エーガ愛好会(91)  アパッチ砦 (34 小泉幾多郎)

ジョン・フォード騎兵隊三部作の第一作。軍人の精神の鑑として扱われていた第七騎兵隊全滅の事件を、カスター将軍の方に非があったとおそらくは初めて批判的な眼で扱った作品。これ迄は、ラオール・ウオルシュ監督「壮烈第七騎兵隊1942」のようにもっぱら軍人精神のような角度から扱われていた史実だが、何か問題を起こし、責任をとらされたか、 アパッチ族との抗争が絶えない辺境の地に左遷させられたサーズディ中佐(扮ヘンリー・フォンダ)が、アパッチ族を掃討することで呼び戻されることを望み焦りの気持ちに陥っていて引き起こした悲劇、という話になっている。                                            例によってモニュメントバレーの中を向うかう駅馬車の疾走シーンから始まる。赴任する中佐とその娘フィラデルフィア(シャーリー・テンプル)とが乗っている。其処に。その娘と懇意になった士官学校卒のオローク少尉(ジョン・エイガー)も赴任のため馬で一緒する。好きになったフィラデルフィア俗称フィルが父の眼を盗んでコンパクト鏡で馬上のオロークを眺めるのが可愛い。途中の中継所で軍曹たちが出迎え、当然中佐のためと思いきや、電信不通で連絡がなく、自分でなく大尉の出迎えと知り愕然とする。それでも軍曹たちの執り成しで、砦に到着、懇意だったコリンウッド大尉(ジョン・オブライエン)やヨーク大尉(ジョン・ウエイン)と対面、引継ぎは問題なく終わる。オローク大尉の父は軍曹(ワード・ボンド)、母はフィルの亡くなった母と懇意だったこともあり、フィルはその一家と直ぐ打ち解け、オロークとの仲も深まる。名刺交換は日本の慣習とばかり思っていたら、当時の軍隊で初対面で名刺を渡すことが義務ずけられていたとは驚き。父より息子オロークの方が位が上、仲間のマルカーヒー軍曹(ヴィクター・マクラグレン)たちに、息子の上官としての訓練ぶりを聞くところ等微笑ましい。その後、騎兵隊の輸送馬車が襲われたりした頃、フィルとオロークが遠乗りに出掛け、父の中佐に大目玉を食う。中佐は家柄の違い等を理由にして二人の交際を禁止する。

騎兵隊とインディアンの抗争の一番の理由が、インディアンに連発銃や酒を売りつけていたミーチャム(グラント・ウエザース)という男。そもそも政府の官僚でありながら、インディアンを堕落させ追い詰める裏工作を行っていた。ミーチャムを捕えた中佐は、ヨーク大尉からインディアンの有力者コチーズと話し合うことを提案され、ヨーク大尉は通訳の部下ビューフォート軍曹(ペトロ・アルメンダリス)を連れて、白旗を掲げコチーズの許へ。コチーズはスペイン語を操ることの出来る知的で高邁なる人物で、コチーズとは和平が成立したものの、その約束にも拘らず、中佐は連隊全員を招集し強襲すると言い出す。アパッチ族の罠に気づかない中佐は出動を命ずるが、ヨーク大尉は反対し、抗命の理由で、任を外される。中佐は全軍を率いて突撃するが、重囲に落ちて全滅してしまう。誤った一人の上官の命令に従わざるを得ずあたら命を失ったかっての日本軍にも思いを馳せざるを得ない。アパッチの攻撃に備え十数人の兵士たちが銃を構え、めいめいがポーズをとり、滅びゆく一隊の悲愴美を漂わせる様。冒頭からのモニュメントバレーを疾走する駅馬車、馬上で駆け抜ける二人の男女の姿、騎兵隊の出発、砦でそれを見送る妻たちの顔等々、人間たちと巨大な西部の自然との溶け合いよって造形された風景。これらはキャンバスに描かれた絵のように美しい。西部に住みこの地を愛しその風物を描き続けたフレデリック・レミントン(1861~1909)という画家がいたそうで、ジョン・フォードはこのレミントンの絵を愛していたという。映画制作にあたり、レミントンの絵のような映画にしたかったと語ったと言われている。モニュメントバレーを愛していたが、その中の人間のいる西部の風景を愛していたと言えるようだ。

後日、新任の隊長として、記者会見に臨んだヨーク大尉が言う「我が隊の士気は以前より高い。これはサーズデイ中佐の功績だ。」この言葉で、中佐の偏屈さは、軍人精神の正義の守護神として入れ替わってくれたのだった。ヨーク大尉の機転で、後方部隊で生き延びたオローク大尉はフィルと結婚し子息にも恵まれる。蛇足になるが、現実に、映画の3年前に、ジョン・エイガーは妹の同級生であったシャーリー・テンプルと結婚していたが、有名人テンプルの夫という重圧から、酒に溺れ、結婚後5年で破局している。「黄色いリボン」以降、それでも低予算作品、TVドラマ等へ出演し、81歳まで生きた。テンプルは、ご承知のように、子役時代からの映画界キャリアも凄いが、後半生30年に亘り外交等の公職を歴任した。

(編集子)ダコタ州ブラックヒルズで金鉱が発見されたのは1874年であるが、このあたりは先住民族との間の協定で彼らの居住区となっていた。貪欲な資本家に押された政府は協定を無視したため、この地域に白

