”エーガ愛好会” 昼食会
KWV昭和36年卒の仲間で始めた ”月いち高尾” も早いもので開始以来12年を経過、同期だけでなく広がりを見せてきて、言い出しっぺとしてはうれしいかぎりである。そのうちのある日、甲州街道を高尾駅まで歩いていた(なぜ歩くことになったのか、記憶がないが)ときにきっかけがあってできたのが ”エーガ愛好会” といういわばメル友グループだが、KWV仲間だけでなくメンバーも増え、話題も映画よりも豊富な話題を語り合う、素晴らしいグループに発展した。メールの上だけしか知らない人もいるわけで、その顔合わせを2年前に行ったが例によってコロナのため第二回が延期を重ねてきた。今回、主力メンバーというか論客の筆頭、KWV44年卒安田君の骨折りで第二回の食事会をすることが出来た。現在のメンバーはKWV卒32年から51年まで、日本(横河)ヒューレット・パッカードOB, 編集子の普通部・高校・大学時代のクラスメート、さらには縁あって今回は参加できなかったがパリ在住のパリジェンヌ(当たり前か)までと広がった。社会生活のフロントから降りてしまうとどうしても社交性を失いがちになってしまうが、SNSとやらのおかげでその機会が増えたのはうれしいことで、その成果というか恩恵を改めて感じる。
(飯田)後期高齢になってから、このような素晴らしい方々と出会えたことは大変不思議な気がしています。日頃、Blogやメールのやり取りだけでは分らない、その人の人柄などが懇親会などで懇談すると、より一層、その人格、人柄に触れることが出来るのが何よりの嬉しい機会です。メールの文章だけから受けるイメージと、会って話してみると違った印象の方も居れば、文章からのイメージ通りの方も見みえます。総じて言えば野蛮な(?)知識人、文化人の集まりではないかと思っています。
(河瀬)医工学テクノロジーに深い造詣をお持ちの船津さんと、
(小泉) 楽しい会を有難うございました。締め切り直前の22日まで、めま
(船津)新しい出会い、
(菅井)安田さんには前回に続き周到なご準備とアレンジをして頂き本当に
(金藤)会食前のメールのお酒の希望で、
日本での英語教育について (1)
某日、KWV仲間5人で編集子が以前住んでいた多摩市は桜ケ丘の馴染みのバーを楽しむ機会があった。遠いところから人を呼びつけるのは誠に心苦しいのだが, 幹事役を買って出た下村君のおかげで大変楽しい3時間だった。まだコロナ問題が尾を引いているらしく、土曜日の夜だというのに我々がおだを挙げている間、新規の客はだれもこず、結果的には我々が独占した形だった。その間、きっかけは忘れてしまったが下村君から英語教育の話が出て、アルコールのせいもあり議論百出となった。
言い出しっぺの下村君の主張をまとめさせてもらうと、我々が社会人現役だったころからはじまったいわゆるグローバリゼーションの中で、今後日本人が世界を舞台に活躍していくには、第一に結果的に世界共通語になっている英語の力がどうして必要であり、日本人が不得意なことだが、自己主張を積極的にやっていくという姿勢が欠かせない。そのためには、英語教育を強化していくことが欠かせないので、現在はじまった小学校からの英語教育に賛成する、ということであった。
関谷君は幼いころから外国で過ごし、社会人になってからはブラジルでの生活が非常に長かったことから、バイリンガルというよりもトライリンガル、という絶対的な強みを持っている。彼はこの体験をベースに、昨今、長期海外留学を志す若者が少ないとの現実、つまり幾ら情報が簡単にアクセス出来、居ながらにして翻訳・通訳ツール等を駆使して、誰と、何処とでもコミュニケーション出来る世になったとは云っても、生の体験・他民族との直接のやり取りを余り経験したがらない、昨今の若者に危惧を抱いている、という意見を持つ。彼はコミュニケーションが言語だけではない、ということを体験しているからだ。中国での体験が長い林君もおそらく同じようなご意見をお持ちではないかと推察する。
