キミは ”オリエント急行殺人事件”を観たか? ー ミステリへのお誘い

先日、エーガ愛好会の各位には、BS放映の オリエント急行殺人事件 をお勧めした。もちろんミステリ作品として完成されたものではあるが放映されるバージョンの俳優の豪華さ、というエーガの観点からのおすすめでもあった。残念ながらあまり話題にもならなかったので、再度、ミステリへのご招待というつもりでの、偏屈親父からの投げ文である。

ミステリというのか推理小説というのかわからないが、文学に推理という要素を取り入れた領域を創設開拓したのは、エドガー・アラン・ポー であることになっている。 アッシャー家の没落 の一種独特な雰囲気は専門筋ではゴシック文学というらしいが、黄金虫 は暗号を解くという意味では推理がメインであるし、推理小説の源泉、とされている モルグ街の殺人 には、確かにその後のこのジャンルの基本的要素が素人にもわかる。この分野の専門家、三橋暁氏はグーグルで次のように述べている。

シャーロック・ホームズの誕生と英国の近代史は、切っても切り離せない関係にある。初めてホームズの物語が書かれた19世紀ビクトリア朝の英国は、産業革命による近代化の途上にあって、勧善懲悪の社会システムともいうべき近代的な警察組織の整備が急速に進められつつあった。(中略) いっぽう、この国には、ブロンテ姉妹の『ジェイン・エア』や『嵐が丘』などに連なるゴシック・ロマンスという恐怖小説の伝統があって、この系譜は大西洋を挟んだアメリカへも飛び火し、影響を受けたポーは『モルグ街の殺人事件』などを発表した。ディケンズがミステリーの趣向もある『荒涼館』を世に問うたのもこの時代である。

同じグーグルでに記載されている記事によると、史上最良の推理小説、とされるのはジョセフィン・ティの書いた 時の娘 だそうだ。以下、第二位はレイモンド・チャンドラーの 大いなる眠り、ついでル・カレの 寒い国から帰って来たスパイ と続き、第五位がアガサ・クリスティの アクロイド殺人事件 である。時の娘 では病院生活を送らなければならなくなった探偵が助手の力を得て資料をあつめ、英国王室のなかで暴君とされてきたリチャード三世が、実は名君であったことが立証される。このベッドサイドディテクティブという着想が非凡であるし、英国史に詳しい人ならば一段と興味が湧くだろう。日本では高木彬光が同じ手法で、彼のシリーズキャラクタである神津恭介を入院させ、(それじゃあ 時の息子 でも書くか)という羽目にしておいて書いたのが、成吉思汗の秘密 という作品でこれは一部の人に知られている 源義経は死なず、シベリアから蒙古にわたって成吉思汗になった、という伝説を真面目に立証したもので、小生は一読してこの説の信者になった(実は今でも真剣に信じている)。壮大なロマンとしてでも一読の価値があると思うのだが。

三橋氏の解説にもあるが、推理小説というジャンルは、ビクトリア王朝から現代へかけての英国の文化人の一種の高等な趣味としても発展したとされていて、たとえば G.K.チェスタートン(ブラウン神父シリーズ)、A.E.W メイソン(矢の家)、ニコラス・ブレイクという筆名を使った桂冠詩人セシル・ルイス(野獣死すべし)、 熊のプーさん の原作者、A.A. ミルン(赤い館の秘密)などが優れた作品を残し、ほぼ同時代に登場したアガサ・クリスティなどとともに本格派推理小説、というジャンルが完成する。ミステリの女王、と愛されたクリスティのそして誰もいなくなった やアリバイ崩しが得意だったクロフツの 樽 などがこの時期の代表作として挙げられるが、この ”文化人の手すさび” という気質が当時発展の途上にあり、英国とのいわば覇権争いを始めたアメリカに伝染し、S.S.ヴァン・ダイン(本名はウイラード・ライトという美術評論家)や本格派のニューヨーク版ともいえる作品を書いたエラリー・クイン(従兄弟二人の合作の筆名)などが現れる。その代表作としてはクインの傑作とされる Yの悲劇 や ギリシャ棺の秘密 フランス白粉の秘密 などの国名シリーズ、これに対抗した 僧正殺人事件 や グリーン家殺人事件 など、ダインの十二冊 と言われる、一連のファイロ・ヴァンスものがある。

これらの作品はいずれも犯人あてのための仕掛けに緻密な工夫が凝らされていくが、トリックの創出合戦がこれでもか、というようになってくると、時として追いかけて理解するのに疲れてしまう。またダインの作品には著者の自己顕示欲というか、美術をはじめとした衒学趣味がありすぎて嫌味と感じられる時もある。このいわば爛熟というか乱発気味になった推理小説に一種のルール、を提供したのが ノックスの十戒 と言われる主張(ロナルドノックスはイギリスの聖職者・神学者で推理作家)である。いわく、

  1. 犯人は、物語の当初に登場していなければならない。ただしその心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない。
  2. 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
  3. 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない
  4. 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
  5. 主要人物として「中国人」を登場させてはならない。
  6. 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
  7. 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
  8. 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
  9. サイドキック(注:ワトソン役を果たす人物))は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない。
  10. 双子一人二役は、予め読者に知らされなければならない。

