ベートーヴェン生誕250年  (普通部OB 船津於兔彦)

ベートーヴェンの街 ボン

もう15年も前になりますが、2000年に独逸を車で縦断しょうと言う旅の友人から持ちかけられ、都合が付かず参加しませんでしたが、その後親類がハンブルクに友人の奥様がケルンにお住まいに成って居たのを機会に、2005年にハンブルグからフランクフルトまでユーロパスを買い定期券のように列車を乗り降りして旅をし、ボンを訪ねたことを思いだしました。伯林の前の首都という事でもう少し色々な観光の物があるのかと思いきゃベートベンの生家以外これと言った目玉も無かったような気が致します。

2020年は、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(Lutwig van Beethoven:1770年12月16日~1827年3月26日)の生誕250年にあたる記念すべき年です。
音楽教室には必ず飾ってあるミサ・ソレムニスの原稿を手にした肖像画余りにも有名ですね。ベートーヴェンの母語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェンと発音するようですが、日本ではベートーヴェンと言われていますね

上の写真ボンにあるベートーヴェン像の後ろに見える黄色い建物 は1845 年に除幕式が行われた旧フェルステンベ ルク伯爵邸で、現在は中央郵便局として使わ れている。右の像は3D風の像でモダンな物が広場に置いてありました。生家はごく普通の家でした。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(およびそのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。とプログにあります。ベートーヴェンは早くから聴力を失っていますが学者の研究によるとベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属である。しかし、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり分からない。
可成り神経質でコーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたというとい逸話がある。

今年は日本では恒例の第九の大合唱もコロナの影響で行われずに、TV放送で聴けるかと思います。音楽史上極めて重要な作曲家の一人であり、その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた。日本では「楽聖」とも呼ばれる偉大な音楽家ですね。

この時いばら姫のお城とかも訪ねましたが、カーナビが今ほど進んでいないときでしたからもし、自分で2000㌔運転していたら行けなかったかも知れません。ユーレパスを買い、定期券の様に、先ず次に泊まるホテルのあるところまで行き、空身で観光地に戻り歩いた思いでもあります。そしてハーメルンでは地元のタクシーをチャーターしていばら姫のお城などを訪ねました。思い出深い旅でした。

ミス冒愛好会(5) なぜポワロはベルギー人なのか ?

(44 安田)ネットを徘徊して以下に遭遇しました。

アガサはまず、主人公は、「シャーロック・ホームズのようであってはいけない」(自伝・下・P446)と考え、ホームズとは正反対の印象を与える小男を設定しました。まず、登場した時に滑稽な、あるいはうさんくさい印象を人々(イギリス人)に与え、その軽視された小男が事件を見事に解決して見せる、そのギャップが劇的な効果を生むことに目をつけたのです。

それだけなら、ヨーロッパの小国であればどこでもよかったでしょう。事実、アガサが自らを戯画化して描いた女性ミステリー作家(アリアドニ・オリヴァ夫人)は彼女の主人公をフィンランド人に設定しています。

彼女がベルギー人を選んだのは、当時(第一次世界大戦中)身近にベルギー難民を多く見て、親近感と同情を抱いたからです。 アガサ曰く、「そこでわたしはベルギーからの亡命者を思い出した。ベルギー人の相当な亡命者集団が教区に住んでいた。……わたしの探偵をベルギー人にしてはなぜいけない?わたしは考えた。いろんなタイプの亡命者がいる。亡命警察官はどうだろう?引退した警察官だ。あまり若くない。この点わたしはとんでもないミスをやってしまった。結果的にわたしの作りだした探偵は今やとっくに百歳を越したことになってしまった」(自伝・下・P448~9)、と。 そうして生まれたのがポアロ第一作『スタイルズ荘の怪事件』(1916)のようです。

(菅原)わざわざ、有り難うございます。生半可な知識で偉そうなことを口走ると、たちまち報復される良い例です。いささか反省。
良く分かりました。クリスティーの狙い、ピタリと嵌りましたね。そのポワロ役のデイヴィド・スーシェ。Wikipediaで調べたら、もとはデイヴィド・サシェットだったそうで、ポワロ役を機にフランス読みのスーシェに変更したそうです。そして、名前の前にSirがついておりました。

(中司)本題とあまり関係ないけど、”オリエント急行殺人事件” の映画化、先日も書いたけど、オールスタアキャストの1974年版のポアロはアルバート・フィニーがユーモアもあって素晴らしかった。2010年版ではこのスーシェがポワロだったけど、テレビシリーズのイメージがありすぎて、さえなかったね。

コロナ禍でパラダイム・シフトは起きるか ? (HPOB 菅井康二)


