バイデン大統領の5月1日の発言が物議を醸している。
(安田)日本の将来を語る時、少子化、人口減少、労働力不足、
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
バイデン大統領の5月1日の発言が物議を醸している。
(安田)日本の将来を語る時、少子化、人口減少、労働力不足、
第二弾: キューバリブレ
簡単ですが、今でも世界中で飲まれているカクテルです。アメリカ生活をされた方ならお飲みになったかと思います。
氷を入れたタンブラーにホワイトラム30ミリリットル〜60ミリリットル(
適量のコーラを氷を避けて 適量 静かに注ぎます。(勢いよく氷の上から注ぐと炭酸が弱くなる。
☆ライムが手に入らない場合にはレモンを代用する。
★19世紀末に第二次キューバ独立戦争を起こし、
「サピエンス全史」「ホモ・デウス」で知られたユダヤ人(イ
昨秋勃発したパレスティナ・ガザ問題に対する、彼自身の祖国イス
イスラエルは今後数日のうちに、歴史的な政策決定を下さなければならない。それは今後何世代にもわたってイスラエルの運命と地域全体の運命を左右しかねないものになるだろう。しかし、残念なことに、ベンヤミン・ネタニヤフ首相と彼の政治パートナーにそうした決断を下せる能力がないことは、すでに何度も示されてきた。彼らが長年進めてきた政策によって、イスラエルは破滅の瀬戸際に追いやられている。しかし、彼らは過ちを悔いる様子も、方向を転換する様子も見せていない。このまま彼らが政権を握っていれば、イスラエルと中東地域全体は破綻するだろう。慌ててイランと新たな戦争を始めるのではなく、まずは過去半年の戦争における自分たちの失敗から学ぶべきだ。戦争は政治的目的を達成するための軍事的手段である。その成功を測るのは、目的が達成されたかどうかだ。10月7日の恐ろしい大虐殺の後、イスラエルは人質を取り戻し、ハマスの武装を解除する必要があった。しかし、それだけではない。イランとその影響下にある勢力がイスラエルの存亡にかかわる危機を起こしうることを考えると、西欧民主主義国との同盟も深める必要があった。穏健なアラブ諸国との協力関係も強化し、地域秩序を安定化させるべきだった。
しかし、これらすべての目的をネタニヤフ政権は無視し、代わりに力を注いだのは復讐することだった。人質全員の解放も、ハマスの武装解除もできなかった。さらに230万人のパレスチナ人がいるガザ地区に意図的に人道的な大惨事を引き起こし、イスラエル存立に関する道義的・地政学的な基盤までをも損なわせた。ガザでの人道危機とヨルダン川西岸地区の状況悪化のために、地域内で混乱が起きている。そのためにイスラエルと西欧民主主義国との同盟関係は弱まり、エジプト、ヨルダン、サウジアラビアなどのアラブ諸国から協力を得るのが難しくなっている。イスラエル人の多くはいまテヘランに注目しているが、その攻撃以前からガザやヨルダン川西岸で起きていることには目をつぶろうとしてきた。しかし、私たちがパレスチナ人に対する態度を改めなければ、私たち自身の思い上がりと復讐心によって、歴史的な大惨事に追い込まれるだろう。戦争が始まって半年が経つが、多くの人質はいまだ拘束されたままで、ハマスはまだ戦闘を続けている。ガザは壊滅状態で、何万人も殺され、人口のほとんどが避難を強いられ、飢餓に苦しんでいる。そんなガザとともにイスラエルの国際的地位も失墜した。かつての友好国の多くからも嫌われ、疎外されている。
もしイランやその代理勢力の間で全面戦争になった場合、イスラエルはどこまで米国や西側の民主主義国、穏健なアラブ諸国を頼れるのだろうか。彼らが危険を冒してまでもわれわれに軍事的・外交的に重要な援助をしてくれると、いつまで期待できるだろうか。
たとえイランとの戦争を回避できたとしても、孤立したイスラエルはいつまで生き残れるのだろうか。イスラエルにはロシアのような豊富な資源はない。商業的、科学的、文化的な世界との繋がりを失い、米国の武器や資金も得られなくなったイスラエルに待ち受ける最も楽観的なシナリオは、「中東の北朝鮮」になることだ。現実に起きていること、現状に至った理由を否定し、そういう主張を認めないイスラエル市民があまりにも多すぎる。特に、ガザの人道危機の深刻さを否定するがゆえに、現在の外交危機の深刻さを理解できない人が多い。ガザの惨状、殺戮、飢餓に関する報道を目にすると、彼らはフェイクニュースだと主張し、イスラエルの行動を道徳的・軍事的に正当化したりする。すべての問題を反ユダヤ主義のせいにしようとする人は、戦争が始まってから最初の数週間を思い出すべきだ。