御大クリスティの代表作 アクロイド殺人事件 はこのルール破りだ、というのが定説である。さらに第五項は当時の世相を反映していて、現在には通用しないのは明らかだ。いろいろ長くなったが、要は、ミステリというものが食わず嫌いの人も多いようにお見受けしますが、一度読んでみませんか、というのが趣旨である。難しい理屈はともかく、なんといってもミステリの醍醐味は犯人の意外性、というショックにつきる。そういう意味で、ま、だまされたと思ってクリスティの アクロイド殺人事件 アイリッシュ の 幻の女、読んでみませんか。

八ヶ岳南麓の朝です  (グリンビラ総合管理 ホームページから転載)

 

今日は晴天ですが、思ったよりも雪解けが進んでいないような・・・?明日も冷え込みが厳しそうなのでまだ暫く凍結には注意が必要です。

さて、先日お休みをいただいて白馬へスキー旅行をしてきました。長女と主人はゴンドラに乗り楽しそうに滑っていましたが私は次女の相手でソリをしたり、雪玉を作ったり背負って登ったり、抱っこして滑ったり・・大きなゲレンデを目の前に修行のような旅行となりました.まあ、唯一の楽しみ(?)の昼のビールは至福の時でしたが。。。(武藤)

エーガ愛好会 (196)エンディングシーンを語ろう  

エーガの楽しみは尽きないが、そのエンディングシーンは作品の印象とともに心に残るものだ。愛好会メンバーのやり取りの中で、ワイオミング州に位置するグランドティトン国立公園のことが取り上げられた結果、話がこのエンディングに飛んだ。

(中司)グランドティトンとは僕にとっては シェーン のラストシーンでアラン・ラッドが去っていくカットが撮影された場所、であります。社長のドライバー役でララミーから1日ドライブして、泊まったホテルの名前は忘れましたけど、おあつらえ向きにただただゴージャスな夕陽を見た場所、でもあります。あの夕陽の荘厳さに比べればイエローストーンなんてのはなんということも感じませんでした。その後、ユーゴ―・ウインタハルタの カナダの夕陽 がイージーリスニングでは 白い恋人たち とともに小生の大の愛聴歌になったのはたぶんこの夕陽のせいです。

(小田)グランドティトンでお泊まりになったホテルは、《ジャクソンレイク ロッジ》ではないかと思います。一面ガラス張りのレストランに掛かったカーテンを西日が当たる頃は閉めておき、夕陽が山にかかるとサット開け、皆拍手喝采!

(安田)僕の映画エンディング・シーンBest 4です。

(中司)シェーンの有名な ……..Shane, come back !   という ブランドン・ウイルドの声が響くこのカットの後、ラッドが雪の中を去っていくのが最後の最後ですけど、この時、ラッドは右手だけで手綱を持ち、左手はぶらりとさげていました。ジャック・パランスとの決闘(映画史上最速の早撃ちだったと言われてますね)で確か負傷していたはずなので、そのリアリティに感心したものです。

第三の男 のあまりにも有名なラストシーンですが、このカットのあとジョセフ・コットンを載せて帰ろうとジープで待っていたトレヴァァ・ハワードがコットンの気持ちを察してか、苦笑してそのまま去っていってしまう。このカットが僕にはジーンときましたね。男にしかわからない感傷でしょうが。
カサブランカ のラストは貴兄に同感。
荒野の決闘 はこのカットもいいですが、フォンダが馬上から(馬から降りなかったのがまた、いい)キャシイ・ダウンズの頬に触れて去っていく場面もよかった。降りて、ハグなんかしたらこの作品の後味はすっかり変わったでしょうか。
(菅原)去り行く美学なんて言葉あるのかな。「カサブランカ」は、その点で余り印象に残っていない。

(小田)美学か分かりませんが、ラストシーンが印象的な映画…で思い出すのは、皆様が挙げた他では;さらば友よ」(’68年)です。内容はあまり覚えていませんが、音楽が良かった事と、アラン・ドロンがチャールズ·ブロンソンにタバコの火を付けてあげるラスト シーンが有名になりました。

(安田)受け取り手によって“美学”になり得たり、或いは心寒しにも。映画にはそれらしきシーンは沢山ありそうです。例として挙げた映画に於ける去り方に加えて、「黄昏のローレンス・オリヴィエ役、「哀愁」のヴィヴィアン・リー役の去り方をどう捉えるか?
「カサブランカ」のハンフリー・ボカートの去り(別れ)方は物議を醸して当然。僕などの俗人は、君の瞳に乾杯!を貫徹して駆け落ちしたくなるかも。それも美学!
(中司)モロッコ の砂漠に残される靴のシーンとか、望郷 のジャン・ギャバンが去っていくミレーユ・バランを柵越しに見送るラスト、なんてのはいまや伝説なんだろうか。
思い出したけど、ジャン・ギャバン、てよかったよなあ。

高齢者医療の課題 (34 船曳孝彦)

トルコ・シリアの震災は、被災死者が2万4千人を超え、まだまだ瓦礫撤去最中ですので、12年前の東日本大震災を上回る災害、人類史上の大災害です。亡くなられた方のご冥福を祈るばかりです。