安田君と編集子はサラリーマン生活の大半を外資系会社ですごし、英語世界の中で苦労した経験を共有する。安田君は日本語は単独で語彙を自国語でほぼ言い表せる独立性を持ち、そうでない外来語をそのまま使用する多くの国々(発展途上国が多いが)の言語事情に比べると、もっとも重要と目されている第一外国語の英語普及にはそのこと自体が阻害要因になっている側面もある、という。現実に日本は外国文献の翻訳がずば抜けて進んだため、逆効果として外国語にどうしても苦労しなければならない場がほかの国に比べて圧倒的に少ないのだ、とも指摘する。かたや、ヨーロッパ諸国の言語はそれぞれ異なるが源は基本的にラテン語であり、語彙や言い回しや文法などに近似性というか類似性があり、全く奇異な異なる外国語をゼロから学ぶ必要のある日本人とは違い、幼少の勉強スタート時点からハンディのない状況に置かれている事実もある、と考えている。
同君はさらに続けていう。
アジア域内で日本の英語のマスター順位は下から数えて5本の指に入るだとか、世界では100何位だとかを知るにつけ、もう少し何とかしないといけないのではと思う。日本の伝統的な「沈黙は金」「腹芸」「以心伝心」を重んじる文化土壌も外国語習得には阻害要因になっていたのかも知れない。10数年前、ハーバード大学のビジネス・スクール(MBA)の授業を何回か聴講する機会があったが、そこでは他国籍の生徒(英語を外国語とする国からの生徒も多し)の積極果敢な発言意欲と自己の劣等な英語能力を全く意識せず、自己表現に徹し、言語そのもの能力というよりも、自らの意思と考えを表現しようとする積極性・自主性の価値観と行動規範が日本人とは全く違うと感じた。
編集子が勤務していたヒューレット・パッカードは米国企業の中で早くから米国外でのビジネスに積極的だった。その推進者だった創業者二人は世界的に知られた技術者だったから、その理由は単純明快だった。曰く、地球上どこへ行っても電流は同じ方向に流れる、だからわれわれのビジネスは世界を相手にするのだ、というのだ。別の言い方をすれば、言語や文化に左右されないビジネスなのだ、と言い換えてもいい。しかし1990年代に入ってから、創業者が引退したのちのグローバリゼーション、はすでに世界規模に拠点を持つ大企業になってから遭遇した課題だった。当時の用語でいえば、ワールドワイドエンタプライズ、からグローバルビジネス、への変貌であったのだろう。その中で日本での貢献度はアジアで圧倒的な存在であったからどうしてもアジア各国をリードすべき立場に置かれた。その結果、遭遇した場面はまさに上記した安田君の場合と全く同じだった。ビジネスの結果で言えばダントツのトップでありながら、現場レベルではもうひとつ、という位置に甘んじることがどんどん増えていった。自分自身でも大げさに言えば悔し涙を流しそうな経験は一つや二つではなかった。安田君はさらに言う。
社会をリードする立場にいる人々、海外との交流が必須の人々などの英語能力はもっと先進国に伍していけるよう、何らかの英才教育なり効果的な方法は必要だと思う。インド人の活躍が世界的にみても政界、経済産業界で際立っていて、その原因が、算数・数学に強いこともあるが、イギリスの植民地だった恩恵で英語を母国語のように扱われたことのメリットが大変大きいのは間違いない。
日本人固有の、というか多分に武士道的プライドというか、”沈黙は金” という文化を一日にして変貌させるのは難しいし、果たして変貌させることが必要なのかどうかはわからない。しかし言語、この場合英語の能力をつけることはあくまで方法論の話なので、対応はできるはずだ。小生の経験からエピソードを上げるとすれば、YHP社にあってサービス(修理)部門の責任者であり、のち、アジアパシフィック地域をまとめる立場になり、MASA, と外国人スタッフにも絶対的な信用のあった方は、終戦時には海軍のパイロットだった人で、もちろん英語教育などを受けているはずもなかった。(ま、俺に分かるのはアルファベットだけよ)と豪語しておられたが、その人物、識見、技術にすぐれた先輩だった。こういう例はほかにもたくさんあった。ところが ”グローバリゼーション”という妖怪が動き始めるとカリフォルニアの本社も 日本語のわかる人物 の重要性に気がつき、(日本人でアメリカで学んだ人間ならいいはずだ)と考えてのだろうが、米国大学に留学したり、MBAの資格を持った人もいたが、そういう人たちを送ってくるようになった。もちろん日本語は完璧な人たちが何人来たか、記憶にもないが、期待通りの成果を上げた例はひとり(MBAとは縁のない現場のベテランだった)をのぞいて全くなかったと断言できる。