NewsPicksという有料のニュースのポータル・サイトがあり紙の新聞の購読を止めてからサブスクリプションしました。毎週1回落合陽一(筑波大准教授)のWeekly Ochiaiというその時の旬な話題を取り上げたディスカッション番組がネットでライブ配信されています。

ご紹介するのは5/13の緊急事態宣言中に配信された『パラダイムシフトの世界史(コロナはパラダイムシフトを引き起こすか?)』という番組です。今回のパンデミックはTVを中心にメディアでは散々取り上げられていますが、寡聞にしてこのような多角的な視点での議論はお目にかかったことがありませんでした。

新型コロナを契機にパラダイムシフトは起こるかどうか、という問題を人類史を振り返りながら、今回のパンデミックにおける社会への影響を考える議論において、河合塾の世界史講師である青木裕司氏は、過去のパンデミックを例にあげて新型コロナをこう位置付けます。

 

青木 たとえば14世紀のペストや南北アメリカに起きたパンデミックは、社会や民族の構造を根本的に変えました。しかし、一方でスペイン風邪は社会を共同体含めて何も変えなかった。その理由は、死亡率です。ペストとスペイン風邪を比べれば、圧倒的に違うことがわかります。南北アメリカのパンデミックも、ヨーロッパから人が来るまで4000万人いた人口が、1200万人と75%減っている。ペイン風邪も死者は5000万人と多いですが、死亡率で考えると社会を変えるほど大きなものではない。今回の新型コロナも、そういう点では同様に社会を大きく変えるほどのものではないと考えています。


道具で社会も人の行動も変わっていく

落合陽一は独自のアプローチで対話の場に一石を投じる。彼が注目したのは「道具」でした。

落合 たとえば戦争が生んだ発明品は数多くありますが、コンピューターを生んだのが第二次世界大戦と考えるのであれば、なんらかの世の中の大きな変化は新しい道具を生み出し、新しい道具が中長期的に変えていくのは間違いないと思います。道具の発展史と社会的ムーブメントは近く、働き方が変わり、道具が代わり、社会システムの中の対話のための道具が変化すると、人の行動変異は当然起こります。今回でいえば、人と人が会えないことによって成立する新しい道具の発展が大きくあるだろうと思っていて、それが5年10年経ったときになかなか大きな変化になりそうだ、と考えています。

痛みの大きさで変化の度合いは変わる

 

国際政治学者で慶應義塾大学法学部教授の細谷雄一氏は、落合氏の発言に同意しながらも「まだ評価は早い気がする」と言います。

細谷 まず、人類というのは痛い目にあわないとわからないものです。たとえば太平洋戦争で原爆を落とされた日本は、そこでやっと国を丸ごと変えた。痛みとは、主観と客観のふたつに分けられます。

身内の死などの主観的な痛みと、社会や経済に対するインパクトなどの客観的な痛み、これらがどれだけ大きいものかで、変化の大きさも変わって来るでしょう。そう考えると、新型コロナがどれほどの痛みを人類にもたらすか、それはまだ過渡的な状態だと思います。

根拠なき精神論に基づく働き方からの脱却

立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏は社会を変えるのは客観的な痛みである「経済」とし、日本で起こりうる変化について述べました。

出口 いま、リーマンショックも超えて戦後最大の経済ショックだと言われています。経済の痛みが最終的にどれほど大きなものになるかはまだわかりませんが、いずれにしても社会を変えていく原動力になると思います。

日本は1970年代からG7ではずっと最下位の労働生産性でしたしかし今回のパンデミックによりリモートワークや大学でのオンライン授業など、急激にITリテラシーが上がっている。それにともなって、日本の癌であった、付き合い残業や上司に誘われたら断れない飲み会のような、根拠なき精神論に基づく日本的な働き方はやや中期的に見たら次第に消えていくでしょうし、それは生産性を高めることにつながると思います。

新型コロナは宗教観を変えるか?

歴史学者で東京大学教授の本郷和人氏は、新型コロナにより起こる大きな変化のひとつとして「宗教観」をあげました。

本郷 僕は以前、東大全体で所属にかかわらず学生に授業を開放したことがあるのですが、そのときに日本の宗教観について話したんです。

そしたら理系の学生から「科学は宗教になりえますか」と質問がきた。そこで考えたのですが、科学はある種すでに宗教になっているんですよね。科学が発展すれば発展するほど僕たちはいい未来を迎えることができる」という考え方、これはある意味信仰なんですね。果たして宗教がどう変わるかは今の時点ではわかりませんが、神はなんだという大きな問題はありますよね。

“共生”と“根絶”のジレンマ

国立環境研究所の五箇公一氏は生物学者ならでは視点で、環境保全の立場から、今回のパンデミックをこう語っています。

五箇 生物学の観点からいえば、こういった新興感染症の起源はすべて野生生物の中にあります。特に1970年代以降、生態系の破壊により、今まで人類史上なかったようなウイルスがどんどんジャングルの奥地から湧いてきている。