さて、今回はコロナ情報でなく、医学的な話題ですが、一般の方にも話題となりはしないかとご紹介しますので、ご興味ある方はお読みください。

先日畏友黒木登志夫氏の講演を聴き、ディスカッションで盛り上がりました。死亡原因(死亡診断書病名)に老衰死が2000年頃肺炎と並び、2000年代後半から急増して日本人死因の第3位(1位は癌、2位は心血管)となり、脳血管死、肺炎を抜き去って逆転しています。

老衰死は他の先進国では死因として認められておらず、何等かの病名が付いて統計されています。また私たち医師は死亡診断書の書き方として、死亡の原因を書く(原因死)べきであり、どうしても他疾患病名がつけ難い時のみ許される(除外診断)と教わりましたし、現在もそれは変更されていません。 それなのに、何故老衰死が急増したのでしょうか。不思議に思いませんか。

その場でも、この大きな変化の原因は何かあるはずと議論になり、私なりの解釈も述べましたが、その後少し検討を加えました。

先ず第一に1990年代半ばより厚労省は診療報酬支払い方式の抜本的改革に着手し、それまでの診断・治療に使った全て(保険上許される範囲で)を出来高払い方式から包括支払い方式(DPC)に大転換させました。入院料は疾患ごとに1日当たりいくらと決まっており、入院日数を掛け算です。どんな治療をしても一定額(手術、麻酔、内視鏡は別計算)で、他のレントゲン(CTを含め何回行っても、何回採血しても)などは計算されません。ある一定日数経つと入院費が安くなり、次には赤字になるよう決められています。入院日数などを指標に病院のランク分けも始まりました。そこで病院としては患者さんを慢性期病院へと転院させざるを得ません。いわゆる患者追い出しと評判が悪いのはここから始まったのです。私も厚労省から指定された委員会の委員の一人で、“新しい治療が阻害されるし患者さんの変化に付いて行けなくなる”と抵抗はしたのですが、急性期病院からのスタートが決まりました。次の段階として慢性期型病院も締め付けが始まり、終末期、あるいは超長期入院患者の行き場が減ってしまいました。2009年に完全移行です。高齢患者に対する積極的治療は次第に敬遠されるようになりました。

この一連の施策に伴い、2000年から介護保険がスタートします。介護士の給料、慢性期病床と介護老人ホームなどとの関係など幾多の問題を抱えながら、確立されてきました。病院に長期入院できず、さりとていわゆる老人施設に入所するのも簡単ではない、という家族の希望も強くなり、在宅医療が2006年にスタートしました。厚労省は保険点数的に優遇措置をしてその普及に誘導しました。

このように見てくると、包括支払い方式介護保険制度在宅医療の三点セットで、高齢者医療・介護における家族の負担を減らし、介護を社会全体で支える構造が出来てきました。結果として、病院で死ぬのが当たり前だったのが、昔の死に方の復活ともいえるような、自宅で家族に見守られながら息を引き取るケースが多くなりました。陰に見えるのは医療費削減です。たしかに20世紀末はバブル期でもあり、社会全体が高支出OKのムードがあったことは事実ですが、医療においても過剰な診断、過剰な医療が存在したことは否めませんし、なかには悪徳医と言われるほど稼いだ医師、医療機関もありました。是正のための方策はもっと真剣に慎重に検討すべきだったのでしょうが、医療費削減の旗印で、高齢者に一番皺寄せが行ってしまったのではないかと考えます。

老衰死とは何か、まだ誰も確りした定義はなされていません。典型的には、最近のいわゆるフレイルと言われる状態になり、食餌量が減り、体重減少が進み、消え入るように息を引き取るケースは問題ありませんが、別疾患があり治療が必要とはされるが、どう見ても治療には耐えられない、治療どころではない、と判断されるケースもありますし、実際治療しても全く反応せずに亡くなるケースもあります。。診断書には看取った主治医の考え方が左右します。病院治療から離れるほど、本来除外診断であった老衰死が身近になったと考えます。

ヒトも動物である以上、永遠に生きることはなく、限度(寿命)はあります。各臓器それぞれに経年劣化と言ってよい変化があり、自然死に相当する死もあって当然です。老衰死は厳然として存在(黒木)しますし、ICD10の中の確立した一病態として記載されるよう、WHOに要望すべき(黒木)と、私も賛成します。

死因としての老衰死を厚労省は推奨しているわけではなく、形の上ではまだ除外診断のままです。従って何故老衰死がこのように急速に増えたのかは不思議ですが、上記の三つの医療政策と軌を一にしていることだけは明らかなので、私の考えを述べました。

 

エーガ愛好会 (195) 胸に輝く星 (34 小泉幾多郎)

「ウインチェスター銃’78」のアンソニー・マン監督、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・パーキンス主演の西部劇となれば、観る価値ありとなるのは当然か。しかも脚本がこの映画でアカデミー脚本賞にノミネートされ、「駅馬車」「果てなき航路」等ジョン・フォードの映画等の脚本家ダドリ―・ニコルス、音楽が「荒野の七人」等のエルマー・バーンスタイン、撮影がこれまた「シェーン」でアカデミー賞のロイヤル・グリッグスと輝かしいスタッフが揃った。しかしヴィスタヴィジョンの大画面でありながらモノクロ。「ウインチェスター銃’73」もモノクロだったが、gisan 曰く「銃一本にこだわる執念を強調すべくモノクロ」という理屈は判るが、この映画をモノクロにした真意は判らずじまい。

