乱読報告ファイル (46)飯山陽(アカリ) 中東問題再考 普通部OB 菅原勲

この本のミソは題名の「再考」にあり、それは、以下の誠に刺激的な目次を見れば一目瞭然だ。

1.アフガニスタン報道が隠すタリバンの本性

2.「イランは親日」言説が覆い隠すイランの現実

3.「トルコは親日」言説が覆い隠すトルコの現実

4.なぜイスラム諸国は中国のウィグル人迫害に声を上げないのか

5.「パレスチナ=善、イスラエル=悪」の先入観が隠す事実

6.中東問題をわかりにくくしてきた七つの原因

結論として、時代遅れの中東像からの脱却を、と述べているが、総じて言えることは、亡国の輩である左巻きの連中から見れば、飯山の論は右巻きに見えるのだろうが、彼女の拠って立つ根拠は、極めて冷厳な現実主義(リアリズム)にある。

ただし、この全ての「再考」を網羅すると極めて冗長になることから、ここでは、2.のイラン、5のパレスチナ、イスラエルの項目に絞ることとする。

イランについては、イスラム法学者が最高指導者として全権を掌握する神権国家であり、そのイデオロギーにおいて、米国は世界中のあらゆる悪と腐敗の根源である「大悪魔」とされ、宗教イデオロギーによって駆動された全体主義国家にしてテロ支援国家であると定義づけられている。従って、日本が、1951年、英国の制裁を押し切って、イランから原油を直接輸入した出光の日章丸事件(ただし、イランは、当時と違って、1979年にイラン・イスラム革命が起こり、現在の体制となっており、当時とは事情が大きく異なっている。なお、この感動秘話を小説にしたのが、百田尚樹の「海賊と呼ばれた男」だ)、或いは、テレビ・ドラマの「おしん」の最高視聴率が90%であったことなどから、イランは親日国家であるとの勘違いが日本には蔓延している。しかし、イランが公言しているわけではないが、日本は、大悪魔である米国のポチと見做されており、その証拠に、2019年6月、日本企業のタンカーがホルムズ海峡で何者かによって攻撃された事件があり、これを、米国はイランの仕業と断定している。

また、パレスチナ、イスラエルについては、ガザ地区のパレスチナはテロリストのハマスが強権を発動して支配しており、パレスチナ自治政府のアッバス議長が本音を漏らしたように、ハマスの行動はパレスチナ人を代表するものではない。そして、ハマスの憲章の冒頭には、イランのそれと同様にイスラエル殲滅が掲げられており、パレスチナ人の民生向上を無視し、その幹部の腐敗が蔓延している(日本は、ガザ地区のパレスチナに1000万ドル人道支援するようだが、果たしてこれが本当に困っているパレスチナ人に渡るのか。テロリストのハマスに渡るならば本末転倒ここに極まれりだ)。

ただし、ここで一言述べておきたい。それは、パレスチナが統治しているヨルダン川西岸地区へのユダヤ人(イスラエル)の違法な入植について全く触れていないのは、片手落ちではないかと言うことだ。いくらイスラエルをご贔屓にしていても、その過ちについては厳しく指弾すべきだ。さもなくば、飯山の言っていることの全てが信用できないものとなって来る。

イスラム教にせよユダヤ教にせよ、はたまたキリスト教にせよ、いずれにしても、一神教は途轍もなくオソロシイ。果たして世の中に幸福を齎したのだろうか。むしろ、禍を、齎したのではないか。その意味で、我々は、多神教、八百万の神の国に生まれたことに感謝すべきだろう。いや、もしかしたら世界中が日本のように多神教になったなら、争いが極端に減少するのではないだろうか。その意味では、中東問題の抜本的な解決は、正にここにあり、か。

蓼科湖の花火 (HPOB 小田篤子)

14日に蓼科湖で花火大会があり、少し寒い中久しぶりの花火を楽しんできました。本当に花火は感激しますね。

近くのトヨタの保養所(蓼科テラス)やその付属の車の安全祈願の聖光寺、東急他の提供による小規模ですが、のんびり見られる良い花火大会でした。

ただ、木が多いので、仕掛け花火が座った横側にある大きなもみの木の間に上がり、まるでクリスマスツリーのようでした!