当時、イスラエルはかつてないほど多くの国際的支援を享受していた。米国大統領、フランス大統領、ドイツ首相、英国首相をはじめ、数多くの首相や外相、高官がイスラエルを訪れ、ハマスの武装解除と壊滅を目指すイスラエルへの支持を表明した。言葉だけでなく、国際的な軍事支援ももたらされ、膨大な量の軍事装備がイスラエルに届いた。たとえば、ドイツからイスラエルへの武器輸出は10倍に増加した。このような支援がなければ、イスラエルはガザやレバノンで戦うことも、イランやその支援勢力との紛争に備えることもできなかっただろう。同時に、イエメンのフーシ派に対抗し、紅海とインド洋に国際的な艦隊が集結し、イスラエル南部の都市・エイラートとスエズ運河に通じる商業航路の確保が目指されている。それと同じくらい重要なのは、戦争の期間だ。過去の戦闘では、同盟国が数日から数週間以内に停戦に同意するよう求めたため、イスラエルは急いで戦わなくてはならなかった。しかし今回はハマスの殺人的な性質を考慮し、イスラエルがガザを征服し、人質を解放するために何ヵ月も戦うことを同盟国は許容した。イスラエルの最善の判断に従って同地区の状況を変え、地域における新たな秩序作りをすることが許されたのだ。
しかし、ネタニヤフ政権はこの歴史的な機会を無駄にし、イスラエル国防軍の兵士たちの勇敢さと献身も無駄にした。彼らは、戦場での勝利を活かして人質全員の解放に合意することも、ガザで新たな政治体制作りを進めることもできなかった。代わりに達成したのは、ガザで不必要な人道的災害を故意に引き起こし、それによってイスラエルに不要な政治的災害を与えたことだ。
ガザで起きていることを恐れた同盟国は次々と即時停戦を要求し、イスラエルへの武器禁輸まで求めている。イランやヒズボラ、ハマスを恐れる穏健なアラブ諸国はイスラエルと利害が一致しているが、ガザを壊滅させているイスラエルに協力姿勢を示すのは難しい。
ネタニヤフ政権は、武器や外交的支援を得るための代替手段が他にあるかのように、米国との関係さえも悪化させた。米国や世界中の若い世代は、イスラエルは人種差別的で暴力的な国であり、何百万人もの人々を家から追い出し、飢餓に陥れ、復讐以上の理由もなく何千人もの民間人を殺害する国だと考えるようになった。その影響は、今後数日、数ヵ月だけでなく、数十年先まで続くだろう。ハマスがイスラエルを打ち負かすには、10月7日の最悪の瞬間でさえまだ程遠かった。しかし、それ以降にネタニヤフ政権が採った政策は破滅的で、イスラエルを存亡の危機に陥れてしまったのだ。
ネタニヤフ政権による戦争での失敗は偶然ではない。長年にわたって壊滅的な政策を採ってきた結果である。3つの長期的な要素の組み合わせが、ガザに人道的大惨事を引き起こすという決断をもたらした。その3つとは、パレスチナ人の命の価値に対する感覚の欠如、イスラエルの国際的地位に対する感度のなさ、イスラエルの真の安全保障上の必要性を無視した優先づけだ。
ネタニヤフとその政治的パートナーたちは、長年にわたり、パレスチナ人の命の価値を軽視する人種差別的な世界観を培ってきた。2023年2月にヨルダン川西岸のハワラで起きたポグロムは、現在のガザの悲劇に通じる。2023年2月26日、イスラエルの入植者2人がハワラを車で走行中に殺害された。その報復として入植者の暴徒がハワラの家屋、商店、自動車に放火し、罪のないパレスチナ市民数十人を負傷させた。しかし、イスラエルの治安部隊はこの無法行為をほとんど止めようとはしなかった。2人のイスラエル人殺害への復讐として町全体を焼き払うのに慣れた人々には、10月7日の残虐行為への復讐としてガザ全体を荒廃させるのも当然のことだ。
ハマスが10月7日に凶悪な罪を犯した殺人組織であることは間違いない。しかし、民主主義国家とされるイスラエルは、このような残虐行為に直面しても国際法を尊重し、基本的人権を守り、普遍的な道徳基準を守り続けなければならない。だからこそ、米国、ドイツ、英国といった国々は、10月7日以降、私たちの味方をしてくれたのだ。もちろん、民主主義国家には自国を防衛する権利、いや義務がある。戦争においては、重要な政治的目的を達成するために非常に暴力的な行動が求められる場合もある。しかし、10月7日以降のイスラエルによる行動の多くは復讐心、あるいは何十万人ものパレスチナ人をガザから永久に追い出したいという、さらに悪い願望に突き動かされていたように思われる。長年にわたり、ネタニヤフらはイスラエル国民に、西欧民主主義国との関係を軽視させるような世界観を国民に植え付けてきた。近年の選挙キャンペーンで道端に掲げられた巨大なポスターには「別の同盟からの指導者」と記され、ウラジーミル・プーチン露大統領と握手する笑顔のネタニヤフの姿があった。