冒頭、いかにも人生に陰のありそうな賞金稼ぎの男(ヘンリー・フォンダ)が、馬に死体を乗せ、若い保安官(アンソニー・パーキンス)のところへやってくる。賞金が拠出されるまでの時間、街に滞在することになるが、街は冷たく宿泊場所も見つからないが、偶々子供(マイケル・レイ)と知り合い、インディアンの夫を失った母親(ベッツイ・パーマー)の家に泊めてもらうことになる。未熟な保安官パーキンスとの親交を深めながら、フォンダが過去保安官だったこと、当時妻と子供を失ったことを述懐しながら、若き保安官の成長を見守り、その彼の手で町の秩序の回復を果たさせるまでを描く。当初胡散臭い賞金稼ぎのフォンダが,パーキンスに対し、ピストルを抜く瞬間に撃鉄を起こす指導やら、逆に撃ち方よりも人間を観察する大切さを強調することから、考え方を貫く洞察力ある男であり、立っているだけでその物腰や人物の逞しさや人生の年輪を感じさせるのだった。

脇役陣も好演で、保安官パーキンスの恋人メアリー・ウエブスターは父親が元保安官ながら殺された過去があり、パーキングが保安官であることの悩む姿を好演。悪役たちも、保安官の座を狙う人種差別者ネヴィル・ブランド、駅馬車の襲撃犯で、街の人格者で人望の厚い医師役ジョン・マッキンタイヤーを殺害してしまうリー・ヴァン・クリーフとその弟ピーター・ボールドウイン等夫々が好演している。最後パーキンスがフォンダと共に捕えたその兄弟二人が、ネヴィル・ブランドに、そそのかされた町民にリンチされそうになるもパーキンスが散弾銃でブランドと対決、無事終結する。フォンダと母子は一緒に街を去り、パーキンスと恋人メアリーは揃って見送る。

(菅原) 何気なくテレビを見ていたら、H.フォンダが出ていたので、爆睡せずに最後まで観ました。従って、全部を観たわけではありません。観ているうちに、医者がJ.ヴァン・クリーフ兄弟に殺され、誕生日を祝って合唱している街に帰って来る場面を観た途端、日本公開当時(1957年)に観たことを思い出しました。それぐらいしか印象に残っていない映画。

一言で言えば、全体にシマリガなくて面白くなかった。特に、フォンダも「荒野の決闘」と比べると、月とスッポンほどの違いあって、これがあのフォンダかと言うほど気合が入っていなかった。

(編集子)セーブ劇の根底には勧善懲悪、正義の追求、というテーマがあるから、必ず善玉と悪玉が存在しなければならない。作品にもよるが、まず、こいつがクレジットされれば悪いやつ、という悪玉専門がいて、それなりに親近感を覚える。その代表はまず、ブライアン・ドンレヴィだろう。数本主演を務めた(つまり善玉を演じた)作品もあるが、なんといってもクーパーとはりあった ボージェスト の軍曹の悪玉ぶりがまず思い浮かぶ。西部劇では例えば 大平原 に 落日の決闘 (いずれも対する善玉はジョエル・マクリー), 西部魂 (ランドルフ・スコット)なんかも良かった。胸に輝く星 にに出てくるネヴィル・ブランド、これもその御面相から言っても悪役専門。小生が見た範囲では トラトラトラ で日本海軍の特殊潜航艇の攻撃をいち早く察知して上官に報告するがこの無能な将校に無視されてしまう下士官の役くらいしか善玉役ではお目にかかっていない。そのほか何度も見ているが、覚えている範囲では 勇者のみ ガンファイター がある。ヴァン・クリーフは 真昼の決闘 で悪玉陣の端役でデビュー、リバティバランスを撃った男 ではウエインに一撃で酒場の窓にたたきつけられる役でこの時は多少なりともセリフがあったし、OK牧場の決闘 でも憎たらしい役を好演。その後マカロニウエスタンで善玉とは言えないが言ってみれば非悪玉の大佐役で登場した。悪役、といえばよく出てきたのがヴィクター・ジョリイ、アーネスト・ボーグナイン、それと主演級では アンソニー・クインなどがいたっけ。日活エーガで言えばお定まりの阿部徹、といった感じだった。スターもいいが悪役にもファンがあっていいようだが。

 

(菅原)2月12日の貴ブロッグから可なり時間が経ったが、西部劇の悪役として、今朝、その名前をやっと思い出した。ジャジャーン、ヘンリー・シルヴァ。正にあの顔は忘れ難い。どうでも良いことだが、思い出しただけで良しとするか。

(編集子)流石先輩、感謝。そうそう、いた、いた!グーグルで写真探したが出てこない。ほかにも大物をわすれてた。シェーンの敵役、かのジャック・パランス。まさに衝撃的なデビューだったな。

 

 

睡眠薬について   (普通部OB 篠原幸人)

睡眠薬を毎日飲んでませんか?今日は睡眠薬の弊害についてお話ししたいと思います。

確かに、悩み事や不安があったり、特に年齢を重ねると寝付けない・夜中に目が覚めてそれから眠れない・排尿でどうしても目が覚める・朝早く目が覚めてそれから二度寝ができないなどは沢山の方々の共通の訴えです。他にもうつ病でも不眠はよく見られます。私の専門の一つのパーキンソン症候群や、日本で初めての症例を以前私が報告した「致死性家族性不眠症」という本当に稀な、まだ日本でもお一人だけ?という病気でも見られます。

