夏目兄と普通部時代の野球についてのメールを懐かしく拝読しました。
普通部の野球部で彼とバッテリーを組み、打順は3/4番、副主将/主将
として、共に野球に明け暮れた彼との親交を回顧したくなりました。
普通部入学時に野球部は存在せず、3年になって漢文担当の若い麻布先生を中心に野球部が戦後に復活、C組仲間が多く、夏目、平光、松井、大倉、野口、山田正明、福本、松本、伊藤、田村が、野球に明け暮れました。ただし、C組の担任吉村先生は野球がお嫌いでした。
夏目は右投げ左打ち、鋭い打球を外野に飛ばす頼もしい3番バッター、冷静なキャッチングでホームベースを守リ大活躍。
夏の神奈川県中等学校野球大会ではこの年普通部がダークホースとして注目され期待を背負って初出場、一回戦で六会中学と対戦し6:?で惜敗、初めての横浜平和球場(DNA球場の前身)という大舞台で、我々はコチコチにあがり、ボール球を空振り空振りという惨敗でした。
試合後麻布監督の命令で普通部に戻り反省練習。今度は冷静になって鋭い当たりを飛ばすがあとの祭り!次年度は有能な2年生に託すべくこれから手助けしようと夏目と誓い合った真夏の一コマが思い出されます。
(編集子)当時のクラスの特色が懐かしい。C組が野球なら小生のいたE組はラグビーフィフティーンのうち11人が在籍、B組は大学では全国区で活躍したテニスの日高やラグビーでは俊足のセンターだった船津とかがいた。これに対してA組、D組は医学部へ行った人数とか、数学大得意のやつが固まっていたりして、運動会ともなるとまずはB組とE組が幅を利かせたものだった。もっともラグビー部の戦績は野球とあまり変わらず、成城と成蹊に対戦して2戦2敗、辛うじて対成蹊戦でウイングの長谷部が170ヤードの独走トライをあげたのがせめてものなぐさめだった。好漢長谷部、愛称坊主、もすでに不帰の客となって久しい。フィフティーン仲間からも浜野、長谷川、大森、神保、神田、加藤, 飯田なども旅立ってしまったし、船津(浩三)なんかも音信絶えて久しい。往事まさに茫々。
田村が云うように夏目は温厚で誠実な男だった。大学で同じクラスになった。人なつこい温厚な人柄は全く変わっていなかったけれど、こんな思い出もある。あの歴史的な早慶六連戦、最後に出てきて三振したのが夏目だった(渡海が一本打ってりゃ勝ったのに!とばかり言いあった来たがこれは覚えていなかった)、と畏友浅海昭はいうのだ。どうだったか、記憶は忘却の彼方だ。田村なら知っているはずだが。
(田村)早慶六連戦、最後に三振したバッターが夏目兄とは全く覚えがなく、又彼とも話題にしたことはありませんでした。高校/大学で夏目兄とバッテリーを組んでいた鶴岡兄に昨夜電話してみましたが彼も覚えていないと。
この六連戦は敵ながらあっぱれの安藤の粘投に惑わされ、やられた!との記憶は
生々しく残っており、鶴岡兄も同意見でした。(慶応のキャッチャーは夏目と田中、後輩の大橋でした、最後の試合に夏目が出場していたか覚えていません)
晩年夏目兄とは、電話のたびにゴルフをと言いながら、幻のゴルフになったことを悔やみつつ・・・
(大学クラスメート 飯田)大学で同級生だった小生の想い出グッズに、当時の夏目君のご贔屓スターが掲載されていました。小生、「エーガ愛好メンバーなので、その部分だけ引用します。
ジーン・ピータース、ロッサノ・ポデスター、山本富士子、ロバート・テイラーだそうです。