昨日は午後からみぞれ混じりの天気になり夜には雪になりました。
今朝の気温はマイナス6℃。最高気温は2℃。天気は晴れですが寒い1日となりそうです。月曜頃まで気温低めの予報です。
道路は凍結してスタッドレスタイヤでも滑るかなり危険なアイスバーンです。急ぎの用事がない限り外出は控えたい道路状況です。

旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
原題「Carrie」は主人公の女性(ジェニファー・ジョーンズ演じる)の名前。邦題「黄昏」は英語ではtwilight, sunsetだが、その意味は「夕暮れ、夕方の薄暗い時」。それを比喩的に用いて「盛りの時期が過ぎて衰えの見えだした頃」を指す。原題「Carrie」は飽くまで主人公はキャリーのジェニファー・ジョーンズであると主張している。対して、邦題はまさに映画のストーリー性を如実に暗示し、悲劇の相手役ローレンス・オリヴィエの生き様を文字通り指している。見事な邦題だと思う。
ジェニファー・ジョーンズの2代表作は「慕情」と「黄昏」(Carrie)だと思う。相手役モンゴメリー・クリフト、監督ヴィットリオ・デ・シーカの「終着駅」も良かったが。両映画とも悲劇的な結末だが、恋愛時代の幸福感に満ちて凛とした前向きな将来への決意と希望を表現した前者に対して、ストーリー自体が重苦しい陰惨な雰囲気の後者なので、演技の巧拙とは関係なく彼女の明暗がその演技や表情にも醸し出されていた。
明るく弾けるような「ローマの休日」1953年の前年に制作されたのが、この哀愁を帯びた悲劇的メロドラマ「黄昏」。同じ監督が1年のインターバルで演出した二つの映画のコントラストにはビックリさせられる。「ローマの休日」でグレゴリー・ペックの友人カメラマンを演じたコメディアン エディ・アルバートが明るいキャラのチャーリー役でいい味を出していた。田舎から仕事を求めてシカゴ出てきた女性キャリー(ジョーンズ)と汽車の中で出逢い、その後ちゃっかり同棲することに。話の展開が徐々に暗く悲劇的になっていく前の、彼の「天真爛漫な天使」振りは嵐の前の清涼剤ではあった。ただし、キャリーの方には彼に対する愛情はなく、チャーリーの好意に甘えて、仕事もせずに利用しているようで、女性はたくましく、そして少しずる賢いキャラを演じているジョーンズの演技も見もの。二人の間に進展がないマンネリのまま時は過ぎ、キャリーはレストラン支配人のオリヴィエと逢い、妻子あるオリヴィエは自らの立場をも顧みずキャリーとの恋に落ちてしまう。キャリーも男ぶりの良いレストラン支配人オリヴィエに惹かれる。オリヴィエは発作的に店の金を盗み、二人は駆け落ちしてニューヨークへ。キャリーは彼が金を盗んだとは知らない。
いい歳のオジサンが若い女性に夢中になり、それも遊びでなく妻子を捨て、結局は財産も放棄して離婚調停・・・・人生を転落していく物語だが、老いらくの恋は切ない結末になる、と映画は教えている。当時、オリヴィエ実年齢44、ジョーンズ32歳。全てを捨てた二人の関係はやがて逆転してしまう。貧乏にも労働にも耐えられないオリヴィエに対して、逞しく前向きなキャリー。過去の成功を引きずる男の弱さはなかなか見るに辛いものがある。
二人だけのニューヨークの生活も盗んだ金を返さざるを得なくなり一文無しになり、しかも盗んだことを知られた彼は仕事に就けなくなり、二人の生活は困窮を極める。そんな中、キャリーは舞台女優となり、彼を元の家族に返そうと彼の既婚の息子に会いに行くよう勧める。そして彼の留守中に彼女は姿を消す。彼は息子に会いに行くが、遠くから息子の姿を見ただけでニューヨークに戻る。しかし、そこにはキャリーの姿はなかった。数年後、女優として大成功を収めていたキャリーの許へ、訪ねてきたチャーリーからオリヴィエは店の金を持ち逃げした為、二度と家族のもとに帰ることが出来なったことを初めて知らされる。キャリーはオリヴィエの行方を探すが、浮浪者にまで落ちぶれたとの目撃情報以外得られなかった。
落ちぶれていく一級のシェイクスピア俳優のローレンス・オリヴィエを見るに忍びなかったが、彼の役者としての真髄を味合わせてもらった。現在的目線でみれば、安定した支配人のポジションと妻子まで捨て、しかも金を盗んで駆け落ちする展開はやや現実離れしているし、キャリーにしても表現は悪いが不倫体質的な気質が垣間見え(ジェニファー・ジョーンズには不似合いであったが)、女優として成功しながら駆け落ち相手を元の家族に返えそうとするなど、真に愛していたのかと懐疑的にもなった。ラスト場面の「食べないと死ぬ」と絞り出すように訴え、再会を果たしても小銭一つだけ取って彼女の許から独り立ち去る際にガス栓を開け締めするシーンにはハラハラドキドキさせられた。最後は落ちぶれたと言えども彼のプライドがそうさせたのか?身から出た錆の決着は自らつけるという男の矜持を示したのか?
