エーガ愛好会(45) 三人の名付親
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(小泉)冒頭「ハリー・ケリーの思い出に献ぐ。彼は古き西部の空に輝ける
ピーター・B・カインの原作は「恵みの光MarkedMenn1919」としてケリー主演で映画化、それ以前にも、191
主演の3人は、ご存知ジョン・ウエイン、メキシコの大スター ペド
物語りはアリゾナ州境の町ウエルカムで、三人の男が銀行強盗を働
クリスマス興行用と言われるくらいに、聖書を基に、東方三博士を
最後の酒場でのピアノ弾きはヘイゲ
いずれにせよ人間の善性の輝きを歌いあげてのエンディングで、
(小田)皆様の詳しい解説にはとても助けられました。激しい撃ち合いも無く、少し安心して観ていられました。
(安田)キリスト教徒であれば物語が聖書に則ったことはすぐ分かるのであろうが、宗教色はそれほど強くなく、むしろ穏やかに優しく物語が流れていく。マッチョでたくましい大男ジョン・ウエインが小さな乳飲み子を抱えている西部劇は見るだけでほほえましい。今まで祈ったことがないような無法者が、無垢な赤ん坊を守るうちに聖書の言葉に心が動かされていく過程が見どころのひとつだ。
脇役で光っていたののは、ジョン・フォードのファミリー一家と言っても良いほどのジョン・ウエインの盟友・名脇役 である、ワード・ボンドである。この機会に数えると、「静かなる男」「駅馬車」「拳銃の町」「ダコタ荒原」「アパッチ砦」「捜索者」「リオ・ブラボー」などでジョン・ウエインの名脇役を演じている。更に「ヨーク軍曹」「我が家の楽園」「風と共に去りぬ」「怒りの葡萄」「マルタの鷹」「素晴らしき哉、人生!」「荒野の決闘」など名画あるところに名脇役ワード・ボンドありで、大変楽しませてもらった。肥満気味であったが1960年57歳の早過ぎる鬼籍いりであった。
(小川)素敵なエーガでした。小泉兄の名解説を読んだ後で観たのでより素晴らしかったです。
“西部劇というよりは、ヒューマニズム溢れる人情ドラマで、” 実にその通りでした。これはKWV必見ですね、情景については勿論非常に美しかったで
駅馬車を思い出すバックミュージックもよかった。
“ロバート・ウイリアムス・ペドロ・ハイタワー、あばよ” のウエインはまだ若かったね。
(金藤) Giさんの「見てよ!」のお勧めです、観ました!西部劇?でこのような展開は初めてです!三人のゴッドファーザー、
優しかったですね!
(編集子)ジョン・ウエインはハリウッドで下働きをしているところをラオール・ウオルシュに見いだされ、 Big Trail に主演して西部劇俳優としてスタートし、ジョン・フォードがかの 駅馬車 に抜擢、その後西部劇のキング的存在になるのだが、フォード監督による作品は
アパッチ砦・黄色いリボン・リオグランデの砦 といういわゆる騎兵隊三部作、リバティバランスを射った男 捜索者 騎兵隊 それとこの 三人の名付親 だけである。ウエイン西部劇、といえば1920年代からあるのですべてあげるのは不可能だが、我々の年代では ほかにも 赤い河 エルドラド スポイラース チザム リオ・ブラボー 勇気ある追跡 エルダ―兄弟 ウエインの遺作になった ラストシューティスト などなど数多い。ただこれらの作品の監督は ハワード・ホークスとかヘンリー・ハサウエイ、それと後半には親友だったヴィクター・マクラグレンの息子、アンドリュー・マクラグレンなど、大まかに言ってしまえば大作・活劇的なフィルムを得意とする人たちで、作品そのものにもアクション、派手なガンプレイなどの、言ってみれば西部劇の代名詞、といえるファクタが前面にでてくる。それだけに上記のフォード作品(と、主演はフォンダと違ったが小生にとってのベストフィルム 荒野の決闘 を加えて)との差というか隔たりは明確である。小泉さんはヒューマンな西部劇、という表現をされたが、どれをとってもこの形容詞はフォード―ウエイン作品に共通するものだろう。
またこの作品も、フォード一家、といわれた常連が顔をそろえているのが楽しい。わき役陣に騎兵隊三部作などの常連だったヴィクター・マクラグレンがいないのが寂しいが、ベン・ジョンスンもきっちり顔を出している (なおもう一人、名前が確定できない常連がいるのでご存じの方があればご教示願いたいのが、この作品ではラバの扱いで苦労し最後はウエインを護送する役の禿の老け役、赤い河 にも出たし、捜索者では先住民のとの戦いで正気をなくしてしまい、いつもゆり椅子に座っていた陽気な老人を演じた人)。ハリー・ケリー親子については上記小泉さんの文章に詳しいが、