ブラックヒルズ山地

人の山師たちが集中して、金鉱発掘ブームとなる。これに激怒した先住民側は部族を超えて団結,強力な抵抗運動を始める。1876年、カスター将軍は周囲の反対にもかかわらず自分の率いる第七騎兵隊のみで地域に進攻し、圧倒的な兵力差の下で全滅した。これを映画化したのが小泉解説にある 壮烈第七騎兵隊でカスターを当時人気の高かった

壮烈第七騎兵隊の江ロール・フリン

エロール・フリンが演じた。添え物の女優役はやはり絶頂期にあったオリヴィア・デ・ハヴィランド。この戦闘がきっかけとなって、小康状態にあった西部地域が先住民族との激闘に巻き込まれる。名高い酋長にジェロニモという男がいて白人たちの恐怖の的になった。”駅馬車” のトップシーンは電信線を破壊されて重要な情報が届かなくなる場面から始まるが、電信手が最後に受信した単語が ジェロニモ! だということでその場に恐怖が走ったのをお気づきだったろうか。ただ、こういう史実を知ってみると、こういう国に、ウイグル人問題などで正義を振りかざす資格なんてあるんだろうか(だから習近平が正しいというのではもちろんないが)と思ってしまう。所詮、歴史は勝者だけのものなだろうが。

さて、いよいよジョン・フォード騎兵隊三部作、の登場である。アパッチ砦で若き大尉だったウエインは リオグランデの砦 では妻(モーリーン・オハラ)と別居を余儀なくされた中年の役を演じる。結局元の鞘に収まるきっかけは一兵士となってウエイン部隊に配属された息子(クロード・ジャーマン・ジュニア)の

リオグランデの砦

活躍になるのだが、この息子の後ろ盾となるのが同じ兵士仲間の ベン・ジョンソン、ハリー・ケリー・ジュニア。彼らの指導役の軍曹になったヴィクター・マクラグレン、グラント・ウイザース、チル・ウイルス、キャロル・ナイシュ、ワード・ボンド、ペドロ・アルメンダリス、などを加えた面々がいわゆる フォード一家、と呼ばれた人々である。ハリー・ケリーの父親はフォードと同時代に名プロデューサー兼俳優として尊敬されていた人で(赤い河 では締めくくりに登場してクリフトから牛を買い付ける紳士を演じている)、フォードは彼に対する敬意もあってジュニアをよく登場させた。三部作最後の 黄色いリボン はすでに老齢に達したウエインが引退を前にして若い士官たちを助けて、夕陽の中を去る。ただ、最後の最後に大統領令で彼はもう一度、”スカウト” として隊へ呼び返される。

ベン・ジョンスン

この通知を持ってカリフォルニアへと落ちていくウエインを呼び戻すのが、小生のお気に入り、ベン・ジョンソンである。三部作のうちで最も好ましいこの作品、機会があればお見過ごしなきよう、おススメしておく次第。なお面白いことにウエインの演ずる大尉が前2作ではヨーク、なのに黄色いリボンではブリトルズと名前が変わっている。なぜだか、わからないが。

 

三部作、のほかにフォード一家の登場する映画は数々あるが、三人の名付け親 という名画は、話の筋から言ってあまり多くの人物が登場せず、ウエイン、アルメンダリス、ケリージュニアにワード・ボンド、この4人だけのつまりフォード一家の映画といってもいいものだ。この連中のほか、女優でよく出てきたのがミルドレッド・ナトウイック。大物ではジェイムズ・スチュアートとリー・マーヴィンもフォードのお気に入りだったらしいが(この二人が主演したのが リバティバランスを射った男 である)、一説によるとウエインとマーヴィンは犬猿の仲だった、という裏話もある。

時々話題になる、作家というか、くせものリポータ広瀬隆に ジョン・ウエインはなぜ死んだか という一冊があり、彼の言うところによればウエインの死因となった癌に感染したのは、彼が数多くの西部劇映画撮影の場所としたネヴァダ州の砂漠地域が、実は同州で数多く行われた原爆実験の場所だったからだ、という。この本によれば 三人の名付け親 で共演したペドロ・アルメンダリスも癌の宣告に絶望して自殺したのだというのだ。この作品で、砂漠の放浪の果て、アルメンダリスはこれ以上歩けなくなった、と知り、コヨーテに食われるよりは、と言って、ウエインが背を向けたときに自殺してしまう。なんだか不気味な話ではないか。

も一つ、関係ない話だと思うが、僕らの高校時代に華やかだった歌手、ドリス・デイに、日本語の題名はわすれたが Take me back to the Black HIlls という曲があった。歌詞に ……Black HIlls of Dakota という一節があるので、同じ場所のことだと思うのだが、映画でも活躍した金髪の、誠にこれぞアメリカンガール、と感じさせた風貌はまだ瞼に鮮やかである。もっと無関係なことでいえば、Secret Love なんてのもあったなあ。も一つ余談だが、昨晩の夕刊にニューミュージック170曲、というCDの広告があった。数えてみたがちょうど1割17曲しか知らなかった。歌は世につれ、だろうな。

 

 

 

 

