”時代劇チャンネル” 読みました  (大学クラスメート 飯田武昭)

「時代劇チャンネルを見て思うこと」を読ませてもらいました。

私も400年に亘る江戸時代の泰平から育った江戸文化が今日の日本人の芸術文化娯楽の基本にある気がするし、貴兄の感じておられる傑出した英君(ローマ帝国の皇帝アウグストス、ハプスブルグ家、徳川幕府など)が国を統治してくれる時代がもし来たら、それは大変良い時代が来る気がしますが、問題は人間(日本人に限らず)が、一度、他の文化、進化した文明を知ってしまい、知識や情報を得てしまうと、それ以前には意識が戻らないと思う点です。

コンピューター時代の急速な技術進歩や世界中の情報が瞬時に伝わる現代。確かに日本人に限っても、封建制度の江戸時代と文明開化後の明治以降と太平洋戦争後の民主国家と考えると、人民の幸福度は江戸時代の方が現在より上かも知れないと私もいつも思います。

但し、現在の方がハッキリと良くなっていると思われる点は平均寿命が80歳を超えている点などです。江戸時代は平均寿命が20歳~30歳若かったとなると今でも人生は短か過ぎると思っている私などはもっと短かったら何も楽しめないと、詰まらぬ雑念に惑わされてしまいます。

貴兄の提起されたテーマは確かに議論に値する面白いと思います。又、集まれる時が来たら御高説を拝聴しながら色々な意見を交換したいものです。

(編集子)江戸、ということで、ずいぶん以前、月いち高尾仲間の高橋良子から、”一度読んでみなさいよ”といわれたまま 積ん読 になっていた、三流の維新一流の江戸 という本をやっと読んだ。原田伊織 という人の名前だけはなんとなく知っていたが、読んだのは初めてで、後半に詳しく書かれている 江戸文化 全般の紹介で新たな眼が開かれたような気持ちになった。聞くところでは原田氏の明治維新三部作、なるものがあるとのことで、通読してみる気になった。原田氏が国民的な支持を受けている一般的維新論に対するアンチテーゼとして挙げている 坂の上の雲 の愛読者である小生には、昨今の流行語でいえば 相当深い 正当性バイアス がかかっているので、どこまで原田理論に納得するか、スリリングな期待を持っている。

エーガ愛好会 (56) 2001年 宇宙の旅 (44 安田耕太郎)

先日、松島菜々子がナビゲーターを務めるNHKの1時間番組アナザーストーリーズ「 “2001年宇宙の旅”  未来への扉は開かれた」を観た。私たちが気になるあの事件の裏には、かならず、もう一つの物語がある、とのうたい文句で、SF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」をとりあげた。

AI(人口知能HALと命名)の暴走、人工冬眠、地球外生命との接触・・・・・半世紀前、まだ人類が月に到達する前になぜ未来を予見できたのか?そして不思議な、或いは難解なエンディングの意味するところは?鬼才スタンリー・キューブリックと共同原作者のイギリス人SF小説の巨匠アーサー・C.クラークの二人の天才(奇人・変人・狂人でもある)が思い描いた夢と衝突の真相が番組では明らかになる。共同作業を始めた時、キューブリック36歳、「恐るべき子供」とクラークに称され、クラーク47歳は仲間から「うぬぼれ屋」とあだ名されていた。

「宇宙は無限に広がっているのに人類が唯一の知性を持った生命だと考えるのは傲慢で寂しいことだ」と考える二人は、地球外生命の存在に対する好奇心を共有し、奇跡の共同作業をすることになったが、それは挑戦と衝突の共同作業であった。1977年「未知との遭遇」を作ったスティーブン・スティルバーグは、「2001年宇宙の旅」は初めて人々を宇宙へ連れて行った映画だと絶賛した。

番組では今日では当たり前のコンピューター・グラフィクスの無い時代の映像化と美術創作の創造性と斬新さには目を見張った。未知の存在である宇宙人をどう表現するかは激論の対象となった難問であった。結論は宇宙人そのものを登場させる代わりに彼らが創った遺物「モノリス」をみせ、映画を観る人々の想像に任せることとなった。

