昭和29年【1954年】慶応義塾普通部卒業生仲間の私的なあつまり、ひびら(日平)会を銀座三田倶楽部で開催。12名参加予定だったが3名ドタキャン。9名で愉しく歓談致しまし
本日の参加者 河野・田村・日高・岡野・宮坂・片貝・加藤・薄井さん船津9名で
29年卒の各位、ご興味あらば船津於菟彦君あてご連絡されたし。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
ま、日本広しといえども知ってる人はまずいねえだろうなあ、と浅はかな優越感を持って書いている。
数日前の読売に、”遺作になった占領日記” という記事が出た。ウクライナでロシア化に抵抗した文学作家バクレンコがロシア占領の現実を書き残した秘密の日記をロシア軍に連行される直前、庭に埋めて隠した。そのことを本人から知らされていた父親に聞かされた、ビクトリア・アメリーナという女性作家が桜の木の下から掘り出した。最後のページは 全てはウクライナになる!勝利を信じている! と書かれてあったという。アメリーナはこの本の出版に全力を挙げ、すでに欧州各国で出版されているが、彼女自身もまた、ロシア軍のミサイル攻撃で亡くなったというのだ。
こういう悲劇はおそらくウクライナ、あるいはロシアでも数多くあるのだろう。他国の話ではあるが、形こそ違え、日本にも同じような過去を持つ人がおられるはずで、とにかくもこの戦争が終わる日を待ち続けるしかない。
こういう悲劇を題材に軽々しく文章を書くことは慎むべきなのだが、この記事の一節にある、桜の木の下、というところが気になった。バクレンコはその場所をどのように伝えていたのだろうか。そう思ったときに、ひらめいたのが表題にした リンバガスカ という暗号である。不謹慎と怒られるのを覚悟で、思い出したことを書く。
小生の小学生から中学1年の間位に、当時続々と復刊されていたのが戦前の少年倶楽部誌に連載されていて、終戦直後はGHQの方針で復刻を許されていなかった、冒険物語のかずかずだった。いわく山中峯太郎、久米元一、南洋一郎に野村胡堂。”亜細亜の曙”(テレビ番組にもなったそうだが知らなかった。ヒーロー本郷義昭いわば大日本帝国版ジェームズ・ボンド、なんてあこがれたもんだ)とか、”敵中横断三百里” とか、いまではタイトルもあやふやだが、いろんな本をよみふけったものだ。その中であらすじも明確に覚えているのが野村胡堂の ”地底の都” という一編。富士山麓のある場所に、日本史に記されていない過去の都がうずもれているという発見をめぐって、その秘密を知っている考古学者が誘拐される。考古学者春日万里を救出しようと主人公の
少年二人と妹が活躍するのだが、その過程で、彼らの手元に博士の書いた手紙が届く。ただ少年たちには末尾にかかれた リンバガスカ という意味が分からない。二人は優等生と元気少年の従兄弟同士、その優等生のほうが、これはおじさんの名前 春日万里 をさかさまにつづったものだ、と見抜き、わざわざさかさまにしたのは、この手紙に書かれているてがかりをすべて逆に解釈せよということだ、と見抜く。この後は三人に味方する名探偵に鬼警部、というお定まりで大団円になるんだが、ひょっとするとウクライナの作家もこんな秘密文を書き残しておいた、なんてこたあねえだろうなあ、と思った、という次第。ウクライナで呻吟されている人たちには不謹慎で申し訳ないとは思うのだが。
亜細亜の曙、の挿画は当時売れっこだったという椛島勝昭のペン画だそうだ。戦後のペン画、いわば現代っ子のマンガ本のはしりとして記憶にあるのが小松崎茂だ。代表作 地球SOS は苦労して探し出して、手元にある。空魔エックス団、とか ハリケーンハッチ、なんてもあったな。同じころ興奮した、これは小松崎ではないが、歴史もので熱狂したのが怒涛万里を行くところ、というのも思い出した。これは作者も覚えていないので、復刻版もまずないだろうが。山川惣治の少年王者、は少し遅れて登場した、これも名作だった(KWV36年卒同期の山室修のニックネーム、ザンバはこの作品に登場する大男の名前である)。
