紫陽花の季節ですね    (34 小泉幾多郎)

先日のエーガ愛好会昼食会以来、家に閉じこもっておりましたが、ふらつきが若干沈静化した様子もあり、昨日恐る恐る近くを久しぶりに散策。直ぐ近くの北大豆戸公園に紫陽花が咲いていましたので、久方ぶりにシャッターをパチリ

(例によってグーグル知識)

あじさいは漢字で「紫陽花」と書きます。「紫陽花」と書いて「あじさい」と読むのは、中国語表記を和名に当てた日本語独自の当て字です。「あじさい」全体に対して「紫陽花」が当てられているので、紫(あ)陽(じ)花(さい)のような漢字単独でバラバラな読み方はしません。中国語表記を和名に当てた漢字は他にも「蒲公英(たんぽぽ)」「向日葵(ひまわり)」などがあります。

紫陽花は、別名「八仙花(はっせんか)」とも呼ばれる為、八仙花と書いてあじさいと読ませる事もあります。「七変化」「四片」「八仙花」など、さまざまな数があります。 そして「手毬花」のように、花姿を毬に見立てた美しい別名もあります。女性的な雰囲気になり、思わず使ってみたくなる名前です。

紫・青のアジサイの花言葉は「冷淡」「無情」「浮気」「知的」「神秘的」「辛抱強い愛」です。 紫は神秘的な色であることから、「知的」や「神秘的」といった花言葉があります。 「辛抱強い愛」は、江戸時代にドイツ人の医者、シーボルトが愛した日本人女性「お滝さん」がモチーフとされています。

(編集子)センパイ、この次は向日葵それとも蒲公英はたまた鬱金香に針槐?なんせ日本語は難しい(この項は広辞苑参照)。

日本での英語教育について (2)

英語教育はどうあるべきか、という投げかけに対しては何人からご意見を頂戴している。また数日前には読売新聞に関連した記事が出た。非常に幅の広い話題なので、いろんな視点があるのは当然なのだが、小生にはどうしても賛同できない点がくり返し現われる。それは 我が国の英語の普及率がほかの国より低いから英語教育に力を入れなければならぬ、という論説である。

物理的に他国と国境を接する欧州では、母国語以外の言語に接する機会は日常事であり、万能的な言語に対する要求度はわが国の様な島国とは比較にならないくらい高いだろう。その初めての試みだったエスペラントは普及せず、第二次大戦後英語が事実上の共通語になったとき、英語に対する障壁は非常に低かったはずだし、特にドイツ語は言語の構造自体、親和性が高い。大英帝国の属領だったアジアアフリカの諸国では、英語が半公用語化しているわけだから、その普及率は鎖国時代が長かった我が国よりはるかに高くて当然だろう。そういう歴史的背景を無視してまでこの普及率の高い低いを議論することに意味があるのだろうか。

その普及度合いというものがどうやって測定されるのか、具体的な方法は知らないが、かりに ”英語を理解できる人間の数を総人口で割った百分値“ と仮定してみよう。

そうするとまず ”英語を理解できる人間” の定義が必要であろう。この”英語の理解“ というのが英語を読むこと、に限定してしまえば、我が国の大学卒業者はともかく10年間は何らかの形で英語に接しているわけだから、程度の差はあろうが、ある程度のレベルは想定できる。しかし問題にする ”日本人の英語能力“ とは、これにとどまらず、今回の話題の提供者である下村君の問題意識から言えば、国際社会において、現実的に世界語である英語を駆使してほかの国々と対等に議論し交渉し成果を上げられる能力、すなわち会話力(小生はこれにプラスアルファが必要、という論者だが)であろうと考える。そしてこの”会話力“ の内容として小生は下記のレベルわけには説得力があると思っている。

 

  1. Survival Level

きわめて基礎的な、タイトルの暗示するように “なんとか生きていくのに必要な”会話能力。My name is Taro とか Where is the toilet ? などのレベル。

2.Tourist Level

パッケージツアーで出かけた先で、たとえばレストランで注文ができ、ショッピングも必要な範囲で可能。

3.Business level I

企業で働く人ならば、自分が担当する業務について、必要な情報交換とか、必要な要請ができ或いは先方の要求を理解できる。この分野では、図面や配線図など世界で通用するツールがある技術者のほうに利があるだろう。