生存する出演者たち、映画製作に携わった技術者たちのインタービューを交え、キューブリックの妥協を許さない徹底した完璧主義に翻弄された映画製作現場の状況があぶり出されていた。クラークはSF小説家らしく小説と同じように説明して描いて未知なる世界を描こうとするのに対して、キューブリックは説明を省き映像で観る人々の想像に委ねる方法を採用する。両者の意見が異なり、衝突して映画製作は終わるがキューブリックの路線で完結したのは勿論であった。

50年を経て現実がようやく映画の追いついた今、人類の未知なる旅は続いている。「2001年宇宙の旅」に触発されて惑星科学者になり、現在、研究陣の中枢を担っている人たちが沢山いる。彼らは異口同音に言います、「未知なる新世界を初めて見る時の気持ちに勝るものはありません」、と。

ー2015年、太陽系で地球から最も遠い位置に存在する冥王星に近づいた探索機がその星の地表の写真を撮って送るという人類初めての快挙を成し遂げた。冥王星は地球から39億Km(地球の直径の37万倍)離れていて、探索機は近づくのに9年かかる遠距離に位置する。彼らは撮られた写真に写る地形にキューブリックとクラークの名前を付ける。「2001年宇宙の旅」がもたらした影響が今なお続いており、今後も引き続いていくことだろう。

 

白馬で滑ってきました! (39 三嶋睦夫)

10日ほど前に西澤さん、堀川さんと 白馬に行ってきました。
八方は上級者向けコースを再認識し、午後のべたべた雪には大変苦労しましたよ。自粛疲れのなか? 白馬の写真でも眺めて頂ければ・・・・・と思い添付します。(このメールは ニポポにご一緒した事がある方に入れています)
下記情報は ご参考までにご覧ください。
1。白馬の人出
例年の半分以下です。(最近増えていた)外人が来れないのが、響いているようです。 スキー場、リフトなどは空いていて 我々は助かりますが・・・・・関係者は大変です。
雨飾遠望
2。 白馬マウンテンハーバー
2.3年前に 岩岳(≒1300m)の頂上に出来た 展望台・軽食レストランです。目の前の白馬3山を始め 180度の大展望は 山好きには堪えられません。素晴らしい眺めです! ゴンドラからすぐ近くですから、白馬方面へお出かけの時は 是非立寄られることをお勧めします。
マウンテンハーバーからの豪華な展望
不帰、唐松方面の眺め

(堀川)このコロナ禍の中、3月10日から同期の西澤昌幸さんと三嶋さんの3人で白馬にスキーに行ってきました。

丸丸一年ぶりのゲレンデスキー、しかも、無風快晴の最高の天気でやや雪が重いのが気にはなりましたが、まずは文句のない素晴らしいスキー日和でした。初日は午後から、2日目は終日ともにブルースカイ、3日目も青空こそならなったけど高曇りで景色観賞に何ら差し支え無しでした。おかげ様でよく滑りました。オーバーワークがたたったのでしょうか、帰宅した翌日に軽いぎっくり腰になってしましました。歳だなあ~と嘆いています。

(武鑓)白馬、天気最高ですね。

小生は先月初めに一人で尾瀬岩鞍へ日帰りで行ってきました。毎年1~2回はやってきたのですが今シーズンは出来ないと諦めていたところネットでスキーバスが出ているのを見つけ、空いてたので直前に申込み行ってきました。
バスは40数人乗っており蜜でコロナ感染が怖かったですが、尾瀬岩鞍スキー場はゴンドラもあってあまり厳しく
ない長いコースもあって楽しめました。空いていたのでリフト、ゴンドラも全て一人乗りでした。
特筆すべきは、ツアー料金が往復バス代に一日リフト券とワンドリンク、入浴割引券まで付いて5,100円で
格安でした。どうやって利益出しているのか業界関係者の客集めの苦労がうかがえました。

 

エーガ愛好会 (55) フレッド・アステアのこと (34 小泉幾多郎)

