玉山は遠くなりにけり     (39 堀川義夫)

 

9月19日にフィリピン沖で発生した台風14号(コイヌ)は台湾直撃の大型台風となり、10月3日(火)には、玉山に登山禁止令が発布されました。

私の今年の大きな目標は、100名山の完登と玉山の登頂でした。玉山は何回も登頂の企画し、その都度いろいろな理由で行けなくなった私には相性の悪い玉山でした。今年はラストチャンスと思い、早々に4カ月前の6月には幸運にも仲間5人分の拝雲山荘の抽選での予約を確保し、以来楽しみにこの日をくるのを待っていました。9月29日には100名山完登を達成し、余韻治まらない内の10月4日(水)に日本を出発して、5日(木)に拝雲山荘泊まり、6日(金)早朝に登頂予定でしたが・・・

台風の発生以来、毎日、何回も天気図を見ながら、仲間と連絡を取りながらあーだこうだと話し合いながらも全員行く気満々でした。結論はとにかく行こう! あとは状況判断で出来るだけ登頂を目指そう、という決心をしていましたが・・・なんと、日本出発予定の前日、10月3日に登山禁止になってしまいました。

私としてはショックでした。残念でした。台湾のグルメは所謂観光でも良いかなと思いましたが、山が目的で行く台湾の予定です。多分、台北にしろ温泉地巡りをするにしろ天気は悪いことでしょう。結局のところ話し合って催行中止と言う結論になりました。残念無念!  玉山は遠くなりにけりです。

 

世代交代:ふたつのシーン

10月4日夜、セントラルリーグ最終戦、ジャイアンツはDENAに辛勝。最終戦のセレモニーについで原監督の交代イベントが放映された。後任は噂通り、阿部慎之助。編集子の好みは高橋由伸の再チャレンジだったが、ま、いいさ。

デジャヴ―というコトバがあるが、この交代セレモニーは長嶋監督がこの原へのバトンタッチを演出した夜の再現だったといえる。ただ、長嶋茂雄という人は生まれつき劇的な演出にたけているのか、スピーチもうまかったし、テレビ側のメーキングもよくできていた。例えば往年の両エース、斎藤・槇原と女房役村田真一の引退試合の演出なんかは見事なものだった。それに比べると今晩の演出はもたもたした印象があり、不満の残るプログラムだったのは残念だ。

小生、長嶋のデビューの時のテレビ報道は見ていないが、阿部の初打席での二塁打は見ているし、原が不調続きで酷評され、”ガラスの四番打者" などと呼ばれた後、ホームランを打って涙をにじませながらベースをまわってていた場面も見ている。いろんな場面が思い出されるが、今晩、心に響いたのは、長島から原への交代劇をつい数日前に見たような気がしたことだった。今更ながら時間の経過の冷酷さが身に染みる。

来年, 新体制で ”サイコーでえす!” とわれらがシンちゃんが絶叫する監督談話を見たいものだ。

大谷選手コメントのこと

大谷選手米大リーグでの本塁打王、快挙、文句なしの快挙だ。最近の報道を通じて大まかなことは分かったつもりでいたが、発表された彼のコメントを読んで、感じたことがあった。

それは自分がこの結果を残せたことを、これまでの日本選手の大リーグでの実績に言及して、”恐縮で光栄なことです” と言ったことである。小生、いままで知らなかったのだが ”恐縮” には二つの意味があることを、これを機会に辞書を引いて初めて知った。辞書を調べるまで、この言葉は英語でいえば sorry にあたるとしか思っていなかったので、真意がわからなかったのと同時に、通訳の水原氏がどう英訳されたのかにとても興味があった。しかし調べてみるとこれにはもう一つ、obliged  という意味があると知って、なるほど、適切なコメントだと理解し、同時にこの単語を使った大谷選手の教養に別の意味での感銘を受けた。いままで、生意気にも若い年代の人たちの会話や文章に日本語が”荒れていく” と嘆いてきたわが身の浅学を悔いることしきり、である。

このコメントがアメリカ人社会に受け入れられることは間違いないが、もう一つ、改めて感じたのは、日本人の何かに没頭する姿勢である。毎日のトレーニングや節制、という事はどのような場合でも必要だろうし、それをストイックに継続する、ということは人種を問わずその道のチャンピオンを目指す人は実行しているはずだ。しかし日本人の場合のように、打ち込む姿勢というか態度が我々の使う意味での 道 という観念に結び付いていくのかどうか、このあたりはまさに文化の違いだろう。大谷選手のかの地での生活態度(たとえばほとんど外食もしないというような節制マインド)を報道で知る限り、まさに野球道を究めようとしている求道者、という風に見える。

