普通部卒業70周年の集いの会の後直ぐ投稿しまし
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
錦織圭選手(にしこりけい)がグランドスラムに帰ってきました。昨日12日にテニスの錦織選手がグランドスラム(Grand Slam)の一つである全豪オープンで初戦突破しました。テニスファンには最高のお年玉です。
錦織選手は2010年代には世界ランキング4位になった世界トップ常連の選手でしたが、故障のために出場機会が減少し35歳になった近年はランキング500台に低迷していました。同時代に活躍した選手はほぼ全員引退し、次の世代も引退しつつあるときに、地方の小さな大会から実績を積み重ねて世界ランキング74位にまでに再上昇して出場資格をえました。出場するだけでも大変なのに、勝利をしたのはただ驚きしかありません。2日後の15日に第2戦の予定で、相手はポール選手(世界ランキング11位)とオコネル選手(同71位)の勝者で、どちらになっても強敵ですが、勝ち進んで欲しいものです。
野球では満塁ホームランをグランドスラム(Gland Slam)といいますが、テニスではオーストラリア、フランス、イギリス、アメリカで開催される2週間続きの大会を総称するものです(通常は1週間)。今年の日程を表にしておきます。
日程 | 開催国 | 呼称 |
1/12-1/26 | オーストラリア | 全豪オープン |
5/25-6/8 | フランス | 全仏オープン |
6/30-7/13 | イギリス | ウインブルドン |
8/25-9/7 | アメリカ | 全米オープン |
門松もとれていよいよ2025年新年スタートですね。「不確実の
例年この時期に上野東照宮の冬牡丹苑を訪れ、撮影を愉しみのんび
風はこぶ亡き師の冬牡丹
よろこびはかなしみに似し寒牡丹 山口青邨
君がために冬牡丹かく祝哉 正岡子規
寒牡丹ぬくめむと息近寄せぬ 草間時彦
招かれし一人のみなり寒牡丹 水原秋櫻子
北村仁子
カメラ Nikon Zf Nikon Zfc
レンズ ニッコールDX12-28mm f/3,5-5.6PZVR0
レンズ NIKKOR ZDX18-140m1:3.5-6.3VR
レンズ KMZIndustar-61 L/Z 50mm 1:2.8
レンズ CANON FD 50㎜ 1:1.4 S.S.C.鏡胴はニコンF+ライカMマウントにノクトが改造 ボケ専用 4本持参 重いな
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恒例のkWV新年会は昨年と同じ上野精養軒に102名の出席を得て開催。年度を超えて友情を確かめ合うあたたかな集まりであった。現役の活動紹介や恒例の鏡割りなどの行事の中で、今回特に目を引いたのは、
現役の部長(我々の時代の用語だと総務)と山荘委員長という要職が女性部員であることだった。(女子部員はどうあるべきか)なんてことを大真面目に議論した昭和の時代はまさに遠くなった感があった。
世の中に同窓会の数は数えきれないだろうが、”ヨコ” の集まりがほとんどだろう。KWV OB会のように、卒業年度を超越して、今回の例でいえば昭和32年の卒業生から令和の若手までが同じ思いを大切に、文字通り古き友、のあたたかさに溶け合って活動する組織は多くはあるまい。創立90年の祝典を目前に、また古くも新しい年があけた。
ここのところ大谷選手の大活躍に引き続き、松山の新記録での優勝、さらに映画ではSHOGUNの受賞など、野球、ゴルフ、映画とアメリカ大衆文化の基軸でもある分野で日本勢の勢いが止まらない。この勢いに多少かすんでしまった感もあるがもひとつの人気分野バスケットボールでも八村の活躍が伝えられる。結構なはなしではないか。
終戦直後、僕らは小学校生、僅かに水泳での古橋やボクシングの白井なんかの活躍があったけれども、すごいことはみんなアメリカ、の時代を過ごした。野球なんかはその懸隔が大きすぎて、とてもアメリカに勝つ、なんてことは想像すらできなかった。そういう時代を経験してみてわかることは、われわれはそのアメリカ文化を、時には意地汚いとか卑屈だとか言われながら、取り込み、模倣し、咀嚼して日本の文化に取り込み、そして世界に誇れる成果を出した。このあたりはスポーツや芸能だけでなく、ビジネスの世界でも全く同じパターンで我が国は発展してきた。ものごとを自虐的にとらえてはなにかと (西欧では)と嘆くことがインテリのあかしだと考える人たちは、日本人には独創性がないと言って嘆くのだが、僕は模倣とか消化とか、表現はいろいろあるが、言ってみれば他人の褌で相撲を取ること、結構じゃやないかと思っている。どんなに独創的な発明や技術ができてもそれを実用化し、改良していくプロセスがなければ人類に資することはできない。しかしそれには、優れたものから学び、といりれることに躊躇しない国民性がなければならない。日本人にはそういう柔軟性が備わっているのだと感じる。