今回のパンデミックはさらにグローバル化という経済の加速によってさらに拡大している状況です。最終的には、このウイルスは根絶させないといけないものです。常に人間の経済的な欲求や利己的な欲求に乗っかって生き続けるウイルスですから、世界統一的に0にしない限りはいつまでもくすぶり続ける。

さらに進化して強くなっていく可能性もある。一部で「ウイルスと共生」という話も出ていますが、それをやったら永遠にこのウイルスの無間地獄から抜け出せませんこれを機に利他的なヒューマニズムや自然共生社会について考えるべきだと思っています。

(追記)

番組のurlなのですが、NewsPicksの有料会員でないと再生はできないようです。
https://newspicks.com/live-movie/705/

映像がなくても内容を理解するには全く支障はありません。約1.5時間と長いですが、出演者たちの話は非常に面白かったです。
https://drive.google.com/file/d/1IDIZLWVH-0zPD5FiOuSnpRupoOSP8EAp/view?usp=sharing

京都トレイル詳報  (39 堀川義夫)

西芳寺の庭

前回のメールで京都トレイルの紹介をしましたが、今回は実施編です。

2020年11月25日(水)

阪急嵐山に近い上桂駅で後輩の奥本耕三君と待ち合わせて、昨年中途半端に残した嵐山から松尾山〜西芳寺(苔寺)〜上桂までを逆に上桂から嵐山に行きました。と言うのは苔寺で写経と庭の見学で3000円もする拝観料を取ります。しかも、事前に往復ハガキで申し込むと言う面倒な手続きをして拝観できるのです。そして、入場できるのは1:45から2:15の間に入場して閉門は15:30です。でも、意地でも行ってやろうと思って行ったわけです。写経は初めての経験でした。本当に庭は素晴らしい苔寺を後に1時間半ほどで松尾山経由で嵐山到着。嵐山周辺は連休明とは思えない凄い人出で、コロナは大丈夫なのかと複雑な気持ちになりました。宿泊は昨年同様、宇多野のユースホステルです。

2020年11月26日(木)

今日から東山トレイルを歩きます。実は、今回の京都トレイル行はもちろん3,4年で完全に踏破するための2回目ですが、今回は縁があって取材協力を依頼されました。右の男性はDeanNewcombe さんと言って数年前に私が奥駆(大峰山脈縦走)の際に、途中で会い私にインタビューをした人です。この内容は既にYoutube で紹介されていて多くの方々に見て頂いています。彼はイギリス人で在日10年近くになり、奥さんは日本人で2児の父親です。今回、長男(7歳)のKenji君も同行しました。彼は主にNHK WORLD等で日本を紹介するビデオ制作の会社を運営しています。と言う訳で今回は私と奥村君はモデルになって京都トレイルの案内ビデオを制作するわけです。プロのカメラマンが同行し、途中、ドローンなども飛ばしながらの撮影ワンデリングとなりました。

 

伏見稲荷から京都トレイルの東山トレイルを歩き始めたましたがこれが大変で時間通りに進むことが出来ません。でも、何と頑張って途中、後輩の奥本君の野点

奥本君は知る人ぞ知る茶道の達人など楽しみながら大文字山に到達。京都の市街地の全景を見ることができました。大文字山から下り哲学の道に入り銀閣寺入口まで行き今日のファイナルとしました。 約7時間かかりました。疲れたよ〜。

 

 

2020年11月27日(金)

今日は銀閣寺を出発して比叡山のケーブカーの駅まで(京都トレイルの東山コースの最終地点)まで行きます。昨日とは違って時間に余裕があり、楽しいワンデリングができました。

詳しくは勉強もしていないのでわかりませんが、比叡山に関連して山城が幾つかあったそうで、石垣の跡や石造り鳥居などが点在しています。歩き易いのどかな京都を楽しむことが出来ます。概ね4時間程度で銀閣寺から到着できました。

子供の力は本当に素晴らしい!Keiji君はバイリンガルで我々の通訳をしてくれながら3日間大人同様に歩き通しました。

 

2020年11月28日(土)

今日は京都の最終日。朝早くに伏見桃山に行き京都トレイルの伏見-深草ルートを桃山から歩き始め明治天皇陵に参拝し、桃山城を横目に伏見稲荷まで約4時間歩き通して東山トレイルのスタート地点の伏見稲荷に繋げることができました。天候にも恵まれ4日間の総歩数は10万歩、距離は約60kmとなりました。良くやった!!

途中の見晴らし台より大阪方面遠望。左端の高いビルは阿倍野ハルカス

 

米国大統領選挙を見て思うことー日本はどうあるべきか?