イスラエルの超権力者がモスクワやブダペストと新たに親しくしているときに、ワシントンやベルリンは必要だろうか。プーチンが新しい友人なら、プーチンのように振る舞うのか。テロリストの耳を切り落とすなど、現在でもプーチンの振る舞いに憧れ、イスラエルはプーチンを見習うべきだと考えるイスラエル人がいる。言うまでもなく、10月7日以降、プーチンはネタニヤフを裏切り、ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相がイスラエルを訪問することはなかった。イスラエルを助けようと急いだのは、ワシントンとベルリンのリベラル派だった。しかし、ネタニヤフはおそらく無気力さから、自分たちを助けてくれる人たちの手に噛みつき続けているのだろう。
イスラエルが国際的な孤立を深め、学者や芸術家、若者の間でイスラエルへの憎悪が表明されている。それは、ハマスのプロパガンダのためだけではなく、過去15年間にネタニヤフが国の優先順位を歪めたためである。ネタニヤフらは、西欧民主主義国との同盟の重要性を軽視し、イスラエルで最も重要な安全保障上の必要性も無視したアジェンダを長年追求した。10月7日の大失敗を招いた原因についてはすでに多く書かれており、今後もさらにたくさんの分析が出てくるだろう。首相は細部にまで責任を負えないのは当然だ。しかし、国の優先順位決めという最も重要なことに責任を持つのは首相だ。そして、ネタニヤフが優先したのは災難を起こすことだった。彼らは国境を守るより、占領を強化することを好んだ。占領地におけるイスラエル人の違法入植をひとつも立ち退かせられなかった指導者が、イスラエル南部の都市スデロットと、北部の都市キリヤット・シュモナから何万人もの住民をたった1日で退避させた。さらに悪いのは、現在の政権樹立時にイスラエルが抱える数多くの問題のなかからネタニヤフが定めた重点だ。ハマス、ヒズボラ、イランのどれとの戦いを優先すべきなのか。さまざまな思考を巡らせた末、ネタニヤフが重視したのは最高裁との戦いだった。もし2023年1月から10月までに最高裁との争いに費やした注意の4分の1をハマスに向けていれば、10月7日の大惨事は防げただろう。10月7日以降、ネタニヤフは戦争の目的を決めなくてはならなかったが、安全保障の優先順位を再び低くしていても不思議ではない。ハマスを武装解除させるために、イスラエル軍がガザに入らなければならなかったのは明らかだ。しかし、戦争の長期的目的は、イスラエル人の安全を長年保障できるような安定した地域秩序を作ることであるべきだった。
そのような秩序は、イスラエルと西欧民主主義国との同盟を強化し、穏健なアラブ勢力との協力を深めることによってのみ作り出せる。しかし、そうではなく、ネタニヤフは復讐することを選んだ。復讐のためだけに、パレスチナ人とイスラエル人全員の頭の上でガザの神殿を崩すことを選んだ。「旧約聖書」の「士師記」に登場する目を失ったサムソンのように。イスラエル人は聖書をよく理解しており、その物語が大好きだ。しかし、10月7日以降、なぜ私たちはサムソンを忘れてしまったのだろうか。彼はガザに拉致されたユダヤ人の英雄で、ペリシテ人に暗所に監禁され、ひどい拷問を受けた。なぜ10月7日以降、サムソンはシンボルにならなかったのか。ステッカーや落書き、インターネットのミームなど、いたるところでサムソンの姿を目にしないのはなぜだろうか。
サムソンとは、旧約聖書に登場する古代イスラエルの士師の一人で、怪力の持ち主。強い者が失敗する現象をサムソン・シンドロームということがある。その答えは、サムソンのメッセージが怖すぎるからだろう。サムソンは「私は復讐する。私の魂がペリシテ人とともに滅びるように」と言った。10月7日以降、私たちは多くの点でサムソンと似てしまった。思い上がり、盲目的になり、復讐や心中を志向した。ペリシテ人に仕返しをするためだけに自らの魂を滅ぼした、虚栄心の強い英雄を思い出すのは、あまりにも恐ろしい。
(不順な天候が続いたがどうやら、初夏の到来らしい。かぐわしい夕刻にふさわしい、素人にもできるさわやかなカクテルについて、多摩市のバー ”アンノウン” の川島恭子さんにレシピを教えてもらうことが出来た)
材料 ホワイトラム30ミリリットル グレープフルーツジュース30ミリリットル
タンブラーに氷を入れ、上記の材料を入れ混ぜます。その後 トニックウォーターを適量 静かに注ぎます。
3月20日から約1か月間日本へフランス人グル-プのツア-
長い旅で、果たして最後までやり切れるかしら?