(保屋野)「黄昏」、初めて観ました。「哀愁」と並ぶ、美男・美女による「
両者共、ストーリーは(現代では)やや陳腐だと思いますが、やは
さて、今回のジェニファー・ジョーンズは「慕情」(1955)と
また、作品としても、私は、主題歌含め「慕情」の方がやや上だと
12月19日付読売新聞の11面のある記事が目に留まった。
キルギス強権へ回帰 という記事で、ソ連解体後の中央アジア各国の間で民主主義を標榜してきたキルギスに強権政治が復活しつつある、という内容である。中央アジア、という領域は日本人にはあまりなじみのない地域で、我々が知っているのはせいぜいモンゴルくらいであろう。キルギスという国は旧ソ連の延長体制が継続している領域で、独自の民主主義的知見によって運営されてきた国だそうだが、昨今は同国の政治体制に変化が生まれ、強権主義的国家に変貌するのではないか、という解説である。中国の動静もふくめて、民主主義というイデオロギーそのものが問われ始めている気がする。しかしこの種の議論そのものには小生にとってはすでに不毛としか思えないのであまり興味がない。
この記事で興味を持ったのは、 “強権か民主的かは私にはわからない。生活を改善してくれる指導者が必要だ” と言い切った一主婦の発言である。この発言には千金の重みがある。一般の国民にとっては、日々の生活をまともに送れる社会ができるのであれば、それがどんなイデオロギーであろうが関係ない、というのが偽りのない真実なのだと思うからだ。
塩野七生のライフワーク、ローマの歴史を少しかじったことがある。その中で、ローマの皇帝にとっての政治とは、国民にパンを与え、娯楽としてサーカスを提供することだった、という(表現は違っているかもしれない)一節を覚えている。歴史書には今の西欧の民主主義の源はといえばギリシャローマの時代、と書いてあるが、その社会のインフラは実は奴隷が支えていたという事実は無視されているのがふつうである。それにもかかわらずこの時代が西欧文化の根源としてある種の理想形態として論議されるのは、実は民主主義か否かなどという議論ではなく、”とにかくパンに事欠かず、サーカスを楽しめれば幸せだ“ということだったのではないか。その陰で奴隷たちがどういう生活を送っていたかなどということは考えずに。
先週は太平洋戦争(学会ではこの戦争の正式な呼称が決まっていないというのだが)終結80年、ということで回顧や秘話といった報道が沢山あったし、このブログにも畏友船津の一文をご紹介した。いろいろな主張があり、それぞれの戦後があるのは十分承知で、ぼくはこの80年の日本の政治はまさに歴史に残る成功例なのだ、と言ってみたいのである。その心が、上にひいたキルギスの一主婦の至言なのだ。
経済の専門家は日本経済の脆弱を憂い、市民団体や一部自称インテリは憲法9条が平和をもたらしたのだという頑迷な迷信におちいり、右翼の人は日本人の劣化をなげき、かたやいろいろな自己憐憫の果てに殺人や放火を平然とおこなう輩がいる、この日本の80年の政治を、歴史に残る善政だ、と勇気をもって小生は主張する。その理由はただひとつ、1945年8月15日以降、80年の長いあいだ、我が国はただひとりの若者も戦争で死なせていないからだ。日本だけだ、とまで言い切る勇気はないが、このような国がいくつあるか。こんな例は江戸時代の我が国を覗けば稀有の歴史的事実なのだ。キルギスの主婦が喝破したような、そういう社会が今、ここにあるのだ、とは思えないか。
しかしながら今日まで、日本の政治が優れている、と論じた例はまず存在しない。労働生産性が低いとか、平和ボケだとか、確かに現象として存在することはもちろん認めるし、現在が理想状況なのだ、などというつもりはもちろん、ない。ないけれどもあえてふたたび勇気をもって言い切ってしまえば、今日の日本がそれなりの平和を謳歌できる最大の理由は米国の軍事力に支えられているのであって、拝米主義と言われようが沖縄の基地問題があろうが感情論がなんとわめこうと、ある意味ではまことに冷酷な事実なのではないのか。そして何と言われようと、現実は現実である。憲法論議が盛んだが、現憲法では国を支えきれないという単純な事実はなにも憲法学者でなくても、我々にも読めるその前文を一読すればわかることだ。そしてアテネの民主主義が実は奴隷労働によって支えられていた、という史実を思い出してしまうのだ。
