エーガ愛好会 (192) チップス先生さようなら   (44 安田耕太郎)

1939年制作の同題名の映画は随分前に観ていた。今回の’69年版は初見。30年間の隔たりがある2つは相当異なる映画だった。白黒とカラー映像のほか、時代設定も半世紀の隔たりがあり、物語も少し変わっていた。’39年版のチップス先生を演じたロバート・ドーナットは本命の「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルを抑えアカデミー賞を獲得。シリアスな役、軽妙な役ともこなす、「アラビアのロレンス」「おしゃれ泥棒」「冬のライオン」のピーター・オトゥールは8度ノミネートされたが無冠のまま引退したが、1962年のアラビアのロレンスから始まった脂の乗り切った’60年代最後の名演技を魅せてくれた。 

1920年代、英国の全寮制パブリック・スクールの頑固で堅物のラテン語教師である主人公アーサー・チッピング(Arthur Chipping)は、ひょんなことから売れっ子女優のキャサリンと知り合う。休暇で旅先のイタリア・ポンペイ遺跡で偶然再会し、ロンドンでデートした二人は恋に落ち、結婚を考えるが、教師を天職と捉えている彼は、女優業の妻では畑が違い過ぎると難色を示す。教師の妻でも本望だと説得するキャサリンに同意して共に人生を歩むことになった。明るく奔放で愛情深い妻に感化され次第に彼本来のユーモアや優しさと柔らかさが表に出てくる。ポンペイ訪問の場面では、ベスビオ火山と遺跡の光景は、「旅情」のヴェニス、「旅愁」のナポリなどと並んで観光案内が素晴らしい。
1939年版とは少し設定を変えており、何よりもミュージカル映画になっているのが決定的な違いで、チップス先生(教師をschool masterと言っていた)の妻はミュージカル女優で、演じるのは1964年歌手として大ヒットした馴染み深い曲 ダウンタウン “Downtown
https://youtu.be/UKKl79Ln3qo?t=4 を歌ったペトゥラ・クラーク(Petula Clark)だ。夫は188mの細身長身、妻は155cmの小柄な女性。この外見の好対照が性格的な静と動の好対照にも反映されたかのようなストーリー展開だったのが印象的だった。両者は物語の設定では年齢差があるのだが、実際、両俳優は同年齢で出演時、共に37歳。石頭で融通が効かない教師と奔放で愛情深い女優との温かい人間ドラマと恋愛物語であった。
愚直なチップス先生の歌は彼の性格に則った素人っぽい歌い方がほのぼのとして好い。吹き替えなどという演出は必要ないのだ。オトゥールが真っ正直で不器用な教師像を見事に演じている。ペトゥラ・クラークは歌手で、女優でもあったのは知らなかったが、人好きのするチャーミングな妻役を見事に演じた。
映画の冒頭はブルックフィールド・パブリックスクール建物の静止画の序幕(Overtureの序曲から始まり、終幕(Exit)ありの、舞台劇のような仕立てが当時のミュージカル映画の時代的雰囲気を感じさせてくれた。
1世紀近く昔の時代設定に加えて、英国のパブリックスクールが舞台だけに、品を感じさせるイギリス英語は充分に聞き取れはしないが、心地よく耳に響く。授業でユリウス・カエサル著「ガリア戦記」(Gallic War)を教材として学んでいる場面など、格調の高さも感じさせてくれる。生徒たちに敬遠されていた彼が次第に好かれていくが、妻の快活で分け隔てない持ち味が、夫の人気向上に寄与していくシーンが展開される。ところが、チップス先生が校長の有力候補になった際、妻が女優だという点に偏見を持つ学校幹部の中にそれを理由として校長任命に反対する声があるのを知った妻は、いたたまれなくなり、夫の許から離れようと自動車を自ら運転して去っていく。その妻を追って長い手足を持て余すように走るシーンが、ただ走っているだけなのに印象に強く残った。
チップス先生は、生徒に人気を博し、ついに夫婦の目標でもあった校長職に推薦されるが、戦争中で空軍の慰問に行っていた妻は、その吉報を聞くことなくドイツ軍の爆撃の犠牲になってしまう。校長として学校をまとめ、大戦の時期を乗り越えた彼は、退職後も学校の側に住み続け、新入生は彼のもとに挨拶に訪れる。そして毎朝、校庭の片隅に立って生徒たちに挨拶する。夫婦には子供はいなかったが、何千という子供を授かる幸運に恵まれたと回顧するチップス先生であった。
教師という天職を数十年間一生懸命に務めたシップス先生に、生徒たちと学校が Goodbye さよなら を云う日のチップス先生の お別れの挨拶 が感動的ですらあった。一部紹介する。
「校長としてのあいさつはこれが最後です。私の努めは終戦とともに終わり、来学期には新校長が赴任する。諸君の未来は まだ見えない。諸君が知る新しい世界は刺激に富み、激変しているはずです。本校は生き残れないかもしれない。少なくとも私の知る学園は、確実に消えるでしょう。変化の波が学園に及ぶ時が来たら、受け入れるべきです.恨みや怒りを覚えずに。だが、私に変化が及ぶことはないのです。私には思い出しかなのだから。誰がどう頑張っても老人の記憶は変えられない。大切な思い出ばかりです。そのすべてが、私に大きな喜びを与えてくれる。それから、もう一つ。私は学園を去ってもこの町に住み続けます。いつか、立派になった君たちが訪ねてきても、誰か分からないかもしれない。その時は、“ジイさん 忘れたな”と・・・。だが私は全員をはっきりと覚えています。ここにいる今のままの姿で。私の思い出の中で君たちは成長しない。私やほかの先生方は歳をとる。だが、君たちはずっと今のまま変わりません。そう思えることが、これから私を慰めてくれるでしょう。ですから、これは本当のお別れではありません。それでは週間行事を・・・」
そこで、生徒たちが一斉に立ち上がり、叫ぶ「Mr.Chips, 万歳!万歳!万歳!」
チップス先生、涙顔で生徒たちをかき分け退出していく。
なお、1939年版はキャサリン役を演じた英国の美人女優グリア・ガースンはこの映画がデビュー作であった。3年後の「ミニヴァー夫人」でアカデミー主演女優賞を獲得。「同じ年の「心の旅路」は以前ブログで取り上げたが、面白い映画だった。キャサリンは女優役でなく家庭教師役、チップス先生と初めて会ったのはイギリス北西部の湖水地方、結婚2年後に妊娠するがお産の時、母子ともに亡くなる、という設定だった。1870年の普仏戦争勃発の時、25歳でパブリック・スクールに赴任、191368歳で退任、192883歳の時学校を訪れ、懐かしく走馬灯のように学校での教師生活を回顧する形で物語は展開する。新旧版 見比べるのも面白いだろう。