エーガ愛好会 (234) 静かなる男  再度礼賛  (HPOB 飯田武昭)

劇場公開で観て以来、多分3~4回目だと思いながら「静かなる男」を先日、久しぶりに録画ビデオで観ました。この映画はジョン・フォード監督の西部劇以外のジャンルでの名作とは理解していましたが、改めて観ると矢張り名作中の名作と感心しました。

物語はアイルランド出身の主人公ショーン・ソーントン(ジュン・ウエイン)が、アメリカの鉄鋼業の街か何かで働いた後に、故郷のアイルランドに戻って来て旧家を買い戻し、その隣人の男”レッド”・ウィル・ダナハ(ヴィクター・マグラクレン)とその妹メアリー・ケイト・ダナハ(モーリン・オハラ)との縺れ話と言ってしまえば簡単ですが、ざっとそんなストーリーです。ジョン・フォード監督が出身の祖国アイルランドに溢れんばかりの郷愁を持っていることが、この映画の見どころの根底にあると思います。

第一に、情景描写が如何にもこれぞアイルランドと思わせる詩情豊かなロケーションで行われている。撮影はアイルランド西部、ゴールウェイ県とメイヨー県の境にあり、コリブ湖やアッシュフォード城も近くにあるコングの村で行われた。映画は一貫して原風景の映像で貫かれているのも気分が落ち着きます。

次に、俳優も隣人の男の妹役のアイリッシュ系のモーリン・オハラを筆頭に、ジョン・ウエイン、ヴィクター・マグラグレン、ワード・ボンド、ミルドレット・ナトウイック等、全員が好演技をしていて、それぞれの俳優の代表作の一つと呼んで間違いないと改めて思いました。

更に、画面を通して常に流れる音楽はビクター・ヤングのアイリシュ系の穏やかなメロディで、これが映像の鑑賞を自然にサポートしています。一番感心するのは、この映画の人間味溢れるコモディ・タッチの演出表現が、とかく重たくなリ勝ちなストーリーを、鑑賞後に軽やかな清涼感で満たされた気分で満足できることです。

些か褒めすぎの感はあるかも知れませんが、映画でコメディタッチの名作は殆ど思い出せないので、敢えて取り上げております。シリアスなストーリーやドキュメントの名作は枚挙に暇がないですが、コメディタッチは映像では極めて難しいのが、世の東西を問わず言えると思います。コメディタッチの秀作を強いて挙げれば「俺たちは天使じゃない」(1955年 監督マイケル・カーティス 主演ハンフリー・ボガート、ピーター・ユスチノフ、アルド・レイ)、「腰抜け二丁拳銃」(1948年、主演ボブ・ホープ、ジェーン・ラッセル)辺りかと思います。ダニー・ケイやジャック・レモンのコメディタッチ作品は面白い方ですが、それでも一本の映画を通して観ると、日本人には馴染まない演技やわざとらしさが鼻に付くことが多いのがコメディ作品です。

ジョン・フォード監督は勿論、西部劇の名作を沢山残してくれています。しかし、西部劇以外でも私は「静かなる男」の他にモノクロ時代の「怒りの葡萄」「わが谷は緑なりき」、カラー作品の3作「長い灰色の線」「ミスター・ロバーツ」「荒鷲の翼」が特に好きです。

音楽のビクター・ヤングは「シェーン」「大砂塵(ジョニー・ギター)」「愚かなり我が心」「八十日間世界一周」などの名曲を残しているポーランド系ユダヤ人ですが、アカデミー音楽賞に22回ノミネートされても1度も生前にオスカーを手にできなかった作曲家のようです。死の直後のアカデミー賞授与式で「八十日間世界一周」が漸く、受賞対象曲になった経緯です。

因みに、この映画の公開年のアカデミー賞(第25回)には「静かなる男」は7部門でノミネートされ、うち監督賞、カラー撮影賞の2部門を受賞しました。作品賞でも本命「真昼の決闘」に次ぐ対抗作と見なされましたが、有力2作の間隙をぬう形で「地上最大のショウ」が受賞する結果になったと報じられています。名作揃いのこの時代の映画界ですから仕方のないことですが。

(編集子)サラリーマン卒業から数年たち、落ち着いたところで当時アイルランドはコークにいた同期の大塚文雄を訪ね、ダブリンを出発点にレンタカーで全島ドライブをしたことがある。その時、この映画を撮影した場所が一種の記念碑のようになっていて保存されているのを知り喜んだことを思い出す。この旅はEUが共通通貨としてユーロを発行して間もなくで、アイルランドもその影響を受け始めて、政治的には動揺があったころだが、ドライブは快適で、どこへ行っても人は穏やかで和やかな国だ、という印象が深い。

 

ワールドカップを見てきました!  (バー アンノウン 川島恭子)

休みをいただきました。
パリのサンドニ スタットドゥフランスで行われたラグビーワールドカップ 白熱した準々決勝2試合を観戦し、今晩の飛行機で帰途につきます。
各国のサポーターとの出会いは、国籍を超えた大切な思い出になりました!

