横浜
早くも4月は終
(参考)ハナミズキ
ハナミズキ(花水木、学名:Cornus florida)は、ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。別名、アメリカヤマボウシ。ハナミズキの名は、ミズキの仲間で花が目立つことに由来する。また、アメリカヤマボウシの名は、アメリカ原産で日本の近縁種のヤマボウシに似ていることから。
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- 徳島県小松島市
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
横浜
早くも4月は終
ハナミズキ(花水木、学名:Cornus florida)は、ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。別名、アメリカヤマボウシ。ハナミズキの名は、ミズキの仲間で花が目立つことに由来する。また、アメリカヤマボウシの名は、アメリカ原産で日本の近縁種のヤマボウシに似ていることから。
”明治維新はなかった“ という主題で書かれている原田伊織氏の一連の書作を通読した。わざわざ通読、とことわったわけは、この本に書かれている事柄やその解釈は歴史研究家としては当然のこととしてもわれわれ素人には研究資料をうんぬんするなどは不可能だから、あ、そうだったのかい、と言いながら読み飛ばす以外に方法がないからである。
読み方の是非はさておき、このシリーズを通じての著者の論点は、今までの日本史の教科書が一様に救国の美挙、としてきた 明治維新 というものにまつわるエピソードや文献解釈の多くが、実は薩摩長州の下級武士が企て実行した江戸幕府倒壊のためのプロセスを美化し、失敗や復讐まがいの行動を正当化するものにすぎなかった、ということであり、”維新”という美名に大きな疑問をつきつけることである。その点で、本書は明快に司馬遼太郎の小説, 特に 坂の上の雲 を、同書があくまで小説であり史書ではないと承知の上で明快に意識し、いわゆる司馬史観に挑戦している。自ら “リョータリアン” を名乗っている小生にはその点からも興味深く面白い本であった。
この政変の要因が当時我が国を取り囲んでいた帝国主義列強に対する幕府の無能さに対するやむを得ざる行動であった、とする論に対しては、原田は逆に外国の史家による日本研究の資料を取り上げ、”維新” 時点にいあわせた小栗、榎本、大鳥そのほかの幕府側のスタッフがいかに優れていたか、また事実、”維新“ がなされたあとも官軍とされた側には行政外交の能力がなく、実際の行政は結局江戸幕府が築いてきたインフラと人的資源に頼っていたことを立証する。このあたりでいわゆる小御所会議から大政奉還に至るまでのステップが現実にどうであったかなどの資料のトレースなどにはなるほど、と思わざるを得ない説得力を感じる。
繰り返すが小生ごとき門外漢にはそのあたりの解釈の正統性を論じる能力はないので、原田理論の是非は専門家にゆだねるとして、現実に起きた史実だけを見てみれば、”維新“ だか町人流にいえば ”ご一新“ だか字語解釈はともかく、それまでの国政を変えた政変があったことだけは確かであり、さらに言えば、もしこの政変がなければ、当時の西欧の文明、特に科学技術の吸収と日本化、今のはやりで言えばグローバリゼーションに間に合わなかっただろう、ということは誰でも納得するだろう。だが、我が国よりはるか昔から西欧に扉を開いていた東南アジア諸国や当時の中国などで起きえなかった、世界の潮流にあわせた国家全体の変革を可能にしたのは、国民の知的水準がそのような急激な変化を理解し追随することができるだけの高いものだったからであり、それを築いてきたのはにわかつくりの鹿鳴館文化ではなく、江戸時代というたぐいまれな時間が醸成したものだった。つまり(原田理論を尊重して明治維新という言葉は使わない)この政変は、変革の表面上の勝利者薩長政権の俄作りのインフラで可能になったのではなく、彼らが否定しようとした江戸幕府の蓄えたエネルギーによって現実のものとなった。長い歴史をあっさり否定した結果ではなく、その恩恵によってはじめて実現できたものなのだ。この点は全面的に同意。
結論からいうと、原田氏のこの一連の書作が持つ意味は、歴史学者間のアカデミックな維新論議はさておき、この政変がその後の日本の在り方をどう変えたのか、という解釈のしかたに対する提言であろう。学校で習った通り、西欧文化への急速な傾斜(古きを切り捨てて新しきものを盲信する国民性による)は確かに富国強兵路線を通じて工業を近代化し、軍備の急速な発展をもたらし、日本侮るべからずとの意識を西欧諸国に植え付けて、帝国主義の絶頂にあった西欧国家群による我が国の植民地化を阻んだ。これは誰も否定できない史実だ。しかし一方でその結果が逆に作用して米国などで排日思想を生み、国内では軍閥が跋扈して世界大戦を引き起こし、以下云々、という流れについては今更繰り返すまでもないもうひとつの史実である。この悪しき歴史の展開も原田の主張によれば、それまでの歴史を惜しげもなく否定し ”これから歴史を作る” という美辞にいとも安易に傾斜してしまう国民性が作用しているということなのだ。