先日のテレビ番組で韓国では、最近まで、日本の音楽を演奏することが禁じられていた、ということを初めて知った。かの国に反日思想が根強くあることは承知しているが、このようにいわば坊主憎けりゃ袈裟までなんとやら、というかたくなな思想が一体どうして生まれたのか。要は韓国を日本が支配した、という歴史をひたすらに憎み、否定しつづけることが韓国人のいわば愛国心なのだ、ということなのだろう。確かに歴史書をみれば、古代までさかのぼらずとも明治維新当時に西郷隆盛らの征韓論があったし、のちにかの国を併合するという国策もとられ、その過程で韓国人の差別とか文化の破壊とかといった蛮行があったのは事実だろう。しかしあの時代、すなわち帝国主義が世界を覆っていた時代を考えれば、人類史上の汚点ではあるかもしれないがこのような関係は日韓間だけの問題ではなかったはずだ。
日米の関係でいえば、我が国は韓国の日本に対する歴史よりもはるかに深い傷を負うた。追い詰められて突入した大戦に敗れ、広島に長崎、二度と人類が経験すべきではない深傷もアメリカから受けた。そういう意味では日本人対米国人、という図式は韓国人が日本に対してもつものよりもさらに根深いところで憎悪や反感につながってもおかしくはない。しかし日本人はそれよりも我が国の敵であった国の長所を学びそれを取り入れ、凌駕することを選んだ。第二次大戦で我が国の友邦でありながら同じく敗戦国となったドイツも、同じ反応をすることで欧州のリーダーに返り咲くことができた。なぜ、韓国はこのような例に学ぼうとしないのだろうか。
同じ日、別のチャンネルで維新前夜、のちに日本の開国事業の中核となった薩摩藩の武士グループが国法を破って英国に渡り、大学に学んで広く知識を吸収した史実を伝えていた。彼らは薩摩において無謀にも当時世界一の強国であった英国に挑戦し完敗した薩英戦争に開眼し、敵国であった英国に学ぶことから始めたのだ。たとえ敵国だったとしてもすぐれた国から素直に学ぶ、という柔軟性が僅か数十年のあいだに日本をアジアを代表する強国を作り上げた。この晩、たまたまみた二つのテレビ番組をみたことから、日本と韓国、隣り合う二つの国のありようのちがいを改めて考えてしまった。
このささやかなブログをきっかけにできた友人の輪の中には、外国生活の長かった人、外国企業に勤務した人、そのほか、日本を離れて考えることのできる人もたくさんおられる。そういう人たちのご意見を伺いたいものだ。
(33 小川) この投稿を是非とも韓国の有識者に読んでもらいたい。小生海外経験もなく発言の資格はないかもしれないが、まさに至言です。
小生も昔から韓国を「近くて遠い隣国」と言っておりました。それはハングル語のせいです。訪韓して街並みのショップを見ても全くどういう店か分からない。こんな国は他にありません。この言語に固執する国民性に韓国の何かに関係がある様な気がします。上手く表現できませんが何か・・・。
(44 安田) 日韓関係で不思議に思うことは、
この映画はエルヴィス・プレスリーの活躍した1950~60年代
プレスリーを演じたホースティン・バトラーという俳優はよく演じ
物語の切迫感や喧噪や臨場感を表現する撮影・編集手法か、画面を
プレスリー・ファンとしては、もう少し歌うシーンをじっくり聴か
“監獄ロック”を立て続けに歌うシーン、ラス・ヴェガスのInternational Hotelの大ホールで “Can’t Help Falling In Love” “Unchanged melody”などを歌うところなどファンの絶叫の中で歌うシーンが再現されていた。
42歳でメンフィスの自宅で心臓発作で亡くなった不世出のエンタ
昨日の読売新聞に、かの 大間のマグロ の記事が載っていた。なんと ”一番マグロ” は2億円、1キロ当たり75万円だそうだ。先日、柄にもないがベートーヴェンにまつわる話題を提供した。音楽以上にわからないのはこの手のことだ。1キロ75万円、トロ握りにしていくらにつくのかわからないが、この味は1貫200円、なんていうマグロとそんなに違うもんなんだろうか.いずれにしても縁のない話なのだが、この記事でインタビューされた漁師さんのコメントが気になった。”本当に夢みたい。ちょっと高いけど、おいしくいただいてもらえればありがたい” という、まことに素朴だが心の籠った話だし、彼の心情はしっかりと伝わった。
