ラプソディ・イン・ブルー のこと (34 小泉幾多郎)  

ガーシュイン作曲「ラプソディ・イン・ブルー」が初演されたのが、1924年、今年で丁度100年になる。クラシック音楽は昔からピアノと管弦楽が掛け合うピアノ協奏曲が好き。どうやら映画からの影響が大きく「逢びき」で全編を覆っていたラフマニノフの第2番が数え切れぬクラシックの曲の中で、大好きになってしまったが、それ以上に、クラシックとジャズの融合と言われ、独特の味を持った「ラプソディ・イン・ブルー」が一番好きと言っても良いかも知れない。

これも映画「アメリカ交響曲 Rhapsody in Blue 1945」の影響大。The Life of George Gershwin の副題の通り、ガーシュインの楽曲が全編に散りばめられ、そのめまぐるしく挿入された曲と演奏に釘付けになる。「ラプソディ・イン・ブルー」の初演は、ガーシュインが2台のピアノ用に作曲したものをファーディ・グローフェがオーケストレーションしたものを指揮ポール・ホワイトマンのジャズバンドで、ニューヨークのエオリアンホールでの新しい音楽の試みと題されたコンサートで行われた。この席には、ハイフェッツ、クライスラー、ラフマニノフ、ストコフスキー、ストランビスキー、ゴドフスキー等といった名士達が立ち会ったとのこと。

映画はガーシュインの子供時代から亡くなる39年の生涯をアーヴィング・ラバー監督、ロバート・アルダ主演で活写。ミュージカルからの歌曲に始まり、ラプソディ・イン・ブルー、ピアノ協奏曲ヘ調、ポギーとベス、キューバ序曲等々ガーシュインの曲が演奏され、初演に携わった演奏者も多数出演している。スワニーを唄ったアル・ジョルスン、ポギーとベスの舞台が再現されベスを演じたアン・ブラウンがサマータイムを唄い、誰かが私を愛しているのトム・バトリコラやパリの場面で唄うヘイゼル・スコット、ブロードウエイの大プロデューサーだったジョージ・ホワイト等錚々たる顔触れ。特に実在の友人でピアニストのオスカー・レヴァントは、ラプソディ・イン・ブルーはもとより、ピアノ協奏曲へ調等々を演奏した。レヴァントは、その後も数々の映画「ユーモレスク1946」「巴里のアメリカ人1951」「バンドワゴン1953」「人生模様1953」等に出演し、ピアノ演奏はもとより、味のある演技を披露した。特に「ユーモレスク」でのフランツ・ワックスマンがトリスタンとイゾルデを編曲し、ヴァイオリンのアイザック・スターンとレヴァントが管弦楽と共に演奏したシーンは忘れられない。

あの時代レコードがSPからLPへ移行する時期だったが、レヴァント演奏のラプソディ・イン・ブルーはオルマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団、コンチェルトは、アンドレ・コステラネッツ指揮ニューヨークフィルのレコードを購入
し、繰り返し聴いたものだった。その後多種多様な人たちの演奏によるラプソデ ィ・イン・ブルーを聴くことが出来たが、先日亡くなった小澤征爾が、2003年6月29日ベルリンフィルのヴァルトヴューネコンサートでのガーシュイン・ナイトで、盲目のピアニストマーカス・ロバーツ・トリオによる演奏との競演が異色だった。他に最近では上野樹里主演の「のだめカンタービレ最終楽章」に吹替演奏として中国のピアニストランランが出演し話題となった。ガーシュインの女性関係は、短い生涯に結婚はしなかったが、恋愛の数は重ねたらしい。映画では、無名時代からガーシュインの味方だったミュージカル女優ジュリー(ジョーン・レスリー)と道に迷うガーシュインとの関係で、酸いも甘いも噛み分けて自ら身を引く画家クリスティ(アレキシス・スミス)との関係に留めている。事実は最も愛したのが、ブロードウエイの女流作曲家ケイ・スイフトとの不倫関係で、彼女はポギーとベスの作曲に、さまざまのアドバイスを与えたという。その夫こそジュリアード音楽院の理事長ジェームス・ウオーバーグで、その初演時に正式に離婚したとのこと。

