一か所七福神めぐり   (34 小泉幾多郎)

長年に亘り、正月の七福神めぐりを行なってまいりましたが、7か所を徒歩で歩くだけの脚力に衰えを感じ、昨年は、横浜野毛にある成田山横浜別院の一箇所七福神でごまかし、今年も喪中を理由に正月は動かずにいましたが、つい先日の15日に、小田急線の柿生から徒歩10分にある浄慶寺という所を訪れました。

其処には秋葉山神社も同居しており、其処に七福神が一箇所に並んでいるのでし
た。また浄慶寺は、浄土真宗のお寺ですが、6月には約1000本の紫陽花が咲き、紫陽花寺ともいわれているそうです。それと羅漢石像が、ユーモラスな表情で存在し、それらを見ているだけで 厭きません。

(飯田)兎も角、この写真はユーモラスで面白い!!です。詳しい由来は知りませんが・・・
有難うございました。

(安田)正月 松の内(7日まで)に七福神を巡るのは清々しく気持ちの良いものですね。これからも毎年続けて行ければと思っています。東京都内(八王子、日野含む)には30程の七福神があるようです。これまでは下町を中心に巡りましたが、谷中、深川、浅草、隅田川、柴又などは日本情緒も色濃く正月に相応しい感じがしました。

(菅原)パソコンをやってる羅漢の左手が、何とも言えず、傑作。
小生、近傍の氷川神社に初詣するのが関の山。信心深いとはお世辞に言えません。

エーガ愛好会 (112) シドニー・ポアチエを偲ぶ (普通部OB 船津於菟彦)