かの 赤い河 で苦労の末、アビリーンにたどり着いたモンゴメリ・クリフトと牛の取引をする親分的人物がハリー・ケリー・シニアであったことを付け加えておこう。フォードはこの先輩に敬意を表して、作品の名前を思い出せないがほかでも同じような役で出演してもらっている。このアビリーンという町は本作品ではその息子のジュニアが強盗をやって手配を受けている、という設定になっているのが面白い。西部に鉄道ができた初期は開拓の最前線だったところで、ほかにもダッジシティとかツームストーンやサンタフェ、エルパソなどと並んで西部劇ではおなじみだ。
小泉報告にあるように駅馬車が来る場面ではずばり ”駅馬車” の有名な主題歌のメロディ(原題は Bury me not on the lone prairie ということになっているが、例によってウイキってみるとさらにそのもとは Ocean Burial という水夫の歌らしい。ま、どっちにしても良いものはいいやね)) が流れるが、この作品での主題的旋律は ジョニー・キャッシュも歌っている Street of Laredo である。この歌詞は ラレドの街で白い布に覆われた若いカウボーイの葬列に逢った ということから始まる。負傷がもとで死んでしまうハリージュニアにかぶさって響いてくる旋律だった。歌詞はこういうで出だしではじまる。
As I walked out in the street of Laredo,
as I walked out in the street of Laredo one day
I saw a young cowboy wrapped in white linen
Wrapped out in white linen as cold as the clay ……
小生が高校時代、初めて聞いたのは当然キャッシュではなく、もう少し古いものだったと思うが、すり切れた古いSPからスクラッチノイズと一緒に流れた旋律がとても印象に残っている。聴いた時の精神状態にもよるのはもちろんだが、なんともいえない哀愁が突き刺さる旋律だった。
”アメリカ人の愛国心” 読みました (44 安田耕太郎)
半世紀以上前の1968~69年、21~22歳の学生時代、アメリカ大陸を2回横断し、25州を訪れ、ロサンゼルスではグリーンカードも持たず(即ち、違法で)植木屋として働いた。社会人となってアメリカ企業に勤め、数十回を超えて渡米し、滞米日数は合計すると優に1年を超える。アメリカには少なからず関心がある。
米国人の非常に強い愛国心を度々肌で感じる機会があった。出自・民族・氏・宗教が異なる多民族で構成される国民をまとめているのは、建国と発展を象徴する国旗・Stars and Stripes (星条旗)と国歌であるという印象を、愛国心の証として常に感じた。宍倉さんご指摘の様々な場面でまさに愛国心の強さが具体的に表れていた。また、建国以来の理念である自由・独立・平等・民主主義を標榜する姿勢がアメリをアメリカたらしめていた原動力でもあった。だが、近年アメリカ・ファーストの旗印の下、その理念が薄らいだかに見えるのは残念なことだ。
また、ルーツ・素性・価値感・信条などを共有する確率が低い、或いは分からない相手と対応することを求められるところから、米国では「以心伝心」「沈黙は金」は成立せず、自己主張を表現力豊かに伝える、いわゆるCommunication Literacyの優秀さが求められる。特にPresentation (自己表現)とDebate (討論・議論)の大切さは単一民族国家(homogenous)の日本にはない文化・社会現象である。