多分皆さんの中にも睡眠薬(睡眠導入薬も含む)を頻回に、あるいは毎晩、服用されている方もおられるでしょう。日本人の五人に一人は不眠症というデーターもあります。しかし、何時も不眠を訴えられる患者さんに私は言っています。“眠ってしまって亡くなる方はいるけれど、不眠のまま亡くなった方は例外的な稀な疾患の方以外はない。だから不眠は心配するな。人間は本当に疲れれば、眠っていけない環境でも眠ってしまうものだ”と。

実は高齢者では睡眠時間が短すぎても(例えば毎日5時間以下、但し床に入って横になっている時間は睡眠時間に加えてもいいかもしれません)、また長すぎても(毎日9時間以上)認知機能に障害が出やすいという報告があります。従って、適切な時間をグッスリ寝ることは健康によいのですが、一方でなかなか寝付けないのは辛いですね。特に明日、大切な仕事がある、ゴルフに行くなどの時には寝られないとイライラして更に眠れなくなったりして。

日本では、特に内科の開業の先生などが比較的安易に睡眠薬を処方されるケースを見かけます。よく使われるお薬はベンゾジアゼピン系薬剤(例えばハルシオン、レンドルミン、ネルボン、ユーロジン、イソミタール、リスミー、サイレースなどなど)や非ベンゾジアゼピン系薬剤(マイスリー、アモバンなど)です。しかしこれらの薬剤は副作用(最近は副反応とも言いますが)も多いのです。ふらつき、その結果の転倒・骨折、朝ボーッとして寝覚めが悪く午前中はミスが多い、運動機能・運転機能の低下、注意力低下、他にも「せん妄」などの精神症状が知られていますが、皆さんが意外に知らないのは睡眠薬の長期連用と認知症発症との関係です。欧米の一部の医師は高齢者には従来の睡眠薬は投与しないと言い切っています。もし睡眠薬を1か月以上連用されている方は、かかりつけの先生とよく相談されることをお勧めします。

じゃ眠れない時はどうすれば良いんだ、眠らなくても睡眠薬で眠っても同じ認知障害になるのではと、怒られるかもしれません。最近は、ベンゾジアゼピンや従来の非ベンゾジアゼピン薬剤以外に、メラトニン作動薬という薬もあります。かって飛行機のパイロットが時差ぼけの回復に使っていると噂のあった薬です。このメラトニンが、米国では薬局でもない普通のスーパーマーケットに無造作に積まれているのをみて私もビックリしたことがあります。

ほかに最近はオレキシン受容体拮抗薬という新しい睡眠薬が日本で使えるようになりました。まだ新しい薬なので副反応も十分知られていませんが、おそらく従来の睡眠薬よりは認知症誘発などの副作用はないか少ないと思います。是非、かかりつけの先生にこの新しい知識を披露して、場合によっては処方を考えてもらって下さい。

入眠時は多少体温が下がったほうが良いので、入浴はなるべく寝る2-3時間前が睡眠には良いと思います。またあまり早く床に就くのも考え物です。することが無くても不眠の方は9時前には布団に入らないでください。寝すぎるのも脳には良くないとさっき言ったでしょう。昼寝・うたた寝も20-30分程度に抑えてください。昼間の散歩など運動も睡眠には効果的です。睡眠薬替わりの”寝酒“は、飲み過ぎて水分が多くなりすぎると、夜中の排尿回数が増えて逆効果です。70歳過ぎたら、夜中に1回トイレに起きるのはしょうがないと考えて、もし3回以上起きるなら、泌尿器科の先生に相談するのも良いかもしれません。但し夜間の排尿回数を減らすという市販の漢方薬の効果はかなり個人差があるようですよ。

今日も参考になりましたか? 睡眠薬を一週間に一回程度飲むのは、その服薬錠数がそれ以上増えなければ、あまり心配はないことも付け加えておきます。今晩こそ、安心してグッスリ寝てください。

 

 

 

エーガ愛好会 (194) ラーゲリより愛を込めて  (51 齋藤邦彦)

『ラーゲリより愛を込めて』 を観てきました。ロシアによる理不尽なウクライナ侵攻に怒りを感じている方は多いと思います。旧ソ連は第二次世界大戦後の1945年から11年間いわゆる「シベリア抑留」を推進しました。これは国際法にもポツダム宣言にも違反して58万人を拉致監禁のうえ強制労働を強いたものであり、約1割の旧日本兵が飢えと寒さと病気で亡くなったといわれています。

「シベリア抑留」については山崎豊子原作の「不毛地帯」などでその過酷さや悲惨さが表現されており、これも暗い映画で観客も高齢者が多いのではと想像していました。映画館に入って驚いたのは若い女性が中心だったことで一瞬映写室を間違えたかと思うほどでした。この作品のもとになったのは昭和61年に角川書店と読売新聞社が共同で「昭和の遺書」を募集した際に、主人公山本幡男の妻山本モジミが夫からの遺書を投稿したものを辺見じゅんが『収容所(ラーゲリ)から来た遺書(1989文藝春秋)』と題して実話をもとに執筆したものです。

