルン峰の姿が目に飛び込んできた。興奮を禁じ得ない。

ユースホステルは絶好の位置にあった。マッターホルンを見上げるのに前方に何の障害もない。運良くベッドが南側の窓のそばにあったお陰でベッドから三角錐がいつも眺められた。一泊千円以下の宿泊費でこれ以上の贅沢は望めない。ツェルマットには一週間滞在したが毎日飽きることなく眺めた。

マッターホーン

特に素晴らしかったのは、日の出の時間帯である。谷はまだ暗く闇に包まれている時刻、穂先に陽の光が当たり、雪もついた三角錐が上から下へと段々と黄金色に染められて行く。筆舌に尽くし難い、とはこういう超絶した美しさのことをいうのだろう。滞在期間中は毎朝見惚れていた。見上げる標高4478メートルの頂上までの標高差は2800メートル、上高地から望む奥穂高岳3190メートルと比べると1000メートル以上の差があり、迫力が違う。

経済的理由と歩くことが好きなので登山電車に乗らず、標高3130メートルの展望スポットであるゴルナーグラート(Gornergrat)まで歩く。標高2300メートル辺りが森林限界で次第に眺望が開けてくる。途中には写真でよく見る小さな池にマッターホルンの秀麗な姿を逆さまに映す有名な箇所で休憩した。当時は歩くスピードも速く田中陽希ばりに高度と距離を稼いでいたのではないか。標高差1500メートルを一気に登った。

魅力は何といっても眺望だ。ヨーロッパアルプス4000メートル峰の4分の3に当たる29座がツェルマット周辺に集まり、ゴルナーグラートを360度取り囲むように聳えている。まさに絶景だ。南西方面遠くにはアルプスの女王と呼ばれるヨーロッパ最高峰モンブラン(Mont Blanc)4810メートルの雪帽子も手が届いてしまいそうな距離に感じられる。すぐ南側にはゴルナー氷河を挟んでスイス最高峰モンテローザ(Monte Rosa)4634メートルが威風堂々とした山容で迫り、右(西)に目を移せば異なる姿のマッターホルン東壁がこちらを向いている。直線で7~8キロ近く離れていると思われる両峰の間に横たわる広大な氷河の斜面では、小さな豆粒のようにスキーをしている人達が見える。スキーをしたくなった。最近のアルプスの写真を観ると雪が圧倒的に少ない。50年前スキーをした初雪前の10月でも随分標高が低い、今では山肌が露出した山腹まで雪で覆われていて、積雪量も結構あった。地球温暖化の深刻さを突き付けられる。

ゴルナーグラートハイキングの翌日、道具一式、ロープウェイ、リフト代と想定外の結構な出費であったがスキーを楽しんだ。充分過ぎる価値があり元は取れた。服装はスキー用ではないが転ばなければ、それ程寒くない快晴のスキー日和で運にも恵まれた。Tバーに初めて乗った。両足でバーをまたがり腰掛けスキーは雪面を滑っていくリフトだ。苦戦したが慣れてきた。イタリア国境の峠3300メートルまで行ってマッターホルン東壁を左手、モンテローザを右手に見ながら氷河上の雪の斜面を滑った。マッターホルン峰はスイス・イタリア国境に聳えておりイタリア語ではチェルヴィーノ(Cervino)という。スキー斜面は国境稜線をまたいで両国側に広がっている。イタリア側の麓の町チェルヴィニア(Cervinia)までイタリア北部の都会ミラノやトリノからも遠くなく、イタリア人も多い。

レストランはイタリア側が経営する料理が圧倒的に美味しかった。多くの人がワインを飲みながら日光浴をする優雅なヨーロッパのスキー文化に触れた。旅の全行程中、最高に贅沢なレジャーとなった。山行トレッキングコースは幾つも用意されていて、滞在中方々のコースを歩き、ツェルマットを心ゆくまで満喫して、次はジュネーブに向う。

ツェルマットからは谷を下り、平坦な地域まで行って西に方向を変え、レマン湖北岸をドライブした(ヒッチハイクで)。対岸にはフランスのミネラルウォーターで知られる町エビアン(Evian)が望まれ、その後方にはモンブラン峰に連なるフランスアルプスの峰々が遠望できた。