米国の市民権・永住権を求める人の波が益々顕在化しているのも今日の現実だ。古代ローマ時代のゲルマン民族の大移動ではないが、貧しい地域から肥沃で豊かな地域へ人々が移動・移住したがるのは自然な人間の性である。米国の人口は現在の3億数千万から今世紀末までには5億近くまで増大すると予想される。日本の人口が3千万であった明治維新当時、米国の人口は4500万ほどであった。アメリカとは、世界にとってそれほど魅力的な磁石なのだ。僕が滞米していた1960年代はヴェトナム戦争の真っただ中で、観光ビザ入国し滞在している外国人の僕も、ドラフトによって米国軍隊へ入隊させられる可能性があった。無事除隊すれば、容易に永住権はおろか市民権獲得の道が開けることから、ヴェトナムの戦場へ向かった米国籍以外の短期滞在者が結構いたのには驚かされた。今日の中南米諸国から国境を目指して押し寄せる人の波が途絶えないのも半世紀前とは、根本的に全く異なっていない。
今日の米国は分断と格差拡大により混迷を極め、バイデン大統領の使命と責任はとてつもなく重い。歴史上、米国は最も深刻な分断を、Civil Warといわれた南北戦争で引き裂かれた1860年代に経験した。分断が和らぎ解決された(少なくとも表面的には)のは戦争によってであった。戦争では対外的な敵に向かうことで、国民の強い愛国心に訴えかけ、国と国民が一枚岩になりやすい。南北戦争で表面化した米国社会の分断も第一次と二次世界大戦を経験することで、ほぼ消滅したと云える。ルーズベルト大統領が、躊躇していた第二次世界大戦への参戦を、米国民の情熱的な賛同を得るため、敢えて日本に真珠湾攻撃をやらせるように仕向けたとする分析結果もある。愛国心を刺激し国民と社会の分断を一挙に解決させ国民を一枚岩化させる戦略的頭脳作戦を遂行したともいえるのである。戦争になると大統領の支持率が一挙に上がる例は枚挙に暇がない。穏健的なオバマ政権による、国民の9割以上が喝采したアルカイダ首領オサマ・ビンラディン暗殺作戦も記憶に新しい。米国が独立以来関与した対外的戦争は、ブッシュ親子大統領の湾岸戦争を除くとすべてが民主党大統領治世下である。即ち、20世紀では、第一次・第二次世界大戦・朝鮮戦争・ヴェトナム戦争、すべてそうである。民主党は共和党に比べると、より理念重視傾向が強く理念が実現しない場合は戦争へと向かう確率が明らかに高い。
現在の米国の混迷は、グロバリゼーションとIT革命という二つの大きな制御できない、世界を覆う津波に飲み込まれた結果と観ることもできる。翻って、独裁専制体制の下、覇権獲得の意志を隠そうともせず米国に挑戦しているかに見える中国の強大化・軍国化に対して、民主主義国家の盟主として、困難な国内問題を抱える米国がこれにいかに対峙して平和裡に世界の安定と成長をもたらすのか大いに期待したい。バイデンは民主党大統領である。米国の戦争のほとんど全てが民主党大統領時代に勃発している歴史的事実を知る時、内外の困難を乾坤一擲解決する手段の一つとして戦争への誘惑がバイデンの脳裏にちらつかないだろうか?愛国心に訴えかけ求心力を高め、経済浮揚をも目論む選択肢は抗しがたく魅力的に映るだろう。中国のウイグル・香港における住民に対する蹂躙ぶりや軍拡の趨勢を観ると、台湾を軍事的に強奪する選択肢が中国のロードマップに描かれているとしても不思議ではない。尖閣諸島領土問題も然りである。微妙なバランスに上に成り立っている今日の複雑な国際関係と対中国抑止政策におけるバイデンの不倶戴天の指導力に期待したい。
バイデンで憂慮されるのは、彼の高齢である。現在78歳。任期満了時は82歳。超激務を冷静・沈着且つ卓越した頭脳で、絶えることなく情熱と責任感の炎を燃やし続け、リーダーシップを発揮し効果的対応をすることが出来るのであろうか?建国以来バイデンまで45人が米国大統領に就任し、8人が在任中に死去している。4人が暗殺、4人が自然死だ。比較的最近では民主党大統領ルーズベルトとケネディが任期半ばで死去し、副大統領が大統領になっている。トルーマンとジョンソンである。不謹慎ながら、まさか、米国初の女性大統領カマラ・ハリスが誕生するというような晴天の霹靂が起こるとことはないだろうか?政界一瞬先は闇の世界でもある。米国の動向からは一瞬たりとも目が離せない。
ミス冒愛好会 (12) ”レベッカへの鍵” を思い出した
”レベッカ“ という懐かしい映画をBSの放送で見ることがあった。映画そのもののことは別として、思い出したのが ”レベッカへの鍵“ という小説である。著者は日本では ”針の眼“ という作品で有名になった、イギリスの冒険小説作家、ケン・フォレット。最近は冒険小説、というジャンルには整理しきれない多くの作品を発表している。小生は最近のものは全く読んでいないので多くを語ることはできないが、初期の ”トリプル“ ”獅子とともに横たわれ“ ”ペテルブルグから来た男“ ”コード トウ ゼロ“ あたりは一応読んだ。ここでは”レベッカへの鍵“ という一作品を思い出したことについて書く。