先日の新聞でシドニー・ポワチエ(Sidney Poitier)が1月6日に95歳で逝去したと報じられた。幾つかの名作の映画が在るが、何と言っても「招かざる客」が印象に残る。
2020年5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性のジョージ・フロイドさんが、白人警察官の不当な制圧によって死亡するという事件が発生した。これがきっかけとなって、アメリカ各地へと抗議運動が広がる中、それを敵視するトランプ大統領の差別的な言動もあって、深刻な事態へと発展していった。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命だって大切だ)」このフレーズを噛み締めながら、半世紀以上前の1967年、当時の“理想主義者たち”によって作られた『招かれざる客』とシドニー・ポワチエを思い起こし、米国の人種差別問題も考えてみたい。
「招かざる客」が製作された1967年頃のアメリカではこの年の6月までは、17の州で異人種間の結婚が禁じられていた。1964年7月2日に、人種差別を禁じる「公民権法」が制定されてから3年ほど経っていたが、この映画の撮影中はまだ、白人と黒人が結婚することが罪になる州が、存在したのである。
そんな中スタンリー・クレイマー(1913~2001)は、ハリウッドでは筋金入りの“社会派”であった。プロデューサーとして、アメリカの影の部分を抉ったアーサー・ミラーの戯曲を映画化した『セールスマンの死』(51)や、“赤狩り”の時代を批判したとも言われる西部劇『真昼の決闘』(52)を手掛けた後に、監督デビュー。脱獄囚の白人と黒人が、人種偏見を乗り越えていく『手錠のまゝの脱獄』(58)核戦争後の世界を描いた『渚にて』(59)、ナチス・ドイツの戦犯裁判を題材にした『ニュールンベルグ裁判』(61)等々の社会派作品を、世に問うてきた。
マット・ドレイトンを演じたスペンサー・トレイシー(1900~67)は、『我は海の子』(37)『少年の町』(38)で、史上初めて2年連続でアカデミー賞主演男優賞を得た名優。そして母親役キャサリン・ヘプバーンが主演女優賞を獲得した名演技がひかる。彼女は、婦人参政権運動にも積極的に関わった社会活動家の両親の下に育ち、ハリウッドの女優としては、自らの出演作にプロデューサーとして関わるようになった、先駆け的な存在。1940年代後半、ハリウッドに“赤狩り”の嵐が吹き荒れた頃には、その反対集会に参加し、政府の“ブラックリスト”に載せられることも厭わず、演説まで行っている。
サンフランシスコ空港で飛行機から降り、タクシーに乗った若いカップルが、人目をひいた。だが、人々のぶしつけな視線など気にしないかのように、黒人青年と白人女性は親しげに語り合っていた。青年はジョン(シドニー・ポワチエ)といい、世界的に著名な医師。女性の名はジョーイ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)。2人はハワイで知り合い、互いに愛し合う間柄となったのである。ジョーイの母クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)は、娘の婚約者が黒人であることを知り、驚いたが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていった。だが、父のマット(スペンサー・トレイシー)は、そうはいかなかった。新聞社を経営し、人種差別と闘ってきたマットも、自分の娘のこととなれば、話はちがってくるのだ。ジョンは、学界でも有数な人物であり、近くジュネーブの大学院に迎えられることになっているということは、マットも知ってはいるのだが、黒人と白人との結婚には、想像を絶する困難がある。結婚を許しながらもマットは割り切れなかった。
ジョンのジュネーブ行きの時間が迫っており、2人はその前に、互いに両親の了解を得たがっていた。息子の見送りと嫁に会うため、ジョンの両親プレンティス夫妻が空港に着き、ジョーイは出迎えたが、夫妻は嫁が白人であることを知り愕然とした。やがて、夕食の時が訪れた。ジョンとジョーイ、ドレイトン夫妻、プレンティス夫妻。そしてドレイトン夫妻の友人であるライアン神父。母親同士は結婚には賛成だったが、父親同士は反対し、とくに、マットは頑固だった。だが、そのマットも、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認めた。一同はそろって、夕食の席に着くのだった。
驚くのは映画で先ずメイドの黒人の女性が先ず猛反対する。そして黒人のジョンの両親も反対。そんな時代背景。
ジャーナリストのマットが、“リベラル”であるが故に悩むというのが、物語の肝になっている。彼の親友で、やはり進歩的な考え方を持つ神父が、「自分の主義に復讐された」「リベラルの化けの皮が剥がれたな」などと、マットをからかう。だがマットは、“理想”を掲げて長年戦ってきたからこそ、己の内部にもある“差別心”に、真摯に対峙せざるを得ないわけである。この映画の製作の翌年1968年「非暴力」を唱えていた、公民権運動のリーダー、キング牧師が暗殺される。以降の黒人解放運動は、過激化の一途を辿ることとなる。
この映画は“1967年”に於いては、“人種差別”の問題を取り上げ、しかも商業映画としての評価や人気を勝ち取るためには、時には「優等生すぎる」ようにも映る。ポワチエは、「白人化した黒人」更には「白人のペット」などという、心ない罵声を浴びせられたりもした。
しかし、人種差別についてこの映画は出演者たちによって、ディスカッションを通じて、白人と黒人が人種の壁を乗り越えていく「夢物語」を紡いだからこそ、本作は広く支持を集めて、世間に一石を投じることにも、成功したわけである。
しかし、それから半世紀以上が過ぎた今、現実を見ると、絶望的な気分に襲われる。本作の中のセリフが実現したが如く、“黒人大統領”まで誕生した後に、まさか“差別主義者”の大統領が君臨する日が来るとは…。

今日のアメリカ、そして世界にとっては、彼こそが“招かれざる客”と言えるだろう。中国からもそれを批判されている!何が「民主主義」だと。民主党政権になりそれは一時止まったような感もあるが、中間選挙ではトランプ陣営が盛り返し、共和党が優位当節もある。未だ未だ米国の人種差別問題解決の道は遠い。

そんな人種差別問題に一石を投じ活躍した名優が世を去った!御冥福を祈りたい。

ブースター接種についての情報です  (長男妻  中司めぐみ)

ワクチン接種、特にブースターは自己免疫をかなり下げることになり60歳以上の効果はほとんどないと言われているアメリカの記事を読みました。そして自己免疫破壊による自己免疫疾患の心配もあります。ワクチンの副反応ではなく、ワクチン接種後の症状で高齢者の1番は胸の痛み、腰痛、筋力低下、動脈硬化、リウマチ、ギガンバレーだそうです。2回目接種から少しでも以上の症状があったら3回目は避けた方がいいかもしれません。心配です。オミクロンは90%がもしかかっても軽症だそうで、3回目はオミクロンに効かないとか言われてるし打たなくてもいいかなと話しています。もちろんコロナにかかるのは心配です。ただかかるより自己免疫疾患ぎりぎりにもなりかねない高齢者はもっと心配だと考えてメールしました。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-01-11/R5K5LCT0G1KZ01?fbclid=IwAR1_dVgUM2iRzvvd5cnGJftLtjxTa3iln893SDtf0RvQc-T4IjYs4HaoPOc