3月15日‾17日9時からBSPで、フレッド・アステアの映画「足ながおじさん1955」「バンドワゴン1953」「イースターパレード1948」が連続放映された。
「踊る大紐育1948」「巴里のアメリカ人1951」 「雨に唄えば1952」等MGMが同じ製作者アーサー・フリード、主演ジーン・ケリーで、歌と踊りの豪華版が製作された頃。1930年代ジンジャー・ロジャースと共に、ミュージカル黄金期を築いたフレッド・アステアは、「ブルー・スカイ1946」を名残に引退表明していたが、カムバックを果たし、その後ジーン・ケリーに劣らぬ活躍を果たす糸口となったと言える三作だった。

 「イースターパレード Easter Parade 1948」
ジーン・ケリー主演で撮影スタートしたが、ケリーが足首を骨折したことで、引退宣言をしていたフレッド・アステアに交代となり、監督もヴィンセント・ミネリが、当時の妻ジュディ・ガーランドとの個人的問題でチャールズ・ウオルターズに代わったといわくつきの作品。

物語は、アステアの以前からのパートナーであるアン・ミラーが、フォリーズに移籍してしまい、相手役に、新人ジュディ・ガーランドを発掘、訓練しながらのイースターの前日から翌年のイースターまでのショービジネスの物語。この間、アーヴィング・バーリンの17曲が歌と踊りで画面を彩る。どれも素晴らしいが、矢張り舞台上での歌やダンスが印象に残る。まずは、前相手役のアン・ミラーはタップダンスの名手と言われるだけあって、黒と黄色の衣装でShakingTheBluesAwayに乗って踊りまくる目の覚めるようなタップダンス。アステアの踊りでは、バックグラウンド・コーラスが普通の速さで踊る中で、スローモーションで、ステッキを持って見せる躍動感溢れる踊りSteppingOutWithMyBaby。

アステアとジュディが、みすぼらしい浮浪者に扮して気取って踊るA Couple of Swellsが圧巻で最後を締める。新カップルによる成功を祝うパーティでの旧カップルによるItOnlyHappensWhenIDanceWithYouの踊りもあり、アステアとジュディが、EasterParadeを唄いながらパレードするところで終演。
ジョニー・グリーンがアカデミーミュージカル音楽賞受賞。

 「バンドワゴン The Band Wagon 1953」
競売場で過去には有名だった音楽映画スターのトニー・ハンター(フレッド・アステア扮する)が過去愛用のトップハットとステッキが5ドルから売り出すもダダでも買い手がつかない。その後ニューヨーク行きの列車でも二人の乗客にくさらされ、到着の駅では新聞記者が大勢で、大歓迎かと思いきや、エヴァ・ガードナー(特別出演)への出迎えだった。駅での黒人の靴磨きを相手に踊るシーン
AShineOnYourShoesから始まる。アステアの相手役は純バレエ畑のシド・チャリシーが選ばれ、当初肌が合わないとか背丈が合わないとか、いざこざがあったものの、セントラルパークでのDancing in theDarkでハーモニーを生み出す。アステアは、二人のブロードウエイ作家ナネット・ファブレイとオスカー・レヴァントのミュージカルコメディで再起を図るが、ジャック・ブキャナン演出のファウスト芸術的現代版が大失敗。

若い座員たちとレヴァントのピアノ伴奏で、I Love Louisa等を唄い、内容を
変えて、ブロードウエイでの成功を勝ち取るべく地方巡業へ。ピアニスト レヴァントのピアノはこの伴奏のみ。何か弾いてもらいたかった。フィラデルフィア、ボストン、ワシントン、ボルティモアと巡業。巡業先毎に、ショウの舞台が紹介される。作曲はアーサー・シュワルツ。

フィラデルフィアではチャリシーが唄い踊るNewSun in theSky。ボストンではアステアとブキャナンが正装で踊るI Guess I’ll Have to ChangeMyPlan。ワシントンではファブレイがコーラスをバックに唄うLouisianaHayRide。そしてボルティモアではアステア、ファブレイ、ブキャナンがベビー服で膝をついて踊るTripletsでブロードウエイ凱旋となる。TheGirlHunt はアステアとチャリシーによる最大の呼び物、ミッキー・スピレーンの探偵小説のパロディ化した場面が進行、マイケル・キッドの振り付けはメカニックでシャープ。新しいショウは成功し再出発となった。