しかし国民の多くが、日本の政治の貧困をなげく、最大の理由は見識ある人々を含めて多くの日本人が、一様に極めて薄い間隙からのぞいた他国のいわばいいとこだけを見て、それと日本の現実と比較した結果、だから日本はだめなんだ、という自虐的妄想に落ちいっているからなのではないか。
マスコミの報道は連日のように、政治家や資産家連中の腐敗や騒動やに満ち満ちているが、ほかの国の裏面は特別の機会でもなければ、あるいは情報通、と自称する人々のツイッターでもあさらなければわからない、つまり他人の芝が青いか黒いかも知らずに自分だけで落ち込んでいるのではないか。
面白いのはこの読売記事のタイトルが民主主義、という言葉に対して強権、と言っていることだ。中国はその強権政治の見本みたいなものだが、なお、共産主義、という看板を下ろしていない。小生の共産主義についての知識は共産党宣言を読んだ程度でお話にならないが、それでも、今の中国の在り方がマルクスレニンの主張とはかけ離れたものであることだけはわかる。此処でももう、イデオロギーで政治を論じることの無意味さを改めて感じる。キルギスの主婦の一言が今の世界のすべてで問われるべきことなのではないだろうか。
「中国「国恥地図」の謎を解く」を読んだ(2021年、新潮新書)。父親が中国人、母親が日本人の譚璐美(タン・ロミ)の作品で、塾の文学部卒業。
国恥(国の恥)と言う、オドロオドロしい言葉に惹かれて手に取ったもので、日本で言えば、ロシア、韓国に、夫々、不法占拠された北方四島、竹島の失地回復の類いの話しだ。
その地図には色々な版があるが、一言で言ってしまえば、「中華國恥圖」とは、中華民国の前の清の最大の版図と失われてしまったそれとの比較を通じて、この失地は、国の恥であると中国人の民族主義(ナショナリズム)に訴え、それを高めることを目的としたもので、中華民国の蒋介石が音頭をとって、全土に亘って小学校以上に推進したものだ。その内容は、簡単に言ってしまえば、
1.喪失した辺境(例えば、樺太、満州、台湾、香港、マカオ)。 2.撤廃された藩邦(例えば、琉球、朝鮮、ベトナム、タイ、ラオス)。 3.租借された地域(例えば、遼東半島は日本の租借地)。租界或いは居留地(例えば、上海、アモイなど)などであり、日本に較べ国土が桁違いに大きいだけに、ほら話しにも等しい内容の失地の多さがその特徴だ。
中華人民共和国(以下、中共)はそれを踏襲したもので、正当な失地であるならば、正々堂々と回復を促進すべきだろう。しかし、例えば、九段線(キューダンセン)と言われる九つの破線で囲んだ南シナ海の海域を中国領と決めつけた。ところが、ご存知のとうり、2016年、オランダはハーグの常設仲裁裁判所から「法的根拠がなく、国際法に違反する」との判決が下った。ところが、中共は、この判決は紙くずだと言って拒否。一方、提訴していたフィリピンも、大統領が、中国に買収されたにも等しいドゥテルテに変わっていたため、ここでも屑箱に捨てられてしまった。一体、正義はどこに行ったのか!なお、中華民国時代は、それが十一段線だったが、中共がベトナムに配慮して、その内の二段を消去し九段としたもので、この一事をもってしても、この段線が極めて胡散臭い代物であるのは紛れもない事実だろう。
いずれにせよ、裁判所から違法であるとの判決が下ったように、この段線は、今や、中共の完全な創作と言って良い(台湾は、依然として十一段線に固執している)。また、一方では、中国の南限は海南島であると明言している地図もある(これに基づけば、南シナ海は中国に属さないことになる)。事程左様に地図は極めて恣意的に作成されており、濫りに信用するわけには行かないと言うことだ。
