11月4日付本稿(”近頃気に入らないこと”)の、”安田論の最後の3行には異論を称える” に対する返答投稿です。
”理想の政治なんてものは存在しなかったし、
僕の意味するのは、戦後の占領期以来の日米間の密約の存在が、
何年か前に沖縄で米軍ヘリコプターが日本の学校に墜落した事故が
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
11月4日付本稿(”近頃気に入らないこと”)の、”安田論の最後の3行には異論を称える” に対する返答投稿です。
”理想の政治なんてものは存在しなかったし、
何年か前に沖縄で米軍ヘリコプターが日本の学校に墜落した事故が
ここのところ、野球についての論戦が続いています。中でも野球場そのものについての議論もあるようなので調べてみたことをまとめてみました。
アメリカのメジャーリーグ(MLB)の球場が多様で、
1. 歴史的背景と球場の設計自由度
MLBの球場は非常に古いものが多く、
一方、日本の球場は、
2. アメリカ文化における多様性の受容
アメリカ社会は、ルールの厳格な適用を重視する一方で、
これに対して日本では、競技そのものの公平性を重んじ、
3. 記録の公正性に対する考え方
確かに、MLBの球場の多様性は、
一方、日本ではどの球場でも同じ条件下でプレーすることで、
4. 結論
アメリカの球場の多様性は、その地域や歴史、
中東、これはMiddle East(ME)のことですが、 MEとは、英国から見たら、と言うことで、大英帝国時代の古めかしい産物です。正確には、西アジアと言うべきではないでしょうか。と、小生、鼻からいきがっております。
そこで、イスラエルとパレスチナのハマス、レバノンのヒズボラとの戦闘では、多数の民間人の犠牲が出ています(その中には民間人になりすましたハマスもいるのでしょう)。それに対し、米国は、まやかしの人道主義と言う観点から、バイデン大統領以下、民間人の犠牲を憂え、イスラエルに警告をしております。
しかし、今から80年ほど前を思い出してください。米国はハワイの真珠湾でノンビリしていた米国の太平洋艦隊に、日本が攻撃しました。しかし、その攻撃はあくまでも軍艦と兵隊に対してであり、ホノルルの民間人を攻撃したものではありません。ところが、米国は日本に対し何をやったか。日本に対する無差別の空襲であり、最後は広島、長崎に対する原爆投下です。これらの空襲、原爆投下で、一体、何人の民間人が犠牲になったでしょう。
これは、明らかに、二重基準、英語で言う、忌むべきDouble Standardです。米国がいくら、例えば停戦を仲介したところで、イスラエルは勿論、ハマスだって聞く耳は持たないと思います。こう言うところが、米国の、そして、西洋の鼻持ちならないところです。要するに、自分がやったことは許せるが、他人がやったら許せない。なんとまー、身勝手なことでしょう。
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真珠湾攻撃は、日本時間1941年12月8日未明、第二次世界大戦において大日本帝国海軍が、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った、航空母艦艦載機および特殊潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称は、布哇比海戦、布哇比作戦と言う。
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(船津)御卓見異存ありません。
ハリスになると暴動どころか戦争ですかね。今世界は分断社会にな
(安田)イスラエルは、
アメリカのdouble standardですが、菅原さんのご慧眼ご尤もです。
トランプは、現民主党政権(ハリス大統領候補含む)
ハワード・ホークス監督ジョン・ウエイン主演の西部劇三部作のう