(承前) 国領駅  21時

(中司)ワイフが大河ドラマを見ている間に散歩してきた。

地下化した駅の上が広場になってバスタクシー乗り場を兼ねている。調布市の触れ込みでは跡地は緑の森になる……..はずだがまだなっていない。蒼海変じて桑田となり、山芋海に入りててウナギとなる、の類であろうか。
(菅原)ウソだろう。これがあの国領とは俄かには信じられない。あの頃から較べると、まるで未来都市って感じだな。50年ほどでこうも変わってしまうのか。いまだに信じられない、本当なのかね。駅以外何もなかったよ。それだけ馬齢を重ねたってことか。まさかなんかの映画のセットじゃないのかね。とにかく、吃驚仰天!!わざわざのご連絡、誠にかたじけない。

(中司)有為転変 往事茫々 驚天動地  階前の梧葉既に秋声 嗚呼古城何をか語り 岸の波何をか語らん 受験英語なら time really flies,  というやつよ。

 

乱読報告ファイル(10)    ランシマン  民主主義の壊れ方

香港、ミャンマー、アフガニスタンとここのところ政変が相次いでいる。表面的には安定しているように見えるトルコだとか、ウクライナなどでも国内事情はいろいろと波乱含みのように見える。そして共通に語られるのが民主主義の危機、というテーマである。だいぶ前にフランシス・フクヤマという政治学者が書いた 歴史の終わり という本が有名になった。この本は今や世界の国々は民主主義を基盤にする段階に到達し、イデオロギー論争は問題でなくなった、と主張し、民主主義は変わらずに存続しつづけるだろうと断じた。しかし現時点において、彼の主張はどうやら誤りか、もしくは時期尚早な結論であったのではないか、と思い始めていたので、散歩帰りによったいつもの本屋で、(例によって)衝動買いしてしまったのが本書である。

本書はトランプ政権が誕生した米国の社会事情についての考察から始まっている。一部の人々はトランプによってアメリカの民主主義が破壊された、と主張するが、著者は米国の民主主義そのものはトランプ一人によって破壊されるほど脆弱ではない、と断じたうえで、一方、トランプのいかんにかかわらず、民主主義そのものは壊れかけているのだ、と主張する。それはどうしてか、なぜか、という考察がこの本の主張である。著者は民主主義、という考え方を定義して、個人の尊厳と社会の長期的利益を両立させる政治思想であるとする。その意味で言えば、中国は長期的利益は上げているものの個人の尊厳を重視しない社会であるから(当然だが)民主主義とは言えないことになる。西欧諸国をはじめとする民主主義国はこの二つの原理の追求をしてきているわけだが、その思想そのものが次の三つの事象、すなわち、

(1)クーデター  (2)災害などの大惨事   (3)テクノロジー

によって、崩壊の危機に瀕しているのだ、というのが本著の文脈である。

1のクーデターの最もわかりやすい例は最近起きたミャンマーの件などがあるが、著者は街に戦車が侵入してくるような事件だけがクーデターではなく、現実問題として起きているのは、政治の世界で表面に暴力行為は現れないものの、勢力の交代のような形で、現実の政府の意向がすり替えられてしまうことも含まれている。我々には事情が複雑すぎてよくわからないのだが、たとえばトルコで起きていることはそういう意味ではクーデターが起きたのと同じことなのではないか、といったことである。

2では大規模の自然災害や環境破壊などの結果、社会の安定性が復活せず、当面の対策の連鎖の中で、本来の民主主義とはあいいれない結果が生まれてしまうことを指している。有名な ”沈黙の春“ という環境問題をとりあげたカーソンはこの本によって破壊されつつある自然に対する社会的反応を呼び起こし、政府に必要な規制強化を促したが、これは実は民主主義の世界だったからこそ可能になった。しかし昨今では化石燃料によって大規模な経済成長を可能にした国々の抵抗や、先進国のビッグビジネスの利益を確保するためのロビー活動などの結果、現実に起きていることは民主主義の基本倫理には合致していない。

3についての著者の見解は、インタネットを基盤として爆発したテクノロジーが与える影響である。トランプ大統領はツイッターを利用して、直接国民に訴えることで個人の意見が政治に直結する、これが民主主義だという誤った印象を与え、個人の意向にそぐわない政治が行われるのは目に見えない何者かが政治を動かしている、といういわゆる陰謀論を惹起し、米国の分断に拍車をかけた。著者は特にフェイスブックのいわば跳梁に極めて厳しい見方をしている。

本書の主張する3ポイントの中で特に興味を持ったのが テクノロジーの影響という項目である。僕は高校3年の時に授業で読んだエリッヒ・フロムの 自由からの逃走 という本に影響を受けて、大学では経済学部ながら社会思想史のゼミに加わり、卒業論文にこのフロムを選び、彼が主要な論客のひとりとされていた 大衆社会論 という考え方に共鳴した。自由からの逃走 は巧妙に作られたナチの世論操作によってドイツ人がヒトラーの狂信思想のわなに陥ってしまった事実を取り上げ、そこから導かれた 匿名の権威(anonymous authority) という考え方を提示した。具体的に言えば、マスコミュニケーション(当時は新聞が主力であり、テレビはまだ始まったばかりであった)が読者に対して与える影響である。マスコミが結果的に伝播させてしまう考え方や思想、それが決して権力者や主導者といった明確な意識を読者に持たせずに社会の意識や行動を左右してしまう。その結果社会の動きがいつ、だれが主導したかも気がつかないうちに作られてしまう、という現実をフロムは主著 Sane Society (正気の社会) のなかで鋭く指摘したのだ。僕自身、昨今のネット社会の現実を見て、彼が主張した大衆社会、という現実がすでに起きてしまった、と考えているので、たまたまフェイスブックだけがランシマンの指弾を受けているが、大きな意味でかれが民主主義を破滅させるだろう要因としてテクノロジー、という項目を取り上げたのに全面的に同意するのである。