(関谷)羨ましい!

若かりし日、ラグビーをちょことかじった者にとり、準々決勝の2試合(他の2試合も含め)かってない最高の試合でした。ニッポンが出ていれば、ひやひやドキドキでまともに観れなかったでしょうが、ラグビーの面白さを堪能しました。

それにしても、それを直に観戦されたとは羨ましい限り。次回、一杯奢ってください!!

(安田)ジャイさんからメール及び興奮を伝える写真を転送して頂き拝見いたしました。ありがとうございました。パリへ弾丸往復の旅、お疲れでしょう。ごゆっくり静養して下さい。金曜日からお店オープンではそうは行きませんか?

(佐藤)うらやましいを通り越して行動力に脱帽です。安田さん、関谷さんと同様私も高校ラグビー、大学ラグビー、リーグワンをウオッチしもちろんWRCを興奮して見ているファンの一人です。南ア-フランス、アイルランド-ニュージーランドのスピード感には圧倒されました。現場では映像をはるかに凌ぐ迫力だったでしょう。次回の集まりの際にはぜひ興奮を分けてください。

 

乱読報告ファイル(45) 高橋杉雄 日本で軍事を語るということ

最近ウクライナ問題などの関連テレビ番組で常連になっている著者は、この本を ステートクラフト という用語を定義することから始める。

この言葉は国家が存在するうえで、国として持たなければならない絶対的な指導原理、すなわち政策を立案し、展開していく、技巧(クラフト)であり、外交力、経済力、軍事力という三つの形で現れるという。長い間日本において軍事はある種のタブーであって、政策論として幅広く議論されることはほとんどなかったが、それは第二次大戦後の日本が安全保障を米国に依存しきっていたために、この問題を考えなくて済む時代が長くつづいてきたからだ。しかしグローバルなパワーバランスは変化し、米国の軍事力ももはや絶対的なものではなくなってきた。しかも日本周辺に安全保障上の対立が事実として存在する。すなわち日本が当事者意識を持たなくてはならなくなった。日本人は善とか悪とか言ったことではなく、否が応でも ”ステートクラフトとしての防衛力(軍事力)” を価値中立的に考えなければならなくなったのだ、と述べる。その意味で、国民がこの問題を考える上で必要となるであろう事柄を解説したのがこの本である。

そういう意識で書かれた本書は米ソ対立の冷戦状態が凍結されていた平成の時代はそれなりに世界平和が曲がりなりにも維持されていたが、今回のロシア・ウクライナ戦争でそのグローバルなバランスは崩壊しつつあるし、米中の対立は冷戦を再度もたらすかもしれない、という危機意識の中で、”戦争”というもののいわば方法論がかつての米ソ対立時代のものとは様変わりしている、という事実を明快に解説している。なんとなくわかっている気でいたが、戦闘そのものがすでにエレクトロニクスの闘いであるという現実や、一つびっくりしたのだが、米国と協調しているいわゆる西欧諸国群の中で、人工衛星を打ち上げる技術があるのは米国、フランス、それと日本だけだというのだ。

このような状況の中で、日本が備えるべき防衛力とはどれくらいの規模であるのか、外交と防衛とはどういう関係にあるべきなのか、そして最後に核抑止はどうあるべきなのか、と言った点について、本書は明快な解説をしてくれる。テレビで一種のショウのように(怒られるかもしれない発言だが)なってきているウクライナ(これからはプラス、イスラエルか)問題解説番組もこの本で得た知識で見ていくともうすこし事情がわかってくるような気がしている。

 

(36 大塚文雄)高橋氏は視点で語るのではなく、視野で語り、視聴者が考える事を促してくれる。ロシアのウクライナ侵攻が発見してくれた貴重な人材と思います。

 

田沢湖とク二マスの話    (44 安田耕太郎)

KWVの同期S44年卒の仲間総勢17名で先週、毎年恒例の合宿を八幡平〜田沢湖で行った。立ち寄った田沢湖で興味深い田沢湖固有種のクニマスに関する情報を得た。面白そうなので、以下説明させて頂く。

