(金藤)10月は 未鑑賞の「地下室のメロディー」を観ました。
(安田)味のある何とも男振りの素晴らしいジャン・ギャバンの引き立て役
(船津)題名もおかしいし。二人の有名俳優の割にはつまんねーエーガ。
(編集子)これほど落差のある感想も珍しい。ご両人の年齢が逆なような。
(金藤)この映画ではジャン・ギャバンの落ち着いた風格とアラン・
(安田) 「死刑台の・・」の音楽を担当したマイルス・
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
(金藤)10月は 未鑑賞の「地下室のメロディー」を観ました。
(安田)味のある何とも男振りの素晴らしいジャン・ギャバンの引き立て役
(船津)題名もおかしいし。二人の有名俳優の割にはつまんねーエーガ。
(編集子)これほど落差のある感想も珍しい。ご両人の年齢が逆なような。
(金藤)この映画ではジャン・ギャバンの落ち着いた風格とアラン・
(安田) 「死刑台の・・」の音楽を担当したマイルス・
安田君経由で赤阪清隆氏の論評を拝見する機会があった。同氏の幅広い御見識には膝を叩いて同調することも多くあった。特に日本という国、というか日本人、が西欧文化の基本にある自己主張という事が苦手であること、は外資系会社を全うしてみて身に染みたことであったし、同氏のご意見には100%同意するものだ。そのために、英語で考えなおかつ日本人の心情を理解し発信する能力を持つ人の少なさを憂慮されることもその通りだと感服する。
同氏はこの点から論点を現代の情報発信のありように転じ、新聞というツール(メディアという用語が正しいのかもしれないが、論点がボケないように道具、という意味でこの語を使うことにする)の衰退、新しいインタネットやSNSの興隆にとってかわられつつある現状について述べておられる。若くして新聞記者を志したものとしてかなり複雑な心情であるけれども、この点についても同氏のご指摘は認めざるを得ない。このことは新聞ということに限らず、若者の活字離れというか本離れという別の要因から起きている現象と共鳴して起きている問題だと思う。
文字離れ、という現象は日本だけでなく世界規模で起きているわけだが、漢字文化圏すなわち日本、韓国、中国においては、”文字離れ” が引き起こす混乱はアルファベットしかない西欧圏の場合より、はるかに大きな問題であろう。漢字という記号が持つ、それ自体が表意文字であるがゆえに果たす機能が、“読まない” という行動によって破壊されてしまうと考えるからだ。”あおい” というコトバがアルファベットというか表音文字としての機能だけでとらえられ、”読む” という動作がなくなれば、それを漢字で書いた場合に ”青い” のか ”蒼い” のか ”碧い” のかはたまた ”藍い” のか、その単語そのものがもつニュアンスが伝わらなくなる。その意味で、”文字離れ” という現象が持つ意味は西欧社会の場合よりも深刻なもののはずだ。このことを単に 最近の若者は文字を読まない、困ったもんだ、という程度の関心ですませてよいものなのだろうか。また、情報が本や新聞というツールによって広まった時期から、ラジオというメカニズムを通じて耳から拾われる時期を、さらにテレビの普及によって、イメージがそのまま解釈される時代になった。そして今やインタネットによって個人が発信する情報のツールもまた、文字でなくイメージで送れるようになり、情報伝達のツール の変革については今やだれも否定できない現実になった。
此処までは赤阪氏のご指摘、問題意識に大いに納得する。しかし、同氏が結論的に指摘される、このような変革によって、個人がいろいろなツールを使って情報発信すること、それがこれからの情報社会を形作る、としておられることに小生は違和感を覚える。
赤阪氏がいわれるのが、”ツールが変わり、個人の情報発信が変化していく“ という事実の確認であればその通りだと思うのだが、この社会現象が ”文字を読まない、新聞を読まない“ という現実を(やむを得ずであろうとは推察するが)肯定というか黙認しようとしておられるのではないか、という不安を持つ。