(河瀬)今年は桜の満開が遅れたのが何よりでしたね。評判のいい、
(安田)愛子さん引率のフランス人グループの日本旅行に因み、
5月5日はこどもの日。こどもの日が法律で定められた祝日であるのに対し、端午の節句は
端午の節句の起源は、2300年前の中国です。もともと5月5日
鯉のぼりは、江戸時代の武士が玄関に飾っていた幟や旗指物が由来
世界では11月20日の「世界子どもの日」は、1954年、世界
生きる権利や成長する権利、暴力から守られる権利、教育を受ける
児童憲章
児童は、 人として尊ばれる。
児童は 社会の一員として重んぜられる。 児童は よい環境のなかで育てられる。
しかし、児童の生活権や学習権の保障、児童の心身の保護などにつ
ユニセフ協会によると推定4,500万人の5歳未満児が消耗症(
しかし、日本の家庭では以前は子供が4人から6人程度居るのが当
婚姻件数は、第 1 次ベビーブーム世代が 25 歳前後の年齢を迎えた 1970 年から 1974 年にかけて年間100 万組を超え、婚姻率(人口千人当たりの婚姻件数)も概ね 10.0 以上であった。その後は、婚姻件数、 婚姻率ともに低下傾向となり、1978 年以降 2010 年まで、婚姻件数はおおよそ年間 70 万組台で増減を 繰り返しながら推移してきたが、2011 年以降、年間 60 万組台で低下を続け、2018 年に初めて 60 万組 台を割り込んだ。2021 年は 50 万 1,138 組と過去最低を更新した。婚姻率も 4.1 で過去最低となり、1970 年代前半と比べると半分程度の水準となっている。
我が国の年間の出生数は、第 1 次ベビーブーム期には約 270 万人、第 2 次ベビーブーム期の 1973 年には約 210 万人であったが、1975 年に 200 万人を割り込み、それ以降、毎年減少し続けた。1984 年に は 150 万人を割り込み、1991 年以降は増加と減少を繰り返しながら、緩やかな減少傾向となっ
合計特殊出生率は、第 1 次ベビーブーム期には 4.3 を超えていたが、1950 年以降急激に低下した。 その後、第 2 次ベビーブーム期を含め、ほぼ 2.1 台で推移していたが、1975 年に 2.0 を下回ってから再 び低下傾向となった。1989 年にはそれまで最低であった 1966 年(丙午:ひのえうま)の 1.58 を下回 る 1.57 を記録し、さらに、2005 年には過去最低である 1.26 まで落ち込んだ。その後、2015 年には 1.45 まで上昇したものの、2021 年は 1.30 となった。2023年の合計特殊出生率は、1.20程度になる見
我が国の人口は、江戸時代末期には3,400万人程度であったと
戦後は、海外からの引揚げとそれに伴う第1次ベビーブームによる
平成14年(2002年)の総務省の人口推計では、我が国の人口
https://www.mhlw.go.jp/content
日本全体の将来推計人口が国立社会保障・人口問題研究所から20
さらに、今後の人口動向が超長期に続くなら、100年後の日本の
婚姻率の低下と出生率の低下はだだ経済的な理由だけでは無いと思
テレビ「ポッンと一軒」は興味深い。以前は沢山の集落だったのが今は一軒。老人が頑張って人生を謳歌しながら生活している
子供の日にふと考える。人口減少問題はエネルギー問題・食糧不足
シャーロック・ホームズのシリーズには、後年、幾人かの作家によって続編が書かれ、翻訳も出版されていて、質的にも評価されている。HBの古典(であると勝手に小生が思い込んでいるのだが)レイモンド・チャンドラーの 長いお別れには、現代アメリカンミステリの代表的作家 ロバート・パーカーの プードル・スプリングス物語 という作品があり、ほかにも短編は数多く書かれている。続編ものの代表作ともいえる プードルスプリングス物語は、原作でほのめかされていた話が現実化した形をとって主人公マーロウがリンダ・ローリングと結婚してから、物質的には恵まれるのだがそれにあきたらず、また私立探偵稼業をはじめる、という筋で、主人公以外には原作とのつながりはあまりない。パーカーの場合は彼自身がつくりだしたスペンサーという主人公のイメージが読者の間に浸透しすぎているので、この作品をストレートにチャンドラーの続編ととらえるにはどうしても違和感があるように思える。