あの頃の少年たち、つまり俺たちがこれらの子供向けSF小説の上で熱狂した”未来” は21世紀だった。よくわからないけどいい時代になるらしい、と信じたものだ。それが今。そうか、世の中はこうなるんだ、と興奮したもんだが、いまだに領土争いだの宗教論争なんかで戦争が起きてる。まったく進歩してねえじゃねえか。あらためて本稿のきっかけになったウクライナの悲劇に心が痛む。
「阿蘭陀西鶴」(著者:朝井まかて。発行:講談社、2014年)を読む。
朝井は小生のお気に入りの作家なので、今まで10冊以上は読んでいる。ただし、「阿蘭陀西鶴」と言う題名の阿蘭陀が何やら胡散臭いのでこれまで敬遠して来た。ところが、先日、松井今朝子が近松門左衛門のことを書いた「一場の夢と消え」を読んで、ほぼ同時代に生きた井原西鶴のことが知りたくなった。そこで胡散臭い本に挑戦したわけだが、結果は、正に上出来だった。
その出だしは、「せかせかと忙しない足音が耳朶に響いて、おあいは包丁を持つ手を止めた」で始まる。これだけを読んで、西鶴の長女おあいがメクラであることに気付いた人は、たいしたもんだと思う(鈍い小生は、後述のようにおあいが告白するまで全く気が付かなかった)。確かに、良く読んでみれば、「耳朶に響いて」の表現が一癖も二癖もあるわけで、ここは「足音を聴いて、・・・」となるのが普通だろう。
つまり、この本は、メクラのおあいから見た父親の西鶴を語っているわけなのだが、実は、主人公は西鶴と並んでおあいでもあるとの印象を強く持った。冒頭から十数行後におあいがメクラであることを自身で告白するのだが、その時点で小生は忽ち、おあいに感情移入してしまい、肝心の西鶴がどうでも良くなってしまった。そう言えば、同じ朝井の「眩」(くらら)でも、葛飾北斎の娘、葛飾応為が主人公だったことを思い出す。
とは言え、ここで西鶴のことを簡単に触れておく。小生、こんなことは知らなかったのだが、西鶴は俳諧師として出発した。しかし、その俳句は、矢数俳諧と言って、一昼夜、又は、一日の間に独吟で句数の多さを競うもので、質よりも量を目的としたものだった。また、松尾芭蕉を徹底的に罵倒し、己の句を「オランダ流といへる俳諧は、其姿すぐれてけだかく、心ふかく詞あたらしく」と言って、阿蘭陀西鶴を自画自賛している。しかし、現在、人口に膾炙しているのは、皮肉にも、西鶴のそれではなく、例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」、「夏草や 兵どもが 夢の跡」などと言った芭蕉の句ばかりではないだろうか。とは言え、ここで阿蘭陀西鶴に敬意を表し、その一句を取り上げてみよう。「大晦日 定なき世の 定かな」。
それを知ってか知らずか、今風に言えば、西鶴は、その後、重点を詞(俳句)から散文(草子)に移し、そこで生まれたのが、稀代の色男を描き、今で言う、娯楽小説でもある「好色一代男」。これが爆発的に売れに売れて、今で言うベストセラーとなり、以後、「好色五人女」、「好色一代女」、「日本永代蔵」、「世間胸算用」などなどと、西鶴自身も一代ベストセラー作家へと大変身を遂げた。ここで、近松門左衛門との触れ合いについて簡単に触れておこう。近松門左衛門こと杉森信盛は西鶴を訪ね、西鶴の「好色五人女」を浄瑠璃にしたいと申し出て、西鶴の了解を取り付け、有名なおさん茂兵衛の姦通事件を扱った浄瑠璃「大経師昔暦」(ダイキョウジムカシゴヨミ)となる。
一方のおあいは、25歳で亡くなった母に代わり西鶴に寄り添って支えて行くが、小生、読み進めながら目の見えないおあいの視点になり切っていた。その母に仕込まれた料理を感覚を研ぎ澄ませて料理し、思春期らしく父親に反発したり、歌舞伎役者、上村辰爾に淡い想いを寄せたりするあおいが大変生き生きと描かれている。と言うわけで、最後、あおいは26歳で亡くなり(ここで、一寸、泣かせる)、父親の西鶴は翌年鬼籍に入る。
なお、この本の表紙を飾っている絵、神坂雪佳の描いた「元禄舞図」の一部がなかなか面白くて、大変、気に入った。泰西の名画も良いが、どうも日本にはこれはと言う画家がいくらでもいたようで、何も「奇想の系譜」に連なった画家だけとは限らない。
