エーガ愛好会 (90)  駅馬車

(菅原)「駅馬車」をいつ見たのか、その時期は定かではない。普通部の頃だったろうか。とにかく、猛烈な勢いで疾駆する駅馬車、それを追い駆けるインディアン。それが、しつこいこと、しつこいこと、いい加減に諦めたらと思っても、何時まで経っても止めない。実は、カー・チェイスならぬ、このインディアンによる駅馬車チェイスの迫力が凄まじく、これしか覚えていないのだ。ジョン・ウェインもクレア・トレヴァーも記憶にないし、挙句の果てに、話し自体も忘却の彼方だ。従って、インディアンに何も悪さをしていない善良な駅馬車と乗客に、執拗にも襲い掛かるインディアンとは誠に悪い奴だとの印象が深く刻み込まれた。

ところが、後年、それなりに米国の歴史に関し、色々な本を紐解くと、大違い。米国には、既に土着民(インディアン)がおり、あとから移民してきた白人が、その土地を収奪し略奪し、ある場合は虐殺、または保留地に閉じ込めるなど、むしろ、善人はインディアンであり、悪人は白人であることに気付かされた。余談だが、西部開拓史など、いかにも浪漫の漂うような心地よい言葉だが、正しくは、西部収奪/略奪史だろう。

つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。

(34 小泉)先ずは、駅馬車のテーマ音楽、「俺を淋しい草原に埋めてくれるな」を音楽担当のリチャード・ヘイジマンが編曲し、アカデミー音楽賞を受賞した曲が、各シーンに合わせ、時には元気に速く 時には暗く遅いテンポで奏され、駅馬車のリズムとなり、其の侭映画のリズムとなって、もう何回観たか忘れたが最後まで、あっという間に観終わってしまった。

駅馬車はアリゾナ州南部のトントからメキシコ国境のローズバーグまでを走るのだが、乗客は町から追い立てを食った酒場女ダラス(クレア・トレバー)、酔いどれ医師ブーン(トーマス・ミッチェル)、ウイスキー商人ピーコック(ドナルド・ミーク)、銀行家ゲートウッド(バートン・チャーチル)、将校夫人ルーシー(ルイーズ・ブラット)、賭博師ハット・フィールド(ジョン・キャラダイン)、馭者台には、馭者(アンディ・ディバイン)、保安官カーリー(ジョン・バンクロフト)、途中から。gi-sanお気に入りの、ライフルを片手にぐるりと回して登場の脱獄囚リンゴ(ジョン・ウエイン)の面々。

当時西部劇がハリウッドの主要路線から外れた時期でもあったこともあり、ジョン・フォード監督としては西部劇を「三悪人1926」以降13年間作っていなかった。西部劇とは何たるかを示したと共に、ジョン・ウエインは、その間の二流西部劇役者から、この映画でスターへの脱皮を図れ、一流役者ジョン・ウエインの誕生となった。またこの映画は、乗客の淫売、酔払い、賭博者、脱獄者といった社会の最下層を流れ歩く人間たちの中に、高貴な献身的な精神や勇敢さ、弱き者や女性に対する真のやさしさなどが描かれ、資金を掠め取る銀行頭取や淫売婦を街から追う婦人団体の偽善との対比を示している。ただ当時としては、黒人やインディアンはその範疇にはなくインディアンこそは憎き敵でしかなかった。

最初の宿場ドライフォークでは、ハットフィールドが、ダラスを除け者にするのをリンゴがかばい、二人が親しく振舞い、次のアパッチウエルズでは、ルーシーが倒れるが、酔いどれ医師がコーヒーで酔いを醒ましながらの対応で、無事出産に漕ぎつける。ダラスがリンゴを逃がそうとするもアパッチの狼煙を見て断念。一本の矢がピーコックを倒すことから始まるアパッチの追跡から逃げる駅馬車のスピード感とカメラに物語を語らせた迫力には何回観ても圧倒される。このシーンのフィルムを流用した作品が数本以上あるとか。何回か見た記憶がある。ラスト、ローズバーグに着いてからの決闘。医師ブーンが、リンゴの敵ルーク・クラマー(トム・タイラー)の持つ卑怯者が持つという散弾銃を取り上げるとか細かい。決闘はあっけなく終わるが、投獄されるべきリンゴを保安官カーリーと医師ブーンが、ダラスと共に馬車に載せ叩き送るラストは心地よい気分。

蛇足ながら、1966年と1986年に同じ駅馬車の題名でリメイクされている。前者はゴードン・ダグラス監督アレックス・コードがリンゴ、アン・マーグレットがダラス、ビング・クロスビーが医師ブーンで、いい味を出してはいたが、背景が

