先日、エーガ愛好会の各位には、BS放映の オリエント急行殺人事件 をお勧めした。もちろんミステリ作品として完成されたものではあるが放映されるバージョンの俳優の豪華さ、というエーガの観点からのおすすめでもあった。残念ながらあまり話題にもならなかったので、再度、ミステリへのご招待というつもりでの、偏屈親父からの投げ文である。
ミステリというのか推理小説というのかわからないが、文学に推理という要素を取り入れた領域を創設開拓したのは、エドガー・アラン・ポー であることになっている。 アッシャー家の没落 の一種独特な雰囲気は専門筋ではゴシック文学というらしいが、黄金虫 は暗号を解くという意味では推理がメインであるし、推理小説の源泉、とされている モルグ街の殺人 には、確かにその後のこのジャンルの基本的要素が素人にもわかる。この分野の専門家、三橋暁氏はグーグルで次のように述べている。
シャーロック・ホームズの誕生と英国の近代史は、切っても切り離せない関係にある。初めてホームズの物語が書かれた19世紀ビクトリア朝の英国は、産業革命による近代化の途上にあって、勧善懲悪の社会システムともいうべき近代的な警察組織の整備が急速に進められつつあった。(中略) いっぽう、この国には、ブロンテ姉妹の『ジェイン・エア』や『嵐が丘』などに連なるゴシック・ロマンスという恐怖小説の伝統があって、この系譜は大西洋を挟んだアメリカへも飛び火し、影響を受けたポーは『モルグ街の殺人事件』などを発表した。ディケンズがミステリーの趣向もある『荒涼館』を世に問うたのもこの時代である。
同じグーグルでに記載されている記事によると、史上最良の推理小説、とされるのはジョセフィン・ティの書いた 時の娘 だそうだ。以下、第二位はレイモンド・チャンドラーの 大いなる眠り、ついでル・カレの 寒い国から帰って来たスパイ と続き、第五位がアガサ・クリスティの アクロイド殺人事件 である。時の娘 では病院生活を送らなければならなくなった探偵が助手の力を得て資料をあつめ、英国王室のなかで暴君とされてきたリチャード三世が、実は名君であったことが立証される。このベッドサイドディテクティブという着想が非凡であるし、英国史に詳しい人ならば一段と興味が湧くだろう。日本では高木彬光が同じ手法で、彼のシリーズキャラクタである神津恭介を入院させ、(それじゃあ 時の息子 でも書くか)という羽目にしておいて書いたのが、成吉思汗の秘密 という作品でこれは一部の人に知られている 源義経は死なず、シベリアから蒙古にわたって成吉思汗になった、という伝説を真面目に立証したもので、小生は一読してこの説の信者になった(実は今でも真剣に信じている)。壮大なロマンとしてでも一読の価値があると思うのだが。
三橋氏の解説にもあるが、推理小説というジャンルは、ビクトリア王朝から現代へかけての英国の文化人の一種の高等な趣味としても発展したとされていて、たとえば G.K.チェスタートン(ブラウン神父シリーズ)、A.E.W メイソン(矢の家)、ニコラス・ブレイクという筆名を使った桂冠詩人セシル・ルイス(野獣死すべし)、 熊のプーさん の原作者、A.A. ミルン(赤い館の秘密)などが優れた作品を残し、ほぼ同時代に登場したアガサ・クリスティなどとともに本格派推理小説、というジャンルが完成する。ミステリの女王、と愛されたクリスティのそして誰もいなくなった やアリバイ崩しが得意だったクロフツの 樽 などがこの時期の代表作として挙げられるが、この ”文化人の手すさび” という気質が当時発展の途上にあり、英国とのいわば覇権争いを始めたアメリカに伝染し、S.S.ヴァン・ダイン(本名はウイラード・ライトという美術評論家)や本格派のニューヨーク版ともいえる作品を書いたエラリー・クイン(従兄弟二人の合作の筆名)などが現れる。その代表作としてはクインの傑作とされる Yの悲劇 や ギリシャ棺の秘密 フランス白粉の秘密 などの国名シリーズ、これに対抗した 僧正殺人事件 や グリーン家殺人事件 など、ダインの十二冊 と言われる、一連のファイロ・ヴァンスものがある。
これらの作品はいずれも犯人あてのための仕掛けに緻密な工夫が凝らされていくが、トリックの創出合戦がこれでもか、というようになってくると、時として追いかけて理解するのに疲れてしまう。またダインの作品には著者の自己顕示欲というか、美術をはじめとした衒学趣味がありすぎて嫌味と感じられる時もある。このいわば爛熟というか乱発気味になった推理小説に一種のルール、を提供したのが ノックスの十戒 と言われる主張(ロナルド・ノックスはイギリスの聖職者・神学者で推理作家)である。いわく、
- 犯人は、物語の当初に登場していなければならない。ただしその心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない。
- 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
- 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない
- 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
- 主要人物として「中国人」を登場させてはならない。
- 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
- 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
- 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
- サイドキック(注:ワトソン役を果たす人物))は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない。
- 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない。
御大クリスティの代表作 アクロイド殺人事件 はこのルール破りだ、というのが定説である。さらに第五項は当時の世相を反映していて、現在には通用しないのは明らかだ。いろいろ長くなったが、要は、ミステリというものが食わず嫌いの人も多いようにお見受けしますが、一度読んでみませんか、というのが趣旨である。難しい理屈はともかく、なんといってもミステリの醍醐味は犯人の意外性、というショックにつきる。そういう意味で、ま、だまされたと思ってクリスティの アクロイド殺人事件 アイリッシュ の 幻の女、読んでみませんか。