新聞、ラジオというメカニズムを通すことによって、雑多な情報はある方向性を持った形で伝播する。ここでは新聞なりラジオ局なりの意見が反映されるから、個人の発信する個々の情報とは同一ではなく、その機関の意向が常に正しいという事はあり得ない。しかし個人個人が自分の解釈だけにもとづき、また悪意がある場合には捏造を含めて、情報を散布するということの恐ろしさを我々はもっと真剣に考慮すべきではないか。以前、本稿で大衆社会という、かつては社会学者の間で現代社会に混乱をもたらすであろう帰着として危惧されていたことがすでに現実化しているのではないか、という不安について述べた。政治形態として民主主義を基盤とする国家は、その基本思想のゆえに衆愚政治となりえる危険を避けられない。この冷酷な事実に重ねて、”文字を読まない“ 現象が高まってゆけば、社会は方向性や倫理性を欠いた情報の氾濫に支配されてしまう衆愚世界に堕落するであろう。
赤阪氏のご指摘は今起きている社会現象の説明として誠に正しいと思うのだが、その結果をいわばただ楽観的に、というか直線的に、個人の情報発信のもつポジティヴな面のみを強調されているのではないか、という印象を持ってしまった。すでにいろいろな局面で起きているフェイクニューズの氾濫をはじめとする諸問題にどう対処していくのか、ということについてのご見解を期待したいのだが。
全日本クラッシックカメラクラブという無くなりつつ有る写真フィ
日光杉並木は、日光街道、日光例幣使街道、会津西街道のうち、
表題The Quick & the Dead 早い奴と死人、早撃ちだけが生き残るとなれば、寂れた西部の田舎町リデンプションの目抜き通りで、年に1回開かれる
その一番手
ストーリーは、幼少期に、この田舎町の権力者として支配している
「息子が自分の子供だという証拠はない」とのセリフには驚く。エ
以上ストーリーは他愛ないマンガと言えばそれ迄乍ら、シャロン・
(編集子)俺、こっちのほうがいい。
(保屋野)四万温泉の「積善館」、旅行好きには一度泊まりたい憧れの旅館の一つですね。見聞記ありがとうございます。四万温泉には、もう一つ、昔「美人女将」で有名だった「やまぐち館」もあり、どちらにするか迷うところです。
積善館に似た(文化財建物の)旅館が湯田中・渋温泉の「金具屋」で,一度泊まったことがありますが、やはり建物、設備等が古く、イマイチだった記憶があります。私が泊まったことがある、数少ない高級な有名温泉旅館は、和倉温泉の「加賀屋」、山田温泉の「藤井荘」、かみのやま温泉の「古窯」等ですが、最高だったのは、鹿児島・妙見温泉の「石原荘」です。機会があったらぜひ泊まってみてください。
「マーベリックの黄金」は1971年制作、ユル・ブリンナー主演
Marverickとは、独自路線を往く一匹狼、異
不明の黄金をめぐっての無法者たちの盗り合いということから、題
ストーリーは、牛泥棒キャットロー(ユル・ブリンナー)を南北戦
まああまりそんなこと気にせずに、三
例によってグーグル解説のお出ましを願おう。今回の解説はどうもわかりにくいが、いわく:
マーベリック(maverique)は英語の「maverick(一匹狼、独自路線を行く)」とフランス語の接尾辞「-ique」を組み合わせて作られたジェンダーを表現する名称で、男性でも女性でも中性でもない「独立した性別」を指します。性自認が男性・女性どちらにも当てはまらない「ノンバイナリー」に含まれ、「マーベリック」は男性・女性と同じでそれ自体が独立した性別です。
掲題に関する興味深い記事(講談社が2010年より配信しているWebマガジ
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(編集子)引用されている原文はかなり長文なので、小生が特に疑問に思っている背後の宗教に関する部分だけを借用、転載する。ご容認いただきたく。
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パレスチナ問題についての考えにくさは、知識の不足だけ
