副題:思い出のアメリカ映画。著者:川本三郎、発行:晶文社、2000年。
川本は1944年生まれだから、小生とは6歳の違いがある。でも、以下のように見ている映画がほぼ重なっているから、1960年では川本16歳、小生22歳。川本がませていたのか、小生がボンクラなのか。その理由は、両方だろう。
彼は、この本が発行された2000年当時、あとがきでこのように述べている。「50年代から60年代にかけてのハリウッド映画は、いまよりずっと面白かったと思う」。その時代のアメリカ映画を語っているのがこの本で、ちょっと長いが、以下、全部で52本。ただし、例えば、「オクラホマ」、「ワーロック」、「許されざる者」など文中だけで言及している映画もあるが、余りにも煩雑になるので目次で示されている映画だけに限った。また、彼は、十代の映画少年にとって劇場プログラムは宝物だった、とプログラムを絶賛している。
ただし、彼はロードショーばかりを見ていたわけではなく、その値段が150円だった頃のことを回想して述べているのであり、ロードショーは勿論、二番館、三番館でも映画を楽しんでいる。なかでも、彼の大好物は西部劇で、作家の逢坂剛と西部劇について対談している本もある「大いなる西部劇」(新書館。2005年)。ただし、彼の好みは、例えば、監督はジョン・フォードではなく、同じジョンでも、「ゴーストタウンの決闘」、「OK牧場の決斗」、「ガンヒルの決斗」などのジョン・スタージェスであり、俳優はジョン・ウェインではなく、同じ「リオ・ブラボー」に出ていたリッキー・ネルソンと言った具合なのだから、そのねじ曲がり具合は尋常ではない。それを象徴しているのが、この本が、西部劇で始まり、西部劇で終わっていることだ。小生は見ていないが、冒頭の「拳銃王」(The Gunfighter。1950年)を「異色の西部劇」と呼んでいるが、何故なら、グレゴリー・ペック演ずる主人公がガンマンを止めたがっているガンマンと言う設定なのだ。また、とりを務める「ハッド」(Hud。1963年)を、川本は「西部の夢の終り」と名付けている。テキサスを舞台に、ポール・ニューマン(主人公のハッド)が出演しているのだが、全体にたそがれの西部という寂しい雰囲気にひたされていると言う。しかし、この類の西部劇を、川本は好んでいるようだが、小生は、イジケテいるからイジケタ西部劇と呼びたい。
いずれにしても、こう言った1950/60年代の映画が連なって来ると、こう言う類いの本の一番イケナイところは、見たくなる映画がゴマンと出て来ることだ。当時を思い出して懐かしさが込み上げて来るのは、年寄りとしては、致し方ないだろう。特に、中でも、「ハリーの災難」、「成功の甘き香り」、「十二人の怒れる男」、「渚にて」、「アラバマ物語」など。
蛇足だが、1960年当時の初任給を10000円とすると、150円の出費は可なり痛い。でも、一般大衆にとっての娯楽は、まだテレビではなく、その殆どが映画だった。従って、映画館で映画を見物する人口も、その後、テレビ、ビデオなど映画館以外での選択肢が大幅に増えたことにより、1960年の10億人以上から2012年の1億5000万人へとこの間殆ど1/10にまで激減してしまった、と伝えられている。
目次で取り上げられた52作品(太字は、小生が見た映画30本、*は西部劇13本)。 (編集子が見たものは g を付けてみた。スガチューにはやはり敵わないことがわかるのは一目瞭然)
「拳銃王」*
「ハーヴェイ」
「真昼の決闘」* g
「裸の拍車」 g
「シェーン」* g
「悪魔をやっつけろ」
「大アマゾンの半漁人」
「ケイン号の反乱」 g
「裸足の伯爵夫人」 g
「雨の朝巴里に死す」
「ヴェラクルス」* g
「星のない男」* g
「情事の終り」
「東京暗黒街・竹の家」
「エデンの東」 g
「七年目の浮気」
「海底二万哩」
「マーティー」
「ハリーの災難」 g
「ピクニック」 g
「山」
「禁断の惑星」
「必殺の一弾」*
「友情ある説得」*
「翼よ!あれが巴里の灯だ」g
「めぐり逢い」
「成功の甘き香り」
「戦場にかける橋」 g
「青春物語」
「情婦」 g
「若き獅子たち」
「ゴーストタウンの決闘」* g
「愛する時と死する時」
「手錠のま脱獄」
「大いなる西部」* g
「大戦争」
「月夜の出来事」
「旅路」
「走り来る人々」
「十二人の怒れる男」
「ガンヒルの決斗」* g
「或る殺人」
「夜を楽しく」
「渚にて」
「スージー・ウォンの世界」
「荒野の七人」* g
「アラバマ物語」
「ハッド」*