欧州連合(EU)の医薬品規制当局は11日、新型コロナウイルスワクチンのブースター(追加免疫)接種を頻繁に行うと免疫反応に悪影響を及ぼす恐れがあると警告した。 欧州医薬品庁(EMA)は、4カ月ごとのブースター接種を繰り返すと最終的に免疫反応が低下する可能性があると指摘。各国はブースター接種の間隔をより空け、インフルエンザ予防接種戦略で示された青写真のように寒い季節の到来に合わせるべきだとの見解を示した。

乱読報告ファイル (18) ペンバリー屋敷の闇    (普通部OB 菅原勲)

T.H.ホワイトの「ペンバリー屋敷の闇」(「Darkness at Pemberley」1932年。小林晋訳。私家版)を読む。当時としては、構成が誠に斬新だったし、現在でも充分に読むに値する。

これはROM(Revisit Old Mystery)と言う同好会があって、未訳の探偵小説をROM叢書として、会員に私家版で出しており、これが18巻目となり、市販は全くされていない(以前、お伝えした「マクシミリアン・エレール」は13巻目にあたる)。

全体の1/3ほどで、警部が当たりを付けていた犯人、これが殺人狂で、3人を殺した詳細を自白される。しかし、証拠が全くなく(当時の英国では、自白は証拠にならなかったのか)、逮捕できない。それに愛想をつかした警部は辞任する。ところが、数年後、ひよんなことから親しくなった准男爵とその姉に、事件の顛末を語ったことから、話しは動き始める。これを聞いた准男爵がその殺人狂の住まいまで乗り込み、「お前を殺してやる」と言ったことから、逆に、殺人狂から狙われる羽目になる。つまり、1/3が推理小説、後半の2/3がスリルとサスペンスと言う、当時としては極めて斬新な構成となっていた。1932年と言えば、A.クリスティーの「オリエント急行の殺人」の2年前、まさに英国の本格探偵小説の黄金時代に、早くも変革探偵小説が書かれていたことになる。

最後は屋敷の煙突での追っかけっこになるのだが、小生の貧しい経験では、煙突と言えばブリキのものしか思い浮かばない。英国の屋敷の煙突は、真っすぐは勿論、横にも移動可能なものらしい。勿論、最後は、警部が殺人狂を射殺し、その姉とのハッピー・エンドで終わることになる。

Wikipediaで調べたところ、テレンス・ハンベリー・ホワイトは、アーサー王物語を題材にした小説「永遠の王」を書いており、その翻訳は創元推理文庫に収められている。また、ペンバリー荘と言う名前は、ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」から借用したらしい。探偵小説ではあるが、英国ものは、英国の色々なことを知悉していなければ、その面白みを充分に味わうのは至難の業のようだ、宗教も含め。

(編集子)つも感心するんだけど、こういう一般にはあまり知られてない本、どうやって探してくるの?それと翻訳のない本を翻訳するグループってどういうものなんだろう。実はここ半年、アマゾンでみつけた推理小説シリーズで、ジェフ・カーソンという人の デヴィッド・ウルフシリーズ ってのにはまってる。どっちかといえばアクションものに近いんだけど、結構推理も複雑で面白い。こういうのを翻訳してくれる人がいればきっと売れると思うんだけど。今までに16冊出ていて、そのうち9冊まで読んで、今日から10冊めにとりかかったところ。

(菅原)ジェフ・カーソンなんて全く知らなかった。貴兄こそ、日本で殆ど知られていない、面白そうな本を良く探して来るね。英語に堪能か否かの違いだな。大昔、神田の古本屋で、日本語に未翻訳のペイパー・ブックを買い漁ったのが懐かしい。今は、「ルアンダ中央銀行総裁日記」を遅ればせながら読んでいる。まだ1/3ぐらいしか読んでいないが、著者の服部正成は、月並みだが、正に、「凄い日本人がいた」、にピッタリだ。今の日本人は、勿論、例外はあるが、どうも金の亡者になり果ててしまったようで、行き先が案じられ、誠に情けない限り。

起業家の倫理について を論じる

(普通部OB 船津)「商い屋」は何処にいても人が欲しがるものを探し、作ったり、流通させたりして、人々の要求に応えていくのが「原理原則」創造無くして発展なし!
ワイン、ウィスキーは今や日本製が人気になってきている。求める物を与えて人の幸せを実現して行くのが起業家or企業家の倫理とはやや大袈裟だか、当たり前のこと!