つまり、原田理論の傾聴すべきはその流れの中に、日本人には(西欧や中国も含めて多くの外国には見られない)、己の歴史の軽視という風潮がある、とする主張である。この本の中には、明治時代初期に我が国を訪れた多くの人の感想のなかで、日本人の主導層がそれまでの歴史をすべて否定し、これから我々が歴史を作ると言っていることに呆然とした、という指摘がある。そうだろう、”維新” だか何だか知らないがそれまで世界史上例を見ない長期の平和を享受した国の人間が、我が国に歴史がない、というのはどういうことなのか。 ”我々が歴史を作る“ という発言の意味が必ずしも過去の否定ばかりではなく、新しいものへの挑戦、という意気込みを語ったのだろうということは想像に難くないが、何かあれば過去は捨てて次に飛びつく、という発想、”花は桜木人は武士“ 的な、よくいえば潔さ、あえていえば壮大な無責任さ、という観念は(小生自身を含めて)日本人の多くが持つものだろう。ことあれば登場する知識人なる人々が展開する ”欧米に比べて我が国は” 的議論にうさん臭さを感じてしまうのも、考えてみればこのような国民性に対する抵抗なのかもしれない。
原田がいうように、この発想は例えばマッカーサー統治下の日本人の言動をあっという間に支配した。過去のことをすべて ”封建的”としてなげうち、”民主主義”という看板にあっさり書き換え、その過程を ”歴史を作る” と言う美句に置き換えてしまった。その結果として得たもの、失ったものの論議を今さら繰り返すつもりはないが、原田が危惧するのはこの ”歴史はこれから“ 的発想が及ぼす政治や国家の大計への影響だ。たまたま見たフジのプライムニュースに出演した田中均氏が今回の菅総理の米国訪問後の発言に対して、言っていることに表面上、間違いはないかもしれないが、これまでのトランプー安倍時代に苦労して作ってきた我が国の外交原理の基盤にのっとっているように思えない、と指摘していた。外交のベテランである同氏の懸念の詳細は小生にはよく理解できていないのだが、わずかの時間経過の間に一国の指導原理の変革がいとも簡単に行われてしまうのかもしれない、という懸念があるとすれば、その遠因が原田の指摘する歴史観の断絶によるものなのだろうか、と感じたことだった。もっともこの国の政治の未成熟さはもっと低い次元の理由によるものなのかもしれない(というよりそうなのだろう)のだが。
(PS)3月16日付本稿で時代劇プログラムに関して書いた通り、江戸時代の価値を見直す気持ちが強くなっているのだが、その後それとなくアドバイスをくれ、関係書物を送ってくれた同期高橋良子に感謝。
マカロニウエスタンでは、セルジオ・レオーネに次ぐ名匠と言われ
先ずは、ロケ先
物語りは、銃を持つことを禁じられた町ブラックストーンに、凄腕ス
最後の対決がハッド
7)緑地内にカフェタイプのレストロラン3ヶ所&蕎麦 屋。等々あります。又程よい人出です。
4月7日(水)から八甲田と浅虫温泉の旅に行ってきました。朝一のフライトであっという間に青森空港着。久しぶりに岩木山の雪景色が懐かしい。そして、仲間の集合時間まで時間が余って、何度も来た青森市内で初めて八甲田丸を見学して寿司屋で一杯やってやっと全員集合。2時のバスで酸ケ湯へ向かいました。夜は青森の銘酒「田酒」で酔いしれました。
4月8日(木) 今日は酸ケ湯でガイドツアーに参加。素晴らしい天気に恵まれましたが、雪の状態は良くありません。でも景色は良いし、山登と思えば言うことなしのコンディションですが・・・本当に幸せな時間でしたが・・・しかし、地獄のスキー滑降が待っていました。ザラメでカリカリ。振動で頭がおかしくなりそうでした。スキーの滑降では本当にバテました。明日もこんな状態では・・・滑りたくない!! 自身無くした でも、本当にいい温泉と旨い酒が待っていてくれました。やっぱり明日も滑りたいなあ〜。
4月9日(金)酸ケ湯温泉は朝から雪です。季節外れの寒波来週で雪が深々と降っています。私は早々にツアー参加を諦めゆっくりすることにしましたが、若い仲間(と言っても73歳3人と70歳1人)は滑りに行きました。そして今年最後の新雪の滑降を楽しめたようです。午後から行こうかな、とも思っていましたが、私の読み通りにロープウェイも止まってしまいました。そして、なんと私より32歳も若い後輩が八戸からはせ参じて来て合流です。二人で悪天候を理由に最高の風呂と最高の日本酒を楽しみました。明日は最後の日です。午前中なんとか滑りたいと思っていますが・・・雪は見る見るうちに積もって行きます。
