KWVの同期S44年卒の仲間総勢17名で先週、
田沢湖固有種のクニマスは、「黒い鱒」と言われ、日本一深い湖( 423m)で独自の進化を遂げたが故に、 浅瀬で産卵する他のサケの仲間と全く違う生態を獲得していた。 その一つが、深い湖底での冬季産卵だ。
若魚の時は銀色で頼りない感じの、 どことなくシシャモのようにも見えるクニマスも、 成熟期を迎えるとオスもメスも真っ黒になる。 オスに限って言えば、背中が大きく張り出して、 鼻先もグッと曲がり別の魚のようだ。 それが貼付写真の通り成熟したクニマスだ。江戸時代・ 明治時代の過去の発掘文書には、長野県の野尻湖、 岩手県の平ヶ倉沼の他、 富山や神奈川の湖にもクニマスが放流されたという記述があるそう だ。
田沢湖では古くから漁業が行われ、 1715年には固有種であるクニマスに関する最古の記述が出てお り、献上品として利用されてきた。 明治期末からはクニマスの孵化放流事業も試みられ、1935年( 昭和10年) には8万8千匹の漁獲高があり70余人の漁師が生計を立てていた という。ところが、戦時体制下の1940年、 食糧増産と電源開発計画のために湖水を発電用水・ 農業用水として利用しようと、 近くを流れる玉川から国内屈指の強酸性の河川の水を湖に導入する 水路が造られた。田沢湖から約35キロ上流にある、 今回の旅でも立ち寄った玉川温泉は強酸性の源泉をもつ日本有数の 湧出量を誇る温泉である。 魚の絶滅を心配する声は当時もあったが、 住民が国策に反対できる時代ではなく、 漁師たちはわずかな補償金と引き換えに漁業の職を失い、 ほとんどの魚が数年で姿を消した。
80年前、クニマスが絶滅する前、 田沢湖のクニマスが山梨県の西湖に移植されていたことが分かった 。2010年、 絶滅したはずの田沢湖の固有種クニマスが西湖で発見されたが、 それは1930年と1935年に移植作業の一つとして届けられた 田沢湖のクニマスの卵の子孫たちだったのだ。 山梨県の水産技術センターの研究の結果、 人工孵化できるまでになったクニマスは2017年、 田沢湖畔の博物館「田沢湖クニマス未来館」に送られ、 そこの水槽で飼育されて以来、 ここで見られるのが添付写真の成熟したクニマスだ。
クニマスが絶滅した以後も玉川と一帯の酸性化は進み、 玉川下流の農業用水の被害も深刻になったため、 県は玉川温泉の水を中和する施設の設置を国に要望し、 1989年に中和施設が完成した。また、 それ以前の1972年から石灰石を使った中和処理が行われてきた 。これらによって湖水表層部は徐々に中性化してきたが、 今なお湖全体の水質回復には至っていない。 水深400mを超す深い湖全体の水を中性化できるのは可能なので あろうか?いつになるのだろうか?、と思わずにはいられない。
(保屋野) 田沢湖の「クニマス」の歴史、ありがとうございます。当時、さかな君の発見で大きな話題になりました。
さて、田沢湖ですが、2回ほど訪れてますが、展望台から、コバルトブルーの美しい湖面が印象的でした。
かって30mを超えていた透明度が一時4,5mまで悪化したということですが、現在かなり回復しているのではないでしょうか。