最後に、譚璐美の締め括りの言葉、「二十一世紀の今日、中国が近代国家として世界の仲間入りを果たしたのであれば、今さら過去の幻想を夢みて「歴史物語」に酔いしれている場合ではない。歴史は歴史として検証し、現実のこととは切り離して考えるべきだろう」。しかし、無謬の共産党が支配している中共には、何を言っても蛙の面にションベンだし、果たして聞く耳を持つ国だろうか。
第二次世界大戦下、ナチの解読不能と思われた暗号「エニグマ」解読に成功した、アラン・チューリングの物語です。この「天才数学者」による解読過程は、難しすぎて分りませんが、世の中には信じられないほど頭の良い人物が存在するのですね。ご承知かと思いますが、この解読に使った「チューリングマシーン」がコンピューターの原型と云われています。我々が、多大な恩恵を被っているコンピューターはチューリングやフォン・ノイマンのような桁外れの天才達によって生み出されたわけです。
ちなみに、現代の暗号技術は、最先端の数学を利用し、100%解読不能ということですが、凡人にはさっぱり分りません。なお、チューリングは戦後、当時許されなかった「同性愛」で逮捕され、数年後40代の若さで自殺しました。天才の宿命なのかもしれません。しかし、彼の解読のお陰で、終戦が2年早まり、1400万人の命を救った、とも云われています。
最後に、先日話題になった英国女優「キーラ・ナイトレイ」も出演していました。・・・美人女優というより演技派女優という印象でした。
(安田)アラン・チューリングは当時法的に許されなかった同性愛で「風俗壊乱罪」宣告を受け(1952年)、刑務所に収監される代わりに同性愛を「治療」するための化学療法を処分として受け入れたが、1954年には青酸カリで自殺した。41歳であった。その時好きなリンゴに青酸カリを塗り食べたという。映画の場面で彼が仲間にリンゴを振舞うシーンがあるが、自殺の事実を知れば意味深なシーンだったと思う。アップル・コンピューターの創立者スティーヴ・ジョブはアラン・チューリングの天才と業績を尊敬していて、アランが死に臨んで最期に食べたとされる彼の好きなリンゴに因み、社名とロゴマークをリンゴ(アップル)にしたと伝えられている。イギリスで同性愛が罪でなくなるのは1960年代、スコットランドやアイルランドではもっと遅く1980年代であった。第二次世界大戦の陰のヒーロー「計算機科学の父」と言われたアラン・
チューリングの恩赦は没後59年経った2013年12月24日(クリスマス・イヴの日)に確定した。英国の同性愛者数万人に死後恩赦「チューリング法」が施行されたのは2017年2月1日であった。つい最近であった歴史的事実には驚くばかりだ。戦後チューリングが勤務したマンチェスター大学のある市内には彼の銅像が建てられている。
難攻不落ともみえたエニグマの解読が、ドイツ軍の通信を傍受していて女性職員の会話に決まって特定の言葉が含まれていることに気づく。毎朝6時に発せられる最初の常套句であった「天気」「ハイル・ヒトラー」の単語を拾うように装置を調整すると即座に暗号の解読に成功したという。暗号解読に与えられた研究猶予期間1カ月の期限がせまる間一髪の解読であった。
映画の中で印象深かったのは、
(菅原)真夜中の戯言。話しは知っていましたが、映画は見ておりません。でもこのチューリングって言う人が開発した暗号は誰にも解けないものなんでしょう、本人にとっても。
(小田)シャーロックを観てカンバーバッチが好きになり、この映画も以前
わが家は切ったりんごをいつもガラスの密閉容器に入れておきます
又キーラ・ナイトレイが出ていたことも発見しました。彼女は私の
(小泉)「イミテーション・ゲーム」何の気なしに見たら、引き込まれ最後