監督は『糸』の瀬々敬久、主演は嵐の二宮和也、共演は北川景子、SEXY ZONEの中島健人、松坂桃李、桐谷健太など豪華な顔ぶれです。

物語はハルピンに住んでいた山本幡男の家族がソ連の侵攻により引き裂かれ、妻と子供達だけが日本に帰国出来、本人はシベリアに抑留されるところから始まります。長い抑留生活の中で人間らしさと希望を捨てないで仲間を励まして生き続けた彼は、次第に仲間からの信頼を強くしていきます。残念なことに帰国(ダモイ)は叶わず強制収容所(ラーゲリ)内で亡くなりますが、山本幡男の遺書が彼を慕う仲間達の驚くべき方法(ここが肝です!)によって厳しいソ連の監視をかいくぐって遺族に届けられます。北川景子の迫真の演技とラストシーンには思わす込み上げてしまいました。(半分ネタバレでスミマセン)

前述の映画の予告編で『Winny』3月10日全国ロードショーが流れていました。これも楽しみです。2002年金子勇はファイル共有ソフト「Winny」を開発し瞬く間に利用者を増やします。このファイル交換の仕組みは現在のfacebookなどのSNSで使われているものでザッカーバーグよりも早くにこのソフトは日本で開発されていました。ところが2004年に違法アップロードの利用者が著作権法違反で逮捕され、金子も著作権法違反の幇助罪で訴えられました。彼は一審で有罪判決を受けるものの高裁で無罪を勝ち取りますが、1年後に42歳の若さで心筋梗塞により倒れて亡くなります。日本がSNSの先進国になる機会を自ら失ってしまいました。これは日本のIT化・ディジタル化を決定的に遅らせた出来事で(一説には30年遅れたと言われている)今でも私は日本の頭脳が周りの利権者から潰される象徴的な事象だと考えています。この禁断の事件がついに映画化されるというので大きく期待しています。

(編集子)齊藤兄、小生自身満州からの引き揚げですが、伯父のひとりが外交官で終戦当時ハルビンで総領事をしていましたが行方が不明になり、終戦とともに伯母がありとあらゆる方法で安否を尋ねていましたが最後まで分からず、最終的にはどこかの収容所で病死した旨判明しました。そういうわけでこの時代背景には形容しきれない感覚を覚えます。

エーガ愛好会 (193) 新・明日に向かって撃て  (34 小泉幾多郎)

先週BSP放映の「明日に向って撃て!」でアカデミー脚本賞を得たウイリアム・
ゴールドウインの総指揮のもと、その10年後に、同じ主人公ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの青春期を描く「新・明日に向って撃て」が制作された。本編のポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードに代り、ブッチにトム・ベレンジャー、サンダンスにウイリアム・カットが扮した。

本編のリメイク版と思いきや前日譚で若かりし二人の青春期を描く。監督はビートルズの映画でその映像感覚を評価されたリチャード・レスター。

馬泥棒で服役中だったブッチがワイオミングの刑務所から釈放されるところから始まり、賭博場でサンダンスが仕掛けた銃撃戦に巻き込まれサンダンスに銃を奪われるが、その腕を見込んだブッチが仲間に誘い、二人組が誕生する。二人とも本編のニューマン、レッドフォードの風貌・雰囲気は勿論、仕草や表情までが再現されている情景は本編を意識しての演技や作り方になっている。本編が死を予想して、破滅的で寂しい雰囲気が漂っていたのに対し、この前日譚は、死の予想とは無縁の屈託のない、破天荒で陽気な無邪気さとユーモラスを主眼とした雰囲気の西部劇。その代わり、本編のような時代の変化に取り残された憂いや残酷なリアリティはない。しかし普通の西部劇には見られない鮮やかな舞台が用意される。雪山を越えるシーン。真っ白な雪山.一本杖のスキー遊びは本編の自転車乗りの対称化か。白は何事にも悩まされない気儘と自由で無垢な青春時代の特権でもあり、無垢な時代の爽やかなる西部劇を表現しているようだ。桜咲く小道での射ち合いなんかもある。雪の中炭鉱でジフテリヤが流行し、血清を届ける仕事を請け負ったり、そのほか、強盗団のボスO.C.ハンクス(ブライアン・デネヒー)との対立から、ブッチの家への逃避で、その妻メリー(ジル・アイケンベリー)とその息子娘3人との交流もある。本編からはブッチにこんな家族がいたなんて信じられなかった。最後は、二人での列車強盗。騎兵隊が同乗している列車から、まんまと造幣局のカネを盗み出しに成功したところで、強盗二人ながらも、爽やか溢れる西部劇の幕が下りる。

(編集子)トム・ベレンジャーというと、テレビで幾度もみた 山猫は眠らない  シリーズの父親の印象が強い。親子で出た回もあったが、あまり印象に残っていない。

港区白金で考えるウクライナ戦争   (普通部OB  菅原勲)

ロシアのプーチン大統領は、最近、ウクライナとの戦争をどうやって決着をつけるか、日夜悩んでおり、なかなか寝付けない毎日を過ごしている。従って、その寝不足が祟って、やっと眠ることが出来た。そして、直ちに夢を見た。