田沢湖固有種のクニマスは、「黒い鱒」と言われ、日本一深い湖(423m)で独自の進化を遂げたが故に、浅瀬で産卵する他のサケの仲間と全く違う生態を獲得していた。その一つが、深い湖底での冬季産卵だ。
若魚の時は銀色で頼りない感じの、どことなくシシャモのようにも見えるクニマスも、成熟期を迎えるとオスもメスも真っ黒になる。オスに限って言えば、背中が大きく張り出して、鼻先もグッと曲がり別の魚のようだ。それが貼付写真の通り成熟したクニマスだ。江戸時代・明治時代の過去の発掘文書には、長野県の野尻湖、岩手県の平ヶ倉沼の他、富山や神奈川の湖にもクニマスが放流されたという記述があるそうだ。
田沢湖では古くから漁業が行われ、1715年には固有種であるクニマスに関する最古の記述が出ており、献上品として利用されてきた。明治期末からはクニマスの孵化放流事業も試みられ、1935年(昭和10年)には8万8千匹の漁獲高があり70余人の漁師が生計を立てていたという。ところが、戦時体制下の1940年、食糧増産と電源開発計画のために湖水を発電用水・農業用水として利用しようと、近くを流れる玉川から国内屈指の強酸性の河川の水を湖に導入する水路が造られた。田沢湖から約35キロ上流にある、今回の旅でも立ち寄った玉川温泉は強酸性の源泉をもつ日本有数の湧出量を誇る温泉である。魚の絶滅を心配する声は当時もあったが、住民が国策に反対できる時代ではなく、漁師たちはわずかな補償金と引き換えに漁業の職を失い、ほとんどの魚が数年で姿を消した。
80年前、クニマスが絶滅する前、田沢湖のクニマスが山梨県の西湖に移植されていたことが分かった。2010年、絶滅したはずの田沢湖の固有種クニマスが西湖で発見されたが、それは1930年と1935年に移植作業の一つとして届けられた田沢湖のクニマスの卵の子孫たちだったのだ。山梨県の水産技術センターの研究の結果、人工孵化できるまでになったクニマスは2017年、田沢湖畔の博物館「田沢湖クニマス未来館」に送られ、そこの水槽で飼育されて以来、ここで見られるのが添付写真の成熟したクニマスだ。
クニマスが絶滅した以後も玉川と一帯の酸性化は進み、玉川下流の農業用水の被害も深刻になったため、県は玉川温泉の水を中和する施設の設置を国に要望し、1989年に中和施設が完成した。また、それ以前の1972年から石灰石を使った中和処理が行われてきた。これらによって湖水表層部は徐々に中性化してきたが、今なお湖全体の水質回復には至っていない。水深400mを超す深い湖全体の水を中性化できるのは可能なのであろうか?いつになるのだろうか?、と思わずにはいられない。

(保屋野) 田沢湖の「クニマス」の歴史、ありがとうございます。当時、さかな君の発見で大きな話題になりました。

さて、田沢湖ですが、2回ほど訪れてますが、展望台から、コバルトブルーの美しい湖面が印象的でした。

かって30mを超えていた透明度が一時4,5mまで悪化したということですが、現在かなり回復しているのではないでしょうか。

二重の虹が出ました   (グリンヴィラ総合管理HPより転載)

昨日は寒気の流れ込みで大気の状態が不安定でした。急な雨や突風で午後は一時的に荒れた天気となりました。15時過ぎに事務所に戻る途中、長坂町内で二重の虹を見る事が出来ました!

(編集子)これからのひと月、最も好ましい季節が八ヶ岳南麓を訪れる。登山家にして詩人尾崎喜八は北信州からこのあたりをこよなく愛し、あまたの名文を書いているが、彼の流れるような文章がよく似合う季節でもある。

エーガ愛好会 (233)クライ・マッチョ  (34 小泉幾多郎)

当時91歳のクリント・イーストウッドが監督デビュー50年40個目のアニバーサリー作品。題材は落ちぶれたカウボーイと少年の旅、ロードムービーを通して語られる人生から、西部劇と言えないこともないが、時代は1979年で背景はメキシコ。馬でなく車。ネオ・ウエスタンとでも言えるかも知れない。イーストウッドはローハイドやマカロニウエスタン時代から、タフガイ、ゴースト、人生の導師、謎の男と形は変わってもその姿自体や、その悠然たる歩きに変化はなかったし、この映画でも変わっていない。