(37 宍倉勝)米国の大統領選挙では郵便投票、票のカウントの不正等々物議をかもしています。今回に限らず以前にも物議をかもした選挙はありました。この事とは別に、羨ましくもあり、又感心させられる事は、自国のリーダーを選ぶ国民の自覚・関心の大きさです。およそ10か月におよぶ候補者選びの過程で、候補者の政策方針・主張をじっくり聴き、議論をし、リーダー選びに大いなる関心を持つことです。その結果が投票率66%を示しています。

一方我が国のリーダー選びとなる衆議院選挙では、最近の令和元年の選挙での投票率は全体で48.8%と低率でした。とりわけ10代 32.8%、20代 30.9%、30代 38.7% と、全体の48.8%を大きく下回っています。国政選挙でこの始末で、地方選挙では常に40%をかろうじてこえるぐらいです。若い世代の政治無関心は大きな問題です。国民のレベル以上の政治かは生まれないとの格言を今一度皆で考える時だと痛感しています。

日本では有権者が直接リーダーを選べない(第一党の党首が国のリーダー)間接選挙制度ですが、米国のように有権者がリーダーを選べる直接選挙制度が望ましいと思います。

(36 浅海昭)貴兄のご意見にもろ手を挙げて大賛成です。首相を直接選挙で選ぶようになり、アメリカのように国民が自由にAさんを推す、 Bさんを推す と主義主張を公言する社会になると、一人一人がもっと選挙に関心を持つようになるでしょう。そうすれば派閥争いもなくなるでしょう。
そして給与以外の色々な資金が税金から何々資金の名目で党だとか個人だとかに払われる金も削減し、アメリカのように寄付を中心にした資金で選挙をする制度(小生のアメリカの選挙資金制度に対する理解が正しいかCHECKしてください)に変えて行けたら 代議士ももっとまじめに勉強し投票者に自分がいかに役立つ人間か APPEALして約束を守る政治家になるのではないですか。

(36 中司)今回の米国の混乱、日本の現状を見ると、(もしかすると民主主義には根本的な間違いがあるのではないか) という疑問を持ちます。一応社会思想のゼミ(えへん)を出た目で見ると、今の米国のシステムは確かに表面上、民意を総合する制度であり、日本の現実について両兄のご観察に同意しますが終戦直後のマッカーサーの改革はなぜ、当時ベストとされたアメリカのシステムを採用しなかったのか。マッカーサー自身、大統領を狙っていたわけですから、制度には精通していたはずなのに、です。という歴史的事実は考慮すべきだと思っています。

僕の立場は双方ともに、現在の社会のありようには対応できないのだということです。SNSがこれだけ浸透してしまい、グローバリズムという見掛け倒しの思想がもたらしたのは、アメリカであれロシアであれ中国であれ、政治形態のいかんにかかわらず同じの拝金主義、格差の定着、ポピュリズムという、ぼくが(えへん)卒論で書いた 大衆社会 を結果として現実のものとしたことです。
皮肉なことに人権が抑圧されている中国が(どこまで情報が正確か、という疑問はあるにせよ)コロナを一応制御しているのは、強権的独裁政治だからなのは疑問の余地がありません。
僕は日本に残された最後の強みはなんといっても民度、特に、倫理性の高さ、”人に迷惑をかけるのは悪” とする国民性であると思います。この強みがあれば、早い話、選挙がどうであれ、政府が無能であれ、社会は継続できます。この強みがあるからこそ、江戸時代がそうだったように、”お上”のことは”お上”であり、ま、俺っちは俺っちでやれっからよ、という文化ができたのではないか、と思っています。もちろん、ミクロな場面での非合理や問題はなくならない
でしょうが。正確な言葉使いは忘れましたが、かのチャーチルが政治について言った名言がありましたね。つまり、政治家というのは基本的には無能なのだよ、という意味だったと思います。昨年でしたが封切りされた ウインストンチャーチル という映画がありました。あの中で、実話として紹介された、地下鉄の中でのチャーチルと市民の会話、あれこそがぼくは真実の政治のありよう(けっしてbestなんかではありませんが)なのではないか、と思っています。
(37 菅谷国雄)選挙制度について私見を申し上げたい。中長期はさておき、
  1. 衆議院議員の定数削減:2割程度
  2. 現行小選挙区・比例代表制の廃止:中選挙区制に戻す
  3. 参議院議員選挙は全国のみで実施、当選者は全員党籍離脱
  4. 国会議員の報酬引き上げ
  5. 国政と地方自治体の行政権限の見直し

*①②選出の地域・業界の利益誘導に縛られず、国を想い国を憂うる志を持った人材を極力選ぶ

*③参議院の現状(衆議院のマイナーリーグか)を改革し、参議院の尊厳・存在感を取り戻す

*④は国政を目指す、志の有る者が生業としての魅力を維持し 利益誘導に惑わされない有意の人材を選び育てる

*⑤今次のコロナ禍の対応でも露呈した様に、国が決める、地方自治体が実施する行政区分、役割・責任を明確にする

各位のご意見の発端は、選挙を経ないで党内力学のみで選んだ首班の稚拙な政権運営に厭きれて自分の意志が反映される、アメリカの国民投票をイメージして提起されたものと理解しています。(歴史上、州単位代議員獲得数でなく総得票数により決めることは出来ないのか?)

