(中司)ワイフが大河ドラマを見ている間に散歩してきた。
(中司)有為転変 往事茫々 驚天動地 階前の梧葉既に秋声 嗚呼古城何をか語り 岸の波何をか語らん 受験英語なら time really flies, というやつよ。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
(中司)ワイフが大河ドラマを見ている間に散歩してきた。
(中司)有為転変 往事茫々 驚天動地 階前の梧葉既に秋声 嗚呼古城何をか語り 岸の波何をか語らん 受験英語なら time really flies, というやつよ。
香港、ミャンマー、アフガニスタンとここのところ政変が相次いでいる。表面的には安定しているように見えるトルコだとか、ウクライナなどでも国内事情はいろいろと波乱含みのように見える。そして共通に語られるのが民主主義の危機、というテーマである。だいぶ前にフランシス・フクヤマという政治学者が書いた 歴史の終わり という本が有名になった。この本は今や世界の国々は民主主義を基盤にする段階に到達し、イデオロギー論争は問題でなくなった、と主張し、民主主義は変わらずに存続しつづけるだろうと断じた。しかし現時点において、彼の主張はどうやら誤りか、もしくは時期尚早な結論であったのではないか、と思い始めていたので、散歩帰りによったいつもの本屋で、(例によって)衝動買いしてしまったのが本書である。
本書はトランプ政権が誕生した米国の社会事情についての考察から始まっている。一部の人々はトランプによってアメリカの民主主義が破壊された、と主張するが、著者は米国の民主主義そのものはトランプ一人によって破壊されるほど脆弱ではない、と断じたうえで、一方、トランプのいかんにかかわらず、民主主義そのものは壊れかけているのだ、と主張する。それはどうしてか、なぜか、という考察がこの本の主張である。著者は民主主義、という考え方を定義して、個人の尊厳と社会の長期的利益を両立させる政治思想であるとする。その意味で言えば、中国は長期的利益は上げているものの個人の尊厳を重視しない社会であるから(当然だが)民主主義とは言えないことになる。西欧諸国をはじめとする民主主義国はこの二つの原理の追求をしてきているわけだが、その思想そのものが次の三つの事象、すなわち、
(1)クーデター (2)災害などの大惨事 (3)テクノロジー
によって、崩壊の危機に瀕しているのだ、というのが本著の文脈である。
1のクーデターの最もわかりやすい例は最近起きたミャンマーの件などがあるが、著者は街に戦車が侵入してくるような事件だけがクーデターではなく、現実問題として起きているのは、政治の世界で表面に暴力行為は現れないものの、勢力の交代のような形で、現実の政府の意向がすり替えられてしまうことも含まれている。我々には事情が複雑すぎてよくわからないのだが、たとえばトルコで起きていることはそういう意味ではクーデターが起きたのと同じことなのではないか、といったことである。
2では大規模の自然災害や環境破壊などの結果、社会の安定性が復活せず、当面の対策の連鎖の中で、本来の民主主義とはあいいれない結果が生まれてしまうことを指している。有名な ”沈黙の春“ という環境問題をとりあげたカーソンはこの本によって破壊されつつある自然に対する社会的反応を呼び起こし、政府に必要な規制強化を促したが、これは実は民主主義の世界だったからこそ可能になった。しかし昨今では化石燃料によって大規模な経済成長を可能にした国々の抵抗や、先進国のビッグビジネスの利益を確保するためのロビー活動などの結果、現実に起きていることは民主主義の基本倫理には合致していない。