ストーリーは若き時代ロデオ界のスターだったマイク(クリント・イーストウッ
ド)は落馬事故以来、数々の試練を乗り切りながら孤独な一人暮らしを送っていた。或る日雇い主ハワード・ポルク(ドワイト・ヨアカム)から、別れた妻レタ(フェルナンダ・ウレホラ)に引き取られた10代の息子ラフォ(エドアルド・ミネット)をメキシコから連れ戻して呉れと依頼される。母親の男遊び等に愛想をつかした息子は、闘鶏用の鶏と盗みで生きて来た。ラフォを探し出したマイクは二人で、車を盗まれたりしながらもメキシコから米国への旅を始める。二人に迫るメキシコの警察、レタの放った追手。二人の絆ガ胸にこみ上げる。助演男優賞の闘鶏、チキンでないマッチョと命名された闘鶏が車の中でお喋り、銃を持った敵に飛びかかる等の活躍も。男優賞は元カウボーイ、爺さんだが、立ち姿は若々しい、女に好かれ、馬を乗り回し、機械に強い。最後は息子の父親の出迎えを受け、息子は父と共に無事帰還。この後父と息子がうまくやれそうかどうかには関心はあるのかないのか。マイクは旅の間に触れ合いが印象的だったパブの女主人マルタ(ナタリア・トラヴェン)のパブへ直行しダンスへ。まだまだ若い。音楽がマーク・マシーナと言う人。パブからは、ボサノヴァのようなシャンソンのようなラテンSobor a Miで唄はEydie Gomeが聞こえてくる。

冒頭のスタートは、カントリーで、マイクが村の中を走っている間、Fina A New
Home、唄はWill Banister。全般的に年の離れた男二人のロードムービーだが、特に強調することもなくさらりとした描写の中に、若き頃ヤンチャだった年寄りの過去に対する悔恨を背負った主人公の弱さとやさしさの中に、逆に頑固で力強く自分の未来に限界がないような気がしてくる。

(グーグルの解説転載)

タイトルの『クライ・マッチョ』とは、「マッチョ、鳴け!」という意味と「男らしく泣け」のダブルミーニングだと思われる。 年代も環境も違う、出会うはずのなかった2人が旅を通して絆を深め、生きることの意味や明日への希望を見出してゆく、人生への問いかけを秘めた感動のストーリー。

スナック・ジジ

昨晩、月一高尾の常連数人で飲む機会があった。以前、府中カントリでのゴルフ会の帰り、何人かを案内した、編集子の旧居近くにあって馴染みだったバーが気に入った、という連中がわざわざ都心を通り越してやってきてくれる、という会合になったのだ。この会の発案並びに運営は42年卒の下村君がやってくれている誠に楽しい時間なのだが、席上、スナック・ジジ の話が出た。僕らの年代のKWV仲間では有名だったが、なるほど、すでにいわば歴史上のことなんだな、という感慨があった。KWVのみならず、横町の旦那として昔を語り伝える年だなという事を、今週2度目に納得した(1度目は ”そのうちお前と酒が飲みたいな” とからかっていた孫が実は大学生になり(このさい法律論はなし)、その日がもうやってきてしまった、という衝撃)事実だった。

スナック・ジジ のことは同期文集に書いておいたが、ご参考までに全文をコピーしておく。キザに言えば、本稿のタイトルどおり、Circle be unbroken  であろうか。

(注)文中、キチン スイス は場所を変えて京橋近くで営業している。メニューもあの頃と同じ、まさに昭和の雰囲気は変わらない。

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スナック・ジジ

銀座の灯が青春の象徴だったという人間は沢山いるだろう。街並みは変わり、“いちこし” も ”ジュリアン・ソレル“ も ”スイス“ もなくなってしまったとはいえ、今なお古き良き時代の思い出は我々とともにある。

その銀座に住吉康子が店を持ったのは1983年6月9日、名前はスナック・ジジ。女子高時代演劇部にいた彼女が演じた役の名前がそのままニックネームとなり、友人たちの間では本名をとっさに思い出せないのがいるほど、親しまれた名前であった。