ただ、わが国の国民投票に対する私の意見は時期尚早、当面見送りと考えています。最近の世論調査を見て、又何年か前の選挙を思い出しても、民意はマスコミの報道に揺れ動き自己中心の投票行動に、その振幅が大きすぎることへの危機感を抱いているからです。世界中ポピュリズムが蔓延し、民主主義の危機が叫ばれています。

我が国にも「一身独立して一国独立す」理想の民主主義が成熟して、初めて国民投票により、孫・子の時代には、首班を選ぶ時が来ることを願ってやみません。

(36 浅海昭)貴兄のご提案の①,②、③、⑤はもろ手を挙げて賛成ですが
強いて申し上げて国会議員の数は衆議院だけで2割削減で参議院は貴兄ご提案の全員無所属で100人程度で良いです。

④に関しては上記のような人員削減ができるなら賛成、その上で色々な名目で支払われている名目給与の上乗せ分を総て給与として一本化して欲しいです。
いずれにしてもどんな改革をする場合でも痛みが伴いますが毎年の一般会計予算を80兆円程度に早急にしておかないと人口減の世の中 若者はとんでもなく高い税金を払わなければならなくなってしまいます。

今の国会議員は自分の懐しか考えていないですね。特に二階は。

 

ミス冒愛好会 (4)  アガサ・クリスティーのこと (普通部OB 菅原勲)

クリスティーのかの有名な、いや、悪名高き「アクロイド殺し」ですが、小生なんの事前の予備知識もなく最後まで読みました。しかし、最後の最後までクリスティーにまんまと騙くらかされたこと、冗談じゃねーよ、こんなことってあるかよと無性に腹が立ったこと、この両者がない交ぜになって、暫くクリスティーから遠ざかりました。この時の探偵が、エルキュール・ポワロです。

コナン・ドイルのシャーロック・ホームズにしろ、エラリー・クイーンのドルーリー・レインにしろ、その中心となる探偵は、作家と同国人の場合が圧倒的に多いのはご存知の通りです。クリスティーの場合も、ポワロ以外では、ミス・ジェイン・マープル、トミーとタペンス夫妻、パーカー・パインなど、その全てが英国人です。ただし、以下の如き例外もあります。英国の作家、サックス・ローマーの中国人探偵、怪人フー・マンチュー博士、もう一人、忘れていましたが、米国の作家、エドガー・アラン・ポーの探偵はフランス人のオーギュスト・デュパンでした。

それでは、何故、クリステイーは、英国人ではなく、英国から見た外国、それも、フランス、ドイツ、イタリアなどの大国ではなく、小国のベルギー人を探偵にしたのでしょうか。アーサー・ヘイスティングスの知り合いだったと言うことになっていますが、その知り合いの中から、何故、ベルギー人でなければならなかったんでしょうか。逆に、どうしてクリスティーは、英国人を探偵にしなかったんでしょうか(全く関係ありませんが、英国には極めて魅力的な探偵、じゃない刑事フォイルがいたじゃないですか)。このことについて、クリスティーは、作品の中とか、或いは、自身で説明するとかしてるんでしょうか。クリスティーの失踪事件以上に、最大の謎ではないかと思っています。しかし、小生、クリスティーの全てを知っている専門家ではありません。従って、クリスティーが、男性の探偵を英国人ではなくベルギー人にした理由をご存知の方があったら、是非、ご教示ください。

蛇足ですが、小生、クリスティーは、極めて面白い探偵小説作家であると同時に、極めて優秀な風俗小説作家だとも思っています。ここの風俗は、風俗営業などのふしだらな意味ではなく、世相とか普通の風俗とかのことです。

(編集子)菅原君提起の最後のポイントについて。

クリスティの書いた,非推理小説はについてだが、ワイフがだいぶ前になるが、春にして君を離れ (Absent in the spring )を見つけていい本だ、と言っている。この本について、ふたりして一致したのは、翻訳タイトルの素晴らしさだった。なんでもかんでも XXの決闘 だとか YYYの最後 なんかにして涼しい顔をしているエーガ屋には見習ってもらいたいもんだ。

