ドライブで奥多摩へ行くと大きな看板が目に入ります。「三頭山荘」みとう山荘? さんとう山荘? みがしら山荘?通るたびに “何と読むのでしたか?“ 迷ってしまいます。みとう山荘でしたね。「三頭山荘」に宿泊した事はありませんが、昔々、会社の園芸部の日帰り旅行で盆栽・シクラメン等の生産者 園芸店を訪問した後、 安田さんの写真の山菜の小皿料理を戴きに寄りました。 小皿の並べ方は変わっていないようです。 (安田)三頭山(みとうさん)は文字通り3つのピークを持つ山です。それぞれ東峰、中央峰、西峰と呼ばれます。三頭山荘の自家製山菜料理は小皿の盛り付けも昔から変わっていないのですね。フキノトウ、ぜんまい、ワラビ、タラの芽、ウド、こごみ、フキ、しその実、手作りこんにゃく、しめじ、などなど、堪らなく良かったです。僕の好きな山菜の女王といわれる「こしあぶら」はなかったです。ヤッコさんも泊まった三国山荘に春に行き、周辺で山菜を採取して、天麩羅にして舌鼓を打つのが最高の贅沢でした。女王「こしあぶら」の写真です。錦秋の紅葉を愛でに、三頭山・広徳寺ともども再訪したくなりました。広徳寺の静寂感は味わえないでしょうが。
”海底ケーブル” 今昔物語 (普通部OB 船津於菟彦)
海外との電話やメールはもちろん、インターネット、SNSのやり
それに対して、アメリカとアジアを結ぶ太平洋ケーブルが
通信用の衛星として最初に実用化されたのは、1962 年 7 月にアメリカが打ち上げたテ ルスターである。さらに、1962 年 12 月 13 日には、リレー1 号衛星も打ち上げられた。こ のリレー1 号は 1963 年 11 月 23 日にジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領の 暗殺事件を日本のテレビ視聴者に伝えた。それは初の日米間テレ
ただこれは現在の静止衛星の衛星放送とは違い、地球を周回する通信衛
通信の自由化と共に日本電電公社(NTT)と国際電信電話株式会
日本ではKDDが1964年(昭和39年)に『TPC-1(第1
1995年(平成8年)、『Microsoft Windows 95』が発売され、インターネットが急激に普及しはじめたこの年
1996年に行われたアトランタオリンピックでは、世界で初めて
海底ケーブルは日本海溝などの底まで敷設するため、一度切れると
(安田)掲題のブログ記事大変興味深く拝読いたしました。
エーガ愛好会 (143) 星のない男 (34 小泉幾多郎)
題名「星のない男」の意味は、夜道を歩くのに星を頼りに進むべき
名匠キング・ヴィダーが、カーク・ダグラスを主演に据え、西部劇
冒頭からフランキー・レインが歌う主題歌Who knows who knows man without
star・・・ に乗ってタイトルが流れ終ると蒸気機関車が驀進してくる。駅に停
ム・キャンベルを救い、二人とも女牧場主ジーン・クレインの三角牧場に雇わ
の一人が
この時ダグラスにバンジョーを投げると弾き語りの熱唱T
全般的に放浪者としてのダグラスの心理的描写や若者キャンベルと
(飯田)「星のない男」を観終わって、小泉さんの名解説を読み納得しまし
この映画のカーク・ダグラスはガン捌き、ガンベルトの扱い、バン
物語の演技も、あのしゃくれた顎と顎のくぼみで、非常に印象に残
映画のタイトルを聞くと、主役のカーク・ダグラスの個性的な顔が
彼は俳優として珍しく長寿で103歳で2020年に亡くなってい
(編集子)小生も飯田兄と同じで、初めて見たダグラスは探偵物語だったと思う。いわゆる歴史スペクタクルものはダグラス主演に限らず一切見たことがないが、西部劇では本作のほか、ロック・ハドソンとの共演作 ガンファイター と飯田君ご指摘の OK牧場の決闘 が代表作だろうか。いずれも小泉さんの御慧眼通り、なにか過去を持つ、表面にあらわれない衝動を画しているような役、つまりジョン・ウエインものなんかには出てこないシチュエーションが設定されていた。特に ガンファイター は日本版の