この店の誕生には、1年上の ”マックス“ こと畠山先輩の強い勧めがあった。彼女はこれに先立って、友人に誘われ横浜、都橋の近くで ”こけし“  というスナックをマネージしていたことがある。ヨコハマ、というきらびやかなイメージとはかけはなれた、どちらかと言えばうら寂しい一角だったが、六郷沿いに住んでいた小林章悟が私設応援団長的にひろくワンダー仲間に呼びかけ、仲間が集うこともたびたびで、荒木ショッペイ夫妻もよく訪れていた.ここへ来た畠山が、”ジジ、おまえ、銀座に出ろ“ と強く勧めたのだという。

住吉はいろいろな友人を通じて、塾体育会のOBたちに知己が多く、そのひとりだった野球部OBの増田先輩(1957年卒)から紹介で、ホテル日航に近いあの店の権利を得て、スナックとして開業した。バーテンも置かないから、当然カクテルなぞというものとは無縁、カウンター1本しかないせせこましい造り、住吉本人だって世にいう ”銀座マダム“ とはかけはなれて不愛想。それでも、ここは開業以来、”慶応“ それもどちらかといえば ”体育会(この場合はKWVも含めてだが)OB“、の何とも居心地抜群の、理想の止まり木でありつづけた。

何しろ、店の場所がよかった。都心オフィス勤めの人間にしてみれば、”帰りがけに銀座でちょっと飲む“ プライドをもつことができたし、古びたドアを開けて入れば、先ず5割の確率でワンダー仲間がいた。あれ、今日は誰もいないか、と思って奥を見れば、何年何十年ぶりかで見る高校、中学時代の仲間が、これまた5割くらいのヒットレートでにやにやしているという、まさに ”おれたちケイオー“ の場所だったのだ。

KWVで同期以外の常連、といっても枚挙にいとまがないが、なんといっても2年上の三ツ本和彦がダントツだったのは、先ず誰もが納得する事実だろうし、後輩連では41年の田中透、佐川久義、44年の浅野三郎、45年の島哲郎などの名が浮かぶ。同期の仲間は当然としても、後輩年代でも“じゃ、ジジで” というのが決まりだったのだ。

われわれの ”部室“ であった ”スナック・ジジ”は、2009年3月31日、その ”銀座の灯“ を落とした。

(住吉康子 2019年10月9日没)

 

強風下の栗駒山   (42 保屋野伸)

昨日、仙台発地元の日帰りツアー「紅葉の栗駒山ハイク」に一人で参加しました(仙台前泊)。北東北の冬型配置による暴風警報にもかかわらず、キャンセルもなく336名もの参加者がありました。(大半が女性)

標高1100mの「いわかがみ平」から強風の中1時間ほど登って1400mの稜線に出ると、そこは風速25mの世界、吹き飛ばされそう。さすがに、初心者もいるツアーでは1620mの山頂までは行けず、ここから引き返しました。山頂は風速30m。

紅葉も、猛暑の影響でナナカマドが枯れ、赤系統が全滅でしたが、まあまあ、黄葉の絨毯は(少し)楽しめました。その後麓の温泉に入って帰京、紅葉は「イマ2」でしたが、(めったにない強風登山という)良い経験をしました。

紅葉の絶景写真をお見せしたかったのですが、こんな状況で残念。

 

(下村)残念でしたね。今年は紅葉の美しさは諦めですかね。わが家の皇帝ダリアも暑さでぐったりしてしまい、あの迫力ある開花は期待出来そうもありません。ここにも異常気象の影響ありか。来年のスキーシーズン、雪の多寡が心配です。どうなることでしょうか。

(河瀬)私も実はナナカマドの紅葉で有名な栗駒山に10月4日に登る計画で厳美渓の旅館まで予約していたのですが、猛暑で紅葉がありそうもないのでやめました。保屋野さんは強風とナナカマドが枯れたのはダブルパンチで散々でしたね。

 私は代わりに10日後に群馬県の秘湯、四万温泉の元湯の積善館に行くことに決めました。それでもまだ紅葉は早いと思っていましたら??、最近の寒波襲来でなんと隣の草津では7−8度になっているようです。元気な木々に10度以下の急激な気温低下と晴れが続くと紅葉が始まります。群馬県北部は雨も多かったので木々はあまり枯れていないようです。ひょっとすると東北と違ってくるかもしれませんね。

(編集子)したがって本稿の写真は (こうなるはずだったのに)の光景である。同期の連中4名ほどで、鳥海山の帰り東北ドライブとしゃれこんで、その途次、栗駒の麓を走った記憶がある。その記憶に間違いがなければ、確か泊まった小屋が台風で流出してしまったのではないか、と思うのだが。記憶のいい遠藤兄だったら覚えているかもしれない。