なお、殆どの鍵括弧で括られた台詞は大阪弁である。最後に、「朝井はん、仰山、ようおますなー」。これは、大阪弁と京都弁の違いが全く分からぬ小生の奇妙奇天烈な言い回しであり、これでお開きとする。
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朝井 まかて(あさい まかて、1959年8月15日 – )は、日本の小説家。大阪府羽曳野市生まれ。大阪市在住。ペンネームは沖縄県出身の祖母、新里マカテの名に由来する。
西部劇とは、無敵のガンファイターが主役という従来の常識を一掃
監督脚本はこれが長編映画デビュー作のトム・グライスで、サム・ペキンパー
キャトルドライブの帰り、腕の良いウイル・ペニー(チャールトン
レックス(ベン・ジョンソン)に雇われ、人里離れた
騒ぎは収ま
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最近 軽い認知機能障害に新しい薬「レカネマブ(レケンビ)」が発売されました。効果には半信半疑でしたが、私の所属する立川共済病院ではすでに100名近くの患者さんがこの治療を受けています。今のところ, 目立った副作用は少ないようです。この薬、早く見つかった軽度認知障害の方に、特に症状悪化を遅らせる効果はあるようです。しかし、ごく初期にしか 効きませんが。
今日は難しい話は別として、次のことに皆さんがどのくらい当てはまるかテストしてください。
〇 昨日の昼食・夕食が思い出せないーー思い出してみてください
〇 いつもやっている仕事に最近ミスが目立つ
〇 友達との約束や病院の予約を間違えた、あるいは忘れそうになった
〇 最近、毎日飲む薬の余りが目立つ(飲み忘れ?)
〇 同じことを何度も(2-3回は問題なし)繰り返して訊いたと家族に言われた
〇 言いたいことが上手く説明できないで イライラする
〇 最近買った家電などの使い方の説明書を読んでもよく分からない
〇 趣味や外出に消極的になった
〇 やる気が出ない
以上はほんの一般的な質問ですが、思い当たることはありますか?3つ以上、該当したら要注意かもしれません。質問に軽重はありますが。
次回はこれらの症状に効果が期待される、最近発売された抗認知症薬を概説します。
ジョン・フォード(John Ford、1894年2月1日 – 1973年8月31日)は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、俳優である。1910年代から1960年代にかけての50年以上のキャリアで140本を超える作品を監督し、同時代の最も重要で影響力のある映画監督のひとりとして広く認められている[1]。『駅馬車』(1939年)や『捜索者』(1956年)などの西部劇や、『静かなる男』(1952年)などの自身のルーツのアイリッシュを題材にした作品、『怒りの葡萄』(1940年)などの20世紀アメリカ文学の映画化で知られる。アカデミー賞では監督賞を史上最多の4回受賞している。
(飯田)普段はあまりフォローしないネット情報でジョン・フォード監督作品の評価順位を見てみました。以下の2つの情報がありました。ベスト10(チャットGPT)は
1、 捜索者 2、駅馬車 3.静かなる男 4、リバティ・バランスを射った男 5、アパッチ砦 6、怒りの葡萄 7、我が谷は緑なりき 8、黄色いリボン 9、荒野の決闘 10、シャイアン
ジャイさんの推す「三人の名付親」や「長い灰色の線」が入っていないのも気になる。https://note.com/monkmonk/n/n48c8fad08f80
他には、フォード監督の全作品に近い50本の評価をしたものもありました。時間がある方はチラ見してください。 https://cinema-rank.net/list/50532
(安田)ベスト50の方は’10〜’
フォード作品、僕の個人的ベスト10は、
1. 荒野の決闘
2. 捜索者
3. リバティ・バランスを射った男
4. 駅馬車