この作品は第二次大戦の裏側でのスパイ活動をテーマにしたもので、ストーリー
や出来栄えについてはあまり言うことはないが、スパイが用いる暗号の解読のキーが ”レベッカ“ という小説の中に隠されている、というのが面白かった。この小説の存在が出版元のイギリスだけでなく、ドイツでも有名になっていなければこのストーリーが成り立たないからである。デュ・モ―リェのこの本の出版は1938年であり、英独の間はすでに戦争状態にあったから、この前提は正しい。しかし敵国である英国の民間人の書いた本がドイツ人の間で愛好されていた、というのは、太平洋戦争中敵国文化はけしからんとして英語教育すら抑制されていた我が国の状況とはあまりにもかけ離れている。
また、ご存じの方も多いと思うが、ナチドイツから亡命したマレーネ・ディートリッヒが歌った “リリー マルレーン” という歌が、英独両国でともに有名になり、ドイツ軍兵士も好んで聞いていた
といわれている。ドイツ軍上層部は兵士の士気に影響があるとしてのちのこの歌を歌うことを禁じたというのだが、実効性はどうだったのか。スマホなどなかった時代、大げさに言えば短波受信機を持っていなければ聞けなかったはずだが。
もうひとつ、本の題名が思い出せないが、たしかアリステア・マクリーン(あるいはジャック・ヒギンズだったかも知れない)の作品の中で、ドイツ領内に潜入した主人公のスパイがドイツ兵に追いかけられ、必死の思いで公園にあった女子用便所に身を隠す場面がある。ここまで追いかけてきたドイツ兵は当然ここを調べようとするがもう一人の仲間が、よせ、ここは婦人用だぞ、と言ってそれを押しとどめ、言ったほうもそういえばそうだ、と納得して調べるのをやめ、主人公は逃走に成功する、というのである。
この三つの挿話は、たとえ戦争状態にあっても、二国の国民には共通する確固たる文化的な共通点がゆるぎなく存在する、ということを示している。しかも三番目の例では、それが将校などの知識階級出身者にとどまらず、一兵士までが当然と信じていることを示している。
欧州に滞在しておられた(る)方には釈迦に説法だと思うが、”その角を曲がっていけば別の国“ というような感覚で他国と接している中で、数世紀、いやそれ以上の間、違う人種、違う文化が共存してきたのが欧州だろう。しかもその国々には、アルファベットという共通のコミュニケーションツールが存在し,宗派は違ってもキリスト教が共有され、かつてはローマ帝国の仲間であった歴史がある。そういう国家群が、いまなお、異なった言語、異なった文化をそれぞれに保有している。日本で言えば青森語と函館語が存在するようなものだ。物理的に近いとはいえ、大陸とは海を隔てて隔絶した文化圏を育ててきた日本では理解しにくい環境である。
他方、南北アメリカは近世になって欧州人が先住民族を制圧して作った国であり、基本的には支配異民族と先住民族の間に人種的、文化的なギャップが厳然として存在している。欧州にも人種の違いは当然あるわけだが、それは戦争や統合や分裂があったとしても、当初から存在していた、いわば原住民同士のあいだであり、先住民と侵略者という図式とは違っている。中南米では当初から白人優先の経済的支配に疑問を抱かなかった欧州の支配が確立されている(しまった、というべきか)のに対し、アメリカという国はその出発点から、宗教的動機とはいえ、崇高な理想を掲げて立国をしてきた(その理想の中に先住民族やアフリカからの奴隷に疑問を持たなかった、という絶対的な矛盾はあるのだが)。その中心にあるのが多様性、という理想であり、(彼らの定義による)民主主義であって、その分かりやすい看板がいわゆるアメリカンドリームだった。
しかしその経済第一の国是が行き詰まり、なお企業の利益拡大(もっとありていに言えば株主利益の最大化)を追い続けた結果、現在のグローバリズム、という一見、結構な、突き詰めれば人類の未達の夢である世界市民、というようなゴールを掲げた動きが始まった。しかし結末は結局、経済的ギャップを拡大するにとどまって今やその影響が各所にほころびを見せ始めた、というのが現状のように思える。今なお、異なった人種、異なった文化が存在し続ける欧州社会では、すでに何世紀にもわたって存続してきた形はこの グローバリズム というものの掲げる理想をある意味では実現してきたのではないか(移民問題でそれが揺るぎ始め、究極的には現代アメリカ化へ突進してしまうのかもしれないが)。