4.Business level II

自分の専門分野だけでなく、企業人ならば会社全体を代表する立場での交渉や外部でのプレゼンテーションなどができ、現場で質疑応答にほぼ完全な対応ができる。

5.Social Level

特定の話題に限らず、その国固有の文化・歴史などに基礎的な知識をもち、一般の社会生活場面に問題なく対応できる会話能力を持つ。

6.Bilingual

日本語と全く同じレベルで会話・思考・行動ができる。

この分類を前提にすると、下村君が提起したグローバリゼーション時代に日本人が持つべき英語力とはどのレベル言うのだろうか。その時の “日本人” とはどのような人達を指すのだろうか。日本の英語教育はどうあるべきか、という議論はこの二つの面を確定してからの話であり、単にほかの国より水準(それ自身定義が明確でない)がどうだからといった議論は、そのどこかに(英語をわかることが教養の有無をあらわす)というような、なにかといえば横文字のいうことをありがたがる文部省の役人的発想があるのではないか。

自分の能力を自分で測定する、という事に意味があるかどうかわからないが、議論の参考として挙げると、小生は自己の能力はBnusiness Level II だと思っている。在職中に交際の範囲を広げ、渡米の機会があるたびにいろいろなシーンを積極的に摂取しようと努力はしたし、仕事で英語に触れる機会が無くなってからは会話學校には結構真面目に通ったほかに、語彙や会話のニュアンスをとにかくめったやたらに読むことで増やそうとポケットブックの乱読を継続してはいるが、Social Level への到達は道遠し、という感覚である。

この論議のプロセスとして、次にどういう範囲の日本人がどのレベルの能力を必要とするのか、という過程を議論するのが順序であろう。すでに安田君などからはこの点についての指摘もあったが、改めて意見を聞きたいと思う。小生の場合、アメリカ企業が日本に作った環境での話だが、5000人規模、製造工場と日本全土(輸出については全世界市場)を顧客とした、いわば製造業としては典型的な企業において、日常の業務にあっては、英語での会話(当時すでにHP全世界の事業所で担当者同士内線電話で話し合える、国内ではまず実現していなかった、最先端のインフラがあった)が珍しくない環境にあっても、英語会話のレベルは特殊例を除けば、Business Level I くらいで問題なく機能していた。発足当時は通訳を常駐させてマネジメントレベルでの活用を図ったこともあったが、一年ほど経過したのち、当時の社長の、”エーゴができるのが目的じゃあねえんだ、コトバが通じなきゃ手でも足でも使え!“ という一言でいわゆる通訳という職種はいなくなった。エーゴができるんじゃなく仕事ができることが問題なんだ、という意識が全社的に確立された。管理者レベルでは、家族の都合で米国暮らしだったが日本で大学を卒業し兵役まで務めた二重国籍を持つた男がひとりのほか、外語大で英語専攻の、横河電機時代は殆ど米国駐在だったというSocial Level/Dual Language レベルが二人いただけだった。小生は当時、この二人のレベルは不可能だが、もう少し、高度の話ができる(本稿の用語でいえばつまり Business Level II ) にはなりたいもんだと思っていた。このあたりで起きたことは次稿で参考までに書かせていただく。

他方、いくつかの(先進、ということを売り物にしている)日本の有名企業で、グローバリゼーションを果たすために、という社長の一言で役員会の公用語を英語にした、という話がいくつかあった。小生、断言するがここの役員たちは会議の後、そっと、(それで、あれってどうだっけ?)という会話を交わしていると思う。形だけにこだわってみたところで会社が “国際化” するわけではないのだ、というのが今回の結びである。

エーガ愛好会 (220) たくましき男たち  (34 小泉幾多郎)

西部劇の巨匠ラオール・ウオルシュ監督が、クラーク・ゲーブル、ジェーン・ラッセルを主演に、ロバート・ライアンとキャメロン・ミッチェルを加え、南北戦争後失業し無法者となった男たちが、牛5000頭に馬の大群も加え、テキサスからモンタナへ移動させる物語。撮影は、メキシコのシェラ・デ・オルガノス国立公園でロケしたというが、その雄大な景観と牛馬の大群の移動は、西部劇の本道を歩み見応えあった。

クラーク・ゲーブルが兄(ベン・アリソン)、キャメロン・ミッチェルが弟(クリント・アリソン)を演じ、雪の山岳地帯を歩み、モンタナの街ミネラルへ近ずく。街では、銀行から大金を引き出したロバート・ライアン(ネイサン・スターク)を襲い強奪するが、ライアンからこの金を元手に、テキサスで安い牛を買い込み、モンタナへ移動すれば、ボロ儲けになると説得されたことから、牛馬の大移動へ。街で出会ったジェーン・ラッセル扮するネラ・ターナーに対してのゲーブルとライアンの恋の鞘当て、弟ミッチェルとライアンの確執を背景に、エーガは進捗する。この兄弟仲良く二人で空き缶を空中に飛ばし、交互に撃ち合い落さないという曲芸を見せたりする。