このことをさかのぼって議論すれば、下村君が指摘したように、外国人と言語だけでなくもっと深い話ができる、レベルの人材が必要になる、という事になるのだろう。このことについてもう少し考えてみたい。
KWV ワイン のこと
(飯田)
今までブログで話題になってないので知りませんでした。
慶應ワンダーフォーゲル部(KWV)がワインブランドを登録して販売している事を本日(5月19日)初めて知りました。
本日、自宅近くの和食屋さんで食事をしたら、一枚シートのドリンクメニューにKWVワインがあって驚きました。調べてみると下記のようにアフリカ語(そんな言語があるのかどうか知りませんが)とのことです。
1918年、ワイン産業の安定を求めて、ブドウ栽培農家によって協同組合であるKWVが設立されました。KWVはアフリカ語で「南アフリカブドウ栽培協同組合」を意味する“Ko-operatieve Wijnbouwers Vereniging Van Zuid-Afrika Beperkt”の頭文字の一部を取ったもの。それ以前は小規模農業として、産業としての認識もなかったワインづくりは、KWVの設立により、国をあげて産業として、ワインの品質向上や輸出増進へと取り組むようになったのです。そして、1925年には南アフリカ独自の品種ピノタージュを誕生させ、1957年には冷却濾過を採用するなど、数々の実績を残してきました。
(編集子)あはは、飯田兄、
(河瀬)KWVワインの歴史をありがとうございました。
(関谷)50数年前の学生時代、KWV先輩の斡旋で、日本橋の「国分商店」でアルバイトをしていましたが、そこで、KWVワインと出会いました。その後、社会人となり、南アに出張した同僚から、土産に「KWV」をもらい、その比較的ヘビーでドライな赤ワインを気に入りました。KWV万歳!
(飯田)KWVワインは慶應ワンゲル部員には、そこそこ膾炙されていることを知りました。それにしてもアフリカ語なる言語を観るとドイツ語とフランス語が適当に混ざっている感じの言葉で、河瀬さんの情報では南アはフランス系のワインとのことですが、南ア自体はイギリスの植民地だったと思っているとそれ以前はドイツ領だった時もあり、オランダ語が一部に通用しているようで、ワイン一つとっても複雑ですね。今度はリカー量販店で見つけたら一度飲んでみたいと思います。
(編集子)このKWVワインの、実質的には日本への紹介者は(上記関谷君の解説にもありますが)、KWV35年副総務だった、森田半兵衛(当時洋典と名乗っておられ、我々仲間ではヨーテンさん、でした)さんです。森田さんが卒業後国分商店に勤務され、そこでこのワインを知り、輸入を開始されたのです。 我が偉大なるKWVはこうして全国のんべいに至福の時間をもたらした! こういうことをぜひ歴史に残したいですね。
PS ここのところ一部のKWVers と行くようになった、小生馴染みのバーにはまだおいてありません。次回までにはおいてもらうよう、ママにかけあっておきます(ついでに、お店の格からいうとちと違うのですが、日本製ジン ”翠” も小生専用?においてもらいたいと思ってます。
エーガ愛好会 (217) 7月4日に生まれて (普通部OB 船津於菟彦)
『7月4日に生まれて』原題: Born on the Fourth of July)は、1989年制作のアメリカ映画。ロン・
エーガ愛好会 (216) ララミーから来た男 (34 小泉幾多郎)
アンソニー・マン監督がジェームス・スチュアート主演での傑作西
チェスター銃‘73」のヒットから、より娯楽性の強い「怒りの河
ワイオミング州ララミーからニューメキシコ州のコロネードという
ニューメキシコのロケーションを活かした撮影はなかなか良く、牛
ララミー(英: Laramie)は、アメリカ合衆国ワイオミング州の都市であり、オールバニ郡の郡庁所在地である。2010年の国勢調査で、人口は30,816人だった[1]。ワイオミング州南東部のララミー川沿いにあり、州都シャイアンの西、州間高速道路80号線とアメリカ国道287号線が交差するところにある。
ララミーは19世紀半ばにそこでララミー川を横切ったユニオン・パシフィック鉄道沿線に開拓された。ワイオミング大学、ワイオミング工科大学およびララミー郡コミュニティカレッジ支部が本拠を構えている。ララミー地域空港が利用可能である。ララミー市ができる以前から存在した陸軍のサンダース砦の廃墟が国道287号線沿い、ララミー市の真南にある。