日本が敗戦のショックから立ち直れず、自虐的に生きていたころ、スポーツの世界でのいくつかの勝利、たとえばボクシングの白井、水泳での古橋、と言った人たちの活躍は日本人 ”でも” 世界に通用する力を持っているのだ、という意味でわれわれの心の支えになった。かたやスキーでの猪谷選手の活躍の一つの要因は彼を認めた米国人の支援と、もう一つ、徹底して米国人のライフスタイルに溶け込んでいった猪谷さん(一度だけだがスキー旅行でご一緒したことがあるのでこう呼ばせていただく)のスタイルはこの種の求道者、というイメージからは距離があり、あくまでオープンな、アメリカ人的なものだったと思う。どこかで読んだ記憶があるが、猪谷さんのスタイルには、日本代表として選ばれてチームメイトになった、いわば日本的な感覚で育ってきた人たちとは相いれずときとして不協和音があったという事があったようだ。

どちらが良いとか好きとかいうレベルの話ではない。アメリカの国技と言える野球の世界でアメリカ社会に薫風を吹き込んだ、ともいえる今回の話は、単に成績だけでなく、個人の人格やマナーや、人間としての器量が、人種文化の壁を越えてアメリカ人の心に響いた、という事で、ほんの少しだがアメリカ社会の実体験を持つ者の目から見て、凄いことだと思うのだ。

(安田)全く同感です。「近頃の若者は・・・」云々などといつの時代も年寄りは言いがちですが、大谷翔平のような心技体そろった若者アスリートの謙虚で賢いコメントには励まされるばかりです。

アジア人がMLBの本塁打王になること自体、MLBの歴史を揺り動かすほどの快挙ですが、彼は今春のWBCでも並みの選手でない才能と賢者振りを発揮していました。決勝のアメリカ戦でクローザーとして9回に登板、同じ所属球団エンゼルスのスーパースター で同僚のマイク・トラウトを三振に仕留め拮抗したゲームを勝利(3対2)に導きました。これも凄いことですが、僕がもっと感銘を受けたのは、彼が試合前の円陣で仲間全員に対して 声出し をこの大会初めて務めた時の “檄“のコメントです。

「ファーストにゴールドシュミットがいたり、センターを見ればマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球をやっていたら誰しも聞いたことがあるような選手たちがいると思う。憧れてしまっては超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう」。全く言い得て妙な発言です。その甲斐あって、日本チームは見事3度目の栄冠を勝ち獲り、大谷選手はMVPとなりました。挙げた3選手は全員MVP(最高殊勲選手)を獲った米球界のスーパースタ―です。この大谷のコメントは英語にも訳され、アメリカ国内でも大変大きな反響を呼び、大谷選手の人となりの株を大いに挙げました。

3月のWBCにピークを持ってくるという負担は、長丁場のMBLペナントレースの終盤に肘が悲鳴を上げる一要因になったのかも知れません。進化したハイブリッドのトミー・ジョン手術は、一部の専門家からは復帰後(2025年以降)、170キロのスピードボールを投げることが出来る、などと嬉しいことを言ってくれています。肘へは2度目のメスですから予断は許しませんが、肘への負担が大きい彼の得意な曲がりの大きな スイーパー に頼らずとも快速球・豪速球で打者を捻じ伏せることが出来ればそれに越したことはありません。2024年は投球はせず、打者に専念、二刀流は2025年から が現在の予定とのこと。来シーズン、DHに専念してホームラン数が今年を凌駕して50本以上打てば、怪物以外の何物ではありません。彼には “Wish you the best of luck” と伝え、来シーズンの活躍を期待したいと思います。

23年9月 月いち高尾 (47 関谷誠)

来年、創部90周年を迎えるKWVで育った我々ワンダラーの山登り、山歩きに対する情熱は老若男女失せることありませんが、現実は厳しく、体力・足腰の衰えを如何とも隠せない老齢世代、一方で、それなりの体力を維持しながら、何とかごまかし得る若年老齢世代等々、幅広い層が参加・楽しめるイベントの企画は、KWV三田会としても大きな課題のようです。 この「月いち高尾」の会は、発起人の36年「ナンヤカンヤ」会の皆さんの参加がおぼつか無くなった時点で、自然消滅させても良いのかも知れません。しかし、バリバリの若年老齢世代の参加が増え始めている昨今、又、「テング飯店」での後の祭り懇親会も店が貸し切り状態となる盛り上がりを呈しており、何とかこの会を継続できないかと悩み、思案する三代目世話人です。そこで、今回、新たな試みとして、「高尾山」山域をゆっくりと自然に触れながら、仲間とワイワイガヤガヤ、体力的負担の軽い山歩きの「シニア―」向けプランと、それなりにハードな登山を楽しめるプランの2本立てとし、下山後は、「テング飯店」に集結とのプランを企画しました。

 