Why does Japan have so few cases of COVID 19 ? (HPOB 菅井康二)

4/28に発表されたイェール大学の岩崎明子教授(免疫学)の「なぜ日本のCOVID-19の症例はこんなに少ないのか?」という論文をご紹介します。

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1.日本の文化は本質的に社会的距離を隔てるのに適しており、マスクの使用はウイルスの蔓延を防ぐ

2.毒性の強いSARS-CoV-2が蔓延する前に、日本人は穏やかなバージョンのSARS-CoV-2に曝されて免疫を獲得している人がいる(但し明確な証拠はない)

3.日本人は、ウイルスが細胞に侵入するレセプターであるACE2の感受性が低い可能性がある。

4.日本人は、SARS-CoV-2に対する免疫耐性を与える明確なHLA(ヒト白血球型抗原、免疫応答の中心的役割を担っている)を持ってる。

5.BCGの接種がCOVID-19に対する防御の役割を果たしている?

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2.は既に免疫を獲得していた人がいたという説ですが、これをバックアップするような仮説が京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授と、吉備国際大学(岡山県)の高橋淳教授らの研究グループが発表されています。新型コロナウイルスと言われているSARS-CoV-2にはS型、K型、G型という3種類の変異があり、この順番で発生したとしており、

1.S型:無症候性も多い弱毒ウイルス
2.K型: 無症候性〜軽症
3.G型:武漢発で現在のパンデミックを起こしているウイルス

日本を含めた東アジア、中国では沿岸部に殆ど無症状のK型が秘かに広まりこれに曝された人には免疫抗体ができ(勿論全員ではありませんが)、G型が入ってきても感染を防御する働きがあったのでは無いか?という仮説です。

 

 

“エール”の話ー慶応義塾メールマガジンから転載  (44 安田耕太郎)

現在放送中のNHK連続テレビ小説「エール」のモデルとなった小関裕而氏は生涯で5000曲もの作品を生み出した昭和の大作曲家です。歌謡曲、ドラマ・映画音楽・校歌など曲のジャンルは広く、「六甲おろし」(阪神タイガースの歌)、「栄冠は君に輝く」(高校野球選手権大会の歌)など、野球の応援歌も数多く手がけました。
 
アマチュア野球の最高峰とも云うべき早慶戦にも、古関氏の残した曲が受け継がれています。昭和初期、慶應野球部は「若き血」や「丘の上」とともに勢いにのり、六大学リーグで10戦全勝優勝を成し遂げるなど、向かうところ敵なしの黄金時代を迎えます。対する早稲田は、苦しい雰囲気をはねのけようと、知人のつてを頼って当時は無名の新人作曲家であった古関氏に新たな応援歌の作曲を依頼。こうして生まれた応援歌「紺碧の空」(1931年)は古関氏最初のヒット曲とも言われています。
(安田注:紺碧の空を作曲した時、古関は22歳。古関より2歳年下の藤山一郎は慶応幼稚舎、普通部を経て東京芸大進んだが、彼が普通部在籍当時、「若き血」が、紺碧の空に先立つこと4年前の1927年に作られた。早慶戦に向けて普通部に在籍中の藤山が大学生の歌唱指導にあたった。藤山は、上級生でも歌えない者に対してはしごいたため、早慶戦が終わった後、上級生に呼び出され、脅され殴られた、という武勇伝が残っている。藤山は音楽以外にもラグビー部にも所属して、普通部3・4年生の時には全国優勝を経験している。なお、ドラマでは藤山役は人気俳優の柿澤勇人が演じている。古関に応援歌作曲を依頼に行った早稲田大学応援部団長役を山口百恵の次男三浦貴大が演じている)。
 
戦争による中断を経て再開した直後、今度は慶應が「紺碧の空」対抗できる応援歌の制作を古関氏に依頼します。古関氏は自分が「紺碧の空」を作った手前躊躇するところもあったのか、早稲田の了解を作曲の条件としたそうです。
 