 

なお、この本の解説によると、クリスティはこの菅原定義による風俗小説を書くときはメアリ・ウエストマコットというペンネームを使っていたとのことで、全部で6作品、あるそうだ。以下、例によってググリングの結果・・・・

 

なお、スガチューが怒っている理由は推理小説かくあるべし、とヴァン・ダインなどが出した定義に沿っていない、という正統的推理小説ファンとして正しい態度。その定義を書いてしまうわけにはいかないのが残念だが(ネタが割れてしまうから)ただ編集子にとってはダイン説に関係なく、ミステリの面白さを教えてくれた本、として貴重な存在なのだがね。

コロナ情報についてー追加   (34 船曳孝彦)

先日、12報を発したばかりではありますが、自分でGo-To政策に乗ってしまった手前、批判し難くなったので消化不良の文となってしまいました。

隠れキリシタン五島列島の旅をGo-Toの関係なく計画したところ、旨くGo-Toにはまったものというエクスキューズはあり、これほどの急増が始まる前でしたが、新型コロナ感染防止対策としての‟自粛“に反したことに違いはありません。でも敢えてGo-To政策批判をしたいと思います。

この新型コロナウィルスの第3波感染急増に対抗策は何かと言えば、

  • 飛沫感染予防に3密を避け、マスク着用し、手洗い・消毒
  • エアロゾル感染を防止するため大声での会話を避けソーシャルディスタンスを保ち十分な換気をする(会食自粛)
  • 人の移動が感染拡大につながる(学問的にも証明済み)ので外出自粛
  • 感染した場合の受け皿として医療体制の確立

といったことが叫ばれる一方で、経済が回らなければ社会が成り立って行かないからとGo-Toトラベル、Go-Toイート政策が始まった。Go-Toにはどうしても警戒感の緩みが伴ってしまい、感染症対策にはブレーキがかかってしまうことが当初から指摘されていた。感染の波が収まったタイミングならともかく、「勝負の3週間」というのは単なる掛け声としか受け取られておらず、この12月に入ってからの感染者数増加している時期は、一時中止なり延期すべきというのが常識ではなかろうか。

テレビでは旭川市の日赤院長が「医療崩壊が迫っている」と必死に訴えており、次のニュースでは日本医師会の見直し要望もあり、なんと‶政府“の検討分科会自体までもが必死に中止を訴えているジャストこのタイミングで、ネット番組の取材に対して、首相が「ガースーです」とお道化て「見直しは全く考えていない」と明言したことは許しがたい。

旭川では基幹病院にクラスターが発生し、他の病院でカバーし合う体制がとられてはいるが、A病院の分娩をB病院に依頼し、C病院では手術予定が先送りが決まっている。コロナ患者を入院させようにも空きベッドが殆どなくなってきている。一般の癌患者、心臓病患者、外傷患者も入院できない。医師、看護師は大幅に不足し、過重な労働、危険を冒して頑張っている。これこそ医療崩壊そのものではなかろうか。

さらに報道されるのは、医療職員のボーナスが減額される、支給されないという事態。激務に耐え、違法とされる超過勤務をこなし、自分が感染してしまう危険を乗り越え、さらには危ない病院で働いているからと世間で嫌われ(家族までもが不当な差別を受け)、本来それに見合うようなボーナスが出て当然であろう。そうであるのに逆に収入が減ってしまうという理不尽は許されてよいのだろうか。常識的に狂っているとしか思えない。日本とはそういう国かと世界の人々はあきれるだろう。

医療施設は、院内発生などなくとも、手術を始め患者減とコロナ対策費用増で、大幅減収(私に聞こえてくる話では1割から5割)で、病・医院の規模によっては閉鎖が迫っており、確かにボーナスを払える財政ではない。 提案として、

①増額された合理的ボーナスを支給する(払いきれない分を公表する)

②当該施設で払える額との差額は国で補助する。

遅れて支給されるようになるのは仕方ないとしても、この理不尽を解消するのは国民全体の責任(すなわち国:税金)だと思う。医療施設に働く人たちは、Go-Toトラベルで温泉に行くこともできず、Go-Toイートでフレンチを食べることも出来ません。Go-To政策で一部の人たちに国費が使われているのに、コロナ対策の「キモ」となっているところへ使われないとは、なんと情けないことであろう。