アレックス・コード

ワイオミングの緑では実感が湧かなかった。後者は、テッド・ポスト監督クリス・クリストファーソンがリンゴで他に当時ザ・ハイウエイメンというバンドを結成していたカントリーミュージックのメンバーだったウイリー・ネルソン、ジョニー・キャッシュ、ウエイロン・ジェニングスの4人が揃って主要な役で出演したということだが未見。

(保屋野)通しでは初めて観ました。モニュメントバレー、・・・駅馬車が疾走する道を、2回車で通ったことがあります。
この作品は、西部劇定番の、勧善懲悪ヒーローも、美形のヒロインも登場しない不思議な映画ですが、主役はまさにモニュメントバレーの景観と駅馬車そのものなのでしょうね。

西部劇の傑作、ということですが、確かに1939年制作の映画としては素晴らしい作品だと思います。ただ、やはり映像は古めかしいし、あまりパットしない「リンゴ役」のジョン・ウエインもまだ貫禄不足。
車内の人間模様も、賭博師や銀行家の役割が今ひとつ分らない。更に、最後の決闘シーンは欲求不満。また、ヒーローたるリンゴが医者崩れのドクに食われた感じもしないではありませんでした。少々ケチを付けましたが、総じて、テンポも良く、アパッチの襲撃シーンはじめ見応えある西部劇でした。賭博師が絶体絶命の駅馬車の中でヒロインを撃とうとする場面がありましたよね。
私は、何故、と思いネットを見たら、アパッチに連れ去られる前に、あえて殺す、という「愛の表現」とありました。納得。
駅馬車は主題歌も良いですね。黄色いリボンも楽しみです。

ちなみに、昨年観た西部劇では、「大いなる西部」がダントツで赤い河」、ダンス・ウイズ。ウルプス」がこれに続き「真昼の決闘」、「OK牧場の決闘」がさらに続くという私の評価です。駅馬車は、その次ぐらいではないでしょうか。

(小田)黄色いリボンと、シェーンそして駅馬車のDVDを安かったのか、まとめて夫が以前買ってきましたが、駅馬車はその中で一番好きです。銀行の頭取以外の登場人物のキャラクターが皆善くて面白く、

小田さん提供のポスター

狭い幌馬車の中の場面も退屈しませんでした。賭博師はレデイに弱く、医者はお酒に弱く、ダラスも皆に認められ、リンゴと結ばれる。保安官はリンゴ達を祝福し、見逃します。馬車の御者や、途中の休憩所(ドライフォーク?)の主人(奥さんをインディアンのジェロニモにしておくと安心と言っていたのに、馬と共に逃げられた)も愉快でした。広がるモニュメント バレーの景色も素晴らしいですね。

アメリカで頂いた、駅馬車のポスターのコピー添付しました。

(船津)
何故お奨めで、「西部劇」大一番なのか。
1939年製作。我らと同年のゆえ、80年も前の映画。「風と共に去りぬ」と同じ時作られた様で対抗馬が良すぎて当時の賞は総て「風」にさらわれた。
ジョン・フォード監督が矢張り名監督。何が凄いか。モノクロの陰影を活かした撮影方法。疾走する駅馬車などのスピード感ある撮影。狭い駅場所の内部のみでの人間劇。後のオーソン・ウエールズとか日本の映画監督に丁度日本の浮世絵を印象派が真似したように「見本」にしたようだ。

ジョン・ウエインは胃癌の悪化で、1979年5月1日よりカリフォルニア州ニューポートビーチのカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに入院し治療を続けていたが、72歳の誕生日を迎えて17日目の6月11日午後5時35分(日本時間12日午前9時35分)に死去した。ウェインの遺体はカリフォルニア州オレンジ郡のコロナ・デル・マールにあるパシフィック・ビュー・メモリアル・パーク墓地に埋葬された。日本でも、毎日新聞に『ミスター・アメリカ死す』を始め、大きな見出しで出された。アメリカ各地で半旗が掲げられた。
入院期間中の6月5日には、当時の大統領であるジミー・カーターがウェインの見舞いに訪れた。現職の大統領が映画俳優を見舞うのは異例のことであった。

最後も嫌われ者同士が別天地へ馬車で遠ざかっていくというのは何とも陳腐。
まぁ「スピーディーかつダイナミックなアクションシーンとなり、アクション映画史上不朽の名場面」と言った所かなぁ。