一つは文化・宗教的なもので、中東情勢の抗争の中心にあるイスラ
もう一つは、「対米従属」と形容されるような立ち位置を、国際社
一神教的なものと多神教的なものの違い
一神教的なものと多神教的なものの違いは、軸となる時間感覚に明
一神教の信徒は、日常的な感覚を超越した存在があることを信じて
1日が24時間であるというような客観的に計測可能な近代的な時
一神教徒の時間感覚は、神の意志が目的に向かって展開していくこ
近代化された一神教徒が露骨に主張することはないが、しかし根底
そして、それぞれの宗教が歴史的な経緯から尊重するのが、エルサ
直線的な進歩を想定する一神教的な時間と異なる、多神教的な時間
特定の意志の実現よりも、調和の中で時間が反復されることが優先
(編集子)引用された本論文のなかで、この最後のフレーズについては小生は異論を持っているので一言しておきたい。たしかに我が国が長期の停滞状況にあることは事実だし、それに対しての方策が急ぎ実施されなければならない、という点については完全に同意する。しかし、”そこそこの豊かさと幸せ” ということそれこそが実は一国の政治の要諦ではないのか。前にも別のところで述べたが、対米従属であろうと何であろうと、我が国は80年間、ただ一人の若者も戦場では失わずに済んでいる。我が国の政治家たちのありようを西欧諸国のリーダーたち、たとえばチャーチル、ケネディ、はたまた日本と同じ環境におかれたドイツを復興させたリーダーたちと比較すると、残念ながら見劣りがする、という感覚はある。しかしそれにもかかわらず、ほぼ1世紀におよぼうかという時間、この平和をたもってきたのはこのような ”どうも頼りない政治家” たちと ”対米従属” がもたらしたものだという事実は誰も否定できないだろう。その意味で、原文にいう日本人の深層心理は一神教のゆえに生じてきた(ウクライナーロシアのような露骨な国威争いは別として)現実を前にした人たちが実はそれとなく望んでいるものではないのか、と思ってしまうのだが。
ウクライナ戦争が長引いくなかで勃発したイスラエル―ハマスの紛争について、問題に詳しい友人ジャーナリストからの情報を参考までに転載します。
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イスラエル軍とハマスが「戦争」状態に入ってから1週間が経ちま
イスラエルはガザに報復の空爆や限定的な地上作戦を実施し、ハマ
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ネタニヤフはテレビ演説を行い、これまでのハマスへの攻撃は始ま
イスラエル軍の作戦の目的は、ハマスを完全に排除することは無理
ガザには、幅10キロ、長さ40キロという狭いスペースに220
万人もの民間人が住んで おり、そのような密集地域での地上戦には大きな困難が伴います。 当然ながらハマス は、イスラエルからの大規模な地上侵攻を予想しており、長い時間 をかけて十分な準 備をしてきたはずです。トンネルを活用し、民間人を「人間の盾」 としながら、イス ラエル軍に執拗な攻撃を加えつつ、民間人が「虐殺」されるイメー ジを世界中に発信 することを狙っているのでしょう。 イスラエル軍は民間人の退避を呼びかけていますが、わずかな時間
で110万人を移動 させることには無理があり、国連のグテーレス事務総長やEUのボ レル上級代表も「現 実的ではない」としてイスラエルの対応を批判しています。 またガザの封鎖によって生活インフラが機能しなくなることもあり 、南部からエジプ トの国境(ラファ)を超えて出国を認めることも求められ、エジプ トにその対応に向 けた圧力がかかっていますが、エジプトが数十万人もの難民を受け 入れることは考え られません。おそらく数千人程度に限定しながら厳重な管理の下 、一時的な滞在だ けを認め、国際社会に財政支援を求めると予想されます。