タイトルが全く作品の陰影を覆い隠してしまっていて、一般的にはカツゲキものとみられているようだが、原題の The Last Sunset という含みを現したタイトルにふさわしい、重厚なものだった(もちろん、助演がドロシー・マローンだった、という事も小生の印象に深い理由なののだが)。 OK牧場のほうは確かに飯田兄ののたまう通り、過小評価があるかもしれないが、作品自体が大掛かりなしかけで、同じ史実の脚色の 荒野の決闘 とか 墓石と決闘 なんかにくらべて、言い過ぎかもしれないがけばけばしすぎてその分、損をしているように思える。
もう一つ、小泉解説にある ”星” の意味だ。西部劇でいう ”星” は保安官の星型の記章を意味することが多い。スズで作られた安物のはずだが、この星に正義と真実を見るのか、あるいは現実に多くの保安官がそうだったようだが単なる拳銃使いのはったりだったのか、によって作品の見方も変わってくる。著名な作品で言えばクーパーの 真昼の決闘 はこの星章に誇りと使命感をいた抱いていた男の話
だし、もう一つ、あまり評判にはならなかったが、あのアンソニー・パーキンズの 胸に輝く星 は題名からして Tin Star だった。ただ、作品の意図というか主題がこの正義の象徴の星章をどうとらえるか、によって結末は違ってくる。真昼の決闘 でも 誇り高き男 でも主人公が退場するシーンではこのバッジを放り投げていく。OK牧場の主人公ワイアット・アープにしても、荒野の決闘 のフォンダと ワイアット・アープ のケヴィン・コスナーではイメージが全く違う。正義のしるしのはずの星、にもそれぞれの立場があるということか。
エーガ愛好会 (142) 見知らぬ乗客 普通部OB 船津於菟彦
が潜り止めに行くシーンもハラハラですね。
ムを殺そうと交換殺人を”保健所所長人材不足” の報道について (会社時代友人 齋藤博)
2022年05月07日の読売新聞朝刊に、
”全国の467保健所のうち、
”保健所長は地域保健法の施行令によって、原則、
それまでの保健所法の下では850ほどの保健所がありましたが、
両者を足すと旧法のそれより、数が多くなりますが、保健センターという組織が皆さんの近くであれこれと仕事がやりや
一方保健所は、許認可指導、立入り権を集中させて、
◎ 保健所
・こころの相談
・感染症の相談・検査
・飼い犬の登録や狂犬病予防
・野良犬・ねこ・アライグマ・
・ねずみや害虫の駆除
・食品営業許可の受付
・医療機関の開設許可申請
・医薬品や劇物の販売業の許可
・浴場・理容室・美容院の開設指導許可
・墓地などの設置の開設指導許可
・飲料水の水質調査
・食中毒の予防
・人口動態統計
・栄養改善
・医療監視
・公共医療事業指導
・精神保健
・伝染病の予防
◎ 保健センター
・乳幼児健診
・小児予防接種
・健康相談
・成人病検診
・がん検診
・予防接種
・訪問指導
・機能訓練教室
・母子保健(母子手帳交付)
・老人保健
現況について、実務経験をしたものとしての考察を述べます。保健所長になる医師はどれだけいるか、医師の序列はあるのでしょうか。
かつては、
切った張ったの第一外科や、
私の通っていた研究室のランクはもっと下で、
さて、厚労省のデータ「医師・歯科医師・薬剤師統計」
医療とは関係ない所とは、臨床以外の研究機関、製薬会社、
この分類で保健衛生業務に勤務とれている1,083名(0.3%)
私はこのコロナ禍のど真ん中で保健所に勤務していました。
保健所長の役割は、
大船を散歩する (34 小泉幾多郎)

ゴールデンウイークの5月4日、大船フラワーパークに出掛けまし

案内書によれば210種2000株の規模を誇ると
した。帰りはバスが運行されていることを知り駅まで乗車。いつも

眼前で仰ぎ見る観音様は、整った慈愛に満ちた顔で見つめられてい
(編集子)センパイ、お元気ですなあ。その一言であります。
閑のあるまま―”三大” 何とかの話 (4)