5. 三人の名付け親
6. リオグランデの砦
7. 我が谷は緑なりき
8. 黄色いリボン
9. 静かなる男
10. 怒りの葡萄
観たばかりの人間ドラマ「長い灰色の線」
(小泉)ジョン・フォード論でも書きたくは思うものの、各位のご意見も拝誦したり、過去の論点からして
この後13年間も西部劇のブランクがあり、1939年に「モ
フォードがこよなく愛した、ユタ州からアリゾナ州に広がる荒野、モニュメントヴァレー。数多くの名作西部劇に登場する。編集子はフォードに敬意を表すべく、なんと真夏に訪れた。コロラドからの長ドライヴに飽き、たどり着いたモテルで ビール! とどなったら ”ここは DRY STATE (アルコール販売禁止)だ!と怒鳴り返されて泣く泣くコークで我慢したものだった。ジョン・ウエインがコークで我慢したとは聞いていない。
中国の赤ワインを見つけた。品種は「蛇龍珠」という、いかにも中国人好みの縁起を担ぐ名前である。中国山東省で生まれの赤ワインを初めて飲んだ。実に美味かった。そして嬉しかった。私は昔から自慢していることがある。私が1942年9月6日に山東省青島で生まれたことである。
青島はドイツが19世紀末に植民し造った町である。西洋風なお洒落な雰囲気が今でも残る大都会。中国ワインの名前は「CHANGYU」という。まるで高級な紹興酒のような味がした。感激し涙がこぼれた。これならば麻婆豆腐と美味くペアリングできるだろう。目を閉じると青島の真っ青な海が浮かんできた。
ソムリエ萩野谷岳さんは丁寧にワインの楽しみ方を説明された。ワインをより深く楽しむための「発見」というテーマである。ナイアガラのスパークリングワイン、グルジア産の白、中国山東省の赤チャンユー、甲州完熟甘口ロゼが並んでいた。
「テイスティング技法」の基本は、目(外観)、鼻(香り)、口(味わい)と説明された。そして「ペアリングの考え方」は味の方向性に合わせる、色合わせ、食感で選ぶという。なるほど納得し、テーブル中央にお洒落に盛り付けられた料理を熱く見つめた。
濱田年古さんは、女性シェフに間違いないと思う。和風の重箱にワインのペアリングに合う料理を準備された。実に心こもるホスピタリティ。手の込んだ山芋のソテー、ミックスナッツの蜂蜜漬け、赤カブのマリネなど彩も鮮やかで素晴らしいワインとのペアリングだった。
妻役のモーリン・オハラは、フォード監督
お気に入りの秘蔵っ子で
(飯田)タイロン・パワーは確かに大根役者との評があった(特に当時の映画評論家)ですが、安田さんと同様に、私も彼を大根役者とは思っていません。
大柄で特に太い濃い眉毛の顔つきが、演技者としてはマイナスになっていた所があったのではとも思われます。特に悲しい顔や淋しい顔をしても、眉毛の濃さ太さで、そうは見えない?のではとか。
安田さんの挙げた以外に「怪傑ゾロ」(1940年)「黒ばら」(1950年)「壮烈カイバー銃隊」(1953年)などの他、アーネスト・ヘミングウエイの小説「陽はまた昇る」(1957年)はたびたび見る映画です。
(小田)安田さんの説明で背景が詳しく分かりました。又痛々しい軍隊の話かと思いましたら、
ウエストポイント(陸軍士官学校)で50年務めた体育助教の回顧録で、夫婦、親子、師弟等の愛の物語・・・皆さんの評価もまあまあのようですね。
皆さんののコメント通り、士官候補生の隊列行進のシーンが印象的でした。「ラブ・ミー・テンダー」もご愛敬でした。私も、そこそこ面白かったのですが、名作に必須の「感動」や「余韻」はあまり感じられないエーガでした。
惜しい所があります。折角、士官候補生の中に、アイゼンハワー、マッカーサー、パットン、ブラッドリー等のビッグネームがいたのですから、彼らのエピソード等を入れれば、もっとワクワクする面白いエーガになったのではないでしょうか。最後に、「地上より永遠に」では、モンティー、ランカスター、シナトラ、カー、リード等の魅力ある俳優が「目の保養」になりましたが今回のタイロンパワーとモーリン・オハラは美男美女ではありますが、少々地味でオーラが無く目の保養とまでは行きませんでした。