3についての著者の見解は、インタネットを基盤として爆発したテクノロジーが与える影響である。トランプ大統領はツイッターを利用して、直接国民に訴えることで個人の意見が政治に直結する、これが民主主義だという誤った印象を与え、個人の意向にそぐわない政治が行われるのは目に見えない何者かが政治を動かしている、といういわゆる陰謀論を惹起し、米国の分断に拍車をかけた。著者は特にフェイスブックのいわば跳梁に極めて厳しい見方をしている。
本書の主張する3ポイントの中で特に興味を持ったのが テクノロジーの影響という項目である。僕は高校3年の時に授業で読んだエリッヒ・フロムの 自由からの逃走 という本に影響を受けて、大学では経済学部ながら社会思想史のゼミに加わり、卒業論文にこのフロムを選び、彼が主要な論客のひとりとされていた 大衆社会論 という考え方に共鳴した。自由からの逃走 は巧妙に作られたナチの世論操作によってドイツ人がヒトラーの狂信思想のわなに陥ってしまった事実を取り上げ、そこから導かれた 匿名の権威(anonymous authority) という考え方を提示した。具体的に言えば、マスコミュニケーション(当時は新聞が主力であり、テレビはまだ始まったばかりであった)が読者に対して与える影響である。マスコミが結果的に伝播させてしまう考え方や思想、それが決して権力者や主導者といった明確な意識を読者に持たせずに社会の意識や行動を左右してしまう。その結果社会の動きがいつ、だれが主導したかも気がつかないうちに作られてしまう、という現実をフロムは主著 Sane Society (正気の社会) のなかで鋭く指摘したのだ。僕自身、昨今のネット社会の現実を見て、彼が主張した大衆社会、という現実がすでに起きてしまった、と考えているので、たまたまフェイスブックだけがランシマンの指弾を受けているが、大きな意味でかれが民主主義を破滅させるだろう要因としてテクノロジー、という項目を取り上げたのに全面的に同意するのである。
ほかに本書の中で面白いと思ったのは、著者が日本を彼があげた民主主義のもたらすべき長期の成果・安定という意味ではほかの西欧諸国からみて一時の成果を上げたけれども結果的には失敗した国だ、と明言していながら(確かに数字だけ見ればそうなるかもしれない)、別の個所では後世、21世紀の日本という国は素晴らしい国だったとされるだろう、といわば矛盾した観察をしていることである。これは彼の言う第一の視点、個人の尊厳、ということを指しているともとれるが、なぜ日本が一転して成功例となるのか、説明はない。長期的利益、が単なる数字だけでは測れない、ということなのだろうか。もしそうなら、彼の前提となる民主主義の定義そのものも変わってしまうのだが。
(船津)「民主主義」とは?戦後、米国は日本の占領政策で「菊と刀」を深読みし過ぎ、
(小川) ブログの「民主主義の壊れ方」面白く読みました。乱読とはいうもののこのトシになって凄い読書家ですな、畏れ入ります。最近では新聞読むのも苦痛になってきてYouTubeやテレビで何とか世の中に付いて行っている小生とは大違いです。最もマスコミに支配される種族に自分がなってしまっております。
なるほど「テクノロジー」で民主主義が壊されるという見方は面白かったです。最後の21世紀の日本に対する見方についてはいささか皮肉が混じっているかも。新しい資本主義を唱えているわが国の首相(安部傀儡)政権の評価を聞かせて下さい。
(菅原)共産主義、社会主義、民主主義、共和主義、現実主義、などなど、Feminismも含む、全てイデオロギーです(要するに、何とかism)。唯一の例外は、現実主義。従って、イデオロギーは、それにそぐわないことを無視、黙殺、敵視します。民主主義もその例外ではありません。だから、壊れるんでしょう。一度、現実主義に立ち戻るべきではないでしょうか。これは、我が尊敬する、司馬遼太郎の思考の受け売りです。