 「足ながおじさん Daddy Long Legs 1955」
ジーン・ウエブスター原作の映画化は、1919年と1931年と二度あったが、これはジーン・ネグレスコ監督によるミュージカル。ミュージカル音楽賞にアルフレッド・ニューマン、歌曲賞にジョニー・マーサー、美術監督賞にライル・ウイラー他3名がアカデミー賞の候補に上ったが受賞はならず。

フレッド・アステアとレスリー・キャロン主演。レスリーが、想像して踊るパリ、香港、リオを背景としたモダン・バレーの振付けはロラン・プティ。金持ちの実業家が毎月手紙を書くことを条件に、孤児の少女の後見人となり、大学進学のために奨学金を授ける物語。アステア扮する富豪ジャーヴィス・ペンドルトン三世は、ジャズ狂の伊達男、冒頭から自宅でドラムを叩く、History of the Beat。主題歌はDreamを含め10曲。主たるナンバーは、大学のダンスパーティでのSluefootでアステアの華麗な足さばき。レスリーをニューヨーク見物に招待し、テラスで踊るSomethings GottaGive。Dreamは二人が高層ビルから下界を眺めるシーンとラストのダンスシーン。

撮影時、アステアは当時46歳の愛妻フィリスを病気で亡くしたが、周囲に励まされ、降板せず、役者として当たり前とはいえ、画面では、そんなことは何ら感じさせない。

ワクチン接種前-PCR検査の実情について   (普通部OB 篠原幸人)

(編集子)普通部時代の友人、篠原幸人ドクターから同期仲間に送られている随想メールの一部をご紹介する。医学専門家からみたワクチン接種の実情を参考に今後の健康管理を心掛けたい。ドクター、毎々のご感想ご指導、感謝。

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 前回、ワクチン接種の経験談を書きました。それを読んでやはりワクチンを受ける気になったという嬉しい便りも頂きました。但し、ワクチンは2回接種が原則ですし、初回接種後2週間ぐらいまでは効果を発揮できないと言われています。接種したからとその翌日から夜の街に行くなんてことはやめてください。active 高齢者とは今は誉め言葉ではないですよ。

私も喉のイガイガ、軽い咳などあり、5日目には何と37.0℃と軽い発熱。体温はコロナの診断標準には達してないが、患者さんに接する身だしね。私から他人にうつすわけには絶対にいかない。発熱は2日で下がったけれど、友人とあったのはワクチンを打つ前だし、念のため外来患者さんの予約を全て一週ずらし、自分のPCR検査を施行しました。

このPCR検査は最近は唾液を使ってやる施設が多いが、私が受けた東海大学東京病院ではより正確を期して鼻腔から検体を採取する。抗原検査とPCRの両方のために左右2回づつ、合計4回も綿棒をこれ以上奥までは突っ込めないだろうというほど鼻の奥深くまで挿入され、かき回された。抗原検査は1時間ぐらい待てば院内で結果が出る。イライラしながら待っていると「先生、陰性でした」との連絡。これで第1関門は通過。しかしこの抗原検査は良くて70%ぐらいの確率。本当のコロナ遺伝子検索であるPCRのためには、遺伝子を増やして調べるので丸1日かかる。帰宅して、眠れない?夜を過ごす。本当はグッスリ寝たが、翌朝の血圧は普段より20mmHgほど上がっていた。俺も気が小さいね。

陽性なら2週間休養できて嬉しいが、それでは外来患者さんや関係者に大変な迷惑がかかる。翌日15時まで待っても病院から連絡なし。16時半ごろやっと「先生、PCRも陰性です」との電話。正直、自分では大丈夫とは思っていたが、スケジュールを大幅に崩さなくていいと分かって本当にホッとした。

皆さんも一寸でもおかしいと思ったら、PCR検査を受けてください。検査は長くても2-3時間で済みます。心配して結果を待つのが苦痛だけどね。鼻腔で検査したくなかったら口腔内でとお願いすることも可能です。病院によっては、くしゃみされると困るからと、最初から唾液でやることもありますね。これでワクチンも、PCR検査も自己の経験談を話しました。コロナで入院するよりずっと楽だと思います。皆さんもそんな状況に陥ったら、恐れず挑戦してください。

 