無事早稲田の了解も得られたことで、慶應の応援歌「我ぞ覇者」(1946年)が制作されました。
 
 野球だけではなく応援歌でも激しく競い合ってきた両校ですが、いの健闘をたたえ合う共通の応援歌も作られました。それが「早慶讃歌—花の早慶戦」(1968年)です。そしてこの曲も、早慶両校の応援歌を作った古関氏が作曲ました。この曲について古関氏は、「昔から早稲田と慶應とは互いにライバルであると同時に、良き友であります。この歌によって、それがなお一層深まることを望んでやみません」と語っています。

緊急事態解除後の行動について   (34 船曳孝彦)

緊急事態宣言が解除されました。これで新型コロナウィルス感染症を克服できたのでしょうか。WHOまでがJapan Miracle などと言ってくれていますが、正しくはAsia Miracle であって、まだまだ多数の感染者、死者の出ている国が多い中、西太平洋地域の各国は死亡率を抑えて峠を越えたようです。

日本のコロナ対策は正しかったのでしょうか。Oxfordからも、甘すぎたと指摘されています。パンデミックという事態を想定しきれず、水際で何とか抑え込めるという作戦で、感染者から二次感染者へと追いかけ、保健所・帰国者センターという関門一つに絞り込んで管理しようとしてきたのです。PCR検査を制限したのもそのためでしょう。感染が峠に差し掛かるようになって、やっと民間からの力でPCR検査を広げる方向に向かいましたが、Faxによる手計算で、官尊民卑のデータ扱いですので、正確な統一データとはなっていません。検査数という分母が分からないまま分子の数だけ発表されていますので、陽性率、死亡率も分からないままです。コロナか否か不明のまま死亡した人が、国家統計の肺炎・インフルエンザ死亡に加わっています(専門的には超過死亡)。

ともあれ、一応緊急事態は終了しました。今後の感染リスクをどのように考えるべきでしょうか。繰り返し発信してきましたように、PCR検査を受けるべくして受けなかった人がゴマンといる訳ですから、手洗い、うがい、3密を避けるなどの注意は当分守った方が良いと思われます。明るいニュースとしては、感染者からの感染力は発症から1週以内でなくなる(ゼロと言い切れないまでも)という報告も出てきました。何時かは感染しなくなるのは分かっていましたが、意外に早く感染者の体内で抗体が出来た(科学的症名はまだですが)と見てもよいかと思います。無症状ないし軽症感染者にも抗体が出来ますので、多くの人(およそ7~8割)が抗体を持った時、医学的には集団免疫と呼ばれる状態となり、ウィルス感染の終息を迎えることとなります。

そこへ第2波、第3波という問題が起こります。ウィルスは非常に突然変異を起こしやすい性格を持っています。新型コロナウィルスは、RNA分析で、すでに2000以上の型に変異していると言われています。大きく分けてアジア西太平洋型、ヨーロッパ型、アメリカ東海岸型、アメリカ西海岸型と四つに変異し、それぞれ感染力、悪性度が異なっており、日本はじめ西太平洋はこれで救われたと見ることもできます。すなわちヨーロッパで感染爆発した時がすでに第2波だったのかもしれません(科学者は誰もそういっていませんが)。通常、感染が収まって暫くしてから再感染ブームが起こるのを第2波と言っており、本疾患は肺炎ですから、秋、冬に襲って来るのではと心配されています。第2波が強い悪性度を持っていないことを祈り、体力をつけて立ち向かいましょう。その時はPCR検査を始め、国の対応が改まっていない限り、国際的な信用も失い、東京オリンピックも消えてしまうでしょう。

さて解除後のわれわれワンダラーの行動ですが、ハイキング、ゴルフ、サイクリングなどは大いにやりましょう。すし詰めの山小屋泊まりはお勧めしません。都県境制限は、私見としてはあまり意味のないことと思います。その他タウン生活は上記のような一般的注意を守って、良識ある行動をしましょう。