ラプソディ・イン・ブルーが組み込まれた映画は、その後ウディ・アレンの「マ
ンハッタン1979」しか記憶にないが、ガーシュイン作品を扱ったミュージカル映画は、この映画が発表される前から数多く、その後フレッド・アステアやジーン・ケリー主演によるもの等楽しませてくれている。「踊る騎士1937」「華麗なるミュージカル1938」「巴里のアメリカ人1951」「パリの恋人1957」「ポギーとベス1959」等。

最後に白状するが、この原稿を書くきっかけとなったのは、ポップスとクラシッ
クの統合によるボーダレスの名曲を放送することから発足した題名のない音楽会が放送60周年を記念し、少し前のことだが、4月13日にラプソディ・イン・ブルーの音楽会として、角野隼斗のピアノ弾きぶりで東京交響楽団と共演した際、初演100年ということを知ったこと。角野隼斗はソニークラシックと契約を結び、これからの活躍が期待される。

明治神宮菖蒲園 真夏日 (普通部OB 舩津於菟彦)

エーガ愛好会で書きたい銘エーガが沢山ありますが、筆が進みません。済みません。代わりに 6月12日 寄りも寄って東京真夏日の中明治神宮菖蒲園へ行って参りました。
日陰を成るべく歩くと風が爽やかでした。もう菖蒲も満開が過ぎていました。今年は根津美術館の杜若を撮り損ないましたのでエィヤーと老骨をおして重い器材を担いで行って参りましたがワンゲル出の雄姿と違いヨレヨレでした。駄作を。
持参器材 ①カメラ Nikon Zf レンズ NIKKOR Z 24-200mm 1:4.0〜6.3 VR ②カメラ ニコンZfc レンズ NIKKOR ZDX18-140m1:3.5-6.3VR ③コニカセミパール  レンズレンズ Ernst Leitz GmbH-Wetzlar Elmar9㎝  1:4   重いノナンの。

ここらあたりもクマが出没しています! (グリンビラ総合管理HPより転載)

今日は朝は曇り、日中は晴れましたが夕方になって八ヶ岳は雷がなっています。ところにより雨がポツポツと降っています。昨日12日はクマの目撃情報が2件(白州、須玉)ありました。

(北杜市連絡)北杜市役所林政課からお知らせします。
昨日、夜、白州町大坊集落内において、クマの目撃情報がありました。
付近の方は、十分注意してください。
目撃した際には最寄りの警察署または市役所まで連絡してください

乱読報告ファイル (58) われわれはなぜ映画館にいるのか  (普通簿OB 菅原勲)

新編「われわれはなぜ映画館にいるのか」(著者:小林 信彦。キネマ旬報社、2013年発行)。

久し振りに小林 信彦の本を読んだ。しかし、こう言う類いの本のいけないところは、見たい映画がゴマンと出て来てしまうことにある。

1932年生まれの小林が(今年で92歳!)、1960年から2010年にかけて主にキネマ旬報に書きまくった映画評の集大成で、東映の「仁義なき戦い」に始まって、コッポラの「地獄の黙示録」で終わる(最後に、対談が二本。スーダラ節の植木 等、評論家、芝山幹郎)。

小林の映画愛は並みのものではない。それを端的に示しているのが、例えば、1948年(昭和23年)の助演者(男女)のベストテンだ。少し長いが引用する(参考までに、当時、小林は16歳!)。

  • エドワード・エヴァレット・ホートン(「毒薬と老嬢」)
  • ジミー・デュランティ(「姉妹と水兵」)
  • ローランド・ヤング(「フィラデルフィア物語」)
  • ジャック・カースン(「毒薬と老嬢」)
  • ベン・ブルー(「嘘つきお嬢さん」)
  • ジェームズ・グリースン(「毒薬と老嬢」)
  • ジェームズ・スチュアート(「フィラデルフィア物語」)