ほかに本書の中で面白いと思ったのは、著者が日本を彼があげた民主主義のもたらすべき長期の成果・安定という意味ではほかの西欧諸国からみて一時の成果を上げたけれども結果的には失敗した国だ、と明言していながら(確かに数字だけ見ればそうなるかもしれない)、別の個所では後世、21世紀の日本という国は素晴らしい国だったとされるだろう、といわば矛盾した観察をしていることである。これは彼の言う第一の視点、個人の尊厳、ということを指しているともとれるが、なぜ日本が一転して成功例となるのか、説明はない。長期的利益、が単なる数字だけでは測れない、ということなのだろうか。もしそうなら、彼の前提となる民主主義の定義そのものも変わってしまうのだが。

(船津)「民主主義」とは?戦後、米国は日本の占領政策で「菊と刀」を深読みし過ぎ、でつ徹底的に「米国民主主義」を教え込んだ。そして、財閥解体の為も含め、共産党の台頭まで許した。矢張り行き過ぎたと思い急展開で民主主義を修正した。そんな生焼けの「日本民主主義」は朝鮮戦争で瓦解!

今は「日本人の愛の有る主義」か。求められて復古調に戻る懸念もある。世界はトランプが投げた「自国主義」に向かっている様だ。
中司さんが投げかけた、「乱読」のカケラは世界に問われるべき問題だと思う。どうすれば、みんなが普通の幸せを得て生活できるか?昔の「民主主義」は変容しよと踠いている。「乱読」有難う御座いました。いまや「マスゴミ」とメディアも軽んじられている。さてさて!

(小川) ブログの「民主主義の壊れ方」面白く読みました。乱読とはいうもののこのトシになって凄い読書家ですな、畏れ入ります。最近では新聞読むのも苦痛になってきてYouTubeやテレビで何とか世の中に付いて行っている小生とは大違いです。最もマスコミに支配される種族に自分がなってしまっております。

 なるほど「テクノロジー」で民主主義が壊されるという見方は面白かったです。最後の21世紀の日本に対する見方についてはいささか皮肉が混じっているかも。新しい資本主義を唱えているわが国の首相(安部傀儡)政権の評価を聞かせて下さい。

(菅原)共産主義、社会主義、民主主義、共和主義、現実主義、などなど、Feminismも含む、全てイデオロギーです(要するに、何とかism)。唯一の例外は、現実主義。従って、イデオロギーは、それにそぐわないことを無視、黙殺、敵視します。民主主義もその例外ではありません。だから、壊れるんでしょう。一度、現実主義に立ち戻るべきではないでしょうか。これは、我が尊敬する、司馬遼太郎の思考の受け売りです。

 

京王線国領駅あたり

新宿から出る京王線の車窓は仙川あたりを過ぎると、いかにも昔で言う”郊外電車”的な雰囲気を漂わせるようになる。歴史のある調布や府中のあたりになると駅名も飛田給、武蔵野台、というように武蔵野を意識した名前に変わってくる。国領、という駅もそのひとつで、地名にも歴史が潜んでいるような、ごくさびれた感じの駅だった。

しかし京王線が一部の地下化をはじめ、国領も地下駅になってしまうと、期を一にしてこのあたりに現代的な高層マンションなどの建設が相次ぎ、よくあるようにそれまでの古き良き、という感じを一新してしまって、りゅうとしたベッドタウンに変貌してしまった感がある。楽しいやら、寂しいやら、妙な気持がする。

しかしこの駅はもうひとつ、その存在意義を主張する。かつて日本映画、特に活劇映画の主役を演じていた日活のホームグラウンド、というプライドのようなものだ。新しく、機能的に、ということはかつての暖かさが少しばかり減退してしまったということでもあるのだが、駅構内に展示されている、かつて日活の黄金時代をささえた俳優たちの手形がその意識を支えている。裕次郎、三枝はあたりまえとしても、川内民夫だとか鮎川いづみだとかといった懐かしい名前もある。

ホームで電車待ちの間に流れる駅メロは、ここでは裕次郎軍団の全盛期、テレビの強力番組のひとつだった、あの 西部警察、のテーマである。ほぼ日課にしている夜のウオーキングの終点はこの駅にすることが多いのだが、駅前の自販機で(北杜市の!)水を買って、ベンチでこのメロディを聴きながら一休み、というのも結構いいものだ、と思うようになった。

それとなぜだか知らないが、この駅周辺にはこじんまりとしたイタリア料理店が結構ある。レストラン、といえるまでの規模でもなく、いわばピッゼリア、くらいだろうか。そのうち、試してみよう。

