新宿から出る京王線の車窓は仙川あたりを過ぎると、いかにも昔で言う”郊外電車”的な雰囲気を漂わせるようになる。歴史のある調布や府中のあたりになると駅名も飛田給、武蔵野台、というように武蔵野を意識した名前に変わってくる。国領、という駅もそのひとつで、地名にも歴史が潜んでいるような、ごくさびれた感じの駅だった。
しかし京王線が一部の地下化をはじめ、国領も地下駅になってしまうと、期を一にしてこのあたりに現代的な高層マンションなどの建設が相次ぎ、よくあるようにそれまでの古き良き、という感じを一新してしまって、りゅうとしたベッドタウンに変貌してしまった感がある。楽しいやら、寂しいやら、妙な気持がする。
しかしこの駅はもうひとつ、その存在意義を主張する。かつて日本映画、特に活劇映画の主役を演じていた日活のホームグラウンド、というプライドのようなものだ。新しく、機能的に、ということはかつての暖かさが少しばかり減退してしまったということでもあるのだが、駅構内に展示されている、かつて日活の黄金時代をささえた俳優たちの手形がその意識を支えている。裕次郎、三枝はあたりまえとしても、川内民夫だとか鮎川いづみだとかといった懐かしい名前もある。
ホームで電車待ちの間に流れる駅メロは、ここでは裕次郎軍団の全盛期、テレビの強力番組のひとつだった、あの 西部警察、のテーマである。ほぼ日課にしている夜のウオーキングの終点はこの駅にすることが多いのだが、駅前の自販機で(北杜市の!)水を買って、ベンチでこのメロディを聴きながら一休み、というのも結構いいものだ、と思うようになった。
それとなぜだか知らないが、この駅周辺にはこじんまりとしたイタリア料理店が結構ある。レストラン、といえるまでの規模でもなく、いわばピッゼリア、くらいだろうか。そのうち、試してみよう。
(菅原)昭和40年前後の国領って知ってるかい?多分、知らないだろう。記憶に間違いがなければ、駅以外は何もなかった。その経緯は以下の通り。
小生、一介の会社員だった頃、東京で営業をやらされて、ミシンを中心とした精密工業を担当していた(写真機製造会社を除く)。その一件が、東京重機(今のJUKI)。本社が国領にあって、少なくとも一週に一度は行っていた。営業所が室町にあったから、三越前から銀座線で渋谷に出、井の頭線で明大前に出て、京王線で国領。ところが、急行が止まらないから、仙川で降りて鈍行待ち。すげー不便なところだった。結果はどうだったかと言うとホロニガ。情けないかな、日立にひっくり返されてしまった。だから、国領と言うと嫌な思い出ばかり。それにしても50年以上も経っちゃってるから、貴兄のブログからも、その変貌は凄まじいものがありそうだ。JUKIは2009年に本社を多摩市鶴牧に移して、今は国領には何もないようだ。当時も何もなかったけれど。