これからは小生の我田引水になってしまうのだが、現在の世界の状況がSNSという魔物を野放しにした結果、だれも真実がわからないままの情報が独り歩きする (小生がちと詳しいエリッヒ・フロムという学者はこの現象を 匿名の権威 という用語で説明している)。イデオロギーや哲学や論理などを超えた、だれが言い出したかもわからない事が多い、そういうなにかが民衆を支配する、そういう歴史的な時点(大衆社会)に到達してしまったのだ、というのが今、自分が感じていることである(1月26日付 読売新聞28面に参考になる記事が掲載されている)し、今回のアメリカ大統領選に引き続いた混乱はまさにそれだ、という気がする。
レベッカ、からはじまって大げさなことになってしまった。しかしなお、小生は ”俺が愛したアメリカ“ の復権を願う一人ではあるのだが。
アメリカ人の愛国心について (37 宍倉勝)
この一年、米国大統領選選挙関連の報道がマスコミ界を席巻し、いわゆる”電波芸者・寄生虫“と称される、種々のバックグランドを持った評論家の飯のタネも終わりました。今は新大統領の政策・方針が報道の世界を賑わいはじめました。
大所高所の議論・判断もさることながら、小生が思うに、今米国民の大きな関心・懸念は、米国民の73%が嫌悪する、中国に対する方針ではないのでしょうか。世界戦略を展開している中国が、米国を凌駕し、世界の覇権の地位を奪うのではないかとの懸念です。
大統領選挙で国論が二分され、米国内での分裂が盛んに報道されています。私はこの様な米国の事態は表面的&一時的現象だと考えています。米国民の強い愛国心を考えると納得します。米国民は自己主張が強く、議論好きです。これは多民族国家で、自己を強く表現しなければ生きられず、社会に埋没してしまうからです。その点自己主張をほとんどしない日本の国民性とは大きく異なります。
数年前のある調査機関(機関の名称わ忘れました)の調査では、世界で愛国心の一番強いのは米国民であるとの調査結果がありました。強い愛国心を持つためには、自分が住んでいる国に誇りを持ち、自国を好きでなければなりません。
米国に住んでみると、いわゆる“Comfortable”&“Reasonable”な社会であることを強く身近に感じます。米国生活を経験した人はほぼ100%同感してくれると思います。ジャイさんのブログに滞米中の経験談がありましたが、米国籍(市民権、永住権)の取得を熱望し、感激する人々の様子を私も滞米中に体験をしました。
- 国家的なスポーツ等の行事では勿論ですが、ローカルな行事でも、競技開始前には観衆一同起立、国歌斉唱、終了と同時に、ジェット機の編隊が爆音を発し上空を飛び、いやがうえにも盛り上がり、愛国心が高まります。
- 移民局に行けば永住権を取るために、早朝から長い行列ができ、その日のうちに書類が受理されず窓口が時間切れとなると、整理券を受け取り翌日再度並びなおさねばなりません。同じことを2,3回繰り返しやっと書類が受理され審査がスタートします。移民局の外で、永住権の資格取得に成功した人たちが涙を流し、抱き合い喜んでいる光景を何度も目のあたりにしました。小生も永住権取得の過程で同じ経験をしました。シカゴの友人に最近の様子を聞きましたが、相変わらず移民局の行列は続いているとのことです。
時にはヤンチャ的でしたが、発言力があり有言実行のトランプが好きでした。バイデンが強い指導力を発揮し米国をリードすることを期待します。
(37 菅谷)オシシ兄、貴意を拝聴、私の感想を書きます。
①貴兄が愛する米国のために、過っての米国の良識を取り戻すため
②彼の4年間は米国の抱えている病を癒すことよりも傷口を拡げる結果となり、特に大統領選挙戦・前後の言動は呆れるばかりであっ
③トランプが荒らした土壌を耕し、再び緑を取り戻すバイデンの役
④コロナ・パンデミックの様な、全て不確かなカオスの時代には独裁や強権を振りかざす為政者が、国のリーダーとして持て囃され
⑤バイデンが使命を全う出来るか、今こそ民主主義を標榜する国々
⑥ましてや、番頭さんが分限の政治家を首相に選んでしまった我が
”コッピついて来る” - 覚えてますか?