(菅原)昭和40年前後の国領って知ってるかい?多分、知らないだろう。記憶に間違いがなければ、駅以外は何もなかった。その経緯は以下の通り。

小生、一介の会社員だった頃、東京で営業をやらされて、ミシンを中心とした精密工業を担当していた(写真機製造会社を除く)。その一件が、東京重機(今のJUKI)。本社が国領にあって、少なくとも一週に一度は行っていた。営業所が室町にあったから、三越前から銀座線で渋谷に出、井の頭線で明大前に出て、京王線で国領。ところが、急行が止まらないから、仙川で降りて鈍行待ち。すげー不便なところだった。結果はどうだったかと言うとホロニガ。情けないかな、日立にひっくり返されてしまった。だから、国領と言うと嫌な思い出ばかり。それにしても50年以上も経っちゃってるから、貴兄のブログからも、その変貌は凄まじいものがありそうだ。JUKIは2009年に本社を多摩市鶴牧に移して、今は国領には何もないようだ。当時も何もなかったけれど。

 

 ブレイン フォッグ (Brain Fog) って知ってますか?  (普通部OB 篠原幸人)

 ついに19都道府県の緊急事態宣言も全面解除ですか? 何故、最近こんなに急にコロナ患者が激減したのか不思議ですね。オリンピック・パラリンピックで皆さんがTV観戦に夢中になり出かけなくなったせいとかオリパラ賛同者はいっていますし、無論ワクチン接種の普及効果もあるでしょうが、原因はまだまだ不明です。11-12月に次の波が必ず来るとか言っている専門家もいますが、私は次回は必ずしも大きな波にはならない可能性もあると思っています。全くの仮説ですが、ウイルス自体が何らかの原因で(多分生き残りをかけてでしょうが)感染力を少しづつ低下させるような変異をしている可能性もあるかと思っています。無論、希望的観測ですが。

さて。最近、Brain(脳)Fog(霧)という言葉を聞いたことがあるでしょう?

 Brain Fog とは、「最近、考えをまとめようとしても頭がボーッとして纏まらない」、「根気がない」、「光がいやにまぶしい」、「昼間でもねむたい」、「疲れやすくて仕事にならない」などの症状のことで、鼻水・微熱・軽い疲れやすさなどしかなかった軽症のコロナ患者でも、10-20%後遺症としてみられるという報告がありました。頭がなんとなく、ボーッとして考えがまとまらなく、ねむたいなんてことは、「毎日、以前からあるよ」と威張っている声も、「うちの主人はコロナが出てくる前からBrain Fogよ」とおっしゃる声も聞こえてきそうですが。

この原因はウイルスに抵抗するためにできた免疫細胞が体の中で作った異常タンパク質が、脳細胞を犯すとか言われていますが、まだよくわかっていません。そんなことが有名になるとワクチン接種でもこれが起こるのではと心配して、また接種の拒絶反応が増えそうですね。しかし、ワクチン接種でそれが起こることはないようです。Brain Fogに対して、特別外来を開設している病院も出始めました。本当にコロナっていやなウイルスですね。

コロナ罹患者の話    (42 下村祥介)

 このところコロナ患者が連日減少し曙光が見え始めていますが、緊急事態宣言解除の2週間後の感染者数はどうなるでしょうか。人流が増えても感染者が増えなければ多少安心できそうですが・・・。

ところで先日、取引先で知り合った知人がコロナに感染したとのこと。40代半ばの人です。感染者の体験談に接することはあまりありませんので、ご参考にお知らせします。

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8月下旬に感染。職場の同僚が3日ほど前に感染し、濃厚接触者にあたる職場全員(7~8名)がPCR検査を受けた。陰性の人も何人かいたが自分は感染していることが判明。ホテルに隔離され治療に入ったが、治療と言っても放置されたままだった。何日間か39度ほどの熱が出たが何の薬を与えられるわけでもなく、1日3回保健所と連絡を取るだけで自然治癒を待つだけだった。家族とも離れて1人でのホテル療養で連日気分がすぐれず不安の毎日だった。途中で気絶して倒れたようだが自分ではどれぐらいの時間倒れていたのか分からない。気がついたら倒れていた。自分で気がつかなければほったらかしの状態になるところだった。9月半ばに退院できたが、感染してからもう1か月以上たっているのに今だに食欲がなく痩せてしまった。コロナには絶対にかかるべきではない。

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医療関係の知人の話によると、変異して急速に増えるウイルスは、消滅するのも早い。第5波で感染者が急速に減っている理由はこのためだ(緊急事態宣言で人流が減っているからではない)。但し、ウイルスの根が残っているので、いつぶり返してくるか分からないとのこと。

また今のウイルスは空気感染であり、接触や飛沫を避けるだけでは防御にならず、フェイスシールドやアクリル板などはほとんど意味がない。空気中の水の分子にウイルスが付着して浮遊し、それを吸い込むことによって感染するからだ。手やテーブルの消毒よりは不織布マスクを鼻の両脇やほっぺたに密着させてつける方がはるかに効果がある、とも言っています。1日から緊急事態宣言が解除されていますが、小生は引き続きマスクと人混みを避ける対策を続けるつもりです。

我が家にも秋がきました   (33 小川義視)

ジャイさん、宣言解除で来春のシニアワンダラーズの新年会は開催されますか? 開催なれば上京するつもりです。愛好会の皆さんのご尊顔を拝見できないのは残念ですが、解除されて余り羽根を伸ばさないようにご健勝を祈っております。