これは伝説になった?ジェーンのお色気は、風呂の入浴シーンや川での入浴中、ミッチェルが衣服を放り投げ、出るに出られない場面に、ゲーブルが葉の茂った枝を切り落とし、投げ入れ、それで上がって来いと入れ知恵。残念乍ら上がるシーンなし。 牧師のお祈りから、牛馬の大移動が始まる。最初の事件は、5~60人の無頼漢たちから州境を渡るなら、税の取り立て宜しく一頭1ドルとして、5000ドル払えと難題を。撃ち合いになるも、ゲーブルの統率により、悪漢を撃ち払う。川を渡渉するのも大仕事、ジェーンが川の中へ落ち込んだりしたが無事乗り切る。岩稜地帯では幌馬車を綱で引き揚げながらの移動等々。騎兵隊駐屯地へ着くとこの先はスー族の危険地域として突破は危険視され、弟ミッチェルがスー族に殺されたりしたが、強行突破


スー族の攻撃の中、牛馬の大群の爆走、迫力はすさまじい。無事到着、ジェーンが、画面上2度ほど唄ったケン・ダービー作詞作曲の主題歌を唄う。「私の愛するたくましい人、小さい男じゃない。私の彼は男の中の男、私の大切なたった一人の男。少年なら誰でも憧れ、老人が夢見る男」メロディ―は聞いたような曲だが。ジェーンがブーツを脱がせてと頼み終演。このブーツと毛布が、二人のシーンを彩った当時の官能描写の濡れ場だった。

(船津)「たくましき男たち The Tall Men 1955」を拝見、小泉さんの講評通りだと思いますが、これセイブ劇かなぁ。たしかにあの沢山牛・馬よく揃えて疾走して、着飾ったお決まりのように登場。
しかし、主題はいい男クラーク・ゲーブルといい女ジェーン・ラッセルの絡み合いかなぁ。弟の存在が彩りなのかも知れないが今一良くその存在が分からなかった居てもも居なくても物語は変わんないのではと思いましたね。
ナンテッテ良いおとこ、髭のクラーク・ゲーブルの映画ですね。何処かの名社長の様な統率力はITorAIのCEOみたいですね。凄い。魅力は何処からかなぁ。兎に角娯楽としてみていると面白い。

(飯田)小泉さんの論評通り、この映画は西部劇として1級品だとおもいます。
確か若い頃に劇場公開時に観た時には、日本語タイトルの「たくましき男たち」という意味が原題のThe tall Menから来るタイトルとして、男たち全部を指しているのかとか話題になっていたような気がします。

クラーク・ケーブルは勿論たくましいですが、弟役のキャメロン・ミッチェルは途中で目が眩んで短気を起こして、ロバート・ライアンに銃を向けてから改心して兄を立て、結局スー族の餌食になるのでたくましい。
ロバート・ライアンは打算的な考えで集団に居るが、最後はクラーク・ケーブルを縛り首にしようとするが、それを反省するたくましさ。と無理やり理解すると、何故かこの映画が見せ場の多い、西部劇の王道を行く作品だと思います。

5000頭の牛の大群の渡河シーンや大群の疾走スタンピード・シーン、スー族との銃撃戦やジェーン・ラッセルの歌と音楽担当のヴィクター・ヤングの常時流れるバック・ミュージックの心地よさは、さすが「シェーン」の主題曲や「大砂塵」のジャニー・ギターの作曲家の曲であると納得がいきました。

(編集子)スタンピードの場面はたしかだった。”赤い河” にも匹敵する出来栄えだったな。ストーリーは予想通りに落ち着くのだが、小生どうも ”キング” ゲーブルはあまり好みではない。風と共に去りぬ ではラストシーンの後ろ姿岳がかっこよかったのと、”深く静かに潜航せよ”の古傷を持つ艦長の役は心に心に残っているんだが。

一冊の本-私の場合  朝井まかて 「眩」   (HPOB 金藤泰子)