ついでながら、元教育者としていうならば、学校は可及的速やかに再開すべきです。高学年生徒はともかく、低学年生にオンライン授業で教育とは言えません。先生と接して初めて教育と言えます。さらに受験生は大変なハンディです。高校野球を始め、体育部の学生は可哀想に、生涯進むべき道すら変わってくる可能性大です。学校での集団感染の報告もないので一斉休校そのものが必要なかったと思いますし、休校によるデメリットが全く議論されていないのも不満です。大急ぎで失われた3か月半を取り戻すべきです。夏休み半減、土曜日授業、不足教員は定年退職者などで補えます。この際にと、9月入学制度への転換も議論されています。2、3月時点での議論なら可能性あったかもしれませんが、ものすごく多方面、膨大な問題点が待っていますので、拙速な判断は避けるべきでしょう。

さあ、爽やかな空気に触れて、元気をとり戻しましょう。

エーガ愛好会 (2) 西部劇だけがエーガじゃないよ!

(小泉)

 金藤泰子様からのメール拝見。ゲイルラッセルについて、インターネットからでしょうか、詳しく紹介いただき有難うございます。拳銃無宿のポスターやらポートレートやら数え切れぬほどあるのですね。拳銃無宿と言えば、スティーヴマックイーンが賞金稼ぎで活躍するTVドラマのこと、映画の方、よくぞ見つけてくれました。それにしても、便利な世の中になったものです(中略)。「昔の映画をビデオで見れば(1990年刊)を今再見しているのですが、発刊当時映画は一回見ればいい、一本勝負の観た映画は生涯忘れないという気持ちから、ビデオの出現がそれを変えた時代だった。今そのビデオもDVDになり、YouTubeになった時代へと変化してきました。映画も封切り後、時間さえ経てば、いつでも見られる時代に変化してきました。 Gisan同様に、過去の映画を推薦するとすれば、何が良いだろう?

あまた数ある中で、英国映画「逢びき」。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が全編に溢れるように流れている映画。この映画を推薦したいです。平凡な中流家庭の人妻のつかの間の初めての禁断の恋。不倫の誘惑への葛藤が、この曲とともに進行する。この映画以降、この曲は勿論、ラフマニノフの作品の虜になってしまったのでした。その後マリリンモンローの「七年目の浮気」、ジョーンフォンティーンの「旅愁」、エリザベステイラーの「ラプソディー」や最近の「のだめカンタービレ」等に、この第2番が登場するが、何れもピアニストが演奏しての場面、この映画では人妻の初めて知っただろう心中の激しい葛藤が、この曲と共に展開するのでした。若しご覧になっていたとしても、このコロナの時期ですし、小生もラフマニノフを聴く積りで、観たくなりました。

(金藤)

「逢引き」という映画 題名は聞いた事はありますが 観ていません。“ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が全編に溢れるように流れている”と言う文章に心惹かれます。 ぜひ、観てみようと思います。
ラフマニノフの曲はフィギュアスケートでもよく使われていますね
他の曲だったと思いますが、パトリック・チャン 安藤美姫等が
ラフマニノフの調べに乗って滑っていたような気がします。

(菅原)貴兄の「西部劇、というだけでそっぽを向く人が多いのもよく知っている。・・・」と言う発言に触発されて、日頃、考えていることを以下に纏めてみた(またもや、小泉先輩にこっぴどくやっつけられることに戦々恐々としている)。

日本人はクソ真面目なことが大好きだ。いや、大好きと言うより、神の如く崇め奉っている。江戸時代の日本人もそうだったのだろうか。でも、落語で代表されるように、そうでなかった可能性が極めて高かったのではないか。何故、クソ真面目になったのかは、明治時代に日本に来たお雇い外国人、特にドイツ人の生き方の影響が多大にあったとのではないかと推測する。勿論、その対象が日本の教養階級であったことは言うまでもない。

今現在、例えば、文学では、直木賞より芥川賞の方が上と見られているし(一平/二太郎が直木賞の受賞者だったように、面白さでは、芥川賞は直木賞の足元にも及ばない。しかし、最近は、直木賞であっても食指をそそられる作品は余りないようだ)、音楽では、中でもオペラでは、「セビリアの理髪師」のG.ロッシーニよりも、「ニーベルンクの指輪」のR.ワググナーの方が上と見られているなど(一方はノー天気であり、もう一方は深遠そのもの)、クソ真面目が上である例は枚挙にいとまがない。