(普通部OB 菅原)ブロッグ、「起業家の倫理」拝読。非常に乱暴ですが、一言で言ってしまえば、「気に入らないものは、飲まなきゃ良い、食べなきゃ良い、見なきゃ良い、聴かなきゃ良い、読まなきゃ良い」などと言うのが、ボンクラな小生が愚考するところです。

(44 安田)遊びは自由な行為であり、だからといって事業として何か物質的利益と間違いなく結びつくという保証はない。事業に関わる人には、「ホモ・ルーデンス」とは全く異なる、プロの企業家(或いは起業家)としての厳しい対応が求められるのは言うまでもない。

日本における醸造業の代表、ビールもウイスキーも一種の装置産業でごく限られた会社(銘柄)の寡占状態だ。即ち、キリン・アサヒ・サッポロ・サントリーとサントリー・ニッカだ。アメリカのビール業界もバドワイザー・ミラー・クワーズの寡占だ。一方、この寡占状態が目立つ醸造業の中で、日本酒は小規模な工場で職人が丹精込めて作り上げていて、地域に根ざした無数の日本酒醸造会社があり、個性ある製品を市場に提供している。更に、古代から人類が葡萄から作ったワインも日本酒と同じで、無数のワイン醸造会社はほとんど全てが小規模経営で個性を売り物にしている。例を挙げると、著名なボルドー、ブルゴーニュのワイン銘柄数は数え切れないほどだ。日本酒やワインを嗜む立場の者としては選択肢は多いほど良いのは勿論だ。
日本では寡占状態のビールとウイスキー醸造も世界的に観れば、ドイツやベルギーのビールは小規模工場で醸造される、いわゆるクラフト・ビール(地ビール)が乱立して消費者を喜ばせている。次に、ウイスキー醸造の本場スコットランド事情を眺めて観ると、日本ではサントリーとニッカの寡占であるが、スコットランドでは事情は異なる。16世紀ヘンリー8世の反ヴァチカンカトリックのイギリス国教会設立以後、ウイスキー製造をほぼ独占していた修道院が解散させられ、製造技術が民間へ移転し、無数の比較的小規模の醸造工場がスペイ川周辺のハイランド地域や西部のへブリディーズ諸島に散らばっている。多分、100近い或いはそれを超える醸造所でウイスキーが作られ、消費者を喜ばせている。クラフト・ウイスキーと呼ぶには規模もやや大きく、有名な銘柄も多いが、200 〜300年前はクラフト・ウイスキーの類であったろう。
新規参入者・起業家の作る「製品」「銘柄」の成功や盛衰はあくまで当事者企業間の「弱肉強食」の掟に委ねざるを得ず、自由市場経済のシステム下では、自然なことでそれで良いと思う。競争が参入者を切磋琢磨させ、社会を前に一歩進める源泉にもなり得たら“しめたもの” である。
(編集子)毎日散歩している甲州街道に面して、”クラフトビール” という小さな看板を出してる店がある。そのうち買ってみよう。ま、小生もいろいろあるほうがいいやん、という楽天派だが。

エーガ愛好会 (111)  去り行く男

あまり興味を惹かれる作品がなくしばらくBS劇場にご無沙汰していたが、この映画だけは見るつもりでいた。グレン・フォードだからである。

今の標準で言えば早死にしてしまった小生の兄は、彼の友人が ”アンタ、ほんとに哲の弟かい?“ と僕に尋ねたほど、小生とはかけ離れた賢兄だった。努力、冷静、寡黙、頑固。旧姓高校出身の色濃く、読む本はといえばゲーテでありシラーであり、音楽といえばたとえばシューマンなんかを好んで聞いていたといえばその懸隔がわかるだろうか。しかし大学進学の年に肋膜炎を患い半年以上病床にあった。当時の医療といえば自宅静養しかなかったが、その間布団の中でラジオを聞いて英語を猛勉強していたのを当時小学生だった小生もよく覚えている。就職後, 海外留学奨学金に応募し、プログラムの最終選考まで行ったが、この健康上の不安が理由で合格しなかった。しかし成績はよほどよかったのだろう、同情した委員会の口利きでハワイ大学への留学をしたという、まさに おめえ、ほんとに弟なんだろうな、と彼の親友に疑われても仕方のない誠実な秀才だった。