「富嶽三十六景」などで知られる浮世絵師 葛飾北斎の娘の葛飾応為が主人公。 当時は珍しい女絵師としての生き方が創作を交えて書かれています
北斎の筆とされる絵の中には部分的に応為や北斎の弟子の筆が入っている事、応為が絵の構図や色遣いを試行錯誤する様子、当時の絵の具と色 筆 下地の作り方が書かれているのは、興味深いところでした。 ベロ藍や日本の伝統色の名が出て来るのも良いです。
北斎はもちろんのこと応為や絵に関する事をよく調べたものと感心します。
応為は20歳の頃に嫁ぎますが、離縁して実家へ戻ると北斎が息を引き取るまで父親の画業を助けています。 江戸調の語り口でテンポ良く話が進んでいき、また、各章の題の付け方が良いですね。
応為の肉筆画とされる第十章三曲合奏図」(本図の制作年代は、ひとまず弘化から嘉永年間に掛けた時期(1844~1856)と推定しておきたい。』久保田一洋氏の指摘) は、元兄弟子 善二郎の三人の妹と結びつけて書かれている創作だと思いますが、読んだ文章から自分の頭の中で絵を想像し、それからネットにある絵と見比べると、絵師応為が ”見る者に音を感じて欲しい“ と描いた絵の中の三人の娘の身体の傾げ具合、手や指先に至るまで細やかな描き方は、想像したよりはるかに動きに現実味が感じられましたが、ほぼ想像通りの構図 色遣いで、 著者の細やかで的確な描写力に感心します。
 (個人的な好みとしては・・・応為が描いた着物の縞柄は描き込み具合が強く思え、私はもう少し柔らかな感じが好きです)
その他の章の絵図の記述につきましても読むと、実際の絵を見て確かめたくなりす。著者の朝井まかてさんは言葉で絵を描いていたようにも思えました
北斎が富嶽三十六景を手掛けた経緯、天保の改革時の悲惨さ、(本日5/27 飯田さん 船津さんがメールに書かれていますが)北斎が招きをうけて小布施の豪商の高井鴻山のところへ出かけて行き、お寺の天井の鳳凰図は親父どのの指図を受けて手伝ったという話も出てきて興味は尽きません。 (この鳳凰図は私も見た事がありますが、本当に応為の手が入っていたのでしょうか?)
北斎が亡くなった後、応為は商家や武家の娘さん達に女家庭教師として絵も教えていたようです。 己の絵の才能に歯がゆさを覚えながらも常に邁進あるのみ、己なりに光と影を見出していきます。
最終章が葛飾応為を江戸のレンブラントと呼ばしめる「吉原格子先之図」です。
応為の生き方を辿ると共に応為の描いた作品を知り、著者の綴る文章をいつもと違う感触で楽しめた1冊でした。
 今年の11月に太田記念美術館にて、葛飾応為 「吉原格子先之図」展覧会が催されるようです。

(菅原)流石、読み上手書き上手の金藤さん。見事なもんですね。

悪乗りすれば、澤田 瞳子の「星落ちて、なお」。これは、画家、河鍋暁斎(キョウサイ)の娘、河鍋暁翠(キョウスイ)の話しです。まー、暇になったら読んでみてください。

なお、昨日の日経に載っていた「台湾漫遊鉄道のふたり」なかなか面白そう(作家は台湾の楊双子)。早速、図書館に予約しました。本来、おとこおんなは関係ないんでしょうが、 女流作家、なかなかヤリマスネ!

エーガ愛好会 (219)  弾丸を噛め  (34 小泉幾多郎)

表題の「弾丸を噛め」は、弾丸を加工した被せものを虫歯の治療に使うことから、どのような困難が立ち塞がっても、弾丸を噛むように、歯を食い縛れということで、このエーガの中に男の友情、若者の成長、女性の勇ましさなど過酷な耐久レースの中に、魅力が詰まっている。

自然の美しさや猛威なども描かれ、自然と人間ドラマが迫力ある映像と共に素晴らしいと言えるのだが、肝心のレースそのもののスリルはあまり感じられなかった。1908年デンバーポスト新聞主催の馬と共に進む人馬一体の1120キロの耐久レースで賞金2000ドル。