*玄関脇のキンモクセイ、素敵な秋の芳香と秋バラの開花一号, の写真を添付しておきます。

(編集子)相変わらずお元気なご様子、心強いです。シニアワンダラーズ会のほうはまだ何ともわかりません。しかし昨年企画してできなかったエーガ愛好会の会合はぜひやりたいと思っています。ご都合を最優先に考えますので、ぜひともご上京いただきますように今からお願いしておきます。

エーガ愛好会 (90)  駅馬車

(菅原)「駅馬車」をいつ見たのか、その時期は定かではない。普通部の頃だったろうか。とにかく、猛烈な勢いで疾駆する駅馬車、それを追い駆けるインディアン。それが、しつこいこと、しつこいこと、いい加減に諦めたらと思っても、何時まで経っても止めない。実は、カー・チェイスならぬ、このインディアンによる駅馬車チェイスの迫力が凄まじく、これしか覚えていないのだ。ジョン・ウェインもクレア・トレヴァーも記憶にないし、挙句の果てに、話し自体も忘却の彼方だ。従って、インディアンに何も悪さをしていない善良な駅馬車と乗客に、執拗にも襲い掛かるインディアンとは誠に悪い奴だとの印象が深く刻み込まれた。

ところが、後年、それなりに米国の歴史に関し、色々な本を紐解くと、大違い。米国には、既に土着民(インディアン)がおり、あとから移民してきた白人が、その土地を収奪し略奪し、ある場合は虐殺、または保留地に閉じ込めるなど、むしろ、善人はインディアンであり、悪人は白人であることに気付かされた。余談だが、西部開拓史など、いかにも浪漫の漂うような心地よい言葉だが、正しくは、西部収奪/略奪史だろう。

つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。

(34 小泉)先ずは、駅馬車のテーマ音楽、「俺を淋しい草原に埋めてくれるな」を音楽担当のリチャード・ヘイジマンが編曲し、アカデミー音楽賞を受賞した曲が、各シーンに合わせ、時には元気に速く 時には暗く遅いテンポで奏され、駅馬車のリズムとなり、其の侭映画のリズムとなって、もう何回観たか忘れたが最後まで、あっという間に観終わってしまった。

駅馬車はアリゾナ州南部のトントからメキシコ国境のローズバーグまでを走るのだが、乗客は町から追い立てを食った酒場女ダラス(クレア・トレバー)、酔いどれ医師ブーン(トーマス・ミッチェル)、ウイスキー商人ピーコック(ドナルド・ミーク)、銀行家ゲートウッド(バートン・チャーチル)、将校夫人ルーシー(ルイーズ・ブラット)、賭博師ハット・フィールド(ジョン・キャラダイン)、馭者台には、馭者(アンディ・ディバイン)、保安官カーリー(ジョン・バンクロフト)、途中から。gi-sanお気に入りの、ライフルを片手にぐるりと回して登場の脱獄囚リンゴ(ジョン・ウエイン)の面々。

当時西部劇がハリウッドの主要路線から外れた時期でもあったこともあり、ジョン・フォード監督としては西部劇を「三悪人1926」以降13年間作っていなかった。西部劇とは何たるかを示したと共に、ジョン・ウエインは、その間の二流西部劇役者から、この映画でスターへの脱皮を図れ、一流役者ジョン・ウエインの誕生となった。またこの映画は、乗客の淫売、酔払い、賭博者、脱獄者といった社会の最下層を流れ歩く人間たちの中に、高貴な献身的な精神や勇敢さ、弱き者や女性に対する真のやさしさなどが描かれ、資金を掠め取る銀行頭取や淫売婦を街から追う婦人団体の偽善との対比を示している。ただ当時としては、黒人やインディアンはその範疇にはなくインディアンこそは憎き敵でしかなかった。

最初の宿場ドライフォークでは、ハットフィールドが、ダラスを除け者にするのをリンゴがかばい、二人が親しく振舞い、次のアパッチウエルズでは、ルーシーが倒れるが、酔いどれ医師がコーヒーで酔いを醒ましながらの対応で、無事出産に漕ぎつける。ダラスがリンゴを逃がそうとするもアパッチの狼煙を見て断念。一本の矢がピーコックを倒すことから始まるアパッチの追跡から逃げる駅馬車のスピード感とカメラに物語を語らせた迫力には何回観ても圧倒される。このシーンのフィルムを流用した作品が数本以上あるとか。何回か見た記憶がある。ラスト、ローズバーグに着いてからの決闘。医師ブーンが、リンゴの敵ルーク・クラマー(トム・タイラー)の持つ卑怯者が持つという散弾銃を取り上げるとか細かい。決闘はあっけなく終わるが、投獄されるべきリンゴを保安官カーリーと医師ブーンが、ダラスと共に馬車に載せ叩き送るラストは心地よい気分。

蛇足ながら、1966年と1986年に同じ駅馬車の題名でリメイクされている。前者はゴードン・ダグラス監督アレックス・コードがリンゴ、アン・マーグレットがダラス、ビング・クロスビーが医師ブーンで、いい味を出してはいたが、背景が