昨晩テレビで ”三大” を ”四大” に広げられる候補を選ぶ、という番組に遭遇した。やはりこの世の中、洋の東西を問わず、big three というのは人間の心に響くもののようだと改めて思って…….いたら今度は5月1日夕刊に ”三体核力”という原子核物理学上の現象があって、それの解明に成功した東京工業大学の関口教授の話が載っていた。関口さんがこの研究にあたって、老子の教えの一節にある 三は万物を生ず という一節を意識してこられたそうだ。なんにせよ、三、という数というか言葉には神秘性があるようだ。
先回までで、”場所” がテーマになった話題と、その ”場所” から連想される味覚の話題をまとめてみた。一応アルコールからデザートまで来てみると(面白いことに今まで、肝心の食事、についての話題は出てこない)次はエンタテインメントがトピックになる順番だろう。”エーガ愛好会” というメル友グループでは、よくあるように自分の選ぶ映画ベストテン、という企画をやった。しかしグループ名を映画、でなくエーガ、としたのはユーチューブもサブスクもなく、テレビの連ドラと映画、しかなかった、いわば昭和中期に青春を謳歌した年代の話なので、もう一世代若い人たちの話も是非聞いてみたいものだ。 とにかく、この企画が選んだ映画のベスト10は次のようなものだった。 1.ローマの休日 2.カサブランカ 3.第三の男 4.シェーン 5.風と共に去りぬ 6.アラビアのロレンス 7.ニューシネマパラダイス 8.駅馬車 9.我谷は緑なりき 10.荒野の決闘

現在の若い世代にとってはいかにも古臭いものかもしれない。次回はぜひ、次世代の選んだベストテン、をどなたかに企画してもらいたいものだが、時代はエーガ館で見る映画からテレビやSNS 上で展開されるものに移っているはずだ。テレビの上での代表的なエンタテインメントとして大河ドラマをとりあげてみよう。まずは評判の良かったベストスリーは何だろうか。
エーガ評論ではエースの小泉さんは(どうも昔のほうが感激していたようだ)と述懐しながら
1.花の生涯 2.赤穂浪士 3.樅の木は残った
を挙げ、”若手(?)” を代表して武鑓君は 1.竜馬伝 2.西郷どん 3. 篤姫
を、安田君は 1.真田丸 2.軍師官兵衛 3.樅の木は残った
を推している。NHKの大河ドラマはエンタテインメントというよりも歴史回顧みたいな部分が多いので、高評価が見るほうの歴史への関心の違いなのか、ドラマとしての出来栄えなのかは判然としていない。小生の場合は、大河ドラマという形態はとっていないが、特別番組だった 坂の上の雲 に好印象を持っているし新撰組! は同じ司馬原作で愛読書の 燃えよ剣 との関連もあって熱心に見た。出来栄えというよりも内容に関心を持つ立場から言えば、時代劇もので会話が現代語で使われているものには感心しない。小泉さんの場合はもっと立場が明快で、”大河ドラマどは評価しないとしている。その展開で、”大河ドラマ ワーストスリー” はどうか。
武鑓君は早くも 鎌倉殿の13人 をワーストワンとやり玉にあげ、いだてん、平清盛、も評価しない。安田君のワーストは おんな城主直虎、いだてん、花燃ゆだそうだ。
”がっかり” のことについて、岡沢君は別の観点から書いている。なるほど、こういう感覚もあるのだと妙に感心した。
”三大がっかり ”ではありませんが 私としては今でも大がっかりの話は伊藤左千夫の「野菊の如き君なりき」のことです。
中学生頃だったと思うが 小説が映画化され
有田紀子主演で民さん(タミさん) 政夫 本当に大感激したものです。が 、 作者の伊藤左千夫の顔写真をあとで見た時「えツ この作品の作者ってこんな顔なの」で大がっかり 幻滅の悲哀を感じました。小説の内容と作者の顔のイメージがまるで違ったので。今でもはっきりおぼえています。
今回のテーマとは関係ないが、各位から引き続きいろんな 三大 話をいただいているので順不同でご紹介しておく。