主演サム・クレイトンにジーン・ハックマン。誰よりも馬を愛し、馬の状態を案じ、レースに参加するすべての人間を愛するような人物。その友人で皮肉屋の賞金稼ぎル-ク・マシューズをジェームズ・コバーン。ミスターと呼ばれるカウボーイがベン・ジョンスン。川を渡ろうとした老カウボーイ、馬と共に激流にに飲まれ、やっとのことで這い上がったが、心身共に衰弱して、サムに看取られながらあえない最期。カウボーイ、バーテン、炭鉱夫、生きるために何でもやったが、何者にもなれなかった。これに勝てば初めて人から認められるんだと呟きながら息を引取る。最大の難関である砂漠の横断で馬を酷使し過ぎた若者(ジャン・マイケル・ヴィンセント)、馬を殺しサムの指示により埋葬する。メキシコ人歯痛のため脱落しそうになったがが、サムの気転で、弾丸を歯冠代わりに被せられ、なんとかレースに戻ることが出来た。英国紳士ノーフォーク卿(イアン・パネン)の馬が足を折り自ら銃殺しなければならなかった。唯一の女性ケイト・ジョーンズ(キャンデス・バーゲン)は、囚人となり線路工事に従事する恋人を開放すべく監督官に銃を突きつけたのは予定の行動。恋人の反逆に遭い予定外に馬を2頭盗られたが、銃撃戦の末何とか取り返すことに成功し、ケイトは助けた恋人に愛想をつかすことになる。

過酷なレースのフィナーレは。馬を気遣い馬を降りた満身創痍のサムがゴールに向かう。後を追うルークも馬を降り、二人一緒にゴール。周囲の観衆から大歓声のうちに終わりを迎える。

(編集子)なかでもジェイムズ・コバーンは荒野の七人で始めて出会い、シャレードではユニークな悪漢ぶりに感嘆し、以後常に一癖ある人物を演じる俳優で、方やジョン・フォード・ウエインもの常連、ベン・ジョンスン、もひとりこれもキラリと光るマイケル・ヴィンセントとくれば満足。ジーン・ハックマン? この人はどーゆーものかあまり好きではないのだが、いや、ご苦労であったな。

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bite the bullet”は、直訳すると、「弾丸を噛む」という意味ですが、「歯を食いしばって耐える」「いやな状況に敢然と立ち向かう」という意味になります。

この表現は、野戦で麻酔なしで外科手術を受けなければならなかった兵士が、弾丸を噛んで歯を食いしばって痛みに耐えたという慣習が由来となっています。

bite the bullet”という表現は、何か困難なことや不快なことが起こったときに、その困難な状況や不快な状況に歯を食いしばって耐えて、勇気をもって、敢然と立ち向かう様子を表します。

相手が何か困難なことや嫌なことをしなければならないというときに、それを実行するように励ます場合に、“Bite the bullet.”と言うと、「我慢して」「困難に立ち向かえ」「ぐっとこらえて」「歯を食いしばって耐えて」という意味です。

“Just bite the bullet and do your best.”
「ともかく困難に立ち向かい、最善を尽くせ」

時は巡りはや水無月ですぜ   (普通部OB 船津於菟彦)

時は巡り皐月から水無月へと梅雨の季節となって参りました。水無月は「無」という字が使われているものの、これは「~の」という意味であり、本来は「水の月」であるというのが一番有力な説といわれています。

正岡子規
『 紫陽花や きのふの誠 けふの嘘 』 紫陽花が色々色が変わることと人との関係の俳句
松尾芭蕉
「紫陽草や帷巾時の薄浅黄」  衣替えの季節-最初は正反対の色合いの「帷子」と「紫陽花」の色。だんだんと夏になるにつれて近づいていって・・・そしてまた色は離れていく。そんな季節の様子を俳句
錦糸公園は紫陽花が満開で毎朝堪能致しております。

紫陽花は土地の成分で花の色が色々変わるようですね.自然って不思議ですね。誰に見せるためにこんな色々な綺麗な色になるんでしょうかね。

一冊の本      (大学クラスメート 飯田武昭)

読書家、それも速読派の多読家の多いエーガ愛好会の皆さんですが、私は(往年の野球評論家の小西得郎節で表現すると)何と申しましょうか、遅読派とでも言いましょうか、最近度々出かける京都へ行く往復の電車の中や東京へ行く新幹線の車中などが主な読書時間なのでなかなか進みません。皆さんからは400mトラックで2周回遅れくらいをもたもた速足で歩いている状態です。

今、読んでいる本が「台湾の歴史と文化」(大東和重著)と「新版 日本国紀(下巻)」(何んとエーガ愛好会で約1年前に菅原さんが読後感を書いて話題になった百田尚樹著)です。又、保屋野さんが一押しの高峰秀子のエッセイ及び齋藤明美の関連著書を最近、沢山読み終えた段階です。それ以前は小田さんなどから推薦された向田邦子の著作を読んでいました。