エイガも同じであって、ヨーロッパ、特におフランスのエイガに較べ、西部劇は活動写真と蔑み、一顧だにしない風潮があるのも事実だろう。人生いかに生きるべきか、が主題であるべきであると言う妄想があるからに他ならない(西部劇にも、友情あり、愛情あり、など人生いかに生きるかがちりばめられているかには気づいていないんでしょうね)。

1950年台10年間のキネマ旬報(以下、キネ旬と省略)のベスト10を見ると、初めてベスト10に入った西部劇は1953年7位の「シェイン」であり、あとは1958年1位になった「大いなる西部」のたったの2本に過ぎない(1957年9位の「友情ある説得」は西部劇じゃないと思う)。「黄色いリボン」「赤い河」も全く出てこない。当時のキネ旬が明らかにヨーロッパ、特に、おフランス映画に傾斜していたのは紛れもない事実だ(蛇足だが、左にも大きく傾いていた)。

しかし、良く考えてみると、クソ真面目を崇め奉っている人は、不幸とも言えるだろう。面白い、楽しいことをやせ我慢している面もありそうだからだ。面白いことを面白いと言い、楽しいことを楽しいと言う人生は何と素晴らしいことか!

(小泉) 昨日、KOBUKI(41年卒久米行子)さんから、アマゾンプライスというもので、「旅愁」を懐かしく観て、ラフマニノフの第2番が流れてました・・・のメールを頂戴しました。金藤さんに先日「逢いびき」を推薦いたしましたが、この「旅愁」も推薦したくなりました。ジョーン・フォーンティーンが美しいピアニスト、妻ジェシカ・タンディと息子のいる実業家ジョセフ・コットンが乗り合わせた飛行機が急遽イタリアに降りたっての不倫。こちらはラフマニノフに、セプテンバーソングがからみ、観光も楽しめるという映画でした。

(安田)過去の映画となった旧作を観る基準は、誰でも知っている名画、映画監督作品を辿る、俳優を追うなどでしょうか。

例えば、キャロル・リードの名作「第三の男」の準主役とも云うべきジョセフ・コットンが気になり、彼の出演映画を観ました。「市民ケーン」「疑惑の影」「ガス燈」「ジェニイの肖像」「旅愁」「ナイアガラ」などです。当然、共演のオーソン・ウエルズ、テレサ・ライト、イングリッド・バーグマン、ジェニファー・ジョーンズ、ジョーン・フォンティン、マリリン・モンローの作品にも興味を持ち、彼等彼女等の出演映画を観ることになります。また、演出した監督、例えば、「疑惑の影」のアルフレッド・ヒッチコック、「ガス燈」のジョージ・キューカーの映画を探して観ます。この様に出演俳優、演出の監督作品が絡み合って気が付けば104もの映画を観ていました(編集子注:このリストは長すぎるので残念ながら掲載していない)。

(小泉)安田さん、一つの映画のことから、無数の映画への発展!記憶力とジャンルの知識がなければとても書けないでしょう。

 菅原さん、映画から音楽へ。チェリビダッケのブラームスとは、相当の音楽通です。映画通としては、ブラームスはお好き?「さよならをもう一度」を思い出します。

写真提供:安田

(中司)フランス映画ってのは、望郷、太陽、恐怖、禁じられた遊び、太陽、ジャン・ギャバンやドロンのノワールものもフランス映画なら、あと5-6本見てるかなあ。あまり、見てない、というのが正直なところ。ところで、今、D-day (ノルマンディ上陸)秘話の Double Cross というのを、本当は連休までに読了の予定がまだ半分くらい、200ページまでしか終わってないが読んでる。その中に、ダブルスパイを支援したフランス女優として Simone Simon という名前が出てくる。なんか、関係あるかなあ。

(後藤)シモーヌ・シモンは清純派の女優で戦後の比較的早い時期に日本にも来たことがあります。箱根の温泉旅館で浴室で素っ裸になって(外人は当然ですから)洗い場で小便までやった事から大騒ぎになった話は有名です。シモーヌ・シニョレイほどの大物ではなかったと記憶していますがどの映画に出ていたか覚えていません。

(編集子)妙なエピソードが出てきたところで、今回はこのあたりで。