(ウイキペディア解説)
『プードル・スプリングス物語』(Poodle Springs)は、アメリカの作家レイモンド・チャンドラーの未完の遺稿をロバート・B・パーカーが完成させたハードボイルド小説。1989年に刊行された。私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズの第8作となる。『長いお別れ』で出会った富豪の娘リンダ・ローリングと結婚し、プードル・スプリングスの豪邸に住むことになったフィリップ・マーロウ。だが、妻の金で暮らすことを潔しとしないマーロウは町はずれに探偵事務所を開いた。最初の依頼人は、借金を返さない男を捜してほしいというカジノ経営者だったが、一見単純な依頼はやがて殺人事件へと発展する。
これに対して、今回、またまた例によって立ち読み中に発見して買ってきたベンジャミン・ブラック(浅学にして小生は知らないのだが、英国ブッカー賞作家、ジョン・バンヴィルがミステリ執筆時だけに使うペンネームだそうだ)の作品は、マーロウはもちろん、チャンドラー作品に登場するおなじみの脇役がしっかり出てくる。終盤近くにギャングがつけ狙う(何かが―ま、麻薬だろうと想像は出来るのだが―が入っている)スーツケースの外観が、”お別れ” でテリー・レノックスがマーロウにあづけていた ”英国製の豚皮の素晴らしいスーツケース” と分かるので、ははーん、と膝を打つとラストにはそのレノックス本人が登場する。”長い別れ” をしたはずのテリーのほか、グリーン警部やバー二イ・オールズ検事も出てくるし背景に暗躍するギャング筋も同じ名前が出てくる。そういう意味で、変な言い方だが、続編らしい続編、と言える仕上がりになっている。
面白いことはときどきつづけて起きる。この本は、書棚に並んでいる本のカバーに チャンドラー という文句があったので見つけたのだが、その時、無意識に目の端に入った本にも、そのカバーに チャンドラー という文字があるではないか。こちらは全く知らない著者のものだが、(チャンドラーをしのぐ傑作!)というような刷り込みだったことがわかり、いつもの衝動買いの癖で買ってしまった。この本はこの後の話になる。
同じ続編でも、プードルのほうはパーカーが宣言して書いた、となるとそれなりに身構えて読んだのだが、この黒い瞳、のほうは、エーガの話で考えてみると、ジョン・フォードの西部劇の名作(これも小生の思い込みなので勘弁してほしいのだが)騎兵隊三部作、がウエインだけの魅力ではなく、毎回登場する脇役陣に感じる親近感で支えられているのと同じような親近感を覚えながらあっさり読んでしまった。ミステリーである以上、筋書きを描くわけにはいかないが、推理小説としての質、というか出来栄え、については評価は分かれるかもしれないが。
この映画、≪ナポリのアデリーナ≫≪ミラノのアンナ≫≪ローマのマーラ≫というそれぞれ独立の話を1本の映画に収めたもので、この当時に流行ったオムニバス映画(数人の監督の製作した別々の物語を1本の映画に収める)と似た構成でした。主演はソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニというイタリアを代表する2大スターですが、監督がヴィットリオ・デ・シーカという点で注目されます。
監督デ・シーカは、映画「道」の他10本ほどの名作・注目作を作ったフェデリコ・フェリーニ監督ほどにはイタリアの監督としては注目されていないかも知れませんが、日本の映画ファン史では「靴みがき」(1946年)、「自転車泥棒」(1948年)、「終着駅」(1953年)、「昨日 今日 明日」(1963年)、「ああ結婚」(1964年)、「ひまわり」(1970年)と、それぞれの時代に強烈な印象を与えて来た監督と思います。「自転車泥棒」はエーガ愛好会では評価しない人も居たと思いますが、「ひまわり」は同じ主演のソフィア・ローレンとマストロヤンニで大いなる悲劇で、殆どの人が名作と認める映画だと思います。「終着駅」はモンゴメリー・クリフトとジェニファー・ジョーンズのローマ中央駅(テルミニ)での密会の恋愛物ですが、大きなスクリーンの暗い劇場で観るのと、今日のお茶の間やリビングで観るのとは違った印象があると思いますが、初めてローマを訪れた時にどうしても「終着駅」の舞台になったテルミニをこの目で見たいと思って時間を割いて歩き回ったものです。