なぜこんなことを書いたか、といえば、グレン・フォードのイメージがその兄を彷彿させるものだからだ。さらに偶然といえば偶然だが、兄はたしか新婚旅行中のことだったと思うのだが、日本にきていたフォードとレストレランで行き合わせた、と嬉しそうに話をしていたものだった。例によって合理的な説明はないのだが、それ以来、グレン・フォードには親しみというのかうまい言葉がみつからないが、そういう感情をもっていろんな作品を見てきたが今回のこの作品には縁がなかったのである。

そんなある種の気概?をもって、コイズミ節や人間グーグルヤスダからのメールが届く前に感想を書こう、と思って今朝早くPCをあけたら、この時早くかの時遅く(逆だったかな)、すでに2通とも到着しているではないか。朝っぱらからこの二人の日課がどんなものか見てみたいもんだ。そんなわけで、解説は結局ご両兄にお願いすることになったが、ま、エーガにはこういう付き合い方もあるのかな、と思ったりしている。

(34小泉)インディアンに新しい光を当てた「折れた矢1950」の監督で、グレン・フォードを主演にした西部劇「去り行く男1956」「決断の3時10分1957」「カウボーイ1958」でもリアリズムを強調した異色的な西部劇三部作の最初の作品。

ワイオミングの山々に囲まれた背景の中、崖から落ちて気を失った放浪の男ジューバル(グレン・フォード)が、牧場主シェップ(アーネスト・ボーグナイン)に救われ、その牧場で働くことになる。出だしは「シェーン1953」を思い起こさせる。しかしその牧場の中は、全くの異色。1年前に結婚したばかりの牧場主シェップは、その若妻メイ(ヴァレリー・フレンチ)にデレデレ。牧童にピンキー(ロッド・スタイガー)、サム(ノア・ビアリーJr)等が同居しているが、牧場主が、馬乗りのエキスパートであり、寡黙で誠実で頼り甲斐のあるそのジューバルを牧童頭に抜擢したことから、もともと猜疑心があり、人を信用せず争いごとを好むピンキーは、対抗心もあらわに、ジューバルに突っかかる。またシェップの妻メイは、もともと金を目当ての結婚で、シェップの行動をどうしても好きになれず、元々奔放な性格からピンキーとも浮気の過去もあり、ジュバールにも横恋慕を仕掛けてくる。

こうなると4回も映画化された「郵便配達は二度ベルを鳴らす1939,1942,1946,1981」のリメイクとまで言えるような極端に言えば、西部劇の皮を被った性格描写を織り込んだメロドラマとまで言えるかも知れない。

ある日、西へと旅を続ける狂信的な宗教団体(モルモン教?)の幌馬車隊がこの牧場に野営を張ったため、ピンキーが退去を命じたが、ジューバルが同行していたレブ(チャールス・ブロンソン)から団体に病人がいることを聞き、滞在を許すことにした。そんなことから、レブをシェップの牧童の一員に雇うことになり、またジューバルは、団体の責任者の娘ナオミ(フェリシア・ファー)の美しさに惚れこむことにもなった。 ある夜、シェップ以下で野営している折、メイがジューバルに会うべくやって来た。人の好いジェップは帰りメイを家まで送るようジューバルに命令。ピンキーはシェップに、二人は浮気していると思い込ませてしまう。怒ったシェップは牧場に戻り、酒場にいたジューバルに発砲、ジューバルは丸腰だったので、心配して駆け付けたレブに助けられてシェップを射ち
殺してしまう。しかしピンキーに重傷を負わされたメイの証言で、経緯が判明。その後メイは息を引取る。ピンキーは逮捕され、ジューバルとナオミは新天地に旅立つ。ちょい役だがら、若きブロンソンがレブ役で良い味を出していた。

最後が少々あっけなく終わり、スッキリしないが、牧場主夫人メイの身勝手な横恋慕的行動、牧童ピンキーの嫉妬心と猜疑、それが、人の好い豪快、実直な牧場主シェップと寡黙で誠実な牧童頭ジュバールとを悲劇に追いやることとなっ
た人間模様の西部劇である。

