”明治維新はなかった”?

”明治維新はなかった“ という主題で書かれている原田伊織氏の一連の書作を通読した。わざわざ通読、とことわったわけは、この本に書かれている事柄やその解釈は歴史研究家としては当然のこととしてもわれわれ素人には研究資料をうんぬんするなどは不可能だから、あ、そうだったのかい、と言いながら読み飛ばす以外に方法がないからである。

読み方の是非はさておき、このシリーズを通じての著者の論点は、今までの日本史の教科書が一様に救国の美挙、としてきた 明治維新 というものにまつわるエピソードや文献解釈の多くが、実は薩摩長州の下級武士が企て実行した江戸幕府倒壊のためのプロセスを美化し、失敗や復讐まがいの行動を正当化するものにすぎなかった、ということであり、”維新”という美名に大きな疑問をつきつけることである。その点で、本書は明快に司馬遼太郎の小説, 特に 坂の上の雲 を、同書があくまで小説であり史書ではないと承知の上で明快に意識し、いわゆる司馬史観に挑戦している。自ら “リョータリアン”  を名乗っている小生にはその点からも興味深く面白い本であった。

この政変の要因が当時我が国を取り囲んでいた帝国主義列強に対する幕府の無能さに対するやむを得ざる行動であった、とする論に対しては、原田は逆に外国の史家による日本研究の資料を取り上げ、”維新” 時点にいあわせた小栗、榎本、大鳥そのほかの幕府側のスタッフがいかに優れていたか、また事実、”維新“ がなされたあとも官軍とされた側には行政外交の能力がなく、実際の行政は結局江戸幕府が築いてきたインフラと人的資源に頼っていたことを立証する。このあたりでいわゆる小御所会議から大政奉還に至るまでのステップが現実にどうであったかなどの資料のトレースなどにはなるほど、と思わざるを得ない説得力を感じる。

繰り返すが小生ごとき門外漢にはそのあたりの解釈の正統性を論じる能力はないので、原田理論の是非は専門家にゆだねるとして、現実に起きた史実だけを見てみれば、”維新“ だか町人流にいえば ”ご一新“ だか字語解釈はともかく、それまでの国政を変えた政変があったことだけは確かであり、さらに言えば、もしこの政変がなければ、当時の西欧の文明、特に科学技術の吸収と日本化、今のはやりで言えばグローバリゼーションに間に合わなかっただろう、ということは誰でも納得するだろう。だが、我が国よりはるか昔から西欧に扉を開いていた東南アジア諸国や当時の中国などで起きえなかった、世界の潮流にあわせた国家全体の変革を可能にしたのは、国民の知的水準がそのような急激な変化を理解し追随することができるだけの高いものだったからであり、それを築いてきたのはにわかつくりの鹿鳴館文化ではなく、江戸時代というたぐいまれな時間が醸成したものだった。つまり(原田理論を尊重して明治維新という言葉は使わない)この政変は、変革の表面上の勝利者薩長政権の俄作りのインフラで可能になったのではなく、彼らが否定しようとした江戸幕府の蓄えたエネルギーによって現実のものとなった。長い歴史をあっさり否定した結果ではなく、その恩恵によってはじめて実現できたものなのだ。この点は全面的に同意。

結論からいうと、原田氏のこの一連の書作が持つ意味は、歴史学者間のアカデミックな維新論議はさておき、この政変がその後の日本の在り方をどう変えたのか、という解釈のしかたに対する提言であろう。学校で習った通り、西欧文化への急速な傾斜(古きを切り捨てて新しきものを盲信する国民性による)は確かに富国強兵路線を通じて工業を近代化し、軍備の急速な発展をもたらし、日本侮るべからずとの意識を西欧諸国に植え付けて、帝国主義の絶頂にあった西欧国家群による我が国の植民地化を阻んだ。これは誰も否定できない史実だ。しかし一方でその結果が逆に作用して米国などで排日思想を生み、国内では軍閥が跋扈して世界大戦を引き起こし、以下云々、という流れについては今更繰り返すまでもないもうひとつの史実である。この悪しき歴史の展開も原田の主張によれば、それまでの歴史を惜しげもなく否定し ”これから歴史を作る” という美辞にいとも安易に傾斜してしまう国民性が作用しているということなのだ。

つまり、原田理論の傾聴すべきはその流れの中に、日本人には(西欧や中国も含めて多くの外国には見られない)、己の歴史の軽視という風潮がある、とする主張である。この本の中には、明治時代初期に我が国を訪れた多くの人の感想のなかで、日本人の主導層がそれまでの歴史をすべて否定し、これから我々が歴史を作ると言っていることに呆然とした、という指摘がある。そうだろう、”維新” だか何だか知らないがそれまで世界史上例を見ない長期の平和を享受した国の人間が、我が国に歴史がない、というのはどういうことなのか。 ”我々が歴史を作る“ という発言の意味が必ずしも過去の否定ばかりではなく、新しいものへの挑戦、という意気込みを語ったのだろうということは想像に難くないが、何かあれば過去は捨てて次に飛びつく、という発想、”花は桜木人は武士“ 的な、よくいえば潔さ、あえていえば壮大な無責任さ、という観念は(小生自身を含めて)日本人の多くが持つものだろう。ことあれば登場する知識人なる人々が展開する ”欧米に比べて我が国は” 的議論にうさん臭さを感じてしまうのも、考えてみればこのような国民性に対する抵抗なのかもしれない。

原田がいうように、この発想は例えばマッカーサー統治下の日本人の言動をあっという間に支配した。過去のことをすべて ”封建的”としてなげうち、”民主主義”という看板にあっさり書き換え、その過程を ”歴史を作る” と言う美句に置き換えてしまった。その結果として得たもの、失ったものの論議を今さら繰り返すつもりはないが、原田が危惧するのはこの ”歴史はこれから“ 的発想が及ぼす政治や国家の大計への影響だ。たまたま見たフジのプライムニュースに出演した田中均氏が今回の菅総理の米国訪問後の発言に対して、言っていることに表面上、間違いはないかもしれないが、これまでのトランプー安倍時代に苦労して作ってきた我が国の外交原理の基盤にのっとっているように思えない、と指摘していた。外交のベテランである同氏の懸念の詳細は小生にはよく理解できていないのだが、わずかの時間経過の間に一国の指導原理の変革がいとも簡単に行われてしまうのかもしれない、という懸念があるとすれば、その遠因が原田の指摘する歴史観の断絶によるものなのだろうか、と感じたことだった。もっともこの国の政治の未成熟さはもっと低い次元の理由によるものなのかもしれない(というよりそうなのだろう)のだが。

(PS)3月16日付本稿で時代劇プログラムに関して書いた通り、江戸時代の価値を見直す気持ちが強くなっているのだが、その後それとなくアドバイスをくれ、関係書物を送ってくれた同期高橋良子に感謝。