(編集子)”エニグマ” の解読という事実を扱った小説はいくつか読んだ記憶があるし、映画でもこの作品のほかにサイドストーリー的に出てきたものもあった。安田君が書いている襲撃計画のほかに、同様の理由でチャーチルが事前に知っていたのに空襲を許したという史実があるようだ。ウイキペディアによると:
この空襲について、イギリス政府は事前にドイツ軍のエニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コヴェントリー爆撃がわかっていたにもかかわらず故意に放置したとする陰謀論があり、「小の虫を殺し大の虫を生かす」類の説話としてしばしば語られる。しかしBBCによれば、真相はイギリスはエニグマ暗号自体の解読には成功したが電文中で標的は「Korn」とコードネームで書かれていたために、それがすなわちコヴェントリーであるということまではわからなかったとされる。
このあたりはアングロサクソン人種の持つ冷酷なまでの論理性に心冷える感じがする。その意味では主演のカンパ―バッチというのはまさに当を得た配役だったのではないか。先週来、パワーオブザドッグが話題になっているが、はっきり言って小生の好きなタイプではないけれど。
私(関谷)の本籍は生誕地である東京都文京区目白台、これまで住んだ地は国内外様々ですが、東京出身である事を自負しております。その東京の数あるシンボルの中で、未知の世界は「東京タワー」(勿論、「スカイツリー」も!)と「高尾山」でした。東京タワーは未だ制覇しておりませんが、「高尾山」は、2017年末、女川の牡蠣とワインでの忘年登山との「月いち高尾」の誘いに釣られたのが運の尽きでした。爾来、高尾の四季折々の自然、諸先輩方との気の置けないお付き合い、「天狗」での反省会等々に魅了され、本州西端の片隅に住みながらも、可能な限り、参加してまいりました。
ジャイさんを中心にKWV36年卒の「ナンカナイ会」の皆さんで2011年1月から始められた「月いち高尾」ですが、その趣旨について、『ナンカナイ会 その"ふみあと“』(2017発行)から抜粋してみます:
“いくら張り切ってみても加齢現象は我々の現実である。しかしアルプスはダメとしても、せめて低山でいいから、可能な限り、”山“に接したい。低山の代表選手である高尾山くらい、せめて月いちどでいいから、歩いてみないか。あまり期待せずに数人で呼びかけたプランは予想外に長続きしており、さらに最近、直近下級学年からの参加も増えてきて、これがナンカナイ会のみならず、シニアワンダラーの既定プログラムとして継続されそうな気配もしてきた。 この”月いち高尾“が予想外に長く続いたのは、場所と実施日を基本的に固定したこと、事前通知不要として完全に個人の当日の具合で参不参加を決めるようにしたこと(現在では事前エントリーが原則)、および途中から偶然に発見した居酒屋での打ち上げについては、それだけの参加も可としてハイク以外での会合機会としたこと、などが理由であろう。当初は同じところだけではつまらないのではという危惧もあったが、むしろ、季節を変え、ルートを変える事によって、いままで想像もしていなかった高尾山領域の魅力を発見することにつながったし、高齢者の登山に不安となる事故対応がすぐとれるという安全感も大きかった。 発足後6年を経て、他学年各位の参加が増えてきたことから、このWの企画運営を若い層に依頼し、シニアKWVers向けの広いプランにしたらどうか、という気運が生まれ、2017年1月から、その任を39年卒の堀川義夫に委託することとした。我々は今後も積極的に参加するが、より多くのOBにとって、有意義なプランとなってゆくことを期待している。”
