高齢者医療の課題 (34 船曳孝彦)

トルコ・シリアの震災は、被災死者が2万4千人を超え、まだまだ瓦礫撤去最中ですので、12年前の東日本大震災を上回る災害、人類史上の大災害です。亡くなられた方のご冥福を祈るばかりです。

さて、今回はコロナ情報でなく、医学的な話題ですが、一般の方にも話題となりはしないかとご紹介しますので、ご興味ある方はお読みください。

先日畏友黒木登志夫氏の講演を聴き、ディスカッションで盛り上がりました。死亡原因(死亡診断書病名)に老衰死が2000年頃肺炎と並び、2000年代後半から急増して日本人死因の第3位(1位は癌、2位は心血管)となり、脳血管死、肺炎を抜き去って逆転しています。

老衰死は他の先進国では死因として認められておらず、何等かの病名が付いて統計されています。また私たち医師は死亡診断書の書き方として、死亡の原因を書く(原因死)べきであり、どうしても他疾患病名がつけ難い時のみ許される(除外診断)と教わりましたし、現在もそれは変更されていません。 それなのに、何故老衰死が急増したのでしょうか。不思議に思いませんか。

その場でも、この大きな変化の原因は何かあるはずと議論になり、私なりの解釈も述べましたが、その後少し検討を加えました。

先ず第一に1990年代半ばより厚労省は診療報酬支払い方式の抜本的改革に着手し、それまでの診断・治療に使った全て(保険上許される範囲で)を出来高払い方式から包括支払い方式(DPC)に大転換させました。入院料は疾患ごとに1日当たりいくらと決まっており、入院日数を掛け算です。どんな治療をしても一定額(手術、麻酔、内視鏡は別計算)で、他のレントゲン(CTを含め何回行っても、何回採血しても)などは計算されません。ある一定日数経つと入院費が安くなり、次には赤字になるよう決められています。入院日数などを指標に病院のランク分けも始まりました。そこで病院としては患者さんを慢性期病院へと転院させざるを得ません。いわゆる患者追い出しと評判が悪いのはここから始まったのです。私も厚労省から指定された委員会の委員の一人で、“新しい治療が阻害されるし患者さんの変化に付いて行けなくなる”と抵抗はしたのですが、急性期病院からのスタートが決まりました。次の段階として慢性期型病院も締め付けが始まり、終末期、あるいは超長期入院患者の行き場が減ってしまいました。2009年に完全移行です。高齢患者に対する積極的治療は次第に敬遠されるようになりました。

この一連の施策に伴い、2000年から介護保険がスタートします。介護士の給料、慢性期病床と介護老人ホームなどとの関係など幾多の問題を抱えながら、確立されてきました。病院に長期入院できず、さりとていわゆる老人施設に入所するのも簡単ではない、という家族の希望も強くなり、在宅医療が2006年にスタートしました。厚労省は保険点数的に優遇措置をしてその普及に誘導しました。

このように見てくると、包括支払い方式介護保険制度在宅医療の三点セットで、高齢者医療・介護における家族の負担を減らし、介護を社会全体で支える構造が出来てきました。結果として、病院で死ぬのが当たり前だったのが、昔の死に方の復活ともいえるような、自宅で家族に見守られながら息を引き取るケースが多くなりました。陰に見えるのは医療費削減です。たしかに20世紀末はバブル期でもあり、社会全体が高支出OKのムードがあったことは事実ですが、医療においても過剰な診断、過剰な医療が存在したことは否めませんし、なかには悪徳医と言われるほど稼いだ医師、医療機関もありました。是正のための方策はもっと真剣に慎重に検討すべきだったのでしょうが、医療費削減の旗印で、高齢者に一番皺寄せが行ってしまったのではないかと考えます。

老衰死とは何か、まだ誰も確りした定義はなされていません。典型的には、最近のいわゆるフレイルと言われる状態になり、食餌量が減り、体重減少が進み、消え入るように息を引き取るケースは問題ありませんが、別疾患があり治療が必要とはされるが、どう見ても治療には耐えられない、治療どころではない、と判断されるケースもありますし、実際治療しても全く反応せずに亡くなるケースもあります。。診断書には看取った主治医の考え方が左右します。病院治療から離れるほど、本来除外診断であった老衰死が身近になったと考えます。

ヒトも動物である以上、永遠に生きることはなく、限度(寿命)はあります。各臓器それぞれに経年劣化と言ってよい変化があり、自然死に相当する死もあって当然です。老衰死は厳然として存在(黒木)しますし、ICD10の中の確立した一病態として記載されるよう、WHOに要望すべき(黒木)と、私も賛成します。

死因としての老衰死を厚労省は推奨しているわけではなく、形の上ではまだ除外診断のままです。従って何故老衰死がこのように急速に増えたのかは不思議ですが、上記の三つの医療政策と軌を一にしていることだけは明らかなので、私の考えを述べました。