老人仲間とのラジオ体操は近くの蓮池公園で楽しみます。小さな湖水は蓮で一杯になります。やがて赤い蓮の花が見ごろになります。水辺の蓮池公園には数本の大きな赤松と柳があります。
ここは悲劇の公園でもあります。平成17年(2005年)7月7日七夕の日でした。KWVのS38先輩である岡崎昌子さん親子は大きな松の木の下で雨宿り中に雷にうたれて亡くなられました。
その柳は蓮池公園内ですがブキさん親子が落雷に遭われたの大きな松は、写真中央です。20年前は稲妻の後が一部黒く焦げていましたが今は、御覧の通り立派な松の大木になりました。今でも鮮明に思い出すのは激しい雷の稲妻と土砂降りでした。岡崎さんと娘さん、そして愛犬はこの松の下で雨宿りをされていた。その後の悲劇は地元では有名になりました。カメも当日に現場に行きました。
愛犬だけが生き残りご自宅に帰って来ました。岡崎県知事は自治省出身で大変な人格者で藤沢市民からも人望がありました。カメは藤沢市民として岡崎夫人の後輩であること誇りにしていました。ブキさんも優しいお人柄でテニスなど御一緒しました。鵠沼地区のプロテスタント系幼稚園にも熱心にご指導されていました。お二人の棺を載せた霊柩車はご自宅から駅前を通り市営墓地へと向かいました。実に厳かな市民葬でした。それにしても写真では立派な松に成長しました。本日、4月12日に見てきて驚きました。
カメと年寄り仲間は毎朝、この鵠沼蓮池でラジオ体操に励んでいます。そして亡きブキさんを偲びいつも合掌しています。
(編集子)穏やかなやり方でありながら確たるリーダーシップを発揮してくれる、たよりになる ”2年生” だった。最後に会ったのは事故の少し前、伝説の ”八甲田合宿” を忍ぼうという企画で、当時の4学年仲間で東北ワンデルングをやった時だった。帰途のバスの中で、小生のすぐ後ろに陣取り、八戸までのの間、同期の町井(旧姓舟橋)としゃべり続けていて、こっちは居眠りができなかったことを覚えている。20年もたったのか、まさに感無量(こういう場合に適切な用語ではないかもしれないが)というだけである。合掌。