マンション理事長の日記  (41 齋藤孝)

「交通誘導員ヨレヨレ日記」、「派遣添乗員へとへと日記」など、
低調な出版界で今、汗と涙のドキュメント日記シリーズが好評である。
これまでのタイトルを並べると、読者を引き付ける泥臭いコトバが続く。

「非正規介護職員ヨボヨボ日記」
「ケアマネジャーはらはら日記」
「コールセンターもしもし日記」
「バスドライバーのろのろ日記」
「大学教授こそこそ日記」

 どちらかと言えば日陰の仕事。ブラック業界で働いた苦労人の生々しい話ばかり。好んで飛び込んだ業界ではなく、生きていくために、やっと得た生業の体験談といえる。「ヨボヨボ」「はらはら」「もしもし」「のろのろ」など「オノマトペ」が目立つ。
酒を飲むと気持ちが「ホンワカ」となり、血液の流れも「サラサラ」になる。
いつも腹の虫が「ゴロゴロ」と泣く。こんな「オノマトペ」は未開な幼児コトバなのだ。

「大学教授こそこそ日記」

「こそこそ」は、見つからないように密かに励んで教授まで昇りつめた成り上がり学者の実話。 関西KG大学で「こそこそ」と教えてきた三流学者の漫談。まるで私の体験談と似ている。

「マンション理事長ヨボヨボ日記」
82歳になり小さなマンションで理事長に選ばれた。「花咲か爺」ならば信頼できると勘違いされたからだ。「花咲か爺」から「デジタル爺」へ変身。熱烈に改革を述べた。   マンションのデジタル化を推進しよう !! これがイケなかった。

    

デジタル化は大反対された。もともと桃源郷のようなアナログマンション生活。

マンション住民にはプライバシーを危うくするようなホームページは好まれない。わけありのカップルは明るみにされたくない。メールアドレスを露見するなど裸体を晒すようなもの。 GPSで愛の隠れ家を探索される。3度目の離婚や再婚までもバレル。まるで芸能人のように反対意見を述べられた。
豪勢な億ションに住む芸能タレントと同じ気分なのか、ぼろ長屋ではないか。

「デジタル爺」から「花咲か爺」へと再び戻る。そのうち、「マンション花咲か爺のヨタヨタ日記」を書こう。

薔薇のつぼみは膨らみ始めた。今宵はイタリア・ピエモンテ産の「バローロ」を選ぼう。赤ワインは失意の「デジタル爺」を慰めてくれるだろう。まもなく5月。「花咲か爺」は眠れない薔薇の日々が続く。

(編集子))ITだのデジタルなんて言葉が日常化するはるか以前、”電子計算機” がこれからのビジネスを変える!なんて勇ましい言説が出だしたころ、(大学では運動部活動でキャプテンをやってました)の一点張りで入社面接をクリアした小生は、(マー、人事だろうな)くらいに気軽に出社したものだ。新人研修が終わって配属先につれていかれたのがなんと ”機械統計課” なる職場だった。課長に挨拶し終わって顔を上げたら、(今からすぐ、新宿のIBM教育センターへ行ってくれ。あとは向こうで待ってるから)ということ、何が何だかわからないまま、”IBM1401講習会” というのにぶち込まれた。それからほぼ1か月、会社の門をくぐることがなかった。そして初めて自分が プログラマー という仕事をやるんだ、ということを知ることになる。この初体験は結局、自分のサラリーマン人生を決定した。そういう意味では、もっとデジタル人間でなければならないのだが、実はカメのいうアナログ人間のひとりである。彼と違うのは落ち込んだときに飲むのが赤ワインでなく(傍にうるさいのが、KWVならミツョシ、なんてうるさいのがいると一応 ”ブラントンある?” なんて言ったりするけど、ブランドは何でもいいんだ、実は)バーボンというくらいのようだ。