この作品の監督ジョン・フォードは義に篤い人だったらしく、恩義に感じた古手の俳優を短時間の出演でも人々に好感を与える脇役で起用することが多かった.。この作品では西部劇の往年のスターであったハリー・ケリーを讃えて、次のように敬意を表している。
初期西部劇の空に輝く明星、ハリー・ケリーに捧ぐ。
To Harry Carey, Bright Star Of The Early Western Sky.
また冒頭部分で登場する街の保安官スイート役のワード・ボンドの夫人にはかつて今でいうグラマー女優としてならしたメエ・ウエストが登場する。僕らのころで言えばジェイン、マンスフィールドかアニタ・エグバーグ、といった存在だったのだろうと想像する人だが映画では老境の良き夫人役である。
フォードと同じころの監督では、小生の知っている例ではハワード・ホークスが 赤い河で、苦労して牛を運び込んだモンゴメリー・クリフトに破格の条件を出して厚遇する牧場主の役にハリー・ケリー・シニアを充てている。 ”三人の名付け親” では息子のジュニアが主役のひとりだが、やはり年齢にふさわしい好人物として登場,かたやシニアもふさわしい脇役で出ている。フォードは、特に西部劇では、好んでアイルランド系の俳優を用いていて、通称 フォード一家 とよばれるのだが、この映画もまさにその一家ものだ。日本での西部劇の隆盛をみたのは、アパッチ砦・リオグランデの砦・黄色いリボン という騎兵隊三部作 というフォード一家ものが大いに力があったというべきだろう。この作品でも、ウエイン、ワード・ボンドにペドロ・アーメンダリスにベン・ジョンスン、女役はミルドレッド・ナトウイックにハリー・ケリージュニア、とくればそれだけで雰囲気ができてしまう。一家の常連だがこの作品では出番がなかったのはヴィクター・マクラグレンとヘンリー・フォンダ、おっとモリーン・オハラくらいだろうか。
西部劇、というもののイメージは勧善懲悪のガンプレイと主役が最後に愛を得るという筋書きが決まっているようなものとして、ハイブラウな層にはあまり受けがよくなく、そのイメージを脱却しようといろいろな試みがされてきた。グレース・ケリーが初めて出演したという意味でも話題になった 真昼の決闘 の保安官は尽くしたつもりの街の人の協力も得られず、結局自分ひとりで刑務所あけの悪と戦う。なぜ逃げないのか、といわれて、too proud to run すなわち逃亡することを自分の誇りが許さない。それだけだと気付く。対決が終わった後、その誇りを賭けたバッジを投げ捨て、自分を裏切った街を去る。それまでの西部劇のヒーローとはかけ離れた描写だった。この時期に売り出したテックス・リッターの歌う主題歌 do not forsake me my darling とともに記憶に残る名画だった。
よくわからないがこの映画が出た後あたりから、それまでのパターンから脱却することが西部劇の復活につながるというような風潮が出てきたような気がする。このあたりの解説は御大小泉さんにお任せするが、万事単純な小生からすると、評論家筋にはいろいろと解釈があるけれど、そういう系統の作品はいかにもアメリカらしい、おおらかさに欠ける。同じテーマならなにも西部劇にする必要はないじゃねえか、という気がする作品も多かったように思われるのだ。
その点、三人の名付け親 という作品は、小生の愛するアメリカ人とその風土を心地よく味わえる、しかし同じフォード―ウエインものでも騎兵隊物などとは違った、むしろ同じ西部劇でいえば リバティバランスを射った男 に近い後味がある。
ストーリーは銀行強盗を試みた三人の男たち(ウエイン、ペドロ・アルメンダリス、ハリー・ケリー・ジュニア)が失敗し、保安官(ワード・ボンド)に追われ、砂漠に逃亡せざるをえなくなる。後を追おうと主張する街の人を、いや、それよりひどい旅になるだろう、とボンドは予測する。その通り、水のない苦しい逃亡になるのだが、その途次、置き去られた馬車に行き会う。馬車には身重の女性が一人で助けを待っている(作品の冒頭、保安官とは知らずに一行が世話になるワードの夫人(メエ・ウエスト)が姪がクリスマスに帰ってくるはずなのにやってこない、という場面があるが、この見捨てられた女性がそうだったことは後でわかる)。彼女は苦労の末、男の子を出産し,三人に後を頼んで息を引き取ってしまう。銀行を襲って金を得るはずだった三人はこの女性の遺志をはたそうと砂漠の旅を続けるが、先住民との戦いもあり、ケリーもアルメンダリスも倒れてウエインが一人だけ、町に行きつくのだが、その過程で聖書が重要な役を果たす。小生はこのあたりの話には全く無知なのだが、荒くれの男たちが素直に聖書を信じて人間としての務めを果たす、このあたりが、繰り返すが素朴な、まっとうなアメリカ男の在り方として素直に感動できるフィルムである。フォードのエーガの中では、改めて考えてみると一番好きな作品かも知れないと思ったことだった。