先ず、ロマノフ王朝のニコライ二世が出て来た。「ヴォロージャ(ウラディーミルの愛称)、ロシアの国土は広い、そして、天然資源は極めて豊富だ。しかし、ロシアをロシアたらしめているのは、そんなことではなく、ましてやウクライナなんてチッポケナことでもない。それは、例えば、作家のトルストイ、劇作家のチェーホフ、作曲家のチャイコフスキ、画家のレーピンなどによって代表されるロシア文化そのものだ。従って、貴兄がやるべきことは、戦争なんかではなく、その真っ当な復活なのだ」。

次に、ドイツのヒットラー総統が出て来た。「プーチンさん。私が貴国にやったことをまさかお忘れではないだろうね。モスクワ占領はもう少しのところだったが、アメリカの武器貸与法のお陰で、残念ながら、見事に押し返されてしまった。そして、そのアメリカの武器貸与法が、今度は、貴兄が侵攻したウクライナに適用されている。このままで行くと、ロシアは本来の国境まで押し戻され、場合によっては、ベルリンが占領されたように、モスクワも占領されてしまうだろう。そうならないためには、直ちに、本来の国境線まで戻って、停戦ではなく終戦にすべきだ」。

次に、ソ連のブレジネフ書記長が出て来た。「ヴォロージャ、アフガニスタン侵攻を思い出してくれ。結局、あれがソ連崩壊の引き金となった。他国を占領することが、どんなに人、物、金のかかる大変なことなのか、致命傷とならないうちに手を引け。それが、ロシアが、この地上からの抹殺を逃れる唯一の方法だ」。

最後に、米国のリンカーン大統領が出て来た。「プーチンさん。直ちに劇場にお行きなさい」。

そこで、はっとして目が覚めた。

 

エーガ愛好会 (192) チップス先生さようなら   (44 安田耕太郎)

1939年制作の同題名の映画は随分前に観ていた。今回の’69年版は初見。30年間の隔たりがある2つは相当異なる映画だった。白黒とカラー映像のほか、時代設定も半世紀の隔たりがあり、物語も少し変わっていた。’39年版のチップス先生を演じたロバート・ドーナットは本命の「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルを抑えアカデミー賞を獲得。シリアスな役、軽妙な役ともこなす、「アラビアのロレンス」「おしゃれ泥棒」「冬のライオン」のピーター・オトゥールは8度ノミネートされたが無冠のまま引退したが、1962年のアラビアのロレンスから始まった脂の乗り切った’60年代最後の名演技を魅せてくれた。 

1920年代、英国の全寮制パブリック・スクールの頑固で堅物のラテン語教師である主人公アーサー・チッピング(Arthur Chipping)は、ひょんなことから売れっ子女優のキャサリンと知り合う。休暇で旅先のイタリア・ポンペイ遺跡で偶然再会し、ロンドンでデートした二人は恋に落ち、結婚を考えるが、教師を天職と捉えている彼は、女優業の妻では畑が違い過ぎると難色を示す。教師の妻でも本望だと説得するキャサリンに同意して共に人生を歩むことになった。明るく奔放で愛情深い妻に感化され次第に彼本来のユーモアや優しさと柔らかさが表に出てくる。ポンペイ訪問の場面では、ベスビオ火山と遺跡の光景は、「旅情」のヴェニス、「旅愁」のナポリなどと並んで観光案内が素晴らしい。
1939年版とは少し設定を変えており、何よりもミュージカル映画になっているのが決定的な違いで、チップス先生(教師をschool masterと言っていた)の妻はミュージカル女優で、演じるのは1964年歌手として大ヒットした馴染み深い曲 ダウンタウン “Downtown
https://youtu.be/UKKl79Ln3qo?t=4 を歌ったペトゥラ・クラーク(Petula Clark)だ。夫は188mの細身長身、妻は155cmの小柄な女性。この外見の好対照が性格的な静と動の好対照にも反映されたかのようなストーリー展開だったのが印象的だった。両者は物語の設定では年齢差があるのだが、実際、両俳優は同年齢で出演時、共に37歳。石頭で融通が効かない教師と奔放で愛情深い女優との温かい人間ドラマと恋愛物語であった。
愚直なチップス先生の歌は彼の性格に則った素人っぽい歌い方がほのぼのとして好い。吹き替えなどという演出は必要ないのだ。オトゥールが真っ正直で不器用な教師像を見事に演じている。ペトゥラ・クラークは歌手で、女優でもあったのは知らなかったが、人好きのするチャーミングな妻役を見事に演じた。
映画の冒頭はブルックフィールド・パブリックスクール建物の静止画の序幕(Overtureの序曲から始まり、終幕(Exit)ありの、舞台劇のような仕立てが当時のミュージカル映画の時代的雰囲気を感じさせてくれた。
1世紀近く昔の時代設定に加えて、英国のパブリックスクールが舞台だけに、品を感じさせるイギリス英語は充分に聞き取れはしないが、心地よく耳に響く。授業でユリウス・カエサル著「ガリア戦記」(Gallic War)を教材として学んでいる場面など、格調の高さも感じさせてくれる。生徒たちに敬遠されていた彼が次第に好かれていくが、妻の快活で分け隔てない持ち味が、夫の人気向上に寄与していくシーンが展開される。ところが、チップス先生が校長の有力候補になった際、妻が女優だという点に偏見を持つ学校幹部の中にそれを理由として校長任命に反対する声があるのを知った妻は、いたたまれなくなり、夫の許から離れようと自動車を自ら運転して去っていく。その妻を追って長い手足を持て余すように走るシーンが、ただ走っているだけなのに印象に強く残った。
チップス先生は、生徒に人気を博し、ついに夫婦の目標でもあった校長職に推薦されるが、戦争中で空軍の慰問に行っていた妻は、その吉報を聞くことなくドイツ軍の爆撃の犠牲になってしまう。校長として学校をまとめ、大戦の時期を乗り越えた彼は、退職後も学校の側に住み続け、新入生は彼のもとに挨拶に訪れる。そして毎朝、校庭の片隅に立って生徒たちに挨拶する。夫婦には子供はいなかったが、何千という子供を授かる幸運に恵まれたと回顧するチップス先生であった。
教師という天職を数十年間一生懸命に務めたシップス先生に、生徒たちと学校が Goodbye さよなら を云う日のチップス先生の お別れの挨拶 が感動的ですらあった。一部紹介する。
「校長としてのあいさつはこれが最後です。私の努めは終戦とともに終わり、来学期には新校長が赴任する。諸君の未来は まだ見えない。諸君が知る新しい世界は刺激に富み、激変しているはずです。本校は生き残れないかもしれない。少なくとも私の知る学園は、確実に消えるでしょう。変化の波が学園に及ぶ時が来たら、受け入れるべきです.恨みや怒りを覚えずに。だが、私に変化が及ぶことはないのです。私には思い出しかなのだから。誰がどう頑張っても老人の記憶は変えられない。大切な思い出ばかりです。そのすべてが、私に大きな喜びを与えてくれる。それから、もう一つ。私は学園を去ってもこの町に住み続けます。いつか、立派になった君たちが訪ねてきても、誰か分からないかもしれない。その時は、“ジイさん 忘れたな”と・・・。だが私は全員をはっきりと覚えています。ここにいる今のままの姿で。私の思い出の中で君たちは成長しない。私やほかの先生方は歳をとる。だが、君たちはずっと今のまま変わりません。そう思えることが、これから私を慰めてくれるでしょう。ですから、これは本当のお別れではありません。それでは週間行事を・・・」
そこで、生徒たちが一斉に立ち上がり、叫ぶ「Mr.Chips, 万歳!万歳!万歳!」
チップス先生、涙顔で生徒たちをかき分け退出していく。
なお、1939年版はキャサリン役を演じた英国の美人女優グリア・ガースンはこの映画がデビュー作であった。3年後の「ミニヴァー夫人」でアカデミー主演女優賞を獲得。「同じ年の「心の旅路」は以前ブログで取り上げたが、面白い映画だった。キャサリンは女優役でなく家庭教師役、チップス先生と初めて会ったのはイギリス北西部の湖水地方、結婚2年後に妊娠するがお産の時、母子ともに亡くなる、という設定だった。1870年の普仏戦争勃発の時、25歳でパブリック・スクールに赴任、191368歳で退任、192883歳の時学校を訪れ、懐かしく走馬灯のように学校での教師生活を回顧する形で物語は展開する。新旧版 見比べるのも面白いだろう。