アレックス・コード

ワイオミングの緑では実感が湧かなかった。後者は、テッド・ポスト監督クリス・クリストファーソンがリンゴで他に当時ザ・ハイウエイメンというバンドを結成していたカントリーミュージックのメンバーだったウイリー・ネルソン、ジョニー・キャッシュ、ウエイロン・ジェニングスの4人が揃って主要な役で出演したということだが未見。

(保屋野)通しでは初めて観ました。モニュメントバレー、・・・駅馬車が疾走する道を、2回車で通ったことがあります。
この作品は、西部劇定番の、勧善懲悪ヒーローも、美形のヒロインも登場しない不思議な映画ですが、主役はまさにモニュメントバレーの景観と駅馬車そのものなのでしょうね。

西部劇の傑作、ということですが、確かに1939年制作の映画としては素晴らしい作品だと思います。ただ、やはり映像は古めかしいし、あまりパットしない「リンゴ役」のジョン・ウエインもまだ貫禄不足。
車内の人間模様も、賭博師や銀行家の役割が今ひとつ分らない。更に、最後の決闘シーンは欲求不満。また、ヒーローたるリンゴが医者崩れのドクに食われた感じもしないではありませんでした。少々ケチを付けましたが、総じて、テンポも良く、アパッチの襲撃シーンはじめ見応えある西部劇でした。賭博師が絶体絶命の駅馬車の中でヒロインを撃とうとする場面がありましたよね。
私は、何故、と思いネットを見たら、アパッチに連れ去られる前に、あえて殺す、という「愛の表現」とありました。納得。
駅馬車は主題歌も良いですね。黄色いリボンも楽しみです。

ちなみに、昨年観た西部劇では、「大いなる西部」がダントツで赤い河」、ダンス・ウイズ。ウルプス」がこれに続き「真昼の決闘」、「OK牧場の決闘」がさらに続くという私の評価です。駅馬車は、その次ぐらいではないでしょうか。

(小田)黄色いリボンと、シェーンそして駅馬車のDVDを安かったのか、まとめて夫が以前買ってきましたが、駅馬車はその中で一番好きです。銀行の頭取以外の登場人物のキャラクターが皆善くて面白く、

小田さん提供のポスター

狭い幌馬車の中の場面も退屈しませんでした。賭博師はレデイに弱く、医者はお酒に弱く、ダラスも皆に認められ、リンゴと結ばれる。保安官はリンゴ達を祝福し、見逃します。馬車の御者や、途中の休憩所(ドライフォーク?)の主人(奥さんをインディアンのジェロニモにしておくと安心と言っていたのに、馬と共に逃げられた)も愉快でした。広がるモニュメント バレーの景色も素晴らしいですね。

アメリカで頂いた、駅馬車のポスターのコピー添付しました。

(船津)
何故お奨めで、「西部劇」大一番なのか。
1939年製作。我らと同年のゆえ、80年も前の映画。「風と共に去りぬ」と同じ時作られた様で対抗馬が良すぎて当時の賞は総て「風」にさらわれた。
ジョン・フォード監督が矢張り名監督。何が凄いか。モノクロの陰影を活かした撮影方法。疾走する駅馬車などのスピード感ある撮影。狭い駅場所の内部のみでの人間劇。後のオーソン・ウエールズとか日本の映画監督に丁度日本の浮世絵を印象派が真似したように「見本」にしたようだ。

ジョン・ウエインは胃癌の悪化で、1979年5月1日よりカリフォルニア州ニューポートビーチのカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに入院し治療を続けていたが、72歳の誕生日を迎えて17日目の6月11日午後5時35分(日本時間12日午前9時35分)に死去した。ウェインの遺体はカリフォルニア州オレンジ郡のコロナ・デル・マールにあるパシフィック・ビュー・メモリアル・パーク墓地に埋葬された。日本でも、毎日新聞に『ミスター・アメリカ死す』を始め、大きな見出しで出された。アメリカ各地で半旗が掲げられた。
入院期間中の6月5日には、当時の大統領であるジミー・カーターがウェインの見舞いに訪れた。現職の大統領が映画俳優を見舞うのは異例のことであった。

最後も嫌われ者同士が別天地へ馬車で遠ざかっていくというのは何とも陳腐。
まぁ「スピーディーかつダイナミックなアクションシーンとなり、アクション映画史上不朽の名場面」と言った所かなぁ。

(編集子)ジョン・ウエインが演じたリンゴー・キッドは実在の人物で本名はジョン・ピーターズ・リンゴ、教養のある人だったといわれる。ただこの映画での伏線となったとおり、兄を殺されその敵3人を射殺したのも事実であるようだ。荒野の決闘・OK牧場の決闘ではジョニー・リンゴという名前で出てくるが、クラントンに味方したのは事実だがこの決闘を生き残った。その後は、牛泥棒など無頼の生活を送り、1882年にアリゾナで殺された。

良く知られているようにウエインが西部劇のキング、となったのはこの ”駅馬車” からであり、その意味でセーブゲキ党には欠かせない一作である。小泉さんが書かれているように背後に流れる曲は Bury me not on the lone prairie という民謡がベースであるが、南部貴族崩れを演じたジョン・キャラダインのショットでは、一瞬それが南部を連想させる名曲 金髪のジェニー に代わる。飲んだくれ医者のトマス・ミッチェルとの会話で出てくるように、この映画が背景とした時代はまだ南北戦争の傷跡が癒えていない時代でもあり、南北双方の顔を立てようとしたフォードの苦心というべきだろうか。フォードはやはりウエインの騎兵隊三部作の最終作 リオグランデの砦 でもモーリーン・オハラが南部の出身であるという筋書きに従って、最後のほうに出てくる閲兵のところでキャロル・ナイシュ演じるシェリダン将軍が楽隊に特に命じて南部のマーチを演奏させ、オハラを喜ばせる、というような配慮をしている。