開巻するとタイトルと共に流れるのは、油絵による西部特有の広大
大筋としては、水源の権利を持つ牧場主ケビン・マクドナルド(R
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〈スペイン語〉エルドラド、エル・ドラド、黄金郷 ◆16世紀に宝を求めて探険家 たちが探し回った南アメリカの伝説の地。 el=the、dorado=golden。 〔一般に〕黄金郷 ◆莫大な富またはチャンスを与えてくれる地。
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(編集子)ドク・コイズミ解説に多少補足をさせてもらう。ウエインの老年期に作られた西部劇はこのホークス監督三部作のほか、歴史的事実に立脚した チザム (ヴィクター・マクラグレン監督)とやはり実在したとされる人物にまつわ
る話としてつくられた エルダー兄弟 (ヘンリー・ハサウエイ監督)の2本は、本作について小泉さんが解説しておられる向きとは違って、いわば正統的なつくりの作品である。特にチザムは史実として名高いリンカーン・ウオーを題材にしたもので、この騒動の結果、無法者に転じてしまった若者、有名なビリー・ザ・キッドの青春物語でもあり、小生の好きな作品である。ジョン・チザムはテキサスの牛をカンサスへ運んで財を成した人物だが、有名なチザム・トレイルの開発者でもあり、赤い河 でウエインとモンゴメリ・クリフトがたどった道がそれであるらしい。
この チザム では、今回の エルドラド で敵役だったクリストファ・ジョージが保安官での敵役、として登場するが、エルドラドでは憎めない役つくりだったが、徹底した冷血漢として描かれているのが面白い。テレビ映画全盛のころ、シリーズものでよく見た ラットパトロールの主演だったことも懐かしい。
エルドラドでミシシッピを演じたのはジェイムズ・カーン、また小泉さんは触れておられないがウエインの恋人役モーディを演じたのはシヤ‐リー・ホルト。小生の好みのタイプなんだな、これが。
それと最後にジェイソンを射殺するジョーイはマクドナルドの娘で、話の冒頭、誤ってウエインを撃ってしまい、ウエインはそれが原因で時々激痛に悩まされる、という筋になっていて、これがストーリーの中でキーになる、という筋書きになっている。
******************************* リンカーン郡戦争(Lincoln County War)は、1870年代後半のアメリカ西部の辺境で起きた事件のこと。当時のニューメキシコ準州のリンカーン郡で発生した、二つの派閥の間の一連の紛争事件を指す。この「戦争(War)」は、裕福な牧場主が率いる派閥と、独占的な雑貨店の経営者が率いる派閥との間で起こった。牧場主側の派閥には、ヘンリー・マカーティことビリー・ザ・キッドがいたことで有名な事件である。
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10月末、秋の鵠沼は暖かだ。
マンションの小さな庭でペンキ塗り作業に一日を過ごした。来年2月初冬に開催する「ラベンダー祭り」の支度のためだ。
ペンキの色合いは、灰色と黒、そして僅かな白とブルーの配色にこだわった。
爽やかなラベンダーの紫の色に合わせた。舞台は整った。友人から頂戴したカリフォルニア・ナパの赤ワイン「Joseph Carr」を開けた。カベルネソーヴィニヨン2019年と記されていた。実にまろやかで美味い。ワインの香りが口に広がる。レースラベンダーの香りと調和した。
まだ紫の蕾は小さく可愛らしいが、後2カ月もすれぱうっそうと茂るだろう。もう一杯だけで「Joseph Carr」は我慢しておこう。
猛暑だったこの夏がやっと峠を越えた10月23日、楽しみにしていたKWV三田会主催の「秋の日帰りワンデルング」が、残念ながら、悪天予報で中止となってしまった。