2017年1月より、ジャイさんを引き継いで、39年卒の堀川さん、岡沢さんと40年卒の藍原さんで「KWVシニアワンダラーズの世代を超えての心のつながりを維持・持続してゆこう」とのこの集まりの基本理念に基づき、新型コロナという未曽有の禍に直面しながらも、5年にわたり運営いただき、継続されています。この「月いち高尾」の更なる継続・持続の為、堀川さんが傘寿を迎えられる事等々もあり、山行後の飲み会の席で、唐突に、後を頼むとの打診がありました。この集まりの基本理念は、長年、OB会活動に多少なりとも関わってきた私の思いでもありましたので、住まいが遠方であることや、近年、衰えが顕著な足腰の事などすっかり忘れ、飲んだ勢いもあり、引き受けさせていただきました。
千葉県柏に拙宅はあるものの、特養に入所している義母の側面からの面倒見は、当面、続きそうで、山口から首都圏に戻る目途は、今のところ、付きませんが、息抜きも兼ね、定期的に戻りますので、又、強力なサポートの47年同期の伊川さんもおり、2022年1月より、世話人代表として「月いち高尾」を運営させていただき、更なる世代を超えたワンダー仲間の参加を図ってゆく所存です。
なお、伊川さんと51年卒の斎藤邦彦さんに
協力していただき、「安全・安心」を第一とした楽しい集まりにしたと思います。皆様、よろしくお願い申し上げます。 以下、これからの ”月いち高尾” の進め方について確認させていただきます。ぜひ、多くの KWVers の新規ご参加をお待ちしますので、下記連絡先までご遠慮なくお申し込みください。”高尾なんておかしくて行けるか!” などと思っていませんか。 四季折々に訪れることで、(これこそが日本の山なんだ)ということを味わい、”古き友との新しき会合” を楽しみませんか?
2022年 「月いち高尾」の方針 確認事項・お願い等々
世話人代表 関谷 誠 (47年) sekiya@kba.biglobe.ne.jp 080-1289-2250
共同世話人 伊川 望 (47年) qkygj774@yahoo.co.jp 090-5541-5636
共同世話人 斎藤 邦彦 (51年) k.saito@amethyst.broba.cc
参加人数も毎回多くなりました。平均年齢も上がって来ました。体力に合ったコース分けも必要になります。ワンデリング内容の検討およびオーナーとの連絡他必要な活動を3人の合議で決めて行きたいと思います。
等の事務局への登録をお願いします。(皆が高齢者です。決して強制ではありませんが、万一に備え本人の携帯電話番号と緊急連絡先などを登録していただきたいと思います)。
菅原さんの遠藤誉女史の自伝、「卡子(チャーズ)」(
アメリカを始めとして世界の多くの國は台湾に逃げ込んだ蒋介石の「
今年3回目の月いち高尾が12月10日(金)に開催されました。コロナの蔓延の為、我慢の子でしたが、オリンピック前の6月と紅葉の時期の11月、そして今回の忘年会を兼ねた月いち高尾を開催することが出来ました。そして、今回をもちまして2017年1月から5年間事務局を務めてまいりました岡沢、藍原、堀川は新しい事務局を引き受けてくれた、47年の関谷さん、伊川さん、51年の斎藤さんにバトンタッチしました。至らない事務局でしたが、皆さんの温かいご協力で事故もなく終了できましたこと心から感謝いたします。未曽有のコロナの為後半の1年半ほどは、ほんの数回しか開催できませんでしたが、楽しい、素晴らしい経験をさせて頂きました。ありがとうございました。心から感謝申し上げます。
参加者
★延参加者 30名 忘年会参加者29名
(編集子)36年度有志で始めたプランも同期生仲間は傘寿をもって事務局を堀川君に委嘱し、同期のワンデルングからOB会有志による世代を超えた集まりに育ててもらった。常連を代表して改めて同君に満腔の敬意と感謝をささげる。
発足時のメンバーだったドサこと川内三千雄に報告とともに冥福を祈る。
11月28日(土)昨日(27日)は、大分から小倉⇒(新幹線)⇒福山⇒(しまなみライナー)⇒今治と大移動をして、ニセコの宿で知り合った黒川さんに会いにやってきました。彼とは新婚旅行でアラスカに