だいぶ前の話になるが、あの ドリフターズ が盛んな頃、何を宣伝していたのかという大事なことは忘れてしまったが、何か買えばコップがおまけでついてくる、というコマーシャルがあった。昨日、たまたま近くの店でビール売り場へよったら、ハイネケンビールの3本入り、というのに気が付いた。3本、というのが妙なのでよく見たら、専用の小さな箱に3缶とネーム入りのグラスが一緒になっているパッケージだったので、このコマーシャルを思い出した。
小生はビールの味だとか瓶がいいか缶がいいかなど、その通の人たちの議論など全く理解できない音痴だが、在米中、西部では主流のオリンピアかバドワイザと一緒にハイネケンはよく見る銘柄だった。
メーカーの名前入りのグラスというのはバーではごく普通だが、一般にはあまり手に入らない。グラスほしさに1パック買ってきた。しかしこの調子でたとえば半ダーズそろえるとなると3000円は投資しなければならない。コッピがついてきてもどうだろうか、と暇つぶしに悩むところだ。これもコロナのもたらした暇つぶしのひとつか。それにしても俺、酒量がふえたなあ。
エーガ愛好会(45) 1月の映画遍歴です (HPOB 金藤泰子)
今月はTVを長時間見ていましたので、
ミス マープル役のアンジェラ・ランズベリーは、NHK の海外TV ドラマ “ジェシカおばさんの事件簿“を見てからは、私の中では”エーガ愛好会(44) レベッカ (44 安田耕太郎)
(44 安田) レベッカは、ヘブライ語の女性名リベカの、ヨーロッパ諸言語形。旧約聖書にも登場し、うっとりさせる者、魅惑する者、束縛する者という意味がある。この映画の題名にふさわしい。
前半はモナコで出逢った二人のラブロマンス。大金持ちのイギリス紳士の夫の屋敷、不気味なマンダレーに着いてからは一変してサスペンスの様相へ変わっていく。
タイトルにもなっている、1年前にヨット事故で亡くなった前妻「レベッカ」の姿は、一切出てこず、主人公ジョーン・フォンティーンの名前は一切明かされず、場面に応じて「奥様」「ハニー」「あなた」などと呼ばれる。名前のない主人公と、姿のないレベッカ、この二人の対比がこの映画の不可思議な筋を形作っていく。
生前は知性・美貌・家柄の良さもあって夫(ローレンス・オリヴィエ)の心を掴んでいた前妻レベッカの完璧な存在が、さながら亡霊のように主人公の心を不安にして追い込む。多くを語らない夫、レベッカを崇拝していた屋敷を仕切るメイド長は、邸宅内を生前のままの状態に保ち、殊更に前妻の美しさ、華麗さ、偉大さを強調する。レベッカの私物には全てRの刺繍が施され、至る所でRの刺繍を目にさせられる。この世にいないはずなのに、美貌・崇拝・羨望・畏怖・嫉妬と様々な形でレベッカが姿を見せない「主人公」のようにあらわれる。
新婚生活を送るも先妻の物が至る所にあり落ち着かず気味が悪い。レベッカの幻想により狂っていく主人公フォンティーン。夫に喜ばれようとレベッカの肖像画から同じドレスを着ると、無論フォンティーンは美しいのだが、死して尚、影響力を持つレベッカの影に怯えるかのように夫に叱責されて、涙にくれる。全てのことが空回りしてしまう主人公を見事に上手く演じている。美しく聡明なのに自分に自信が持てなくてオドオドしているヒロイン。ずっと見えない敵に怯えている心理描写が巧みだ。 強烈な存在感を放つレベッカと垢抜けしない主人公との対比の妙が面白い。
そして物語は後半のクライマックスへと突入する。埋葬されているはずのレベッカの死体が難破したヨットから見つかり、物語は一転、後半の惹き込まれ方は、さすがヒッチコックの面目躍如たるものだ。レベッカへの想いが、実はそうではなかったことを夫が告白。物語は意外な方向へ予想し得ない結末へと展開する。