もう一つ政府のコロナ対策での問題点は、PCR検査を『行政検査』として検査権、既得権益に拘ったことで、有症状者、濃厚接触者に限定しての検査に、私は早くから異議を唱えてきたが、ウィルス学・感染症学の専門家や臨床医の批判、果てはWHOやアメリカに避難されようとも、基本的に検査拡大に抵抗してきた。PCR検査は私が現役のころ、指導大学院生の研究で導入したほど古く(20年以上前)、既に一般的な検査であるにも拘らず、一般で行われれば精度の問題を信用できず、偽陽性・偽陰性患者が世に溢れ、医療機関が破綻するという子供だましの理由で、永く認められてこなかった。検査には偽陽性・偽陰性は付きものであり、たとえ偽陽性者が病院受診しても本来非感染者だったら再検査により早急に否定することが可能であり、偽陰性者(本当は感染していても陽性と出なかった軽症ないし無症状者)が制限なく町中を歩き回り危険であるというが、検査をしていなくても歩き回ることに変わりない。

検査のランニングコストはおそらく1000円以下に抑えられるので、国から補助してでも、1000円か2000円で、誰でも何回でも何処でも受けられる検査として、何千万人も検査すべきだと、私は早くから言ってきた。山梨大学が始め、やっと最近、東京駅近くに2000円でだれでも希望者が検査を受けられる施設が出来、那須塩原市では市民に1000円で検査するという。数か月前から検査を受けたい人の要望に沿う形で、一部で2万円以上で検査する施設も出てきた。国が指導して体制作りをすべきだったのに放置したことで、格差が出てしまった。また恐ろしい話だが、陽性者を届け出る義務が定められておらず、非医師が検査している施設があるという。いずれにせよPCR検査を広く行い、無症状感染者を洗い出すことが必要である。

実は昨日、ここまで書き上げて夕食の時、首相が突如『12月28日から1月11日までGo-Toトラベル全国一斉停止』なる発言をしたとテレビで報じられた。前の「全く考えていない」発言から3日しか経っておらず、この停止期間も意味不明である。27日までなら行けると旅行に出かけ、会食(忘年会シーズンでもあり、クリスマスでもあり)しようという反応は当然起こるであろう。このところの3000人に及ぶ新患者増加で決断したと述べているが、本気でコロナ対策を考えているとは思えない。内閣支持率が落ちて不支持率に逆転された(毎日新聞12日世論調査)ことで慌てて考えたものであろう。

家ごもり月いち 第二編 (1)   (46 猪俣恭子)

各地からの皆様のメールを拝読していて私もお便りしたくなりました。
閉塞感一杯のこの一年でしたが、私自身は昨年からの闘病閉じ籠り生活に慣れそれほどの困難でもありませんでした。

おかげさまで身体も快復しつつあり気持ちは上向きです。勿論、コロナ感染は怖くできるだけ距離取っています。
-今までの世界の常識、価値観の大きな変動に目を見張っています。私たちシルバー世代はある程度安定していますが若い人達はこれからの社会との対応が大変だなと思います。私の三人の子供達もそれぞれの立場で混乱と闘うサンプルのようです。

長男一家  四人の子供を抱え極小住宅から引っ越しを目論見、大奮闘中。

長女一家  二人だけの生活で夫君はテレワーク、娘も月数度の出社。    ゴーツーを多いに利用し各地へ旅したのは良かったのですがついに旅先で怪我。

次女    単身ハワイ在住ですが帰国もままならず仕事も休職中。トランプさんから支援金受給しなんとか凌いでます。朝に夕にサーフィンで運動不足解消。

冬に入りそろそろ雪が気になります。白銀が呼んでいるような気がします。もう二年も遠ざかっています。スキー行かれる方は是非お声かけ下さい。読んで頂き有難うございます。良い年になりますように祈ります。

(編集子)”スキーのない冬” にやっと慣れたばかりです。呼んでなんかいねえって! 寝た子を起こすようなことを言わんといて! もっとも、起きてももう動けないけどね。

”ミス冒愛好会” (3)  そしてハードボイルド

さて、”ミス冒“ 三題噺のトリはハードボイルド。小生が一番はまっているゲビートである。

Hard-boiled (ハイフンがあったかどうか不安)とは要は固ゆでの卵のはずだが、転じて、頑固、意地っ張り、独立独歩、時に応じて暴力を辞さない、古いものにこだわらない、軍隊で言えば融通の利かない古参軍曹のイメージ、などなど入り混じった感情のこもった文体で書く作品、としておこう。

ミステリの歴史で言うと、前々回に述べた、1920-30年代に勃興し発達した推理小説が、ただトリックの妙だけを追求する流れになり、現実の犯罪行為や社会現象から遊離してしまっている、という反省から、名探偵が灰色の脳細胞で犯人を言い当てる、というパターンから、ごく普通の警官や私立探偵(日本だと浮気調査くらいしかないようだ)が自分の足と地道な調査と人間観察力とで、犯人を探し出す、という組み立ての作品が出てきた。このような意識というかスタイルで書かれたものをハードボイルドミステリ、と呼ぶようになった。