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イスラエ ルは人質の奪還には伝統的に大きな情熱を注ぐ傾向があり、過去には1人の兵士を解 放させるために1,000人ものパレスチナの政治犯を釈放させた 例があります。今回 も、人質の奪還に向けた国民からの圧力は高まるでしょう。
一方、ネタニヤフ政権としては、軍事的にも政治的にも、できるだけ早くハマスに強 力な攻撃を行う必要があります。スモトリッチ財務相など政権内の 強硬右派は、人質 に重点を置かずに作戦を推進すべきであるとも主張しています。
なお人質の救出については、米国市民も人質に含まれていることが判明し、米国に とっても重要な課題になります。米国が単独で特殊部隊を派遣し、 直接に関与するこ とは考えにくいですが、イスラエル軍が地上作戦を開始すれば、こ れと共同して作戦 を行うことは十分に予想されます。これは米国のコミットメントを 示すものとして、 米国内でもイスラエルでも評価されるでしょうが、同時に作戦上の 調整も必要になり ます。 地上戦によって民間人に被害が出ることについては米国も懸念して
います。イスラエ ルの正当性が損なわれることのみならず、後述するように、イスラ エルとパレスチナ の紛争を超えて中東地域全体を巻き込む事態に発展しかねないから です。ブリンケン 国務長官がいち早くイスラエル(それにカタール、UAE、サウジ )を訪問したのは、 イスラエル支持を強調する(それによってイランやヒズボラらの行 動を抑止する)の みならず、イスラエルに過剰な行動に出ることのないよう釘を刺す ことが主な目的 だったと考えられます。 こういった点にかんがみると、イスラエル側にはまだ準備が必要で
あり、大規模な地 上戦が始まるまでにはまだ時間がかかる可能性があります。そして 作戦が始まって も、これまでのガザ侵攻とは異なり、数日間で終わることはありま せん。数週間から 数か月かかるでしょう。
パレスチナ人は、パレスチナ地方に居住するアラブ人を独立した民族として捉えた場合の呼称(語源はペリシテ人)。民族的に「アラブ人」と同一であっても、ユダヤ教徒なら宗教的には「ユダヤ人」と呼ばれる。中東でパレスチナと呼ばれる地域は長年、オスマン帝国が支配していた。 第1次世界大戦でこのオスマン帝国が敗れると、パレスチナはイギリスが支配するようになった。 この土地には当時、ユダヤ人が少数派として、アラブ人が多数派として暮らしていたが、1948年にイスラエルというユダヤ人の国ができた。その後は、この土地の中で〝将来、パレスチナ人の国家になりたいと望んでいる東エルサレム・ヨルダン川西岸・ガザ地区を総じて、パレスチナと呼んでいる。
パレスチナ問題の根源は「2つの悲劇」にあるとも言われる。1つは、ユダヤ人が2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきた悲劇で、やっとの思いで悲願の国(=イスラエル)をつくり、それを死守していきたい、二度と自分たちが迫害されるような歴史に戻りたくない、という強烈な意識になっている。
もう1つは、パレスチナの地に根を下ろしていた70万人が、イスラエルの建国で故郷を追われたという、パレスチナ人の悲劇である。いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区という場所で、国にはなれないまま、イスラエルの占領下におかれていて、周辺の国にも多くが難民として暮らしている。
ハマスとは、パレスチナ・ガザ地区を実効支配する武装組織で、イスラエルの破壊と、その後のイスラム国家の樹立を目標に掲げている。2007年にガザ地区を掌握して以来、イスラエルと何度か交戦してきた。
今、竹橋の東京国立近代美術館で「棟方志功生誕120年」展を開
掌サイズの絵葉書から、公共の建築空間の⼤壁画まで、「板画」の
一心不乱に版木に向かう棟方の姿は多くの人々の記憶に刻み込まれ
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ヴェネチア・ビエンナーレでの受賞をはじめ、「世界のムナカタ」
青森時代の肉筆画はゴッボに憧れ、沢山の肉筆画を描いたが帝展に