(編集子)コロラド州にあったHPの事業部を訪問した後、山好きだった当時の社長のお供でワイオミングを縦断してグランド・ティトン(”シェーン” の有名なラストシーンに現れる名峰)の眺望を誇る場所まで行ったことがある.途中で、(ははあ、これがララミーかあ)と思いながら、時間の関係もあってコーヒースタンドに寄っただけで通過してしまった。社長を騙してもう少し時間を過ごすべきだった。セーブゲキファンの流れで言えば、いわば聖地であるツームストンへの訪問はどうも実現できそうにない(ノルマンディのオマハビーチとともに心残りである)が、せめてもの慰めはジョン・フォードの数々の名作の場になったモニュメントヴァレーはその一角で宿泊もし、堪能できたし、アイダホの工場を訪問したときは近くにオレゴンとレイルのふみあとが保存されていたので出かけてみたことが思い出される。いろんな作品に登場するサンタフェはむしろ芸術家たちのたまり場みたいな街になっていて、大分違ったイメージだった。赤い河のテーマになっているアビリーンなんかはどんなだろうか。
””空母いぶき” を見て考えたこと” について (HPOB 坂東正康)
刺激的なエッセイをお送りいただきありがとうございました。
お返しというのも変ですが、たまたまぼくも、2019年5月30日付けのブログ記事に《日本国憲法九条と日米安保条約がいっしょになった場合のわかりやすさとわかりにくさと、「空母いぶき」という映画》という題名のものを書いていましたのでお送りします。下がその引用です。
それから、自民党は憲法改正に熱心ですが、その自民党の「憲法改正草案」についても《自民党の「憲法改正草案」の性格について》(2021年12月17日)
http://sunny-sapporo.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-c1eaa9.html
というブログ記事(ぼくの意見)を書いています。お目汚しですが、お時間があれば、下と合わせてお読みいただけたら幸甚です。
坂東正康(HP時代にGiさんにお世話になった者です)
2019年5月30日 (木)
日本国憲法九条と日米安保条約がいっしょになった場合のわかりやすさとわかりにくさと、「空母いぶき」という映画
かわぐちかいじ作の劇画「空母いぶき」を映画化した作品を観てきました。「空母いぶき」とは、日本国憲法九条を今後どう運用していくかに関する近未来の事例研究的なシミュレーション映画です。女性の観客が意外に多かったので少し驚きました。ぼくは映画の評価は払った金額に見合う価値があったかどうかで決めますが、支払金額に見合う価値は十分にありました。ここでは原作ではなく映画作品を対象に話を進めます。
映画なので、原作にはない娯楽性(女性に人気の男性俳優の配置や艦内からのネット配信描写やその他の日常生活関連描写)があり、それで僕が勝手に予想していた以上に観客の広がりが(少なくともぼくのいた映画館では)あったのでしょう。
いつかはわからない近未来が舞台なのですが、その時の日米安保や日米地位協定がどうなっているのかも、よくわかりません。現在よりもその役割が後退しているようにも思われますが、詳細は不明です。一方、国連の役割(安保理や国連軍)が現在よりも(もともとの意図通りに)強化されているように描かれていますが、これも詳細は不明です。そういうなかで、そして憲法九条の下で戦争には至らない自衛のための戦闘(自然権としての防衛権)がどういう形で可能かを描いた12月下旬のある24時間の物語です。
最新鋭の武器を使った現在の海戦がどういう風なのかを、現在のハイテク戦闘がどう瞬間的に決着がつくのかを最新のコンピューターグラフィクス映像で知るというのもぼくの関心事のひとつでした。
日本国憲法のユニークさは、象徴天皇制(第一条)と(侵略目的の)戦争放棄・軍備放棄(第九条)の存在にあります。これらは他にもわかりやすいユニークさです。しかし、日本国憲法は、同時に、他にはわかりにくいユニークさというものも包含してします。