「昨日 今日 明日」はイタリア人気質を少し誇張して、更に滑稽に脚本が作られていると思いますが、少し前に書いたように喜劇の製作は中々難しいもので、この作品はくすくす笑いではありますが、上手く出来ている作品と思います。又、製作者がカルロ・ポンティというソフィア・ローレンと結婚した巨匠で、この映画は愛妻を自由自在に演技させている感じが出ていて、ソフィア・ローレンの代表作の1本(勿論マルチェロ・マストロヤンニの代表作の1本でもありますが)でもあると思います。
(保屋野)掲題イタリア映画観ました。久しぶりの洋画鑑賞でした。ソフィア・ローレンとマストロヤンニ主演の(三話)オムニバス映画です。内容等は飯田さんの(完璧な)コメントに付け加えることはありません。
三話とも「強い女」に翻弄される「弱い男」をコメディータッチに描いた作品で、感動はしないが、そこそこ面白いエーガでした。そして、やはり、上記イタリアを代表する男女俳優(特にロ-レン)の魅力は見応えありました。
(安田)フェリーニ、
(’飯田)監督のヴィトリオ・デ・シーカは「武器よさらば」他にも出演し、アカデミー助演賞候補にノミネートされていますね。端正な顔で俳優としても通用する気がします。もう一人、監督であり俳優としても出演作が多かったのは監督ジョン・ヒューストンですね。監督として「アフリカの女王」「赤い風車」「白鯨」などの名作を演出する一方で俳優としても、「枢機卿」でアカデミー助演賞にノミネートされ、「天地創造」(1966年)ではノアの箱舟のシーンで延々と説教するシーンが印象に残っています。「007/カジノ・ロワイヤル」にも出演しています。彼の場合は、どちらかというと一癖ある顔つきなので役柄が広い気がしますが・・・。
(編集子)自分で出てきた監督、なら、必ず冒頭に現れたヒッチコックのことを思い出す。”禁じられた遊び” 以降、テーマが深刻な欧州映画は見ないことにしているが、”自転車泥棒” は記憶にある。エーガと直接関係ない話だが、愛読書のひとつ、北方謙三の ”ブラディドール” シリーズで、”ひまわり” のことがフィーチュアされている作品がある。なんとなく引用されている雰囲気にマッチしてる、と思ったことはあるが、エーガそのものは見ていない。
急遽思い立って、日帰りで「浜松花博」へ行ってきました。~品川→浜松は自宅→品川より(時間的に)近いのにビックリ。
品川発8:10→浜松着9:27→(バス50分)浜松フラワーパーク(2時間滞在)→(バス30分)浜名湖ガーデンパーク(2時間滞在)→(バス15分)舞阪駅→(電車2駅)浜松(4000円のうな重を食べて)浜松発17:17→ 品川着18:35
20年ぶりの浜松花博でしたが、丁度藤が見頃で、春の花満載の「2万歩の目の保養旅」でした。
*3枚目の写真は、ガーデンパークのデイジー(後ろに「ネモフィラ」)が写っていますが、ある歌を思い出しました。森山良子の「遠い遠いあの野原」~デイジーやパンジー咲いていたあの野原、という歌詞が印象的でした。聴いたことがあると思いますが、ぜひユーチューブでお聴きください。
なお、花博は6月16日まで開催しています。お暇な方はぜひ。(ガーデンパークから浜松駅行のバスは80分もかかるので、上記「舞阪駅」経由が便利です。)
*1枚目、2枚目の写真はフラワーパークです。
(「浜名湖花博2024」の期間を6月16日までとお知らせしましたが、これは「はままつフラワーパーク」の会場だけで「浜名湖ガーデンパーク」会場の方は6月2日まででした。もし行かれる場合は注意してください。 *浜松花博→浜名湖花博でした)。