第二次世界大戦中、富山県に疎開した折に触れた浄土真宗の影響で
1974年(昭和49年)1月、平凡社『別冊太陽』のために、倭
1975年(昭和50年)3月、大縣神社に絵馬を奉納する。4月
棟方の亡骸は生前の希望通り、青森市の三内霊園にある「静眠碑」
志功 盡シ得ス マシテ悲愛ヲ 歡喜モ 驚異モ
棟方がこの碑文について語った言葉が残っている。
驚いても オドロキきれない
喜んでも ヨロコビきれない
悲しんでも カナシミきれない
愛しても アイシきれない
結局、無限なんですよ。未来永永ですよ。
この本のミソは題名の「再考」にあり、それは、以下の誠に刺激的な目次を見れば一目瞭然だ。
1.アフガニスタン報道が隠すタリバンの本性
2.「イランは親日」言説が覆い隠すイランの現実
3.「トルコは親日」言説が覆い隠すトルコの現実
4.なぜイスラム諸国は中国のウィグル人迫害に声を上げないのか
5.「パレスチナ=善、イスラエル=悪」の先入観が隠す事実
6.中東問題をわかりにくくしてきた七つの原因
結論として、時代遅れの中東像からの脱却を、と述べているが、総じて言えることは、亡国の輩である左巻きの連中から見れば、飯山の論は右巻きに見えるのだろうが、彼女の拠って立つ根拠は、極めて冷厳な現実主義(リアリズム)にある。
ただし、この全ての「再考」を網羅すると極めて冗長になることから、ここでは、2.のイラン、5のパレスチナ、イスラエルの項目に絞ることとする。
イランについては、イスラム法学者が最高指導者として全権を掌握する神権国家であり、そのイデオロギーにおいて、米国は世界中のあらゆる悪と腐敗の根源である「大悪魔」とされ、宗教イデオロギーによって駆動された全体主義国家にしてテロ支援国家であると定義づけられている。従って、日本が、1951年、英国の制裁を押し切って、イランから原油を直接輸入した出光の日章丸事件(ただし、イランは、当時と違って、1979年にイラン・イスラム革命が起こり、現在の体制となっており、当時とは事情が大きく異なっている。なお、この感動秘話を小説にしたのが、百田尚樹の「海賊と呼ばれた男」だ)、或いは、テレビ・ドラマの「おしん」の最高視聴率が90%であったことなどから、イランは親日国家であるとの勘違いが日本には蔓延している。しかし、イランが公言しているわけではないが、日本は、大悪魔である米国のポチと見做されており、その証拠に、2019年6月、日本企業のタンカーがホルムズ海峡で何者かによって攻撃された事件があり、これを、米国はイランの仕業と断定している。
また、パレスチナ、イスラエルについては、ガザ地区のパレスチナはテロリストのハマスが強権を発動して支配しており、パレスチナ自治政府のアッバス議長が本音を漏らしたように、ハマスの行動はパレスチナ人を代表するものではない。そして、ハマスの憲章の冒頭には、イランのそれと同様にイスラエル殲滅が掲げられており、パレスチナ人の民生向上を無視し、その幹部の腐敗が蔓延している(日本は、ガザ地区のパレスチナに1000万ドル人道支援するようだが、果たしてこれが本当に困っているパレスチナ人に渡るのか。テロリストのハマスに渡るならば本末転倒ここに極まれりだ)。
ただし、ここで一言述べておきたい。それは、パレスチナが統治しているヨルダン川西岸地区へのユダヤ人(イスラエル)の違法な入植について全く触れていないのは、片手落ちではないかと言うことだ。いくらイスラエルをご贔屓にしていても、その過ちについては厳しく指弾すべきだ。さもなくば、飯山の言っていることの全てが信用できないものとなって来る。
イスラム教にせよユダヤ教にせよ、はたまたキリスト教にせよ、いずれにしても、一神教は途轍もなくオソロシイ。果たして世の中に幸福を齎したのだろうか。むしろ、禍を、齎したのではないか。その意味で、我々は、多神教、八百万の神の国に生まれたことに感謝すべきだろう。いや、もしかしたら世界中が日本のように多神教になったなら、争いが極端に減少するのではないだろうか。その意味では、中東問題の抜本的な解決は、正にここにあり、か。