ジョン・ウエインは癌に侵されて世を去るのだが、彼と同じころ、西部で撮影にあたったハリウッドの俳優の多くが癌で死ぬことが多く、その遠因が40年代から50年代にかけて米国が西部の砂漠で繰り返した原爆実験の汚染によるものだった、ということが 広瀬隆著 ジョン・ウエインはなぜ死んだか という本に詳しい。この作品での準主演だったアルメンダリスも癌に侵されたと知って、絶望して拳銃自殺した。僕が永遠にあこがれる大西部のひろがりとそこに生きる、この三人のような素朴なアメリカのありかたと現代の悲劇とのギャップには向かい合うすべをしらない。
またまた ”戦争ものエーガ” にまつわる話だが、第二次大戦中、米軍が使用した救命胴衣は メエ・ウエスト と呼ばれている。米国版グーグルでの解説をのせておく。これで思い出すのはウイリアム・ホールデンの 第十七捕虜収容所 で米軍捕虜の間でベティ・グレイブスが人気で、彼女の白昼夢を見る、というエピソードだ。
グーグルにいわく(なるほど、こういう場合は generous というのか):
How a life jacket came to be named after Mae West.
(飯田) 映画「三人の名付親」に因んだ、エーガ愛好会への貴兄の寄稿文を拝読。さすが、セイブ劇、中でもジョン・フォード監督作品を好む貴兄のこの映画への論評は説得力があると感心しました。
フォード監督への信頼度の高さは、出演俳優の名前を見ただけで、驚くほど目溢しのないことにも、表れています。保安官役のワード・ポンドの夫人役のメイ・ウエストの紹介や赤ん坊を生んで、見知らぬ3人の男に赤ん坊を託して死んでしまうだけの母親役のミルドレット・ナトウイックの名前まで、残さずに挙げていることに現れているとおもいました。
ところで、この母親が砂漠の荒野で亡くなって、3人の男たちが埋葬するシーンで、ハリー・ケリーJr.が歌う弔いの歌が「リパブリック讃歌」であって、ジョン・フォードの他の作品での歌(「荒野の決闘」のMy Darling Clementine)や(「黄色いリボン」)ほど話題にならない物の、いきなり聞くとちょっと驚くシーンではあります。日本では「リパブリック讃歌」は≪じんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた≫と灰田勝彦がハワイアン・コミックソングで歌っていますが、替え歌では≪おたまじゃくしは蛙の子≫や≪たんたん狸の・・・は≫など、人口に膾炙された歌詞で歌われている曲ですね。
(編集子)過分のご評価いただき恐縮です。
(安田)1967年、20歳の時に“青年は荒野をめざす”を読み、痛く刺激をうけました。翌年‘68年からの世界放浪の旅の後押しをしてもらいました。
手許に著書はないので、確かめようがありませんが、仰るように記憶では主人公がストックホルムで リパブリック賛歌 をトランペットで吹きます。原題は The Battle Hymn of the Republic とのこと。アメリカ合衆国の民謡・愛国歌で南北戦争での北軍の行軍曲とのこと。日本語で直訳すると「共和国の戦闘賛歌」、随分勇ましい題名です。ジョン・フォードは生粋のアイリッシュ系、メイン州出身。勿論、北軍側で、経験なカトリック信者だと推察します。映画題名の 3 Godfathers も新約聖書の登場し、イエス誕生時にやって来てこれを拝んだとされる人物たち。ヨーロッパの美術館では嫌というほど “東方の三博士” 関連の宗教画を見せられます。三人のならず者たち(東方の三博士になぞられた)は、打ち捨てられた馬車の瀕死の母親(実はワード・ボンド扮する保安官の姪)から、生れたばかりの赤ん坊を託され、名付け親となる。三人は聖書に導かれ、贖罪の旅に足を踏み入れる。西部劇とはとても思えない筋立てに大変驚きました。
ハリー・ケリーJrの歌声(吹き替えでなければ)