この映画の立役者の一人ははメイド長を演じたジュディス・アンダーソンだ。不気味な存在感と秀逸な演技のインパクトは凄まじいばかりに強烈だった。ヒチコック映画には打って付けであった。スリラー映画「危険な情事」1987年でグレン・クロスが演じた怖い女に似通った不気味さだった。
フォンティーンにとっては、オスカー主演女優賞を獲得した「断崖」の前年の映画であるが、「断崖」より主演女優賞に値すると感じた映画であった。彼女が悪夢から目覚め、敢然と困難に立ち向かう決意をして強い女として豹変する様は、姉のオリヴィア・デ・ハヴィランドがオスカーを受賞した「女相続人」における彼女の豹変ぶりに踏襲されているかのようだ。ローレンス・オリヴィエは、シェイクスピア俳優として舞台劇を演じているかのような感じがした。「レベッカ」制作は1940年。ヴィヴィアン・リーと結婚した年。そのせいかどうかは不明だが、新妻フォンティーンとのラブシーンは、殆どなく淡白で軽いキスシーンが一回あっただけ。実生活の新妻リーの影を意識した、と言うのは穿った見方であろうか?それとも、レベッカに影に翻弄されているオリヴィエは、新妻との甘かるべく新婚生活に没頭出来ない、とするヒッチコック演出であったのだろうか?
エンディング近くに登場する主治医役
のレオ・キャロルがいぶし銀の演技を見せていた。アメリカ進出後のヒッチコック映画には彼自身のカメオ出演を除くと、最多の6回出演している。「レベッカ」に加えて、「断崖」「白い恐怖」「パラダイン夫人の恋」「見知らぬ乗客」「北北西に進路を取れ」である。全て観たが、彼の鼻の下の長い顔は忘れることが出来ない。
(36 栗田)「レベッカ」はこれで5回目かな。最後に観てから数年経つので。
DVDも持っています。J・フォンテーンが役にピッタリです。大統領就任式中継放送を見た
学生時代にはただの一度も徹夜をしたことがなく、サラリーマンになって初めて、コンピュータ室で夜を明かすことを何回か経験したことがある程度の小生だが、昨晩というか今暁は意を決して米国大統領就任の中継を見た(コロナに加えて先週の暴動の後、何かハプニングがないかという野次馬興味も半分だったのだが)。
一般の参加者もなく、通例の大統領夫妻が群集の中をあるくという実にこの国らしいセレモニーもなかったが、国歌と準国歌というのか米国をたたえる歌を歌ったのがガガとロペス,いままでになく人種問題を意識した演出だという感じがした。同じことがもしかのケネディの時にあったら非常に感動的なものになっただろうが、この政権にとっての課題というか、さらに言えば難題をそのまま見せつけたような感じであった。
こういう時、小生滞米中に遭遇した話がふたつ、決まって思い出される。ひとつはどういう背景だったか覚えていないが、移民が初めてニューヨークにはいってから何周年、というような記念の式典だったのだろうが、英語もおぼつかない、ラテン系の男性がインタビューに応じて、文字通り涙ながらに、ようやく、この国の人間になれた、これ以上のうれしさはありません、と絶叫したのを聞いたこと、もう一つは、父ブッシュの夫人、バーバラがある女子大学の卒業式に招かれて述べた祝辞である。その中で彼女は ”この国の進路が決まるのは、NOT IN THE WHITE HOUSE, BUT IN YOUR HOUSE と述べたのだ。
この二つのラジオ放送の中継ほど、僕を感激させたことはなかった。これが本当のアメリカ、欧州文化のしがらみを断ち切って作られた“人造国家”の真骨頂だ、と思ったことだった。その後退職直前まで、産業の現場で日米の意識や行動のギャップにさらされ悩み続けたけれども、この 良きアメリカ、への信頼はゆるいだことはなかった。
今暁の放送を見ながら、つくづく感じたのは、“あのアメリカはどこへ行ったのか” という疑問、喪失感、失望、そういうものだった。歴史家はこの変遷をどう説くのかわからないが現在の混乱を生んだ根本的原因がグローバリゼーションという妖怪であったことは明快であり、その渦中で現場の混乱を経験した自分としては、はっきり言って大統領一期だけで解決できるようなものではないだろう、と変な確信がある。