読書だ、食欲だ、スポーツだと何やかんやの秋、天気がなかなか安定しない今日この頃、身体を満足に動かせないムズムズ・ウズウズ状態が続いていた。唯一の楽しみは海の向こうでの大谷・ドジャーズとジャッジ・ヤンキース対決だった(ジャイアンツが出れなかった日本シリーズは論外!)。そんな中継の合間、NHK昼の天気予報で10月31日(木)は全国的に好天、その後の連休はまた雨との予報。早速、WEBで高尾山の天気予報を検索したら、正にピンポイントでの登山日和。思い立ったら吉日、番外編「月いち高尾」の誘いをメンバーにかけたところ、中司ジャイさん(S36)、堀川さん(S39)、吉田ズンロクさん(S44)、村上さん(S46)が京王・高尾山口に集結。ジャイさん・堀川さんはケーブルで山頂へ、若手!3人は稲荷山コースで。山頂からは霊峰富士を拝めた。恵まれた好天下、紅葉には未だ早いものの、山頂は、遠足の学童、諸々の言語が飛び交うインバウンドの観光客で賑わっていた。昼食を薬王院大本坊の精進料理(蕎麦)をとのグッドな提案があり、覗いたところ、予約のみとの事で止む無く下山。ケーブルの清滝駅近くの蕎麦屋に入った直後、「月いち高尾」一般コースの下見で「日連アルプス縦走コース」を単独行していた斎藤世話人(S51)から、「天狗」で飲んでいるとの一報が入り、早々に切り上げ、合流。
「月いち高尾」の歴代世話人代表が、たまたま、揃った事もあり、来春の実施が予想される第100回記念「月いち高尾」の企画案を肴に懇親。秋晴れの下、運動・食欲の秋を満喫した一日でした。
昨日、”月いち高尾” の番外編、ということで企画された散策行に参加してきた。ここのところ、人様並みに足元が怪しくなってきているので、安全第一のゆっくり旅だったが、付き合ってくれた堀川君と会話を楽しみながら7月の上高地以来久しぶりの快感を味わってきた。この企画の主目的であった、紅葉は酷暑の影響と予測はしていたもののまったく見当たらなかったが恒例の二次会も小人数ながら楽しい時間だった。
この日は10月31日だった。
小生が38年間のサラリーマン生活にピリオドを打ったのが1999年のこの日だから、ちょうど25年経過した。25年、といえば四半世紀である。”四半世紀” と言ってみると改めて一種の感慨が沸く。歴史を紐解けば一国の運命が定まってしまうに十分な時間である。親しい友人の中には自身の健康はもとより、家族の問題とか経済事情とか、不運に遭遇した仲間も数多いなかで、自分はこの時間、意義ある過ごし方をしてきただろうか。
25年前の11月1日、自分がどんな気持ちで朝を迎えたのだったかという記憶もすでにない。その後数年間は、当時はまだ少数派だった ”外資系会社勤務” で得たものを意義あるものにしたいと、同期で同じことを考えていた後藤三郎と本を出版したり、某米国企業の日本での事業開発の支援にたずさわったり、会社時代の友人がはじめた介護事業をてつだったり、そのためには自分の英語力をもっと確かなものにしようと改めてスクーリングを受けててみたり、いろんなことをやった。その結果がどうなったか、自分で評価する立場にはないし、そういう意味ではもう一つ、物足りなさを感じるのだが、ただ確実にいえることは ”企業人生活” というものを去った後の時間に、よき友を持った、ということのありがたさが改めて感じられたことだった。KWVの仲間や、学生時代にさかのぼる友人たち、”Most admired company” ヒューレット・パッカードの隆盛時代にいあわせたことで得た友情、そういうものがあったからこそ、この ”四半世紀” があった。そんなことをかみしめた日でもあった気がする。
次回の ”月いち” はどんな日になるだろうか。
パキスタン北西部で栄えたガンダーラの仏教遺跡を巡る旅だった。ペシャワルから北方にカイバー峠を眺めた。あの峠を越えればアフガニスタンに入国できる。そこには憧れのバーミアンの大仏遺跡がある。