(小林注:スチュアートはこれで1940年アカデミー主演男優賞を得ているが、私はこの役を主演と認めず、あえて助演に回しているが、無茶である)

  • ハリー・ダヴェンポート(「ラッキー・パートナー」)
  • スプリング・バイントン(「ラッキー・パートナー」)
  • 10.ピーター・ローレ(「毒薬と老嬢」)

主役を選ぶのはまだしも、助演までベスト・テンとは恐れ入るとしか言いようがない。この中で小生が知っているのは、スチュアートを除けば、2と6と10(小生のお気に入り)に過ぎない。小林は、高校1年当時こんなことをやっていたわけで、その映画鑑賞は年季が入っているし、何よりもイデオロギーとは凡そ無縁なところがなお宜しい。

この本を読了して矢も楯もたまらずどうしても見たくなったのがマルクス兄弟(ユダヤ系ドイツ移民。チコ、ハーポ、グルーチョ、ガンモ、ゼッポ、いずれも芸名)のバカバカシイ映画だ。全部で13本あるそうだが、途轍もなく面白いのは以下、最初の6本らしい。勿論、小生はまだ見ていない。残念ながら、最早、映画館ではやっていないだろうし、テレビでも期待できそうもないから、悔しいかな、J.ベゾス(アマゾン)のご厄介になるしかなさそうだ。

ただし、ギャグには特許などはない。従って、その後のパクリ(真似事)を見ている小生にとって、90年ほど前のマルクス兄弟が、果たして新鮮たりえるかどうか、いささかながら心許ないのは事実だ(例えば、当時一世を風靡した喜劇役者ダニー・ケイの「虹を掴む男」は1950年、日本公開され、それなりに面白かったのだが、半世紀後に見たそれは全く魅力を喪っていた)。しかし、オリジナルであるマルクス兄弟がそれをぶち破るだけの力を持っていることを期待しよう。

「ココナッツ」(1929年)

「けだもの組合」(1930年)

「いんちき商売」(1931年)

「御冗談でショ」(1932年)

「吾輩はカモである」(1933年)

「オペラは踊る」(1935年)

(大学クラスメート 飯田)小林信彦の著書「われわれはなぜ映画館にいるか」の内容を興味深く拝読しました。

昭和23年(1948年)日本での公開?映画の助演賞に至っては、私は疎開で信州安曇野の今は廃校になってしまった小学校3年生で真冬には全面に水を張りスケートリンクにした校庭で下駄スケートを履いて滑って、帰宅する時には厚い綿入れ半纏を着た鼻たれ小僧でした。ので、後年に観た「フィラデルフィア物語」以外は見ていません。

マルクス兄弟の13作品も含め、聞き覚えのある映画タイトルは「毒薬と老嬢」と「我輩はカモである」の2本でした。ダニー・ケイの「虹を掴む男」は、私も全く同感で、劇場では感激してみたものの、その後2回見ていますが、略、普通の作品と感じています。ダニー・ケイのオーバーアクションの喜劇役者の演技は「牛乳屋」シリーズの方が面白かったし、一方で彼の通常の演技俳優としての音楽映画「五つの銅貨」は私のベスト1に近い感動作で何度見ても良い映画です。

映画評論が本業ではない小林信彦氏の評論は半端ないですね。因みに、手元の淀川長治映画ベスト1000にある2本の論評を添付します。フランク・キャプラ監督の「毒薬と老嬢」、マルクス兄弟のベスト作品の「我輩はカモである」は機会があれば見たいと思います。

(編集子)よくあることだが、(昔、よく来たもんだ)などと懐かしい店に寄ってみて、(味が変わったなあ)と思うこともあって、こういう場合、特に食通、などと呼ばれる人たちは店の腕が落ちた、とかなんとかのたまうことが多い。しかし店は変わらないが、自分の舌の感覚が変わったからだ、という人は少ない。エーガだってそういうもんじゃねえかなあ。

普通部同期の仲間、参加歓迎ー日平会のこと  (普通部OB 船津於菟彦)