新宿から出る京王線の車窓は仙川あたりを過ぎると、いかにも昔で言う”郊外電車”的な雰囲気を漂わせるようになる。歴史のある調布や府中のあたりになると駅名も飛田給、武蔵野台、というように武蔵野を意識した名前に変わってくる。国領、という駅もそのひとつで、地名にも歴史が潜んでいるような、ごくさびれた感じの駅だった。
しかし京王線が一部の地下化をはじめ、国領も地下駅になってしまうと、期を一にしてこのあたりに現代的な高層マンションなどの建設が相次ぎ、よくあるようにそれまでの古き良き、という感じを一新してしまって、りゅうとしたベッドタウンに変貌してしまった感がある。楽しいやら、寂しいやら、妙な気持がする。
しかしこの駅はもうひとつ、その存在意義を主張する。かつて日本映画、特に活劇映画の主役を演じていた日活のホームグラウンド、というプライドのようなものだ。新しく、機能的に、ということはかつての暖かさが少しばかり減退してしまったということでもあるのだが、駅構内に展示されている、かつて日活の黄金時代をささえた俳優たちの手形がその意識を支えている。裕次郎、三枝はあたりまえとしても、川内民夫だとか鮎川いづみだとかといった懐かしい名前もある。
ホームで電車待ちの間に流れる駅メロは、ここでは裕次郎軍団の全盛期、テレビの強力番組のひとつだった、あの 西部警察、のテーマである。ほぼ日課にしている夜のウオーキングの終点はこの駅にすることが多いのだが、駅前の自販機で(北杜市の!)水を買って、ベンチでこのメロディを聴きながら一休み、というのも結構いいものだ、と思うようになった。
それとなぜだか知らないが、この駅周辺にはこじんまりとしたイタリア料理店が結構ある。レストラン、といえるまでの規模でもなく、いわばピッゼリア、くらいだろうか。そのうち、試してみよう。
(菅原)昭和40年前後の国領って知ってるかい?多分、知らないだろう。記憶に間違いがなければ、駅以外は何もなかった。その経緯は以下の通り。
小生、一介の会社員だった頃、東京で営業をやらされて、ミシンを中心とした精密工業を担当していた(写真機製造会社を除く)。その一件が、東京重機(今のJUKI)。本社が国領にあって、少なくとも一週に一度は行っていた。営業所が室町にあったから、三越前から銀座線で渋谷に出、井の頭線で明大前に出て、京王線で国領。ところが、急行が止まらないから、仙川で降りて鈍行待ち。すげー不便なところだった。結果はどうだったかと言うとホロニガ。情けないかな、日立にひっくり返されてしまった。だから、国領と言うと嫌な思い出ばかり。それにしても50年以上も経っちゃってるから、貴兄のブログからも、その変貌は凄まじいものがありそうだ。JUKIは2009年に本社を多摩市鶴牧に移して、今は国領には何もないようだ。当時も何もなかったけれど。
ついに19都道府県の緊急事態宣言も全面解除ですか? 何故、最近こんなに急にコロナ患者が激減したのか不思議ですね。オリンピック・パラリンピックで皆さんがTV観戦に夢中になり出かけなくなったせいとかオリパラ賛同者はいっていますし、無論ワクチン接種の普及効果もあるでしょうが、原因はまだまだ不明です。11-12月に次の波が必ず来るとか言っている専門家もいますが、私は次回は必ずしも大きな波にはならない可能性もあると思っています。全くの仮説ですが、ウイルス自体が何らかの原因で(多分生き残りをかけてでしょうが)感染力を少しづつ低下させるような変異をしている可能性もあるかと思っています。無論、希望的観測ですが。
さて。最近、Brain(脳)Fog(霧)という言葉を聞いたことがあるでしょう?
