ジョン・フォード騎兵隊三部作の第一作。軍人の精神の鑑として扱
騎兵隊とインディアンの抗争の一番の理由が、インディアンに連発
後日、新任の隊長として、記者会見に臨んだヨーク大尉が言う「我
(編集子)ダコタ州ブラックヒルズで金鉱が発見されたのは1874年であるが、このあたりは先住民族との間の協定で彼らの居住区となっていた。貪欲な資本家に押された政府は協定を無視したため、この地域に白
人の山師たちが集中して、金鉱発掘ブームとなる。これに激怒した先住民側は部族を超えて団結,強力な抵抗運動を始める。1876年、カスター将軍は周囲の反対にもかかわらず自分の率いる第七騎兵隊のみで地域に進攻し、圧倒的な兵力差の下で全滅した。これを映画化したのが小泉解説にある 壮烈第七騎兵隊でカスターを当時人気の高かった
エロール・フリンが演じた。添え物の女優役はやはり絶頂期にあったオリヴィア・デ・ハヴィランド。この戦闘がきっかけとなって、小康状態にあった西部地域が先住民族との激闘に巻き込まれる。名高い酋長にジェロニモという男がいて白人たちの恐怖の的になった。”駅馬車” のトップシーンは電信線を破壊されて重要な情報が届かなくなる場面から始まるが、電信手が最後に受信した単語が ジェロニモ! だということでその場に恐怖が走ったのをお気づきだったろうか。ただ、こういう史実を知ってみると、こういう国に、ウイグル人問題などで正義を振りかざす資格なんてあるんだろうか(だから習近平が正しいというのではもちろんないが)と思ってしまう。所詮、歴史は勝者だけのものなだろうが。
さて、いよいよジョン・フォード騎兵隊三部作、の登場である。アパッチ砦で若き大尉だったウエインは リオグランデの砦 では妻(モーリーン・オハラ)と別居を余儀なくされた中年の役を演じる。結局元の鞘に収まるきっかけは一兵士となってウエイン部隊に配属された息子(クロード・ジャーマン・ジュニア)の
活躍になるのだが、この息子の後ろ盾となるのが同じ兵士仲間の ベン・ジョンソン、ハリー・ケリー・ジュニア。彼らの指導役の軍曹になったヴィクター・マクラグレン、グラント・ウイザース、チル・ウイルス、キャロル・ナイシュ、ワード・ボンド、ペドロ・アルメンダリス、などを加えた面々がいわゆる フォード一家、と呼ばれた人々である。ハリー・ケリーの父親はフォードと同時代に名プロデューサー兼俳優として尊敬されていた人で(赤い河 では締めくくりに登場してクリフトから牛を買い付ける紳士を演じている)、フォードは彼に対する敬意もあってジュニアをよく登場させた。三部作最後の 黄色いリボン はすでに老齢に達したウエインが引退を前にして若い士官たちを助けて、夕陽の中を去る。ただ、最後の最後に大統領令で彼はもう一度、”スカウト” として隊へ呼び返される。
この通知を持ってカリフォルニアへと落ちていくウエインを呼び戻すのが、小生のお気に入り、ベン・ジョンソンである。三部作のうちで最も好ましいこの作品、機会があればお見過ごしなきよう、おススメしておく次第。なお面白いことにウエインの演ずる大尉が前2作ではヨーク、なのに黄色いリボンではブリトルズと名前が変わっている。なぜだか、わからないが。
三部作、のほかにフォード一家の登場する映画は数々あるが、三人の名付け親 という名画は、話の筋から言ってあまり多くの人物が登場せず、ウエイン、アルメンダリス、ケリージュニアにワード・ボンド、この4人だけのつまりフォード一家の映画といってもいいものだ。この連中のほか、女優でよく出てきたのがミルドレッド・ナトウイック。大物ではジェイムズ・スチュアートとリー・マーヴィンもフォードのお気に入りだったらしいが(この二人が主演したのが リバティバランスを射った男 である)、一説によるとウエインとマーヴィンは犬猿の仲だった、という裏話もある。
時々話題になる、作家というか、くせものリポータ広瀬隆に ジョン・ウエインはなぜ死んだか という一冊があり、彼の言うところによればウエインの死因となった癌に感染したのは、彼が数多くの西部劇映画撮影の場所としたネヴァダ州の砂漠地域が、実は同州で数多く行われた原爆実験の場所だったからだ、という。この本によれば 三人の名付け親 で共演したペドロ・アルメンダリスも癌の宣告に絶望して自殺したのだというのだ。この作品で、砂漠の放浪の果て、アルメンダリスはこれ以上歩けなくなった、と知り、コヨーテに食われるよりは、と言って、ウエインが背を向けたときに自殺してしまう。なんだか不気味な話ではないか。
も一つ、関係ない話だと思うが、僕らの高校時代に華やかだった歌手、ドリス・デイに、日本語の題名はわすれたが Take me back to the Black HIlls という曲があった。歌詞に ……Black HIlls of Dakota という一節があるので、同じ場所のことだと思うのだが、映画でも活躍した金髪の、誠にこれぞアメリカンガール、と感じさせた風貌はまだ瞼に鮮やかである。もっと無関係なことでいえば、Secret Love なんてのもあったなあ。も一つ余談だが、昨晩の夕刊にニューミュージック170曲、というCDの広告があった。数えてみたがちょうど1割17曲しか知らなかった。歌は世につれ、だろうな。