本日6月14日金曜日 12時〜9名参加で ”日平(ひびら)会” 初夏の集いを銀座三田倶楽部で開催。やや参加者が少なめでしたが、楽しく歓談致しました。出席者は岡野、宮坂、佐藤、河野、田中、水木、船津、日高、中司 の8名。
認知症の予防には”光輝高齢者は好奇心を先ず失わないこと。そして大事なのは仲間” ということです。人と話すと嫌なこともありますが、それを乗り越えて対話することが脳への刺激になるのかと思います。

日高さんが主唱して開催し、芝浦在の日平亭で始めて以来、て20年以上経過しているこの会もメンバーが大分減ってきていますが、好奇心に満ちて「くだることくだら無いこと」等々語り合える時間が2時間在ることは完全にボケ防止ですよね。参加したい方が居ましたら是非声を掛けて楽しく会が続くとこを祈念しています。お問い合わせは船津・岡野あてご連絡ください(防犯上、メアドそのほかは本ブログには記載せず)。

昭和29年卒業メンバーなら誰でもOKです。当日、銀座通りにも初夏の気分が漂っていました。それにしても異人さんが多いなあ。

梅雨の憂鬱はカクテルで忘れましょう (2) (バーアンノウン 川島恭子)

オペレーターという名前のカクテルはいかがですか。

ワイングラスかタンブラーに白ワインとジンジャーエールを同量入れ、レモン果汁(ポッカレモン可)ティースプーン1を加える。

パイロットが白ワインにジンジャーエールを入れて飲んでいたことから生まれたと言われていますが、真偽のほどは不明です。アルコール度数は5~7度で、さっぱりとした飲み心地。ジンジャーエールの量で度数を調整できるので、アルコールが苦手な人でもおすすめです。

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暫くぶりの尾瀬   (HPOB 麻生洋)

先週、数十年ぶりに尾瀬ヶ原に妻と行ってきました。 天気予報は生憎の雨。 完全防備、完全防水で準備万端、それでも鳩待峠を出発する頃は薄陽が指しており、軽装の老若男女が軽い足取りで歩いていく。 心の中で ”君たち、山の天気を甘く見るんじゃないよ 後で泣くことになるんだから” とほくそ笑みながら重い荷物を背負って木道を降りていった。。。。。。 結局その日は 一滴の雨も降らずじまい。 水芭蕉の群生や池塘に映る燧ヶ岳を見ながら舞茸握りも食べて、快適な尾瀬のトレッキングを楽しむことが出来た。

でも、少しぐらい降ってくれてもよかったのに!?
It is always shining when I bring an umbrella.
お後がよろしいようで

(編集子)たしか今頃はニュージーランドで羊飼いになってるはずのアソーちゃん、元気そうで何より。字はうまくなった?

フランスの混沌   (在パリ 平井愛子)

ご存知のように、9日の欧州議会選挙で、フランスでは極右のRNがこれまでになく勝利をおさめ、マクロンの与党Renaissanceは大敗し、同日夜、マクロン大統領はフランス議会の解散を発表しました。オリンピックを来月に控え、6月30日に第一回目選挙、7月7日に第2回目というスケジュ-ルを打ち出しました。ウワアと言っている暇もなく、下院の議員たちは早速個別訪問を始めています。社会党は単独では勝ち目はなくすべての左翼を一堂にしたいと動いていますが、まとまりは期待できません。マクロンにガッカリした人達の票がマリ-・ルペン率いる極右に流れたわけですが、新しいRNの若い党首Jordan Bardellaは28歳、イケメンで弁も立つこの人は極右の今まで持っていた”怪しい危険性”を塗り替え票を集め、なかなか侮れない存在のようです。フランスで極右が台頭するなんて今まで考えられない事ですが、現実になっています。イタリアでもオランダでも極右が政権を握っていますが、何か恐ろしいですね。明らかに行き詰まり状態ですね。