だが、である。このコメントに一つだけ、言いたいことがあるのだ。それは いただいてもらえれば というところだ。彼は自分が釣り上げたマグロを食べてくれる人たちに感謝の気持ちを込めて、敬語を使ったのだろうし、そのこと自体にとやかく言うつもりはもちろん、毛頭ない。気になるのは、若い人たちの間で使われている敬語の中で、一番気にかかっているのがこの ”いただく” という動詞についてである。
少し以前のことだが、ある先輩のお宅にお邪魔して夕食をごちそうになった時のこと、夫人が ”どうぞ いただかれてください” と言われたのにまことに居心地の悪い思いをしたことがある。僕は言語学者でないから、間違っているかもしれないことをあえて言えば、”いただく” は 頂く とか 戴く というように、自分より上位のひとから受ける好意や温情などに対して自分の感情を表すときに添えるべき単語なのではないだろうか。この例でいえば、先輩からごちそうになる、ということに対して、その受け手である自分が使うべきものであって、その対象となるべき人、この例でいえば先輩夫人が相手にいただけ、というのはどう見てもおかしくはないか。このマグロの話も全く同じで、食べてください、という自分の行為を修飾する用語ではない。難しい理論は知らないが、80年を超える年月やってきた日本人の感覚でいえば、”食べてくれる相手” の行動にたいして敬意を払うのならば、その人の行為を修飾して、たとえば、召し上がる、というのが正解のはずだ。、
このような誤解のもとにあるのは、昨今の料理番組なのではないか、と思うのだが、その典型が ”・・・最後にソースをかけて頂きます” という言い方である。だって自分が作ったものを食べるんだから、なぜ 食べます ではいけないのだろうか。また、ペットを扱った記事や番組で自分のペットに ”たべさせてあげます” ”えさをあげます” というのか。これは ”食べさせます” ”えさをやります” ではないんだろうか。この用法が一般化して、食べる という基本的用語の活用系がすべて いただく に置き換わってしまったのではないか?
レストランで、何か複数のオーダーをしたとする。一度に出てくれば問題ないが、当然調理の都合などでデリバリが1回で済まないのはいわば当然だ。そういう場合、ウエイトレスがやってきて、確認をする。それは結構なのだが、ほとんどの場合使うセリフが ”ご注文の品、お揃いでしょうか” というのが当然のようになっている。客が何人かいるので、その人数が全部集まりましたか、と聞くならばこの言い方は正しい。そろうのは客だから、敬語を使うのは当然である。しかし注文された品を揃えるのは自分であって、この場合は ”ご注文の品、そろいましたでしょうか” というべきなのではないか。
古典落語というのか、耳慣れた話に登場して、なにか難癖をつける横丁の旦那。おれもそろそろその年齢なんだろうか?
河瀬さんのAIの回答をめぐって」に関してAIそのものについ
チッポケな存在 相模湾の海原と茅ケ崎の海岸は一体となり雄大な光景が広がった。遥か彼方に富士山が見える。箱根と伊豆の山並みは丹沢まで続いている。親子は砂浜に並んでたたずむ。大自然の中ではチッポケな存在である。
存在論 ふと存在から「存在論」をつぶやく。カメの専門はオントロジーという名前の「存在論」だった。オントロジーはAIと密接に関係する。
オントロジー 何事も何物も名前が無ければ存在できない。名前は人間の知恵の産物である。SNS世界で氾濫する諸々のデータ、流行りのコトバ、発見と発明、そこには必ず名前を付ける。名前を持つことにより存在できる。意味は「ある」のか「ない」のか、意味の存在論である。
「存在、意味、定義」はオントロジー(Ontology)における研究テーマでもある。iPSという名前を与えられると、その存在はもっともらしくなる。AIという名前を与えられると、その概念や考え方など思想はなんとなく分かったような気分になる。
存在論は名前付け(ネーミング)や意味と定義に関する情報技術とされ「AIオントロジー」になった。AIはオントロジーなくして存在できない。人は、何事にも何物にもまず名前をつけて存在を確認する。AIは諸々の名前あるデータをかき集めることにより新たな知識を生成する。ただし、その知識にAIは名前を付けてくれない。
これは「概念化」ということで, AI技術では「メタデータ」と呼ぶ。簡単な例を挙げてみよう。