4月10日(土)酸ケ湯温泉は本当に素晴らしい旅館だと思います。温泉は言うにおよばず平日3泊パッケージで一泊税込8000円弱のコスパは素晴らしい 風呂は言わずもがな食事も値段の割に旨い! 館内の整備も行き届いているし、従業員の教育も良く出来ていていると思います。
良い天気に恵まれました。そして、良い山歩きが出来ました。これで、もう少しスキーが上手く滑れたら言うこと無しなのですが・・・残念ながら山スキーを楽しむには足腰の筋力が衰え、思い通りに滑れない悔しさだけが心残りです。もう、歳ですから来年来て滑れるかどうかわかりません。親切に何時もサポートしてくれた後輩たちにただただ感謝あるのみです。
(36 浅海)
貴兄のように酸ヶ湯に4泊し八甲田でスキーを満喫して浅虫温泉で昔ながらの温泉宿を楽しむようなPLANではないが小生も昨年11月末に浅虫から弘前に3泊で旅行し、たまたま貴兄が浅虫で宿泊した椿屋旅館に泊まり温泉を楽しみ、貴兄がご馳走になったと同じ16だか20だかの小皿に分けた青森の名産品の夕食を楽しんできました。
小生が行った時は農閑期で地元の農家の方々が沢山泊っていて椿屋さんはほぼ満員でした。ただ夕方温泉街?というか街にでましたが 寂しい街でしたね。
翌日行くところがなくこの地で有名な水族館など廻ってきました。ちょっと懐かしくなり一筆しました。
(編集子)現役時代最高のワンデルングと思っている八甲田夏合宿の帰り、荒木さんたち野郎会のメンバーのお供をしておだをあげたのが浅虫だった。今は街のことも何も覚えていないが、一番親しい間だった先輩たちとのかけがえのない時間だったことは確かである。たしか浅海もいたはずだが。
月いち高尾山岳会 が長年 敗退を続けていた生藤山(990m)に 2021年4月22日 遂に三色旗がひるがえった。
岡澤隊長以下のアタック隊 菅谷、長谷川、三嶋は 早朝 ベースハウスを出発。上野原経由 軍刀利神社で登山の成功と安全を祈願のち、 装備・食料を入念にチェック。10時20分いよいよ登頂を目指して出発。
ルートはスタートから急登が続き 険しい。 喘ぎながら一歩また一歩と進む。 高度を上げるにつれ酸素が薄くなるのを実感する。
途中名残の山桜や 芽生えた新緑、 ヤシオつつじが 疲れた体に嬉しい。
難航の末 漸く前方に山頂が見えてきた。 ついに頂上に立ったのだ。 12時43分 のことである。
今日18日 日曜日は気持ちよく晴れた日になり、時々、散歩するコースを
歩いてみました。
外に出てみると陽の光に街がキラキラと輝き、気持ちよい風が通り
先ず、半蔵門を起点に内堀通りをお堀わきの新緑の公園を抜けて千
代官町方面から来る皇居周りをジョギングする人たちが大勢でてい
陽気のよさと、コロナ自粛のうっ憤払しの所為でしょうか。皆、左回り(時計と反対周り)です。右回りは一人もいません。回
ら、北の丸公園に向かいました。
千鳥ヶ淵交差点から北の丸公園に行くには、代官町から行くコース
北の丸公園内は現在、オリンピックのための警察官宿泊施設が建設
今回のオリンピックは開催されるにしろ、中止になるにせよ財政を
将来に禍根を残すことになりそうだと改めて感じました。
公園内を通路に沿って1周しました。大きな公園ではありませんが
80分ほど歩いて戻りました。歩数計をつけ忘れましたが、1万歩
現在、運動は週1回の区施設の筋トレジムと老人体操会(お喋りと
家内からはもっと活動的になれと言われています。
実は、今日の散歩も、家内から朝からジトッとしていないで散歩で
してきたらと尻を叩かれて外に出た次第です。
(編集子)チキショー、いい場所に住んでるんだなあ !
マーティン・ロビンスが唄う主題歌が、タイトルバックとラストシ
新興の金鉱地モンタナの
マリア・シェルはスイスから父親たちと渡米
マリ
マリアを最初に助けその後金鉱採
(小田)小泉さんの詳しいメールにもありましたが、昔、
自宅から約5キロ(7000歩)下ると、
日本公開は1955年9月となっているので高校の時に有楽座に
『ファンタジア』(原題: Fantasia)は、監督はベン・
描き上げられた原画100万枚、録音テープ(光学録音フィルム)
さて、物語だが、ストコフスキーとディズニーが色々工夫して原曲には忠実では無く
また、
1:「トッカータとフーガ ニ短調」(9:22) – J.S.バッハ
「抽象的な音楽もやってみよう」と提案したことによる。
2:組曲「くるみ割り人形」 – チャイコフスキー14:12)
4:「春の祭典」- ストラヴィンスキー(22:28)
舞台を人類時代の原始時代から、地球創世期~
7と8はアニメーションがつなぎ合わされ(「禿山の一夜」