この前の太平洋戦争で大日本帝国軍隊に対して嫌な体験記憶を持った連合国側の国々は、敗戦後の日本における国家神道的な天皇制の復活と再軍備を非常に恐れていました。彼らは天皇の戦争責任の追及を強く主張していたし、戦後の日本には軍事力を持たせないと論じていました。
彼らは、再軍備につながる可能性のある天皇制の存続には反対でした(なぜなら天皇には軍隊の最高指揮権であるところの統帥権を有していた)。しかし、敗戦処理をスムーズに混乱なく進めるためには、つまり、日本占領政策の遂行にともなう戦勝国側の犠牲者を発生させないようにするためには、何らかの形での天皇制の存続が必要だったので(とくに米国が必要と判断したので)、米国の主張によって、天皇制は存続することになりました。天皇制を廃絶すると旧軍人をコアとする暴動がおこるかもしれない。それを米国は恐れました。これが日本国憲法における象徴天皇制誕生の背景の景色です。
しかし九条ができたからといって日本における防衛体制を空白のままにはしておくということはできません。当時の世界情勢・アジア情勢は、日本を丸腰のままにしておくほど安穏ではありませんでした。だから戦勝国軍の軍隊(国連軍を想定)が防衛力として日本に駐留することになったのですが、実際には、朝鮮戦争を契機として、駐留部隊は国連軍ではなく米軍だけになり、米軍駐留と米軍による政治支配の中身は、日米安保条約&日米地位協定によってきわめて治外法権的な内容のものとなります。
日本国憲法「第九条」は、「戦勝国・占領軍と日本との安全保障システム(その後の日米安全保障条約および日米地位協定)」との抱き合わせをひそかな前提として(ごく一部の当事者以外にはその背景と関連が隠されていたという意味でひそかな前提として)成立しました。つまり、発足当初から「侵略戦争は日本としては放棄したけれど、第三者の遂行する侵略戦争の片棒を担ぐことができるという意味」での「矛盾」がビルトインされていましたが、当初はその矛盾がよく見えませんでした。しかし時間の経過とともに矛盾が明らかになってきました。
「日米安保条約と日米地位協定の組み合わせ」とは片棒担ぎの仕組みの取り決めです。きわめて治外法権的な内容のもので、これらに係る合意事項や決定がすべて公開されているわけではありません。これが他にはわかりにくい九条がらみのユニークさです。
言葉を換えれば、現在、沖縄や横田や横須賀や厚木などに駐留している米軍は、いわば侵略戦争の得意な「傭兵」です。ただし、この傭兵は日本という雇い主よりも権力がある。雇い主を実質的に支配しています。先日は、「専守防衛の自衛隊」が政府の解釈改憲によって「集団的自衛権」の行使に組み込まれました。
眼を「九条」だけに向けて、つまり「平和憲法」だけに向けて、そのビルトインされた矛盾を見ないようにしている人たちが多いことも事実です。この発想だと、たとえば場面を国内に限定した場合、警察の存在は不要になります。
警察は間違いなく国家権力の手足ですが、その手足は、泥棒や強盗や殺人事件やひどい交通事故が発生した場合には、市民の安全の確保に動きます。そういう事件は、ヒトの多層的な脳の構造に起因するせいか一定の頻度で必ず発生するので、警察のような機能の存在を不要だと考える人は決して多くはない。しかし、皆無というわけではありません。
自分の身は銃を使ってでも自分の手で守るのが基本、だから国家は警察も含め余分なことはしないほうがいい考えるひとたちの主張にも説得力があります。そういう人たちは米国に多い。だから、「government of the people, by the people, for the people」(人民の、人民による、人民のための政治。国民ではなく人民・人びと、政府ではなく政治)をそういう文脈で解釈し直すと、米国におけるdemocracyと銃の関連の背景が根深い状況も見えてきます。
警察というものを、特定の暴力から、(警察の持つ)暴力を使って市民を保護する機能だと考えると、警察も暴力装置になります。暴力装置という意味では軍隊と同じです。
現在の国際政治においては、その警察にあたるのが「国連軍」ということになっていますが、実際には(映画の「空母いぶき」とは違って)重要な局面では機能しないので、「自分の身は銃を使っても自分の手で守る」ために暴力装置であるところの軍隊(ないしはそれに相当する機能組織)を、装置の優劣と大小の差はおおいにありますが、国境線を持つ各国がそれなりに所有しています。
