上野東照宮の花    (普通部OB 船津於菟彦)

毎年、この時期になると上野東照宮の冬牡丹を撮影に伺っております。つづれ織りのように回遊式に配置された小さな庭園ですが、カメラにレンズを多数持参し、ワンゲルジィサンのように苑内を三回も往復いたしました。大変疲れました。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉は、美人を形容する言葉として知られていますが、元々は生薬の用い方をたとえたものです。漢方薬は数種類の生薬を混合し煎じたものであり、それぞれの生薬は特有の薬効を有しており、症状に応じて適したものを用います。「春の牡丹」苑には芍薬も並びますが、冬は牡丹のみです。

• 「立てば芍薬」は、イライラして気が立っているときに芍薬がよく効くこと。
• 「座れば牡丹」は、血の巡りが悪く、動きが鈍くなったときに牡丹皮(牡丹の根の皮)が有効であること。
• 「歩く姿は百合の花」は、心身のバランスを崩してふらつく状態(心身症)を表していると言われています。

牡丹と芍薬の違いは分かりにくいですが、どちらも花言葉は恥じらい、はにかみ、慎ましさなど、王者の風格、富貴、恥じらいなどと同じです。春に咲くのが芍薬です。花は殆ど似ていますが葉っぱで見分けます。
いずれにしても王者の風格を漂わせていますが、薔薇のように華やかに咲き誇るのではなく、菰の陰に控えめに佇む姿に、どこか「恥じらい」を感じさせます。冬牡丹は、この菰被りが何とも言えない風情を醸し出しています。

寛永寺の五重塔は、蝋梅や三つ叉と共に風情を高めています。寛永寺は、寛永二年(1625年)に慈眼大師天海大僧正によって創建されました。徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正は、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立しました。寛永寺の境内地は、最盛期には現在の上野公園を中心に約三十万五千坪に及び、さらにその他に大名並みの約一万二千石の寺領を有していました。現在は五重塔が動物園の中にあります。戊辰戦争で焼失を免れた清水観音堂、輪王寺門跡御本坊表門、徳川将軍霊廟勅額門などが重要文化財に指定され、往時の雰囲気をしのぶことができます。上野東照宮は家康を奉る神社で、現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したものです。慶応2年(1866年)に回廊が焼失する火災に遭ったものの、上野戦争や関東大震災、第二次世界大戦でも奇跡的に焼失を免れています。上野戦争では旧幕府軍の本陣が上野東照宮境内に置かれたにもかかわらず、焼き討ちや打ち壊しに遭うことなく、関東大震災では鳥居すら倒れず、東京大空襲では焼夷弾を社殿脇に被るものの不発弾であったために倒壊を免れています。そのため、強運の神様として、また家康を祭神としていることから、出世、勝利、健康長寿の神様として信仰されています。その手前に雨のが牡丹苑があります。

人老いて幼なに還る寒牡丹 福田蓼汀
冬牡丹きりきり生きることの愚よ 鈴木真砂女
君がために冬牡丹かく祝哉 正岡子規
囲はれておのれを尽す寒牡丹 佐藤信子
天地の色なほありて寒牡丹 高浜虚子
寒牡丹白光たぐひなかりけり 水原秋櫻子
晴るる日も影をくづさず寒牡丹 鷲谷七菜子