先日、東京へ出かけた初日に会った幼稚園友達から1冊の本を前もって読んでおけと言われていて、読み終えてから会いました。本の題名は「アメリカから遠く離れて」(河出書房新書、2020年11月初版発行)という対談形式のもので、定価が2400円(税別)と少々高い本です。映画やジャズ音楽のオールドファンには懐かしい名前や地名がバンバン出てくるのと、日本映画に関する私の時代より、更にもう少し古い、戦前の映画についての思い出話なども出て来るのでその辺に興味のある方には面白いかと思って紹介しておきます。勿論、ジョン・フォード監督なども出てきます。但し、網羅的に映画やジャズを語っている訳ではなく、自分たちの専門家的な思い出話で茶飲み話であると思ってください。

 

エーガ愛好会 (218)あなたを抱きしめる日まで (HPOB 小田篤子)

2013年(英)、BS 5/9放送作品の録画を観ました。ジュディ·ディンチ主演の実話です。今も6万人以上のアイルランド人母親が養子に出された我が子を探し続けていて、バチカンでも異例の上映会が催されたようです。
アイルランド人女性、フィロミナ(ジュディ·ディンチ)は10代未婚で妊娠、女子修道院に入れられます。強引な方法で命懸けの出産の後は働きづめで、子供とは週に1時間会えるだけ。その後息子は養子に出されてしまいます。
既に主婦となったフィロミナは、娘に紹介された元エリート記者マーティン(スティーブ·クーガン)と50年間思い続けている息子探しを始めます。
修道院は何も語らず、息子達は米国人に1,000ポンドで売られていた事を近くの居酒屋で聞きます。アメリカで彼女の息子は、レーガンやブッシュ大統領の法律顧問となり出世しましたが、ゲイであり、エイズにかかり亡くなったことを知ります。
フィロミナは息子のゲイの友人を訪ね、息子は養父の反対をおしきり、《アメリカではなく、アイルランドの出生地に埋めて欲しい》と望んだことを知り
忘れずにいてくれた事を喜び、涙します。フィロミナと記者は、最初に問い合わせたアイルランドの修道院に戻り、息子の墓にやっと出会います。
修道院はずっと事実を隠していたのです。彼女は怒りからではなく、赦しの気持ちから、人々にも知って欲しいと、記者に記事にすることを許可します。
重い内容ですが、フィロミナの、息子のゲイの友人が戻って来た車を見て《マツダの赤い車!》と言ったりする等、そのちょっと無邪気な性格に救われ、英国で色々受賞もしている見ごたえのある作品でした。

”エーガ愛好会” 昼食会

KWV昭和36年卒の仲間で始めた ”月いち高尾” も早いもので開始以来12年を経過、同期だけでなく広がりを見せてきて、言い出しっぺとしてはうれしいかぎりである。そのうちのある日、甲州街道を高尾駅まで歩いていた(なぜ歩くことになったのか、記憶がないが)ときにきっかけがあってできたのが ”エーガ愛好会” といういわばメル友グループだが、KWV仲間だけでなくメンバーも増え、話題も映画よりも豊富な話題を語り合う、素晴らしいグループに発展した。メールの上だけしか知らない人もいるわけで、その顔合わせを2年前に行ったが例によってコロナのため第二回が延期を重ねてきた。今回、主力メンバーというか論客の筆頭、KWV44年卒安田君の骨折りで第二回の食事会をすることが出来た。現在のメンバーはKWV卒32年から51年まで、日本(横河)ヒューレット・パッカードOB, 編集子の普通部・高校・大学時代のクラスメート、さらには縁あって今回は参加できなかったがパリ在住のパリジェンヌ(当たり前か)までと広がった。社会生活のフロントから降りてしまうとどうしても社交性を失いがちになってしまうが、SNSとやらのおかげでその機会が増えたのはうれしいことで、その成果というか恩恵を改めて感じる。

(飯田)後期高齢になってから、このような素晴らしい方々と出会えたことは大変不思議な気がしています。日頃、Blogやメールのやり取りだけでは分らない、その人の人柄などが懇親会などで懇談すると、より一層、その人格、人柄に触れることが出来るのが何よりの嬉しい機会です。メールの文章だけから受けるイメージと、会って話してみると違った印象の方も居れば、文章からのイメージ通りの方も見みえます。総じて言えば野蛮な(?)知識人、文化人の集まりではないかと思っています。

(河瀬)医工学テクノロジーに深い造詣をお持ちの船津さんと、宝塚からお越しいただいた国際経験豊かな飯田さんの両先輩、それもとても超後期高齢者とは思えない豊富な知識と経験をお持ちのお二人に挟まれて光栄でした。自然派のワンダラーには色々な社会の人がおりますが、このような知識人は少ないので、二つの違うグループが癒合し、しかも女性が混じったエーガ愛好会は素晴らしい集団で、私のような医学界の外の世界に魅力を感じる人間にはとても新鮮でした。また大分直送の新鮮な料理、素晴らしかったですね。