行くのをアドバイスしたのがご縁で、更に、私のアラスカ旅行の時デナリで同じホテルで会うことが出来た奇縁の人です。久しぶりに黒川さん、奥様そして二人の可愛いお嬢さんたちと楽しい夕食を楽しむことが出来ました。山で知り合った人に私は本当に恵まれています。
今日は朝からレンタカーを借りて一路剣山を目指します。100名山を完登することに今夏に決めてから、雨飾山、高妻山等天候で登れませんでしたが、西日本でぽっかりと残ってしまった剣山は、なかなか場所的にもこの山だけに行くにはコスパが悪すぎます。そこで、今回の国東半島のロングトレイルの帰りに立ち寄ることにしました。
幸い、天候に恵まれ、思ってもいなかった
素晴らしい霧氷の中、のんびり楽しむことが出来ました。登山路は雪道でしたので、また、帰りのフライトの時間もあるため往復リフトを使用しましたが、リフトの終点から、わずか30分で山頂到着出来ました。多分下から登っても1時間半はかからないでしょう。標高19,55m 100名山91座目終了です。
この日は、今治から美馬IC 、そこから剣山を往復しますが、片道50kmで1時間少々、舗装はしているものの、道は大変神経を使う林道でした。最終地点への到着した徳島空港まで全走行距離は315kmで無事到着、空港ビルで一杯飲んで、飛行機に乗り込むと飛び立つのも知らないほど心地よく居眠り、そして爆睡、あっという間に羽田に到着していました。
久しぶりの映画館での鑑賞。
西部劇とは言うものの「ピアノレッス
牧場を営む対照的な性格の兄弟が主人公で、兄フィルは、TV「シ
ま
帰りに、久しぶりの西部劇を劇場で観たことの記念と内容的に疑問
(菅原)最近の西部劇は、「荒野の決闘」が、まるでお伽噺。新宿御苑の紅
先日、CATVで見た「荒野のストレンジャー」(原題:High Plains Drifter。1973
年)。7月17日(ただし、年は不明)、NHK BSプレミアムでやったらしいので、先輩の卓抜な感想がある筈。従って、ここでは屋上屋を架すことはしな
イーストウッドこと東森の2作目の監督作品で、初めての西部劇。
最後は定石どうり馬に
(編集子)この作品もそうかもしれないが、小生もスガチュー君の感想に組するものである。映画という表現形態をとってあらわされるものが何かはもちろん固定的なものではありえない。だが西部劇、という、ま、滅びゆくジャンルかもしれないがそれが持つイメージはそっとしておいてほしいものだ。しかし世の中のエラーい先生方の評価はそういう原点には無関係であるようだ。ウイキペディアの本稿の執筆者がどういう人物なのか知る由もないが、解説の一部はこうなっている。
本作は批評家から絶賛されている。Rotten Tomatoesでは27個の批評家レビューのうち96%が支持評価を下し、平均評価は10点中8.5点となった。サイトの批評家の見解は「ベネディクト・カンバーバッチを中心とした輝かしいアンサンブルによって生命を吹き込まれた『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は、ジェーン・カンピオンが、同世代の作家の中で、最も優れているうちの1人であることを観客に再確認させる。」となっている]。MetacriticのMetascoreは14個の批評家レビューに基づき、加重平均値は100点中90点となった。サイトは本作の評価を「幅広い絶賛」と示している]。『インディワイヤー』のデヴィッド・エーリッヒは、「『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は、あまりにも早くいそいそと観客に牙を突き立ててくるので、エンドクレジットが終わるまで、あなたは自分の肌が刺されていることに気付かないかも知れない。しかし、この映画のエンディングが齎すゆっくりとした嚙みつきは、見る者に十分な傷跡を残すことには変わりない。」と表現し、映画の鋭さを賞賛した……..云々だよ、菅原君。
(小泉) 「パワー・オブ・ザ・ドッグ」のこと。西部劇の爽快さは期待でき