本稿で、幾度か ”出羽守” という人種?について私見(というか、言ってみれば嫌悪)を述べた。何につけ、我が国の政治や社会現象に対する意見を、権威づける意図で ”欧米では” とか ”先進国では” と ”では” を振りかざす輩を、この接尾詞をもじって ”では”の守 という、と誰だったかに教えられて使ってきた。もちろん、正論もあるだろうが、底流にいつまでたっても西欧文化=先進文化と崇め奉る語調が気に入らないから、今後も使うつもりだ。
さて、今朝の読売新聞のトップ記事は、現在衆院選挙の争点になっている消費税減税もしくは廃止、という論調に対する海外メディアからの逆風についてであるり、すべてが ”海外では” の大合唱である。さて、消費税問題を論じる出羽守は党派のいかんを問わずに大勢を占めるようだ。諸君、今回はいかがお考えであろうか。
かたや米国におけるトランプ政治の在り方もまた、我が国からは想像もできない、理解を超えた現象として我々はとらえているのだが、表面化している現象はともかく、あれだけの暴挙(と外国人たる我々は考えてしまうのだが)がともかくも実現されてしまう現在の米国には、やはりそれだけの理由に納得する人たちがいるわけで、かれらは ”ニッポンでは” とは考えないのだろうか。
米国での争点に移民問題がある。しかしもともと移民が作り上げた国なのだから、移民に関する態度が我が国とは大きく異なっていい.こういう国”では”兎も角、三千年の長きにわたって単一民族単一文化を築き守ってきた我が国 ”では”当然、対象がちがっていい。この問題についてもまだ、”西欧では” という論者がいるのだろうか。
今朝はわけもなく寝起きが悪い。