その過程において、本人はあくまで自分の価値観と、これが重要なのだが、ある信念を持ち、自分の信条によって行動し、必要であれば周囲の社会の慣行を無視し、暴力も辞さない。この ”信念と信条”が大事で、そのために彼は 卑しき街を一人行く正義、などと表現される。もう一つ、その文体は同時に伝統的推理小説のもつビクトリア朝的慣習とか持って回った大げさな表現とかを無視した、簡潔で乾いた表現を用いる。プロに言わせればその文体の源泉はヘミングウェイにある、という。ありていに告白すると小生、ヘミングウエイは6冊くらい読んでいるが、もちろん、翻訳では翻訳者の解釈とボキャブラリに依存してしまうので原書も数冊読んでみたが専門家の言う類似性、というものをはっきり意識することはできなかった。ま、素人としては当然だろうが。

日本でHBの嚆矢、と言われたのが僕らが高校生のころはやった大藪晴彦で、デビュー作 野獣死すべし は当時の僕ら高校生には全く経験のないものだったし、同じころ翻訳のでたミッキー・スピレーンの 裁くのは俺だ なども同じ興奮をもたらしたものだ。このあたりから ハードボイルド(以下HB)、という用語が定着したが、多くの作品は暴力描写の面だけを取り上げてHBと称していたから、”酒と銃と裸の女がでてくればハードボイルド”、なんていう俗説もあったくらいだ。研究家の本を読むと、30年代の終わりごろ、サンフランシスコにたむろしていた作家たちがたちあげたブラックマスクという雑誌にHBの原型ともいうべき作品が乗り始めた、という。その同人たちのあいだで一番有名なのがダシール・ハメットであり、レイモンド・チャンドラーだったというわけだ。前記した野獣死すべし、の主人公伊達邦彦は強奪した金でアメリカへ留学し、ハメットーチャンドラーーマクドナルドの文学を専攻することになっている(ただし、この後、大藪の作品はただ暴力の描写と著者の銃に関するぺダントリを披露するだけに終始していて見るべきものはない、と小生は思っている)。

そんなことから、HBを志向した人がまず読むべきとされるのが ハメットの マルタの鷹、チャンドラーの 長いお別れ というのが定説になった。この二人の後継者とされるのがロス・マクドナルド、代表作は 動く標的 があげられる。これらの作品は確かに謎を解くことが中心の糸になっているのは当然だが、チャンドラーの作品にはうまく言えないのだが雰囲気がある。特に 長いお別れ がまさにそれで、ほかにももうひとつの代表作 大いなる眠り、さらば愛しき女よ なんかもいい。ただ小生が入れ込んだのはチャンドラーの後継者であると専門家がいうロス・マクドナルドだ。チャンドラーの背景が第二次大戦前後のいわばよきアメリカ社会であるのに対して、マクドナルドの中期以後の多くの作品は、家庭崩壊とか麻薬問題とか、まさに現代アメリカの宿痾が背景になっている。ウイチャリー家の女 とか さむけ などは重厚であり読みごたえがある代表作といえるだろう。翻訳のことを言ったが、長いお別れ は小生が知っているだけで3人の翻訳があり、最近では村上春樹がチャンドラーの全長編を翻訳した。個人の好みだが、長いお別れ に関してだけは清水俊二の訳がしっとりとしていて実にいいと思っている(マクドナルドのことだが、ジョン・D・マクドナルドという人も同時代にいるので注意されたい)。

日本でもいろいろな作品があり、今売れっ子の北方謙三も純文学から転向してHBを志した歴史があり、弔鐘はるかなり とか、友よ静かに眠れ などは雰囲気のある作品だと思う。ほかにもいろいろあるが、小生が日本第一のHB作品だと信じているのは原寮という、もとジャズピアニストとして知られた人の諸作品である。残念なことに寡作な人なので次が待ち遠しいが、さらば長き眠り 愚か者死すべし それまでの明日 そして夜は甦る はシリーズものであるがどれもストーリもいいが落ち着いた、品格のある文体がなんともいえず心に響く。主人公沢崎の事務所が新宿にあるという設定で、会社時代の一時期を過ごしたあたりが登場するのも嬉しいのである。

なお、ハードボイルド、という表題で、本ブログ開始間もなくのころ、少し書いた。ご興味があれば、画面右側にでるアーカイブの欄で2017年9月をクリックしていただくともう少し詳しい情報がある。ご参考まで。HBなるものをお読みになっていない諸兄が多いと思うが、まず、長いお別れ(村上訳は ロング・グッドバイ というタイトルになっている)当たりを読んでみることをおすすめする。コロナさんとやらに、ぜひ近いうちに Long Goodbye と言いたいものだ。