 (保屋野)

掲題エーガ、今日やっとビデオで観ましたが、正直やや期待外れの映画でした。私は、先生と生徒とのふれあいを描いた名作「今を生きる」をイメージしていましたが、単に学園を舞台としたミュージカル仕立ての恋愛映画でしたね。ピータ・オトウールと相手役の魅力もイマイチ。前作(ロバート・ドーナットとグリア・ガースン)の方が良かったのでは?                                                                                         

(編集子)英国のパブリックスクールという制度が英国人の指導層をはぐくむ源泉であることを知ったのは、池田潔 ”自由と規律” という本で知った。ちょっと見では鼻持ちならないエリートなのだが、その根性がたとえばウインストン・チャーチルに代表されるブリット気質であるようだ。 確かこの本だったはずだが、第一次大戦の現場、劣勢に追い詰められた英軍の陣地から一人の若い将校が塹壕から飛び出し、持っていたラグビーボールを見事にキックし、”さあ行くぜ!” と声をかけて部下の兵士を鼓舞した。これがパブリックスクールでつちかわれたリーダーの在り方なのだ、という実話が紹介されていた。

関係のない話かもしれないが、太平洋戦争後の日本の再構築は米国の先導で行われ、現在の日本ができた。この事実は米国に感謝すべきだが、もしこの占領軍が英国だったら我が国はどんな形に再建されただろうか、という 歴史のIF を考えることもある。島国であり、伝統ある王室があり、倫理を重視する国民性があり、日英間の親和性は日米とは違った意味で高いはずだからだが。
パブリックスクール (public school)は、13歳から18歳までの子弟を教育するイギリスの私立学校の中でも上位一割を構成する格式や伝統あるエリート校である非営利の独立学校の名称。以前はその大部分が寄宿制の男子校であったが、現在は多くが男女共学に移行している。日本では古くは共立学校(きょうりゅうがっこう、きょうりつ – )や義塾(ぎじゅく)などとも訳された。イギリスの最高峰の大学郡に当たるラッセル・グループ、特にその頂点にあるオックスブリッジなどへの進学を前提とする。学費が非常に高く、入学基準が厳格なため、奨学金で入学を許された少数の学生以外は裕福な階層の子供達が寮での集団生活を送っている。近年は海外の富裕層の子供達がイギリスでの大学教育を見越して入学することが多くなっている。