(44 安田)印象深い2点だけ述べる。

映画の舞台が「シェーン」と全く同じワイオミング州のグランド・ティトン山(4,000m超)を背景とした平原(牧場)地帯。この映画は1955年制作、「シェーン」は1953年。主役の流れ者グレン・フォードがその地の牧場主に雇われ、話が展開するのも「シェーン」を彷彿とさせる。話の骨格もよく似ている。両映画ともグランド・ティトン山をバックに、主役それぞれの未来に向かうシーンがエンディングで幕を閉じる。
  右:グレンフォード   左:チャールズ・ブロンソン
二つ目はロッド・スタイガーに注目。
30歳の時の出演。悪の強い憎まれ役を演じ、主役のグレン・フォードと敵対する役。彼の十八番の役柄で、デビュー作波止場」(マーロン・ブランドがアカデミー主演男優賞)、オクラホマ」、「ドクトルジバゴ」の悪徳弁護士役など、どの映画でも強面の悪どい存在感溢れる演技はピカ一。アメリカ南部州の警察署長役を演じた1967年42歳時の 夜の大捜査線 ではシドニー・ポアティエと共演、めてアカデミー主演男優賞を獲得。北部から来た黒人刑事と人種差別が色濃く残る南部の白人警察署長との葛藤と友情を人種差別問題を絡めて描いた面白い映画だった。
メリハリの効いた玄人受けする演技がロッド・スタイガーの持ち味で、「シェー
ン」におけるアラン・ラッドの役柄の如く、主役のグレン・フォードは口数少なく内に正義感と覚悟を秘めた役柄で、彼との相違を際立たせるのが映画の背骨になっている。勧善懲悪の典型的な西部劇だったが、男女関係と人間模様の嫉妬・執念・疑心暗疑を描き、美しい山岳風景共々楽しませてくれた。
(編集子)解説の通りの筋立てで、ガンプレイというシーンとはあまり縁がない。ただグレン・フォードが丸腰でいるときに拳銃を彼に放ってその場を救う
ブロンソンの技はご存じ リオ・ブラボー でリック・ネルソンとジョン・ウエインが演じたものと同じ。投げられた銃がそのまま発射できるように受け取れるんだろうか、などという詮索はやめにしておこう。

甲州街道アーメンコーナー

上り車線信号の先がアーメンコーナー

甲州街道を新宿から走ってきて調布市に入りかけたところに旧甲州街道への分岐路がある。このY字路の少し手前左側が調布警察署だが、ここの一角のことである。警察署敷地の真ん前に甲州街道を挟んでBMWの販売店があり、その隣にビル一つを隔ててホンダがあり、その向かい側にマツダの国領店が、その筋向いがトヨタ、すぐ隣がスズキ、3軒先にフィアット、その先はミニクーパーのショウルームがある。つまり交差点を中心に半径200メートル以内に6つの自動車販売店が密集していることになる。おまけにÝ字を左に京王線国領駅へ入る、旧甲州へのアプローチには、お定まりの国籍不明カタカナ名前の億ションの麓(文字通りそういう感じなのだ)にもうひとつ、メルセデスベンツ のショウルームが控えている。ここにないのは日産くらいだろう。

マーケティング理論はまずマーケットセグメンテーションという章から始まることが多い。もちろんここでいうセグメンテーションという意味は全く違うのだが、この一角にこれだけ同業者の出店がまとまっているとなんだか調布市のカストマ―をセグメントしているような気持ちになってくるから面白い。同業者が密集して存在するというのはもちろん理由があり企業の戦略があるわけで、たとえば秋葉原の通称電気街なんかはその典型だろうし、セブンイレブンがあればすぐ近くににローソンがあるとか、マックのならびにフレッシュネスがあるとかい うのはよく見る風景だ。このように同業が隣接していることで価格に大きな差は存在しえないから、顧客はたとえば店のたたずまいとか、店員の態度とか、経済理論だけでは説明できない理由から店を選ぶことになるだろう。そういう意味では限られたスペースに同業店があるというのは顧客にとっても望ましいことになる。

そのあたりのことはわかるのだが、自動車というような価格が高く選択に時間を要するような商品の場合、顧客が次から次へと店を見て歩くというような行動パターンは当てはまらないように思える。またこのあたりは調布の中心地からははずれているし、駐車スペースも限られている。どうもこの地域というよりも地点にこれだけの同業者が密集する理由がよくわからない。そういう意味で、興味を引く地点だと思ってきたのだが、僕にとって別の意味を持つ地点でもある。