(船津)米国然り、欧州全体も然りで世のかな極右が承けるような世の中ですね。「自分本位」「自国さえ良ければ全て良し」オリンピック精神は何処に。ヤレヤレ。東京も7月7日七夕に都知事かどうなるか。40人以上立候補とか。まぁ世界の民主主義——。

(安田)マリー・ル・ペンの後継党首3代目ジョルダン・バルデラ(Jordan Bardella、1995年生、28歳)を戴く極右・国民連合(Rassemblement National: RN) が、万が一勝てばパリ五輪どころの騒ぎではなくなりそうです。興味あるフランス政局について、色々な機会に読んだマスコミ記事をまとめてみました。

ヨーロッパ、経済、移民、民主主義、ウクライナ問題は両者の主張の違いを際立たせている。マクロンは、「ヨーロッパの主権」を称賛し、「ヨーロッパ共通の防衛」を構築しようとする。巨額の貿易黒字を抱えるドイツと、巨額の貿易赤字を抱えるフランスとでは、経済政策が異なる。フランス(マクロン)はヨーロッパの軍隊を作ることを望んでいるが、ドイツはアメリカの軍隊に守られることを望んでいる。
アメリカのトランプが、アメリカの同盟国を考慮せず、国益に固執することを望むように、ル・ペンは自国を意のままにしようとするだろう。プーチンに対するヨーロッパ統一戦線の戦闘に立つマクロンとは逆に、ウクライナ戦争をめぐるロシアへの制裁措置には賛成しないだろう、と推測できる。ウクライナ問題に関しては、ル・ペンとトランプは考えが似通っているようだ。
移民問題は、両者を最も大きく隔てる案件だ。アメリカやイギリスのように移民を歓迎し、彼らを市民として育成する路線を標榜する「アングロ・サクソン」の熱烈な賞賛者であるマクロンは、移民を肯定的に捉えている。この5年間、移民を抑制するどころか、不法移民を減らすことさえもしていない。一方ル・ペンは、合法的な移民も不法な移民も攻撃している。彼女は、フランスに呼び寄せる移民の権利を抑制し、社会保障給付へのアクセスを厳しくし、帰化をより困難にする考えを持っている。
フランス人口統計局によれば、フランスのイスラム教徒人口は約680万人(デンマーク590万人より多い)、総人口の10%に当たるという。主として北アフリカのアラブ諸国(アルジェリア・チュニジア・モロッコ)からの移民であるが、彼らに加えて、旧植民地のアフリカ黒人諸国、カリブ海・南米諸国、東南アジア(ベトナム・ラオスなど)からの移民もいるだろう。日本もやがては直面することになる移民政策は厄介な問題だ。一旦移民を受け入れれば、彼等の出生率の高さと相俟って、顕著な人口増加(占める率も絶対数も)は避けられない。彼らの多くは貧困層に属し、国の社会保障負担は国の財政を難しくするのは確実だ。日本の政府と国民は、本音ではル・ペンの考え方を多としていると考えられるが、建前上或いは国際関係維持上、日本の少子化・労働力不足問題とも絡み、この厄介な問題に如何に対応するかは、日本の将来(50年後、100年後、さらに長期に亘り)を大きく左右する重要な課題だ。ある意味、孤立しているル・ペンの移民政策に関しては、「移民を認めない」と政府が広言している日本は、「ル・ペンのフランス」と近いと言えるだろう。
マクロンに大統領選挙で2度敗れているル・ぺンは、議会解散発表にすぐさま反応。「国民連合」(RN)は「権力を行使する用意、大規模移民に終止符を打つ用意がある」と述べた。来るフランスの総選挙はパリ五輪の数週間前の6月30日と7月7日の2回に分けて、投票を実施するという。選挙の帰趨は如何? フランス総選挙の2回目投票日の7月7日は、東京都知事選挙日と重なる。興味深い「七夕の日」に東西でなるはずだ。
(菅原)安田 さんや 世の中は、左から右、右から左、また右、左と移ろうものです。カッコー良いことを言っちゃったなー。
(編集子)欧州という一つの文化圏でまとめておけばそれなりの歴史的意味はあったはずだが、グローバリゼーションなどという妖怪にまどわされ、拡大してみたあげくにあわてている欧州はゲルマンの大移動でほろんだローマの歴史に学ぶべきではないか、と思えてならない。出羽守たちが何と言おうと、文化は変わらないし変えてはならないものだ。昨今、ジェンダーギャップとやらで騒々しいが、全く文化の異なる社会でのあり方を横から見て、それと比べてうんぬんかんぬんという愚挙はいい加減に辞めたらどうか、と思うんだが。