(小泉) 楽しい会を有難うございました。締め切り直前の22日まで、めまい等による体調不良で出欠の判断付け難く、迷いに迷った結果、出席の判断し結果的に楽しく過ごさせていただき、有難うございました。折角の料理も食べられなかったら如何しようといった心配も、美味なる大分料理、殆んど食べることが出来ました。自宅から駅まで徒歩15分、いつもは何でもないのに、今回はタクシー予約、しかも家内の助けを借りての行動。往復とも助けを借りて出来たこと、大きな借りを作らされました。

(船津)新しい出会い、の意味が実感できました。こういう時間を越えて親しい友人ができる場を持つ日本人がどれだけいるか、多いことを臨みますが、我々は本当に恵まれていると思います。しかし、小生は借りてきた「鼠」の如くワンゲル仲間にはキンリョク・タイリョクに押され、ちんまりしていました。尚、コチトラ間もなく米寿とダイヤモンド婚がやって来ますが慶新の大先輩が95歳でニューヨーク〜ハンブルグ・独逸漫遊されて居られるのを拝見し、未だ未だ人生100歳時代を謳歌していきましょう。

(菅井)安田さんには前回に続き周到なご準備とアレンジをして頂き本当にありがとうございました。私としては珍しく夕食をパスいたしました。私は古希を過ぎましたが皆様の中に入れば未だ若輩者ですが今後もよろしくお願い申し上げます。

(金藤)会食前のメールのお酒の希望で、Giさんのコメントに釣られまして 大分の麦焼酎 二階堂を、関谷さんを真似てロックでお願いして初めて頂きましたが、クセがなくすっきり!美味しく頂きました。 よる年波には勝てず乾盃は出来ませんでしたが、麦焼酎を頂けまして私の良い焼酎記念となりました。 俵万智風に一句出来れば良いのですが・・・まだ体内にアルコールが残っているからでしょうか?何も思い浮かびません、残念ですが私の頭では無理なようです。エーガ愛好会の2回目の会食となり、皆さまに厚かましくもいろいろお尋ねしたりして楽しい時間を過ごさせて頂きました。 ありがとうございました。

 

日本での英語教育について (1)

某日、KWV仲間5人で編集子が以前住んでいた多摩市は桜ケ丘の馴染みのバーを楽しむ機会があった。遠いところから人を呼びつけるのは誠に心苦しいのだが, 幹事役を買って出た下村君のおかげで大変楽しい3時間だった。まだコロナ問題が尾を引いているらしく、土曜日の夜だというのに我々がおだを挙げている間、新規の客はだれもこず、結果的には我々が独占した形だった。その間、きっかけは忘れてしまったが下村君から英語教育の話が出て、アルコールのせいもあり議論百出となった。

言い出しっぺの下村君の主張をまとめさせてもらうと、我々が社会人現役だったころからはじまったいわゆるグローバリゼーションの中で、今後日本人が世界を舞台に活躍していくには、第一に結果的に世界共通語になっている英語の力がどうして必要であり、日本人が不得意なことだが、自己主張を積極的にやっていくという姿勢が欠かせない。そのためには、英語教育を強化していくことが欠かせないので、現在はじまった小学校からの英語教育に賛成する、ということであった。

関谷君は幼いころから外国で過ごし、社会人になってからはブラジルでの生活が非常に長かったことから、バイリンガルというよりもトライリンガル、という絶対的な強みを持っている。彼はこの体験をベースに、昨今、長期海外留学を志す若者が少ないとの現実、つまり幾ら情報が簡単にアクセス出来、居ながらにして翻訳・通訳ツール等を駆使して、誰と、何処とでもコミュニケーション出来る世になったとは云っても、生の体験・他民族との直接のやり取りを余り経験したがらない、昨今の若者に危惧を抱いている、という意見を持つ。彼はコミュニケーションが言語だけではない、ということを体験しているからだ。中国での体験が長い林君もおそらく同じようなご意見をお持ちではないかと推察する。