八王子方面から来ると新宿つまり小生が住んでいるつつじが丘方面へ行くには左斜めにカーブする必要があるのだが、この屈曲点からすぐのところに、横断歩道したがって信号機が並んでいて、その間隔は30メートルくらい           しかない。警察署の敷地の両端なのだが、正面玄関にはいるのに都合がいいという位置でもないし、なぜ二つも信号を作らなければならないのか、はっきりした理由がわからない。

数年前のこと、中央高速を降りて家へ帰るとき、この信号の一つ目が黄色に変わりかけたとき、その直近にさしかかった。たしかに道交法によれば黄色信号になった時に該当交差点に進入することは禁止されているが、その変わり方というかタイミングから、数メートルくらいだと、多少引け目はあっても人や車がいなければ進行してしまう、という行動は誰でも経験したことがあるだろう。この場合もそうだったし、その先30メートルでいずれとまらなければならないのは知っていたので、あまり罪悪感もなしに、すんなりと進んで次の信号で停止した。ところがそれが青に変わって発進した途端、背後にパトカーがぴったりくっついてきたのに気がついた。それまでどこにも見えなかったのだから、小生の通過と同時に警察署から飛び出してきたのは明らかである。左へ寄って停止。お定まりのお小言があって罰金、この場で長きにわたって保持してきたゴールド免許証はなくなった。

もちろん法的にはぐうの音も出ない。しかしまさに待ち構えていたとしか思えず、気分がよくない。後で考えてみたのだが、この時乗っていたホンダは山梨ナンバーだったことに気がついた。県外車取り締まり、というのはたぶん検挙率競争では有利なのだろうし、それでも腹が立つ。こっちが悪いだけに余計だ。関係ないんだが、そんな警察を取り囲むようにクルマやがならんであたかも警察にすり寄ってるような気がして、しかもその中にいつでも調子のいいことを言っているホンダ営業所の真ん前で捉まえられたことで余計腹が立った。

それ以来、小生はこの交差点をアーメンコーナー、と呼ぶことにした。散歩コースで我が家からちょうど30分の位置にあるこのY字分岐に来ると全く合理性もへちまもないのだが心の平安が波立つからである。

ホンモノのアーメンコーナー。心が穏やかでなくなるところ。ウイキペディア抜粋:

「アーメンコーナー」とは、ゴルフの4大メジャーの1つ、マスターズの舞台となるアメリカ・ジョージア州のオーガスタナショナル・ゴルフクラブの11番、12番、13番ホールの3つの難ホールのこと。池やクリークが絡み、風を読むのが難しいこの3ホールでトーナメントの行方が大きく左右することでも知られ、「アーメン」と神に祈らずにはいられないほど難しいといった意味で使われます。

 

 

 

起業家の倫理   (大学時代クラスメート 飯田武昭)

昨日のNHK朝の「おはようニッポン」のニュース番組で経済ニュースとして、クラフト・ビールならぬ、クラフト・ウイスキーが日本各地で沢山立ち上がっていて、その内の1社を取り上げて約10分間ほど紹介していました。何でも、埼玉県かどこかの起業家が立ち上げた結構、大掛かりなクラフト・ウイスキー会社でしたが海外の20~30社程のウイスキー会社を事前に見学して起業家したと解説していました。今後は輸出にも力を入れていくと胸を張っていました。同様の会社が日本各地に乱立し始めている模様です。

私はこのニュースを見て嫌な感じがしています。

ウイスキーはスコッチとバーボンの産地に任せておけば良いと思っています。何でも平準化して、世界需要という一定のパイを取り合ってはどこも太刀打ちできない競争になってしまう!!真似しい!!の中国がこれほど巨大化してしまったのも、それを教えた当時の先進国であるアメリカであり日本であると思っていますので・・。

クラフト・ウイスキーまで国産をジャンジャン作るようになって、スコットランド人は陰て泣いているのでは?と思っています。精々、国産ウイスキーはサントリーとニッカに留めておくべきではないでしょうか?それとも競争社会だから特許侵害が無ければジャンジャンやるべしなのでしょうか?起業家倫理なるものは最早、現代社会には残っていないのかも知れません。

もう一つ、ヴォーカルグループでSIX TONESという男性ヴォーカルが紅白歌合戦を始めやたらとTV画面で踊って歌っています。The Plattersの歌う「16トン」は大好きな曲ですが、似たようなグループ名でそれも先ず気に障りました。