コロナ禍の消化法―オーディオファンの皆様へ  (44安田耕太郎)

マニアではないがコロナ禍で自宅にいて、映画に加えて、音楽を聴く機会が増えました。 再生音楽をオーディオシステムで聴く時、音の ダイナミクス(dynamics)やダイナミックレンジ(dynamic range) という表現を耳にします。
音楽の作曲や演奏における「ダイナミクス」と云うのは、象徴的なものとして「pp(ピアニッシモ、とても弱く)」「mf(メゾフォルテ、少し強く)」、「f(フォルテ、強く)」のような強弱記号で表される、音楽または音色表現の強弱を示す場合があります。

生演奏でない再生音楽をオーディオシステムで聴く場合、スピーカーのダイナミクスが優れていると、より生の音に近く聴こえると云われます。音の「ダイナミクス」とは動的なリニアリティ(linearity 直線性)と置き換えてもいいかもしれません。スピーカーからどれだけ大きな音を出せるかということではなく、瞬間的に出さなければならない音を、どこまで瞬時に発することが出来るかということです。要は瞬時のトランジェントの(transient、一時的な)スピード感です。

分かりやすい例を挙げれば、隣の部屋で演奏される実際のピアノの音とオーディオシステムから発せられるピアノの音とでは、どちらが生の音かは見えなくても聴けばすぐに判断できる。音色の違いも識別する要因ですが、それは周波数特性と音量がまったく同じだとしても、音のエネルギーが発せられる(burst)ときのスピードが異なるからです。生のピアノの方が圧倒的に早く迫力があります。それが両者の音の存在感を決定的に違うものとしている理由です。楽器がヴァイオリンの場合も結果は同じです。電気信号を音に変換するオーディオシステムでは、このダイナミクスをいかに上げて生の音に近づけるかは難しい物理的課題或いは限界です。

オーディオにおける「ダイナミック・レンジ」は、録音再生できる最小と最大の音の比率、幅を表す尺度。大雑把には「ダイナミック・レンジ(音量の大小)」はダイナミクス(音楽表現の強弱)を構成する一つの要素である」と言い換えることもできし、ダイナミック・レンジの小さいオーディオ・システムでは大編成のオーケストラ演奏曲を生に近い迫力で聴くのは不可能です。

ダイナミック・レンジを表す単位、最小音量と最大音量の関係を示す比率(倍率)をデシベル(dB)といいます。デシベルは対数(通常logと表記)なので、単位数が大きくなるにつれても比率は比例しません。

デシベルと音量の関係をあらわす目安をあげてみます。

120dB    飛行機のエンジンの近く
110dB    建設現場のリベット打ち
100dB   電車が通るガード下
90dB     大声による独唱
80dB     地下鉄の車内(窓を開けた)
70dB     騒々しい事務所
60dB     普通の会話
50dB     都会の住宅地
30dB     静かな住宅地

電車が通るガード下(100dB)は普通の会話の音(60dB)の100倍、飛行機のエンジン音は1,000倍の大きさ(6dBの差で2倍、10dBで3倍、20dBで10倍)の大きさ、窓が開いた地下鉄車内は普通の会話の10倍の音の大きさだ。

市販のオーディオ・スピーカーのダイナミック・レンジは80dB〜100dBくらい。ベートーベンの交響曲第5番「運命」、ワグナーの「ワルキューレの騎行」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」などのダイナミックレンジの大きな曲は、90dB以上あるオーディオ・システムで余裕を持って聴きたいものです。

「オーディオは生演奏には絶対かなわない」というような表現をよく耳にします。オーディオと生演奏は、両方の魅力、そしてお互いの一長一短があるはずだと思います。オーディオをコンサートの代替でなく楽しんでいる粋人を何人も知っていますが、 一級のオーディオ製品は、技術(technology )と芸術(art)が最高点で融合する時に産まれるといわれます。技術は音響学的・電気的・機械的面を総合する製品作りをさし、オーディオにおける芸術性は、個性的で魅力的な音創り面と工業製品としてデザイン面に表現されることになります。先に述べた「ダイナミクス」を向上させる目的は製品開発の最重要課題の一つです。