ジョー・バイデン氏、小生よりも4歳若い、KWVでいえばぼくらの卒業と入れ替わって入部した連中にあたる。おい、デシ、チンネン、アイちゃん、なんとかこの混乱をまとめてくれよ、頼むぜ! と先輩風を吹かせるところだが。
剣岳ー遠望するしかないけど
(42 保屋野)昨夜、NHKBSPで剣岳初登頂の検証登山の番組を見ました(2018年に放映された番組ですが、見逃しました)。。
ご承知の通り、剣岳は平安時代に修行僧により登られていますが、その登山ルートは未だに不明です。従来は、比較的易しい「長次郎雪渓」ルートが有力と思われてきましたが、麓から遠すぎるのが難点でした。
もう一つ「早月尾根」ルートも難易度は低いのですが、水の確保が難しいので、ムリだろうと思われてきました。
そこである探検家が調べた結果、馬場島から立山川を遡行して、途中から早月尾根に取り付く、というルートを発見して地元のガイドと検証登山を実施しました。その結果、2日目の10時に山頂に達することができ、(もちろん、登山靴とわらじの違い等はありますが)このルートなら平安時代でも可能との結論に至りました。もちろん、本当のところは永久に分らないでしょうが、面白く有意義な検証登山だったと思います。
(44 安田)興味を惹かれる剱岳BSP番組見逃しました、残念.。メールとご解説ありがとうございます。
(39 岡沢)私は70歳の時、2011年9月24日7時に剣岳に登頂しました。 堀川をリーダーとした7人グループ、その中に飯河と私も参加しました。その前年には飯河と二人で剣山荘迄は行ったのですが、悪天候で引き返し失敗に終わっています。2011年9月24日朝3時過ぎ、真っ暗な中を剣山荘出発、好天に恵まれ7時過ぎ、とうとう山頂を踏みました。
ところが下山時、私は前剣の下りのざら場で足を滑らせ頭を岩にぶつけ額を切り大出血。しかし、堀川の応急手当によって何とか出血を抑えられ、飯河が傷をしっかり覆う帽子を貸してくれて歩行可能な状態になりました。他6人の予定(堀川は裏剣、仙人池、欅平へ私と行く予定、飯河は立山三山から帰京)を中止させることをしたくないので、私一人で下山することにしました。途中、剣沢室堂の診療所に寄りましたが、適切な手当で出血が止まっているようなので帰ってから病院に行くようにと、ここでの手当は断られました。下山中は本当にふらふらで坂を登るのも休み休みの状態でしたが、アルペンルート、大町経由で、娘が手配してくれた自宅近くの外科医のいる夜間救急病院へ直行。X線CT検査の結果は異常なし、額を7針縫う手術を受け、夜11時30分に自宅に帰着しました。術後は良好で1週間後には抜糸、一件落着しました。なお、裏剣、水平道、欅平は2019年9月に堀川、飯河、私の3人で決行、達成できました。
(40 藍原)剱岳には2008年に武鑓君と行ってきました。現役時代に行ってなかったので、どうしても行かなければならない山でした。ついでに十字峡も行きたかった。66才となり、体力的に最後と思われたので、頑張りました。
コースは1日目 室堂~剣御前小屋
2日目 剱岳~剣沢~真砂沢ロッジ
3日目 二股吊橋~仙人池~仙人ダム~水平歩道~阿曽原小屋
4日目 欅平~帰京
天候に恵まれ順調に歩けたが、3日目がきつかった。阿曽原小屋の主人に真砂沢ロッジから阿曽原小屋までは、途中道が崩れ、遠回りせねばならず12時間かかるといわれたが、実際に11時間を要しました。全ての行程が絶景であり、私の山行で5指に入ります。
(40 武鑓)カニのたて這い、
(39 三嶋)剣岳には2010年夏に一度登りました。カニのタテバイ・ヨコバイ は”3点確保”と言い聞かせながら懸命でした。2組前のパーティが登っている時に 落石があり、大事には至りませんでしたが、







