キャトルドライブ、カウボーイ、スタンピード、ジョン・チザム (44 安田耕太郎)

映画「赤い河」1948年や「スタンピード」1965年では牛の群れの暴走・スタンピードのシーンがある。両映画を観て、掲題の諸点について興味をもった。キャトル・ドライブを描いたクリント・イーストウッドの出世作となってTVドラマに「ローハイド」(1959~65年)放映があった。 

キャトル・ドライブ(Cattle Drive)とは牛の群れを輸送すること。輸送といっても鉄道や車に乗せて運ぶことではない。19世紀半ば頃から、アメリカの大草原地帯で増えた牛の群れを数百キロから1千キロ以上離れた鉄道の出荷駅まで運ぶ作業をことである。調べたところアメリカには元々キャトル(牛)はおらず、入植してきた、肉を主食とするスペイン人が持ち込んできた。スペイン人が撤退後はメキシコ人がそれをついでテキサスあたりで繁殖させた。その地域はメキシコとなって、バケーロ(Vaquero)と呼ばれるメキシコ人の牧場労働者が管理していたが、牛肉を食べる文化はスペインのもので、アメリカに住んでいた英国やスコットランドやアイルランド系の人々は牛を食べる文化がなかった。

アメリカとメキシコの米墨戦争(1846~48年)の結果テキサスはアメリカに帰属(映画アラモなどでも描かれる)。その頃までには所有主のいない野生化したテキサスの牛(Texas Long Horn)が無数に増えてきて、放置されたままになっていた。南北戦争が1865年に終わると、人々が西部に入植していって開拓が始まる。東部は工業も発達し、移民も増えて、人口が増え、食料の需要も増える。そこで目をつけられたのが、テキサスの無数の牛だった。これを捕まえて、食肉として消費地のカリフォルニアや東部に送ろうと思いついた人々がいたのだ。そこで、テキサスから、鉄道の出荷駅があるカンザス州まで数百~数千頭の牛を運ぶ “キャトル・ドライブ”が始まり、その仕事に従事する人を“カウボーイ”と呼んだ。我々が西部劇映画で馴染んだいわゆる“カウボーイ”は牧場で牛を育てる牧童主などを指す場合はあるが、彼らは厳密な意味では“カウボーイ”ではない。

大量の牛肉の消費地であるカリフォルニアや東部へ運べばいい金になるということで、テキサスからオクラホマを経由して、鉄道が敷設された出荷駅のあるカンザス州までチザム・トレイル(Chisholm Trail)と呼ばれる道を通って牛を運ぶ仕事をキャトル・ドライブ(Cattle Drive)と言った。カンザス州アビリーンまで鉄道がのびた時,家畜商人のジョーゼフ・マッコイJoseph G.McCoy(1837‐1915)はここに牛を集め,東部へ運ぶことを思いつき,当時テキサスでは1頭4ドルだった牛を40ドルで買うと宣伝した。たちまちカウボーイたちは,テキサスから〈チザム・トレイル〉沿いに,1000マイル(約1600km)もの距離をものともせず,年間50万頭の牛をここまで追ってきた。鉄道が西へのびるに従い,ほかのトレール(牛追い道)も開発され,ロング・ドライブ(遠い牛追い)に従事するカウボーイは時代の花形となった。…