「ニワトリ、雀、カラス、燕」など名前が与えられた鳥類というグループで、これらは実際に飛び回っている。「実体」である。ところが「ニワトリ、雀、カラス、燕、鳥」とし「鳥」を加えてみると、鳥という実体は存在しない。鳥は「概念」であり鳥類も同じく概念、実体も無く名前だけの存在です。つまり「メタデータ」。
このような概念化はAIは非常に苦手で、実体の属性までは明らかにできても分類まで思考できない。実体の属性を分類して、つまり抽象化することによりグループを造り出す。なんとかそこまでは可能だが、「鳥や鳥類」という集合、分類カテゴリーに与える名前(メタデータ)は何とすべきか。分類は知の体系化、すなわち概念の抽象化の産物である。
AIの苦手とする分野は、「抽象化」つまり「概念化」で、かたや人間は、概念化は得意である。AIオントロジーでは「概念化」とは「メタデータ」、データのデータ」つまりデータを定義するデータ(メタ超える)のことである。例えばカメのホームページ(Website)は、HTMLやSGMLなどメタデータを使い表現(プログラミング)されているのだ。
(河瀬)カメさんが指摘
(編集子)“カメ” とは筆者斎藤君のKWV時代の通称である。
「旅人(たびにん) 国定龍次」(著者:山田風太郎、発行:講談社、1986年)の上・下(ちくま文庫。2011年)二巻。山田と言えば忍法ものを「忍法帖」として見事に復活させたことで有名だが、小生、忍法ものを大の苦手としており、これまで一冊も読んだことがない。
一方、山田の明治ものについては、「警視庁草子」に始まって可なりのものを読んだが、なかでも「幻燈辻馬車」は、薩長閥による明治政府を判官贔屓の観点から虚仮にして描いており、大変、面白かった。これらは、実際にいた人々の中に、山田の想像、創作した架空の人物を放り込んで物語を進めて行く体裁をとっている(そう言えば、司馬遼太郎にも同じような「十一番目の志士」と言うのがあった。長州藩の高杉晋作の下に架空の刺客、天堂晋助を放り込んだもので、それが余りにも現実味を帯びていたことから、実際にいたと思い込んだ人もあったようだ。これも、大変、面白かった)。
で、幕末もののこの「・・・龍次」も同様で、国定忠治(
話しは、血気に逸る龍次が、水戸藩の天狗党、八州取締出役などを、忠次譲りの長ドス(長脇差)で、忠次の戒名「遊道花楽」、「ゆうどう からくっ」を叫んで殺ってしまったために(人を殺るに当たって、龍次は必ずこの戒名を叫ぶ)、上州(群馬)は大前田の栄五郎の下にいた龍次は、これ以上、上州にいられないことから、修業の喧嘩旅に出かけることになる。
それに伴って、栄五郎の養女であり、股旅が終わったら夫婦となる約束をしていたおりんが龍次の追っかけ(お目付け)となって龍次の前後に出没し、得体の知れない薩摩は文武に優れた草堂万千代(別名、ヒゲ万)が龍次の用心棒として控える。
先ずは、上巻で、実際にいた有名な侠客たち、例えば、新免辰五郎、黒駒の勝蔵、清水の次郎長などに、一宿一飯の草鞋を脱ぐ。龍次は、竹を割ったような性格で弱い者の味方に徹するが、脳天気であるだけに、その言動には一種、喜劇の趣さえある。しかし、最後には、その喜劇が一転して悲劇に突入することになる。
つまり、下巻の後半、京都の薩摩藩邸にいたヒゲ万に呼び寄せられてからは、それまでの股旅ものから、龍次は幕末の尊王攘夷、佐幕開国、入り乱れての争いに巻き込まれて行くのだ。その相手は、坂本龍馬、西郷隆盛、岩倉具視、相良総三、近藤勇(後に、龍次は近藤に右目を潰される)などなどだ。一本来な龍次は、最後、相良総三を慕って赤報隊に入れ込んだが、岩倉具視によって赤報隊は偽官軍の汚名を着せられ、相良総三は処刑される。
最後は、おりんが薩摩のヒゲ万に鉄砲で殺され、右目を潰された龍次も、ヒゲ万に右腕を切り落とされ(それまでの稽古では、ヒゲ万に全く勝てなかった龍次が、ここで、初めて、ヒゲ万をヤッツケル)、正に満身創痍となって、おりんの愛馬におりんの死体をのせ、赤城山へ帰るところで終わっている。ハッピー・エンドでないところが、いかにも山田らしいのだが、この最後は、哀愁を帯びたもので、涙を誘う。
山田は、著書「非壮美の世界を」の中で、「彼(龍次)を主人公として描き出される屍山血河の世界は、単純無比の男だけが生み出せる(非壮美)の世界である」と語っている。小生も、そう思う反面、これは、岩倉具視を筆頭とする海千山千の輩に翻弄された一本気な若者の喜劇悲劇を物語った大人のお伽噺と言った趣が非常に強いのではないかとの思いを深くした。