(菅原)小生、さしたる食通ではありませんが、以下、二つばかり。一つは
(保屋野 エーガ愛好会の”断崖”のついての議論のついでに)サスペンス感もイマイチで、ハッピーエンンド風のラス
断崖ついでに、私が選ぶ「日本三大断崖(海)」
①隠岐・西之島 国賀海岸・摩天崖(高さ日本一256m)
②陸中海岸・鵜の巣断崖(高さ200m)
③伊豆諸島・青ケ島の南 ソー婦岩(高さ100m)~写真・映像で判断+
観光地では
①福井、東尋坊
②陸中海岸 北山崎
③和歌山・白浜 三段壁
(斎藤)
■蕎麦屋で名前が出てくるのは2つ。
○水内庵(外苑東通り−南青山一丁目:現存)
社会人になった私の胃袋を満たしてくれたお蕎麦屋さん。お店のお
分かわいがってもらった。会社で仕出し弁当(嵯峨野)が支給されるのだけど、それじゃ足ら
近くに青山ツインが出来て、その地下1階に「くろ麦」という手打
来て、ざるそばが1,500円と言われ皆でおどろいた。
○国田屋(水戸二十三夜尊近く旧大宮街道沿い:廃業)
ここは、私の蕎麦人生の師匠的な存在。
茨城の地粉を使う、いわゆる田舎のそば屋。そば打ちから、汁作り
このおばあちゃんに教えてもらった。体育科の教授にそば打ちを習
がてここに連れて行かれ、のめり込んでしまって留年の思い出あり
○布恒更科(品川区南大井3:現存)
地元の有名そば店。蕎麦はとても美味しい。大森駅からもそれほど遠くないので、繁盛
■カレーライス
1軒です。YHPの方々を連れて行ってます。
○アジア会館(港区赤坂8)
ここのカレーライスは、日本の昔ながらのカレー。安かったので、
業さんとよく行きました。宿泊客は、ホテルの名の通り、アジアの方が多かったのですが、昼
(小田)外国旅行をしていて、困ることが三つあります。
エーガ愛好会 (141) リオグランデの砦 (34 小泉幾多郎)
ジョン・フォード監督の騎兵隊三部作の最終作。この連作は、太平
南北戦争中、北軍だったウエインが、妻モーリン・オハラの南部の
を追ってやって来たのだった。モーリン・オハラは白い肌に赤い髪、グリー
全般的にアクションを主体に、息子の教育問題で対立しながらも、
老軍曹長として重要な役割を
が格好良い、馬上
音楽がヴィクター・ヤングだけに、優雅な旋律に纏われ、情緒豊か
(安田)ジョン・フォードは抒情性豊かな作風から「映像の詩人」と評された。ひと昔(ずっと若い時)、この映画を観た時はそれほど感じなかったフォードのの詩情豊かな場面と映像を、今回は印象深く感じた。歳を重ねるとは“そういうことなのか”と悪い気はしなかった。ネイティヴ・インディアンを悪玉にして徹底的にやっつけるのは、現在の視点で観ればちょっと悲しいが、それを除けば、詩情ゆたかなアクションもあるさわやかな西部劇だった。
- 初老の指揮官役ジョン・ウェインは、豪放さと繊細さを併せ持ち、不器用ながら自然体で演じているのが良かった。
- 15年振りで会う妻(モーリン・オハラ)とは、別居の原因にお互いわだかまりを感じつつも、夫婦の微妙な愛情を随所に見せる“恥じらい”にも似た表現・演技は見応えがあった。「静かなる男」での共演でもこんな雰囲気であった。騎兵隊キャンプに到着してテントの中で二人きりのシーンは本映画のハイライトの一つ。
- 妻を歓迎して軍楽隊が歌うシーン、幌馬車隊が砦を出発する時、最後の表彰式での軍楽隊演奏など、要所でヴィクター・ヤングの音楽が感動的ですらある。
- ベン・ジョンソンとハリー・ケリーJrの二人が、裸馬2頭に立ったまま乗りグランド一周を疾駆する場面は、西部劇映画では他には見たことがない、名場面だ。ベン・ジョンソンはスタントなしで本人が演じたという。さすが、カウボーイの父親に育てられ、本人もロデオのチャンピオンになったことがあり、ハワード・ヒューズに馬の調教師として雇われたことが映画界に入るきっかけとなった事だけはある凄技だった。
- 幌馬車隊がインディアンに追われ逃げる場面や、ベン・ジョンソンが馬で疾駆する場面の迫力は、「駅馬車」や「荒野の決闘」などと同様、ジョン・フォード、ツボを心得ているな、と唸った。
