フィヨルドの旅     (42 齋藤孝)

北アルプス並みの高山がいきなり海面からそそり立つ。海岸線は断崖絶壁。リアスと呼ばれる複雑な奥深い入り江はU字谷を形成している。山頂には残雪があり幾筋もの滝が流れ落ちている。

ノルウェーのソグネ・フィヨルドは雄大な神々しい大自然だった。同船したインド人はつぶやく。フィヨルドは神の存在を感じるほど美しい・・・!

こんな絶壁に囲まれた湾はヴァイキングにとり絶好の隠れ場であった。
ヴァイキングの語源は、フィヨルドのことをヴィークと呼ぶことから、そこに住む民を「ヴァイキング」と呼ぶ。英雄伝説『サーガ』はルーン文字によってヴァイキングの偉業を石碑に刻む。キリスト教布教以前のフィヨルドの歴史。

ノルウェーのヴァイキングは「ノルマン人」と呼ぶ。
フランス・ノルマンディーに定住したノルマン人は、11世紀にイングランド王国を征服。フランス語をイングランドに広めたノルマンディー公ウィリアムは文化人だった。角のある兜を被った海賊や略奪を働く戦士姿のヴァイキングからは想像もできない。さらにロシアとウクライナの建国にも関係し、遠くビザンチンまで足を運んでいる。 ヴァイキングは略奪を専業としていたのではなく交易の民だった。ノルウェーのソグネ・フィヨルドからノルマン人は出航していった。

********************************

(編集子が世界史にはなじみが全くないため、例によって余計なお世話かも知れないがウイキ解説を記載。今や常識になった、”ヴァイキング料理” という名前は日本のどこかのホテルが思いついたものだと理解しているが、でヴァイキングとの関係はよくわからない。博識の読者のご教示を待つ)

ゲルマン人の一部のノルマン人が、9~11世紀に北ヨーロッパから各地に移動を行い、中世社会に大きな変化をもたらした。 ノルマン人はインド=ヨーロッパ語族のゲルマン人に属し、スカンディナヴィア半島やユトランド半島(デンマーク)で、狩猟や漁労に従事し、造船や航海術にたけた民族だった。4~6世紀のゲルマン人の民族大移動の時期には北ヨーロッパに止まっていたが、8世紀ごろから人口増加は始まり、9世紀になるとさかんに海上に進出して海賊を兼ねながら交易に従事するようになった。このような9~11世紀のノルマン人の移動は、第2次民族大移動ともいわれている。

 彼らは、フランク王国の分裂に乗じて、海岸を荒らし回り、さらに底の平らな船で川を遡り、内陸深く侵入して掠奪を重ね、とくに西フランクでは大いに恐れられた。西フランク王国から奪った女性や子供を、遠くイスラームに奴隷として売り飛ばし、イスラームから多量の貨幣を得ていた。(現在もバルト海の島々の遺跡から、アッバース朝のバグダードで鋳造された貨幣が大量に出土する。)そのような一面から彼らはヴァイキング(入り江の民、の意味)と言われ恐れられた。