水郷潮来の初夏です(41 齋藤孝)

水郷潮来に初めて行って来ました。

「アヤメ」と「ハナショウブ」が咲き乱れていた。江戸城にある絢爛豪華な大奥のような雰囲気の中で将軍様の時間を過ごした。

「いずれアヤメかカキツバタ」 アヤメ、カキツバタ、ハナショウブはお互いによく似ている。美女ばかり大勢いて見極めがつかない。

 『舞扇』「色留袖」をまとっていた。「いろとめそで」は祝い事に着る華やかな和風姿。『舞扇』はハナショウブに付けられた名前である。「旭丸」「蛍船」「美人桜」「金冠」「錦」など「ハナショウブ」は咲き競っている。

 

エーガ愛好会 (273)消されたヘッドライン

映画上映時点で興味はあったのだが見逃したままになっていた作品をCSでの放映があると知り、録画しておいたのを雨の一日、ゆっくり見た。

以前話題を呼んだ、ロバート・レッドフォード、ダスティ・ホフマン 大統領の陰謀 の様な期待感を持って見たのだが、多少、印象は違ったものだった。元凶が大手の軍関係の会社で軍や警察の上層部に圧力がかかり捜査ができない、という設定はほかにもいくつもあって、トム・クルーズのジャック・リーチャーシリーズ第二弾 NEVER GO BACK もよく似たストーリー展開だった。ただ、こちらは最後の最後になってリーチャーの推理通り犯行現場を押さえて軍上層部の悪はついえる。その過程がスリリングだったのだが、この映画ではエンディングが主人公のトリックという言ってみればルール破りとなる、あまりさえない話だった。ただ記者の執念をギラギラした演技でみせたラッセル・クロウは見直した。

ただ今回、この主人公クローの上役になるのがヘレン・ミレンと分かって、うれしくなった。この人の主演作品はハッキリ言っていわば B級フィルムばかりで、(あれ、いつこの人見たんだったかな)という程度の知識しかなかったのだが、全く偶然に、ほぼ同じタイミングで別チャネルで放映されていた、ブルース・ウイリス主演のコメディタッチの武勇伝、RED を録画していたので、引き続きこちらをオンしたら、何のことはない、この作品で重要な役割をはたす女性スナイパーがなんと彼女だったのだ。そういうわけで、(いつ見たか)という疑問も解決。いずれもドンパチ勧善懲悪ものの典型2作を満足してみた。

映画ファンの話題となれば (一番好きな俳優はだれか) というテーマは避けられない。小生の場合も女優でいえばドロシー・マローンだとかローレン・バコールだとか、という名前は出てくるのだが、この人と さらば愛しき女よ で初めて見たシャーロット・ランプリングのふたりは同じような、言ってみればひとめぼれ、とでもいうような印象が深い。

何を言いたいのか自分でもわからないんだが、”消されたヘッドライン” はその程度の印象に終わってしまい、”大統領の陰謀” の向こうを張ったジャーナリズムもの、という期待はむなしかった、というお粗末の報告である。

(注)RED は RETIRED EXTREMELY DANGEROUS  (引退してるがほうっておくとやばい連中) の略、だということである。これの第二作もそのうち放映されるのを期待する。

難しい事は言わないで、梅雨退治にキンキンに冷やしたビールかはたまた大切りの檸檬をうかせたジン・トニックでも片手に見るのに手ごろだろう。映画芸術派向けではないのは確かだ。