自分の好みに合ったオーディオは生演奏とは全く異なる音楽の悦びを与えてくれそれ自体が独立した存在ともなり得ます。自分の愛機 (眺めるのも愉しい) からいかに素晴らしいサウンドを作り上げ、再生で聴く音楽というのは、コンサートで味わう音楽とは別世界。比較する対象でない別物だとも云われるし、オーディオで再生音楽を楽しむ達人を「レコード演奏家」と言ったりもするほどです。

生演奏の1番の魅力というのは、大音量、ダイナミックレンジの広さ(再生空間の広さ)、音場に包まれる空気感といったものでしょう。また、そのとき、その場所にいて、その感動を得るというリアリズムが堪らなく魅力的なので、こればかりは一般家庭のリスニングルームでは敵わない永遠の壁でもあります。 一方で生演奏は、座席による音響のムラがあるし、また演奏者の出来不出来によるムラもあります。ダイナミックな迫力はあるのだけれど、結構雑というか不出来の時の生演奏ほど落胆するものはない。その点オーディオは、当たり外れがなく常にベストの演奏、音響を時を選ばずして聴けるので、 生演奏は生演奏。オーディオはオーディオというように楽しみ方を割り切るのが賢明だと思います。

そういう意味でも、生演奏とオーディオは持ちつ持たれつだし、楽しみ方はそれぞれ違うところにある、と思っているので、一概に、「オーディオは生演奏には絶対敵わない」などと言うつもりはありません。1980年代以降の「重厚長大から軽薄短小」と「アナログからデジタル」の波に呑み込まれて久しいオーディオ業界は、往時1970〜80年代の熱気はもはや無く、ヘッドフォンやイヤフォンで音楽を聴く風潮を憂えています。昨今、自ら楽器を弾き、歌うDIYに勝る楽しみ方はないとつくづく思います。DIYできない人の戯言ですが。

(菅原) 小生、難しいことはサッパリ分かりませんが、若かりし頃は、例えば、五味康祐の「西方の音」などを熟読して、高級な 音響装置に憧れたものです。例えば、タンノイとかワーフデイルのスピーカーなど。しかし、一介の会社員が贖える価格ではなく、結局、身の丈に合った装置に落ち着きました。それに、どう足掻いても「生は缶詰に優る」からです。生より美味い缶詰はあるんでしょうか?
現在は、パソコンにイヤフォンを付けて聴いてる体たらくで、かなり堕落した音響環境です。共同住宅住まいでは、致し方ありませんが。と言うわけで、缶詰も乙なもんだと楽しんでいる次第です。

(安田)五味康祐はギョーカイでは有名なオーディオ評論の巨人でした。僕も彼の著書を愛読しました(写真貼付)。泰斗ぶりは半端ない達人でした。剣豪小説家らしく、製品や演奏を首斬り山田浅右衛門の如く、小気味良くぶった斬っていました。タンノイ、ワーフデール共にイギリスの名門スピーカー。タンノイは僕が勤めた会社が一時期子会社として傘下に所有していて、五味も愛用していました。工場はスコットランド・エジンバラ近くにあって現役時代訪問したことがあります。クラシック音楽向き、特に弦楽器が素晴らしいスピーカーです。

(編集子)筆者は著名スピーカーメーカーの勤務が長く、製品や業界情報に詳しい存在。世の中には (今さら聞くに聞けないし)、という、人間のミエが沢山ある。デシベル、という言葉をもう一度、理解しなおしてみようか。編集子には生演奏の出来不出来、を聞き分ける能力は全くないから、(今日のピアノはどうだった?)などという話題にはくわわれない。これは(聞くに聞けない)レベルではないと思うんだが、(聞ける)人って結構いるんだろうなあ。

時代劇チャンネルを見て思うこと

テレビ放送の初期、ほぼ毎日何か連続ドラマを見るのが当たり前だった。拳銃無宿、ライフルマン、サンセット77、ララミー牧場にペイトンプレース、8時になればジャイアンツ戦、と夕食後の時間の使い方はテレビ次第だった期間があったが、昨今は全盛のバラエティ・お笑いものには全く無縁でニュースとミステリチャネルくらいしか見向きもしてこなかった。それを此処へ来てそのパターンを変えた。コロナ騒動の影響でテレビを見る時間が増えたのが直接の理由であるが、時代劇専門チャネル(502)で夕食前に放映される 大岡越前 と 遠山の金さん という2本を見ることにしたのである。