日本における先ほどの「矛盾」するもの、つまり、「平和を希求する、他国を攻める戦争はしないしそのための軍隊も持たない」、しかし、同時に「他国を攻撃する第三国の軍隊はその国の意のままに自由に駐留させるしそのための支援もする、要請があれば、実質的にはその第三国といっしょに自衛力を使って他国に侵攻する」という矛盾する意思を巧妙に組み合わせたものを、今後、平和やデモクラシーという観点からどのように納得できる形に解きほぐすか、それが現在と今後の課題です。
そういう課題を解決しようと思ったら、九条2項や日米安保条約・地位協定との関連事項を見直すというのは、集団的自衛権の行使が好きな好戦的なタイプの人たちの発想(「押しつけ憲法なので見直したい」という発想)とはまったく違った意味で、まっとうな憲法再検討の理由付けになるかもしれません。
「傭兵」との実質的な関係や「国連」の実質的な能力が不透明な近未来の環境で、自衛隊という既存の暴力装置を使った「戦争に至らない、防衛のための戦闘」というものの事例研究・事例シミュレーションのひとつが「空母いぶき」という映画のようです。
(編集子)お世話になったのはこちらの方で、筆者は1973年に(当時の)横河ヒューレットパッカード(YHP)に入社、以後、小生退職までほとんどの年月、得意の英語と入社後の猛勉強で習得したSE技術で、小生が最も頼りにした仲間の一人。いまでは若い男性群にはめずらしくないひげを当時からはやし、もう一人、モミアゲを伸ばした男と二人、ひげバンドーもみあげアンド― と並び称され、スガチューのIBMだのヤブのフジツーだのに小僧扱いされた小生の負け戦を支えてくれた戦友であり、エーガ愛好会グループでおなじみの元HPOB連中のいわば兄貴株であった存在。彼のブログは本稿とは違って、個人ブログの王道を行ってるホンモノである。URLは http://sunny-sapporo.cocolog-nifty.com/blog/で、プログの名前は「高いお米、安いご飯」。ご高覧をお勧めする次第。
都電荒川線-「東京さくらトラム」探訪記 (普通部OB 舩津於菟彦)
都電には、かつて文字通り“都民の足”として隆盛を誇った時代が
熟年生は慶應義塾普通部が未だ幼稚舎の在る天現寺に仮住まいして
当時の天現寺駅は車庫が在り都電のセンター的な駅でしたね。7番
現在では、路線の大部分が専用軌道であること、代替バスを運行で
営業キロはわずか12.2kmですが、令和3年度は一日平均約4
荒川線の魅力を国内外に積極的にアピールし、更なる利用者の誘致
”空母いぶき” を見て考えたこと
全くの偶然で、CSで放映されていた 空母いぶき という映画を見た。原作はマンガの世界では高い評価があったようだが、映画の世評はよろしくない。グーグルに拾ってある投稿もどれ一つ好意的なものはない。たしかにエーガ、という枠をはめてみると素人の小生にもなんだかなあ、という程度の作品だった。グーグルによれば、自衛隊が本作品の支援には消極的だった、とか、技術面での描写のずさんさ、解決の唐突さ(最後は五か国の潜水艦が突如援助にきて救われる)などという指摘があり、そのあたりには同意する。大分前に、”亡国のイージス” というのはもっと真剣に見たものだが。
作品の出来栄えについては小生も落第点をつけるが、その背景としてあらわれる、”平和国家“を標榜している我が国の政治判断の難しさ、例えば、戦闘はするが戦争はしない、といった禅問答みたいなやり取りとか、防衛出動をなぜださないのかという議論などは、自国が侵略されているという現実に際した、ほかの国ではまず起きえないだろうと感じたし、首相を演じた佐藤浩市の苦悩については同感するところがあった。特にラストで “この、なんでもない生活を守る、これが政治なんだよな” という佐藤の自嘲気味なセリフはむしろ賞賛したい気持になった。日本の政治、政治家のありよう、といったものの実像のようなセリフだったと思ったのだ。
所謂識者といわれる人々や海外事情に詳しいとされる人たちは、なにかと日本の政治や政策を海外諸国に比べれば、と批判するのが常である。その論調を聞いていると、そうか、俺達の日本ってそんな三流国なのか、というコンプレックスに陥ってしまう。本当に俺たちの、 “この、なんでもない生活” はそんな程度の価値しかないものなのか?