ティム・ホルト

今回(何度めだったかは忘れた)気がついたのだが、ウエインの仇、ルークがカードに興じているときに リンゴが来た! という手下の情報が入る。その時ルークの手はエースと8のツーペアで、これは “死の手” というらしい。またキャラダインが南部貴族のプライドからルイーズ・プラットのガード役で駅馬車に乗り込むのだが、その時最後にあけたカードはスペードのエースだった。こんなところがいかにも心憎い(このあたりがやりすぎだという人ももちろんいるだろうが)。ジョン・ウエインが登場する場面には何度もふれたが、前半で途中まで護衛にあたった騎兵隊が分岐路を左へ、馬車は右へ行く。この時、しばらく後へ残って駅馬車を見送る若い中尉のカットが(ストーリーにはあまり関係ないと思われるほど)長く出てくる。ティム・ホルトのいかにも若くて好感が持てるショットである。当時、将来の主演級を期待していたのだろうか。荒野の決闘ではアープの弟バージルを演じている。

(安田)「駅馬車」はジョン・フォードの抒情的感性が人間味あふれる駅馬車内の人間模様やキッドと娼婦ダラスのハッピーエンドを描き、娯楽としての「motion picture」(アメリカ人が呼ぶ映画のこと)の面白さと融合した傑作だと思う。1939年の昔にあの迫力満点の馬車疾走場面を撮る発想と技術はタダ者ではないと思った。人気の高い映画「荒野の決闘」は西部劇というよりメロドラマだと思った。ジョン・フォードのことはよく知らず、娯楽映画の西部劇専門の映画監督だ、くらいにしか認識していなかったが、映画を観るうちに次第に惹き込まれていったのも事実。そこで、彼のことを知りたくなって彼の映画を集中的に見つつ少し調べてみた。「捜索者」を見た折にジョン・フォードについても感じたことをまとめたwordfileを再送になりますが、貼付の上お送りします。そんなジョン・フォードが彼の名声を不動のものにした「駅馬車」は矢張り西部劇の隆盛をもたらした先駆けの役割を果たしたのは間違いない、と思っている。

(小川)皆さんのコメントを読んだうえでジントニック片手にジックリと見直しました。何度見たか記憶にありませんが、改めて発見することも多く非常に楽しめました。各位の実に克明に観ておられるのには感服する次第です。

あのテーマ音楽の由来、エンディングで流れる金髪のジェニー、エースと8のツーペア、スペードのエース(これは見落とした)を上手く配するところなどはジャイ兄の言う通り実に心憎い。また菅原兄の穿った見方 “つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。” なるほどと思いました。

小生はやはり飲兵衛、酔いどれ医師のブーン、トーマス・ミッチェルの演技に惹かれました。お産の時の変身ぶり、そのあとダラスからリンゴの求婚を相談された時のブーンの表情、やっぱり彼は素晴らしいバイプレーヤーで良かった。 それにしても若いジョン・ウエイン、その後40年も付き合うとはねえ~。船津兄の感想とウエイン最後の紹介有難うございました。愛好会会員ならねばの実に楽しいひと時でした。

 

 

 

南八つ岳 山麓の秋  (北杜市在の友人から)

おはようございます。晴れの天気が続いています。日中は半袖でちょうどいいくらいの暑さです。

休日は予定通り薪ストーブ、煙突掃除をしました。

最後に外回り、窓を掃除して完了。ざっとですが半日かかりました。これで安心してシーズンを迎えられます。

(編集子)北杜市小淵沢にある、編集子のささやかなセカンドハウスの管理をお願いしているグリーンビラ総合管理社の御好意で、同社のホームページから借用。やはり都会より早い秋の訪れが感じられる。あの稜線を駆け上がったのは何年前だったか、再び訪れることはもうないだろうが、権現直下のあの岩場の感触はまだ心に新しい。

フルサト、というものを知らない僕にはこのあたりの風物人情がそれに代わってくれているように思える。コロナのおかげで今年の故郷の夏は知らないで終わってしまったが。

 

日本語は動いていますよ!   (HPOB 菅井康二)

“語彙の問題” についての私見です。

日本語(だけではありませんが)は動いています。「全然」は私の世代では否定的にしか使わないというコンセンサスがあるような気がするのですが、これは戦後森鴎外の次女である小堀杏奴が雑誌「言語生活」で「全然を肯定的に使うことは日本語の乱れ」と書いたことに起因していると言われています(文豪の娘の言という影響力)。確かに明治時代の文豪の作品には肯定を強める意味で全然が使われているようです。

うざい、うざったいのルーツは多摩方言で、エグい(きつい)は塾高がルーツという説もあります。
ご存知かと思いますが、若者の使う「ヤバい」はネガティブではなく非常にポジティブな意味です。

(編集子)こういう議論を待っていました。シニア世代各位のご意見に期待。