私はこのグループは確かに下手ではないし上手いと思いますが、約20年前に人気があって現在でも活躍しているISSAをリーダーにしたDa Pumpのグループとよく似た殆ど変わらないように見えます。何故、このように同じようなグループを沢山マスコミは育てるのでしょうか。他にも無数の男性、女性のヴォーカルグループがLIVEにTVに踊り歌っていますが、本当に区別がつかないような乱立状態に見えます。それぞれにファンが沢山ついている社会はクラフト・ウイスキー会社の乱立と似ている気がします。

起業するにしても一時的に儲かれば良いのではなく、もっと自分たちにしか出来ない事で研究心をもって人生を送れないものでしょうか。

(編集子)競争のもたらすプラスマイナスについてはそれこそ百家争鳴のテーマだと思うし、独創力の重要さもまた重要なテーマになるだろう。小生は飯田説には多少の違和感を持つものである。各位のコメントを待つ。

エーガ愛好会 (110)  プロフェッショナル  (34 小泉幾多郎)

文芸作品を得意としてきたリチャード・ブルックス監督作品。西部劇はこれ以外に「最後の銃撃 1956」「弾丸を噛め1975」の2作品しかなく、何れも異色作。この映画も監督・脚色賞にアカデミーノミネートのほか、撮影賞にコンラッド・ホールがノミネートされ、音楽も「ドクトルジバゴ」「アラビアのロレンス」のモーリス・ジャール。俳優もメキシコ革命を背景とした中、豪華メンバーを取り揃えている。革命家の指導者ジャック・パランスに誘拐された妻クラウディア・カルディナーレを取り戻したいテキサス油田の富豪ラルフ・ベラミーが雇った戦いのエキスパート達が、ダイナマイトの名人にバート・ランカスター、射撃の名手のリー・マーヴィン、馬の専門家ロバート・ライアン、追跡と弓矢を得意とするウディ・ストロードの4人。

メキシコ風味の音楽に載せ、リー・マービンからエキスパート4人のメンバーを紹介していくところから始まるが、残念ながら、ジバゴやロレンスのような聴きなれたメロディは現われてはこない。この後、戦いのエキスパート4人の活躍が描かれていくのだが、途中では、革命軍やら山賊やらわからない連中との戦いもあり、リー・マーヴィンが4人のリーダーとして活躍し主役を牛耳るかと思いきやその後4人の役割分担がはっきり分かれ革命軍拠点でのダイナマイト爆破あたりからランカスターの活躍が目立つ。その間機関車を襲う革命軍と政府軍との戦い、砂嵐の吹く砂漠や銃声のこだまする岩山のシーン等のロケーションもなかなか良い。撮影賞にノミネートもむべなるかな。拠点での戦いの結果、クラウディアとバランスは、もともと恋人同士で夫婦関係にあることも判り、妻クラウディアを連れ出した一行5人の脱出に革命軍の追っかけとなる。4人の強者の前に革命軍は二人だけになってしまう。富豪ベラミーの汚さに気付いたことで、 クラウディアとパランスの二人をメキシコに帰すことにすることで一件落着。

まあ物語としては、若干スッキリ感がなく、これだけ苦労をしても4人は一人1万ドルの賞金も棒に振ったことになるのだが、もともとマーヴィン、ランカスターは革命に手を貸していた過去があると言うし、ランカスターの最後のセリフ「俺は純愛に弱い」ことから、結果は当然の帰結なのだろうし、さわやかな仕上がりと言ってよいのだろう。

(編集子)パランスといえばシェーンでの劇的なデビューの衝撃が大きいのだが、本作では違った一面がよくわかった。ほかにも グッドガイ を演じたものがあってへえ、と思ったものだが、タイトルが思い出せない。バッドガイ・グッドガイの連想で言えば、本作とは無関係だが、いつでもフォード西部劇では善玉と相場が決まってるベン・ジョンソンが ゲッタウェイ で演じた悪役はなかなかよかった。この系統の話で言えば、御面相からして悪役、ときまっているネヴィル・ブランドが トラトラトラ で重要な下士官役を演じたのとか、ジョン・アイアランドが さらば愛しき女よ で演じた警部とか、悪役ナンバーワン、ブライアン・ドンレヴィにもあったような気がするが思い出せない。