- エンディング近く騎兵隊の突撃シーンはクライマックスを盛り上げる効果抜群。
- フォード一家のイギリス俳優の古株ヴィクター・マクラグレンは名前からしてフォードと同じIrish系であろう。フォードが初めてアカデミー監督賞を獲得した1935年制作の「男の敵」では、彼は主演男優賞を獲得した。それ以来のフォードとの付き合いであろう。世話係の伍長役を人情味とユーモアに溢れ、独特の風貌と演技で見事にこなして、印象深い。南部出身の妻(モーリン・オハラ)からは、北軍の兵士だった彼はからかわれるような、虐められるような絡み合いシーンがあり、大変面白かった。
- 息子ジェフ役のクロード・ジャーマン・ジュニアはどこかで覚えのある顔だな、と思ったら、グレゴリー・ペックの「小鹿物語」に続いて2作目だった。ナイーブでありながら騎兵隊生活になじんで逞しくなっていく様を見事に演じていた。
- 南部気質が顔を出すモーリン・オハラの頑固さや直情の感情表現はオハラの芯の強い逞しい南部女性を見事に演じていた。「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リー演じるIrish系の南部女性スカーレット・オハラにも通ずるところがあった。
- 好きな場面は、エンディング近く表彰式に臨席した、ヨーク中佐(J.ウェイン)の横に並んだモーリン・オハラが白い品の良い日傘を頭上でくるくる回しながら、にこにこと笑いながら眺めているところ。この映画の温かさと優しさが象徴されていると感じた。フォードの詩情性豊かな感性の面目躍如たる場面。
- 男たちは勇敢で、純真で、女たちは可憐だが逞しく。家族愛、仲間愛に溢れ、古き良き時代のアメリカが見事に描かれた映画だと思う。ジョン・フォードの騎兵隊三部作の中では一番好きだ。最終作でもあったので有終の美を飾った感。
(編集子)この作品に登場するサンズオブパイオニアーズ。まだカントリという呼称が流行らず、ひっくるめてウエスタン音楽、と言っていたころ、上品なコーラスが印象深かった。いろいろ買った中から捨てきれずにとってあった ”レコード” がこれ。まだ残っている何枚かを聞きたくて、アンプも何台かつくったが、そのたびに今入手できるプレーヤが高価かつ超高性能でバランスが取れず、手軽にできるCDをソースにしたものばかりだ。そろそろ半田鏝とおさらばするのがいつか、というところまで来てしまったので、”最終作”にとりかかって、目をつぶって高いプレイヤーを買って,この ”レコード” を聞かねばなるまい。
皐月徒然・上野東照宮の春牡丹 (普通部OB 船津於菟彦)
時は巡り皐月です。「冬牡丹」についで「上野東照宮の春牡丹」
上野東照宮は、寛永4年(1627)、
現在の建物は慶安4年(1651)に造営されたものです。社殿・
春の桜、
牡丹の花は「富貴」の象徴とされ、「富貴花」「百花の王」”ウクライナ侵攻とグローバリゼーション” 補論 (53 林岳志)
「ウクライナ侵攻とグローバリゼーション」
1985~1988にロンドン、2009~
各国・地域にはそれぞれ固有の歴史があり、
中国では清朝末期に西欧・
ロシアのウクライナ侵攻は決して許されるものではありませんが、
言うまでもなく「歴史に学ぶ」「失敗から学ぶ」
(編集子)Can’t agree more という反語的な言い回しがある。グローバリゼーションについては林君の定義についてはまさにそう感じる。小ぶりながら多国籍企業、のひとつだったヒューレット・パッカードでこの言葉が独り歩き始めたころ、これを金科玉条と振り回すパロアルト本社のいやな奴に、globalization なんて Americanization じゃねえか? それとも Californiazation か? と食って掛かったら、そうかも知れねえな、と一瞬黙ってしまった。そのあとどう言い訳したかは全く覚えていないが。