最終送り先は大きな畜産取引市場のあったシカゴ。黄金時代は1866~1886年の20年間。カウボーイ(Cowboy)というのは元々キャトル・ドライブという牛を運ぶ危険な仕事をする牛の管理・運搬をやった男達のこと。一万頭の牛を運ぶというのは、1頭が何らかの理由でパニックを起こせば次々に伝播して大量の牛が一斉に暴走する危険な「スタンピード」(stampede) を引き起こす。「赤い河」や「スタンピード」の映画でもスタンピードのシーンが出てくる。更に、テキサスとオクラホマの州境を流れるRed River (映画の題名 – 下流ではミシシッピ河となりルイジアナ州でメキシコ湾に注ぐ)を1万頭もの牛を渡らせるのは至難の業。そして辿り着いたオクラホマは、当時、南部から強制移住させた先住民を住まわせる居留地で、警察も何もない無法地帯で、犯罪者・荒くれもの・流れ物の巣窟で危険極まりない地帯。牛泥棒が待ち構えていた。しかも川には橋がかかっていない。牛を渡河させるのは非常に危険で、しかもスタンピードという牛の暴走が始まるかもしれない。1回のキャトル・ドライブで何人ものカウボーイが当たり前のように死んでいく、地獄の旅だったわけです。従って、カーボーイは拳銃を保持し必要とあればそれを使って闘うのは当たり前。カウボーイが1回のキャトル・ドライブで稼ぐ額は相当なものだった。トレイルの沿線宿場町には一攫千金を当てたカーボーイたちが金を落とす仕掛けの酒・女・博打が大普及するのも自然の成り行き。そこには西部劇の題材となる話がごまんとできても何ら不思議はない。(安田注:スタインベックの小説「怒りの葡萄」では瘦せた土地で生活できないオクラホマに住む家族が新天地カリフォルニアを目指した苦難の旅を描いている。それほどオクラホマは貧しい土地だったのだ。)

黄金時代の20年間(1866~86年)に幕が下ろされるきっかけは、有刺鉄線の導入・普及。長距離の牛の輸送は必要がなくなり、有刺鉄線の塀に囲まれた牛の世話をするのがカウボーイ(というより牧童)となり、ダイナミックにチザム・トレイルをキャトル・ドライブする本来のカーボーイの姿と全く変わってしまった。本来的なキャトル・トレイル時代のカーボーイは尊敬されるべき特別な勇気ある男たちであったのだ。

テキサスの牛は基本的には野生なので原価はゼロ。カーフ・ブランディング(Calf branding)という焼き印をすることで牛の所有権を主張できることになる。「赤い河」では、キャトル・ドライブの隊長トム・ダンソン役のウエインの焼き印は左上に大文字の「D」、横に二本の曲線が斜めに走った印。二本線はRed Riverを表す。ジョン・ウエインは「赤い河」以後の西部劇出演でもこの焼き印のベルトバックルを常に着用していたとのこと。その位、彼はキャトル・ドライブ隊長役トム・ダンソンと一心同体化していたとも言える。

(編集子)いわゆる”カウボーイ”(安田君の定義のいかんにかかわらず)の現実がレコードケースの表紙を飾るようなロマンチックなものでなかったことは想像できる。同期の大塚文雄(フミ)も小生と同じに英語好きだが、彼から ”ぜひ読んでみろ。ただしちいとばかり大変だけどな” と紹介されたのが Lonesome Dove という小説だった。まあとにかく買ってみるさ、と例によってアマゾンに依頼。まもなく到着した本の暑さを見てうなった。842頁、自分が標準として計算しているポケットブックのほぼ3冊分、挿絵もなければなにもなし、1ページ41行、びっしりつまっている。フミへの敵愾心もあって何とか読み終えるのに3か月かかってしまった。しかしこの内容はさすがに濃厚だった。ストーリーはともかく、描写される当時の西部の生活、キャトルドライブでもなんでもいいんだがその生活のすさまじさ、自然との闘い、飢え、なるほど、西部開拓とはこういうものだったのか、となっとくさせられた1冊だった。

映画 チザム。実在した開拓のヒーロー、ジョン・チザムをウエインが、その相棒をごひいきベン・ジョンスンが務めた娯楽ものだが、チザムそのものは筋の上では添え物で、ストーリーの中軸にあるのはビリー・ザ・キッドことウイリアム・ボニーが恩人タンストウールを殺された復讐のため射殺し逃亡、のち、チザムを通じて友人でもあった保安官パット・ギャレットに最後は射殺された(映画ではこの部分はない)という史実をとりまぜた話である。このビリーの復讐を含んだ一連の騒動は地名にちなんでリンカーン・ウオーと呼ばれる。安田君が述べているチザム・トレイルは、西部開拓の引き金になったのが有名なオレゴン・トレイルであるとすれば、その開拓の成果をあまねく広げたトレイルということだ。一度アイダホ州ボイジーへ行ったとき、オレゴントレイルの一部が保存されているところまで行ってみたことがある。映画にでてくるロマンなどとは程遠い、わだちの後にすぎず、日本だったらそれらしい看板の一つもたてる価値がある風景を想像していて落胆したものだった。