<以下、敬称略>

(シニア―・コース) 34/船曳夫妻、36/遠藤、中司、高橋、吉牟田、鮫島、39/蔦谷、三嶋、40/藍原、41/久米(コブキ)、43/保屋野、44/吉田、47/平井、関谷  <14名>

(南高尾7サミット・コース) 39/堀川、42/下村、44/安田、46/村上、49/長山、50/実方、丸満、51/斎藤、五十嵐、羽田野、59/後藤、BWV/大場  <12名>

 

  • シニア―・コース

10:00 京王線「高尾山口」集合 (1) 10:15清滝発ケーブルカー (2) 保屋野/久米/吉田 6号路琵琶滝コース 11;30 高尾山山頂 昼食

秋の遠足シーズンで、山頂はビニシーを所狭しと広げ、美味しそうな手作り弁当をほおばる小学生、幼稚園児で賑わっており、我々年寄りはそれを楽しく眺めながら、多少のエネルギーを充填出来たかな!この子らに見惚れたのか、何と二人の御仁が昼食をとった石の腰掛にスマホを忘れ、下山途中の薬王院近くで気付き、慌てて山頂に引き返すハプニングがあった。園児を引率していた保母さんだったのではないと推定されたが、何と、バラバラに座っていた場所に置き忘れた2台が揃って、目の付くところに、並べて置いといてくれており、事なきを得、スマホが命と豪語する御仁の喜び様と云ったら! ちゃんと置いといてくれた日本人の美徳を一同称賛。

下り:

・本隊: ケーブルカーで清滝に下山

・遠藤/保屋野/関谷: 1号路から、途中、金毘羅尾根を下り高尾駅へ

平均年齢82歳とは思えない元気なシニア―、足腰が多少覚束ない方も見受けられたが、口の方は相変わらずお元気そのもの、体調不良、事故等のない、9月末とは思えない 暑い中での汗をかいての楽しい秋のワンデルングでした。

  •  南高尾セブンサミッツ・コース

JR相模湖駅(八王子駅北口行き)8:39⇒(バス16分)⇒8:55大垂水峠9:00⇒(30分)⇒9:30①大洞山536mオオボラヤマ9:40⇒(50分②コンピラ山③中沢山494m)⇒10:30見晴台10:40⇒(50分④入沢山⑤泰光寺山)⇒三沢峠11:30⇒(30分⑥榎窪山420m)⇒12:00⑦草戸山364m(昼食)12:35⇒(1時間10分)⇒13:45四辻13:50⇒(20分)⇒14:10高尾山口駅

・朝は全員が予定通り相模湖駅のバス停に集合、バスで大垂水峠へ向かい下車後、大垂水歩道橋から出発しました。軽快な足取りで登りをこなすとひと汗かいたころにこの日の最高地点大洞山(オオボラヤマ536m)に到着し、さらに引き続きコンピラ山、中沢山を通過しこのコース最高のビュースポットである見晴台からの丹沢方面の眺望を楽しみました。

・セカンドを歩く堀川さんの歩きがとても早くトップを歩く五十嵐さんが煽られっぱなしで予定より20分も早く最終の第7のピーク草戸山に到着、ゆっくりと昼食を摂りました。・草戸山から高尾山口までは小さなアップダウンを繰り返しながら緩やかに下っていく長いコースでしたが、いつの間にか堀川さんがトップになってパーティをリードし快調に高尾山口まで下りました。

(編集子)今回は別報した通り、メンバー(当会第二代世話役)堀川義夫君の100名山登頂を祝して、二次会において記念のプレートを贈呈した。次はだれになるか、興味深々である。ホリ、おめでとう!

関谷君報告原文にある ナンヤカンヤ会 というのは ナンカナイ会という光輝と栄誉ある(実社会ではときどき不都合に遭遇することもあることを体験ずみではあるが)名称の誤記であることを付記。本件は同氏あて配達証明つきにて訂正を申し入れ済み。

尚、写真は多数寄せられていて掲載が困難であるので、参加者には撮影者から送られているグーグルファイルをご参照されたく、本稿には代表例のみを転載させていただく。

(久米)斉藤氏の素晴らしい写真集も楽しく拝見いたしました。やはり「南高尾7サミットコース」楽しそうですね。参加したかったです。でも体力に自信が無くて琵琶滝コースを歩きました。

永遠の少年、保谷野氏と、ずん六植物学者と教養深い山行を楽しみました。まだまだ夏の花も残っていてシュウカイドウなど見事な花を見ながら、ずん六先生の解説付き和歌まで飛び出して「自然教室」に参加しているような気分の中々教養深い山行でした。行き交った保育園の生徒達小学5年生、皆驚くほど元気で励まされました。

天狗の飲み会も無事スマホが見つかったこと、堀川さんの100名山達成のお祝いと楽しい会でした。色々お世話になりました。