小生の読み違いというか記憶違いならお許しいただきたいが、ローマ文化についての泰斗、塩野七生さんの作品の解説に、ローマ皇帝の務めは市民にパンとサーカスを提供することだった、という一節があった。歴史だけをひろい読むする分には、やれシーザーだアントニウスだという事ばかり頭に残るが、ローマ帝国にあっても、第一のことがらは “この、なんでもない生活” を維持することだったはずだ。世界史にいう栄光のギリシャ・ローマは、片方では “この、何でもない生活“ を成り立たせるためには奴隷を必要とし、それを得るためには他国との残忍な戦争に勝たねばならなかった。その犠牲になった人々がどれだけいたか、歴史書にその記述はない。
わが日本はどうか。以前、本稿のどこかで触れた気がするが、ここで絶対的事実として、1945年以降今日まで80年にわたって、我が国はただ一人の若者も戦争では死なせていない、という事実を思い起こそう。ウヨクがどう言おうと、共産党がさかしらに論じようと、はたまた主婦連のおばさま方が声高にわめこうと、これはわが国の政治の結果である。およそ一国の政治はその結果によってのみ評価される。その間、ほかの国々(政治体制では違うとしても絶対主義の国も含めて)の、数多くの未来ある若者が戦地に散っていき、彼らの家族や友人や恋人たちの ”このなんでもない生活” は失われた。その理由や背景について今更議論をするのは避けるが、我が国が、何はともあれ、外敵に侵されず、若者を戦争という悲劇で死なせずに ”この何でもない生活“ をここまで保って来たのは、なんだかよくわからないこと、うんざりすることが数多くあるとは言え、わが国の政治の結果であることは厳然たる事実ではないのか。これが憲法九条があるためだ、という浮世ばなれした論議はもう通用しない。つまり、
”・・・人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・・”
なる、我が憲法前文が高らかに謳った世界諸国の善意、なんてものが存在しないことはすでに事実が証明してきたからだ。それでも日本が外敵の侵入を受けていないのは、言うまでもないが米軍の保護があったからであって、夢想的な平和国家論ではない。米国にしてみれば、究極的には地政学上、自国防衛のための砦として日本列島と友好関係にあることは絶対的に必要だ。この事実を冷静に(むしろ冷酷にというべきか)判断し、かたや理想とする平和国家主義をかかげ、欧米諸国には理解できないであろう韓国や中国との歴史的関係、さらにはロシアの暴挙などの間をかいくぐりつつ、左翼勢力のためにするとしか思えない論調やいわゆるインテリ層の論議やマスコミの罵詈雑言にもかかわらず、ともかくも80年間の平和が保たれてきた。これを政治の結果と言わずに何と言えばよいのか。1945年生まれ、いわゆる終戦っ子と呼ばれた世代の人々は同時に ”戦争を知らない子供達” のままに成長していく。我が日本はそういう ”この何でもない生活” が保たれている国だということを改めて認識すべきなのではないだろうか。
僕は確信しているのだが、僕らがいなくなって何世紀か後、歴史書はこの、今僕らが息をしているこの時代を、日本の黄金時代とよぶだろう。領土は狭く,資源にとぼしく天災は絶えないこの列島国家に、“この、何でもない生活” を維持し続けた政治をその歴史書はなんと評価するだろうか。
”空母いぶき“ は映画としては落第ものだったが、それがきっかけで多少、物事を考える機会にはなった、というのが今年の小生の連休だった。
(HPOB 天堀)ボクは自分と自分の世代のことを「高度成長の食い逃げ」