 (保屋野)

掲題エーガ、今日やっとビデオで観ましたが、正直やや期待外れの映画でした。私は、先生と生徒とのふれあいを描いた名作「今を生きる」をイメージしていましたが、単に学園を舞台としたミュージカル仕立ての恋愛映画でしたね。ピータ・オトウールと相手役の魅力もイマイチ。前作(ロバート・ドーナットとグリア・ガースン)の方が良かったのでは?                                                                                         

(編集子)英国のパブリックスクールという制度が英国人の指導層をはぐくむ源泉であることを知ったのは、池田潔 ”自由と規律” という本で知った。ちょっと見では鼻持ちならないエリートなのだが、その根性がたとえばウインストン・チャーチルに代表されるブリット気質であるようだ。 確かこの本だったはずだが、第一次大戦の現場、劣勢に追い詰められた英軍の陣地から一人の若い将校が塹壕から飛び出し、持っていたラグビーボールを見事にキックし、”さあ行くぜ!” と声をかけて部下の兵士を鼓舞した。これがパブリックスクールでつちかわれたリーダーの在り方なのだ、という実話が紹介されていた。

関係のない話かもしれないが、太平洋戦争後の日本の再構築は米国の先導で行われ、現在の日本ができた。この事実は米国に感謝すべきだが、もしこの占領軍が英国だったら我が国はどんな形に再建されただろうか、という 歴史のIF を考えることもある。島国であり、伝統ある王室があり、倫理を重視する国民性があり、日英間の親和性は日米とは違った意味で高いはずだからだが。
パブリックスクール (public school)は、13歳から18歳までの子弟を教育するイギリスの私立学校の中でも上位一割を構成する格式や伝統あるエリート校である非営利の独立学校の名称。以前はその大部分が寄宿制の男子校であったが、現在は多くが男女共学に移行している。日本では古くは共立学校(きょうりゅうがっこう、きょうりつ – )や義塾(ぎじゅく)などとも訳された。イギリスの最高峰の大学郡に当たるラッセル・グループ、特にその頂点にあるオックスブリッジなどへの進学を前提とする。学費が非常に高く、入学基準が厳格なため、奨学金で入学を許された少数の学生以外は裕福な階層の子供達が寮での集団生活を送っている。近年は海外の富裕層の子供達がイギリスでの大学教育を見越して入学することが多くなっている。