安田君と編集子はサラリーマン生活の大半を外資系会社ですごし、英語世界の中で苦労した経験を共有する。安田君は日本語は単独で語彙を自国語でほぼ言い表せる独立性を持ち、そうでない外来語をそのまま使用する多くの国々(発展途上国が多いが)の言語事情に比べると、もっとも重要と目されている第一外国語の英語普及にはそのこと自体が阻害要因になっている側面もある、という。現実に日本は外国文献の翻訳がずば抜けて進んだため、逆効果として外国語にどうしても苦労しなければならない場がほかの国に比べて圧倒的に少ないのだ、とも指摘する。かたや、ヨーロッパ諸国の言語はそれぞれ異なるが源は基本的にラテン語であり、語彙や言い回しや文法などに近似性というか類似性があり、全く奇異な異なる外国語をゼロから学ぶ必要のある日本人とは違い、幼少の勉強スタート時点からハンディのない状況に置かれている事実もある、と考えている。

同君はさらに続けていう。

アジア域内で日本の英語のマスター順位は下から数えて5本の指に入るだとか、世界では100何位だとかを知るにつけ、もう少し何とかしないといけないのではと思う。日本の伝統的な「沈黙は金」「腹芸」「以心伝心」を重んじる文化土壌も外国語習得には阻害要因になっていたのかも知れない。10数年前、ハーバード大学のビジネス・スクール(MBA)の授業を何回か聴講する機会があったが、そこでは他国籍の生徒(英語を外国語とする国からの生徒も多し)の積極果敢な発言意欲と自己の劣等な英語能力を全く意識せず、自己表現に徹し、言語そのもの能力というよりも、自らの意思と考えを表現しようとする積極性・自主性の価値観と行動規範が日本人とは全く違うと感じた。

編集子が勤務していたヒューレット・パッカードは米国企業の中で早くから米国外でのビジネスに積極的だった。その推進者だった創業者二人は世界的に知られた技術者だったから、その理由は単純明快だった。曰く、地球上どこへ行っても電流は同じ方向に流れる、だからわれわれのビジネスは世界を相手にするのだ、というのだ。別の言い方をすれば、言語や文化に左右されないビジネスなのだ、と言い換えてもいい。しかし1990年代に入ってから、創業者が引退したのちのグローバリゼーション、はすでに世界規模に拠点を持つ大企業になってから遭遇した課題だった。当時の用語でいえば、ワールドワイドエンタプライズ、からグローバルビジネス、への変貌であったのだろう。その中で日本での貢献度はアジアで圧倒的な存在であったからどうしてもアジア各国をリードすべき立場に置かれた。その結果、遭遇した場面はまさに上記した安田君の場合と全く同じだった。ビジネスの結果で言えばダントツのトップでありながら、現場レベルではもうひとつ、という位置に甘んじることがどんどん増えていった。自分自身でも大げさに言えば悔し涙を流しそうな経験は一つや二つではなかった。安田君はさらに言う。

社会をリードする立場にいる人々、海外との交流が必須の人々などの英語能力はもっと先進国に伍していけるよう、何らかの英才教育なり効果的な方法は必要だと思う。インド人の活躍が世界的にみても政界、経済産業界で際立っていて、その原因が、算数・数学に強いこともあるが、イギリスの植民地だった恩恵で英語を母国語のように扱われたことのメリットが大変大きいのは間違いない。

日本人固有の、というか多分に武士道的プライドというか、”沈黙は金” という文化を一日にして変貌させるのは難しいし、果たして変貌させることが必要なのかどうかはわからない。しかし言語、この場合英語の能力をつけることはあくまで方法論の話なので、対応はできるはずだ。小生の経験からエピソードを上げるとすれば、YHP社にあってサービス(修理)部門の責任者であり、のち、アジアパシフィック地域をまとめる立場になり、MASA, と外国人スタッフにも絶対的な信用のあった方は、終戦時には海軍のパイロットだった人で、もちろん英語教育などを受けているはずもなかった。(ま、俺に分かるのはアルファベットだけよ)と豪語しておられたが、その人物、識見、技術にすぐれた先輩だった。こういう例はほかにもたくさんあった。ところが ”グローバリゼーション”という妖怪が動き始めるとカリフォルニアの本社も 日本語のわかる人物 の重要性に気がつき、(日本人でアメリカで学んだ人間ならいいはずだ)と考えてのだろうが、米国大学に留学したり、MBAの資格を持った人もいたが、そういう人たちを送ってくるようになった。もちろん日本語は完璧な人たちが何人来たか、記憶にもないが、期待通りの成果を上げた例はひとり(MBAとは縁のない現場のベテランだった)をのぞいて全くなかったと断言できる。

このことをさかのぼって議論すれば、下村君が指摘したように、外国人と言語だけでなくもっと深い話ができる、レベルの人材が必要になる、という事になるのだろう。このことについてもう少し考えてみたい。