バーミヤン渓谷には多くの石窟があり、バクトリア様式の貴重な仏教美術を見ることが出来るだろう。その周辺に住むハザラ人は風貌が日本人とよく似ている。コーカサス系パシュトゥン人と違うモンゴロイド系の顔なのだ。是非とも会ってみたい。失われたジンギスカンの落ち武者の子孫ではないか・・・。
あの頃のアフガニスタンは1989年のソビエット軍の完全撤退後で内戦状態なので入国できなかった。
2021年8月末にアメリカ軍は完全撤退した。まるでサイゴンの陥落のような惨めな脱出劇だった。歴史を振り返ると、1989年にソビエット軍は完全撤退している。さらに1919年にはイギリス軍も完全撤退している。
これをタリバンは「ジハード」(聖戦)による勝利と称している。アフガニスタン人の不屈の独立心は粘り強い。タリバンがどの様に政権を維持していくのか、女性の地位や人権問題などで非常に危惧されるが、それはアフガン人自身で解決する歴史的問題といえるだろう。ただ哀れな難民だけは世界中で速やかに優しく受け入れていこう。
イスラム世界で西欧化を試みた国々はトルコ以外、例えばイラン、シリアそしてアフガニスタンなどで大失敗した。私の友人達は西欧化イスラム国から逃げ出した難民ばかりである。
ガンダーラは仏教徒の平和郷
イスラム以前のアフガニスタンはガンダーラの中心地として栄え た仏教徒の平和郷だった。
サクラメントには多くのイラン人も住んでいるが、彼らはパーレビ国王時代のペルシャ難民の子孫である。狂信的なシーア派の現在のイラン人とは異なる。全米にはシリア出身の人々も活躍している。多くはキリスト教徒(マロン派)やアラウィ教徒もいる。彼らは「ジハード」とは無縁で平和な民なのだ。 サクラメントは世界中の難民を大切にしてくれる進歩的な町である。カリフォルニア大学デービス校でSEとして勤務するペルシャ人の友人「ジャヒーン」、女性事務の「リラ」はシリア出身だった。「リラ」は母国シリアのパルミラ遺跡を誇らしげに語ってくれた。1993年に私がシリアを訪れた時の記録。(写真右 バーミアンの大仏立像 タリバンに破壊される以前)
英雄サラディンの慈愛心
アメリカ合衆国は難民大国でもある。これまでベトナム難民を多数受け入れてきた。今では祖国に帰りベトナム経済の立役者になっている。アフガン難民も多数受け入れて彼らの生活を支援していくだろう。やがて帰還してアフガニスタンの発展に尽力することを祈りたい。イスラム世界の人々よ願わくば、13世紀の英雄「サラディン」のような多様性と異教徒との共存を尊ぶ寛大な心を抱いてほしい。
全日本クラッシックカメラ撮影会は福島方面に。先ず南会津の塔の
宿は只見川沿いに在る柳津温泉内田屋宿泊。福満虚空菩薩・圓藏寺
野球はスポーツの一つである。
スポーツ(sport)の語源は、ラテン語の「
このたかが遊びの「Baseball」
福澤先生が、塾体育会発足の翌年である明治26(1893)
教育は知識だけでなく運動による身体の発達も大切であり、
個人的な曲解かもしれませんが、この「体育の目的を忘るゝ勿れ」
(編集子)そういえば現役時代、いろんな機会に繰り返されたのが ”ワンダーフォーゲルとはなにか?” ”山岳部とどう違うの?” という議論だった。僕らは吉田晴彦先輩が説かれた、ドイツでの Wandervogel (ウムラウトがないが)という思想が根底に抜きがたくあった。現実的にワンデルングがマウンテンクライミングになっているという現実とか、山登り、という技術論を離れて、純粋に、いわば正統的というか吉田流というか、そういう活動をしたい、と入ってくる新入部員も多くいて、そういう下級生をどう扱うのか、などといった議論もあった。
翻って現在の現役の活動を見ていると、どうも我々が悩んだ本質論は全くなくなってしまって、単純に Because it is there, というか、自分たちの山登り、それでいいのだ、と割り切っているように見える。そうなってくると、ワンダーフォーゲル、という部名自体が単なる屋号に過ぎなくなってくる。
目的を忘るる勿れ、と enjoy KWV というのはそれでもどこかでつながり得るのだろうか?