周知のように主人公二人とも実在の人物ではあるが、ふたつの作品は徹底した娯楽ドラマであって、史実に忠実であろうとする大河ドラマのように厳密な時代考証があるわけではないし、この二人が活躍した時代にはほぼ100年の違いがあるのだが、街並みのセットも登場人物の風体や振る舞いも全く違わない、時代劇東映 のスタジオ作品である。町奉行ともなれば街へ出るには駕籠を使うような待遇だったというが金さんは毎日遊び人暮らしだし、越前は深編笠こそかぶってはいるがひとりで居酒屋へ現れる始末、うるさいことを言えばきりがないのだが、そういうことよりも背景に描かれる江戸の街、江戸市井の人々の描写が実にいいのである。グーグルによれば、どういう理由だったのか知らないが遠山は北町奉行を2度、勤めている。もしかして一度退任後、超豪華接待で後任者が辞職してその後の整理のため…..等でもあったのかもしれない。大岡はドラマでは山口崇が扮する八代将軍吉宗の、遠山は家斉、家慶の治世の人物である。

金さん のほうは徹底して自ら修羅場に登場するマッチョの勧善懲悪、白洲では言い逃れをする犯人に最後に自らが肌脱ぎになって “てめえら、この桜に見覚えがねえってのか?” というセリフが出なければ終わらない、徹底したワンパターンものである。越前 のほうは題材が必ずしも勧善懲悪パターンだけではなく、人情ものもあれば当時の街中の人々に溶け込んだ話が結構たくさんあって、白洲でのいわゆる越前裁き、そのものがどうなるか、最後まで決着がわからないという仕掛けである。金さんの役は小生が見るようになってからでも、松方弘樹、杉良太郎、そのほかあり(まだ見る機会がないが、橋幸夫版もある)、いま再放送のシリーズでは高橋英樹と変わってきたが、なんといっても松方金さんが一番よかった。生まれつき持っていたのだろうが無頼性というか不良性というか、それがよかった。ほかの配役、特にいまの高橋英樹は上品すぎるというか甘すぎる感じがする。引き換え、越前の加藤剛は徹底して格式高いサムライを演じているが、夫人雪絵役の宇津宮雅代、こんな魅力ある女優がいたのかと今頃感激する。渋い大坂士郎にコメディ調で常連の高橋元太郎に松山英太郎、時々登場する片岡千恵蔵などなど、何 よりも脇役陣が楽しい。

ところで、ここでエーガ愛好会の話をするのが本稿の目的ではない。言いたいのは、この二つのドラマをみて感じる、史実でいえばほぼ百年続いているはずの、江戸 のすばらしさである。大岡の私邸の豪華さにくらべて町人の家なみや長屋の貧弱さ、多くのストーリーで悪役をつとめる豪商たちの生活、浪人たちの困窮、大岡夫人が口を開けば下働きの少女にさとす ”おなごは殿方のなさることに口を出すものではありませんよ“ というせりふ、すべて現代われわれが何かといえば話題にする階級社会だとか格差だとか男尊女卑だとか、それだけとりだせば(今の眼で見れば)問題だらけの社会のはずなのだが、そこに生きている人たちの生き生きとした振る舞いや人情の通い合いとか、そういうことがらのことである。

僕らが教わってきた歴史によれば、このような春風駘蕩の世の中が外国列強からの脅迫により体制の変革を要求されて、いわゆる明治維新に至り、その結果、列強に伍することのできる近代国家ができたのだ、ということになっている。その感覚というか、司馬史観というのか、それをもっとも明確に書いたのが 坂の上の雲 で、白状すれば、僕は徹底した司馬ファンであり、江戸から東京への変革についてもこの小説の描いたものを信じる、といえば少し変だが、維新によってこの国はより素晴らしいものになったのだ、と思い込んでいた。しかしこの2本のテレビプログラムの背景をなす(どこまで考証されたものか、は別問題として) 江戸 の街を見て、昨今、いろんなシーンで議論される 日本は先進国ではなくなった(なりつつある)という議論を疑うようになった。別の言い方をすれば、”先進国“ とは何を言うのか、という疑問でもある。ヨーロッパの国々の成熟度(この定義そのものにも疑問はあるのだが)を示す、経済、社会、政治、いろいろな分野で彼らが作ってきたものをいうのか。つまり彼らの作ってきた民主主義国家が 進んでいて、日本は遅れている というというのか。