(編集子)ジョン・ウエインが演じたリンゴー・キッドは実在の人物で本名はジョン・ピーターズ・リンゴ、教養のある人だったといわれる。ただこの映画での伏線となったとおり、兄を殺されその敵3人を射殺したのも事実であるようだ。荒野の決闘・OK牧場の決闘ではジョニー・リンゴという名前で出てくるが、クラントンに味方したのは事実だがこの決闘を生き残った。その後は、牛泥棒など無頼の生活を送り、1882年にアリゾナで殺された。

良く知られているようにウエインが西部劇のキング、となったのはこの ”駅馬車” からであり、その意味でセーブゲキ党には欠かせない一作である。小泉さんが書かれているように背後に流れる曲は Bury me not on the lone prairie という民謡がベースであるが、南部貴族崩れを演じたジョン・キャラダインのショットでは、一瞬それが南部を連想させる名曲 金髪のジェニー に代わる。飲んだくれ医者のトマス・ミッチェルとの会話で出てくるように、この映画が背景とした時代はまだ南北戦争の傷跡が癒えていない時代でもあり、南北双方の顔を立てようとしたフォードの苦心というべきだろうか。フォードはやはりウエインの騎兵隊三部作の最終作 リオグランデの砦 でもモーリーン・オハラが南部の出身であるという筋書きに従って、最後のほうに出てくる閲兵のところでキャロル・ナイシュ演じるシェリダン将軍が楽隊に特に命じて南部のマーチを演奏させ、オハラを喜ばせる、というような配慮をしている。

ティム・ホルト

今回(何度めだったかは忘れた)気がついたのだが、ウエインの仇、ルークがカードに興じているときに リンゴが来た! という手下の情報が入る。その時ルークの手はエースと8のツーペアで、これは “死の手” というらしい。またキャラダインが南部貴族のプライドからルイーズ・プラットのガード役で駅馬車に乗り込むのだが、その時最後にあけたカードはスペードのエースだった。こんなところがいかにも心憎い(このあたりがやりすぎだという人ももちろんいるだろうが)。ジョン・ウエインが登場する場面には何度もふれたが、前半で途中まで護衛にあたった騎兵隊が分岐路を左へ、馬車は右へ行く。この時、しばらく後へ残って駅馬車を見送る若い中尉のカットが(ストーリーにはあまり関係ないと思われるほど)長く出てくる。ティム・ホルトのいかにも若くて好感が持てるショットである。当時、将来の主演級を期待していたのだろうか。荒野の決闘ではアープの弟バージルを演じている。

(安田)「駅馬車」はジョン・フォードの抒情的感性が人間味あふれる駅馬車内の人間模様やキッドと娼婦ダラスのハッピーエンドを描き、娯楽としての「motion picture」(アメリカ人が呼ぶ映画のこと)の面白さと融合した傑作だと思う。1939年の昔にあの迫力満点の馬車疾走場面を撮る発想と技術はタダ者ではないと思った。人気の高い映画「荒野の決闘」は西部劇というよりメロドラマだと思った。ジョン・フォードのことはよく知らず、娯楽映画の西部劇専門の映画監督だ、くらいにしか認識していなかったが、映画を観るうちに次第に惹き込まれていったのも事実。そこで、彼のことを知りたくなって彼の映画を集中的に見つつ少し調べてみた。「捜索者」を見た折にジョン・フォードについても感じたことをまとめたwordfileを再送になりますが、貼付の上お送りします。そんなジョン・フォードが彼の名声を不動のものにした「駅馬車」は矢張り西部劇の隆盛をもたらした先駆けの役割を果たしたのは間違いない、と思っている。

(小川)皆さんのコメントを読んだうえでジントニック片手にジックリと見直しました。何度見たか記憶にありませんが、改めて発見することも多く非常に楽しめました。各位の実に克明に観ておられるのには感服する次第です。

あのテーマ音楽の由来、エンディングで流れる金髪のジェニー、エースと8のツーペア、スペードのエース(これは見落とした)を上手く配するところなどはジャイ兄の言う通り実に心憎い。また菅原兄の穿った見方 “つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。” なるほどと思いました。

小生はやはり飲兵衛、酔いどれ医師のブーン、トーマス・ミッチェルの演技に惹かれました。お産の時の変身ぶり、そのあとダラスからリンゴの求婚を相談された時のブーンの表情、やっぱり彼は素晴らしいバイプレーヤーで良かった。 それにしても若いジョン・ウエイン、その後40年も付き合うとはねえ~。船津兄の感想とウエイン最後の紹介有難うございました。愛好会会員ならねばの実に楽しいひと時でした。