Brain Fog とは、「最近、考えをまとめようとしても頭がボーッとして纏まらない」、「根気がない」、「光がいやにまぶしい」、「昼間でもねむたい」、「疲れやすくて仕事にならない」などの症状のことで、鼻水・微熱・軽い疲れやすさなどしかなかった軽症のコロナ患者でも、10-20%後遺症としてみられるという報告がありました。頭がなんとなく、ボーッとして考えがまとまらなく、ねむたいなんてことは、「毎日、以前からあるよ」と威張っている声も、「うちの主人はコロナが出てくる前からBrain Fogよ」とおっしゃる声も聞こえてきそうですが。
この原因はウイルスに抵抗するためにできた免疫細胞が体の中で作った異常タンパク質が、脳細胞を犯すとか言われていますが、まだよくわかっていません。そんなことが有名になるとワクチン接種でもこれが起こるのではと心配して、また接種の拒絶反応が増えそうですね。しかし、ワクチン接種でそれが起こることはないようです。Brain Fogに対して、特別外来を開設している病院も出始めました。本当にコロナっていやなウイルスですね。
このところコロナ患者が連日減少し曙光が見え始めていますが、緊急事態宣言解除の2週間後の感染者数はどうなるでしょうか。人流が増えても感染者が増えなければ多少安心できそうですが・・・。
ところで先日、取引先で知り合った知人がコロナに感染したとのこと。40代半ばの人です。感染者の体験談に接することはあまりありませんので、ご参考にお知らせします。
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8月下旬に感染。職場の同僚が3日ほど前に感染し、濃厚接触者にあたる職場全員(7~8名)がPCR検査を受けた。陰性の人も何人かいたが自分は感染していることが判明。ホテルに隔離され治療に入ったが、治療と言っても放置されたままだった。何日間か39度ほどの熱が出たが何の薬を与えられるわけでもなく、1日3回保健所と連絡を取るだけで自然治癒を待つだけだった。家族とも離れて1人でのホテル療養で連日気分がすぐれず不安の毎日だった。途中で気絶して倒れたようだが自分ではどれぐらいの時間倒れていたのか分からない。気がついたら倒れていた。自分で気がつかなければほったらかしの状態になるところだった。9月半ばに退院できたが、感染してからもう1か月以上たっているのに今だに食欲がなく痩せてしまった。コロナには絶対にかかるべきではない。
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医療関係の知人の話によると、変異して急速に増えるウイルスは、消滅するのも早い。第5波で感染者が急速に減っている理由はこのためだ(緊急事態宣言で人流が減っているからではない)。但し、ウイルスの根が残っているので、いつぶり返してくるか分からないとのこと。
また今のウイルスは空気感染であり、接触や飛沫を避けるだけでは防御にならず、フェイスシールドやアクリル板などはほとんど意味がない。空気中の水の分子にウイルスが付着して浮遊し、それを吸い込むことによって感染するからだ。手やテーブルの消毒よりは不織布マスクを鼻の両脇やほっぺたに密着させてつける方がはるかに効果がある、とも言っています。1日から緊急事態宣言が解除されていますが、小生は引き続きマスクと人混みを避ける対策を続けるつもりです。
(菅原)「駅馬車」をいつ見たのか、その時期は定かではない。普通部の頃だったろうか。とにかく、猛烈な勢いで疾駆する駅馬車、それを追い駆けるインディアン。それが、しつこいこと、しつこいこと、いい加減に諦めたらと思っても、何時まで経っても止めない。実は、カー・チェイスならぬ、このインディアンによる駅馬車チェイスの迫力が凄まじく、これしか覚えていないのだ。ジョン・ウェインもクレア・トレヴァーも記憶にないし、挙句の果てに、話し自体も忘却の彼方だ。従って、インディアンに何も悪さをしていない善良な駅馬車と乗客に、執拗にも襲い掛かるインディアンとは誠に悪い奴だとの印象が深く刻み込まれた。
ところが、後年、それなりに米国の歴史に関し、色々な本を紐解くと、大違い。米国には、既に土着民(インディアン)がおり、あとから移民してきた白人が、その土地を収奪し略奪し、ある場合は虐殺、または保留地に閉じ込めるなど、むしろ、善人はインディアンであり、悪人は白人であることに気付かされた。余談だが、西部開拓史など、いかにも浪漫の漂うような心地よい言葉だが、正しくは、西部収奪/略奪史だろう。
つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。
(34 小泉)先ずは、駅馬車のテーマ音楽、「俺を淋しい草原に埋めてくれるな
駅馬車はアリゾナ州南部のトントからメキシコ
当時西部劇がハリウかった。西部劇とは何たるか
最初の宿場ドライフォークでは、ハットフィールドが、ダラスを除ンのフ
蛇足ながら、1966年と1986年に同じ駅馬車の題名でリメイ
ワイオミングの緑では実感が湧かなかった。後者は、テッド・ポスト監督ク
(保屋野)通しでは初めて観ました。モニュメントバレー、・・・駅馬
この作品は、西部劇定番の、勧善懲悪ヒーローも、美形のヒロイン
西部劇の傑作、ということですが、確かに1939年制作の映画と
車内の人間模様も、賭博師や銀行家の役割が今ひとつ分らない。更
私は、何故、と思いネットを見たら、アパッチに連れ去られる前に
駅馬車は主題歌も良いですね。黄色いリボンも楽しみです。
ちなみに、昨年観た西部劇では、「大いなる西部」がダントツで「
(小田)黄色いリボンと、シェーンそして駅馬車のDVDを安かったのか、
アメリカで頂いた、駅馬車のポスターのコピー添付しました。
(船津)
何故お奨めで、「西部劇」大一番なのか。
1939年製作。我らと同年のゆえ、80年も前の映画。「風と共に去
ジョン・フォード監督が矢張り名監督。何が凄いか。モノクロの陰
ジョン・ウエインは胃癌の悪化で、1979年5月1日よりカリフォルニア州ニューポ
入院期間中の6月5日には、当時の大統領であるジミー・カーター
最後も嫌われ者同士が別天地へ馬車で遠ざかっていくというのは何
まぁ「スピーディーかつダイナミックなアクションシーンとなり、
(編集子)ジョン・ウエインが演じたリンゴー・キッドは実在の人物で本名はジョン・ピーターズ・リンゴ、教養のある人だったといわれる。ただこの映画での伏線となったとおり、兄を殺されその敵3人を射殺したのも事実であるようだ。荒野の決闘・OK牧場の決闘ではジョニー・リンゴという名前で出てくるが、クラントンに味方したのは事実だがこの決闘を生き残った。その後は、牛泥棒など無頼の生活を送り、1882年にアリゾナで殺された。
良く知られているようにウエインが西部劇のキング、となったのはこの ”駅馬車” からであり、その意味でセーブゲキ党には欠かせない一作である。小泉さんが書かれているように背後に流れる曲は Bury me not on the lone prairie という民謡がベースであるが、南部貴族崩れを演じたジョン・キャラダインのショットでは、一瞬それが南部を連想させる名曲 金髪のジェニー に代わる。飲んだくれ医者のトマス・ミッチェルとの会話で出てくるように、この映画が背景とした時代はまだ南北戦争の傷跡が癒えていない時代でもあり、南北双方の顔を立てようとしたフォードの苦心というべきだろうか。フォードはやはりウエインの騎兵隊三部作の最終作 リオグランデの砦 でもモーリーン・オハラが南部の出身であるという筋書きに従って、最後のほうに出てくる閲兵のところでキャロル・ナイシュ演じるシェリダン将軍が楽隊に特に命じて南部のマーチを演奏させ、オハラを喜ばせる、というような配慮をしている。
今回(何度めだったかは忘れた)気がついたのだが、ウエインの仇、ルークがカードに興じているときに リンゴが来た! という手下の情報が入る。その時ルークの手はエースと8のツーペアで、これは “死の手” というらしい。またキャラダインが南部貴族のプライドからルイーズ・プラットのガード役で駅馬車に乗り込むのだが、その時最後にあけたカードはスペードのエースだった。こんなところがいかにも心憎い(このあたりがやりすぎだという人ももちろんいるだろうが)。ジョン・ウエインが登場する場面には何度もふれたが、前半で途中まで護衛にあたった騎兵隊が分岐路を左へ、馬車は右へ行く。この時、しばらく後へ残って駅馬車を見送る若い中尉のカットが(ストーリーにはあまり関係ないと思われるほど)長く出てくる。ティム・ホルトのいかにも若くて好感が持てるショットである。当時、将来の主演級を期待していたのだろうか。荒野の決闘ではアープの弟バージルを演じている。