先般、本稿で少し書いたが、第二次大戦後の混乱は別として、国家として再建されて以後、日本の若者はひとりたりとも戦争で死んでいない。領土の争いとか資源の取り合いとか極めて明白な理由ならばまだ理解する余地はあるが、宗教の違いとか、人種問題だとか、イデオロギーだとか、はっきり言ってしまえば議論のしようのない問題に何か正解があるはずだ、といがみあい、その結果数多くの人命を失ってしまったのがすなわち先進国の現状だとすればこれはまた悲しいことではないか。民主主義の総本山だと思い込んできた米国では暴徒がこともあろうに光輝あるデモクラシーの殿堂たる議事堂を襲撃するなど、想像もつかないことが起きているのが ”先進国” の現状である。こういう悪にくらべればたかだか晩飯を一緒に食ったか食わなかったかなどでもめている国会の紛糾など、かわいいものだが、いずれにせよ国家のレベルで起きていることは 果たして民主主義が世界を救える解決なのか という根本的な問いのような気がする。こう言う問題を提起するについては、小生のささやかな主張だが、IT技術の無分別な発展拡大・自己増殖によって、多くの国(もちろん日本も含めて)の社会はすでに 大衆社会 という人類がかつて明白に意識したことのない, イデオロギーでは統治し得ない段階に来てしまっている、という意識がある。

越前や金さんが悪を懲らしめた時代、たしかに民主主義はなかったし女性の社会進出もなかった。困窮者も数多くいただろう。しかしここに描かれた江戸の庶民はそれなりに明快な正義が行われることを良しとし、自分たちの世界のなかで、云わば ”麒麟が来た“ 社会を作っていたのではないか。越前が活躍したのは “三代家光か八代吉宗か” といわれた、名君の代表である徳川吉宗の時代だが、究極的にはデモクラシーなどとは縁遠い独裁の政治であった。それでも江戸の街は栄え、多くの人々はそれなりのささやかな平和を満喫していたはずである。

二つの肩の凝らない時代劇を見ていて感じているのは、もしかして我々が目指すべきは 英君をいただく独裁政治なのではないのだろうか? という素朴な疑問である。デモクラシーの発祥の地とされているアテネだって経済や軍事は市民権を持たない奴隷によって支えられていたのだし、ローマ帝国もその形をひきついでいたはずだ。世界がひとしく民主主義によって動く時代になった、だから歴史は終わった、とフランシス・フクヤマが説いてからまだ日は浅いのだが、本当にそうか? と問いかける必要がでてきたような気がする。各位のご意見をぜひお寄せいただきたい。有り余る時間を熱した議論ですごすのはまことに結構な話だと思うのだが、いかが。

もう満開の桜です     (34 小泉幾多郎)

今日の西方寺の中日桜の写真を送ります。お彼岸の中日頃咲くので、その名がつけられたそうで、薄ピンクの小ぶりの花で、ソメイヨシノよりもちょっと早く咲きますが、今年は、いつもより早いようで、もう満開に近い状態でした。境内に椿の花も咲いてました。

西方寺は、港北区新羽町所在。横浜地下鉄新羽駅から徒歩5分。800年前鎌倉にあり、500年前に現在地へ。KOBUKIさんのメールにもありましたが、秋の曼殊沙華でも有名なお寺です。

(41 久米)西方寺の素晴らしい中日桜の写真、ありがとうございます。
先日、西方寺を訪ねました際は蠟梅が満開でした。
しかし、目立った桜の木もなくこんなに可憐な桜が咲くとは
全く気が付きませんでした。西方寺の近くの専念寺には2本の枝垂れ桜の大木があり、桜の時期に再訪してみましょうと主人と話しておりました。
金、土曜日の雨で花が痛んでしまうのが心配ですが月曜日にでも訪れて見ます。