(安田)「駅馬車」はジョン・フォードの抒情的感性が人間味あふれる駅馬車内の人間模様やキッドと娼婦ダラスのハッピーエンドを描き、娯楽としての「motion picture」(アメリカ人が呼ぶ映画のこと)の面白さと融合した傑作だと思う。1939年の昔にあの迫力満点の馬車疾走場面を撮る発想と技術はタダ者ではないと思った。人気の高い映画「荒野の決闘」は西部劇というよりメロドラマだと思った。ジョン・フォードのことはよく知らず、娯楽映画の西部劇専門の映画監督だ、くらいにしか認識していなかったが、映画を観るうちに次第に惹き込まれていったのも事実。そこで、彼のことを知りたくなって彼の映画を集中的に見つつ少し調べてみた。「捜索者」を見た折にジョン・フォードについても感じたことをまとめたwordfileを再送になりますが、貼付の上お送りします。そんなジョン・フォードが彼の名声を不動のものにした「駅馬車」は矢張り西部劇の隆盛をもたらした先駆けの役割を果たしたのは間違いない、と思っている。
(小川)皆さんのコメントを読んだうえでジントニック片手にジックリと見直しました。何度見たか記憶にありませんが、改めて発見することも多く非常に楽しめました。各位の実に克明に観ておられるのには感服する次第です。
あのテーマ音楽の由来、エンディングで流れる金髪のジェニー、エースと8のツーペア、スペードのエース(これは見落とした)を上手く配するところなどはジャイ兄の言う通り実に心憎い。また菅原兄の穿った見方 “つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。” なるほどと思いました。
小生はやはり飲兵衛、酔いどれ医師のブーン、トーマス・ミッチェルの演技に惹かれました。お産の時の変身ぶり、そのあとダラスからリンゴの求婚を相談された時のブーンの表情、やっぱり彼は素晴らしいバイプレーヤーで良かった。 それにしても若いジョン・ウエイン、その後40年も付き合うとはねえ~。船津兄の感想とウエイン最後の紹介有難うございました。愛好会会員ならねばの実に楽しいひと時でした。
おはようございます。晴れの天気が続いています。日中は半袖でちょうどいいくらいの暑さです。
休日は予定通り薪ストーブ、煙突掃除をしました。
最後に外回り、窓を掃除して完了。ざっとですが半日かかりました。これで安心してシーズンを迎えられます。
(編集子)北杜市小淵沢にある、編集子のささやかなセカンドハウスの管理をお願いしているグリーンビラ総合管理社の御好意で、同社のホームページから借用。やはり都会より早い秋の訪れが感じられる。あの稜線を駆け上がったのは何年前だったか、再び訪れることはもうないだろうが、権現直下のあの岩場の感触はまだ心に新しい。
フルサト、というものを知らない僕にはこのあたりの風物人情がそれに代わってくれているように思える。コロナのおかげで今年の故郷の夏は知らないで終わってしまったが。
“語彙の問題” についての私見です。
日本語(だけではありませんが)は動いています。「全然」
うざい、うざったいのルーツは多摩方言で、エグい(きつい)
ご存知かと思いますが、若者の使う「ヤバい」
(編集子)こういう議論を待っていました。シニア世代各位のご意見に期待。
江戸情緒もないしプラチナ通りの華やかさもない、まあ、街道筋の横丁にも、それでも秋はやってくる。我が家の向かい側、落ち着いたたたずまいの家からこぼれ出てくる萩の花。
”中司さん、この萩に似合う歌があるんだけど、知らないだろうなあ“。もと財務省にその人ありと知られた敏腕官僚だったという家の主は道いっぱいに落ちた萩の花をかき集めながら、
白萩の 三斗こぼれて 三斗咲き
という句を教えてくれた。誰の句だったか、教えてもらったのだが忘れてしまった。杉本宗匠ならご存じかもしれないが。
数年前、夫人が体調を崩して入院され、まもなくご本人も施設に移られた。その後お会いする機会もなく、時々、親族と思われる女性が見回りに来られることはあるものの、雰囲気のある家はひっそりとしたまま。ただ、その人が愛していた白萩は今年も静かに咲く。三斗はないが。
白萩に あるじの孤影 かさねをり
(37 杉本光祥)ご無沙汰しています。三斗咲きの句、いい句だと思いますが、始めてみました。私も作者は知りません。そこで、歳時記やパソコンでも調べたのですが見当たりません。お役に立てず申し訳ありません。
最後の白萩の句もなかなかいい句ですね。ジャイさんの句ですか。
私の先月の特選の句
山の日や山の山たる剱岳 光祥
山の日にちなんで、昔を思い出して作ったものです。どうぞお元気でご活躍下さい。
(編集子)びくびくしながら書いておいた自作の一句、おほめに預かり天に登る感じであります。